2009年12月26日土曜日

しわす

いつになく忙しい十二月。
気がつけば、あっという間に月末。

今月はいつも以上に人前で話をさせてもらう機会が多かった。
5日結婚式司婚
8日組内住職会・講師
18日報恩講出講
19日結婚式スピーチ
25日カルチャーセンター出講

人前で話をするのを考えるとき、いいアイデアがさくっと出るときと、
ギリギリになっても何を話すべきか迷いが生じる時がある。

今月は、後者が多かった・・・。

2009年12月4日金曜日

接続詞

 接続詞の使い方に人の思想はあらわれる。
 たとえば、「だから」と「しかし」

 順接・逆接と全く反対の言葉であるにも関わらず、同じ文脈に使うことができる。
 
 アイツが憎い。「だから」・・・。 

と言えるが、

 アイツが憎い。「しかし」・・・。

とも言える。

 自分は正しい「だから」・・・。とも、自分は正しい「しかし」・・・。

とも言える。

 
 どの接続詞を使うかで、次にくる言葉が変わる。
 文脈上の正誤はあっても、
 状況に対してどの接続詞を使うかということについて正解はない。

 「だから」を使う理由があればそれと同じだけ、「しかし」を使う理由もあるはずだ。
 僕たちは、自分の都合のいい方の接続詞しか、頭に思い浮かべないことが多い。

 立ち止まることが必要だ。
 
 いまこういう状況だ。「だから」なのか。「しかし」なのか。
 自分の都合のいい方に、やすきに流れることを戒める。

 結局、僕たち人間は、なんとでもいえるのだ。
 僕たちが振りかざす論理は、結局「虚仮」なのだ。

2009年11月20日金曜日

同窓会

今週も一週間が終わり。
週末は例の如く、法務の予定。

本日はちょっとした楽しみが。

18:30より、大学・大学院時代の同窓会が開催されます。
おひさしぶりの方々にお会いしてきます。

大学を出てから10年。
月日の立つのは早いものであります。

2009年11月15日日曜日

あっという間の二週間

気がつけば、11月も半分が過ぎた。
あっという間の二週間。
10日に真宗学会大会があって、その発表準備にいろいろと時間がかかった・・・。
あんまり余裕がなかったなぁ・・・。




10日(火)真宗学会大会。(コイツの準備がけっこう時間がかかった。)
11日(水)合気道稽古。二段の免状をもらう。
12日、13日。西正寺報恩講法要

2009年10月31日土曜日

奈良県、宇陀、報恩講出講

 奈良県宇陀の、S光寺さまの報恩講に出講。
 ご住職は、龍大のA先生。
 
 19:30からの夜の座2席お話。

 山間のお寺で、阪神間の都市部とはやはりまったく違う雰囲気。

 今日はとっていただいた旅館に投宿して、明日の朝座・昼座にも出講させていただく予定。
 

2009年10月30日金曜日

学会の秋。

 明日で十月も終わり。

 学会発表の準備がままならず、ちょっと焦り気味。
 去年思いついたテーマで、すでに文章にもしていたのに、実際に読み返し、また考え直してみると、亦違った問題も見つかって・・・。なかなか思い通りには行かない。
 あと、思いついたときはおもしろいテーマだと思っていたけれど、今となっては、本当にこれはおもしろいのか?なんて疑問もわいてきて・・・。
  
 発表日は11月10日。
 とりあえず、来週からは、予行演習をして練り上げていくという段取り。

 明日・明後日は、報恩講のお説教の依頼を頂いていて、奈良の山のほうへ参ります。
 

 
 

2009年10月25日日曜日

遅々として

午前中はひたすら法務。
25日の月参りが多くなってきたようだ。コンスタントに、けっこうな数があると父が言う。
しかも、今日は日曜日。日曜日希望のおうちと、法事が二件。
午後からは、付き合いのお寺さんの報恩講(行くのは父)。

なんともまぁ、お忙しい。。。

午後はできた時間で、雑務を片付ける。
来月の真宗学会の準備もまだしていないぞ・・・。

近所のモスにて、ハンバーガをかじりながら、カチャカチャと作業中。

2009年10月17日土曜日

仏教史学会

 龍谷大学で仏教史学会の大会が開催されているので、お参りはお休みさせてもらって参加。

 特に聞きたかったのは、午後の講演とシンポジウム。
 最近休息気味の頭には、とてもいい刺激になった。
 過去の研究を振り返り、自分の知らない知識、知らなければならない事柄の多さを改めて痛感。
 研究史をリストアップされると、本を読んで研究をしたいというモチベーションがUP。


 勉強して、知らないことを知っていくということ。
 それはそれで非常におもしろく、楽しいことだけれど、今は「知っていること」をいかに再構築して新たな視座を得るかということのおもしろさ、そういう研究の意味を考え中。

 そのまずは、「なんとなく知っている」ことを「ちゃんと知っている」状態にしたいと思う。


学会後、研究所に立ち寄り、ちょっと仕事を片付ける。
後ろに予定が詰まっていると、短い時間を濃密に過ごすことができる。
今回もそのパターン。集中して一つ仕事を片付けることができた。

19:00過ぎから、S木さんちに、F氏とお呼ばれ。
S木さん夫婦と、F氏との四人で夕食の会。ごちそうさまでした。

 

2009年10月16日金曜日

梵音具調査(4) 長浜市内

10月16日(金)
 梵音具調査第四回目。 フィールドワークの調査は3回目。
 今日は長浜市内の寺院など4件を回る。
 10:40頃、JR長浜駅集合。 午前中1件。午後3件。

 長浜の町は、商店街やその他、なかなか楽しそうな賑わいを見せている。
 古い家屋や、お寺などもたくさん残っていて、貴重な文化財を有する寺社も多いそうだ。

 調査は、千手観音が有名なお寺、お東の真宗寺院、真言宗の寺院、お西の真宗寺院を順に調査。
 今日はいずれの場所にも、なかなか貴重な梵鐘や、ケイなどが保存されていて、いい調査になった。
 
 調査では、カメラ係を請け負うことが多い。調査の終わった梵鐘や、鰐口の写真を押さえに、脚立に昇ってパシャリ。バランスの訓練にもよさそう。ただ、高い所は苦手。ちょっと怖くて足が震える。


 
 夕刻18:30、京都に戻り、声明のお稽古。
  稽古後、一緒に稽古をしていた後輩A氏と家の奥さんと三人で夕食を取り、帰宅。

文才なし

10月15日の記録
 @京都某所
 ・10/31、11/1と出講する法要についての打ち合わせ。
 @研究所
 ・論文の校正、出稿。
 ・論文の査読、チェック(1本)
 ・書籍紹介の原稿作成 → 問題点多く、書き直し。

・・・・・
 文章をチェックし続けた一日。

 いい文章がかけなくて情けない。
 いい文章どころか、きれいな文章ですらない。

 数をこなすしかないのか、
 倦まずに書き続けていくしかないのか。

 そもそも、筆まめですらない。
 まめに文章を書くようにするのがいいのだろう。


 きれいな文章が書ける人の頭の中は、きっと整理されているんじゃないかと思う。
 いい文章が書ける人は、豊かな感受性と、表現力があるひとなんだろうと思う。

 文章を書く力というのは、天賦の才か、努力の賜物か。

2009年10月15日木曜日

梵音具調査(3) 多賀近辺

10月14日(水) 滋賀県の文化財調査。第三回目。

10:30 JR彦根駅に集合し、終日、多賀近辺の寺院等の梵音具の調査。
一日で三箇所の寺院などを調査した。

一件目は真宗寺院。二件目は、廃村の真宗寺院。三件目は無住の禅宗寺院。

今回は、めずらしく廃村になって、現在では人が住んでいないようなところにも立ち入ることができた。
車に乗って、車一台が通るのがやっとの細い山道を昇って、山上の誰も住んでいない集落跡へ。

お墓や寺院があるので、一応管理されている人がおられて、ときどきは山を登ってこられるようだ。
それでも、打ち捨てられたままの家や車が、朽ちていくのを待っているかのように、さびさびとした雰囲気が漂っている。

村に入って、目的地まで徒歩での移動中、見たことないほど大きなスズメバチが飛んでいる。
幼い頃に、弟がハチに刺されたのを見て以来、ハチに対しては少々トラウマがあり、恐怖を覚える。
スズメバチに刺されたら一発で死んでしまうのではなかろうかと。
周囲に巣がないかを調べて、慎重に移動した。

調査中、苔が一面に生えた地面にカナブンがもぐりこむ。
観察してみると、そのままやわらかい土の中へどんどんともぐりこんでいって見えなくなってしまった。
もしかして、冬眠に入る瞬間を目撃!?
ちょっと興奮。

めったに行くことのできないところにいけるのも、調査に参加して楽しいことの一つ。


調査の方も、現場に出て二回目ということもあって、ちょっとづつチェックするポイントがわかりかけてきた印象。

今回の調査
梵鐘 三口、喚鐘 四口、鰐口 一口、キン 二口

2009年10月11日日曜日

道教の美術展

 午前中は法務。
 午後から、奥さんとこないだから行きたかった「道教の美術展」へ。
 
 道教なんて、わざわざ見に来る人はあんまりいないだろうな~と思っていたけれど、予想よりは多めの観覧者。
 とはいえ、混雑というほどではなかったので、快適に見学。

 七夕やお中元は道教に由来があって、浦島太郎も道教からの影響があるんですね~。初めて知りました。
 あたらしい知識が得られただけでも、行った価値があるというものです。


 文献は、江戸期の版本が多かったけれど、ところどころでかなり貴重な書物も出ていた。
 でもやっぱり、テーマどおり、美術品の方が充実した展示。中には前漢やそれ以前のものもあって、しばし見入る。

 十王の像が一揃えあった「十王信仰」の展示が印象的だった。
 こりゃ、図録は買わなきゃな~と思って売店に行ってみると・・・。

 図録でかっ!

