2023年11月30日木曜日

欠如・不安によって開かれてくる地平 磯前順一著『居場所のなさを旅しよう』とシェル・シルヴァシュタイン『ぼくを探しに』

先日来読んでいる本。磯前順一著『居場所のなさを旅しよう』がとてもよかった。

「はじめに」の一文を引用します。
「居場所をなさを感じている者同士が出会い、勇気をもって心を相手に開くとき、その居場所のなさの感覚こそが新たな絆をもたらしてくれるからです。この本は、居場所のない私があちこち旅をした記録であり、心の軌跡でもあります。今自分が居る場所がなんだかしっくりこない人が、これを読んで「ああ、自分もう生きていくことができる」「道はある」と思ってくれたらうれしいです」(5ページ)

この言葉にたがわず、欠如や不安、傷や苦悩・悲嘆の経験が開いていくもの、見つめさせるもの、それによってつながっていくものが、丁寧に、切実に描かれています。

 アメリカに留学中に著者は、酒井さんという先輩から、このような助言をもらったといいます。

白人じゃないきみはきっといじめられるだろう。きみが何を言っても、「日本人だから」で片づけられてしまう。君の声を聴こうとする人は少ないだろう。でも、それが学問にとって大切なんだよ。白人という居場所をもらえないきみは、「居場所のなさ」が本当の意味でわかるようになる。日本人として日本で育った君にはわからない、日本にいるマイノリティの気持ちがわかるようになる

  ズシンとくる言葉でした。

 また、本書の中で紹介されていた一冊が、シェル・シルヴァシュタイン『ぼくを探しに』https://amzn.to/3sVxHu2)という本。



これは、家庭用と、授業やお話の資料・提示用に2冊買ってしまった。

シンプル・単純な線で描かれた絵本ですが、ぐっとくるものがあります。
主人公は、表紙にもあるように、三角形の欠け目がある丸なのです。昔のゲームのパックマンような。

彼は、自分の足りない「かけら」を探して旅をしています。
「ぼくはかけらを探してる 足りないかけらを探してる ラッタッタ さあ行くぞ 足りないかけらを探しにね」
彼は欠如があって、完全な〇(マル)ではないので、あまりはやくは移動できないのです。歌いながら、晴れや雨・雪の天気を楽しみながら、虫や花と戯れたり会話しながら、旅をしています。
ついに彼は、かけらを見つけるのです。ぴったりとはまり、〇になった彼は、それまでよりもスムーズに移動することができるようになります。
ところが、それによって彼はみみずや、花やチョウと戯れることができなくなります。うまく歌も歌えなくなってしまうのです。そして、彼はそのピッタリはまったかけらを自らおろして、また「かけら」を探す旅を続ける、という物語です。

欠如や不安、あるいは悲嘆は、日常生活を停滞させます。
スムーズに歩くことができなくなるものです。できれば無い方がいいのでしょう。
でも、その一見「停滞」に見える何かが、それまでの不安のない生活、悲嘆や欠如の無い状態ではみえなかった「何か」を見せるチャンネルになるようにも思うのです。アンテナが立つようになるのです。

不安というテーマに向き合ったとき、登壇者の先生たちは一様に、不安を払しょくするのではなく、それと向き合う姿勢を示されていたように思います。
とりのぞむものではなく、それがもたらすものはなにか。それによって見いだされるものはなにか。
 その一つは、自らの人生そのものや、人が抱える困難や悲嘆に目が向くようになる、心が向けられるようになる。そんなチャンネルでもあるのではないだろうか。

 この2書は、人におすすめできるいい本だなぁと思っている。




大阪教区(津村別院)の鼎談の登壇と、もちつきの会議

 

 大阪教区寺族婦人会連盟 60周年のつどい という大変大きな会に出させていただきました。こちらは、数年かかりで企画され、「不安のなかに生きるわたし」というテーマでこの鼎談に向けて継続的に取り組みをしてこられました。

