2018年4月30日月曜日

西正寺「はすの会」2018・第二回

2018年4月28日
 13:30から、自坊で定期的に開催している「はすの会」。今年度2回目。

 今年のテーマは、「蓮如上人と御文章」。
 テキストとして、『書いて味わう御文章』を使用している。

・本願寺出版社リンク
https://hongwanji-shuppan.com/item/detail.html?icd=978-4-89416-434-5

・アマゾン
https://amzn.to/2HD7BTI

今回は、テキストの概説的な記述を扱いながら、
ご文章についてのあらましを解説。途中、吉崎での伝説的な逸話―肉付きの面、腹籠もり―についても触れる。

参加者は、いつもメンバーの他、新規で2名の方がいらっしゃってくださった。
西正寺での法要で、情報を知り、
インターネットで、僕の投稿等から関心を持ってきて下さったという。
 はすの会は、 平成27年(2015年)から、オープンな会として、1回ことの会費を設定して、出入りしやすくなるように意識してきた。おかげで1回のみでの参加や、ご門徒以外の方のメンバー化も増えてきている。これは大変うれしいこと。

 期待に応えられるように、準備や工夫を怠らないようにしなければいけないと思う。

 次回は、5月21日に、西正寺として宗祖降誕会法要がつとまるので、そちらに振替のような形となる。

2018年4月27日金曜日

関西臨床宗教師会の会議をしてきました。

4月26日 夕刻

日中、商店街のご挨拶まわり(https://ryogo1977.blogspot.jp/2018/04/blog-post_27.html)をして、夕刻からは、会議のため大阪梅田のサクラファミリアに向かいました。

事務局長を仰せつかっている、「関西臨床宗教師会」の会議のためです。

臨床宗教師とは、
医療・福祉など公共空間で、スピリチュアルケア・宗教的ケアを提供するなど、活動することのできるトレーニングを行った宗教者、あるいはすでにそのような場で活躍している宗教者を称する名称の一つとして使われています。
 特に「臨床宗教師」は、そのようなトレーニングを積み、守るべき倫理綱領を遵守することが求められていることが特徴といえます。
 日本臨床宗教師会 ホームページ http://sicj.or.jp/

2012年に東北大学で「臨床宗教師研修」が始まり、
勤務していた龍谷大学でも実践真宗学研究科が日本で2番目にその研修をスタートさせました。そのもろもろの関わりもあり、昨年から関西の臨床宗教師のグループ、「関西臨床宗教師会」で事務局長をすることになりました。

とはいえ、昨年8月にリスタートして、通年の行事や研修体制などを作っているところ、
積極的に活動に協力して下さっている役員や会員のみなさんで意見交換しながら、活動の方向をつめている段階です。

今回も、いつも来て下さっている役員会員の他に、新しく加わって下さった方も参加して下さり、活動の方針について、あれこれ意見交換することができました。

個人的には、社会一般に提供できる講座や研究会活動を展開していければいいなーとおもっています。

18:30から21:00に及ぶ長丁場でしたが、いい意見交換ができたとおもいます。
今後の活動も可能であれば、ご紹介していきたいと思っています。
どうぞよろしくおねがいいたします。

商店街にご挨拶まわり

4月26日(木)
 午前は、夕刻にある会議の資料づくりや、会計の計算。外部との連絡。
 午後からは、尼崎市市役所の職員さんTさんと、カリー寺スタッフの看護師Sさんとの3人で、上坂部商店街および上坂部内の各所をめぐりっていました。

 僕のほうは、カリー寺の地域連携を、Tさんは、尼崎市の取り組み「みんなの尼崎大学」と「みんなのサマーセミナー」の説明と協力要請を、それぞれがつながっている商店や街の人を紹介しながら、お話をしてまわる、ということをしました。

 まわったところは、
 ・地域の顔でもあるお菓子屋さん
 ・お花屋さん
 ・不動産屋さん
 ・豆腐屋さん
 ・神社の宮司さん
 ・上坂部集会所(見学・視察を兼ねて)
 ・コープさん
 ・たこ焼きやさん
  → おなじ建物の飲食店さんも紹介してもらいました。
 ・お茶屋さん
 ・和菓子屋さん
 ・バー

挙げてみると、いろんな人に挨拶してまわっていました。

挨拶にいって、初めて取り組みについて知って下さったところ、
関心を示して下さるところ、
意図を汲んでくれて、積極的に協力のかたちを提案してくださるところ

どこも、お話を否定せずに聞いて下さって、大変ありがたくおもいました。
地域をめぐることで、いろんな可能性があることを改めて感じました。

声を掛けてお話をしてみると、
ただお見かけしているだけではまったく知ることのなかった
お店や人の魅力が立ちあがってきて、
これからのお付き合いが始まるような予感がたくさんありました。