 400頁ちょっとありますよ。こりゃ、分厚いわ。値段は2500円。買い応えありますな~。
 普通の表紙のバージョンと、大阪限定表紙のバージョンがあって、大阪限定のほうを買う。
 その他にも、興味深い本があって、2冊ほどお買い上げ。
 天王寺近辺を散策した後は、鶴橋で焼肉を食べて帰宅。ひさしぶりに、たんまりとお肉をいただきました。

2009年10月10日土曜日

わりと快調。

今日の記録
午前:旅の相談。
午後:研究所業務。
  書評の原稿、論文の原稿、などなど。

19:00から中国語。
今日は行かなければならない日で、他の所用を断って出席。

昨日稽古でしっかりと動いたためか、体の調子がよい。
頭の中がすっきりとした感じで、集中力もなかなかよい。
体のキレもなかなか。

体というやつは、動かしていると、どんどんと動きやすくなるようになっている。
動かさないでいると、どこかしら体の中を流れている、「気」か「血液」か何かに滞りが発生して
動くのが億劫になってくる。

今日の調子は「いいサイクルにはいっている」と思えるような調子。


スキマ時間に先日買った、『日経アソシエ』を読み終える。
今週の特集は「グーグルの働き方」
自分のしている仕事や、自分の仕事場(お寺・研究所)のあり方と照らし合わせてみると、いろいろと思うところが出てくる。

たった十年あまりで世界的な企業へと急成長しているgoogle
能力のある人たちがどんどんと集まっている。

人を集めているというよりも、人が集まって仕事をしたくなるような環境がそこにあるといったほうがいいんだろう。

2009年10月8日木曜日

記録

 朝~昼
 諸々の所用を片付けてセンターへ。
 17時まで業務。

 19:00 合気道の稽古。
 毎週水曜日の所が、今週は木曜日に変更。
 交差取りの稽古中心。

 小手返しまでの捌きが理解できなくて、なかなかうまくいかなかった。


 夕食は西宮のラーメン屋に。
 注文しようと思っていた味噌ラーメンが品切れ。
 味噌が切れたのか? 麺が切れたのか? それともその他のものか?
 自分の中では、「麺」ということで、予想。


 宗学院から論文の提出の催促。
 学会発表にかまけて、ずっと先送りしていたが、ついに催促が来る。
 遅くなっていて、申し訳ないです。

高月町の調査

昨日に続いて、滋賀県文化財調査。
研究センターは、以前の休日出勤日の代休で休日。

今日は高月町の梵鐘と鰐口、キンなどを調査。

高月に来たのは初めて。
尼崎からJRを乗り継いで、2時間半近くかかって、JR高月駅に到着。
観音菩薩の像が多いようで、駅には見学をすすめるポスターが多かった。
井上靖の小説にも取り上げられたそうで、今度読んでみたいと思う。

文化財保護課のF川さんの車で調査先へ移動。

午前中2件、午後2件のお寺を調査。
調査先は、
・日吉神社
・道ばたにお祀りされていた地蔵堂
・西野薬師堂
・高野薬師堂

日吉神社は、神仏習合時代そのままの造り。
境内のスギの木などが、非常に太く立派で、歴史を感じさせる。
太い歴史のある樹木というのは、存在するだけで見るものにいろいろと感じ、考えさせる。

日吉神社のあとは、道の脇にあるお地蔵さんの鰐口も調査。江戸時代のもの。
道端に当たり前のようにぶら下げられているけれど、ずっとここにあったんだなぁと、時間の流れに思いを馳せる。

午後の二件の調査も、
近所の方とのちょっとした語らいや、
管理されている方の人間関係などが垣間見られてよかった。

すごくいい観光資源があるのに、あんまり知られていないようなのが残念。
でも、大きく観光地化されると、よさも失われてしまうかもしれない。

一日調査の日程をこなして、ちょっと疲れて帰宅。
奥さんが教室で習ってきたというおいしい料理を作ってくれる。

2009年10月6日火曜日

つり鐘調査と・・・。

 滋賀県の文化財調査で、新しい仕事がはじまった。
 滋賀県の古いつり鐘とか、鰐口とかの「梵音具」の調査。

 今日、第二回目の召集があり、午前中滋賀県栗東の博物館に行ってきた。
 調査のポイントと、調書の取り方をレクチャーしてもらう。

 梵鐘なんかは、形状などにはある程度時代的な傾向があるらしい。
 いままで全く未知の領域なので、これからの調査が楽しみだ。


 午後は、研究所に出勤。
 
 業務後にDさんとの勉強会。
 「梵網経」。
 なかなか頭が回らない。
 

 さらにその後に、F先生の生命倫理(自死問題)に関するプレ発表を聞く。
 「教義」と「実践」の接点を考えることはやはりむずかしい。

2009年10月3日土曜日

カドの立て方

「してやったこと」を数えるとカドが立つ。
「してやったこと」を数えるとハラが立つ。

逆に、自分が「してもらったこと」を考えてみると、頭がさがる。


「してやったこと」はいくらでも数え上げることができる。
でも「してもらったこと」は、あんまり数えられない。
それは、ないんじゃなくて、気がつかない。目が向いていないだけ。


相手のこと考えて紙に書いてみると、いろんなことに気がつく。

2009年10月2日金曜日

三重へ出張

今日は研究所の仕事として、「三重教区員弁組門徒総代のつどい」に出講。
@ 三重・湯ノ山温泉希望荘。

「親鸞聖人のご生涯に学ぶ」というテーマで、一時間お話。
毎年80人ほどが参加という。とても大勢のご住職・門徒総代のお出ましだった。
懇親会にも同席させていただいて、湯ノ山温泉にもつからせていただいて帰宅。

とても熱心にされているところで、いろいろな方とお話もさせていただけて、有意義な一日でした。

ただ、三重は遠かった。
朝は、6時過ぎの電車で、着いたのは10時。
帰りは、4時前の電車で、帰ったのは、8時前。

でもまあ、たまの遠出も楽し。

2009年9月30日水曜日

生きているのか、死んでいるのか(2)「死ぬということ」

「死」ということもあいまいだ。

いわゆる「死」を迎えたという状態は、「心臓が止まり」「呼吸がなくなり」「瞳孔が開き」…ということなどで、判断するらしい。医学的・法律的にはそれを「死」とするらしい。
 でも、それはあくまで「医学的」「法律的」に判断されたのであって、はるか昔から絶対的にその定義が適応されてきたわけではない。
 事実、今は「脳死」として、心臓が動き、呼吸をしていても、「脳」の状態によって、「死んだことにしよう」とされ、それを死と認められつつある。しかしそれは、それまでは「まだ死ではなかった状態」を「もう死んだことにしてしまおう」という、「死の前倒し」である。 

 臓器移植などの都合もあるが、そこで暴き出されたことの一つは、
 「死」に対する医学による判断も、法律による判断も、結局は絶対的なものではなくて、便宜上、判断されたにすぎないのだ。

 他のだれかから「もう死にましたよ」といわれて、その瞬間に、「生きていた者」として扱っていた人を、「死んでしまった人」として扱わなければならないなんていう、境界線なんてあるんだろうか。
 生死って、そんなにびっしりと線引きされるものではないんじゃないか。

2009年9月28日月曜日

生きているのか、死んでいるのか(1)「生まれること」

 法事のお勤めのことなどを考えていたときのつれづれ。

 「生」とか「死」とか、考えてみると、実はその定義は、あたりまえのようで、実はかならずしも自明のことではないと思う。いや、むしろ定義自体は非常に明確でありながら、「かならずしも絶対的なものではない」というべきか。

 そもそも僕らはどこから「生まれた」といわれる状態になったのだろうか。
 法律的に「生まれた」のは、母親のおなかの中から出てきて、見かけ上、独立した個体と認識されるようになったときだろう。(これが明確な社会的な定義だろう)

 しかし、それ以前から心臓や脳は個人のものとして活動しているのだろうし、両親やまわりの人たちは、「新しい命」として認識している。もし、なにかしらの事情があって、無事に生まれなかったとしても「一つの失われた命」として扱うのではないだろうか。(これが、「絶対的なものではない」と思うこと)
 じゃあ、受精して着床してということころが、いのちのはじまりかというと、そうとばかりは言えないようにも思う。これは、生まれて事後的に感じることかもしれないが、両親の遺伝情報や、健康状態、薬物の影響あるいは根本的な体質自体など、妊娠以前の状態も生まれてくる子に影響があるんじゃないだろうか。
 明確に、ぶっつりと独立した個人として、まわりの何者にも影響されることなく誕生するのではなく、あくまでも「生まれる」といいつつも、諸条件のつながりのなかでうまれ、いつ「生まれた」といったとしても、その「生まれた」というよりも以前の条件をその身に引き受けている。

