2016年11月24日木曜日

RYOJI+砂川秀樹 編『カミングアウト・レターズ -子供と親、生徒と教師の往復書簡』


RYOJI+砂川秀樹 編『カミングアウト・レターズ -子供と親、生徒と教師の往復書簡』
 LGBT関連。特に、ゲイ・レズビアンの同性愛の当事者が身近な親・教師にカミングアウトして、その時のことを振り返る往復書簡で編集されている。また、後半には同性愛の当事者の子どもを持つ親(家族)による「座談会」の記録も。
 
 当事者だけでなく、カミングアウトされた「身近な人」の思いに触れることのできる一冊。
 カミングアウトする当事者も、された相手も、一様ではなく、また対応に答えがあるわけではない。
 すっとうけとめられた人もいれば、長い年月が経っても受け入れられず、葛藤を抱える母親もいる。
 本を読むうちに「葛藤」という言葉が、澱のように、すっと胸の中に沈殿していく感覚があった。
 しばらく、このことばと向き合う必要があるのではないか、という感覚。

【葛藤について】  葛藤など、ないほうが楽だろう。   でも、現実にはさまざまな葛藤がある。  人と人の間に生じる「葛藤」。親子関係、友人関係、恋人関係、師弟関係。  受け入れがたいことや、納得できないことを抱えつつ、人と向き合うことが、少なからずあるだろう。思い通りではない、目の前の人。「あなた」。   「あるはずではない(あるべきではない)、消すべき葛藤」というよりも、  「葛藤が生じても、向きあわなければならない相手との関係」っていう見方もできるのではないか、  人と人との間に生じる「葛藤」ともう少し真摯に向き合わないといけないのではないか。  うまく言葉にできないけれど、「葛藤」ともう少しお付き合いしなければいけないような気付きがあった。  思えば、自分の人間関係にもさまざまな葛藤がある。
 家族関係にも、友人関係にも、職場にも、それぞれ大小はあるけれど、葛藤があって、その中で身じろぎしながら、自分は生きているのだなぁと。


【一部抜粋】
・「たいていカミングアウトは、そんな社会のあり方や、かってに自分のことを異性愛者と見る人に対して抗議をするといった気持ちでおこなわれるわけではない(もちろん、そのような意味を持っておこなわれることもなくはない)。むしろ、誰かにカミングアウトするときには、「この人に自分のことをもっと知ってもらいたい」「この人ともっと深く付き合いたい」という思いが動機となっていることの方が多いのだ。」(198頁)

・カミングアウトを受けた人にまず言いたいことは、「その人があなたにカミングアウトをしたということは、あなたのことを信頼し、また大切に思っているからだ」ということ。(208頁)

・この二組のやりとりは、学校という場において、教師がセクシュアル・マイノリティを含めたマイノリティに対する意識を持ちそれを伝えていくことが、いかにそこにいる生徒が自分を肯定し楽になれるきっかけを与えるかを教えてくれるものとなっている。(213頁 生徒による教師へのカミングアウトの事例にふれて)

・(カミングアウトされた先生のことば、自身の「クリスチャン」という信仰を踏まえられて)
 今ひろく世の中の人びとが当たり前に享受している「人権」という考え方は、権力やマジョリティから積極的に虐げられるか無視されるかしていた、弱者の立場にある人たちが一つずつ、声をあげて、非常な圧力にもめげず運動を続け、獲得していってくれたものなのです。だから私は、自分のマイノリティ性を誇りに思うし、隠したり忘れたりしてつまらないマジョリティの一員になってしまわないように、気をつけながら生きたい、と思っています。(132頁)


2016年9月28日水曜日

社会保障の議論の前提(おぼえがき)