昨日は木曜日でもあり、閉店しているお店がたくさんあったので、
今日も午後からすこし継続して、まわる予定です。



2018年4月25日水曜日

熊野本宮大社→白浜ぐるっと

4月23日(月)いろいろとたてこんでいるにも関わらず、一日休みをもらいまして、車でぐるっと観光をしてきました。

吉野から奈良の奥地に入っていき、
弁天宗さんの廟所を見学した後、

「じゃばらサイダー」なる変わったサイダーを見つけて飲み、


十津川村の「谷瀬の吊り橋」(http://totsukawa.info/joho/kanko/)を渡り、


途中とても壮観な瀧を眺めた後、
 

熊野本宮大社(目的地)を見学、参拝。
(写真はのちほど)


近くの川湯温泉で、本当に川原に湧いている温泉があることを見聞して、
紀伊山地を抜けて、白浜温泉につかって、
帰宅しました。

移動距離は350㎞から400㎞くらい。
一日でまわれるものなのだなぁという感慨と、
あれこれ一気に行きすぎて、翌日にはずっと前の出来事だったような感覚にも・・・。






2018年4月23日月曜日

阪神東組・連研にて「幸せ」をテーマに考える

 2018年4月21日(土)午後は、阪神東組(地域の浄土真宗寺院のグループ)で開催されている連続研修会(連研)の講師を担当した。

 あらかじめ決められたテーマがある研修会。今回は、「自分だけで幸せでいいのでしょうか?」という問いが設定されていた。けれど、講師に応じた変更は認られるということであったので、そもそも的な点を問い直したいと思い、「そもそも幸せとはなんだろうか」というようなことを問い、参加者のみなさんの話し合いを見守った。
(講師が10分問題提起をした後、60分参加者による話し合い、その後講師によるまとめという構成)

 話し合いの冒頭、5分程時間をとり、ブレスト感覚で、「幸せ」を感じる時を書いてもらった。出てきた幸せの一部(かつ若干一般化して)を挙げると。

 ・友人と会うこと。孫や親族と会うこと。
 ・おいしいものを食べること
 ・趣味の時間
 ・新しいことを知ったとき、何かを達成したとき、

 いろいろな「幸せ」が出てきた。多くの人に共感されるものもあれば、そんなところに幸せを感じるのかと意外だったものもあったりもする。

 先日、この講座の内容をいきつけのカフェでしていた。そのマスターに「○○さんの幸せって何ですか?」って聞いたら、「猫と戯れるときっすね」という返事。その後、いくつか幸せと願望を聞かせてもらった。それをきいていながら、人それぞれの幸せがあっていいのだなぁと思った。

 もしかすると、人それぞれの幸せがあって、一般化するのではなく「多様な幸せのかたち」に触れることでなにか気づきがあるのではないかと思った。実際に、話し合いの場における「幸せ」についての語りは、興味深かかった。

 それから場は、幸せと不幸せの境目、またそれがそれぞれ何によってもたらされているのかという話になった。参加者による議論は、「自分のこころもち」「自分がどのように振る舞うのか」という人間の営みや理性によってそれを求めようというような議論になっていった。
 
 しかし、流れを聞きながら、自分にとっては、そこでこそ仏教的な視点が投影される部分ではないかと思われた。
 幸せはなにによってもたらされるのか、不幸せはなにによってもたらされるのか。そのような根っこになるのが、僕にとっては宗教的な部分ではないかと思われた。

 想像を絶するような災いや、自分自身が生きる意味や、生きている価値を見失うような状況。そのような場面において、「宗教」(僕にとっては仏教)が最も力を発揮する、あるいはその人の中にある宗教的なものの蓄積や、あるいは宗教的なものがもつ力がもっとも立ちあがるのではないだろうか。

 人をして立たせる力、あるいは転倒していつか再び立ちあがらせるような力を与えるもの、あるいは、そのまま倒れ力尽きたとしてもそれを無意味で終わらせないようなものそれが何かを問うたり、あるいは想像を働かせてみること、またそうすることで、いまここにある「幸せ」がなにによってもたらされているのか、違った見え方が立ちあがり、異なる「幸せ」の味わい、見えていなかった「幸せ」ももたらされるものなのかもいれない、等と考えたりしていた。

