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【行事のおしらせ】哲学カフェふくろう主催「お坊さんに会いに行こう」

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 ずっとバタバタと過ごしすぎてしまっている気がします。あっという間に時が過ぎていきます。 昨日、西正寺寄席(第29回)も無事に終わり、すこしほっとしています。  今週末には、休みを取って家族と旅行に行こうと思っています。  いろいろと情報をつらつらと書いておりますが、来月18日には、表題のようなイベントが西正寺に持ち込まれます。  哲学カフェに参加されている友人のS氏から、こうこうこういうイベントがあるので、受けてくれないだろうか(取意)というご依頼があって、お受けしたものでもあります。  仏教や哲学に関心のある方たちのあつまりということで、好き勝手に普段思っていることをお話しても、それは哲学好きの方たちだからきっと許されるに違いないと、暴走するかもしれませんし、いつもどおり、普段お話しているようなお話をするかもしれませんし、ぼんやりとその場にたたずむだけで、まさに「会う」だけで終わってしまうお坊さんになるかもしれません。  主催は、哲学カフェふくろうさんなので、できるだけ会の趣旨に合うようにふるまいたいと思います。  夜の時間で恐縮ですが、よろしくお願いします。  

友人と旧交を温める

 大学時代の友人2人と同窓会の夜。いつもは、もう一人いて、大学のときに同じ学部で仲良く付き合い続けている気の置けない友人4人で同窓会をしているのだけれど、その一人は、ドイツに留学中なので、今回は3人で。  一人は長野県からきてくれるN氏、もう一人は山口県から来てくれるM氏。    昔のことや、現在の家族や仕事のことなど、裏表なく、気兼ねなく話し、夜遅くまで時間を過ごした。楽しかったし、一晩明けて思い出して楽しんでいる。  論語に曰く、「有朋自遠方来、不亦楽乎」 朋の遠方より来たる有り、また楽しからずや。 大学時代にしたことは、30年近くたっても、ずっと「あの人はあのようなことをしてたね」という語りが残っていて、若いからの過ちも失敗も、自分自身にあったけれど、それなりに実直には生きてこれたなともふりかえっている。 (こんなことをいうていて、おまえあんなことやってたじゃないか、こんなことやってたじゃないかというのは、どうぞお控えくださいw)  

古いPCの壊れた液晶を交換をした

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ここ数年、壊れた液晶のレッツノート(先代PC SX1)をそのままにしていた。 子どもが「おしごとするわ」と、遊びに使うので、「まあこわれたままでもいいか」と、 液晶もれが若干あるPCで遊ばせていた。 けれども、最近、4才児らしく、機械の分解や修理に関心があるようなので、 よっしゃ、いっちょ直すか、とお参りが終わった午後に、液晶の交換をすることに。 振り返ると、昔も一度やっていた。 https://ryogo1977.blogspot.com/2007/05/blog-post_25.html 修理前のディスプレイの状況。 息子にパソコン修理する?と聞くと、「やるー!」とやる気満々。 youtubeの指南にしたがって、ケースを外す。   無事に液晶の取り外しができました。 新しい液晶を接続して、電源を入れてみると、うまくつきました。 うまく立ち上がったので、 子ども用のアカウントを作っておきました。 なんやかんやしてたら、ちょうど1時間くらいだった。 換装作業は、30分くらいでした。