 そういった「つながり」を失うことができずに生まれてくるのであれば、全く独立した別箇の個人として「生まれた」と明確に線引きすることは、できないんじゃないかと思う。「生まれた」とは、非常にぼんやりとしたところでしかないのではないか。

 赤ちゃんが生まれたり、生まれると分ったときの感動は、想像だにできないし、「生まれる」「生まれた」と上と矛盾したかのような思いを持つんだろうと思う。
 でも、法律とか、社会的な通念で、「今生まれた」と固定的に線引きして、それでよしとすることには、何か耐え難い抵抗を覚える。それでよしとしてしまうと、つながり的なものもぷっつりと断ち切って、個人主義的な思想に与してしまうようにも思える。
 
 誤解の無いように言っておけば、社会的に「生まれた」と認識されることについては、何の問題ももっていない。でも、自分の生命の実相をどう見るかと考えたならば、その定義自体は常に、疑われざるを得ないんだろうということ。
「便宜上」どこかで限定的に考えてしまわざるを得ないとしても。

2009年9月22日火曜日

自我を超える。

 仏教とは、その教えによって「自分」という枠を超えていく道ということができるかもしれないと考えている。

 自分は、自分以外のほかの多くとの関わりの中で成り立っていて、それまで「自分」と呼んでいたものを、より大きなつながりの中でとらえていくことが教えられていく。

 たとえば、僕は天気にさえ左右される。
 晴れた日には明るく、晴れた日なりの気持ちになり、
 雨の日には、ちょっと陰鬱な、湿った気持ちになり、
 曇りの日には、曇りの日なりの。

 そう、触れ合うものとの関わりのなかで、心がうつろい、行動が規定され、自分という感覚が立ち上げられてくる。
 身近な人の状態や、ただすれ違っただけの人の行動で、「自分」がまた変化を起こされていく。
 そういう自分だったと気づいていく。
 いままで自分ならざるものであったものさえも、自分を形成し、自分そのものであったと認識せざるを得ないような世界を示しているように思う。


もちろん、それも仏教のすべてというのではなく、ほんの一面の把握としてであるけれど・・・。

  

2009年9月21日月曜日

結婚披露宴@名古屋

大学院の後輩の結婚披露宴。
ご招待頂いていたので、午前中の法務を終えて、新大阪から13時40分の新幹線に乗って名古屋へ。
一時間弱で、もう名古屋。新幹線て、やはり速いねぇ・・・。

名古屋駅前の式場で15時から披露宴。
いつものダイゴさんと一緒に出席。

お久しぶりのお顔にも会うことができて、楽しい一日でした。
あさって入籍する人とか、来年一月に結婚しますとか。

そういうのって重なるものでしょうか?
結婚の波、再来?

ともかく、おめでとうございました。
これからの方々も、おめでとうございます。

2009年9月18日金曜日

ヤギを飼いたい

 境内のちょっとした空き地に草がボーボー。
 母が草引きをするけど、ときどきなので追いつかず。
 先日、法要があるからと、草引きを頼まれる。近くのホームセンターで、雑草刈り用のバリカンを買って、
えっちらおっちらと、草刈りをする。

 しばらくまえから考えていること。

 ヤギでも飼って、草を食べてもらえばいいんだ。

 ヤギは、きっと近所の人にもかわいがってもらえるし、
 ヤギ目当てでお寺に遊びに来る人もいるだろうし、メリットはたくさん。

 ネットでヤギをどこかで分けてもらえないかと調べてみると、北海道では、犬より安い値段で分けてもらえるようだ。

 
 さらに見ていると、最近はヤギのレンタルというのもあるらしい。
 しかも除草用に。
 同じようなことを考える人もいるもんだ。

 http://mainichi.jp/select/biz/news/20090828ddm008020054000c.html
 でも、九州か。弟の婿入り先の近くだな。
 大阪近辺ではやってくれないかな。
 レンタルだったら、お手軽でいいな。草の生えているときだけ、
 「ヤギさん、ちょっと来てください。」
 「いつものように、草お願いしますね」

 なんて。




追伸:
ウサギで実験している人を発見!
http://greenlifelabo.blogspot.com/2009/06/blog-post_23.html

2009年9月15日火曜日

大忙しの後

例のごとく、しばらくぶりのブログのUP

八月末からの二週間ばかりは、なんだかあわただしい期間でした。

8/28-8/31
28日 NHKの講座を終えた足で北海道へ。
29日 北海道インド哲学仏教学会では発表。
30日 余市・積丹半島(神威岬など)を観光。(ちょっと休日)
31日 帰る。

9/1-9/6
次の学会の準備。
担当している部会の会議。
ちょっとした不調で病院へ。
合気道の審査のため稽古をサボるわけにはいかず。

9/7-9/13
9/7学会発表の準備とか
9/8,9/9 印度学仏教学会。二日目に発表。
9/10-9/11 得度習礼へ、講義をしに。(初体験)
9/12-9/13 久しぶりの法務。

いろいろと気がついたこと、反省したこともありますが、
ちょっとあわただしい期間が過ぎたので、しばらくちょっと好きなことをする時間をとるのもいいかなと思いつつ。

といっていたら、もうすぐお彼岸。
後輩の結婚式やら、法座の出講やらの予定を聞いていました。
いろいろと準備せねば。。。。

      

2009年8月25日火曜日

吉川忠夫『高僧伝』1

吉川忠夫先生の『高僧伝』の訳本が岩波文庫から出版されたという話を、
中国留学から帰ってきていたWさんとあった際に聞いて、早速注文。

今週末の発表が、まさに『高僧伝』を取り上げたものだけに、目を通さないわけにはいかない。
発表前に聞いてよかった。

おそらく、今日には研究所に届いているはず・・・。
@京都への移動中の電車中。(今日は法務で遅くなっています)



2009年8月24日月曜日

月参り。

月参り。
月参りをしていると、いろんなお家に上げてもらえます。
お家に入れてもらい、お仏壇の前でお勤め。
そのあと、すこしばかりお話をするというのが、ベーシックな「月参り」の形。

しかし、どこにいっても同じような対応ではいけないと最近とくに思う。

その方の「お坊さん」に対するイメージ。
「僕」に対するイメージ。
「お仏壇」・「仏事」に対して持っている感覚。
かかえておられる「苦しみ」

いろんな要素が絡み合って、いろいろな付き合い方や、期待・ニーズが現れてくるのが月参りという
仏事の現場。

お寺との付き合いの長さや、その他いろいろな要素はあるけれど、
「どこのうちでも同じようにやっていれば大丈夫」
ということは決してなく、また、絶対的な正解もなく。

手探りで勤めを果たしつつ、常に僧侶とは何かが問われているような感覚。
そして「わかった」と「わからない」の間をずっと行ったり来たりしながら努め続けるような。





ブログのテンプレートを模様替え。
緑色になりました。

2009年8月23日日曜日

不在者投票

8月30日、選挙の日は北海道の学会で発表。
当日に選挙にはいけないので、今日は法務を終えた午後、不在者投票に行ってきた。

奥さんと連れ立って、市役所で投票。

2009年8月22日土曜日

健康不安

午前:法務@尼崎。自坊
午後:研究会@京都。研究所

 歯茎の状態がちょっとおかしい。
 鏡で除いてみると、奥歯の歯茎が赤くはれている。
 歯肉炎・・・。

 歯医者で応急処置をしてもらう。
 最近は、土曜の午後も、日曜日もやっている歯医者が多くて助かります。

2009年8月21日金曜日

渡道まえ、一週間

 来週の土曜日には、北海道インド哲学仏教学会があるので、北海道へ行きます。
 この学会は、今年度で解散となるので、最後の学術大会。
 非常に充実していて、得るものの多い学会なので、非常に残念です。
 
 そんなわけで、この間から学会発表の準備に取り掛かっているわけですが、最後の仕上げがなかなかできない。
 全体像は、できあがっているんだけれど、魅力的に、よりわかりやすく伝えるにはどうすればいいか。。。

 8割方出来上がると、急激にモチベーションが下ってしまう悪い癖が・・・。
 あと一週間、もうちょっとがんばらないとだめでしょう・・・。

 

2009年8月10日月曜日

ルービック


 いろんなことがありましたが、無事にルービックキューブが手元にやってまいりました。
 店員さんいわく、「3×3よりは、どうも外れやすくなっているようで、ばらばらになることもあるようです。全部バラバラになっても組み立てることができるそうです」とのこと。
 パッケージに書いてあるホームページから、バラバラになった後の組み立て方法を参照することができるらしい。
 1面まではすぐそろえることができるのだけれど。
 そこから先が難問。
 ガチャガチャとやっていると、けっこうすぐ時間が経ちます。

2009年8月5日水曜日

ルービック・キューブ



ルービック・キューブを買いました。
この間の日曜日、奥さんと西宮ガーデンズに買い物に行った際に立ち寄ったロフトで見かけて、衝動買い。
テレビを見ながら、ぼけっとしながら、アタマを使うのもよかろうと。

