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【ご恵贈いただきました】 大正大学地域構想研究所・BSR推進センター編『地域と寺院~まちに開き、まちを拓く』(1)、(2)

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本日、大正大学地域構想研究所さまから、以下の大部なご著書2冊をご恵贈いただきました。  表題の通り、地域に開かれた寺院91か寺の事例を取材し、記事にされたものがまとめられたものです。  もともとは、同研究所が編集されていた『地域寺院』という雑誌に連載・掲載されていたものです。西正寺も取り上げていただいたことがあり、本書の2巻に収録していただいていました。  連載時から、寺院の地域活動に関するとても貴重な情報を提供いただいているものと思っていました。先年、刊行が終了し、大変残念に思っていたところでした。  現在、業界紙的な新聞、『中外日報』や『文化時報』といった紙面でも、活躍する宗教者の活動が取り上げられています。すべて拝見することはできていないのですが、これらも大変貴重な情報であるように思っています。  個別・具体的に行われている寺院・僧侶たちの活動がたくさんあるのですが、それらは個別・具体的であるが故に、なかなか集約して知ることがむずかしいように思っています。  現在は、これらのように、個別の事例を集める、という形で書籍や連載記事にまとめられ、積み重ねられているように思います。  みなさんのまわりのお寺も、もしかするとそのような大事な活動をされているかもしれません。ぜひ、門をくぐってみる機会・ご縁を持っていただけたらと思います。 (もちろん、そうでないこともあるかもしれせんが) (同封いただいていたご案内)

お寺の会計、お坊さんの収入/お坊さんは税金を払わなくてもいいのか?

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  総代会のこと( 「3月8日(水)総代会をしました。」 )をブログに書きましたので、その関連で。  お寺の会計と僧侶の収入等について、あまり一般にはその実情が知られていない(というか、むしろ誤解の方が多い)ので、その一端を知っていただけたらと思います。  ◎お寺は、予算・決算を報告して運営しています。  お寺は宗教法人の運営であり、宗教法人の運営は、予算に基づいて行われています。  年度終わりには決算をまとめ、予算も決算も西正寺の場合は、総代会に報告し、承認を得ています。  なににどれだけお金をつかうか、将来の修復や建て替えのためにどのようにお金を積み立てていくかを考えて予算を組んでいます。しいて言えば、行政や、NPO法人の運営にも似ていると思います。(この辺りはあまり詳しくありませんが、企業の経営もそうなのかもしれません)  今のところは、総代さんに提示して、承認・報告をいただいていますが本来は、もっと多くの方に公開していく必要があるように感じています。これも一つの課題であると感じていますし、近い将来には、西正寺の会計は、可能な限り(とはいえ、フルオープンには高いハードルがあるのですが)公開できる範囲を広げていきたいと思っています。 ◎お坊さんの給与はどうなっているのか?  お坊さんの収入はどうなっているのか?というのは、あまりその実情が知られていないところのように思います。 西正寺の場合は、「給与」です。毎月決まった額を月給として、お寺から銀行口座に振り込んで頂いています。  固定なので、お参りがたくさんあったとか、お葬式があったとかで、金額は変わりません。(つまり、どれだけお参りやお仕事をしても、給与は一定の額をいただいています)  賞与/ボーナスといった類のものも(それだけ複雑なことをする余力がないということもありますが)ありませんので、毎月毎月、一定の額の給与がお寺からいただいているという形です。(その額も、上に書いた「予算」で織り込まれていますので、総代さんたちは、私の月給もご存じなのです)。  ということで、私の収入の柱は「サラリー/月給」ということです。 ◎ お坊さんは税金を払っていないというのは本当なのか?  さて、巷ではしばしば「お坊さんは税金を払わなくてもいい」と言われているようです。  お参り先でも、「確定申告」の話をしたりすると、...