経済的合理性の説得力にもっとあらがう何かがないといけないのではないか。

ここ数か月くらい、つとにおもうことは、 自分の行動や意思決定に「経済的合理性」というものが、いやというほどにしみこんでいるということ。 そしてそれは社会の中にも。 それがあることが悪いことである、とまではいわないが、 本来それを適用するべきではないところ、 ひいては、行動や意思決定のすべてが、その経済的合理性に毒されてしまっているという部分があるのではないかと思わされることがしばしばある。 さらに、それは個人のレベルだけではなく、集団の意思決定もそうで、その説得力の強力さ、抵抗のしがたさは個人のそれの比ではないものになってしまう。 このようなことをより強く考えたのは、春先に聞いた、ある神父さまの講演で、「精霊の声をきく」「精霊が教会になにをいっているのかもっと聞きたい」という言葉にふれたことが契機になっているとおもう。 それは、裏返しに私たち(私)が、耳を傾けようとしているものが、いかに「お金の話」でしかないかと反省させるものだった。 この行為にどれだけのリターンがあるか。 どれだけの経済的合理性(コスパ)があるか。 そんなことばかりで、日常を過ごしていないだろうか。 むしろ、お金をかけてまでするべきこと。 経済的合理性に反する「損」をしてまで、したいことはなにか、するべきことはなにか。そういうものにもっと目を向けること、そういうものをもっと手に入れることが生きる意味や、生きる上での豊かさを手にするということではないかと考えている。

研究座談会「NPOとソーシャルビジネス ―「事業」と「運動」のジレンマ 津富宏先生の問いかけをもとに」開催のご案内(2026年4月22日(水))

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 大学も新年度がはじまりました。先日、研究科の専攻別説明会も開催され、いよいよ新年度という気分も高まってきました。7日火曜日からは、講義が始まる予定です。  さて、昨年度から大学で開始した、私の研究室主催(という名目ではありますが個人的な企画でもあります)研究座談会を今年度も開催していきたいと思っています。  今月は、昨年12月に予定いただきながら、私の個人的事情により、延期をさせていただいておりました標題のテーマ・御講師に再調整をいただき、開催させていただくことになりました。  多くの皆様のご参加をいただきたいと思っています。 趣旨や情報については、以下に記載していきます。どうぞよろしくお願いいたします。  参加申し込みフォームはこちら https://forms.gle/dda6XVEekKEs7uNK8 【講師と今回の講演内容について(中平の見解でご紹介しています)】  今回ご講師として、お越しいただく能島裕介先生は、全国の若者支援、NPO界隈では大変著名な方でいらっしゃいます。(と私は認識しております)  学生時代からこどもの学習支援の活動に関わられ、NPO法人ブレーンヒューマニティ( https://www.brainhumanity.or.jp/ )を設立されました。学生時代からながく、子どもの支援活動、NPO活動にかかわれてきました。  また、ソーシャルビジネスプランコンペ(「社会起業家を目指す若者のためのビジネスプランコンペ」)を企画・開催するNPO法人edgeの専務理事等としても活躍され、NPO法人や ソーシャルビジネスの立ち上げの支援などもされてきた方でもいらっしゃいます。  また、近年は、尼崎市における教育行政のブレーン的な役職を経験され、尼崎市 参与、教育委員会 教育次長、こども政策監といった立場を歴任されてきました。  2025年からは、園田学園大学准教授として、アカデミックな領域でもご活躍の幅を広げられています。   中平との関係でいえば、もともとは尼崎市の活動のなかで顔を合わせる機会をたびたびいただいておりましたが、私が2021年度~2024年度まで教育委員をさせていただくなかで、教育委員会理事として、ご一緒にお仕事をさせていただく機会をいただいていました。  そのほか、さまざまな背景もあり、最近では公私にわたる関係をもたせていただいて...

