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報恩講の準備をタイムラプスで撮ってみた

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 今日の午後は、あまさきさんと、週末の報恩講法要に向けて、本堂お内陣のお掃除と、お荘厳(おかざり)をしました。  14時から、17時まで3時間かかっていました。  途中から、タイムラプスでとってみるか、と思い、撮影したのがこの動画になります。  後半2時間分くらいが30秒程度になっています。  この前の1時間くらいは、内陣の畳をあげて、ほこりをとったり、雑巾がけをしたりで、1時間が経っていました。  いつもこんな作業を法要前にはしています。  週末は、いよいよ報恩講法要( http://saishoji.net/archives/2816 )です。みなさまのお参りをお待ちしています。

墓じまいのトラブル?

本当にここ数年、「お墓じまい」や、「仏壇じまい」といった、家や家族の形の変化にかかわるお勤めをすることが多くあります。 西正寺でも、月に何件もこういった関係のご相談やお勤めをさせていただくようになりました。(もうお墓やお仏壇がなくなってしまうのではないかというような怖さもあります。。。) 今週も、墓じまいのお勤めがあったのですが、すこしややこしいことになっていました。 経緯としては次のようなことでした。 〇 お墓じまいのご希望と相談があったので、西正寺でいつもお仕事をしていただいている石材店さんを紹介しました。 〇 ところが、そのおウチでは出てきた見積もりが、やや高額に感じられたため、別の石材店を探して、そちらに決めて契約をされました。(その契約も、本人が気が付いたら契約してしまっていたという結果になっていたようなのですが…) 〇 お参りの際に、進捗や伺っていると、  西正寺のご紹介した T石材店さんは、一式ですべて終る見積もりを出されていたのですが、  ご自身で探されてきた石材店さんは、お墓の撤去の費用だけの見積もりであったようで、契約したあとに、  ・お骨を墓地から取り出す費用  ・改修法要のお勤めをする際に立ち会う費用(焼香やお参りの用意をする)  ・お骨を入れる袋の費用 等々、追加で費用が必要だといわれて、結局、西正寺から紹介したT石材店さんより高い費用になってしまっていたということがわかりました 〇 経済的にお困りのなかで、合い見積もりをとって、あれこれ思案されていたこともあっって、お寺の方は、無理ないところでいいからと、お布施のことを心配ないところでご相談するところで、「よかった」といっていただけて、実際に墓じまいに進んだのですが、「おまかせ」「任意」でオススメいただいたことで、かえって複雑で、しかもお金のかかるようなことになってしまったなぁと反省しています。  私も(石材店さんがこんなに細かく、項目で請求を出されることがなかったので)初めての経験でしたが、勉強にもなったなぁと思いました。 宣伝のようですが、西正寺からご紹介させていただいた 仏壇屋さんや、石屋さん等の業者さんは、おかげさまで、クレームやトラブルになったケースというのは、ほとんど聞かず安心してご紹介はさせていただいています。 もしかすると、お金のことだけでいうと、ネットやもっと安いところも...

実践真宗学研究座談会 開催のお知らせ (後期スケジュール)

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 実践真宗学研究座談会を下記の通り予定しております。 ・11月19日(木)は、文化時報社 社長の小野木康雄さんにお越しいただき、「メディアが報じる/報じない宗教者の実践と活動」というテーマでお話しいただきます。  11月19日研究座談会 申し込みURL: https://forms.gle/o8Rmgu5ShGeSE33Z7  小野木さんは、前職の元大手の新聞社の記者をされていたときから、臨床宗教師をはじめとして、多くの宗教者の社会活動を取材し、記事として取り上げてこられました。近年は文化時報社 社長として、また主筆としてその紙面に数多く宗教者の活動を紹介されるとともに、「福祉仏教」と銘打たれ、仏教の社会的意義を世に問われる活動も展開されています。  メディアの世界から宗教者の活動を見つめ続けてこられた小野木さんの目から、宗教者の社会活動とそれを取り上げる/取り上げないメディアのかかわりについて、お話を伺わせていただきたいと今回の機会を設けるにいたりました。 ・12月10日(木)は、相愛大学准教授の赤井智顕さんにお越しいただき、「浄土真宗の布教伝道―その実際と課題」というテーマでお話しいただきます。  ・12月10日研究座談会申し込みURL: https://forms.gle/ro7xKR8v8x8iH5fG7  赤井さんは、相愛大学准教授のほかに、浄土真宗本願寺派布教使として、全国各地の寺院で浄土真宗の法話伝道を行っていらっしゃいます。  そもそも、浄土真宗の法話とはどのようなものか、教えが伝わるとはどのようなことなのでしょうか。一緒に「浄土真宗の布教伝道」について考えを及ぼす時間を持たせていただきたいと思います。 ・来年1月12日には、真宗大谷派教学研究所 助手の谷口愛沙さんにお越しいただき「仏教教団における”女性として女性差別を語ること”の意味とその語りづらさ」と題してお話をいただきます。  ・1月12日研究座談会申し込みURL: https://forms.gle/yRsXisgJ2sT2H8Z7A  「ジェンダー」や「女性差別」がテーマです。谷口さんは、本年「女性として女性差別を語るということ : 仏教教団としての真宗大谷派における「語りづらさ」を考える」(『教化研究』176号、 2026年)という論文を発表されています。 その中で、仏教教団の中...