9月2日(金)お墓のおつとめ・サマセミのアンケート入力作業

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(西正寺にある合同墓のようす) 9月2日(金)晴れ。  午前中のお参りに、お墓でのおつとめがあった。お墓を撤去されるので、その工事の前にお墓の改築に際しておつとめ。  西正寺境内にある、とあるお墓。ご両親が亡くなられ、娘さんは結婚され別の名字になっていらっしゃる。またお孫さんたちは結婚され、また別のお名前にというように、あとを継がれる方がいらっしゃらなくなるような状況で、いわゆる「墓じまい」をなさるわけである。収められていたお骨は、西正寺の「合同墓」(上の写真)にあらためて納骨される。  西正寺では、2018年に合同墓を建立し、ご縁の方の納骨をしていただけるようにしている。  (2018年11月30日 西正寺合同墓 建碑記念法要のようす)   この日のおつとめのあと、おうちの方とお話している中で伺ったこと。 「お寺で合同墓をつくってもらえて、本当によかった。」「墓じまいをする踏ん切りがつけられた。」「お寺でこうやってお参りしてもらえるから安心」等。  このようなお声がいただけるのはありがたいこと。お寺のとりくみが、いろいろな安心につながっていると聞かせてもらえるのは本当にうれしい。    実際にここ数年、いわゆる「墓じまい」の相談やおつとめは多い。  石のお墓を持つということが、多くの人には難しい社会・暮らしになっているのだろう。 ずっと代々一か所に定住する形が主な形ではなくなってきたこと。これから人口が減っていくとともに、いわゆる「家」や、家名を存続していくことが難しくなるおうちも増えてくるのは必然となっている。お墓のかたちも、葬送の形もかわっていくことは、同じく必然なのだろう。  すべてに対応することは難しいけれども、ちゃんと丁寧に向き合える準備をしていきたい。  (お寺の境内にある柿の木。実が少しづつ色づき始めている) ◎みんなのサマーセミナー実行委員会 ・ サマセミアンケートの入力  18:00。みんなのサマーセミナー実行委員会の活動。 立花南生涯学習プラザに集合して、サマセミのアンケート入力と、感謝祭開催の準備作業。みんなそれぞれ仕事終わりなどに、順次集まってきて、わいわいといいながら、アンケートの入力など作業を行う。  雑談や、世間話もしながら(というか、それが大半)、あーだ、こーだいいながら作業。  3時間くらいかかるかもーと言っていた作業が、人手が多...

【講演/出講のお知らせ】龍谷大学福祉フォーラム対話共創型プロジェクト「お寺で出会い、地域にご縁~つながり・居場所をどう作るか~」

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 このたび、以下のようなフォーラムにお声がけをいただき、登壇させていただくこととなりました。詳細・参加申し込みについては、以下のリンクおよび、チラシの画像データからご覧ください。 https://www.ryukoku.ac.jp/nc/event/entry-8651.html  「コロナ禍での活動を考える」とありますのは、私からの提案ではなく企画ベースですでに設定されていたお題でもあります。実際、私が西正寺において「コロナ」において新しい活動や対応をした、ということはあまりありません。ですので、実践事例というより、問いや課題を一緒に考えていただくことになるのではないかなぁと思っております。  基本的には、コロナ以前にお寺で感じていた課題や、自坊や地域での取り組みのお話と、プラスαを提言できればと思っています。  有料の講座ですが、テーマ・内容に関心をもっていただけましたらご参加いただけましたら幸いです。

繁昌する、ということ。

 浄土真宗を日本有数の仏教教団にした、本願寺第八代蓮如上人の言葉として、次のようなものが伝わっています。    一、一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ。しかれば「専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず」(報恩講私記)とあそばされおかれ候ふ。 『蓮如上人御一代記聞書 』 (※ 大まかな意訳:仏教の繁昌というのは、人がたくさんあつまったり、勢いが大きく盛んになることではありません。一人であっても、信心を獲た人がいることが、繁昌というものなのです。そうであるから「浄土真宗の教え、専修念仏の教えが繁昌するということは、親鸞聖人が亡くなられた後の門弟たちの信心の力によって成就するものである」と(本願寺第三代の覚如上人の『報恩講私記』には)述べられているのです。)     仏教/お寺とはなにか、なにをすべきかということに、しばしば思い返し、考えさせられることばです。 たくさんの人に知られる、たくさんの人がやってくる、ということは、決してお寺の本来的/本質的な意味ではないのだと知らされる言葉です。  それらは、お寺のあるいは僧侶である私の行っていることの意味を測る軸にはなりえない(してはいけない)のだというのです。  では、「一人なりとも、人の信をとる」ということは、どういうことか。これもまた具体的に理解していくことが難しいことです。このことさえも、つかんだと思ったところに落とし穴や、過ちが潜んでいるようなことでもあるかもしれません。  仏教徒として、お寺とはどうあるべきか、僧侶のなすべきことはなにか。  簡単に答えが得られないし、また「見えやすいもの」「わかりやすいもの」に対してそれではないよ、という警句がちゃんと示されています。  また、そういった言葉を通して、常に問わざるを得ないし、なにかに安住することもできない。常に、自分がつかもうとするものを相対化させられる中でしか、なすべきことはみえないのではないだろうか?とも思ったりしています。