婚姻届けの提出が多いらしい 3月5日

 SNSに、ある自治体の公式なコメントとして、3月5日は婚姻届けの提出が大変混雑すると予想されています云々という投稿。 ◎  西宮市HPの「市民課窓口の混雑状況について」 いったいどういうことだろうとネット検索してみると、単純に年度末(引っ越しや、もろもろの変化が生じやすい時期)というだけではなくて、どうも以下のようなことらしい。 ◎ FNNプライムオンライン  「きょう3月5日は“最強開運日”で役所は婚姻届「窓口混雑」注意呼びかけも 天赦日・一粒万倍日・寅の日・大安重なる「四重吉日」 」 https://www.fnn.jp/articles/-/1010574 ◎ 朝日新聞 「「5日は窓口が大変混雑します」最強開運日で兵庫・西宮市が呼びかけ」 https://www.asahi.com/articles/ASV344FDNV34PIHB00PM.html これは、いろいろと考えさせられることでもある。 一つには、現代社会で、「宗教的なもの」がもつ影響力が、具体的にこういう形で表れているという一例だといえる。 また、浄土真宗(真宗)という、信仰や文化のなかに生きている自分にとっては、すこし「違和感」というか、「異文化」というか、異質性を感じる対象でもある。浄土真宗は、「日を選ばない」教え/信仰でもあって、「大安」とか「仏滅」等の六曜や、その他の日のよしあしとういことは、ほぼ気にしない。 (浄土真宗のお坊さんが、ときどき、お葬式に「友引」ということを言及するのは、 「日の良し悪し」ではなくて、単純に「友引はお葬式が少なくなる影響から、火葬場がお休みになるのでお葬式が入る可能性がほぼない/できない」という、現実的な理由である場合がほとんどである) 逆に、多くの人が意識している「大安」とか、「なんとか万倍日」とか、なんだかんだということは、ある種の文化・信仰の一種(しかも、日本文化全体で必ずしも共有されているわけではない、限定的なもの)であって、決して絶対的な「何か」があるわけではないということも、知ってもらえたらとも思うのである。 ※ しばしば、こういったことが、「絶対的」、「みんなそうだ」と思われがちだが、決してそういうわけではない。 まあ、いろいろと思うことはあるのだけれど、こういうことがあるのだなと興味深くおもったので、記録もかねて書き残してく。

エジプトのキリスト教の教会にいってきました。

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エジプトのキリスト教の教会にいってきました。  先週、17日に神戸のベトナムの仏教寺院にご案内くださった、宗教学者のM先生が、木津川にあるエジプトのコプト正教会の教会がオープンディを開催するので、来ませんか?とお声がけくださったので、またまたお言葉に甘えて家族で参加してきました。 ↓ 先日のベトナム寺院の訪問の記事はこちら https://ryogo1977.blogspot.com/2026/02/blog-post_7.html    お参りを終えて、お昼過ぎから車で移動。高速道路を利用して、1時間ほどの道のりでした。到着したのは、木津川にある、聖母マリア・聖マルコ・コプト正教会。  すでにイベントは開催中で、お参りの時間から参加させていただきました。  エジプト人の教会の信者さんたちがホスト役として、お迎えや教会、エジプトの文化等について紹介など、いろいろなお役をされていました。  入ると讃美歌の生歌唱。うたわれている方が作曲され、アニメソングやポップスのような軽やかで、ある意味で親しみやすい、けれども「主を讃えよ」とか、「神は全能」といったよう賛美が歌詞の歌。  時間をとってお話しされていたのは、京都の大学の博士課程に在学中の男性。  エジプトの文化、コプト正教会のこと、キリスト教のことをレクチャーしてくださった。  終わりに、クイズのような仕掛けがあって、聞いたことを遊びながら確認する時間も。これらのプログラムは、信者さんたちが主体的に企画されて、運営されている様子。司祭さまは、後ろの方で、あたたかく見守られていた。   レクチャーのスライド。コプト文字という、エジプトのアルファベットだそうだ。 コプトというのは聞き慣れないけれど、「エジプト」と語源を一にする言葉らしい。 最後に司祭さまからのご挨拶。  お参りと、レクチャー・質疑応答の後は、3階のホールで、スイーツを食べながらの交流タイム。 いただいたのは、お米を甘く炊いて、ドライフルーツやシリアルのようなものがかかったお菓子。なかなかおいしかった。  息子(4歳)も異文化体験。  会場にはたくさん子どもたちもいて、イベントの時間中に楽しく遊んだり、動画を見たりしていた。  こんな風に同じくらいの子どもたちがあつまって団子状態に。  なにをしているかというと、スマホで動画を見てる様子。。。。いまどきである...

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