2011年12月19日月曜日

仏教についての雑想(その1) ※続くかどうかはわかりませんが

仏教について、ふと、なんとなく思ったこと。

仏教は、「ハッピー」になることを追求したり、「楽に楽しくいきよう」という思想ではないと思うのです。
むしろ、人生には「避けがたい苦しみ」があることを正面から受け止めることを要求していると思うのです。

だからといって、すべての苦しみを甘受しようというのでもなく、すべての楽しみを放棄せよというのでもないとは思います。しかし、「苦しみ」を消し去ってしまうのではなく、苦がありながらその苦しみを超えていこうという思想なわけで、だとすると、その態度というのは、
「まわりを自分の都合に合わせて改変していこう」という態度より
「まわりの状況を受け入れていこう」(まわりの状況を受け入れられるように自己を変えていこう)という傾向があるのではないかな、などと思いました。

こういう態度は、むしろ「革新」よりも「保守」的な傾向を有するのではないかと思ったり。
右とか左とかいわなくても、とりあえず、変化を好まず、現状で満足して受け入れいていく態度っていうことができるのではないかと思うのです。

しかし、一方で単に現状を甘受するだけではなく、斬新さや、革新的なものが仏教をベースにうまれてきたりもします。これは上に言ったこととは正反対で、「まわりの状況を変えていくエネルギー」のようなものも仏教のなかにはあるということではないかとも思います。
なにがそうさせるのかな、と考えたときに「執着」を否定するということから、「現状にとらわれない」→「斬新な新しい発想」を生み出すという連想をしましたが、さて、どうでしょうか。

ともかく、現状を変えず受け入れていく素地も、逆に変革し、新しいものも生み出していく素地も仏教の中にはあるのではないかな?と思って、それはどこからくるのかなぁと考えたりしたわけです。

だらだら書きました。ごめんなさい。



2011年12月11日日曜日

丸刈りとあかちゃん

だいぶん髪の毛が伸びたので、散髪をしました。
数ヶ月ぶりに、丸刈りにしました。
丸刈りにもどりました。

髪を切り終えて、娘の顔をみると、
「誰?」って顔をしました。

髪を切りすぎたせいで、「お父さん」を認識できなくなってしまったようで・・・。
なんだか寂しい気持ちになりました。

しばらくすると、元に戻ったようにも思いますが、
改めて考えてみると、「お父さん」とそもそも認識していたのかどうか・・・。
「知っている人」か「知らない人」くらいの認識だったのかも知れないと思ったり、思わなかったり・・・。

2011年12月4日日曜日

最近の日曜日

日曜日は、当然ですが月曜日の前日。
今年度は、月曜日にふたコマ講義にでているので、準備をせねばならないのですが・・・

午前中、お寺の仕事としてのお参りをすると、
午後はついつい、うちのお嬢さまとのんびりとした時間を過ごしてしまい・・・。

深夜から早朝になんとかレジュメを作ったりして取り繕うという、この数週間・・・。
今年度の講義もあと5回程度。
もう終盤です。
ちゃんとやらねばなりません。

2011年12月1日木曜日

滋賀でリフレ


昨日、一昨日と連日、滋賀県の文化財調査で奥琵琶湖、長浜市の旧西浅井町エリアへ。
同じ琵琶湖でも、大津のあたりとまったく雰囲気が違う。
「のどかな」という形容詞がふさわしい、湖畔の地域に行った。

二日間、そんなところでの仕事にいかせてもらったせいか、ちょっとメンタル的にフレッシュな感じで仕事に向かえた今日の一日。
とはいっても、脳天気にオールオッケーではなかったけれども。


滋賀での調査の合間、琵琶湖の波打ち際で、波音を聞き、水のうちよせる様子を、
ほんのわずかな時間だけれどながめる。

調査先の寺院で向かえてくださった、檀家総代、役員の方が、本堂の縁側でお茶をごちそうしてくださった。そのときに、縁側に腰掛けて、山の紅葉や、のどかな田園風景をながめる。

こんなところで過ごす「日常の一日」に、ふとあこがれた瞬間。

あまり、都会都会したところにいると、生きてること自体、なにか不自然になってしまっているんではなかろうか、なんてことさえ、頭によぎった。

ふっと、いろんなものから「離れる」ことも、大事だなと。




2011年11月23日水曜日

レッツノート メモリ増強

9:45記録。

昨日、注文していたメモリが到着。
バッファローの1GB。
朝、すこし時間があったので、さっそくメモリの換装を。

以前までつけていたのは、アドテックの512MB。
レッツノートを中古で購入したときに、ソフマップで一緒に買ってつけてもらったので、
開けてみて、「ああ、アドテックだったのか」と気づく。

メモリの換装は、予想以上にあっさり。
3分ほどで完了。

早速起動してみるが、
それまで3:58を記録していたブートタイムが、4:08まで落ちてしまった・・・。
重くなっている!?

しかし、そのほかの動作は、心持ちスムーズに感じる。
起動が遅くなったのは、最初だからか?もう少し様子を見てみることに。


12:00記録
3:56まで改善。
気になるのは、セキュリティソフトの起動時間が延びていること。
そのほかは、順調。
にしても、メモリを500MB増強して、1.5倍になったのに、5秒も改善されないようでは、ちょっと寂しいなぁ・・・。


13:00記録
3:40まで改善。
プログラムの設定なども変更したこともあるけれど、まぁ、十分満足できる改善かと。
セキュリティソフトで150秒かかっているようなので、それを変更したりして速度が改まると、
もっとはやくなるのかな?