 今日は、若松英輔さんの基調講演と、その後、著名な天岸浄圓先生、それに私が加わって鼎談をするというもの。正直、この顔ぶれに、なぜ私と誰もが思われるのではないかと思います。

 若松先生には、はじめてお目にかかってご挨拶をさせていただきましたが、控室でも楽しくお話をしてくださり、終始楽しく、なごやかなムードで打ち合わせという名の雑談もさせていただきました。



 はじまってみると、あっという間で、登壇者としてお役目を果たせたのかなというくらい、若松先生、天岸先生のお話に聞き入っていました。(タイムキーパー役は一定、果たせていたと思います)

 若松先生からは、テーマの「不安」や、さらには「宗教」「宗教者」にまつわる深い問いを投げかけていただきました。

 昨今の状況に「宗教」とはなにかを語らない宗教者が、宗教を壊しているのではないか。
 「宗教」についてわれわれがもっと語るべきではないのか

 不安は決して否定されるものではなく、新しい地平を切り開くものである。

 不安を手放さずにいたい

等の印象的な言葉がありました。(※進行しながらだったので、しっかりとしたメモを取っておらず、記憶に頼って書き出しています。表現については、もしかすると差意があるかもしれません)


 終わった直後は、あまり感じていなかったのですが、帰りの電車~帰宅するまで、ぼんやりしてしまってあまり記憶がなく、それなりに疲労していたのかもしれません。(それほどなにかしたのかという問いは残りますが… 苦笑)


 帰宅後、年末に地域のもちつきを今年はお寺の境内で行うということで、関係者10数名の方と顔合わせと打ち合わせの会合に行きました。

 地域の神社の宮司さんと、お店で同席して、お食事を一緒にするという、記念すべき機会でもありました。(盆踊りやお祭りなどで、テントで同席するということはありましたが、お店で席を同じくするというのは貴重な機会でした)
 普段来られない方も、「もちつき」をきっかけに初めてお寺にお越しいただけることも多くあるだろうと思います。青年団の方も「お寺いったことないです」という方もいらっしゃいました。こういう地域組織の行事がお寺でできるようになるということも、大変意義深いことだと思っています。

 12月24日の日曜日は、西正寺で地域のもちつきです。
 ぜんざいもふるまわれる予定です。
 また告知もしますが、どなたでも歓迎ということなので、ぜひぜひおこしください。
 (※ おもち、ぜんざいはなくなり次第終了とのことです)


【追記】

 不安に関連して、示唆を受けた本についても書き出してみました。
欠如・不安によって開かれてくる地平 磯前順一著『居場所のなさを旅しよう』とシェル・シルヴァシュタイン『ぼくを探しに』
https://ryogo1977.blogspot.com/2023/11/blog-post_76.html


2023年11月15日水曜日

令和5年の西正寺の報恩講法要が無事に終わりました

 あっという間に数日が経ちました。おかげさまで、先週、10日(金)、11日(土)の両日に、西正寺の報恩講法要を無事お勤めすることができました。

 先日もこちら(https://ryogo1977.blogspot.com/2023/11/blog-post_6.html)で、ご案内しておりましたが、報恩講は、浄土真宗で最も大切にされている法要で、西正寺では、近隣のご住職にもご出勤いただき、おつとめいただいています。

 コロナ以来4年ぶりに、近隣のご法中(ほっちゅう※)方をお招きしてのお勤めでした。
 この数年に世代交代も進んだようで、平均年齢も幾分か若くなられた印象です。(そもそも、西正寺が世代交代しているのですが)

  ※ 法中(ほっちゅう):近隣のご住職、お勤めに出られる僧侶方をこのように呼びます。


 御法話の御講師は、熊本県八代市から、木下明水先生にお越しいただきました。
 滞りのない流ちょうな話しぶりは、伝統的な御法話を基調にされながらも、ご自身の芸能界での経験や、ウラ話もふんだんに織り込まれており、笑いの絶えない御法話の時間でもありました。