 ただ、それが無条件に宗教的なものに結びつくわけではなく、何か(宗教的なチャンネルを開く)「回路」のようなもの、あるいは何らかのきっかけがないと、そのような思考にはならないのかなぁということも、議論が宗教的なものにアクセスしないまま進んでいくような(印象をもつ)状況であることを見ながら考えていた。 (未完・雑感)




2018年4月20日金曜日

【イベント】普通を語ろう(仮)



2018年4月19日(木)19:00~21:00
「普通を語ろう(仮)」という行事を開催しました。

 そもそもは、3月のある日。フェスブックで、人それぞれがもつ「普通」についての投稿を挙げていた友人の「まるちゃん」。彼とのやりとりで、すぐさま(ほとんど勢いで)「普通について語る場を持ちましょう」ということになり、これまたフェイスブックでイベントページを作成しました。

 大した広報も、熱量も傾けずに当日を迎えました。
 ただ、面白い場になるだろうなぁという期待だけはあるなかで、当日を迎えました。

 主催者二人のSNSの投稿とやりとりには、この1ヶ月多めに「普通」や「常識」という語が意識されていました。とはいえ、当日まで、大した準備もしませんでした。
 
 参加費は、西正寺イベントでは恒例のおさい銭システムでしたが、当日、
ごくごく普通の常識的な額を設定することにしました。

 

みなさんの参加費の常識がどのようなものだったかは、みなさんの「普通」にお任せします。(※ 経費分以外は、懇親会の足しになりました)
 

当日は、10名の参加者がありました。主催者2名も含めると場には12名。(内1名は、最後10分だけの参加でしたので、多くの時間は11名でしたが)

「どうしてこの会にきましたか?」ということも含めて自己紹介をする中から、いろんな「普通」がでてきました。
 
 使いたくない「普通」、「普通」に暮らしたい、特別じゃない「普通」、おしつける「普通」、・・・。

前半戦から、僕が考えていた「普通」を超える、たくさんの普通があつまってきました。

 「普通をつかわないのはどういう思いなんだろう」、「普通を使うときはどういう意図や思いがあるんだろう」。

 意味や用例から、そこに乗せられている思い、どういう時に使うんだろう、あれこれ、あれこれ、話していく内に、あっというまに時間がたっていきました。

 それぞれがいろいろなことを考える時間になったようでした。


 延長戦は、近くの居酒屋「ふる里」で。
 これまたにぎにぎしく語らいました。


最後に、個人の振り返りとしては、

・一緒に会をやってくれ、素敵なファシグラも担当して下さった「まるちゃん」さんありがとうございました。
・場のファシリテートについても、いろいろな試みや、実践をしてみたと同時に、自分自身の中の感情や、不足についても気がつくことができた経験になりました。



(意外と似ているように思うのがちょっと悔しくも感じる、とても素晴らしいファシグラ似顔絵)

2018年4月18日水曜日

【新聞掲載】2018年4月17日産経新聞夕刊_テラハ「尼崎・JR脱線事故」の会とその後

2018年4月17日の産経新聞の夕刊に、リンク先のような記事を掲載いただきました。

『産経新聞』2018年4月17日夕刊
「悲しみを背負った街-目撃者の現場住民も「関係者」 家の前で電車が…僧侶ら思い聞き取る」https://www.sankei.com/west/news/180417/wst1804170055-n1.html


 これは、昨年(2017年)3月4日の開催した「テラからはじまるこれからのハナシ。vol.04 「街が背負う悲しみ」とそこで暮らす私たちの心 ~ 「脱線事故があった街・尼崎」にいるということ ~」(https://www.facebook.com/events/151892765303253/
)という会合と、そこから始まった聞き取りについて記事にしていただいたものです。

 講師として来て下さった山本佳世子さんが、テラハ。の場で起こったことに大変関心をもってくださり、研究として検討する道筋をたててくれました。僕自身も、研究というテラハがある程度の社会性をもった媒体にのっていくこともあって、主催者として、「日本臨床宗教師会」のフォローアップ研修会での活動報告や、いくつかの研究会での事例紹介としてお話をさせていただいてきました。その中で、今回記者さんが関心をむけてくださり、記事になったという経緯があります。

 とても丁寧に記事にしていただきました。また、夕刊の一面という大変大きな扱いをしていただき、反響もありました。
 一方で、微妙なニュアンスが、もしかすると意図しない印象を含んでしまっていないかと気になっているところもあります。
 