奥さんに、「買っていい?」と聞くと、
「好きにしたら」ということだったので、買いました。

家に帰って早速包装をあけて、記念撮影。
恐らく二度とこのような形に戻ることは無いので、記念撮影。
3×3のルービックも、偶然3面完成したぐらいなので、
4×4の六面は間違いなく不可能。
二度と戻ることはないであろう完成形を記念撮影。






「さあ、やるぞ!」
シャッフルしようとすると、出てくるのがうちの奥さん。
「ごちゃごちゃにするのは、やりたい」

「じゃあどうぞ」
と、混ぜだすと・・・。1マスぽろっと落下。

あ、取れた。
「まぁ。まぁ。そんなこともあるだろう」と、なんとかはめ直しして、混ぜだすと。。。
今度は2マス、3マスが落下、
もうどこの部品が落ちたのかわからなくなっていると、つづけて何個も落下・・・。
 え! 買っていきなり壊したの?ってのが左の図。






購入したロフトに電話。
担当者が出て、不良品ということで交換の手続きをとってもらった。

「無理にまわすと壊れますって書いてますけど、
4×4って壊れやすいんでしょうか?」
と聞いてみると、
お子さんも使うことも想定して作っているはずですし、
今まで「壊れた」という連絡も受けていませんので、
うちとしては不良品ということで対応させていただきます。
というお返事。

よかった。うちの奥さんが、無理な力をかけて壊したのではないのだ。

そんな話をしているうちに、キューブの症状は悪化の一途。




既に もちあげるだけで、もう部品が落下していく状態。
ラピュタが浮上していく際に、たくさん人がゴミのように落ちていくような。(ムスカの名台詞

元に戻そうとがんばってみるけれど、到底無理。
これが、実はこのパズルの正体だとしたら、とんでもない難易度のパズルを買ってしまったもんだと、にらめっこ。

でも、ルービックキューブ、分解するとこんなんなんだね~と、奥さんと談笑。

しかし、最初によく完成形の記念写真をとったもんだ。
当初の想定とは別の意味で見納めだったなぁ・・・。

2009年7月29日水曜日

自分の力。

惰性に流されない。
一生懸命とりくむ。
集中力を高める。
楽しみながらする。

当たり前のことが難しい。

ついつい、簡単な方へ、自分の都合のよい方へと流されてしまいがち。
目の前のことから、一つずつ。
一つずつに区切りをつけてから。

自戒をこめて。

2009年7月28日火曜日

結婚ラッシュ。

 昨日は、高校時代の知人が結婚。夜八時半からというちょっと遅い二次会に出席。
 久しぶりにしか会えないメンバーと久しぶりに会う。みんなあんまり変わってなくて、十何年も経ったなんて思えない。
 そういえば、17~18歳の時に一緒にすごした人たちなんだなぁと、しみじみ思う。すごした時間は短かったけれど、けっこう濃密な時間だったんだ。


 二次会には、新風館という京都αステーションのおひざもとだからか、7月29日にメジャーデビューするという19歳の歌手「和紗」さんも、飛び入りでお祝いの歌を披露。さすがプロという歌声で、しばし聞き入ってしまった。
 
 ちょっと調べてみると、彼女のブログにも・・・「結婚式」
 メディアにもこれからどんどんと出て行くようで、売れて行っちゃう人なんだろうか。


 8時ごろ後輩から結婚しますという電話が。二次会のこともあって、重なるもんだなぁと思っていたら、パーティ帰りの夜中11時ごろ、中学時代の友達から「11月に結婚します」メール。
 あまりの結婚話の重なり具合に、メールを見たとき、笑ってひざから崩れ落ちてしまった・・・。
 
 ともかく、めでたいことなので、おめでとうございます。
 ともかく、どちらのかたも、全力でお祝いさせてもらいます。
  

2009年7月25日土曜日

大雨・水害・大変

 記録的な大雨で、九州・中国地方では大きな被害が出ているそうです。
 友達が、嫁いだり帰ったりしてたくさんいる地方。
 みなさん大丈夫でしょうか?

 被害をもたらしたと思われる雨雲の残りが関西にもやってきました。
 たいした被害は出ていませんが、ずぶずぶのぐずぐずに濡れて、朝のお参りから帰ってきました。

 尼崎はたいした被害は出ていません。
 テレビで見るたびに、みんな大丈夫かしらと心配しています。

2009年7月24日金曜日

カルチャーセンターと飛行機のチケット

 NHKカルチャーセンターでの講座の第四回。
 受講者のお顔も覚え始め、もらっている感想から、だんだんとその人たちの層やイメージができつつある段階。 
 講義のほうはといえば、考えれば考えるほど話すべきことばかりが浮かんできてむずかしい。
 そんな悩みが出て、なかなかうまくまとめられなかったと、今回は反省の多い内容。

 講義後、その回ごとにいろんな人と話ができるは、非常に刺激的。
 今日は、受講されている方が、とある会社の取締役という忙しい中にありながら、熱心に受講されていたことを聞く。関西に住みながら、関東の仏教を学ぶ活動にもアクティブに参加されているという。

 仏教には、やはり人をひきつける力があるのだ。
 もっとうまい活動をすることができれば、仏教がより身近に、より多くの人に触れてもらう場ができるということも考えさせられた。

 

 講義移動の合間、来月行く学会の為に、飛行機(プラス一泊)のチケットを予約。
 某旅行会社で予約したあと、残りの宿泊先を探すため、ネットで検索。
 ネットで旅行サイトを見ていたところ、全体をネットで予約したほうが割安ではないか・・・。
 恐るべしネット社会。
 経済的な影響に後ろめたさも思いつつも、予約をキャンセルしてプラン全体を乗り換えてしまおうかと思う今日このごろ・・・。

 追記:教えてもらった仏教塾。
 講師陣の顔ぶれを見ていると非常に充実した会ではないですか!
http://www.tibs.jp/bosyu/youkou.html

2009年7月22日水曜日

日食

 今日は何十年かに一度の日食の日。

 小学校二年生のある日、皆既月食があるというので、夜更かしして観察したのを思い出す。
 カメラのフィルムのケースを定規にして円を書いて、逐一月の変化を描いて、観察記録をつけたんだけれど、どこにやってしまったんだろうか。
 
 今回は、日食の時間はあいにくの曇天。全く見ることもできずに終わってしまった。
 
 中国の歴史書では天変地異は、王権や政治と密接に結びつけて考えられていた。
 日食は、政変や政権交代の前触れ。
 そういえば前日は、衆議院解散の日・・・。
 
 天変地異の中には、毛が天から降ってきたり、石が雨のように降ったりというのもあった。
 そういえば、先日、空からおたまじゃくしが降ってきたというニュースが・・・。

 言われてみると中国の歴史書の思想というのは、「もしかすると・・・」なんて信憑性を持ってくるように思われてしまう。
 考えてみると、平和で安定した時期なんてほんのわずか。なにかしらめずらしいことが起こり続け、不安定な情勢や、政変が起こり続けるというのもけっして珍しいことではない。その二つを結び付けて考えたときに、ぴったりとリンクしてしまうことから、そんな風に考えてしまうのだろうか。
 
 
 昔の人は、日食を「イベント」ではなく、それこそ天の示す世界の兆候として捉えていたんだろう。


 追伸:自分の所で大きな出来事といえば、日曜日に奥さんと買いに行ったクーラーが届いた。
    これで、夏の暑い日も快適に過ごせます。
    とはいえ、貧乏性なので、なかなか使うこともないかもしれませんが・・・。

    日食の日にやってきた、ささいな家庭のできごと。

2009年7月16日木曜日

太った?

最近、太ったのではないかという疑惑を持たれているようであります。
とある先輩からも、「ちょっと、太った?」

ちょっと、およばれすることが多かったからか?
合気道の稽古も、この間まで忙しかったこともあってかなり休んでいたし・・・。
摂生を心がけて、なるべく汗をかくようにしなければ・・・。

2009年7月15日水曜日

丸刈り

この間の日曜日、諸般の事情から、丸刈りにしてみました。


刈ったのは、うちの奥さま。
反対していたのも、うちの奥さま。

できあがりの感想は、「旧日本兵のようだ」でした。


アタマの見かけは、すこしはお坊さんのようになりました。

ちなみに、得度以来16年くらいぶり。
中学のバスケ部入学、得度以来、人生三度目。

2009年7月14日火曜日

お坊さんになりたい

 先日、とあるお参り先の、書道の先生のおうちで聞いた話。
 4月の花まつりに、ここ何年か来てくれている小学校低学年の男の子が、作文に「お坊さんになりたい」と書いたそうです。間違いなく花祭りの影響。
 その男の子は、その先生の教室に通っている子で、その子の家とお寺には直接関係があったわけではないのです。新しく関係ができ、しかもその男の子が、お坊さんになりたいというまでに興味を持ってくれた。これほどうれしいことはなかなかありません。新しいご縁ができていたということは、僧侶のつとめが果たせていた実感として、とてもうれしいことです。

 また、自分の求める生き方としてのよろこびもあります。
 どうせ生きるなら、「いくら恵まれていてもあんなふうにはなりたくない」と思われるよりも、「あんなふうになりたい」と思われるように生きたいと思います。
 とるべき道に迷ったときも、それが一つの道しるべになるように思います。
 なにが琴線に触れたのかはわかりませんが、「お坊さんになりたい」という言葉は、発した本人よりも、聞いたお坊さんの方をうれしくさせる言葉であったことは、まちがいありませんでした。

