2017年12月12日火曜日

12/9(土)「ファシリテーターのあり方に宗教はどう影響しているか?」(感想・その2)

昨日は、週末にあったワークショップについて、流れと備忘録のようなものを書いた。
https://ryogo1977.blogspot.jp/2017/12/171209.html

 昨日の投稿は、参加者もあることだし、有料の会の内容について、どう書いたものかとか、そうでなくてもいろいろと焦点を当てたいことがあって、メモ程度の書き連ねになってしまっていた。

 さらに一日経って、また当日起こったことが少しずつ消化できたり、まとまりになってきた印象もあるので、忘れないうちに続編も書いておこう。

■参加者について
 講師・運営・参加者、その場にいた人は合計で13名。
 それぞれ、ファシリテーションやそれに類する経験があったり、信仰の有無、また仏教、キリスト教、山伏修行など、それなりの多様性がもたらされる場だった。
(「それなり」というのは国籍とか、イスラム教徒の方とか、寄り幅広い多様性があってもよかったなぁという声があったことによります)

 仏教では、キリスト教では、山伏ではとか、キリスト教のなかでも○○は、仏教なかでも浄土真宗はとか、なかなか触れることのない知識の提示や、刺激の中からそれぞれのスタンスや共通点が出されていたのは、宗教間対話としての内容もあったように思う。
 それぞれ、社会に対して活動するフィールドを持っているからこその場、であったのだろうなぁ。

■場のしつらえ、場のありかたについて
 会の中で、川中さんのお話に「ファシリテーター(ファシリテーション)」のあり方に、 表層的から深層というような三角形のようなイメージで
     △ 
  「テクニック」
   「スキル」
 「プラン・仕掛け・準備」
「ファシリテーターのあり方、根底」

というようなあり方ではないか、という提示があった。
プラン・仕掛けという意味では、 会場を提供したということで、ありがたいことに主催者お二人の当日の準備や打ち合わせからご一緒させていただいて、その一端を見せていただいたような思いもする。
 例えば、受付の設置場所、お菓子・湯茶の置き方、参加者の座るシチュエーションや、全体のバランスをみた道具・備品の選択、「場」をどうコーディネートして行くのかといことの配慮から、すでにその日の場の作り方は関わっている。その様子を見ることで、準備の段階から参加者に対する「投げ掛け」がはじまっていたなぁと思う。

 また、今回のテーマが、ファシリテーションの仕方ではなく、「ファシリテーターのあり方」を問うものであるということの意味もこの構造を通して理解できるように思われる。その人の一番深層にある根底的な部分(場合によっては信仰・宗教)が、実際にそれよりも表層にある場の作り方、人との関わり方、スキル・テクニック全体にわたって、にじみ出ていくものなのだろう。そういう意味では、自身の奥底に根ざしているものを見直すこと、あるいは、自身の奥底で何を求めているのかを選択した「ふるまい」から考え直していく作業もまた必要なのではないかと思う。
 
■ファシリテーションについて
 体系的にファシリテーションを学んだことのない者、でも「場」を作ることを志している者として、プロのファシリテーター二人の振る舞いを身近に見れるいい機会だった。
その意味では、場に投げ掛けられたものを考えるのと同じくらい、主催者のファシリテーション、ファシリテーターとしての振るまいを観察するような思いで過ごしてもいた。
 印象的だったのは、マーキーさんがこちらの期待通りに「しなかった」こと。
 場をどう動かすのだろう、なにを投げ掛けてくれるのだろう、と期待して視線を送っていた。でもその期待は、多くの場合、空振りに終わっていて肩すかしをくらった。むしろ、視線が合ったときには、こちらの「期待」を見とおされていて、「そちらがどうぞ」といわれているような。
 (カウンセリングや傾聴の場面でもしばしばあるような)沈黙や、重たい空気もじっと待つ胆力を見せつけられるような感覚。あるいは、これが「場」や参加者に対する信頼ということなのだろうかと考えるような時間でもあった。