 私個人のコメントとしては、記事に
「遺族や負傷者に遠慮して思いを語ることができなかったが、(事故に)向き合ってきた住民がいることを知ってもらいたい」と簡潔にまとめられています。

 記事内では「遠慮」と表現されている部分については、このテラハを開催するにあたって、このブログでも投稿した以下のリンクの記事がそれに該当するかと思います。

 https://ryogo1977.blogspot.jp/2017/02/4.html

 事故現場に対して、語り得ない、控えめになってしまう私たちの立場は、以下の部分の言葉のようなことを考えています。

 つまりJRの脱線事故にしても、阪神大震災にしても、テレビや、メディアで提示されるような、その中心にいるような「当事者性」(あるいはそのイメージ)と隔たりがあるがゆえに、かえってそのものとの距離を私たちは正しく捉えていなかったのではないか、「わたしたちなりの関わり」ということについて、言葉をもたずにここまで来てしまったのではないか、という思いがしてならないのです。

 という、「周辺化してしまっている自己像」というべきものだと思っています。

 そういう知らず知らずのうちに周辺化してしまって、語り得なかった言葉が
テラハという場によって、紡がれてきたこと、そしてそういう場に立ち会えたことは、場を持つ者として、地域に生きる僧侶として、うれしいことでもありました。

 地域にすむものとして、事故現場近くにいるお坊さんとして、できることは知れていますが、わずかばかりの気持ちを向けながらいければとおもっています。





4年ぶりに大学での講義

4月17日(火)
火曜日は、龍谷大学への出講日。

今年度大学で担当する講義は、3科目。
・火曜2限:「教理史特殊講義」(大宮・真宗学科)
・火曜3限:「宗教実践特殊研究」(大宮・実践真宗学研究科)
・水曜5限:「真宗学概論」(深草・法・経営・経済・国際・短大等他学部開講)

 助手の3年間は、講義担当ができない立場だったため、大学での講義担当は4年ぶりのこと。最初の講義に向かう時には、少々緊張していた。先週は、尼崎での所用のため、休講にしていたので、今回が最初の講義になる。

 2限目・3限目とも、受講者の自己紹介、講義についてのオリエンテーションに時間を費やす。自分が重ねた年齢や経験が、4年前とは講義にのぞむ気持ちや、受講者との関わり方に余裕や変化をもたらしているような気がした。

 2限目の講義には、10名の学生の出席があったが、それぞれの自己紹介をゆっくりとしてもらった。聞いたことは、それぞれがどんなことをしているのか、どうしてこの講義を受講しようと思ったのか。同年代の学生同士であっても、それぞれが関心を向けていることが異なっていること、受講動機もそれぞれあることが知られた。

 それだけのことだけれど、そういう語りを聞いているなかに、全体として講義に対する安心感や、周りに対する信頼のようなものが醸成されたような気がした。(気のせいかも知れない)。
 それぞれが、ちゃんと講義という「場」に対する想いや期待を率直に、(ただの時間の調整の受講とか、単位が欲しいからきたとかということも含めて)真摯に語った中に、なんらかの思いの共有があったのかもしれない。あるいは、別のなにかの作用があったのだろうか。 少なくとも、場や講義に対して、良い感情が蓄積される時間を過ごせたような気がした。(気のせいかも知れない)
 
 あと、受講者のなかに1名年配の男性の方がいらっしゃった。仕事をリタイアして、「終活」をするなかで仏教を学ばれ、いろいろな考えにふれるなかで、自分自身でその答えを手にしたいというような思いで、大学での学びをつづけていらっしゃるというようなことを語って下さった。
 他の若い学生と一緒にそのお話を聞くなかで、自分自身が大学院のときに周りにいらっしゃった「年配の後輩」の方を何名か思い出した。その方達は、あきらかに若い学生とは異なる、強く熱いモチベーションで、まさに命を賭けるように、これまでの人生全ての問い直しをされているかのように、「必死」に勉強をされる姿を見せて下さっていた。そういう方たちと学生時代に知り合うご縁があったことは、自分にとって少なくない影響や教えをいただいたような思いがしている。
 われわれ若い学生達(当時20代)は、その姿をみることで、今自分が学んでいる「仏教」なるものが、その命を支えるものであったり、あるいは人生を賭けた問いに応えうるものであることを、なんとなく教えていただいたような思いがしていた。仏教を学ぶことにしても、僧侶として生きていく上においても、その姿に教えられ、伝えられたものは少なくないと思っている。
 そのようなことを思い出しながら、これからの講義に期待を馳せた。