某氏の主張や考えについては、常々違和感があり、また、関与することも避けたいと思っていた。けれど、通勤中にふと目にしたこの記事は、そこを問題提起としつつ、考えさせられるべき点が多かった。
・社会問題について議論する前提とは何か、ということについて提示されているということ。
・僕らのような宗教者や、思想に関わるものが、「職」として、社会にどのようにコミットすべきかということについて、示唆されているように感じられる。
著者さんについては、どんな方がしらないけれど(薬剤師さんらしい)
以下、ブログから抜粋、それでも少々長いけれど、転載。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
年金、医療や介護、子育て支援、失業者の救済といった「社会保障」について語る際、その理念を前提とせず、議論することはできません。
社会保障の理念の中で、代表的なものは『社会による包摂』、つまり
『貧困や失業、健康不安により社会から結果的に排除される人々を、再び社会の関係性に引き入れよう。どのような立場や状況にあろうとも居場所と役割があり、互いの存在意義を認め、尊重しよう』
とする概念です。そして実際に、この理念に力を与えているのが、社会に共有される「人権意識」や「倫理観」であるといえます。
(中略)
個人的な印象としては、日本が戦後、経済大国の仲間入りをする過程で、核家族の増加や長時間労働に伴う世代間の交流の減少があり、また経済的な成功こそが人間としての成熟だとする誤った理解が広がる中で、日本の高所得者層・リーダー層を中心に「新自由主義的な思想」(自由放任・規制緩和・自己責任・小さな政府を志向)が浸透しすぎたのではないか、歯止めとなるべき社会規範が弱かったのではないかと考えています。
収入や社会的地位が高いほど、こうした思想に染まりやすいとされますが、日本のリーダー層や制度設計担当者、マスメディアに広がるのは非常に危険です。
日本では政府系の会議に企業経営者が「有識者」として招聘されがちでもあり、こういった思想に対し、その都度、強い口調で拒否の意向を示すことが必要なのかもしれません。

http://www.huffingtonpost.jp/hidekazu-takahashi/dialysis-patient-yutaka-hasegawa_b_12189180.html?utm_hp_ref=japan

2016年9月5日月曜日

ハワイにおけるchaplaincy

【ハワイにおけるchaplaincy】
 
 先日来、大学のハワイ研修に同行しています。
 いくつものまなびがありますが、日本で耳にしていたことも、現地の実際にそれに従事している方からうかがうと、やはり全く違う印象や、実感をもつ、ということもあります。

 ある意味、ハワイでの「僧侶」の活動は、(一般的に)日本よりずっと社会的で、期待や責任が大きいと思われる面があります。それが、日常的に、僧侶(を含めた宗教者)が、日常的に、病院や高齢者施設などの社会施設を訪れる、ということです。

 今回、講義をして下さった開教使(浄土真宗では、ハワイで伝道活動をする僧侶を「開教使」と名称しています。)の先生によれば、

 ・病院は、週に1回
 ・高齢者施設等は、月に1回

 程度で、訪問されているとのことでした。
 例えば、病院であれば、宗教者が病院を訪問すると、入院患者のリストを見せてもらいます。
 そこには、患者さんたちの「信仰」に関する記載があり、そのリストをもとに、信仰を同じくする入院患者さんのところ(僧侶であれば、仏教徒の患者さん)のところに訪問し、お話をうかがったり、求められれば、仏教についての教えの語りや、儀礼などを行う事があります。

 訪れる患者さんは、その僧侶が日常から関係のあった「信者」(メンバー)であるとはかぎりません。病院訪問によって「はじめまして」と、初対面から関係を構築するような方にも、挨拶に訪れ、お話を伺うこともするそうです。

 そこでは、宗教的な問いや、その方のスピリチュアルな求めに応じたケア(← リンク参照・メディア特に芸能関係で一時話題になった、「スピリチュアル」とは違います)などが提供されます。 

 
 この分野については、日本でも、臨床宗教師や、臨床仏教師等といった研修が実施され、実際に病院等の医療施設、高齢者施設等の社会福祉施設で活躍する宗教者もいるけれども、まだまだ一般の認知は低いところでもあります。
 このハワイでのように、「宗教者がすべきこと」として、社会に対する義務として認知されること、あるいは、患者リストを閲覧して関与するような社会的システムになっているというのは、宗教者として考えるべきところが多くあるように思います。
 日本では、そのようになる道筋すらも見えていないようにおもうけれど、実際にそういう関与が、(海外の事例であるけれども)宗教者によってなされているということは、「あるべき姿」として、あるいは、「ありうべき姿」として、の可能性の一つとして、しっかりと考えるべきことではないかと思います。
 現地でその話をうかがえた、ということは、上に書いたように、日本で間接的な学びをするのとは、大きく違う印象をもってうけとることができました。