おてらびらき(6)やりました

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 午後からのんびりとお寺のお座敷をひらいておりました。  てらびらき( https://www.facebook.com/events/192693955497352/ )  12時30分から座敷のお掃除、片づけ、手を付けたいと思っていた作業をいくつかしました。一人だとできないことが、だれかいらっしゃるかも、という可能性が絶妙な緊張感をもたらして整理や掃除をはかどらせてくれました。  だれもいらっしゃらない可能性も十分考えていたのですが、  ・企画の相談行っていいですか?というアポ  ・お寺にいるなら、「………いいですか?」というご相談。 がありました。 ということで、ある程度「予定や時間があいてますよ」という宣言的なものも意味があるなぁという手ごたえもありました。その他、15時過ぎに、フェイスブック見てきましたとお越しくださる京都からお越しの方も。  ちょうどその京都の方がこられてほどなく「企画の相談」が始まったのですが、ここでかなり驚きの展開がありました。  相談された企画の中で、「田んぼでラグビーをやってみたい」という話も出たのですが、そのたまたま来られていた京都の方が、「田んぼでラグビーやっているのに関わっています」と!!!!  いらっしゃるのはその2人で、たまたま居合わせたところでこんなマッチングが!って笑ってしまうような遭遇でした。  そういう結びつきや出あいが自然に起こる場になったというのが、なかなか面白くうれしいことでした。  そういうわけで、明日もコロナで予定があいていますので、午後はのんびりとオープンしております。  3月14日もてらひらき(明日は、6.2)   https://www.facebook.com/events/563107851217449/    

西正寺の永代経法要を中止しないのは(規模縮小でやります)

 コロナウィルスで大変な状況ですが、自坊西正寺の永代経法要(3月25日・26日)は、コロナウィルス対応・対策を取りつつ、規模を縮小しながらお勤めさせていただく予定です。  法要の案内・詳細については、以下のリンクの記事に投稿しておりますので、ご覧ください。    http://saishoji.net/archives/317  この投稿では、なぜ現在において(中止ではなく)上記の対応に至ったのかという思いをすこし書きたいと思いました。 【とるべき対応の候補と選択について】 実際に2月末からの急展開で状況が追い付かなかったところが多々あります。全国の小中学校の休校や、諸行事の自粛の様子が報道を通してうかがわれ、どのように対応すべきか正直迷いが生じていました。また、全国のお寺にとっては、3月にはお彼岸を迎える時期ですが、お彼岸の法要や、永代経といった法要の動向も「中止する」という判断をされたことを多数うかがっていました。この判断は、苦渋の決断・断腸の思いであろうとお察ししますし、感染対策として最善の判断をされたということだと思います。  自坊の状況を考えたとき、お寺にお参りに来られる方は、いわゆる高齢者が大変多くいらっしゃいます。今回の新型コロナウィルス、肺炎の高リスク層です。この状況でなんらかの対応をとらないという選択はまずありえませんでした。  では、どうするか。可能性として考えられる候補をリストアップすると、以下の案があると考えました。(選択しないものも含めてリストアップしています) 1、平常通りに実施する。 2、感染対策(消毒・マスク等)を行いつつ実施する。 3、規模を縮小し、感染対策を行いつつて実施する。 4、参拝者なしで、お勤めのみを実施する。 5、中止する。一切何もしない。 もしかすると、この他にもあるかもしれませんが、 素人判断で、思いついたのはこのレベルでした。 上記のように、現状において1はもう無理だと思われました。学校や3月中の行事が自粛・中止をしているなかで、なにも対応を取らずに実施するというのはあり得ません。2の対応をとったとしても、本堂という空間に数十人の人がいるのは、感染対策として今回の場合は十分な対応ではないと思われました。また「都合をつけてご参拝ください」と呼びかけられるレベルでもありません...

