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論文を書こうとしているが…。

 「既存のテクストの読みをもとにあらたなテクストを書き構成すること、この一点に人文学のいとなみは集約される」(下田正弘「仏教学の方法と未来―領域独存から超域共存へ」『印度学仏教学研究』65巻2号、2017年)という一文に触れる。 人文学とはなにか、それはものを「読み」「書く」ということ、あるいは「語る」ということも含まれるかもしれない。あるいは、それらの中で「読む」「書く」「語る」ことの意味を問い、深めるということもあるかもしれない。 学ぶほどに、読むほどに、それら「読み」「書き」「語る」ことの難しさを感じている。  高度で語ることの出来ない概念、消化し理解することもままならないたった一期の語句、そもそも読むことすらままならない自分があらわになるような感覚が立ち上がっている。

本日放送_ NHK「こころの時代〜宗教・人生〜 生死(しょうじ)あるがまま 宗教学者・谷山洋三」

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本日、NHK Eテレのこころの時代で、以下の番組が放送されます。 東日本大震災を契機に、東北大学からはじまり、現在は龍谷大学大学院実践真宗学研究科をはじめ、上智大学、高野山大学、大正大学等、全国の大学で展開されている「臨床宗教師」養成のプログラムをけん引されてきた 谷山洋三先生が取り上げられます。 谷山先生ご自身が 癌を罹患され、現在は「ファイナルツアー」といいつつ、ずっと「最終講義」を重ねられていること、また自身を看取るプロジェクトを提案され、「自分を研究対象に」と言われていることが紹介されるようです。 以前に、お話をうかがったときは、「自分は変態だから、死ぬのはぜんぜんこわくない」とおっしゃっていました。私自身は、聞きながら、不思議な感覚でもありました。 現在の宗教者の社会活動を知り、考える上では、欠くことのできない方のおひとりでもあろうと思います。 関心をもっていただけましたら、とご紹介させていただきます。  【追記】 動画の埋め込みができそうでしたので、下に挿入しました。 https://www.nhk.jp/g/ts/X83KJR6973/ 以下、転載 (情報は、NHK神戸放送局を中心にした情報です)

多田修先生から ご著書『素朴な疑問だけど なかなか教えてもらえない仏教の話』を頂戴しました。

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大学の研究室に届きました。 多田修先生から ご著書『素朴な疑問だけど なかなか教えてもらえない仏教の話』を頂戴しました。 『築地本願寺新報』に掲載されていたものを加筆修正され、出版されたとのことです。 目次を抜粋すると ・はじめに~子どものころからの疑問 (1)仏教は地動説をどう考える? (2)仏さまと神さまはどう違う? 【コラム】仏も神も同じ? (3)漢字だらけのお経を読むのは何のため? 【コラム】大乗経典は誰の説? (4)お寺にお墓があるのはなぜ? 【コラム】仏塔=墓地の塔婆=墓石? 【コラム】お墓へのお供えの食べ物 (5)人は死ぬとどこへ行く? 【コラム】生者の近くにとどまる死者 ・あとがき ・参考文献 となっています。一般の方も関心をもたれそうな興味深い目次立てですね。 拝読して、勉強させていただきたいと思います。  

「謝罪」や「撤回」についての雑感

 世の中では「撤回」とか「謝罪」というのが話題になっているようですが。 「撤回」して、「謝罪」したので、その発言したことや、やってしまったことが、なかったことになる、というのではないのです。 撤回し、謝罪しなけれなばらないほどのことをした、ということを表明するのがその行為(撤回や謝罪)であって、撤回や謝罪は、それをしたから「チャラ」になるというのではないはずなのです。 政治家や、立場ある人が、撤回や謝罪しなければならない行為をしたということに対して、撤回や謝罪で済まされることもたしかにあるかもしれません。しかし、多くの場合は、そうではなくむしろ、撤回や謝罪しなければならないことをしたということで、撤回や謝罪をしたうえで、しかるべき責任を取り方を示す、ということが必要なはずなのです。 にもかかわらず、事態を矮小化した方が勝ち、という世情に悲しい気持ちにならずにはいられない今日この頃です。