 講義は、4年前の担当していた同名の講義をベースに1年間実施する予定だが、受講生の主体性を失わないように、言葉や問いを、僕と受講者の間で行ったり来たりさせながら実施させたいなぁと思う。

 3時間目の講義は、昨年まで関わった実践真宗学の院生が対象の講義。
 昨年までの縁を継続したような場でもあるような気がして、これもうれしい。




 
 



 

2018年4月16日月曜日

第十三回西正寺寄席 開催のご報告と御礼と。


2018年4月15日(日)14:30~16:30 第13回西正寺寄席を開催しました。
出演・演目は以下の通り。

・露の棗 大安売り
・露の団姫 天狗裁き
    中入り
・桂米平 たけのこ
     胴切り
・出演者3人によるトークコーナー
(三味線 はやしや 美紀)

おかげさまで、7年目・13回目を迎えました。
今回の入場者は83名(内・一名お子さま、スタッフを入れると、約90名)
のみなさんと落語を楽しませて頂きました。
企画・開催にあたっては、会場での募金箱で寄付を募っていまして、
そちらには、10315円のご協力を頂きました。
来場およびご協力に御礼申しあげます。ありがとうございました。

西正寺寄席は、西正寺実行委員会の主催、
西正寺と露の団姫事務所の共催という形で実施しています。

開催にあたっては、西正寺の門徒さん数名に、会場の設営、受付の担当をいただき、本当に助けて頂いています。もう手慣れたもので、高座の設置や、受付の準備物など、てきぱきと進めていただき、とても支えていただいて実施できているような状況です。
準備が整っていなかった僕が、あわあわとアレがまだ、コレが出てないと慌てていました。
 近隣の商店や関係のみなさまには、チラシ広報にもご協力いただきながら実施しています。今回も無事に開催することができたことについて、関係のみなさまには、大変感謝しております。ありがとうございました。

西正寺寄席について、当初は、お寺に気軽に足を運んで頂くきっかけとして、
また私自身が落語に興味を持っていたことから企画しました。
実施し、回数を重ねるなかで、いろいろな気づきや、支えをいただいてきました。また、当初は見えていなかった気づきもありました。

西正寺寄席を通じて、地域とのつながりや、さまざまな企画とつながることができたようなこともありました。動いてみると、見えてくる風景、つながっていける人やことがあるのだなぁと思いました。僕にとっては、はなまつりや、寄席を実施したことが、今の西正寺や地域へのつながりの1歩目、2歩目だったように思います。

 また、寄席を企画・実施するようになってから、思い至ったこともあります。
 この尼崎の地で、落語という芸能の場をもつことは、ささやかながら地域の文化・芸能を支え、作っていくことにつながっていくのではないかと思うようになりました。
 全国各地をみても、こんなにも落語家さん・芸人さんがいらっしゃる土地は東京や大阪近郊しかないのではないかと思います。また、尼崎には、人間国宝の落語家・桂米朝師匠がいらっしゃったこともあり、落語と落語家さんに大変親しみのある土地でもあります。

 西正寺寄席を実施することは、ささやかながら、地域の人と、そういう土地の空気を保ち支えていくこと、またこれからの地域の文化を醸成していくお手伝いになれば、大変うれしいことだなぁと思いました。

 課題や懸案もたくさんありますが、地域のみなさんの理解と協力をいただきながら、開催をつづけていけたらなぁと思っています。
 
 とりあえず、今回13回目を無事におえてほっとしました。
 今日は、いつものお参りと寄席の片付け、そして明日からの大学の講義にいそしみます。












2018年4月14日土曜日

内田樹「言葉の生成について」を読んで、

ふとしたことから拝見したブログ。
内田先生の言葉には、
いつも考えさせられる言葉、そうそうと漠然とした思いを言語化してもらえているような感覚になるものがたくさんある。

該当のブログ。
内田樹氏「言葉の生成について」
http://blog.tatsuru.com/2018/03/

まず一つ目。

読解力というのは目の前にある文章に一意的な解釈を下すことを自制する、解釈を手控えて、一時的に「宙吊りにできる」能力のことではないかと僕には思えるからです。
難解な文章を前にしている時、それが「難解である」と感じるのは、要するに、それがこちらの知的スケールを越えているからです。それなら、それを理解するためには自分を閉じ込めている知的な枠組みを壊さないといけない。これまでの枠組みをいったん捨てて、もっと汎用性の高い、包容力のある枠組みを採用しなければならない。
(中略)以前、ある精神科医の先生から「治療家として一番必要なことは、軽々しく診断を下さないことだ」という話を伺ったことがあります。それを、その先生は「中腰を保つ」と表現していました。この「中腰」です。立たず、座らず、「中腰」のままでいる。急いでシンプルな解を求めない。これはもちろんきついです。でも、それにある程度の時間耐えないと、適切な診断は下せない。適切な診断力を持った医療人になれない。


