2020年1月24日金曜日

2020年1月23日 よいかなよいかな(3)

2020年1月23日 よいかなよいかなの3回目。











大学生がいいだしっぺで、みんなで仏教を学ぶイベント、「よいかなよいかな」の3回目が開催されました。

■進行について

タイムスケジュールは、以下の通り。

19:00 スタート、勤行「十二礼」

19:10 イントロダクション、自己紹介

19:30 テーマの「愛」についてみんなで考える
     ・各自でふせんに イメージ、疑問、好きなものを書き出す
     ・紹介しながら、模造紙に張り付ける。
      → 「愛」についての イメージや、語感、意味等が幅広く出ました。
      → 40代男性が2名が「愛は勝つ」「勝つ」と書いたので世代を感じました。

19:50 住職が「仏教」の「愛」について 紹介。

20:20頃から、ふたたび参加者みんなでなんやかんやと話し合いました。






 




■内容、語りあいについて

前2回が教科書的に、固い感じでアプローチをしてしまったところの反省もあり、身近に考えたり、語ったりできればということ、友人が「仏教は失恋に効くのか?」というテーマを設けて考えていた会があったこと、それから大学生が「恋人必要・不必要?問題」が関心にあったようなので、それらを総合して、今回のテーマになったように思います。

結果として、仏教の「愛」についてのとらえ方について触れてもらったものの、「哲学カフェ」的な語りあいの雰囲気もあったのではないかと思いました。
もうすこし、そっちの方で、みなさんのアレコレ考えていること、漠然としていることを言語化していくような時間があってもよかったのかな?と終わった後に思いました。それでも、試行錯誤しながら、今回一つの形を試しながら、みなさんと話せたように思いました。


■仏教の「愛」について
 仏教の愛については、大まかに以下の様に紹介しました。

 ・四苦八苦の一つに、「愛別離苦」などが挙げられているように、愛するものとの別離、愛着のあるものから発生する「苦」や「悲しさ」は仏教のテーマ、解決すべきことがらのひとつだったとおもわれる。

 ・しかし、「愛」は多くの場合、肯定的にとらえらてはいない。「煩悩」「とらわれ」「執着」として、苦を発生させる原因として語られる場合が多い。古い経典には、「愛するものをもつな」「愛するものからはなれよ」「愛するな」などと言われたりします。

 ・一方で、肯定的に「愛」という語が語られるケースもあります。
 「仏」や「菩薩」が、人間(衆生)に接するすがたは、「和顔愛語」「愛敬」として、やさしさや、思いやり、慈悲の姿が「愛」ということに含まれ、肯定的に語られています。

 ・苦しみの原因の「愛」と、仏・菩薩の「愛」とはどうちがうのか?
 「愛」のような語句を仏教でどのように語るのかということから少し考えてみました。
 一つは「慈悲」。仏・菩薩が実践する慈悲は、平等・差別がないということが根底にあります。それを人間の愛とくらべてみるとき、人間の愛は、「偏り」があったり、「特定の者に対して向けられる」という傾向があるのではないかと思われました。
 仏・菩薩は、平等にすべての対象を「一人子のように」慈悲の心をむけられているといわれます。 そういう意味では、「限定的」「偏り」があるもの(人間)と、「平等」「無差別」という心のありかたが、見えてきました。
 和顔愛語や、愛敬も、特定の・限定的なものではなく、すべての人に、いついかなるときも、そのようにという心が根底にありそうです。

 もう一つは「縁」という言葉を紹介しました。
 人と人の結びつきを「愛」で語るとき、それは人間の個人的な感情、思いから生じるようなイメージを有します。一方で、われわれは、人間の関係性、結びつきを「縁」という言葉でも語ってきました。例えば、「ご縁」、「縁談」や「良縁」、「縁結び」という言葉もあります。「縁」ということばは、個人的な感情・思いから発生するものとはすこし違うニュアンスがあります。 自分以外の他者とのかかわり、あるいは想像を超えるさまざまな積み重ねや関係性の結果として、だれかとの関係性がここに成立しているような。
 そういう意味で、人間の関係性や、人とのつながりを、より広い意味で見て行く視点が「縁」ということばには含まれているように思います。