2011年11月21日月曜日

酔った場合の寝息について

昨夜は、後輩の結婚祝い。少々深酒してしまったようだ。朝、目が覚めて、お酒が残っているのを感じる。 寝方も褒められたものではない。終電で深夜に帰ってきた。帰るなり、服を脱いで、そのまま布団に潜り込んだような体である。
しかし、講義のレジュメも作らなくてはならない。5時頃に起きだして、目覚ましにシャワーを浴びる。
居間でパソコンを立ち上げ、座る。水分として、昨日バザーで買ったリンゴジュースをマグカップに入れて飲む。
レジュメの作成作業はあんまりすすまない。その内に、眠気が再び襲ってくる。仮眠を取った方が効率が良さそうだと踏んで、毛布にくるまって、その場で横になる。

お酒が残った状態の朝の仮眠は、心地よいものがある。落ち着いてくると、乱れていた呼吸が規則正しくなってくるのが、かすかに意識にのぼってくる。寝たか覚めたか、という状態。 まどろみの中で、深く、落ち着いた呼吸が繰り返されると、その一息一息に、アルコール分が抜けていくかのような気持ちになる。
徐々に、しらふへの道を進んでいるような、確かな足取りのようなものを感じる。 「気持ちよい」と感じる事柄の一つ。

やがて、また、むっくりと起き出して、レジュメの制作に復帰した。

2011年11月19日土曜日

レッツノートの改善策について

メモリの増強を検討中。
http://ctlg.panasonic.jp/product/info.do?pg=04&hb=CF-T5LW4AXR

公式サイトでも、1.5GBまでのメモリの増強は可能と記載。
ん~、買ったときには、1GBまでっていわれて、買い足したように思うんだけどなー・・・。
ともかく、増強する方針は決定。 あとは、どこまで認識してくれるのか。
口コミで噂を調べてみています。

IOデータだと、これのようです。
http://www.iodata.jp/product/memory/microdimm/ldx533/

バッファローの対応表は、これです。
http://buffalo.jp/search/pcnew/index.php?id=53058&category[]=2&category[]=1&category[]=5&category[]=9&type[]=&form_name=maker&action_index_detail=true

※※※※※
結果:バッファローの1GBのメモリを購入。
    到着を待ちます。


レッツノート高速化に挑戦中。

起動が遅くなっている、愛機・Let's Noteくん。
快適さ向上のために、いわゆる「高速化」に挑戦中。
OSは、winXP-sp.3

『日経PC21』を参照しながら、

○「Soluto」(ソルト)をインストールして、起動プログラムのコントロール。
(当初、エラーが生じた。 ネットで検索して、対応方法を調べたところ、利用している、セキュリティソフト 「ウィルスセキュリティゼロ」が原因とのこと。 パッチをインストールしたところ、解決。ただし、やり方が悪かったためか、少々解決までに時間がかかった。)

○「自動アップデートの履歴」を削除。
(1) マイコンピュータ(右クリ)→管理(コンピュータの管理)→「サービスとアプリケーション」の[Automatic Updates」を選択して、「停止」。
(2) C・WINDOWS・SoftwareDistribution・DataStore内の「Logsフォルダ」と「DataStore.edb」を削除。
(3) (1)を再び選択して、「開始」を選択して戻す。
(180MBもの無駄ファイルを発見!)


○「CCleaner」で、不要なファイルなどを削除。
200MBバイトも削除可能だった!

○同じく「CCleaner」で、レジストリの問題点を解決。
(1126もの問題点を発見。解決した)

○隠しファイル化されていた、アップデートのデータの削除
(「$NTServicePackUninstall」、「$Uninstall」関連のファイル)
(購入当初の2006年から、1GB余りのファイルの削除が可能だった!)

○ついでに見つけた、ie7関連のファイルも削除(200MB余り)
IE8だし、更新されていないし、不要と判断して削除。

○メーラーに残されていた数MB~10MB以上のファイルを削除。
(添付ファイルが中心。よくもまぁ、こんなファイルがあったもんだと・・・)
※Windows Live メールは、最適化は不要とのこと。最適化処理はできなかったけれど、
ときどき、勝手に「最適化しますか?」って聞いてこられたことを思うと、なにかしらの処理は可能なようだけれど・・・。

○「Smart Defrag 2」をインストール。デフラグする。


※※※※※※
再起動実験
シャットダウン: 1:40秒程度
立ち上がり   : 4:10秒程度

かなり早くできた印象。

※※※※※※
立ち上がり(ブート)、3:59秒まで改善した。
(11/19朝の段階で)



2011年11月14日月曜日

法務つれづれ

昨日の法務は、感じ入ることの多いお参りだった。
印象深いことがらを二つ。

■休みの日には、家族揃ってお参りしてくださるおうち。
おばあさんの一言「百回の電話より、一回顔を見せてくれる方がいい」。
いつも、休みの日には、子どもさん夫婦、お孫さんなど、たくさんでお参り。
頻繁に集まってくれるから、ありがたい、ということをおっしゃっての、上の言葉。
最近、「人と会う」ということの意味を考えることが多いので、とても頷かされる言葉。

■私たちの「つとめ」
若くして亡くなられた奥さんの49日法要。
勤行を終えて、すこし法話。 ご主人が涙を流しておられるのが見える。
しかし、「悲しみ」の感情については、何もおっしゃらない。

ほぼ、初対面のような状況で、お勤めすることがある。
こちらから、なにか踏み込んでいくこともできないし、
一通りの法要が終わった後は、世間話や、今後の仏事についてのお尋ねがあったくらい。