おじいちゃんのごくらくごくらく

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先日、報恩講法要の御法話のご縁で、2日間 昼・夜・昼の三座のお話をさせていただいてきました。 たまれる古本屋、 二号店 ( クリックするとリンクがひらきます )で、教えてもらい手に入れた絵本、『おじいちゃんのごくらくごくらく』についても触れさせていただきながら、お話をさせてもらいました。 (どんな御法話になったかは、直接会ったりしたときにでも聞いてください。^^) 『おじいちゃんのごくらくごくらく』   https://link.amazon/B0cz0Zi26 あらすじや、レビューなどは、絵本ナビを参照してみてください。 https://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=8807 法話の中で、紹介しながら、読みつつ、お別れの場面では、自分でも意外なほどにちょっと感情が高ぶってしまっいました。それくらい、感情がゆさぶられる絵本です。 あたりまえのように「ごくらく ごくらく」といい、「ほとけさまのくに」がおじいちゃんとゆうたくんとのお別れの間の大事なキーワードになっています。 お寺でも読んでほしいなとおもいます。 そんなわけで、もう一冊購入して、お寺の本堂に置いておきたいと思いました。 西正寺においてますので、また見に来てくださいね。

アーユス仏教国際協力ネットワークの クラファン応援インタビューを受けました。

インタビュー記録が続きますが、過日以下のインタビューの記録をアップしていただきました。 https://congrant.com/project/ayus/24303/reports/14701 当該のクラウドファンディングは終わってしまった後に紹介するような後手で申し訳ないです。。。 このインタビューでもお話しているように、アーユス賞のイベント当日は、いろいろなNGO・NPOの職員、運営の方があつまって交流する機会にもなります。それがその日、東京に行く楽しみでもありまして。。 もし、ご関心持ってくだされば、ご連絡ください。

応典院 語りのアーカイブにインタビューが

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先日、応典院さんが、30周年を迎えられるということで進められている企画「語りのアーカイブ」のインタビュー取材を受けました。 このたび、前編がアップされたそうです。こちらからご覧になれます。 https://www.outenin.com/article/article-21818/ インタビュー内にも述べているのですが、1997年の再建以来、現代の日本社会におけるお寺のあり方を問い続けてきた先端的なお寺が応典院であり、わたしたち世代の僧侶の幾人かはおそらく、ある意味で、ご住職の秋田さんに、応典院に育てられたような思いがあるのではないかと思います。 私自身もたびたび応典院で学びの機会をいただき、また人との出あいや、いろいろなきっかけを作っていただいたという思いが深い場所でもあります。 つたない言葉をかさねていますが、すこしでもお役に立てることができていればうれしく思います。 ところで、応典院さんのホームページなのですが、 トップページが現在えらいことになっています。なにかのバグではないかというような画像が大きく出ているのですが…。ガクガクブルブル  https://www.outenin.com/

論文を書こうとしているが…。

 「既存のテクストの読みをもとにあらたなテクストを書き構成すること、この一点に人文学のいとなみは集約される」(下田正弘「仏教学の方法と未来―領域独存から超域共存へ」『印度学仏教学研究』65巻2号、2017年)という一文に触れる。 人文学とはなにか、それはものを「読み」「書く」ということ、あるいは「語る」ということも含まれるかもしれない。あるいは、それらの中で「読む」「書く」「語る」ことの意味を問い、深めるということもあるかもしれない。 学ぶほどに、読むほどに、それら「読み」「書き」「語る」ことの難しさを感じている。  高度で語ることの出来ない概念、消化し理解することもままならないたった一期の語句、そもそも読むことすらままならない自分があらわになるような感覚が立ち上がっている。 (2026年10月19日以下追記)  上に引いた下田先生の別の論文には、この「読む」ということについて、テクスト内在性と、間テクスト性ということにふれる次のような言及がある。    いかなるテクストも、言述の構成をふくめテクストの「形態」に意味の発生があり、ひとはその形態にそってテクストの意味を読み取ろうとしていることである。テクストを解読するとはこの形態の読み取りにほかならない。これが「テクスト内在性」の問題である。  テクスト内在性には、それと密接に関わるもうひとつの課題がある。それはひとつのテクストは、多くの他のテクストとの関係の内部にあり、そこには先行して存在するテクストの影響が浸透している事実である。「間テクスト性」の問題である。ひとつのテクストを読むとき、研究者はこれら関係テクストの影響全体を同時に読み取ろうとしている。つまりテクスト内在性の実質は間テクスト性によって浸透されている。間テクスト性の把握は研究の成否を握るカギとなる。  (参照:下田正弘「編成する学問の地平と宗学の可能性」) つまり、本当に「読む」ということは、容易なことではないのだ。「読めば理解できる」と思われるかもしれない。しかし、本当に「読む(読める)」ためには、単純に、ただ読むだけではなく、それを読むための経験や思考が必要な場合が多くあるものである。ある言い方をすれば、そこに書かれているものを読むためには、そこに書かれている文章の背景にある文章を知らなければならないと読めないことがある。あるいは、その著...

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