2009年7月12日日曜日

32才

昨日32回目の誕生日を迎えました。

年を重ねるごとに、考え方とか世界の見え方とか、いろんなものが変わってきます。
そういう意味で、目の前にいる人でさえも、実はまったく違う世界に生きているのではないかと思うことがあるようになりました。
でもまぁ、その違いを際立たせず、それなりにうまくやっていくことができるようになっているのも年の功かもしれません。(むかしは、はっきりさせないと我慢できないことがよくありましたが、ちょっとはましになっていると、自分では思うわけです。)

自分に対しても、これまでとは違う違和感を覚えるようになりました。
年を重ねるごとに、これから何者かになりうる可能性がどんどんと失われていっていると痛感します。
生きていく術も限られてきたということかもしれません。(いざとなれば、なんとかして生きていかざるを得ないわけですが)
そう意味では、「できること」のみしか選択肢が浮かばなくなってきたともいえるかもしれません。
「あれがやりたい」と思っても、その達成の難しさを実践の前に考え、あるいは若さの特権のような無茶な想像が減ってきたといことかもしれません。

そう思っているということでは、すでに殻を破らねばならないのかも知れません。

そんなこんなで、32歳になってしまいました。

2009年7月10日金曜日

「大通方広経の懺悔思想」

倉本尚徳「『大通方広経』の懺悔思想―特に『涅槃経』との関係について」(『東方学』117号、2009年)

 中国留学中のW氏より、PDFで送ってほしいとの依頼を受けてコピー。
 仕事が立て込んでいたことを理由に2週間待たせて、昨日やっと送信完了。
 
 せっかくコピーしたのだしと読んでみると非常に興味深い。
 この経典は、中国前述経典であるものの、六朝後期から隋唐にかけて盛行。『涅槃経』から大きな影響を受けていて、さらにかなり「闡提成仏」にもかなり踏み込んだ内容を持つという。
 また、「三宝礼拝」思想というものが宣揚され、称名思想との関係も深い。

 ちょっと調べてみたい。

 


 

2009年7月9日木曜日

諸般の事情

諸般の事情により、なかなか更新ができませんでした。

いそがしかったから。
書くべき材料がなかったから。
そして怠慢。

一年も半分が過ぎてしまい、月日はあっという間に過ぎてしまうのに、
かかえている仕事・課題はなかなか思うようには進まないものです。

昨日は、宗学院の懇親の集い&共同研究の出版祝賀会。
名前は書いてあるものの、まったく諸先輩にお任せしっぱなしの仕事でした。

二次会ではジョビジョバの方にジョビジョバの歌を歌ったもらった。
ていうか、半ばかってにカラオケをリクエストしてごめんなさい。


ちょっとずつ、勉強に対するモチベーションもあがってきたかなと思える今日このごろ。

2009年6月22日月曜日

英語学習SNS

佐々木正悟『スタディハック』に紹介されいていた英語の学習ができるSNS
http://smart.fm/home 

一つレッスンが5分から10分程度でできるようです。

2009年6月8日月曜日

市議選投票日

午前:法務
午後:お寺の配り物、買い物、掃除、お灸、投票などなど
夕食:グリル小川
夜:「ハゲタカ」レイトショー

限られた時間、今日はこまごまとしたことをいくつか片付けることができた。充実した時間のすごし方ができた。久しぶりに休日らしい休日の過ごし方だ。

夜に、ハゲタカのレイトショーを見に行った。
TVシリーズが面白くけっこうファンだったので、調子に乗って映画も見に行った。
けっこう面白かったけれども、客の入りは予想よりも少なめ。レイトショーだからか? ルーキーズにもっていかれているからか?

 最近、商業ベースに乗っているものにふれると、自分たちがいかにそっち側に疎いかということを考える。
自分たちが持っているもの、自分たちが作ったものを、ちゃんと正当に評価してもらえる場所に出すすべをもつということも、大事なことだ。どうすればそれができるか。それが問題。


研究は進まず。
明日からまたがんばりましょう。

2009年6月6日土曜日

学会終る

今週は、幹事役をしている某学会(R会議)の大会があり、無事に終了。
けっこうバタバタだったくせに、滞りなく、大きな問題も無く終了。慣れなのか、運が良かったからなのか。

人の研究発表を聞いたり、いろいろと刺激があったせいもあり、(いや、それ以上に自分の学会発表がやばくなってきたからという説が有力)勉強するモチベーションが高まってきたこのごろ。

やりだすと、気になること掘り下げたいことが次々と出てくる。
そんな中、興味とか、面白さというのは、自分の中に埋まっているのだと改めて気がつく。
ぼけっと考えているだけで、自分が進むべき方向性や、調べるべきこと、欠落していることを知ることができる。より明確にするには、「なにをするか」を考える時間をとるのだ。

 なんとなく思っていること、そこから自分が何を知っているのか、何を知りたいのか。浮かんできたことをもらさず掬い取り、ノートしたりして「見える」ようにすると、それが一つの道として整備されてくるように感じる。

 やるべきことは自分の中にあるのだなぁ。

2009年5月12日火曜日

読書 

先週読んだ本と、ランキング

梅棹忠夫『知的生産の技術』 ☆☆☆☆☆
碑文谷創『新・お葬式の作法』☆☆☆☆
円満字二郎『漢和辞典に訊け』☆☆☆
高橋繁行『葬祭の日本史』☆☆

梅棹忠夫『知的生産の技術』は非常に古い本。漢字廃絶論なんか主張していたり、ひらがなタイプライターが最新技術という状況。
 けれども、内容は古いにもかかわらず、そこに書かれている精神とかコンセプトは、今の僕たちが読んでも十分刺激的なものだ。中には、「どうしてそんなことがわかるのか」と思えるほど、現代の状況を予言的に言い当てていることもあり・・・。
いわゆる「ライフハック」の古典的一冊に位置づけられる一冊なんだろうけれど、その精神は時代がたっても一向にくすんでいないようで、それどころか、時代を超えて読み続けられているという点に、その意義が語りつくされているように思う。

碑文谷創『新・お葬式の作法』は、葬儀にかかわる心を丁寧に書かれている一冊という印象。読んでいてほとんど違和感がない。だいたい、宗派的な相違やまるでそれが常識かのように書かれる「迷信」に違和感を覚えることが多いが、この本にはそれがまったくといってよいほどなかった。
 作者の心配りと、葬儀について掘り下げた探求の結果が結実しているからだと思う。
 敬意を覚える。
 なによりいいと思える点は、葬儀の外面的な形ではなく、「遺族の心」によりそって、遺族にとって大切な時間である「葬儀」、故人との向き合いの時間の大切さが語られていること。

一方、高橋繁行『葬祭の日本史』は、葬儀の歴史について興味深い内容が示されているものの、上の書籍とは対照的に、葬儀の迷信的な部分や、個人的な葬儀についての思いが前面に出ていて、「普遍的」な内容ではなかった点が読みづらかった。

円満字二郎『漢和辞典に訊け』は、一般向けに「漢和辞典」の面白さ、漢字の面白さを紹介した本。
漢和辞典の編集に長年携わってきた著者ならではの知識が示されていて結構面白く読めた。

  






2009年5月6日水曜日

GW2009

ゴールデンウィークのすごし方。
今年は、お参りと、読書と、映画。

西宮ガーデンズのTOHOシネマのレイトショーを二本見た。
『レッド・クリフ パート2』と『スラムドッグ$ミリオネア』

3日間に2本とは、人生最大の映画鑑賞ペース。
感想は、ちょっと省略。


GWに読んだ本のうちの一冊。
正木晃『知の教科書 密教』講談社メチエ

 密教について、総論的にまとめられていて結構よかった。
 インド・チベット・中国・日本の密教の伝播と相違。即身成仏や三密加持、不動信仰など密教のキーワードや曼荼羅や修行・儀礼についても解説されている。
 本書の「はじめに」には、三点の基本方針が示されている。
 ・日本密教をインド以来の仏教全体史の中に位置づける。
 ・伝統的な教学を、できるかぎりわかりやすく解説する。
 ・修行と儀礼についても、できるかぎりわかりやすく解説する。

 わかりやすい入門書というコンセプトで書かれている。
 何かあった時に開くべく手元においておこうと思った一冊。

2009年5月3日日曜日

朝日新聞労働組合、5・3集会「閉塞社会とメディア」

 お参りを終えた午後から、こんな集会に参加してきました。

第22回言論の自由を考える5・3集会

テーマ:閉塞社会とメディア――萎縮せず伝えるために
主 催:朝日新聞労働組合
http://www.asahi-roso.org/shinken/5-3/index.html

 左の思想を持っているというわけでも、護憲派でもない。ましてや政治的な運動などまったくしていない僕ではありますが、最近は政治思想というものにもちょっぴり興味が出てきました。

 二年前の中島岳志氏目当てに行って以来二度目の参加。
 今回は、佐藤優氏がどんな話をするのか、どんな人なのかということに興味があって。

 興味深い話が目白押しで、1時から5時までがあっという間でした。

 外務官僚時代の情報操作というか、メディア戦略や情報発信の実情と裏話も含めた基調講演と、メディアリテラシーの問題等を含めたシンポジウム。
 むずかしい問題を扱っている割に、ユーモアもちりばめられていて非常に面白く有意義な時間でした。