終わった後、この方たちの「悲しみ」に向き合えたのか、
自分がいたことの意味はあったのかなぁと、自問。
なにができたのかなぁ、どうすべきだったのかなぁと自問。
なにかをして、解決しようという思いではない。
「傷つけずに、その場にいる」方法はあるのかどうか、のような思いが、昨日は強かったのかも知れない。

いろいろと、考えることは、多いです。 何ができると胸を張れることも少ないです。
でも、その場に、いたことの意味をなにか、考えてはいきたいのです。

悲しい現場に向き合う友人たちのおかげで、以前には気がつかなかったことに思いが向くようになったようにも思います。

大遠忌法要、参拝

一昨日の土曜日。お参りの件数が少なかったこともあり、法務は父にお願いして、
妻子を連れて、ご本山の大遠忌法要に参拝。

車で行きましたが、駐車場はとある場所に、後輩のコネを利用するなど、
数件、友人方のお力をお借りしました。
「みなさま、ありがとうございます」な、参拝道中でした。

□法要について
 日頃は、勤務のこともあって、一部だけは法要に立ち会わせてもらっていたけれど、
参拝者という立場で、始終法要に座らせていただいていると、いろいろなことを感じました。
 第一に、最初から最後まで、法要にお参りさせていただいていると、断片的に関わっているより、ずっとありがたく感じました。やはり、「全体」で一つになっているものを、部分部分で見てしまうと、まったぐ違うものに見えてしまうのかな。
 また、普段は「働いている側」にいるだけに、いろいろなところでの気遣いや、働いている人のお姿が参拝者側から見えたのも、ありがたかったです。
 たくさんの方の尽力で、成り立っているのだなぁと。

 ともかくも、「50年に一度のご勝縁」、妻子とともに、参拝できたことは、よかった。

□周辺散策について
 法要参拝に併せて、いくつかの場所を巡りました。
 ・学生時代から、ちょくちょくお食事をいただいている「麒麟亭」(http://www.kirin-tei.com/)で昼食。
 ・日頃から、お世話になっている先生にも、娘と会っていただけたし。

 半日、京都を満喫した、土曜日でした。

2011年11月7日月曜日

セミは夏を知らない


今日は一日出講日。
龍谷大学で、仏教の思想(深草)と、真宗学概論(瀬田)。

相変わらずの自転車操業。
「仏教」の魅力や、意味をもっと一緒に考えるような講義にできればいいと思いながらも、
なかなか実際には・・・というところ。

今日、二つ目の講義の最後に、曇鸞大師の『往生論註』に書かれている、次のような喩えを紹介した。

「〓(虫ヘンに惠)蛄は春秋を識らず」といふがごとし。この虫あに朱陽の節を知らんや。
(夏に生まれる蝉は、(二週間ほどで死んでしまうので)春や秋を知らない。この虫はどうして夏の季節を知っているといえるであろうか。)




夏に生まれる蝉は、二週間ほどで命を終えてしまう。そのため、もちろんのことながら「春」や「秋」を知らない。(しかし、春や秋を知らないということは、)この虫が(生きている)「夏」という季節をどうして知っているといえるのであろうか。(いえないではないか)

という位の意味であろう。
学生さんたちも、いろいろと感じてくれたようだ。
自分が今立っているところは、知っていて当然と思えるのだが、果たして知っているといえるのだろうか。今いるところしか知らないというのは、実は、今いるところさえも知ってはない、ということになるのだろう。

 自分にとっては、自分の認識の危うさ、そんなことを考えさせられることば。

2011年11月6日日曜日

「グローバリゼーションと多元化する宗教」というテーマで

昨日(11/5土曜)のことですが、午前中の法務(お参り)のあと、
午後から、京都の流響院(http://www.ryukyoin.jp/)という
真如苑の別院で開催されたシンポジウムに参加してきました。
テーマは「グローバリゼーションと多元化する宗教」(Globalization and Pluralism of Riligion)
アメリカの大使、大学の先生4名がパネリスト。
全部英語で話されました。質問も英語。
十分に理解はできませんでしたが、頭の刺激には十分すぎました。

すばらしい庭園と建物で、絶景のロケーションでした。

英語も勉強しなければいかんなぁ~。

2011年11月3日木曜日

かなおかしんぶん

「金岡新聞」をラジオ(ABC「ドッキリハッキリ三代澤康司です」11/3)で知る。
和歌山の小学生が一人でつくっている新聞。

http://www.nwn.jp/kakokizi2011/20110521/1/1.html

こちら、実際の紙面が見れます。
http://www.nwn.jp/kanaokanewspaper/kanaokanewspaper1.html

東京・渋谷のフリーペーパー専門店「only free paper」でも好評ですぐなくなるとか。

ラジオで三代沢さんと話していたのを聞く限り、

(祝日なので電話出演)
すごく、魅力的な小学生でした。

2011年10月22日土曜日

ご参加御礼とアドレスの管理

先日は急な告知にもかかわらず、転送していただいたり、お手回しいただきありがとうございました。
おかげさまで、盛況な会になりました。

数日前にメールでも案内を流してました。
ところが、メールアドレスをチェックしていると、
まわすべきところのアドレスが抜け落ちていたり…。

職場で管理されているアドレス、
PCのメーラーで管理されているアドレス、
gmailなど、Webで管理されているアドレスといった具合に一元化されていなかったり、
きっちりと名前をつけて、管理されていないアドレスがあったり。
早急な整理が必要など痛感しました。

すこしづつですが、暇を見つけて作業を進めていきます。

2011年10月19日水曜日

ご案内:第7回 別離の悲しみを考える会


うっかり、当日になってしまいました。
今日、本願寺で以下のような取り組みがあります。 急なご案内でもうしわけありませんが、
お時間のあるかたは、是非。


【転送・転載歓迎】
◆◆━◆◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
        葬儀社からみた「葬儀」とは?
                   講演会のお知らせ