200107‗ふるまい市のミーティングをした

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2020年、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 新年の行事をすごしつつ、徐々に日常へともどってきました。 昨日 1月7日の夕刻は、「ふるまい市」について、ゆるゆるとミーティングをしました。 1月7日なので、あつまってくれたみなさんに七草粥をふるまって、おかゆをたべながらゆるゆるとした、しかし楽しいミーティングができました。 つくったおかゆの写真。 なかなかおいしくできました。   結論からいうと、今年の4月5日にまた、「ふるまい市」をします。 「ふるまい市ってなに?」っていう方は、以下のリンクのフェイスブックページをご覧ください。 https://www.facebook.com/events/1623506174419484/ 昨年、無料でふるまいたいモノとかコトをあつめて西正寺でふるまい市をしました。 不思議なイベントで、 プレッシャーとかストレスとかがまったくなくて、 ただただ楽しんだ、遊んだ、という感想だけが残るイベントなのです。 失敗するかも、という心配もありませんでした。 なぜなら、無料で、採算を考える必要もないから。 いっしょにやってくれるメンバーもいたので、だれもこなかったら、そのメンバーだけでも十分楽しめるという思いもあったので。 どうも、いっしょにやってくださっていたみんなもそんな風に思っていてくれたようで、またやりましょうということになりました。 課題は「やらなきゃ」のような義務感からいかに解き放たれるか。 「ふるまい」のモチベーションを楽しみながらどう保っていくかという感じでしょうか。 ちなみに、このイベントは、 田中元子さんの『マイパブリックとグランドレベル』からインスパイアされました。 (画像をクリックするとアマゾンに行きます) この本を読むと、ふるまいたい!という思いがわいたり、ふるまいの質が変化します。 もし、この本を読んで、ふるまいたい!という思いが湧いた方がいらっしゃったら、ぜひぜひご連絡ください。

190618ー20 第2期 思春期・若者支援コーディネーター養成研修会

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先に書いた、住職補任式ならびに住職補任研修(2019年6月20日、21日)に先んじて、18日~20日間では、おなじく本山本願寺で開催されていた、「第2期 思春期・若者支援コーディネーター養成研修会」に参加していました。   http://www.hongwanji.or.jp/project/recruit/r002529.html  こちら、今年の1月に開催されていた前期に引き続く、後期のスケジュールの3日間。  スケジュールは添付の通り。  本願寺派の僧侶だけではなく、他派からの参加もあった。伝統仏教教団が公式にはなかなか扱うことのない、「性」(セクシュアリティや性行動、性行為)や「依存症」をはじめとした社会の「実態」に視点を向けさせてくれる、重みのあるプログラムだったと感じています。  一方で、レクチャーで与えられた知識を盲目的に追従するのではなく、ちゃんと自分で、自分自身の前にいる人、目の前にある課題に向き合うことも同時に求められるようにも思いました。   とても簡単に手を伸ばすことのできない問題、可視化されづらい生きづらさが社会のなかにはまだまだあることを改めて感じずにはいられない、前期後期の課題でした。  僕個人としては、産婦人科の先生が語られた妊娠・中絶についてまったく無知だったこと―11週を境にその前後で対応がまったく異なるものになってしまうという制度の実情―に、そんなこと現実があったのかという驚きとおののきがあったことが印象的でした。  動こう、動きたいと思っている寺院関係者、そしてすでにいろいろな活動や現場にいる人もたくさんいて、そういう人たちと少なからずつながりをもてたことも大変有意義だったとおもいます。  