 佐藤優の著作を読んでみようと思います。
佐藤優の著作@アマゾン

 あと、シンポジウムで紹介されていたサイト。
魚の目 http://uonome.jp/

佐藤優氏が紹介していた、you tube・楠城華子の新聞切抜き。(リンク省略)

2009年5月2日土曜日

走り読んだ二冊

 昨日はめずらしく3冊読み終えた。
 3冊とも、テレビ・ネットラジオで放送されたものを書籍化したもの。昨日UPした一冊と、下の二冊。
 
 二人とも理系だけれど、気になっていた研究者。世界の最先端をいっているであろう日本人研究者二人。
 それでいて、このお二方は、理系でありながら非常に哲学的・文学的であるように感じて、興味深く思っていた人たち。 







 三冊も一気に読むことができたのは、これらが「話し言葉」で書かれているから。

 話し言葉は、話した瞬間にわかるように離されるべきだから、あまり考え込まなくともさくさく理解できるようになっている。でもそれは、「書き言葉」に比べて「言葉の密度」が薄くなっているように感じる。
 おおよその場合、本として読むには、物足りなさが残る場合が多い。

「会話」はどうしても、遊びというか、余白が必要。
一方、「文書」はその「遊び」をブラッシュアップしていって、無駄を削り取っていったところに名文ができるからだろう。

 でも、講演や対談を文字にしたものの中にも、とても考えさせられる、非常に質の高いものがあるなぁ。
 それは、内容が非常にアカデミックであるから?
 無駄な冗談がなく、愉快な譬喩でさえ含蓄あふれたものが用いられているから?

 そういった場合、むしろ話し言葉の方が、意味深いものに思われて・・・。

 う~ん。ちょっと考えてみよう。

2009年5月1日金曜日

オールニートニッポン

『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』
 面白かった。
 出てくる人たちが濃い。個性的で、人に伝える熱をもっている。
 ラジオの企画も、出版の企画も、挑戦的で、実験的で。

 読後感は、自分の内面から何かエネルギーが出てくるような感じ。


2009年4月24日金曜日

なんとNHKで

 今月から、毎月第四金曜日には、意外なところに出講することになりました。

 意外なところ神戸 → NHK
 意外なところ大阪 → NHK
 (書いてある文章は僕がつくったものではありません。前任の先生との急な交替で、前からのものをそのまま使わせてもらっています。)

 今日が第一回目。
 話を受けたとき、頭に浮かんだことは、大学時代の恩師・岡先生も、カルチャーセンターで講座を担当されて、それを大事にされていたということ。思いもかけない形で、先生と同じような場に身を置くとなったとき、先生がカルチャーセンターでの講座について話をされていたことが、ふっと意味を持って思い出されてきた。
 恩師はやはり、いつまでも自分の先を歩き続けているものであると、あらためて思わされたことでもあって。

 まわりの講師の先生方を見たときに、なんとまあ身に過ぎた仕事かと思うことは勿論ですが、それはそれ、与えていただいた仕事を精一杯努めさせてもらうのです。

2009年4月18日土曜日

ろいほけんきゅうしつ

 現在、ロイヤルホストで、あさっての勉強会のレジュメ作り中。
 今週一週間は、研究所の業務にほぼかかりっきり。いろんなことを放っておいて、かかりっきり。

 そんなこんなで、今日の法座の準備も、月曜日の勉強会の準備も、ままならず。
 付け焼刃で、ロスを取り戻し中である。アセアセ。

 今週金曜日から、月に一度、とあるところで一つ講座を受け持つことになりました。
 そいつの準備ももちろんままならず。月曜日が終わったら、次はそれの準備をせねばならぬ。 

 落語のCDを数枚 ipodに入れたら容量がいっぱいになってしまった・・・。
 このまましばらく我慢して入れ替えながら使うか、
 これを機に、新しいipodの導入に踏み切るか・・・。


 そんなこんなで、土曜日の夜が更けていく・・・。



 

2009年4月9日木曜日

噺家さん

 こないだから、ipodで落語を聞いている。レンタル屋さんでまとめて借りた、米朝師匠の特選集。
 なんとはなしに借りて、聞いてみたが、これが結構クセになる。

 先週からずっと移動の間は、ずっと聞いている。
 頭を使わない単純作業の間も聞いている。コピーをとったり、スキャナーを使ったりするとき。

 人前で話をすることが多い仕事柄、自分の話し方と比べて考えることもある。

 落語と法話を比べていろいろと考えることもある。
 自分は落語も古典が好きだが、古典は「何度聞いても面白い」というのが奥が深い。

 「一度聞いたからもういいや」と思うようなものは、一度聞くことの意味さえもないのではないだろうか。
 法話もそうではないかと思う。

 完成度の高い法話は、何度聞いても、新しい感動がある。あるに違いない。
 
 無難なネタをいくつも持つよりも、そういう話を一つできるようになりたいと思う。

2009年4月1日水曜日

はなまつり 告知

 四月になりました。四月一日はエイプリルフールですが、四月八日は花まつりです。
 四月八日が花まつりですが、西正寺では、四月四日に花まつりの行事をします。

 今年で6回目になりました。

 今年は今のところ、34名の人たちが参加予定です。

 今年もよろしくお願いします。

花祭りの案内PDF

2009年3月31日火曜日

同じ名前の人の結婚式

 日曜日は、研究所同僚のTさんの結婚式。
 新郎が僕と同じ名前で、なにか変な感じ。新郎の名前が呼ばれるたびに、反射的に「!」となりつつ、心の中で「ぼくではない、ぼくではない」と打ち消す作業が必要だった。
 おそらく二度とないだろう同名の人の結婚式。
 彼も僕の結婚式に来てくれた時は、こうだったのだろうか?


 そんなこんなで、3月も終わり。
 時間が経つのはあっという間。
 ちょっと勉強すれば、知らないことが山ほど出てくる。
 締め切りが間近に迫った仕事も積みあがっている。

 あ~大変だ。大変だ。
 といいつつも、どうにもならないから、開き直って、一つずつ片付けるしかない。
 来年度にもちこしてしまった仕事がたくさんあります。


@帰りの電車の中

2009年3月27日金曜日

永代経法要

 おとといと昨日(3/25-26)、西正寺の永代経法要でした。
 みなさまのお陰で、今年も無事にお勤めすることができました。
 お参りいただいた方も、お参りいただけなくともかげながらお気遣いいただいた方も、
 ありがとうございました。

 ご講師は豊島学由先生。毎年3月の永代経ではお世話になっています。

 仏教の問題は、「生活」の問題ではなく「人生」の問題だというお話がありました。
 最近、考えていたこととリンクすることでした。
 


 仏教は、根本的には「暮らし」ではなく、「生きる」ことそのものを問題としている。
 だから、判りにくいし、日常問題としてなかなか立ち上がってくることはないのだろう。
 
 仏教は時代を超えて、いつも大事にされてきたといわれる。
 時代が変わっても大事にされてきたということは、そこには「時代が変わっても変わらない」になにかがあるからと考えることができると思う。
 仏教がずっと問題にしてきたこと。
 それは、「生・老・病・死」。人が、生まれ、老い、病み、死ななければならないということ。
 また、あるいは、どれだけ欲したとしても、求めるものがすべて手に入れることなどできないし、
 どれだけいとおしいと思った人であっても、避けがたい別れを迎えなければならない、という苦しみがある。

 起きて何を食べるか、どのような仕事して、どれだけお金を稼ぐか、何時に寝るか。どんな遊びをするか。
 あるいは、暮らしていくのにどんな知識が要るのか。
 これらは、時代によってどんどん変わる事柄だ。でも、仏教が根本で問題としているのは、そういった「暮らし」のレベルではなくて、単純に「生きていく」ことに、苦しみが避けがたいこととしてあって、不意にその問題が立ち上がってきたときには、決して無視することができない問題だということ。

 仏教を伝えるためには、まずは、仏教が問題としているのは、暮らしではなくて、こういうことなんですよ~と、認識してもらわないといけないだろうと考えていたわけです。



 法座をぐるっと見渡すと、そのような問題・苦しみを経験してきた人ばかりだ。
 僕はといえば、そういうことが「ある」ことは知りつつも、主体的な「苦しみ」としては、ごく軽いものを味わったに過ぎない。 得がたいこと、思い通りにいかなかった苦しさってやつはすこしはあったけれども、まわりの人たちを見て、引き比べてみると僕のそれはごくほんの一部で、まだその「苦」を味わっていないのだろうと思う。

2009年3月13日金曜日

つながり、つながり。

 あっという間の一週間。日々の予定を消化するだけでアップアップです。

 
 目下のところ、四月以降に向けて、勉強会を企画中。
 こちらも遅々として進みませんが、なんとか形にしたいと思うところ。


 さて、先日宗学院でいろいろとお世話になったメイスイさんから、ホームページ更新のお知らせが。 
勝明寺ホームページ
僕らの卒業式の記事も丁寧に書いてもらっています。 ⇒宗学院卒業式

 ということで、許可をもらってリンクさせてもらうことになりました。
 今後ともいろいろとよろしくお願いします。

 
 

2009年3月5日木曜日

体力の衰え

 仕事終わりに、母校H高校の体育館を借りてバスケット大会。
 ほぼ一年ぶりのバスケット。

 バテないように、体力と相談して(サボりながら)プレイ。
 それでも結構な疲労。

 筋力・体力の衰えは甚だしく、怪我をしないように気をつけてするのが精一杯。

 それでもまぁ、久しぶりにいい汗をかきました。

2009年3月3日火曜日

電車の中。

 旅行前に、hi-hoと契約して、モバイルのネット接続環境を手に入れました。
 (知る限り、もっともリーズナブルなモバイル接続)
 あ!こないだはキャンペーンは、2月いっぱいまでだったのに、5月まで伸びている・・・。
 このまま、ずっと延長し続けるつもりではあるまいな。

 電車の中からでもアクセス可能。
 メールを送るついでに、怠けがちになっていたこっちも更新。

2009年2月20日金曜日

時差ぼけか?