     2011年10月19日(水)西本願寺・聞法会館
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◆━◆◆

近年、葬儀をめぐっては、さまざまな視点から活発な議論が行わ
れています。このたび、教学伝道研究センターでは、近年遺族の
グリーフケアに積極的な取り組みを行い、『グリーフケア―見送
る人の悲しみを癒す―』(毎日新聞社)の著者でもある公益社代
表取締役社長の古内耕太郎氏を招き、葬儀社からみた葬儀の現状
と課題について考える講演会を開催いたします。
また、あわせて日本では数少ないエンバーミングを行っている関
西エンバーミングセンター副センター長の宇屋貴氏とともに、新
しい葬儀のあり方について学びを深めます。

 ●名称 第7回別離の悲しみを考える会
     「葬儀とグリーフケア」
    古内耕太郎(株式会社公益社代表取締役社長)
    宇屋貴(関西エンバーミングセンター副センター長)


 ●日時 2011年10月19日(水)
     13:00~15:00(入場無料・申込不要)
 ●場所 西本願寺 聞法会館3階 研修室①
     京都市下京区堀川花屋町上ル  Tel 075-342-1122
     http://monbou.jp/
 ●主催 浄土真宗本願寺派教学伝道研究センター
     http://crs.hongwanji.or.jp/kyogaku/

2011年10月17日月曜日

ITのリテラシー

講義の最初に、小テストを毎回しています。

今日、ふとテスト中に歩いてまわると、何人かの人が、スマートホンなどで
ウィキペディアを閲覧して、解答を探している模様。
小テスト自体は、確認とか前回のリマインドを目的としているので、本来は、
何も参照しないで思い出して欲しいのだけれど。

しかし、知らないことに向き合う態度としては、現代的だなぁと、感心してしまう。
使えるツールを使い切って、求めるものを手に入れるという意味では、ある意味正解の態度。
ならば、その弊害とか、それを前提にして、さらにつぎの段階に進めるように、リードするのも
教壇に立っている側の責任なのかなぁなどと考えてしまった。

こちらの望む態度では、なかったのだけれど、
それならそれとして、こちらはなんとかいい方にその技術の意味も考えていけるようにならないと行けないのかなと。

反省多々

月曜日は、大学への出講日。
後期4回目の講義(午前の部)を終了。

反省多々。
学生さんが、感想メモに、興味深い問題提起をしてくれたので、それを元に次回はやろうかと。
う~ん。

準備不足は否めません。
これも反省点。

とりいそぎ、午後の部の講義準備を仕上げにかかります。

2011年10月10日月曜日

3回終わりました。

前回の書き込みから半月。
今日、後期3回目の講義を終えました。


一般の必修科目でありながら、「建学の精神」としての仏教も一つのテーマである講義を担当しているので、
専門に入りすぎても、感傷的になってもいけないと思いながらも、今回は、ちょっと感傷的すぎたかもと反省をしてます。 

ツイッター(@n_ryogo)と、フェイスブックをやっています。
いろいろと棲み分けをしていますが、ついつい、ハードルの高いブログはおろそかになりがちです。
なんとかしないと・・・。

2011年9月25日日曜日

来週から講義再開

月曜日に後期第一回の講義が回ってくる。
学生時代とはまたちがう「夏休みぼけ」状態。

果たして、またあの準備→講義で一週間があっという間に過ぎるサイクルを
三ヶ月継続できるかどうか・・・。

とりあえず、第一回目の講義準備。
今週はカルチャーの出講もある。

前もって準備するのは大事・・・大事。
わかってはいるけれど、実践するのはなかなか困難である。
とりあえず、一日の生活サイクルを整えるべく、今日はもう寝る態勢へと移行。


「みのり」
生後4ヶ月と10日ほど。 できるようになってきたこと。
・両手でものをつかむ。
・なんとなく、言葉らしいものを連続して発する。
・声を発して、意思らしいものを伝えようとしている。
・表情は結構豊かな印象。

お母さんがつきっきりで面倒を見てくれていて、お父さんは、はたで眺めることが中心。

2011年9月22日木曜日

もうお彼岸

9月も下旬。え!?もう9月!?と思いながら過ごしています。
おかげさまで、一昨日、昨日と西正寺の永代経法要も無事に勤めることができました。
ひとことご挨拶することの難しさを噛み締めつつ
やらかした失敗の数々を反省
お説教をしてくださった山西先生のお話にいろいろと思い出したり、考えたり。
1日目は慈悲について
2日目は、浄土真宗の「仏事」についてのお話でした。
明日、23日は急なことだったのですが、尼崎・k祥寺さんのお彼岸法要に出講します。
(携帯から投稿)

2011年9月9日金曜日

印度学仏教学会2011

今年度の、日本印度学仏教学会。会場が龍谷大学大宮学舎。我が母校。
幹事の担当をされていた方々。本当にお疲れ様でした。

少しだけ、受付等のアルバイトでお手伝い。

興味深い発表を聞き、学会ならではの刺激や交流があって、大変刺激を受けました。

いろいろと気を遣うこともありましたが、とりあえず楽しむことに。


二日続けて会食。
大学院時代お世話になった方が来られていて、二日続けて楽しい夕食の会をもてました。

2011年8月21日日曜日

IBM ノートPCのご先祖さま

今日のお参り。 とあるおうちに出されていた古いPC。
IBMの5535Sという機種。

ちょっと調べて見ると、DOS/VのラップトップPCの元祖という位置づけのちょっとした骨董PC。
なかなか見れないものを拝見することができました。

1990年製。
3,5インチのFDドライブを装備。
紹介して下さっている ホームページを発見。

しばし拝見して、至福の時間。

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2011年8月14日日曜日

お盆の読書

お盆休み。
京都の研究所はお休みですが、お寺は忙しい時期。
日常、お寺の外での仕事を抱えていると、「休暇」なんだけれど「働かなければならない」というアンビバレンツな感覚を覚える時期です。
とはいえ、「本来の姿」に、フルタイムで戻れるという感覚にもなる時期。