 実際に「医療現場」での関わりも目で見てみたいとはおもったけれども、それは将来の期待、ということで、胸においておきたい。

2016年8月31日水曜日

ハワイ研修_本願寺ヒロ別院

【ハワイ開教・ヒロ別院】

 ハワイに行くというと、いいなぁとうらやましがられた、というのと同じくらいあったことが、
なぜ行くのかと言うと、「ハワイにお寺があるの!」 と驚かれるというあるある。

 ハワイにも浄土真宗関係のお寺があります。
 主に、日系人の方たちが中心になってお寺を建立したり、お坊さんの派遣を依頼したりというのがその由来になります。現状では主に日系人のコミュニティのある場所に、多く浄土真宗寺院もまたあるということになります。

 今日では、地元の日系人以外の方にも、ご縁やつながりができて、あたらしいメンバーになるかたもいらっしゃるそうです。

 いろいろと課題などもありますが、それは別の機会に。

 28日に到着し、昨日29日から実質的な研修がスタートしました。
 29日は終日、ハワイ島の本願寺ヒロ別院(http://www.hilobetsuin.org/)で、ハワイでの浄土真宗の開教や、寺院、開教使(僧侶)の活動についてのレクチャーを受けたり、見学をしたり、(交流のバーベキューもしたり)というスケジュールでありました。

 
 

2016年8月17日水曜日

夜店と神楽と打ち上げと

【神社の夜店にいって、宮司さんと打ち上げに同席する】

 上坂部のお隣・久々知の神社で夜店があったので、顔を出してきました。
 カリー寺のスタッフで入ってくれた方がから、「カリー寺にスタッフだったSさんが家族できて、しゃべった」という話をきいてうれしくなる。

 地域のおじさまから「残っていけ」と声をかけていただき、おしまいの本殿での巫女さんのお神楽を拝見。 本殿に座るのも、神楽に触れるのも初めて。いい経験。

 片付けの後の打ち上げにも座らせていただく。
 神社の宮司さんも同席されていて、挨拶させていただき、結局最後の最後までご一緒させていただきました。 

 夏は行事がたくさんあって、いろいろと大変だけれど、交流とかこういう楽しみがないといけないな~とも。みんな楽しそうに行事に関わっていらっしゃる姿がとても印象的でした。


夜店の様子

すいかでかい!

打ち上げの様子

2016年3月4日金曜日

矢野久美子『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(中公新書、2014年)




矢野久美子『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(中公新書、2014年)

目次
まえがき
第1章 哲学と詩への目覚め 一九〇六-三三年
 Ⅰ 子ども時代
 Ⅱ マールブルクとハイデルベルクでの学生生活
 Ⅲ ナチ前夜
第2章 亡命の時代 一九三三-四一年
 Ⅰ パリ
 Ⅱ 収容所体験とベンヤミンとの別れ
第3章 ニューヨークのユダヤ人難民 一九四一-五一年
 Ⅰ 難民として
 Ⅱ 人類たいする犯罪
 Ⅲ 『全体主義の起源』
第4章一九五〇年代の日々
 Ⅰ ヨーロッパ再訪
 Ⅱ アメリカでの友人たち
 Ⅲ 『人間の条件』
第5章 世界への義務
 Ⅰ アメリカ社会
 Ⅱ レッシングをとおして
 Ⅲ アイヒマン論争
第6章 思考と政治
 Ⅰ「論争」以後
 Ⅱ 暗い時代
 Ⅲ「はじまり」を残して
あとがき

 本書は、ハンナ・アーレントについて、その誕生から逝去までの生涯と、思想について取り上げている。

 ドイツでユダヤ人の両親のもとで生まれたアーレントは、幼くして父を亡くすも、母を初めとしたユダヤ人親族のもとで育てられる。大学では、ハイデッガーとヤスパースに師事。その才能を伸ばし、多くの友人たちとの交流を持つ。やがて、ナチスによるユダヤ人の虐待・弾圧が始まると彼女自身も収容所に入れられるという経験をしつつ、アメリカへ亡命。終戦・ナチスの敗北後もアメリカを拠点としつつ、欧州との間を行き来しつつ、『全体主義の起源』『人間の条件』、「アイヒマン論争」を引き起こす『イェルサレムのアイヒマン』等の執筆、発言をしつづけた。