 たいして体調も問題ないと思っていたのに、やはりおかしな時間に途方もない睡魔がやってきた。
 そういえば、なんともないお昼の時間をすごす感覚もちょっと違うような・・・。
 
 もしかすると、身体は時差ぼけを体験しているのかもしれません。

2009年2月19日木曜日

地球の裏から


 昨夜、旅から無事に帰って来ました。
 地球の裏側で、テレビでよく見る風景などを見てきましたが、やはり生はすごかったです。

 
 

2009年2月6日金曜日

旅の支度

8日から、しばらく旅に出ます。
18日に帰ってくる予定ですが、準備はほとんど進んでいません。

2009年2月1日日曜日

結婚パーティ と バリのお菓子

1/31(土)
 夕方から、高校・大学の後輩モリ君の結婚パーティに招待してもらっていたので、京都の北のほうにあるこじゃれたホテルへ。
 披露宴の後の、1.5次会のような感じの立食パーティ。
 
 新郎の笑顔を見ていて、結婚のパーティというのは不思議なくらい屈託のない晴れやかな笑顔に遇えるものだなぁと感じ入る。あれほど何の曇りもない「笑顔」になれる場なんてそうあるもんじゃないと思う。

 新郎にお祝いを言いに行くタイミングを失してしまって、結局お別れの時に、ちろっと言葉を交わしたくらいだったのが残念。しかも、なんか変なこと言ってしまってたし。ああいう場面で話す言葉って難しい。


 宴がはねた後は、出席していた高校時代の仲間の一人が経営しているという北山のお店・バリガシへ。
 チャンスがあったからと、開店に踏み切ったそうで、売りメニューのバリのお菓子は、現地バリに行って、向こうのお菓子職人に習ってきたという本格派。
 古米のスイーツを頂くと、そういう話を聞いた重みも加わって、ほんとおいしかった。
 壁や机も、職人さんと一緒に本人が手を加えたという店のつくりには、気持ちがこもっている。

 
 大変なこともいろいろとあるだろうけれど、エイヤっと飛び込んだ選択に敬服。
 彼の生き方は、いろいろな道を選んだ昔の仲間たちをいろいろと考えさせているようだった。

 みんながんばってる。

2009年1月30日金曜日

犬の鳴き声

 けっこう前から、オス犬とメス犬の鳴き声の違いがわかるようになった。
 お参りをしていて犬の相手をしていると、なんとなく違いがわかるようになったようだ。
 最近は、確信的に判断することができる。

 これを人に言うと、ちょっと驚いてもらえる。だいたいの反応は、

「(オスとメスで鳴き声が)違うんですか?」と。

 ちがうのです。
 鳴き声の違いが判るようになってから、犬の鳴き声で性別を判断してほとんど外れたことはない。
 去勢した犬はどうかな~と思ったけれど、あれもオスの鳴き声をしていた。

 そういえば、変声期ってどうなんだろう。
 ・・・
 ということで調べてみると、犬にもどうやら声変わりがあるらしい。
 
 へぇ・・・。

2009年1月26日月曜日

奥さんのコメント

ウチの奥さんがのたまう。

「チミのブログには、仕事のことしか書かないのかね?」

そんなことはないのですよ。ほら、この通り。

そんな奥さんと先日、スピッツのライブに行きました。
(チケットをくれたsrutamさん、ありがとう)

人生初ライブ。
人生初大阪城ホール。
なれない場所で、ちょっとアウェイながら、非常に楽しみました。

音楽を楽しみながらいろんなことも考えた時間でした。
(そんな意味でも、充実していました)
例えば・・・

 ああいう状況で、身体的なアプローチ抜きに100%楽しむということは可能なんだろうか?とか。
 (単純にいえば、みんな踊っているのに、自分だけそこに加わらずにいて、かつライブの楽しさを100%味わえるかどうかとか)
 何のしがらみもなく、場に溶け込めるというのはそういう意味で、精神的にも、身体的にも外に向かって開放されている人だなぁと思ったりしてしまう。
 アンテナの受信感度と、身体の反応の感度が高いというか・・・。

 自分は(楽しみを享受するという意味で)ちょっと損をしているなぁ・・・とかと思いながら、それでも非常に楽しんで、あっというまに過ぎた時間でした。

2009年1月23日金曜日

テスト

 今年度担当した講義のテスト。
 試験監督をしながら、問題を解く学生さんたちの姿を見ていて、「テストの時間も濃密だなぁ」などと、時間の濃淡について、昨日に引き続いて思いをはせる。
 
 テストの一時間は単なる一時間ではなくて、それまでの努力・準備が一気に放出される極めて質の高い時間だ。大勢の人間が無言で一枚の紙に、一本のペンで向き合い、その単純な二つの道具に自分の持てるものを表現しようとしている。


 密度のある時間というのは、その時間を成り立たせる背後に厖大な努力とか苦労を積み重ねた時間が存在している。どれだけの努力や意識が費やされたかが大きく関わっているのだろう。
 そしてその時間は、放出されて終わりではなく、また次に訪れる密度の濃い時間を支える時間になるんだろう。

2009年1月22日木曜日

合気道七段

 水曜日は合気道の日。
 昨日は、稽古後、堀井師範が七段に昇格されたので、そのお祝いの会があった。

 七段ということ自体そもそもすごいことだけれど、それに加えて合気道に生きていくのだという志を持った方が、一つ段を昇るということは、生き方そのものに関わる大きな出来事なんではなかろうかと勝手に想像している。
 本人はさほど仰々しくおっしゃらないので。


 自分も初段になって、ときどき師範の技を受けさせてもらうことがあるけれど、正対したとき、なみなみならぬプレッシャーが身にのしかかってくるのを感じる。
 体の姿勢、足の位置、よけるときの裁き方、一つとして間違えられないという想いと、なんとなくではなく、自分の能力の100%に近い動きをしなければならない状況だということを、いやおうなく感じさせられる。
 何分かの時間そんな状況で稽古をしたあと、師範の技の受けから開放されて、他の人と組んで稽古を続けると、その師範と稽古した余韻が残っていて、自然と高いパフォーマンスが発揮され、「自分はうまくなっている!」と思うことが多い。

 師範と稽古をした何分かの時間の濃密さが、その余韻を持ってしばらくあとの稽古も支配しているように思えるのだ。そしてその余韻をなるだけ消さないように、長持ちさせるような気持ちで稽古を続けると、確実に「うまくなれる」という実感がある。
 その時間の濃密さは、能力を引き出される時間と言い換えてもいいかもしれない。
 
 合気道に関わらず、人の能力を引き出す人というのは、一緒にいる時間が非常に「濃密」に感じられることが人生の経験上わかってくるようになった。

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今日読み終えた本
坂出祥伸『中国古典を読むはじめの一歩』
反切や、版本、避諱改字などのなかなか扱われない情報について、中国古典の初心者向けに解説された入門書。
 著者曰く「本書があつかっているような事項は、せいぜい必要に応じて教えられるか、さもなければまったく教えられることがないと言ってよい」とのこと。けれども、こういうことのほうが実は、研究するものの素養として実は必須だったりすると最近痛感している。こういうことを知らないと、知らないだけでその能力がすでに見極められていたりするものだ。

2009年1月19日月曜日

寒い冬をあったかく

 ユニクロのヒーテックのタイツ。
 2年ほど前から冬の寒い日に着用中。
 今年はちょっと買い増しをしようと、ユニクロを見つけるたびに
 「ヒーテックのタイツありますか?」とたずねて回ってみるものの、答えはいつも「品切れです」

 みんな、この暖かさをどうやら知ってしまったようですね。
 
 この間、とある理由から百貨店で、ブランケット(ひざ掛け)を購入したとき、
 そこそこ名の知れた会社のアクリル製のものだけれども、売り場のお姉さんは
 「アクリルですが、ユニクロのヒートテックと同じ繊維で、保温力も高いです」と。
 ユニクロといえば、安い品をたくさんというはずなのに、そこそこの会社が自社の製品のアピールに堂々と用いるとは。

 ユニクロの「ブランド力」、品質の訴求力がそれほどにあるということなんだろうか。

 ユニクロといえば、昔から変わらず「リーズナブル」な製品を売っているというイメージがあるけれど、それを崩していないにもかかわらず、その製品の能力についてのイメージがどんどんとあがってきているということなんだろうか。
 「安さの割りに暖かい」ではなく、「安いにもかかわらず暖かい」といえる品質があるということなんだろう。

2009年1月17日土曜日

しまった!?

