ハワイにおけるchaplaincy
【ハワイにおけるchaplaincy】
先日来、大学のハワイ研修に同行しています。
いくつものまなびがありますが、日本で耳にしていたことも、現地の実際にそれに従事している方からうかがうと、やはり全く違う印象や、実感をもつ、ということもあります。
ある意味、ハワイでの「僧侶」の活動は、(一般的に)日本よりずっと社会的で、期待や責任が大きいと思われる面があります。それが、日常的に、僧侶(を含めた宗教者)が、日常的に、病院や高齢者施設などの社会施設を訪れる、ということです。
今回、講義をして下さった開教使(浄土真宗では、ハワイで伝道活動をする僧侶を「開教使」と名称しています。)の先生によれば、
・病院は、週に1回
・高齢者施設等は、月に1回
程度で、訪問されているとのことでした。
例えば、病院であれば、宗教者が病院を訪問すると、入院患者のリストを見せてもらいます。
そこには、患者さんたちの「信仰」に関する記載があり、そのリストをもとに、信仰を同じくする入院患者さんのところ(僧侶であれば、仏教徒の患者さん)のところに訪問し、お話をうかがったり、求められれば、仏教についての教えの語りや、儀礼などを行う事があります。
訪れる患者さんは、その僧侶が日常から関係のあった「信者」(メンバー)であるとはかぎりません。病院訪問によって「はじめまして」と、初対面から関係を構築するような方にも、挨拶に訪れ、お話を伺うこともするそうです。
そこでは、宗教的な問いや、その方のスピリチュアルな求めに応じたケア(← リンク参照・メディア特に芸能関係で一時話題になった、「スピリチュアル」とは違います)などが提供されます。
この分野については、日本でも、臨床宗教師や、臨床仏教師等といった研修が実施され、実際に病院等の医療施設、高齢者施設等の社会福祉施設で活躍する宗教者もいるけれども、まだまだ一般の認知は低いところでもあります。
このハワイでのように、「宗教者がすべきこと」として、社会に対する義務として認知されること、あるいは、患者リストを閲覧して関与するような社会的システムになっているというのは、宗教者として考えるべきところが多くあるように思います。
日本では、そのようになる道筋すらも見えていないようにおもうけれど、実際にそういう関与が、(海外の事例であるけれども)宗教者によってなされているということは、「あるべき姿」として、あるいは、「ありうべき姿」として、の可能性の一つとして、しっかりと考えるべきことではないかと思います。
現地でその話をうかがえた、ということは、上に書いたように、日本で間接的な学びをするのとは、大きく違う印象をもってうけとることができました。
実際に「医療現場」での関わりも目で見てみたいとはおもったけれども、それは将来の期待、ということで、胸においておきたい。
先日来、大学のハワイ研修に同行しています。
いくつものまなびがありますが、日本で耳にしていたことも、現地の実際にそれに従事している方からうかがうと、やはり全く違う印象や、実感をもつ、ということもあります。
ある意味、ハワイでの「僧侶」の活動は、(一般的に)日本よりずっと社会的で、期待や責任が大きいと思われる面があります。それが、日常的に、僧侶(を含めた宗教者)が、日常的に、病院や高齢者施設などの社会施設を訪れる、ということです。
今回、講義をして下さった開教使(浄土真宗では、ハワイで伝道活動をする僧侶を「開教使」と名称しています。)の先生によれば、
・病院は、週に1回
・高齢者施設等は、月に1回
程度で、訪問されているとのことでした。
例えば、病院であれば、宗教者が病院を訪問すると、入院患者のリストを見せてもらいます。
そこには、患者さんたちの「信仰」に関する記載があり、そのリストをもとに、信仰を同じくする入院患者さんのところ(僧侶であれば、仏教徒の患者さん)のところに訪問し、お話をうかがったり、求められれば、仏教についての教えの語りや、儀礼などを行う事があります。
訪れる患者さんは、その僧侶が日常から関係のあった「信者」(メンバー)であるとはかぎりません。病院訪問によって「はじめまして」と、初対面から関係を構築するような方にも、挨拶に訪れ、お話を伺うこともするそうです。
そこでは、宗教的な問いや、その方のスピリチュアルな求めに応じたケア(← リンク参照・メディア特に芸能関係で一時話題になった、「スピリチュアル」とは違います)などが提供されます。
この分野については、日本でも、臨床宗教師や、臨床仏教師等といった研修が実施され、実際に病院等の医療施設、高齢者施設等の社会福祉施設で活躍する宗教者もいるけれども、まだまだ一般の認知は低いところでもあります。
このハワイでのように、「宗教者がすべきこと」として、社会に対する義務として認知されること、あるいは、患者リストを閲覧して関与するような社会的システムになっているというのは、宗教者として考えるべきところが多くあるように思います。
日本では、そのようになる道筋すらも見えていないようにおもうけれど、実際にそういう関与が、(海外の事例であるけれども)宗教者によってなされているということは、「あるべき姿」として、あるいは、「ありうべき姿」として、の可能性の一つとして、しっかりと考えるべきことではないかと思います。
現地でその話をうかがえた、ということは、上に書いたように、日本で間接的な学びをするのとは、大きく違う印象をもってうけとることができました。
実際に「医療現場」での関わりも目で見てみたいとはおもったけれども、それは将来の期待、ということで、胸においておきたい。
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