 木下先生めあてに、近隣のご住職や、遠方からお越しになるかたも。

 お参りくださった御門徒のみなさんからも、「楽しかった」「ありがたかった」と好評の声がたくさんありました。








 


2023年11月6日月曜日

今週の金曜、土曜は報恩講法要です。

・今週は報恩講法要です

今週末、11月10日(金)、11日(土)は、西正寺の報恩講法要が勤まります。
報恩講法要は、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の遺徳、御恩をしのびお勤めする法要です。浄土真宗においては最も大切にされている法要です。

西正寺門信徒のみなさんに限らず、どなたでもお参りいただけます。
ご関心をもっていただけたら、ぜひぜひ足を運んでお参りくださったらうれしいです。


西正寺の報恩講の詳細は、以下の西正寺のホームページからご覧ください。

令和5年 西正寺 報恩講法要
 https://saishoji.net/archives/1347


・近隣のご住職とのお参り合い

 報恩講法要は、浄土真宗で最も大切にされる法要です。
 西正寺では毎年11月にお勤めをしています。近隣の同派のお寺も前後1~2か月くらいの間でお勤めされることが多く、この時期はお付き合いのあるお寺同士で報恩講法要の参りあいがあります。
 私も、先月から3件ほどのお寺の報恩講に出勤させていただいています。

 西正寺での報恩講でも、今回は法要の2日間の間で、10数か寺のお寺にお参りにお越しいただき、一緒に法要をお勤めします。
 コロナで、お参り合いが数年見合わされていました。今回は、2019年以来4年ぶりに、報恩講法要として、大勢のご住職方と一緒にお勤めさせていただく機会になります。


・御講師は 木下明水 先生

 両日、法話の寤講師として木下明水 先生にお越しいただきます。
 木下先生については、wikiペディアでもご紹介があり、その経歴は多くの方が目にされる形で公開されています。

 ・「木下明水」wikiペディア

 現在は、熊本県八代市の勝明寺のご住職、浄土真宗本願寺派布教使としてご活躍です。 
 浄土真宗本願寺派の僧侶としての修学、研鑽を重ねられていて、本願寺宗学院を修了されたのち、安居や各地の研修会でもご活躍です。

 以前は、タレント活動をされていて、テレビやラジオ等で広くご活躍されていました。 そういうご経歴もあって、明るく、楽しい語り口の中に、しっかりと 浄土真宗の教え、親鸞聖人の説かれた阿弥陀如来の本願念仏の教えをお伝えくださるご法話をしてくださる方です。
 
 木下明水先生のお話や活動を以下の、ユーチューブやホームページでご覧になれます。

 


 ということで、今週末は、西正寺の報恩講法要です。
 多くの皆さんのお参りをお待ちしております。




2023年11月3日金曜日

報恩講の準備をしたり、大学の講義に出たりした日(2023年11月2日)

2023年11月2日(木)
 午前中は、事務作業と少し早いが報恩講の準備のためのそうじ、お荘厳を本堂で。
 報恩講(https://saishoji.net/archives/1347)は、浄土真宗で一番大事な法要である。お掃除も、普段しないような、お内陣の畳を上げてほこりをとったり、すみや手が届きにくいところに雑巾がけなどをする。
 
 掃除機をかけ、ホコリをとっていくと、堂内の雰囲気が変わった気がする。
 見えないけれども、そうじされた場所というところには、人間は何かを感じるセンサーのようなものがあるように思う。
 
 報恩講本番までは、すこし日があるので、今日の準備は一部のみ。すこしずつ進めていく。

 