 アーレントの視点は興味深い。彼女の思索、視点はその生涯、ユダヤ人というアイデンティティ、そして彼女とユダヤ人がおかれていた政治状況とまったく無関係には成立していない。しかし、その言及は単なる「ユダヤ人」の権利や、地位向上を訴えるものにとどまらない。「ユダヤ人」という立場を前提にしつつも、普遍的な人間としての価値や、正義にコミットとしていくような深み、奥行きがつねに内包されているように思われる。

 たとえば『全体主義の起源』については、単に全体主義の歴史的事実、あるいはナチスドイツの全体主義批判をするのではなく、それを生み出した歴史、要素を分析、記述しようと努めているという。
 『全体主義の起源』に見られるアーレントの姿勢について、著者・矢野氏は「アーレントの叙述を注意深く読むと、そこには行為者かつ受苦者としての人間の選択のあり方、動き方が描かれている。別の可能性もありえた、それなのにどうしてこのような事態にいたってしまったのか、ということを考えさせる物語なのである。それは、要素を明らかにすることによって、それらの要素が再びなんらかの形で全体主義へと結晶化しようとする時点で、人びとに思考と抵抗を促すような、理解の試みでもあった。」(本書107頁)と評する。
 また、「アイヒマン論争」(映画『ハンナアーレント』(2012年公開)の中心的なテーマともなっていた)が引き起こされた『イェルサレムのアイヒマン』に見られるように、ナチスの官僚個人の悪、あるいはナチスの国家的な悪を単純に訴追するのではなく、ユダヤ人も含めた人間そのものがもつ悪、虐殺を引きおこした原因―考えることをやめ、言葉を放棄すること―へと視点を向けていることからもそれを窺えるのではないか。時にその姿勢は、同胞であるユダヤ人や、彼女自身が最も大切にした友人たちとの亀裂を生じさせることさえあった。しかし、彼女は、人間性・人権をおびやかすものの根底を見通そうとし、そしてそれを指摘し、それと対決する姿勢を持ち続けていたように思われるのである。亡命ユダヤ人というアイデンティティつねに持ち続けながら、政治状況下に身をさらし、自己の発言がもつ影響や危険性を考慮しながら。


 「アーレントと誠実に向き合うということは、彼女の思想を教科書とするのではなく、彼女の思考い触発されて、私たちはそれぞれが世界を捉えなおすということだろう」(本書229頁)と著者矢野氏はいう。それは、ともすれば「絶対的」に見える、単一の正義の主張に対して警戒すべきことを教えてくれているように思われる。
 つねに複眼的に、相対的にその「正義」を眺め、つねに他者と他者の抱える価値と思想にも視野に入れつつ、複雑な社会に於いて考えるやめないこと。無思考に陥らないことがそこを渡っていく処方箋であるように思われる読後感(というより、レビュー執筆感)だった。


【個人的所感】
 本書の中で、短いながらも感じるところがあったのが、アーレントの友人ベンヤミンのエピソードだ。
 アーレントの友人であり、心の支えでもあった批評家であったヴァルター・ベンヤミン。彼の思想には、「老子」の影響があり、「屈託のなさ」「しなかやさ」に注目していたという。
 彼はアーレントと共にナチスを逃れようとするも、ビザを持たず無国籍状態であった彼は、安全に亡命することができなかった。最終的には、アーレントらとは別にピレネー山脈を非合法に越えてフランスからスペイン側に入るも亡命の望みが叶わず、モルヒネを服用して自死する。

 彼は、自身の書いたメモや原稿をあちこちの友人に託していた。

”彼女に渡された原稿の一つである、いまでは有名な「歴史哲学テーゼ」(「歴史の概念について」)は、ベンヤミンの名前を宛先とするスイス新聞の封筒を切り開いた紙に、小さな這うような文字でぎっしりと書かれている。ベンヤミンが自身の命よりも大切にし、その行く末を案じていた原稿をたずさえて、アーレントはアメリカに着いた。・・・”
(本書78頁)