190610_(イベント)お寺の研究をして、まちの見え方が変わったハナシ。ー卒業研究発表会&感謝の会ー

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 お寺の研究をして、まちの見え方が変わったハナシ。ー卒業研究発表会&感謝の会ー https://www.facebook.com/events/2070849413215770/  2019年6月10日(月)。夜19:00~21:00のスケジュールで上記の会が開催されました。 大阪大学で建築関係の研究をする大学院生Iさん。彼女は昨年西正寺を研究対象とした卒業論文を執筆・提出されました(2019年3月卒)。タイトルにもあるように、西正寺から尼崎地域への関わりが深くなり、彼女の研究方法や関心にも少なからず影響があったとのことです。現在は大学院生として研究を進めていますが、卒論の報告と御礼の会をしたいと、西正寺でこの会を企画してくれました。  参加者は20数名。半数ほどが初めて西正寺を訪れたという方たちでした。  前半は、Iさんの卒論発表と、僕とのクロストーク。  休憩をはさんで後半は、参加者のみなさんがテーマに沿った話しあいのワークという構成でした。    現在の西正寺の状況、とくに人の関わりについて「檀家コミュニティ」と「参加型コミュニティ」という二つのグループからその地域分布、つながりの拡大を詳細に分析してくれた研究報告でした。  すでに別に発表されたサマリーを拝見していました。そちらを拝見しても、今回直接聞いても、詳細で緻密な分析をしていただけたなぁという印象を持ちました。お寺についてのレポートや評価を目にすることもありますが、正直にいうとあまりピントこないというか、なにか「ズレ」や違和感みたいなものを感じることが多くあります。しかし、このIさんの分析については、なんども足を運び、聞き取り。インタビューを繰り返してくれたおかげか、あまりそういったズレや違和感を感じることはありませんでした。むしろ、外部から観察され、物語られるコミュニティのあり方や、人の関係性の広がりを「見える化」されたような感覚で、ふむふむと聞き入っていました。    クロストークでは、「ひらかれたお寺」と評していただくことの増えてきた西正寺がどのような経緯を経てこのようになったのか、また今後どのようなあり方を目指していくのかを問い尋ねてもらいました。  西正寺が多くの人に来ていただく転機になった年は2016年。「テラからはじまるこれからのハナシ。」と「カリー寺」...

190518_浄土宗應典院さまの「ともいき堂」竣工記念法要

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2019年5月18日土曜。  午前中のお寺の法務(お参り)を終えてから、大阪・下寺町の浄土宗應典院さまへ。お招きいただいていた「ともいき堂」の竣工記念法要に参加しました。  遅参したため法要自体には間に合いませんでしたが、法要後のご挨拶と記念撮影には立ち会うことができました。 その後、行事は会場を大蓮寺客殿に移して、大蓮寺/應典院・秋田光彦ご住職と、桃山学院大学の白波瀬達也先生の対談がありました。  秋田住職の「ともいき堂」や一連の葬送/終活関連の取り組みや思いについては、何度か拝聴する機会をいただいていましたが、そのたびに刺激をいただくお話です。葬送をしっかりと、福祉・コミュニティ・社会保障・宗教の枠内で捉えて、デザイン/仕組みもふくめて行う。今回の講演が実施されたようにそれらをきちんとアカデミックな文脈に載せて理論的にも語ることばをしっかりと持ちながら実施されていく。それを含めた、應典院流というか、秋田光彦住職一流のスタンスがしっかりと根っこにあってのプロジェクトなのだということをひしひしと感じました。語られる言葉にも、何度聞いてもブレがなく、信念に裏付けられた力強さがあります。  秋田住職と白波瀬先生のクロストークでは、近年の寺院・僧侶における社会活動について語られました。社会やコミュニティの変化、寺と檀家の関係性や意識の変化による、寺・僧侶の危機感、あるいは世代による感覚や危機感に基づくもの、またインターネット、SNSの活用によっておこされるブレイクスルー的なあり方といった説明は、非常に明解で示唆に富むものでした。  会の終盤、秋田住職からご指名いただき、コメントする機会をいただきましたが、とっさのことでもあったので、果たして場に対してどれだけ適切だったのかは心許なくおもいます。ただ、そのなかで言及した「お寺を使う/お寺に使われる」ということについて、白波瀬先生からは、「お寺を気軽に使うことが、お寺との関わりの糸口、接点としては重要である」というフィードバックをいただきました。  お寺に対して「気軽に使える・日常的に関われる」ということが、お寺との接点や、関係性の入口になることは、実はとても自分自身が意識していることでもあります。それが無条件ではなく、なにがその先にあるのかといったときに「お寺を使う」私が、「お寺によって動かされる...