こんな時に、何か読もうと手に取ったのが・・・手塚マンガ。

『海のトリトン』
『きりひと讃歌』
『鳥人大系』
『ジャングル大帝レオ』
(小学1年生、小学2年生などで連載していたバージョン)

手塚マンガ。
その質の高さや、訴えかけるテーマに年を取るほどに驚嘆させられる。

2011年6月13日月曜日

ポイ捨てはいけません

 気分を害せられることの一つ。ポイ捨て。

昨日、車を降りると、前に歩いているサラリーマン風の男性。雨が降っていたので、傘を差している。手には発泡酒のカン。飲み終えたのか、そのカンを、ガレージの塀のヘリに置いて去ろうとする。
思わず声が出る。「そんなところにおいたら、あかんやろう。」と
気まずそうな顔で、カンをとり、去る男性。
どっかにまた捨てるんじゃないだろうかと、疑いのまなざしを向けつつ、家に入る。
とりあえず、ゴミの処理は、自分で完結して欲しい。

少なくとも、自分は、家庭内で不満を噴出させることはあっても、屋外でなにかを汚すのは、テリトリー外というスタイル。


と思っていたら、今日も類似の出来事が。
大学に向かう道。若い学生が、歩きたばこ。
道を曲がると、もうたばこを持っていない。 どこかに捨てたとしか思えず、不愉快な気持ちに。

道の向こうを見ると、派手な恰好をした女子学生も歩きたばこ。
そちらは、あろうことか、持っていたたばこを、電信柱でもみ消して・・・。

なんだかなぁ・・・。

イライラとして歩いていると、大学前の守衛のおじさんが、「おはようございます」と声を掛けてくれた。イライラしていた気持ちが、ちょっと、解きほぐされる。「おはようございます」と返す。

大学の中に入ると、エレベーターに乗るときに、通路を譲ってくれる学生。廊下を歩いていると、受講しているのか、会釈をしてくれる学生。
そういう気遣いに、すこしばかり、朝のイライラも解きほぐされる。

「気遣われている」ということが、人の心を穏やかしてくれるのだなぁと、実感。


道を歩くモラルも何とかして欲しいと思うとともに、ささくれだった心が少しばかり和まされた、
上がり下がりのある朝の一こま。

2011年6月11日土曜日

ぽーろくん

先週の土曜日、ポーロ君がPVの撮影にやってきてくれました。

僕も、お寺も、娘も出演。
http://ameblo.jp/ango-maruko/entry-10913483737.html

よかったら、ご覧下さい。

2011年5月30日月曜日

書かないと書かないので、書けるときだけでも書くことに

とりあえず、娘の顔は2日と開けずに見るようにはしています。
日に日に変わっていきます。
ここ数日、女の子らしい表情もするようになったような・・・欲目?

仕事がたまってしまって。
やらねばならないことが目白押し・・・。

疲労らしい疲労を感じるようにもなりました。
年のせい?

とりあえず、今年度一週間で一番大変な月曜日を乗り切って、
今週もすこしほっとしています。
(講義が2コマもあるのです。そしてなかなか思うようにはいきません)

来週はもうすこし、準備に余裕を持ったスケジュールを組めるようにしないといけません。

2011年5月17日火曜日

娘。

さて、今月15日日曜日、午前8:32。
わが家に、娘が生まれてくれました。
ちっちゃな、ちっちゃな赤ちゃんが生まれてくれました。

なりゆきというか、流れに身をまかせていたら、
出産にも立ち会うことができました。

母親はすごいなぁと感じました。
生まれてきた、赤ちゃんの力もすごいなぁと感じました。

男親は、不思議な気持ちで立ちすくんでいます。

刻々と変わる、赤ちゃんの顔を、ただ、ただ眺めています。

ご報告させていただいた方々から、お祝いの言葉をたくさんいただきました。
ありがとうございます。

赤ん坊の顔と、みなさんの言葉と、奥さんのがんばりで、
僕は力をもらったような気持ちです。

これまでを振り返り。

しばらく更新していませんでした。
おかげさまで、いろいろと忙しくしていました。

目の前の仕事と、講義の準備(これは思うようにできず準備不足で向かうことまま。申し訳ない)と、
そのほかいろんなことで、いっぱいいっぱいだったのだと思います。
なかなか仕事を整理して、片付けていくことができません。

いろいろと身の回りで大きな変化が起きました。
地道に一つずつ片付けて、
積み上げて、また今後に向けて準備していきたいと思います。


2011年4月10日日曜日

講義前夜

明日から、今年度の講義が始まる。
今年は新たなチャレンジをさせてもらうことに。

一日2コマ、違う講義を担当する。
しかも、違う学舎で。相変わらずの自転車操業。

とりあえず、一回目はオリエンテーション。
でもオリエンテーションがしっかりしていないと、後で講義が荒れかねない。

昨日とあるイベントでお会いした人たちにメールを送ったり、
雑用を片付けたりして過ごした昼。

TVを眺めながら、
PCでカチャカチャレジュメを作っていた夜。

だんだん眠くなってくる・・・。

明日に備えて、はやく片付けて寝よう・・・。

2011年4月7日木曜日

新年度

新しい年度が始まり、はや一週間。
予定されていたスケジュールをこなすのに精一杯。

四月二日。
西正寺の花まつりを開催。
二十数名の子どもさんたちと、過ごす。
余裕なく、始まってしまえば、流れに流されて終わったような感覚。
もっと余裕を持ってやれるように、お手伝いの人を頼まないといけないかなぁ…と思う。

