接続詞
接続詞の使い方に人の思想はあらわれる。
たとえば、「だから」と「しかし」
順接・逆接と全く反対の言葉であるにも関わらず、同じ文脈に使うことができる。
アイツが憎い。「だから」・・・。
と言えるが、
アイツが憎い。「しかし」・・・。
とも言える。
自分は正しい「だから」・・・。とも、自分は正しい「しかし」・・・。
とも言える。
どの接続詞を使うかで、次にくる言葉が変わる。
文脈上の正誤はあっても、
状況に対してどの接続詞を使うかということについて正解はない。
「だから」を使う理由があればそれと同じだけ、「しかし」を使う理由もあるはずだ。
僕たちは、自分の都合のいい方の接続詞しか、頭に思い浮かべないことが多い。
立ち止まることが必要だ。
いまこういう状況だ。「だから」なのか。「しかし」なのか。
自分の都合のいい方に、やすきに流れることを戒める。
結局、僕たち人間は、なんとでもいえるのだ。
僕たちが振りかざす論理は、結局「虚仮」なのだ。
たとえば、「だから」と「しかし」
順接・逆接と全く反対の言葉であるにも関わらず、同じ文脈に使うことができる。
アイツが憎い。「だから」・・・。
と言えるが、
アイツが憎い。「しかし」・・・。
とも言える。
自分は正しい「だから」・・・。とも、自分は正しい「しかし」・・・。
とも言える。
どの接続詞を使うかで、次にくる言葉が変わる。
文脈上の正誤はあっても、
状況に対してどの接続詞を使うかということについて正解はない。
「だから」を使う理由があればそれと同じだけ、「しかし」を使う理由もあるはずだ。
僕たちは、自分の都合のいい方の接続詞しか、頭に思い浮かべないことが多い。
立ち止まることが必要だ。
いまこういう状況だ。「だから」なのか。「しかし」なのか。
自分の都合のいい方に、やすきに流れることを戒める。
結局、僕たち人間は、なんとでもいえるのだ。
僕たちが振りかざす論理は、結局「虚仮」なのだ。
コメント
コメントを投稿