内田先生だったか、鷲田清一先生だったかが、答えのでない問題に向き合い続けることを、宙ぶらりんになりつづける体力、息を止めて潜水し続けるような感覚だといようなことを語られていたように思う。
 すぐに答えを求めるのではなく、考え続けなければわからないこと、ずっと心に留めて保留し続けることで、あるときに「ふっ」とわかるようになったり、ちょっとずつ味わいがわかるようになってきたりする言葉や理解があるのだろう。

その意味で、次の文章も趣き深い。

そしてある日、久しぶりに出版社の担当編集者から連絡があって、翻訳はどうなったと聞いてきました。そこでしかたなく押し入れから原稿を取り出して読ん
でみた。そしたら、ちょっと分かるんですよ。驚きました。別にその年月の間に僕の哲学史的知識が増えたわけではない。でも、少しばかり人生の辛酸を経験した。愛したり、愛されたり、憎んだり、憎まれたり、恨んだり、恨まれたり、裏切ったり、裏切られたり、ということを年数分だけは経験した。その分だけ大人になった。だから少しだけ分かる箇所が増えた。例えば、親しい人を死者として送るという経験をすると、「霊的なレベルが存在する」ということが、皮膚感覚として分かるようになります。祈りというものが絶望的な状況に耐える力をもたらすということもわかる。共同体を統合するためにはある種の「強い物語」が必要だということもわかる。そういうことが40歳近くなってくると、少しずつ分かるようになってきたら、レヴィナスが書いていることも少しずつ分かってきた。

 文章の読解、思想の意味の理解というのは、人生経験や体験を経て、初めて分かるというものがある。自分も年を経て、年を経ないと分からないことがある、というのが何となくわかるような感覚になってきた。
 そういう意味では、「仏教をわかりやすく」というオーダーとそれに答えていくことは、ある意味本質を失わせるのかも知れない。 誰にでも分かるのではなく、分かる人にしか分からない(分からない人もいる)という性質のものかもしれない。
 
 その意味で、梵天の勧請のエピソードにおける釈尊のためらい、というのも仏教というは、本来的に誰にも分かる教え、誰もが「真理」と承認しうるものではない、というのが性質としてあるのだろうとも思っている。

 「困苦して私に得られたところのものを、/どうしていま説いて(人に理解させる)ことができようか。/貪欲や瞋りに負けた人々に、この真理は容易にさとり難い。/これは世の流れに逆らい、微妙であり、深遠で、見難く、微細であって、欲を貪り、暗闇に覆われた人々は、見るをえないのだ」
(『律蔵』1巻5頁、※前田恵学『仏教要説』15頁より)

 「この真理は世間の流れに逆らい、微妙で奥深い。欲を貪り、無知の闇に覆われた人々が、この真理を見ることはできない」
(『マハーヴァッガ』1-1、※木村清孝『仏教の思想』16頁参照。)

 講義に際して、この部分の意味を考えたときに、上に述べたように、釈尊自身、そもそもそのさとりが、「(真理でありながらも)「真理である」と万人が承認すべき真理」としては、考えていなかったということができるのではないかと思った。

 自身の経験や好みでもあるが、仏教とは、すぐに理解できる部分があったり、であった瞬間に「ハッ」とさせられる衝撃をもってであうようなこともある一方で、どこかしら、わからなさ、理解のできなさとつきあうこともまた必要なのではないかと思っている。

 そして、最後に

 この経験からわかったのは、僕たちは意味が分からなくても読めるし、何を書きたいのかわからないままにでも書けるということでした。人間にはそういう生成的な言語能力が備わっている。読解力というのは、そのような潜在的能力を開発することによってもたらされるということです。(中略)そのうちにだんだん意味がわかってくる。でも、それは頭で理解しているわけじゃないんです。まず身体の中にしみ込んできて、その「体感」を言葉にする、そういうプロセスです。それは喩えて言えば、「忘れていた人の名前が喉元まで出かかっている」時の感じに似ています。「ああ、なんだっけ、なんだっけ。ここまで出かかっているのに、言葉にならない」というあれです。これはただ「わからない」というのとはもう質が違います。体はもうだいぶわかってきている。それを適切な言葉に置き換えられないだけなんです。