ここ数日。
すべきこともたくさんあるのに、ちょっと散漫な集中力。
講義の準備とかもしないといけないのに、ねぇ。

2011年3月24日木曜日

永代経一日目

自坊・西正寺の春の永代経法要。
今年は、3月23日、24日の両日勤まる。今日は第一日目。

御講師は、伊東順浩 師。
遠く、山口県宇部より、お越しいただく。
丁寧な、暖かいお取り次ぎで、御法話をいただく。

法要後、先生と夕食をご一緒する。
お寺のこと、法座のこと、いろいろとお話しさせていただく。

御法話といい、会食の話といい、
いろいろと勉強させていただける、刺激的な一日。
来ていていただいてよかったと思う。

明日も、一日お取り次ぎいただく。

伊東先生のお寺のホームページ
http://renkoji.rexw.jp/index.html

こちらにも、御法話が掲載されているので、ぜひぜひごらんされたし。

2011年3月21日月曜日

正覚寺さま彼岸会法要

平成23年3月21日(月)
今日は、新大阪近くの正覚寺さまにて、彼岸会のご縁をいただいて、法話に参上。
去年、一昨年につづいて、三年連続でご縁をいただいている。

寄せていただくたびに、楽しい雰囲気のあるお寺で楽しい。
ご住職ご家族一同、みなさま明るくて楽しいお寺。
寺族の雰囲気が、お参りのみなさんの雰囲気も、お寺全体の雰囲気も作っているようにも思われる。

今回は、お彼岸ももちろん、先般の地震についてもすこしふれてお取り次ぎさせていただく。


親鸞聖人のご消息に次のような言葉がある。
地震のことを振り返って、ふと思い返された。

「なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。」(『親鸞聖人御消息』)

わたしたちは、どのようなことにであうかわからない人生を生きている。なにがおこるかわからない、どのような不幸に出あうかわからない。どのような苦しみに出あうかわからない。
そのような人生を歩んでいるのだ「生死無常のことわり」を、お釈迦様は説かれていた。

今回の地震、信じられないようなことで、とても受け入れらないようなことで・・・。
でも、お釈迦様は、そんなことがおこる人生だよ、とすでに説かれていたのだ。

2011年3月15日火曜日

駒崎弘樹『社会を変えるお金の使い方』

駒崎弘樹『「社会を変える」お金の使い方――投票としての寄付 投資としての寄付』

 東北の地震・津波の被害に、なにかできることをしたいと思いつつ過ごしている。
目下の所、やはり「寄付」がリストの最上位にあげられる。
これを機に、なにかしたいと思っている人たちの気持ちと力をくみ取れる何かも構築できればと思っている。

そんなこんなで、今日、本屋に立ち寄ったときに目について、購入した本。
インスピレーションの通り、いい内容の本だと思った。
知らないこともたくさんあって、勉強になった。

 フローレンスという「病児保育」の活動をするNPOの代表の著書。
 「病児保育」とは、「子どもが熱を出したり、風邪を引いたりしたときに、保育園に代わって子どもたちを預かる事業」。
 普通の保育園では、熱を出した子どもは預かってもらえない。子どもが熱を出すと、共働きや母子家庭のお母さんなどは、仕事を休まざるを得ない。そうなると、やはり働く上で問題になって・・・。

 ちょうど、今日職場で同様のことがあったので、彼女にも紹介したい本だ。
 そのNPOの活動が寄付によって、運営されるまでの経緯を紹介し、そもそも寄付とはなにか、日本社会における寄付によって開かれてくる可能性が書かれている。
 

「いいか、駒ちゃん。それが普通の人間の考えだ。大部分の、成功から程遠い人間のな。余裕が内から、人には与えない。余裕ができたら、人に与えよう。こういうやつは、実はいつまでたっても与えることなんて、しないんだ。余裕なんて、いつまでたっても生まれない。年収三〇〇万のやつは、年収五〇〇万になるまで余裕がないと感じるし、年収五〇〇万になったら、今度は隣の年収一〇〇〇万のやつが羨ましくなって、そうなるまで自分は一人前じゃないと感じる。一〇〇〇万になっても、子どもがまだ高校生でお金がかかるから、とか、老後が心配だからとか……。キリがねぇ。」(p. 57)
 思っていてもなかなか踏み出せない、自分に向けられた言葉のようだ。