Tシャツが乾くまで コインランドリーという場所

『 Tシャツが乾くまで』( https://www.tbs.co.jp/tshirt_ga_kawakumade_tbs/ )というドラマが最終回だった。全話見た。(ネットフリックスで見ていた)最新話が公開され、視聴するのが楽しみだったので、終わってしまったのが少し寂しい。 https://www.netflix.com/title/82904943 SNSでも、ロス感が多く流れてくる。いろいろなレビューがつづられている。賛否両論あるらしいが、僕は面白かった。楽しかった。そして、とても考えさせられた。 決して文学的な素養があるわけでもなく、云々する資格があるわけでもないけれども、「洗濯/洗濯機」が、モチーフに描かれ、人間関係や心情が投影されている仕掛けになっていることにも非常に考えさせられるような思いがしていた。 このドラマの重要な舞台になるのが、「コインランドリー」だ。そして、人間関係や心情が、「好きな人フィルター」が、自宅の洗濯機の乾燥フィルターと重ねられるように、「洗濯/洗濯機」が登場人物の関係性や、心情と重ねて読み込んでいったときに、ドラマが訴えようとしているメッセージを読み解いていく手掛かりをもらえるような思いがしていた。 ・自宅の洗濯機と、コインランドリーという人間関係  物語の中で、コインランドリーでの「他人」との邂逅が重要なことがらの一つになっている。充と梓、咲子と樹。 お互いにパートナーをもつ、「他人」の二人。ただ、そこで交わされる会話は、家庭で、夫婦間では話せない、ささやかな秘密であったり、ガス抜きになり、人生や生活において必要な時間になっていく。  「いなくてもいい相手」「嫌われてもダメージを受けない相手」だからこそ話せることがある。しかし、それは逆説的にそういう場所や相手がいることによってもたらされるなにか、得られているなにか、支えられている何かがあるということでもある。  自宅にあるそれぞれの洗濯機は、日常を支え、なければ生活が回らなくなってしまう。しかし、月に1度たまに、特別な家ではできない洗濯をコインランドリーでする。家庭の洗濯機ではできないほど、「お店にある大量の洗濯物」を一気に選択することや、タオルやTシャツをふかふかに乾かすことができる。それはある意味で、メンタルのリフレッシュと重なる描写でもあった。  自宅では処理できない感情や...

【行事のおしらせ】哲学カフェふくろう主催「お坊さんに会いに行こう」

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 ずっとバタバタと過ごしすぎてしまっている気がします。あっという間に時が過ぎていきます。 昨日、西正寺寄席(第29回)も無事に終わり、すこしほっとしています。  今週末には、休みを取って家族と旅行に行こうと思っています。  いろいろと情報をつらつらと書いておりますが、来月18日には、表題のようなイベントが西正寺に持ち込まれます。  哲学カフェに参加されている友人のS氏から、こうこうこういうイベントがあるので、受けてくれないだろうか(取意)というご依頼があって、お受けしたものでもあります。  仏教や哲学に関心のある方たちのあつまりということで、好き勝手に普段思っていることをお話しても、それは哲学好きの方たちだからきっと許されるに違いないと、暴走するかもしれませんし、いつもどおり、普段お話しているようなお話をするかもしれませんし、ぼんやりとその場にたたずむだけで、まさに「会う」だけで終わってしまうお坊さんになるかもしれません。  主催は、哲学カフェふくろうさんなので、できるだけ会の趣旨に合うようにふるまいたいと思います。  夜の時間で恐縮ですが、よろしくお願いします。  

友人と旧交を温める

 大学時代の友人2人と同窓会の夜。いつもは、もう一人いて、大学のときに同じ学部で仲良く付き合い続けている気の置けない友人4人で同窓会をしているのだけれど、その一人は、ドイツに留学中なので、今回は3人で。  一人は長野県からきてくれるN氏、もう一人は山口県から来てくれるM氏。    昔のことや、現在の家族や仕事のことなど、裏表なく、気兼ねなく話し、夜遅くまで時間を過ごした。楽しかったし、一晩明けて思い出して楽しんでいる。  論語に曰く、「有朋自遠方来、不亦楽乎」 朋の遠方より来たる有り、また楽しからずや。 大学時代にしたことは、30年近くたっても、ずっと「あの人はあのようなことをしてたね」という語りが残っていて、若いからの過ちも失敗も、自分自身にあったけれど、それなりに実直には生きてこれたなともふりかえっている。 (こんなことをいうていて、おまえあんなことやってたじゃないか、こんなことやってたじゃないかというのは、どうぞお控えくださいw)  

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