接続詞の使い方に人の思想はあらわれる。
たとえば、「だから」と「しかし」
順接・逆接と全く反対の言葉であるにも関わらず、同じ文脈に使うことができる。
アイツが憎い。「だから」・・・。
と言えるが、
アイツが憎い。「しかし」・・・。
とも言える。
自分は正しい「だから」・・・。とも、自分は正しい「しかし」・・・。
とも言える。
どの接続詞を使うかで、次にくる言葉が変わる。
文脈上の正誤はあっても、
状況に対してどの接続詞を使うかということについて正解はない。
「だから」を使う理由があればそれと同じだけ、「しかし」を使う理由もあるはずだ。
僕たちは、自分の都合のいい方の接続詞しか、頭に思い浮かべないことが多い。
立ち止まることが必要だ。
いまこういう状況だ。「だから」なのか。「しかし」なのか。
自分の都合のいい方に、やすきに流れることを戒める。
結局、僕たち人間は、なんとでもいえるのだ。
僕たちが振りかざす論理は、結局「虚仮」なのだ。
2009年12月4日金曜日
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