 もう、お風呂に入るので、急いで書いたので、言葉足らず・・・。





2011年3月13日日曜日

まずは情報

帰宅してから、テレビを見ている。
すこしづつ、新しい情報や、緊急の地震警報が流される。

いまは、何かを解決していく段階ではなく、
何が起こっているのかを知る段階。

緊急なことは、

・被災者を保護すること。
・原発などの二次被害が起きないように対処すること。

応急の処置と情報の獲得。

テレビを見ながら何もできない自分を感じる。
でも、実は情報を得ていくということが、唯一のできることなのではないかとも思う。

ツイッターなどでも、有効な情報や対応策が流されている。
そういう可能な、邪魔にならない情報提供も大事。


追記:
情報を得すぎないことも、一つのお役立ちかもしれない
→  http://mblg.tv/enokiiii/entry/7

2011年3月12日土曜日

長崎空港にて

現在地:長崎空港。 17:50の大阪行きに搭乗予定。待機中。

大学院の先輩の結婚披露宴で、昨日から、こちらに。
披露宴開式直前。例の地震の知らせをうける。

夕刻、テレビを見て、これほどまでにひどい状況になっているとは思わず、驚く。
形容する言葉が見当たらない。

津波にさらわれて、一度に大勢の人が亡くなった。

東北に続いて、長野・新潟、茨城・福島でも大規模な地震が発生。
テレビはずっと非常事態の体制で報道し続けている。

見ていると、日本はどうなってしまうんだろうと、不安になる。

なにができるんだろう。
なにをすべきなんだろう。
どう振る舞うべきなんだろう。

なにもわからないような気持ちになる。

2011年3月11日金曜日

ドーナツみたいだという理論

昨日はお誘いをいただいて、夕方から坐禅を大事にされる宗派のお坊さんと会食。
宗派の活動や、自分たちの活動などについて意見交換などをする。

いろいろと面白いことも伺う。
その方がおっしゃっていたことで、興味深かったのは、
仕事のやりがいとかおもしろみを感じる場面として、
「そんなことできるんですか?」と言わせるのが楽しいということ。

違う立場の人たちの意見や目的を把握して、
その橋渡しをすると、思っても見ない道が開けるという。
そんなときに、「そんなことできるんですか?」という声が上がるという。

違う立場の人たちの意見や目的を把握できているからこそ、
見えてくる道があるという。


あと、宗教的な本質なんてものは、つかみようが無くて、
さまざまな形で表れてくる、諸相でしか見ようがないのだという話もあった。
いわばドーナツのような。
本質的なものは、ドーナツの真ん中の輪。
さまざまな諸相は、ドーナツのあげパンの部分。



最近ちょっと頭の周りがいまいち。
雑念が多くて、集中力とか、思考に費やすリソースが浪費されているような感覚。

2011年3月5日土曜日

ミーティング

気がつくと、もう3月が3分の1終わろうとしている。
あっという間に時間が経つ。


今日はミーティングが二つ。
朝は、研究所の業務のミーティング。数ヶ月蓄積してきたことがだんだんと形になっている。
ここでもうひと練りして、満足行く形に仕上げたい。

夕方からは、有志で企画しているイベントのミーティング。
背負うものもなく、比較的気軽な感じで、進めていける企画で、いい感じだ。
違う背景をもって、考え方もいろいろなはずなのに、ほとんど衝突もなく考え方を共有できている。
なかなかレアな空間だと思う。

2011年2月22日火曜日

無駄について

昨日、職場の朝礼でお話ししたことについて

「森毅」もりつよし=「もりたけし」さんだと思っていた。もりつよしさん。読み間違っていました。ごめんなさい。 京都大学の数学の先生だったかた。去年お亡くなりに。

日曜日、NHKでやっていた「あの人にあいたい」という番組で、森毅さんのことを取り上げていた。

興味深いことばがたくさん。

若者に対して、「間違えることをいやがり、すぐに正解を求めすぎること」とか、
「無駄なことをいやがる。失敗を避ける」ことが多い。

「無駄なこと」「間違えること」の大切さを語っておられて、とても興味深かった。

失敗を恐れず、無駄なことができるから、新しいものがうまれてくる。
無駄なことが人生にゆとりを生むのだとか。

電車の中で、窓の外に広がる田園の緑を見ながら、そのことばを思い出した。


2011年2月12日土曜日

熊本での婚礼

元芸能人のお坊さんの結婚式。

ご招待いただいて、熊本へ。
伊丹から飛行機で一時間。意外と早くつける距離。
早く着きすぎて、期待していたほど本が読めない。


久しぶりにお会いする先輩方や友人がたくさんおられて、会場に入る前から楽しい雰囲気。

今は会場に行く前の待機時間。集合時間は14:30。
ホテルのロビーに会ったパソコンをお借りして、カチャカチャ。

福岡伸一『できそこないの男たち』

福岡伸一『できそこないの男たち』 (光文社新書)

以前買っていて、積ん読だった本。
作者はお気に入りの福岡先生。

テーマは「男」について。
「精子」「染色体」「遺伝子」何が男を男として誕生させるのか。
男は、生殖においてどのような役割を担わされているのか。
そんなことがテーマの一冊。
これまでの福岡先生の著書と同じように、研究史を追いかけるような形で話が展開していく。


相変わらず文章が美しい。理系なのに、なんでこんなにいい文章が書けるんだろうと思う。
文才がうらやましい。




◇気になった文章

「教科書はなぜつまらないのか。それは事後的に知識や知見を整理し、そこに定義や意味を付与しているからである。…中略…教科書はなぜつまらないのか。それは、なぜ、そのとき、そのような知識が求められたのかという切実さが記述されていないからである。そして、誰がどのようにしてその発見に達したのかという物語がすっかり漂白されてしまっているからでもある。」(p. 37)

「見える、とは一体どのようなことを指すのだろうか。百聞は一見にしうかず? 否、私たちは、一見しただけではほとんど何も見ることはできない。あるいは、私たちは、一見しただけでそこに、ホムンクルスを作り出すことができる。」(p. 53)
「私は忘れていたことを自戒の意味をもって思い出す。私が膵臓の細胞を見ることができるのは、それがどのように見えるかをすでに知っているからなのだ。…中略…かつて私もまた、初めて顕微鏡を覗いたときは、美しい光景ではあるものの、そこに広がっている何ものかを、形として見ることも、名づけることもできなかった。私は、途切れ途切れの弱い線をしか描くことができなかったはずなのだ。つまり、私たちは知っているものしか見ることができない。」(p. 55)