 愛機「Let's Note CF -T5」

 セキュリティソフトが「脅威」を確認して、駆除!。
 
 それほどネット接続することがなかったので、フリーソフトで対応していたけれど、持ち歩いてフリースポットなどでネット接続することが多くなったので、その脅威の発見をきっかけに、有料のセキュリティソフトを導入した。

 あんまり考えず、コストが安いからとソースネクストの「ウィルスセキュリティ」を買って導入したものの、ちょっと調べてみると、問題が!
 i-tuneと競合して不具合が出たらいやだなぁ・・・。

 とはいえ、買ってしまったし・・・。すでにインストールしてしまったし・・・。

 とりあえず、使ってみて、問題があったらまた考えよう・・・。

 やはり購入前にちゃんと検討しないとこんなことに・・・。

 

2009年1月14日水曜日

捻挫をした人

 先日、捻挫をした研究所のF丸先生に、
 バンデージとテーピングを渡して、足首のサポートの方法を説明。

 学生時代は、トレーナーの勉強をしていて、そこそこやっていたんです。
 龍大で勉強をしてNSCAにも入会して、CSCS(トレーナの資格)も挑戦してみようかと思っていたのです。
 卒論の作成と、大学院の進学で、結局こっちの道を選んでしまったわけですが、あの勉強もかなり自分の中では、形を変えて生きていると思います。

 全く違う分野のことをやっても、一生懸命勉強したことは無駄ではないのです。

 ひさしぶりに、テーピングを足首に巻いてみて、過去に勉強していたことをちょっと思い出しました。

2009年1月13日火曜日

とある写本の束。

滋賀県で古典籍調査。

今日の調査は巻子のみ。

包紙から史料を取り出す。

巻物を開く。(クルクルクル)
寸法を測り、調書に記入。(カリカリカリ)
特記事項も調書に記入。(カリカリ)
巻物を巻戻して閉じる。(クルクルクル)

包紙に再び戻し、調査済みの箱へ。

終日朝から夕方までこの繰り返し。

でも、何かしら心地いい。半日も繰り返してくると、何かしらわけのわからない充実感もやってきた。

生の史料に触れているという事実がそういう気持ちにさせるんだろうか。

何百年も前の僧侶が、一生懸命に書き写した息吹が伝わってくるような・・・。
特に今日はそんな印象を受ける書き込みがある史料を、大の男が四人がかりで、調書を取り続けた。

こんな作業は、単純だけれどいろいろな発見などがあって楽しい。
いとたのし。

2009年1月11日日曜日

中国語復活

この間の金曜日、しばらく休んでいた中国語の講座に復帰。
先生もひさしぶりにいったにも関わらず、笑顔で迎えてくれた。
ただ、9ヶ月以上のブランクはきつく、発音も読みもさび付いていて、また取り戻すのにがんばらないといけない。

こうやって講義を受ける場に身をおくと、いろいろなことに気づかされる。
特に啓蒙的な、カルチャー講座に行くと、あらためて勉強の楽しさとそれを伝える方法などについて考えさせられる。

専門的な知識を持っていない人に話す言葉はどのようなものであるべきかとか。

中国語を教わるだけではなく、教えることについても学んでいる。

教える立場に立っている身で、教わる立場に身をおけることは、非常に貴重なんではなかろうか。
以前から思っていたことだはあるけれど、ひさしぶりに講座を受けて改めて思い返した。

2009年1月10日土曜日

羅生門を思い出す

とある番組のとあるシーンを見て連想的に思ったこと。

(公式の会見場で、場違いな、きわめて一俳優の個人的な部分についての質問を、手順も踏まずに俳優に投げかけ、その場にいる人たちを不愉快にしている芸能記者の言動を見たのです)

 ある人たちは、他人のプライベートに踏み込み、あるいはその質問をされた人、追いかけられた人を不愉快にし、また、傷つけることさえもいとわない。
 彼らはもしかすると、その所業を糾弾されたときに、「大衆の興味だ」、「自分は自分の仕事をしているのだ」、「自分はこれで飯をくっているんだ」と反論するのかもしれない。

 彼らの発する自己を正当化する論理を予想してみると、芥川龍之介の『羅生門』を連想してしまった。
 羅生門の上で、老婆に出会い、生きていくためには仕方ないではないかと、悪に踏み込んだあの下人。
 
 彼らは、あの下人と変わらないではないか。



 自分を正当化する論理というものは、どこにいても、どのようにしても、簡単に出してくることができるものだ。その自己正当化の最たるものは、「自分が生きていくためには仕方ないではないか」ということになるだろうか。

 あれ?それを敷衍していくと、自分も下人になってしまうんじゃないか?

 ふと、『羅生門』を思い出したので。 

2009年1月9日金曜日

最終講義

 大学での今年度最後の講義。
 3年間講義を持たせてもらって、これで一区切り。
もしかしたら、また声がかかるかもしれないけれども、もしかしたら、もう声がかからないかもしれない。
とりあえず、自分の中では、退職の最終講義。

 自分の頭の中で描いた絵と、実際の講義の中身とはギャップがあって十分に伝えるべきことを伝えられたかは心もとないけれども、提出してもらった感想では、学生さんたちには、ちゃんとした「顔のある一人の講師」として認められていたようでよかった。

 問題は、来年からこの「講義の為の時間」が一週間のルーティンから消えてしまうわけで。
 その濃厚な刺激も、得られることがなくなってしまうわけで。
 この抜けた穴をどう埋めようか・・・。


 講義の最後に言ったこと。

 講義のなかで、たまに文献の内容を茶化して、おもしろく伝えようとしてきたわけだけれど、頭のどこかには、それが大事な何かを台無しにしているのではないかという可能性も思っていました。
 文献に書いてあること、お聖教に書いてあることは、読み込んでいくと面白い。ハチャメチャなことや理不尽なこともあるし、わけがわからないこともある。
 でも、面白いだけで終わるものではないのです。僕が最初に教わったことは、このいま手の中にあるお聖教は、開く前に頭の前に押し頂いて開くものだということ。床などの直に足の踏み場となるようなところにはおいてはいけないものだということ。
 それだけ大事にされているもの、大事にされるべきものなんだということなんです。
 先人たちが、苦しいときに、生きていくうえで、ここに書かれていることをよりどころとして生きた重みがある。自分の生き方をたずねていったという重みがある。この一字一句の読みかたに命を懸けて、牢屋に入っても、火の中に入っても守ろうとした重みがある。
 そうやって伝えられてきた重みのあるものなんだということ。
 すぐにはわからないかもしれないし、ピンと来ないかもしれない。
 でも、生きていって経験をつめば、あとになってわかるかもしれない。

 若い講師が、アツさに任せて何か言っていると思ってもらってもいい。
 でも、頭のどこかに、いま目の前にあるものはそういうものなんだということを、置いておきながら、勉強を続けていってもらえれば、と思います。

2009年1月6日火曜日

仕事始め

 ネット難民は、今日もフリースポットでネットにアクセス中。
 
 仕事始めは、打ち合わせ、メール書き、文案作り、打ち合わせ、まとめの文書作成と、アウトプットの一日。

 インプットといえば、朝の電車の『日経アソシエ』、今日が最新号の発売だけれど、昨日ぎりぎりで前号を入手。テーマは「チェックリスト」。
 中の連載記事のひとつに、「モテる男の消費行動とモテない男の消費行動」の比較を紹介した記事が。自分はというと、後者の消費傾向と一致・・・。

  
 今月17日に、自坊勉強会の報恩講の講師として、SS木先生(旧姓・K島先生)に依頼。快く引き受けてくださいました。ありがとうございます。
 
 今日はアマゾンのショッピングサイトを構築してみようと思います。
 現在試み中。

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追記: 右側にアマゾンとのリンクができました。 
自分のお気に入りの本のリストもできるようになりました。
買い物もできる・・・。



 

2009年1月5日月曜日

引っ越しました!! ブログ再開!!



おひさしブリーフ。



ブログを乗り換えて新しく始めました。

アドレスはこちらです。



ぶつぶついうねん(ver.2.00)http://ryogo1977.blogspot.com/



改めてよろしくお願いします。



トラックバックはできなくなりましたが、コメント欄はあります。





あけましておめでとうございます。 ブログ再開

 あけましておめでとうございます。
 昨年三月の末の書き込み以来、中断していたブログを復活させます。
 ブログ開設以来の乗換えで、google系列のブロガーになりました。
 あたらめて、よろしくお願いします。

 とはいえ、現在自宅はネット接続できる状況にないものだから、フリースポットで接続中。
 一番経済的な手段です。
 しばらく私的なネット接続は、これに頼ることになりそうです。
 だもんで、更新の頻度はやはり「不定期」の予定です。


 お正月モードも今日まで。
 年末から昨日までは、お寺のことやら、親戚への挨拶やら何やらでいろいろとあって、今日が実質的にはじめての休みらしい休み。
 明日からの平常運行に向けて、リハビリに京都に出てきました。
 研究所で、ぼそぼそと、『隋書』の文献研究の下調べをしてすごしました。

 

「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...