 全体を通して、ああいう空気の中で、参加された人たちと一日の場をすごしたといこうことは、学びと気づきの多い時間だったということは間違いない。

 あー、おもしろかった。

2017年12月11日月曜日

12/9(土)「ファシリテーターのあり方に宗教はどう影響しているか?」 

2017年12月9日(土)、標題のイベントが西正寺を会場に実施されました。
http://active-citizen.jp/facil171209/

 青木 将幸(マーキー)さん(青木将幸ファシリテーター事務所代表)と、川中 大輔(シチズンシップ共育企画代表)さんの共同企画。この企画のお話をいただいたときから、開催を楽しみにしていました。

開催時間は、10:00から17:30という長丁場。
講師・参加者含めて全員で13名で、一日を過ごした。

10:00参加者集合。
このテーマに引かれてくるだけあって、それぞれがファシリテーターとしての活動や信仰を持っている方、宗教に関心のある方など、多様。
明確な信仰をもっている、というひとと、そうでなない、むしろ信仰を持っていないという人も交わる。またお寺が会場にも関わらず、クリスチャンが何名もいらっしゃったことも大変興味深い。


(会場入り口の様子)

10:00開催
 趣旨説明、諸連絡があって、まずは自己紹介から。
 時間はたっぷりあるからと、せかされることなく、それぞれ活動や関心を話される。
 


 その後、一つめのセッション(といっていいのかどうか)
 マーキーさんから、11才の娘さんが「おとうさん、宗教ってなに?」という問いがでたら、どう答えますか?という問いかけに対して、それぞれの回答を出し、語り合う。





さまざまな答えがでて、それらがいずれも的を得てうなずかされる。
「宗教」と「信仰・信心」のことばもつニュアンスや受け止めの違い。
また同じ「宗教」ということばであっても、それぞれがもつ印象・受け止めの違い等もあらわになって興味深かった。










お昼休憩1時間。
お昼ご飯は、持参した人、食べに出る人とそれぞれ別れる。
上坂部で40年はしている喫茶店「真利亜(マリア)」を紹介すると、
クリスチャンの方がたくさんいらっしゃる場で、笑いが起こる。
(お店に聞くと、お母さんがクリスチャンだったことと、近くのクリーニング屋さんだったかの名前が気に入って、ということがあったらしい)

午後最初のセッションは、
マーキーさんによる、山伏修行に関する体験から。
マーキーさんが持ってきた「ホラ貝」をみんなで回し吹く。フルートを経験していた参加者の方が、うまい。やはり、コツがあるらしい。

(写真・まるちゃん撮影)




山伏修行では、何をいわれても質問禁止。「うけたもう」と引き受けて、反論してはいけないらしい。すべてを受け容れていくという。

参加者からは、キリスト教の礼拝の形式、
ファシリテーターのあり方など話が展開する。
頼れる・頼られるファシリテーターではなく、つたなさや、足りない部分があっても、いやだからこそ、「安心」を周りに伝えられるということもあるのではないかという問いかけから展開した話が興味深かった。

キリスト教では「ときあかし」。われわれ浄土真宗では「おとりつぎ」。
説教をどう呼んでいるのか、というのもおもしろい。
共通点や、根っこにある考え方で通じるものを感じる。

休憩

午後二つめのセッションは、浄土真宗の礼拝(体験)から。
本堂に移動して、十二礼のお勤めと、すこし話題提供を中平から。
その後また、会場を座敷に移して、話し合い。
マーキーさんから、「一つお説教をして下さい」という、
芸人さんに「なにかおもしろいことしてよ」的なフリから、一つだけお話をご紹介。

その後、ファシリテーターと宗教者のあり方についてについても話が展開。
プロのファシリテーターを準備するかどうかは、
自分たちでもできる仏事に、僧侶を呼ぶかどうか、というスタイルに通じるものがあるようなハナシに。

その後、3人グループを作って、対話の時間。
それぞれのグループで話し合った後、
また輪になってふり返り。

片付けして、終了。有志で、懇親会に。
会場は、上坂部の「ふる里」。これだけ食べて、この値段!? 美味しかったとみなさん喜んでいただける。また、懇親会での話しも、ワークショップのエクストラタイムのような時間で、とても楽しく刺激があった。



「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...