190512_おてらのそうじ(5)

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昨年12月から月一ペースで開催している「おてらのそうじ」。 小学校の時に同級生のお寺の娘さんとお寺の掃除をしたという思い出をもっている、よしおかさんが、近所に引っ越してきて「お寺掃除したいんですけど」との打診があったことからはじまったこのイベント。順調に5回目。 今回は8名で、伸び始めたお寺の駐車場の草引きをしました。 次第は次のとおり。 7:00集合  寝坊して慌てて準備。ばたばたとお米を研いだり、お参りの準備をしたり。  7:00からお勤めをするも、起き抜けであんまりちゃんと声が出なかったという反省。 7:10 体操と自己紹介。  今回は、初めての参加者が4名。 8:00まで 掃除 駐車場の草抜き。 その後、準備をして、みなさんと朝食。 天気もよく、先月に続いて本堂の縁に机を出していただきました。 以前のイベントで頂いた高知の美味しいお米「天空の郷」とお味噌汁(インスタント)。 それからそれぞれがもちよってくださったご飯のお供といっしょに。 9時すぎに、順次解散。 気持ちの良いスタートの休日になりました。 来月は、6/23(日)7:00から開催の予定です。

190506_休日の行き先に「お寺」が選択肢となること

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GW連休最後の祝日。 お寺に一組の家族が、遊びに来てくれました。 (石畳に落書きしに笑) なんのイベントもない、ただの祝日の行き先に、地域のお寺が(自然と)選択肢になる。個人的には、これは結構すごいことだと思ってます。 本来のお寺の姿は、もしかしたらこういうものだったのかもしれません。こういうありかたを望んでいたのかもしれません。 本来的なあり方がもどってきた。たとえるなら、庄下川に、魚が戻ってきた!というような感動。(尼崎の川です)

190503_タイのおぼうさまと看取りについてのお話

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2019年5月3日(金) 13:00~16:00 「逝き方から生き方を創るwithおぼうさん」( https://peatix.com/event/655938/view )というイベントが西正寺で開催されました。 こちらは、タイで活動をされている古山裕基さん、浦崎雅代さんのお二人が企画・持ち込みをくださった企画です。普段お住まいのタイから3名の僧侶と2名のメーチーさん、それから数名の同行の方とお越しになり、お話をくださいました。 第一部は古山さんからご自身のお母様の看取りの経験とタイでの散骨のについて 第二部はゲストのお二人のタイのおぼうさまからお話。  それぞれ、ご自身のおばあさまの看取り、それからお二人共通の師匠の看取りの様子についてお話いただきました。 休憩をはさんで第三部。 そこでは、私が聞き手になって、お二人のお坊さまに質問をしました。 ・日本の僧侶についてどのように思いますか? ・「死」、「死苦」をどのように超えていくのか。 ・病院や、その他の場所で「死の恐怖」や「死苦」を抱えている人にどのように接するのか、関わるのか、をお尋ねしました。  会場からの質問をいただいたなかには、ご自身の看取りの経験と後悔にどのようにむきあえばいいか?というものなどがありました。 そののち、参加者同士のみなさんで、小グループになって20分ほど話しあい、 最後に共有と、登壇者から一言ずつをいただき、散会となりました。  会場には、40名を超える参加者があり、主催者とタイからのメンバーを含めると、60名近くの人たちと時間をすごしました。    印象的だったことは、やはり僧院で修行されているお坊さまが持つ雰囲気と、言葉の力。はずかしながら、同じ僧侶とは思えないような、雰囲気と言葉の力がありました。  イベント時、それからその前後でお話のなかで、タイのお坊さまたちと「人に接すること」「人の苦しみに接すること」についてお話をする時間がありました。そこでは日本では、「ケア」や「傾聴」といわれるような姿勢と共通するものが多くあったことも印象的でした。  僧院で説き、修行を重ねていく上で語られるような「死を恐れてはいけない、恐くないよ」とか、「とらわれを手放しなさい」ということは決して言ってはいけない。そうではなく、その人の気持ちや、感...

