2009年12月4日金曜日

接続詞

 接続詞の使い方に人の思想はあらわれる。
 たとえば、「だから」と「しかし」

 順接・逆接と全く反対の言葉であるにも関わらず、同じ文脈に使うことができる。
 
 アイツが憎い。「だから」・・・。 

と言えるが、

 アイツが憎い。「しかし」・・・。

とも言える。

 自分は正しい「だから」・・・。とも、自分は正しい「しかし」・・・。

とも言える。

 
 どの接続詞を使うかで、次にくる言葉が変わる。
 文脈上の正誤はあっても、
 状況に対してどの接続詞を使うかということについて正解はない。

 「だから」を使う理由があればそれと同じだけ、「しかし」を使う理由もあるはずだ。
 僕たちは、自分の都合のいい方の接続詞しか、頭に思い浮かべないことが多い。

 立ち止まることが必要だ。
 
 いまこういう状況だ。「だから」なのか。「しかし」なのか。
 自分の都合のいい方に、やすきに流れることを戒める。

 結局、僕たち人間は、なんとでもいえるのだ。
 僕たちが振りかざす論理は、結局「虚仮」なのだ。

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