 この文章を読んでいて、ずっと文献に向き合いながら読んでいた時代を思い出した。
 読めば分かる、ではなくて、分からなくても読んでいく、ずっと読み返していく、そのなかで言葉が身体化していくようなところも起こってくる。文字を読み、思想に触れるというのは、そのような態度も要求されるのではないか、そのような読み方でないと、思想がわかったということにはならないのではないか、もし分かったとしてもその価値は半減以下になってしまうのではないか、なんとなくそんなことを思っていたなあと、ただ、格闘するように読んでいた時分もあったなぁと思い出した。

 ああ、ちゃんと文献読まなければとも反省。


 

NHK文化センター出講(歎異抄9条)「よろこぶべきことをよろこばぬにて」

2018/04/14(土)
 午前に、法務(月参りと法事)、午後からは、月一のNHK文化センターへの出講。

 4月は新年度。
 NHK文化センターは、2009年から担当させていただいているので、10年目になろうかというところ。前任の先生が20数年続けられたというところを引き継いで、規模を縮小しながらも、細々と継続できている。これも、受講者のみなさんの気の長い、寛大なお付き合いのおかげ。ありがとうございます。
 20年は無理と思っていたけれど、とりあえず半分。もう半分なのか、まだ半分なのか。

 新年度でも、内容は前期からの継続で、歎異抄の9条から。
 親鸞聖人と唯円の対話が印象的な一段。
 念仏しても喜べない、浄土に往生したいとも思えない、と悩み尋ねる唯円房とそれに対する親鸞聖人の対話。
 ここで出てくる「よろこぶべきことをよろこばぬにて・・・」という、本来の正しい、あるべきようだとされていることから、どうしても外れてしまっている自己の気づき、立ち上がりというのが、僕にとっては、真宗を理解し、考える上でも、また自分が味わう上でも肝要になっているポイントの一つだと思っている。

 受講者のみなさんにも、なんらかの思いがおこっていたようで、その点はすこしうれしい。

 とはいえ、まだ、「むずかしいなぁ」という言葉もあった。難しく難解にしているのは、講師の責任。申し訳ない思いと常に、講義をしている。

 大学院生時代に、某カルチャーセンターに出講し続けていた恩師が、
「大学で学生が分からないのは、学生の努力不足、
 カルチャーセンターやお寺で、伝わらないのは、講師の力不足」
ということばを おっしゃっていたのが、ずっと胸に残っている。

 また新年度、これからまた自分の勉強としても継続していきたい。

2018年4月11日水曜日

ミニ市民活動図鑑 でカリー寺とテラハ。の話をする。

2018年4月10日(火)9:00~12:00 14:45~17:30(朝・昼2回ありました)

尼崎市 みんなの尼崎大学さんを通じての依頼を受けて、尼崎市新人職員の研修会でお話をさせていただきました。

もちろん、仏教、宗教をテーマとしたものではありません。市民活動としての「カリー寺」と「テラからはじまるこれからのハナシ。」の活動についての事例紹介をしてきました。市内のさまざまな取り組みを紹介する「ミニ市民活動図鑑」という枠組みの中の一つです。他に、午前は8団体、午後は7団体が話しをされました。
 

・最初3分間で各団体が活動のプレゼンをし、
・受講生が気になった団体のはなしを個別に聞きに行く(10分~20分2セット)
・その後、1団体を選び、その団体の課題や、活動の展開に対するアイデア出しをするグループのワークショップとプレゼン(30分)

 という構成でして、がっつりと話しきる講師、というスタイルではありません。

 そのなかで、地域にお寺がある意味、お寺が地域でできる役割はなんだろう、という問いをもっていると話しました。もちろん、この場で答えが得られるものではなく、僕自身はずっと問い続けていくものなのだろうとおもっています。
 しかし、投げ掛けに対して、何人もの新人市職員のみなさんが好意的にいろいろとアイデアを出して下さったこと、その姿勢をみせてくださったことは、なにかとても勇気づけられるような思いがしました。

非常にうれしかったことは、
以前大学で僕の講義を受けてくれていた学生さん(しかも毎回最前列で!)と、10数年前に西正寺のはなまつりに参加してくれた檀家さんのお孫さんが、新人市職員として、今日の話を聞いてくれたことでした。これまでのつながりが、また形を変えてどう展開していくのか、とても楽しみです。