 この時代「思想」「哲学」「政治」を語ることは、自身の生きることそのものであったことを痛烈に感じさせるエピソードだ。新聞社から送られてきた封筒でさえ、重要な論文を執筆する紙面とする、奪われ、破棄される可能性さえも頭にありつつも、なお書き、それを公にすることを模索し続ける姿。
 少なくとも、思想研究をし、思想を語り、信仰を語り、文章を書くことを営みとする身にとっては、深く突き刺さる逸話である。

2016年2月23日火曜日

毎日新聞「境界を生きる」取材班『境界を生きる 性と生のはざまで』

とある依頼で、LGBT関連の資料と情報をまとめる機会をもらった。 そんなわけで、あらためてこの問題について関する本を一冊。
というか、そういう状況で手にとってしまって、また感情がゆさぶられたので。
・毎日新聞「境界を生きる」取材班『境界を生きる 性と生のはざまで』




 LGBTのことに関心を向けた数年前にまとめて買った本の中の一冊。すこし読んだだけで、切なさと、それぞれの決断で感情が大きく揺さぶられる。    人間には、一定の割合で「男性」と「女性」のいずれでもないか、あるいはいずれの特徴ももって生まれてくるということが起こりうる。性分化疾患(DSD)や、インターセックス等とも名称される。その当事者と家族をはじめとする周りの人たちの姿をとりあげたルポ。    生まれてきた子どもの性別を決める、という覚悟と決断を迫られる親、明確な性別のアイデンティティをもつことが許されず、つねに「居場所」がないという苦しさを抱えて生きて行かざるを得ないい当事者。  恥ずかしながら、「性別」は誰もが当然のように自覚でき、公表しうると思っていたが、現実には、非常にあいまいな状況におかれ、公表することもできず、ひとりで息を潜めて生きて行かざるを得ない状況があること、また、重すぎる覚悟と決断を無理矢理に背負わされていた人がいたということに対して、想像が及んでいなかったことをまざまざと知らされた一冊。  しかし、その苦しみに責任を負うべき悪い人がいるのか、というとだれのせいでもない。誰のせいでもない苦しみを共有したり、公言したりできない社会の方が、変わっていかなければいけないのではないかという思いを強くした一冊でもある。  僕が、LGBTのイシューについて、発言したり、関与したりすることにいぶかしがっている人もいる人もいるかもしれないけれど、一人の社会人としても、そしてなにより「宗教者」としても、この苦しみは知った以上に無視できないという思いがつよくなったからです。  なにもできなくても、そういう人がいる、ということを知るだけでも、その人が抱えている苦しみに変化をあたえることができる、ただ知ること、それが大きな意味を持つことだと思っています。

そんなわけで、ずっと頭の中にあった想い、
LGBTについて活動されている当事者の方に来ていただいて、
学び、語り合う場を西正寺でもつ企画を準備しています。
6月18日(土)の夕方ですので、もし関心を持って下さった方は、ご予定下さい。詳細は後日発表です。

   


2016年2月12日金曜日

今日のこと(2016/02/12金)

終日、大学の研究室にて。

主に、資料作成。
週末~週明けにやるべきことがたくさんあって、並行的にする=集中できない=停滞。

カルチャーセンターの講義、
とあるかいの話題提供、
「オトナテラコヤ」なる会での「縁起」についてのレクチャー
LGBTに関する資料作成。


2016年2月11日木曜日

今日のこと(2016/02/11)

午前、お寺の仕事(お参り)
午後、自室に掃除、片付け
    資料作成、等々。

 某研究所から、LGBTのイシューについて、まとめたスライドを作成する依頼を頂き、すこし手を付ける。理解が進ならありがたいと、前向き。

 今年に入ってから、ブログにほとんど手が付けられていなかった。
 そもそも、時間が経つのがいままで以上に早く感じる。

 日記程度でも、書いていこうか。


13日から15日までは、ちょっとハード。
3日連続で、人前でお話しする場をいただく。それも、みっつともまったくことなるフィールド。
そして、どれもいろんな意味で、大切な場。

大事に準備しようと思う。




 
 

「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...