ツイッター継続中。
こっちのブログの更新がおろそかになりがち←ツイッターを始める前からそうか・・・。
ツイッターと一緒にエバーノートを利用して、情報の集約・整理を試み中。
いろいろとおもしろいこともできそうで、試行錯誤の段階。
南港やらをフラフラ。
井上雄彦の展観がサントリーミュージアムでやっている。
当日チケットが売り切れで、入館できず。
2010年2月21日日曜日
2010年2月14日日曜日
ツイッター
いろいろと実験中。
◆ツイッターに加入。
昨日アカウントを取得。
右の如くにブログに表示できるようになった。
◆エバーノート
佐々木正悟氏の本に紹介されていたので導入。
ツイッターとリンクして使用することができる。
現在試行錯誤中。
ツイッターからも、メールからも書き込みが蓄積できるのがgood
◆google buzz
グーグルバズを試してみたのがそもそもの始まり。
でも、始まったばかりのためか、他のものとのリンクがうまくできない。
今後改善されるか?
◆ツイッターに加入。
昨日アカウントを取得。
右の如くにブログに表示できるようになった。
◆エバーノート
佐々木正悟氏の本に紹介されていたので導入。
ツイッターとリンクして使用することができる。
現在試行錯誤中。
ツイッターからも、メールからも書き込みが蓄積できるのがgood
◆google buzz
グーグルバズを試してみたのがそもそもの始まり。
でも、始まったばかりのためか、他のものとのリンクがうまくできない。
今後改善されるか?
2010年2月12日金曜日
google バズ
gmailにログインしてみると、googleバズなる新しいコンテンツにお誘いを受けた。
今流行のツイッターとどうように、googleでもつぶやこうというもの。
とりあえず、何件かつぶやく。
問題は、アカウントとニックネームが、gmailと完全に連動していて、本名が示されてしまうということ。
なんとかならないかなぁ。
検索してみると、やはり問題点として取り上げられている。
googleさんが問題としてとりあげて、早々に対応策がとられるだろうと期待。
今日は滋賀県に梵音具調査。
けっこう早く終わり、次なる予定まで少々空き時間。
次は19:40から、中国語。
今流行のツイッターとどうように、googleでもつぶやこうというもの。
とりあえず、何件かつぶやく。
問題は、アカウントとニックネームが、gmailと完全に連動していて、本名が示されてしまうということ。
なんとかならないかなぁ。
検索してみると、やはり問題点として取り上げられている。
googleさんが問題としてとりあげて、早々に対応策がとられるだろうと期待。
今日は滋賀県に梵音具調査。
けっこう早く終わり、次なる予定まで少々空き時間。
次は19:40から、中国語。
2010年2月3日水曜日
どたばた。
2週間ぶりくらいの更新。
いろいろな準備や作業が立て込むと、まずブログの更新が犠牲になる。
手帳を見返すと、この2週間は、けっこう立て込んだスケジュールだった。
研究所の常勤メンバーは、もっとハードなスケジュールで動いているので、
これくらいでしんどいというのはおこがましい。
五木寛之『歎異抄の謎』 (祥伝社新書 188)
本屋で見つけて、『歎異抄』の講座を持たしてもらっているのだからと・・・と買った本。
本の大半は、歎異抄の五木訳と原文。それをはさんで、五木氏の概説と、川村湊という人との対談が置かれている。
目次は
・謎にみちた歎異抄
・私訳 歎異抄
・歎異抄 原文
・親鸞の声を聴く 対談 川村湊×五木寛之
・『歎異抄』関連書一覧
既成の理解に縛られず、自由に読まれているなという印象。
さすがと思わされる「本質」をずばりと突いたような一言も、しばしば見受けられる。
「しかし、私自身も最近、しばしば『歎異抄』のページを繰るようになりました。何十年も前から暗記するほど再読した本です。それにもかかわらず、これまでとまったくちがった光景が行間から起ちあがってくるのです。」(38頁)
「『歎異抄』は、繰り返して読めば読むほどわからなくなる、謎にみちた不思議な本です。/どうか自分でその迷路に迷いこんでみてください。そうすれば、そこに闇を照らす光を必ず見いだすことになるはずです。」(31頁)
しばしば、教義を学んでいると「こう読まなければならない」、「こう読むのが正しいのだ」と教えたくなる。しかし、それは「知る」に止まり、求道や問いに本当に答えられているかというと疑問。
本当に「求める」人は、教えられることを求めているのではなく、問いたずねることのできる人やモノを求めているのではないか。
求めているに歎異抄を手にとってみようと思わせる、その魅力を伝えてくれる本じゃないかと思った。
いろいろな準備や作業が立て込むと、まずブログの更新が犠牲になる。
手帳を見返すと、この2週間は、けっこう立て込んだスケジュールだった。
研究所の常勤メンバーは、もっとハードなスケジュールで動いているので、
これくらいでしんどいというのはおこがましい。
五木寛之『歎異抄の謎』 (祥伝社新書 188)
本屋で見つけて、『歎異抄』の講座を持たしてもらっているのだからと・・・と買った本。
本の大半は、歎異抄の五木訳と原文。それをはさんで、五木氏の概説と、川村湊という人との対談が置かれている。
目次は
・謎にみちた歎異抄
・私訳 歎異抄
・歎異抄 原文
・親鸞の声を聴く 対談 川村湊×五木寛之
・『歎異抄』関連書一覧
既成の理解に縛られず、自由に読まれているなという印象。
さすがと思わされる「本質」をずばりと突いたような一言も、しばしば見受けられる。
「しかし、私自身も最近、しばしば『歎異抄』のページを繰るようになりました。何十年も前から暗記するほど再読した本です。それにもかかわらず、これまでとまったくちがった光景が行間から起ちあがってくるのです。」(38頁)
「『歎異抄』は、繰り返して読めば読むほどわからなくなる、謎にみちた不思議な本です。/どうか自分でその迷路に迷いこんでみてください。そうすれば、そこに闇を照らす光を必ず見いだすことになるはずです。」(31頁)
しばしば、教義を学んでいると「こう読まなければならない」、「こう読むのが正しいのだ」と教えたくなる。しかし、それは「知る」に止まり、求道や問いに本当に答えられているかというと疑問。
本当に「求める」人は、教えられることを求めているのではなく、問いたずねることのできる人やモノを求めているのではないか。
求めているに歎異抄を手にとってみようと思わせる、その魅力を伝えてくれる本じゃないかと思った。
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