 もちろん、いずれかが正しく、いずれがまちがっているというものではなく、言葉が含んでいるものがらや、感覚を見つめてみると、そのような違いや、受け止めの可能性が、一つのありかたとしてみていくことができるのではないか、というようなことでした。


 仏教の「愛」についての話のあとも、みなさんからそれぞれの感想やことばがつきず、21:00、クロージングの時間を迎えました。

 参加していただいたみなさん、ありがとうございました。


■ 参加された方からいただいた感想を。

今日はありがとうございました。愛について語ったことがなかったので、いろんな意見が聞けて新鮮でしたし、すごく充実した時間を過ごせました!

2020年1月13日月曜日

200111_大学生と仏教について学ぶイベントの打合せ

1月10日(土)。
昨年から開催している「よいかなよいかな」の3回目に向けての打合せ。
学生さんが卒論の提出だったため、近くなってから相談しましょうね、ということでこの日でした。

 結果からいいますと、次回の「よいかなよいかな」は1月23日(木)の19:00から予定していますので、どうぞよろしくおねがいいたします。

よいかなよいかな(3回目)フェイスブックイベントページ
https://www.facebook.com/events/2562339763880487/


どうして「愛」になったかというと、
 1回目、2回目と「仏」「経」と、ベーシックな形でやってきたので、すこしフランクに参加者のみなさんと語り合えるテーマがいいですよね、という思いがしてきたこと。
 現代的な悩みや感情と、仏教との接点やギャップみたいなことも考えてみたいね、といことで「愛」になりました。

 当日はどうなるかまだわかりません。仏教が「愛」ということについて、決してポジティブなものとしてとらえているわけではないこともお話できたらな、とおもっています。


 うちあわせにあたって、いいだしっぺでもある大学生のうつみさんに、ブレスト的に「質問・問い」を考えてきてもらいました。その問いに対して、瞬発力だけで、即興的にインスピレーションでレスポンスしてみたものがありまして、それをおまけに下につけてみます。

 よく仏教では、「これっていいんですか?」とか、「これはどう考えるんですか?」という問いが向けられるのですが、そういうものに対してほとんどの場合、白黒はっきりとした答え方ができるわけではありません。むしろ、本来的な形はこうだけれども、現実は・・・というように、もともとの形や、教義から変質したり、逸脱したりしている現実という状況もままあるわけです。

 それを、どう受け止めるのか。むしろ、白黒はっきりしない、「齟齬」や「矛盾」との向き合いのなかに仏教の本質もあるようにおもわれるのですが、どうでしょうか。
  

◎生活シリーズ
‐寝坊することは怠けていると考えられがちですが、仏教ではどう考えるのですか
 ・戒律の生活はきっちりと決まっています。
  午前中に起きて、托鉢にいって、午前中に食事をすまさないといけません。
  午後からの食事は、戒律違反。
  午前中にたべないと、その日はなにもたべられません。
  寝坊したら托鉢にいけないので、ごはんがたべられなくなるのかもしれません。

  でも現代のお坊さんは、寝坊もするし、午後にごはんも食べます。
  この打合せの当日も、うっかり一つやらかして、朝のそうじに遅れました。
  なまけ心もめちゃくちゃあります。

 

‐遅刻することは良くないというのが一般常識ですが、仏教ではどう考えるのですか
  遅刻はいけませんね。約束をやぶるということになるので、「不妄語戒」(うそをついてはいけない)に違反するかも。
  でも、上述のように、今日寝坊して、遅刻しました。