2018年4月7日土曜日

第十五回 西正寺はなまつり

2018年4月7日(土)
 第15回西正寺はなまつりを開催しました。
 はなまつりは、お釈迦さまのお誕生日(4月8日と伝えられています)をお祝いする行事です。今年は、18人の子どもたちと、その家族のみなさんでお祝いの行事を開催しました。

 内容は、
・開会
・アイスブレイクのレクレーション


・うでわ念珠づくり



・はなまつりのお参り
 (音楽礼拝、甘茶をかけてお祝い、お坊さんのお話)



・パフォーマンス
 (フットバッグのちゃーはんさん、たくとさんが、パフォーマンスを披露してくれました。)












・チョークで、境内に落書き
 たくさんの文字や絵を描いてもらいました。 毎年のことですが、これ大人の方が、楽しそうです。













最後に、
・記念写真と、甘茶を飲んで、お供えのお菓子のお下がりもらって解散しました。

(すこし遅れて2018年4月24日に記しました)






2018年4月4日水曜日

地域(シチズンシップ)と国際(NGO)(2)国際貢献のこと

3月31日(日)の午後は、大阪・上本町近くのホテルで開催された「関西NGO協議会」(http://kansaingo.net/)三十周年記念レセプションに参加。

この場へのつながりは、会員・関西の世話人として関わっている「NPO法人 アーユス仏教国際協力ネットワーク」の関わりで、事務局の方とつながり、お声がけいただいたといこと、それに加えて、関係している理事の方何名かとの関わりもあったことで、参加のお返事をさせていただいた次第。

 アーユス関係ですでに知り合いになっていたNGOの方何名かもいて、いろいろと懇談をしながら、関西NGO協議会の30年の歴史をうかがう。

 「国際貢献」という分野は、もともと関心があったフィールドではなかったのだが、いろいろなつながりで、関わりが増えるようになってきた。
 関わってみると、西正寺で書き損じはがきを集めて寄付をしたりしているように、日常の些細なことの積み重ねで、貢献することができること、あるいは、学ぶ中で我々の日常が、海外のさまざまなことがらとつながっていること、また場合によってはそれらが思っても見なかったひずみや、社会課題、あるいは紛争や飢餓、環境破壊の原因となっていることを知るようなことがあった。

 こういう地道な活動をされているNGO、国際貢献のとりくみを地域と結びつけるのは、もしかしたらお寺の一つの役割かも知れないなぁなどとおもいながら、参加されている方たちとの交流を持った年度末の午後。

 




地域(シチズンシップ)と国際(NGO)(1)地域のこと

実質退職初日・名目上任期最終日3月31日。
31日は、お寺のお参りもなく、休日。

昨夜、うっかりと居間のホットカーペットの上で眠ってしまい(よくある)、
気がつくと4:30。そのまま入浴し、お灸を据えるなどしたら6:00。
そのまま活動を開始する。

研究室から持って帰ってきた積み荷を車から降ろす。
部屋の片付け、荷物の整理は途方もないことになっている。全く終わりが見える状態ではない。まあ、なんとかするしかないと思っている。

31日は、午前は市内で実施されていた「尼崎しみんシップまつり」へ。
https://www.facebook.com/events/601086396894410/
友人の多くが関わっていること、地域・シチズンシップに関わるイベントということで参加する。

 参加した感想としては、予想よりも多くの人が参加していた印象。
 知らなかった市民活動もあって、興味深かった。
 また一つ尼崎のことを知れたような思い。

 一方で、シチズンシップ、市民意識の向上ということが会の趣旨とおもうが、参加していた人は、すでにシチズンシップとか、主体性の高い人、あるいは何かの活動をすでにされている人が多かったような印象があった。その意味では、来るべき人たちが来ていたのかなぁという印象。とはいっても、少なからず新しいつながりも生まれていたようで、こういう地域の取り組みを重ねていくことが、つながりのあるまちの形成につながっていくのだろうということを思いながら参加していた。

 午後からは、関西NGO協議会の30周年パーティに参加するため、閉会まではみとどけずに会場を後にした。
(続きはこちら https://ryogo1977.blogspot.jp/2018/04/blog-post_4.html




 オープニングも、市民と役所の担当課の方が協働して司会。











総合司会は「お笑い行政講座」のお二人。
さまざまなトラブルにも、華麗に対応。








活動紹介には、怪獣ガサキングαも登場。
三和市場、商店街あたりで活動しているとのこと。

胸の「三」の文字をはじめ、体中に「三」と「和」が象徴されるものがあしらわれているという。





「みんなのあまがさき大学」にガサキングも入学願書に記入。
 怪獣が学生の大学って・・・。








「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...