おてらのそうじ(2回目 190112)

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おてらのそうじ 第2回 2019年1月12日実施。 参加者:11名 7:00集合。  勤行:重誓偈  柔軟体操と自己紹介 7:30  掃除開始  ・本堂正面引き戸  ・本堂の縁側 8:20頃  終了、朝食(おかゆ)     お餅を焼いたりしてゆるゆると過ごす。 2回目にして参加者10名を超える。 近隣の人に加えて、加島・新大阪からも参加。 早朝からいきいきとみなさんが掃除をしてくださる。 「お寺の掃除を朝からするととても気持ちいい」 「公共の場所を掃除するのはいいですね」 「たのしみにきました」 といろいろな声が。 月例で定期的に開催されていく予定。

2018年の除夜会に際して

 あっという間の一年だったように思います。  正直、まだ一年が終わるという感覚、今が「年末」という感覚さえもありません。  しかし、一年が終わろうとしています。振り返ると、今年もいろいろな事があった一年でした。また、いろいろな方にお世話になり、共に時間を過ごした一年でした。  振り返る中に、感謝や、お詫びや、さまざまな気持ちと一緒にここにいます  来年、元号が変わるということもあって、今年の後半は、特に「平成最後の」ということがよく言われました。そういう意味では、平成最後の年越しになります。  その「平成最後」ということに関して、実は先日西正寺、ちょっと変わった相談が持ち込まれました。それは、「平成の葬儀」つまり、平成のお葬式をやってくれないか?という話でした。  なんだそれは?と思われたかも知れません。    その話をもってきてくれたのは、北海道の曹洞宗のお坊さんでした。彼は、芸術家でもありこのたび出展した作品が、岡本太郎現代芸術賞という賞に入選したというのです。それが、平成の終わりということで、平成の葬儀を提示するというものでした。  当日会場で、その葬儀の様子も動画で流すのに、西正寺で一度葬儀をしてくれないか?という話でした。  最終的に、「アート」として平成の終わりをそのような形で表現するのもアリなのかなということもあって、お引き受けしました。けれども、最初それを聞いたときに感じたのは、違和感でした。  時代の終わりの表現が「葬儀」「葬式」でいいのだろうか?ということでした。そして、そういうことで葬儀を行ってもいいのだろうか、という違和感もありました。  しばらく、その彼とお話をしたのですが、話しているうちに、いくつかの気づきもありました。  私たちは、「時代の葬儀」ということをしないけれど、いろいろな時代や、時間やあるいは状況に、いろいろな仕方で区切りを付けたり、それを見えるように行ったりしているなぁということです。  態勢の終わりに、壁を壊したり、像を壊したり。  あるいは、入学式や卒業式というのも、一つの区切りだったりします。  この除夜会や、鐘を撞き、ゴーンという響きをきくことで、一年の終わりを感じたりする。  あるいは、一日の終わりを、お風呂に入ること、シンクをきれいに磨き上げること、寝酒にウイスキーを飲ま...

「お寺を掃除したい!」

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 今年あったうれしいことの一つ。 地域での活動のなかからつながった若い友人から、「お寺を掃除させてもらえませんか?」という打診をもらったこと。 非常に近所の、元門徒さんのおうちだったところが、若いNPOワーカー等数人で暮らすシェアハウスになった。そこに住んでいるお一人(20代女性)からの提案。  彼女は、小学校の頃の同級生に「お寺のお嬢さん」がいて、彼女の家でもある「お寺」を掃除したあとに、そこでカレーをごちそうになる、というのが経験としてあったそうだ。それで、その思い出もあって、「お寺を掃除したいんです、させてもらえませんか?」という相談をもらった。 こちらとしては、「え?掃除をしてくれるの、そんなこといいの!?」という感じの、願ったり叶ったりの提案。1も2もなく、お引き受け(?)をした。  当日までは、フェイスブックでイベントページ(「おてらのそうじ」 https://www.facebook.com/events/257019921633567/ )も立てて、彼女とは別に以前からお寺の掃除を望んで下さっていた人も加えて、主催者チームを結成した。 果たして当日、12月23日(日)。寝坊してはいかんと緊張しながら朝を迎えた。 大まかなタイムスケジュールは以下の通り。 6:00 準備開始    炊飯用意、開門、本堂点灯等 7:00 集合 (主催含めて参加者7名)    勤行(重誓偈)    体操・柔軟    自己紹介 7:30 掃除開始    1)トイレ (トイレ掃除)    2)側溝 (どぶさらい)    3)本堂外陣 (掃除機・ぞうきんがけ) 8:30 朝食用意・朝食  9:45頃 解散 6:00。作務衣に着替え、開門、本堂に明かりをつける。まだ外は暗い。凛とした空気で、一人ご本尊の前で勤行(お経)。  炊飯器や朝食のための用意、掃除をして頂く場所などの想定をしておく。 7:00集合時間。主催者も含めて7名(も)集まってくださった。 集合したあと、勤行(重誓偈)、柔軟体操、自己紹介。 7:30掃除開始(この時点で30分経っていた。笑)  掃除して欲しい場所として、  ・トイレ  ・側溝  ・本堂の畳 を上げておいた。 まずは、境内の屋外のトイレと、側溝の掃除を...