「もちろん誰の目にもそれが見えたのではなく、ネッティー・マリア・スティーブンズの目だけがそれを見たのだ。ところが全く不思議なことに、ネッティーがそう言明して以来、彼女だけに見えていたものは、誰の目にも見えるようになったのである。」(p. 79)





2011年2月4日金曜日

東京大学教養学部歴史学部会編『史料学入門』

東京大学教養学部歴史学部会編『史料学入門』 (岩波テキストブックス)


先日立ち寄ったとある大学の購買部で偶然見つけた本。
ほとんど知らないことをテーマにされているけれど、コンセプトが「歴史学の何たるか、また歴史研究の醍醐味を伝える。」ということと、新婚旅行でいった場所でもあるアンデス史のことも取り上げられていたことが、買った理由だろうか。

読んでみると、面白い。
ひとつひとつのテーマは、まったく未知のことがらばっかりだったけれど、
根底に共通しているのは、史料の扱い方とか、情報をどのように引き出してくるかというようなことなので、自分の関心ともリンクして面白かった。


興味深かったことば
「過去は、今を生きる我々が探しに出かけない限り、姿を現すことはない。過去は、いま目の前に、様々に積み重なった痕跡を遺している。その目の前の痕跡の中から、我々が感心に応じて、特定のものを抜き出すとき、それが史料となる。」(p.2)

また解釈の政治性についても…
「我々が眼にする史料は、大なり小なり読み手の行動を左右しようとする政治性を帯びている。書いた本人が自分に都合の良い表現をしがちなだけでなく、間に立って伝える人々も様々の思惑から文面に介入するので、解読者はそれが置かれた政治の磁場を慎重に見極めなければならない。」(p.7)

そこそこな分量があるので、読み終えたあとは、
「勉強したなぁ」と、自己満足にひたりました。





2011年1月29日土曜日

声明念仏の夕べ

今夕、声明を教えていただいている先生のお寺で「声明念仏の夕べ」という行事があります。
はずかしながらも、末席に加えていただいて、出勤します。

昨日は、前日習礼でした。
本日は15時から当日習礼。18時より本番です。

詳細は、以下のサイトに。
http://shokoji.or.jp/

2011年1月28日金曜日

一日三都。

カルチャーセンターへの出講を終えて、京都へ移動中の電車内。
今日は、朝神戸(出講)、昼大阪(出講)、夕京都(声明)。
三都ものがたり達成。

出講について。
立て続けに人前で話す機会を与えられると、
いろいろと考えないといけないものの、頭は常に回りっぱなしなので、刺激としては良好かも。

いつものことながら、反省することは多々。
言い尽くせていないところがあったり、自分のなかで十全にまとまっていないところがあったり。

今日の文化センターでの講座は、「歎異抄第十条」。
「念仏は義なきを義とす」のところ。
第八条のときにも、「はからい」については触れていたいので、復習的な内容も多々あった。


最近、忙しい中にも、
余計なことを考えたりしてしまうことが多い。

しなくてもいいことに、ついついと手を出してしまうからか。
いらないことはできるだけ整理して、
やるべきことに集中できる環境を作っていかないといけません。
自戒を込めて。

2011年1月26日水曜日

1週間3回出講

新記録。
一週間に三回、ちがう媒体に出講。

日曜日:本願寺で日曜公園。
水曜日(今日):お説教使になろうとされる方の研修会。(6時間)
金曜日:カルチャーセンター

さすがにちょっと今日は疲れ気味。
しかし、金曜日の準備もしなければ・・・。

2011年1月12日水曜日

岡山でお葬式に参列

研究所の上司のお母様のお葬式。参列とお手伝いで、今日は岡山に行く。
新幹線という手もあったけれど、在来線でのんびり行っても間に合う時間だし、
なによりちょっとの早起きで、

・片道3000円も浮く
・2時間30分も自由な時間ができる。

こんなにメリットがあるので、在来線での移動を選択。
今は帰りの電車の中。姫路を出たところ。
本も2冊読み終わった。提出が迫っている講義計画の案も進む。


お葬式。
ときどき参列したり、お手伝いをしたりすることがある。
お手伝いで中に入ると、いろいろと勉強させていただけることが多い。


受付を手伝うことが多いのだけれど、その段取りや、お香典の管理、
どこでも一緒ではないけれど、気をつけるべき点はこんな所にあるのかという、
勘所を覚えられるようになってくる。
お坊さんとしてお参りしているときには、見えなかった場面も目に入ってくる。


素人なもので、受付も案内も、帰りのタクシーの手配・差配も、僕がしたことは
アタフタアタフタと周りの方のご協力やご理解なしではできなかったのではありますが・・・。


大事な方を亡くされて、送られる大切なお葬式。
心にしみる挨拶や、言葉もあった。
送りに来られた方の心情はいかばかりか。
いろいろと感じさせられた式でもありました。

雰囲気を壊したり、お邪魔をしたりしていなければよいのですが。

2011年1月5日水曜日

エバーノート4.1

ever noteをバージョンアップ。4.1になりました。
すこし問題は残っていそうだけれども、立ち上げのスピードとか反応が体感でも十分にわかるほどに速くなっていて快適。

使い勝手も大幅にUPしていそう。

http://www.evernote.com/about/intl/jp/

http://blog.evernote.com/jp/?p=1398

2011年1月2日日曜日

あけましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。
年賀状はまだ出し切っておらず、書かせていただいたはがきから順次発送しています。
遅くにご挨拶が行くかも知れません。 申し訳ないです。

そんなこんなで、今年もよろしくお願いいたします。

「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...