日曜日は、研究所同僚のTさんの結婚式。
新郎が僕と同じ名前で、なにか変な感じ。新郎の名前が呼ばれるたびに、反射的に「!」となりつつ、心の中で「ぼくではない、ぼくではない」と打ち消す作業が必要だった。
おそらく二度とないだろう同名の人の結婚式。
彼も僕の結婚式に来てくれた時は、こうだったのだろうか?
そんなこんなで、3月も終わり。
時間が経つのはあっという間。
ちょっと勉強すれば、知らないことが山ほど出てくる。
締め切りが間近に迫った仕事も積みあがっている。
あ~大変だ。大変だ。
といいつつも、どうにもならないから、開き直って、一つずつ片付けるしかない。
来年度にもちこしてしまった仕事がたくさんあります。
@帰りの電車の中
2009年3月31日火曜日
2009年3月27日金曜日
永代経法要
おとといと昨日(3/25-26)、西正寺の永代経法要でした。
みなさまのお陰で、今年も無事にお勤めすることができました。
お参りいただいた方も、お参りいただけなくともかげながらお気遣いいただいた方も、
ありがとうございました。
ご講師は豊島学由先生。毎年3月の永代経ではお世話になっています。
仏教の問題は、「生活」の問題ではなく「人生」の問題だというお話がありました。
最近、考えていたこととリンクすることでした。
仏教は、根本的には「暮らし」ではなく、「生きる」ことそのものを問題としている。
だから、判りにくいし、日常問題としてなかなか立ち上がってくることはないのだろう。
仏教は時代を超えて、いつも大事にされてきたといわれる。
時代が変わっても大事にされてきたということは、そこには「時代が変わっても変わらない」になにかがあるからと考えることができると思う。
仏教がずっと問題にしてきたこと。
それは、「生・老・病・死」。人が、生まれ、老い、病み、死ななければならないということ。
また、あるいは、どれだけ欲したとしても、求めるものがすべて手に入れることなどできないし、
どれだけいとおしいと思った人であっても、避けがたい別れを迎えなければならない、という苦しみがある。
起きて何を食べるか、どのような仕事して、どれだけお金を稼ぐか、何時に寝るか。どんな遊びをするか。
あるいは、暮らしていくのにどんな知識が要るのか。
これらは、時代によってどんどん変わる事柄だ。でも、仏教が根本で問題としているのは、そういった「暮らし」のレベルではなくて、単純に「生きていく」ことに、苦しみが避けがたいこととしてあって、不意にその問題が立ち上がってきたときには、決して無視することができない問題だということ。
仏教を伝えるためには、まずは、仏教が問題としているのは、暮らしではなくて、こういうことなんですよ~と、認識してもらわないといけないだろうと考えていたわけです。
法座をぐるっと見渡すと、そのような問題・苦しみを経験してきた人ばかりだ。
僕はといえば、そういうことが「ある」ことは知りつつも、主体的な「苦しみ」としては、ごく軽いものを味わったに過ぎない。 得がたいこと、思い通りにいかなかった苦しさってやつはすこしはあったけれども、まわりの人たちを見て、引き比べてみると僕のそれはごくほんの一部で、まだその「苦」を味わっていないのだろうと思う。
みなさまのお陰で、今年も無事にお勤めすることができました。
お参りいただいた方も、お参りいただけなくともかげながらお気遣いいただいた方も、
ありがとうございました。
ご講師は豊島学由先生。毎年3月の永代経ではお世話になっています。
仏教の問題は、「生活」の問題ではなく「人生」の問題だというお話がありました。
最近、考えていたこととリンクすることでした。
仏教は、根本的には「暮らし」ではなく、「生きる」ことそのものを問題としている。
だから、判りにくいし、日常問題としてなかなか立ち上がってくることはないのだろう。
仏教は時代を超えて、いつも大事にされてきたといわれる。
時代が変わっても大事にされてきたということは、そこには「時代が変わっても変わらない」になにかがあるからと考えることができると思う。
仏教がずっと問題にしてきたこと。
それは、「生・老・病・死」。人が、生まれ、老い、病み、死ななければならないということ。
また、あるいは、どれだけ欲したとしても、求めるものがすべて手に入れることなどできないし、
どれだけいとおしいと思った人であっても、避けがたい別れを迎えなければならない、という苦しみがある。
起きて何を食べるか、どのような仕事して、どれだけお金を稼ぐか、何時に寝るか。どんな遊びをするか。
あるいは、暮らしていくのにどんな知識が要るのか。
これらは、時代によってどんどん変わる事柄だ。でも、仏教が根本で問題としているのは、そういった「暮らし」のレベルではなくて、単純に「生きていく」ことに、苦しみが避けがたいこととしてあって、不意にその問題が立ち上がってきたときには、決して無視することができない問題だということ。
仏教を伝えるためには、まずは、仏教が問題としているのは、暮らしではなくて、こういうことなんですよ~と、認識してもらわないといけないだろうと考えていたわけです。
法座をぐるっと見渡すと、そのような問題・苦しみを経験してきた人ばかりだ。
僕はといえば、そういうことが「ある」ことは知りつつも、主体的な「苦しみ」としては、ごく軽いものを味わったに過ぎない。 得がたいこと、思い通りにいかなかった苦しさってやつはすこしはあったけれども、まわりの人たちを見て、引き比べてみると僕のそれはごくほんの一部で、まだその「苦」を味わっていないのだろうと思う。
2009年3月13日金曜日
つながり、つながり。
2009年3月5日木曜日
体力の衰え
仕事終わりに、母校H高校の体育館を借りてバスケット大会。
ほぼ一年ぶりのバスケット。
バテないように、体力と相談して(サボりながら)プレイ。
それでも結構な疲労。
筋力・体力の衰えは甚だしく、怪我をしないように気をつけてするのが精一杯。
それでもまぁ、久しぶりにいい汗をかきました。
ほぼ一年ぶりのバスケット。
バテないように、体力と相談して(サボりながら)プレイ。
それでも結構な疲労。
筋力・体力の衰えは甚だしく、怪我をしないように気をつけてするのが精一杯。
それでもまぁ、久しぶりにいい汗をかきました。
2009年3月3日火曜日
電車の中。
旅行前に、hi-hoと契約して、モバイルのネット接続環境を手に入れました。
(知る限り、もっともリーズナブルなモバイル接続)
あ!こないだはキャンペーンは、2月いっぱいまでだったのに、5月まで伸びている・・・。
このまま、ずっと延長し続けるつもりではあるまいな。
電車の中からでもアクセス可能。
メールを送るついでに、怠けがちになっていたこっちも更新。
(知る限り、もっともリーズナブルなモバイル接続)
あ!こないだはキャンペーンは、2月いっぱいまでだったのに、5月まで伸びている・・・。
このまま、ずっと延長し続けるつもりではあるまいな。
電車の中からでもアクセス可能。
メールを送るついでに、怠けがちになっていたこっちも更新。
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