また変わった話がやってきた~終わりについて考えを及ぼす。

日記のように振り返る。 昨日(2018年12月21日(水))午後に、ジャーマン・スープレックス・エアライン( http://germansuplexairline.com/ )のMさんから連絡。電話に気がつかずに折り返しに連絡すると、Mさんの知人が相談したいことがあるから、今からお寺に行ってよいか?と。  ちょうど、のんびりと過ごしていた時間帯。  ほどなく、Mさんとその知人Kさんのお二人がいらっしゃる。  まあ、Mさんがもってくるということで、普通の相談ではないなと思ってはいた。( 笑)。それで、Kさんの相談の内容は以下のようなことだった。  ・Kさんは、北海道の曹洞宗の僧侶であり、現代アートのアーチスト。  ・来年1月に開催される「岡本太郎 現代芸術賞」TARO賞に入選して、それに出展する。( http://www.taro-okamoto.or.jp/info/taroaward.html )  ・出展するのは、「平成の葬儀」。「平成」のお葬式をするそうだ。   終わりを迎える「平成」の終わりを、「葬儀」という形で表現するという。     その展示でながす動画を撮りたい。  ついては、西正寺で「平成の葬儀をしないか?」というご相談。  聞いた第一印象は、僕には、「平成」の終わりにお葬式をする、ということがいまひとつ正直しっくりこない。平成がおわるから「葬儀」で、果たしていいのだろうか?  たしかに人の人生の終わり、そして終わった命と向き合いを、われわれは葬儀という儀式で行ってきた。でも、時間や、体制、さまざまな終わりもいろいろな「儀式」的な関わりや締めくくりをしてきている。  たとえば、一年の終わりに「除夜の鐘」をつくこと。  あるいは、政治の体制の終わりに「壁をこわす」「権力者の像を引き倒し壊す」ことも。  「お風呂に入る」ことや、「台所のシンクを徹底的に磨く」ことで、一日の終わりとする人もいるかもしれない。あるいは、寝所で本を読んでサイドスタンドの電気をパチンとけす、ということ、あるいは寝る前の一杯のウイスキーということもあるかもしれない。  それなりに、「時」についての区切りをいろんな形でしているという中で、果たして時代や時間の区切りを「葬儀」という形で行うことが適当だろうか?  もしかすると、ある一...

台風21号と被害

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9月4日。台風21号。 いまだかつて経験したことのない台風がやってきた。 14時頃におそらく風の強さのピークがきたのだろう。 (後で原因が瓦だったと分かったのだが)強風が本堂の瓦を吹き飛ばし、玄関のガラスと二階の木製の雨戸とガラスを突き破って入ってきた。 ちょうど同じくらいに停電も発生。 電気はそこから22時間ほど、ほぼ丸1日、止まった状態になった。ちょうどその日の朝から、いつも持ち歩いているノートPCレッツノートが故障し、うんともすんとも言わない状態に。普段ならば、バッテリーからスマホに充電することもできるところが、それもかなわない。当たり前に来ている電気がなくなったとき、どれほど不便になるのかということを改めて感じる。 台風は夕刻には去り、一段落したが停電のため、ろうそくであかりをとりながら、何とかすごす。することもないので、通電を寝ながらまったが、結局あさまで、電気は来なかった。「災害」「被災」の状況を認めたくないような、しかしすでにそこに置かれているような気持ちで、夜を過ごした。

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