‐勉強しないといけないのにスマホ触ってまうことに罪悪感を結構感じるのですが、怠けて
いる人間に対して仏教は手を差し伸べてくれますか
 「なまけてはいけない」、というかもしれません。
  怠惰はいけないと、しばしば経典などに出ます。「精進」(がんばる・努力する)というのが修行であり、徳の一つになっています。でも、私自身がかなりスマホをいじってしまうので、スマホ依存ではないかと思っています。

-学力あまりないのですが大丈夫ですか
 学力がない人には、それに応じた教えをおしゃかさまは説いてくれます。
 


◎恋愛シリーズ
‐彼氏できないことを結構悲しいな~って思うことあるのですが、仏教ではどう考えるのですか?
 恋愛すら、煩悩として控えるべきというのだから、そもそも「恋愛するな」っていうのかもしれません。 
 でも、お坊さんも恋愛も結婚もしています。


‐結婚は絶対ですか?
 本来的には、出家(お坊さん、尼さん)は「結婚」してはいけない存在。
 でも、いまの日本のお坊さんは、結婚しています。むしろ、家族・親戚、あるいは檀家さんなど親しい人からの、結婚しないのか? っていうプレッシャーにさらされる人もめずらしくありません。(つまり、環境や、社会の方が本人の意思に関わらず「結婚」についての期待が高かったりするケースもままあるわけです)


‐男女の友情について、仏教はどう考えるのですか。あり?なし?
 出家の生活は、男女の生活の場所を分けて、極力接点をもたないようにされています。心が乱れるから。そういう意味では、「男女の友情はむずかしい」というスタンスかもしれません。(どうでしょうか?)
 でもお坊さんには、異性の友人もいます。。。


‐タレントの加藤紗里さんが「結婚したけどお金つかわせたら経営傾いたから3か月で離婚した~。金のない男はいらない」といっていて軽く炎上しましたが、仏教ではお金と愛?どっちを取りますか?
 お金も愛も煩悩。
 でも、お金にも愛にも執着しちゃっています。

‐不倫が発覚した芸能人がしばしば炎上しますが、仏教では不倫についてはどう考えますか
 不倫は、「不邪淫戒」に抵触するので、アウトです。
 不倫は、しません。たぶんしないとおもう、しないんじゃないかな。
 (さだまさしの関白宣言を参照してください)


‐好きとはなんですか
 執着・とらわれ。


◎性格の話
‐ひねくれてる人間について仏教はどう考えますか
(純粋な人間に対して裏がありそう~って思ってしまう)
 なにが「ひねくれている」ということなのだろうか?うむむ。


‐夢とかあんまり持ってないのですが大丈夫ですか
 大丈夫。(根拠ないけど)

‐仏教では人に親切にすることをどう考えますか?(偽善という人もいるので)
 親切はいいこと。「布施」(ほどこし、あたえる)ことは修行・徳の一つ。
 でも、「本当の親切ってなんだろう?」 本当に相手のためにするってなんだろうっていうことの答えは簡単ではないのかもしれませんね?
 思った通りに人を助けていく、思った通りの結果を得ていくということはとてもむずかしいことのように思います。



2020年1月10日金曜日

うちあわせの日々

ここ数日、打合せが立て込んでいる。

火曜日は、午前・午後と龍谷大学で講義をして帰ってきてから、ふるまい市の打合せ(ミーティング)。

水曜は、午後から2/14に引き受けた研修の件で、本山・本願寺で打合せ。
その打合せのあと、お電話をいただいた別の部署へいくと、またそのまま打合せ。
3/14には福井に行くことになった。

翌・木曜は、4月から始まる連続講座の打合せで加古川へ。
帰ってきてからはお寺で、来週引き受けた場所貸しのイベントに関する打合せ。

今日は、お昼から尼崎市の取り組みに関する打合せ。
夕刻からは、カリー寺基金の打合せ。夜は、31日にお寺で引き受けたイベントに関する打合せ。

明日は、午後からお寺で主催するイベントの打合せが入っている。

2020年1月8日水曜日

200107‗ふるまい市のミーティングをした

2020年、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

新年の行事をすごしつつ、徐々に日常へともどってきました。
昨日 1月7日の夕刻は、「ふるまい市」について、ゆるゆるとミーティングをしました。

1月7日なので、あつまってくれたみなさんに七草粥をふるまって、おかゆをたべながらゆるゆるとした、しかし楽しいミーティングができました。

つくったおかゆの写真。
なかなかおいしくできました。

 

結論からいうと、今年の4月5日にまた、「ふるまい市」をします。
「ふるまい市ってなに?」っていう方は、以下のリンクのフェイスブックページをご覧ください。
https://www.facebook.com/events/1623506174419484/

昨年、無料でふるまいたいモノとかコトをあつめて西正寺でふるまい市をしました。
不思議なイベントで、
プレッシャーとかストレスとかがまったくなくて、
ただただ楽しんだ、遊んだ、という感想だけが残るイベントなのです。

失敗するかも、という心配もありませんでした。
なぜなら、無料で、採算を考える必要もないから。
いっしょにやってくれるメンバーもいたので、だれもこなかったら、そのメンバーだけでも十分楽しめるという思いもあったので。

どうも、いっしょにやってくださっていたみんなもそんな風に思っていてくれたようで、またやりましょうということになりました。

課題は「やらなきゃ」のような義務感からいかに解き放たれるか。
「ふるまい」のモチベーションを楽しみながらどう保っていくかという感じでしょうか。


ちなみに、このイベントは、
田中元子さんの『マイパブリックとグランドレベル』からインスパイアされました。

(画像をクリックするとアマゾンに行きます)
この本を読むと、ふるまいたい!という思いがわいたり、ふるまいの質が変化します。 もし、この本を読んで、ふるまいたい!という思いが湧いた方がいらっしゃったら、ぜひぜひご連絡ください。

2020年1月3日金曜日

【新年にPCをカスタムしたという件】SSD換装とOSのクリーンインストール

【新年にPCをカスタムしたという件】

 最終的には、HDDをSSDに換装して、Windows10 をクリーンインストールするということになりました。
 
 結果、非常にサクサクと動いてこれまでのストレスがなんだったんだろうか?というほど快適になっています。(今現在まで)


(経緯)
 もう何か月も前になりますが、HDDをSSDに換装するぞーと試みたのですが、データをコピーするところで躓いて、置き去りになっていました。
 フリーのソフトで、ほぼ1日かけてエラーが発生しているとか、有料ソフトを使ってもやはりエラーが発生して、先に進めずにいました。

 そんな中、2020年の1月にWindows7がサポート終了になるという話。
 まだまだ現役のPCがいる状況でなぜ?という思いを抱えつつも、ここでなんとか対応せねばと。

 そういうわけで、年末に再チャレンジ。 
 有料ソフトでクローンを作成してみたものの、やはりエラーがすこし発生たけれど、無視して、換装してみました。結果、起動するものの、ドライバらしきものが見つからない、関数にエラーがあるとか、起動直後に数十ものエラーメッセージがでてどうにもなりませんでした。
 そのような状況に立ち至り、換装→OSのアップグレードという計画を断念。
 新年に、計画を 「換装」→「クリーンインストール」に変更しました。
 この場合、いままで入れていたソフトを入れなおしたり、データをいちいち移植したりする必要があるので、ちょっと面倒だなーと思っていたのですが、新しいPCを買うより断然にコストは安い(1/10以下)で、当座をしのげるだろうと思います。

 結果、期待以上に、サクサク動いています。
 これでこのPCも、購入したままの状態から、

 メモリが4倍(4GB→12GB)
 ※4GBオンボードで、カタログスペックではMAX8GBのところ、2年ほど前に8GBに載せ替えた。
 
 HDDをSSDに換装して、容量も2倍以上(450GB→1TB)になりました。

 

 







「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...