 午後も、そうじと、来客の応対、軽い打ち合わせ等のスケジュールをこなしたあと、相愛大学の講義(真宗伝道演習)へ。 

 
 講義開始から、1分遅れて教室にはいると、こんな感じだった。
 「だれもいない…」

 さらに1分後、1人の受講している学生さんが入室。
 しばらくまっても、だれもこないので、マンツーマンの講義。
 
 先週は、別の学生さんとマンツーマンだった。苦笑
 登録している受講生が3名の講義で、1人は、家庭的事情で2週間休むと聞いているので、さらに1人お休みすると、マンツーマンの講義になるという具合。
 
 対話型で、まあ楽しく講義の時間を過ごす。

 終了後は、尼崎に来ている義父母と妻子と食事をして帰宅。という1日。
 
 日本シリーズは、阪神が、勝利して、日本一に王手をかける。






2023年11月1日水曜日

アーユスの声明「「イスラエルとハマスの一連の武力衝突に関して」について


 NPO法人 アーユス仏教国際協力ネットワーク
 「 イスラエルとハマスの一連の武力衝突に関して
 https://ngo-ayus.jp/column/middle_east/2023/10/23palestine/?fbclid=IwAR0iAC0PS93zdn-vqv0IrTTMYJvsAp-8VH-9F_r3XhYkdGQBDNQS-fXoqBs


 私も理事として名を連ねさせていただいているNPO法人 アーユス仏教国際協力ネットワークが、イスラエルとハマスの武力衝突に関して、声明を出しました。

声明の作成については、事務局と理事の間でもいろいろな議論がありました。また専門委員の先生からも種々訂正や見直しの指摘があったと伺っています。
 
 もしかすると、立場によって見えるものが異なることがあるかもしれません。あるいは、私もアーユスからも見えていない光景があるのかもしれません。
 
 しかしながら、一貫して議論で、見つめられ続けていたことは、国・勢力が争う中で、苦しめられている市民がいるということ、そしてそこへの支援は何があってもとどめられてはならない、苦難を止める努力は続けられなければならないということだったのではなかったかと振り返っています。

 恥ずかしながら、この声明に関する議論が立ちあがるまで、パレスチナ問題については、耳にしてはあいまいになり、ちゃんと学ぶこともありませんでした。あらためて、情報にふれ、学び知るべきであったこと、知らなかったことがたくさんあったことに気が付きました。
 今回の件で、このことについても、もっとちゃんと目と耳を開いていかなければいけないと思いなおしています。
 
 


以下、アーユスの声明を全文転載します。

「イスラエルとハマスの一連の武力衝突に関して」


アーユスは1993年の設立以来、仏教系NGOとして平和が守られ人権が尊重される社会をめざして活動してきました。とりわけパレスチナ問題に対して深い関心を持ち、そこで活動するNGOに協力してきました。故郷から離散を強いられて難民となったり、占領下という不条理な状況におかれたりしても、民族自決を実現しようと立ち上がるパレスチナ人の姿に感銘を受け、また命を重んじる仏教者の団体として、宗教が深く関わっているこの問題を看過できませんでした。これまで、ヨルダン川西岸地区やガザ地区、レバノンに暮らすパレスチナ難民に向けた人道支援や生活改善への取り組みに資金協力を行い、紛争時に停戦を求める活動をパートナー団体などと連携して行ってきました。 2023年10月7日から続くイスラエルとハマスとの一連の武力衝突によって、双方の民間人に多数の犠牲者が生み出されています。この状況に対し強い憤りを覚えるとともに、すべての被害者に心からの哀悼の意を表し、一刻でも早い停戦が訪れることを願います。同時に既に米国で6歳のパレスチナ人の少年が殺害された事件のように、憎しみの連鎖が生まれ、これ以上の悲劇が繰り返されないことを心から願うばかりです。 2023年10月7日、パレスチナ抵抗組織ハマスはイスラエルへの攻撃を再開しました。それ以降、ガザ地区は完全封鎖され、人々は逃げる場所もない中でイスラエル軍の空爆と砲撃にさらされています。人道支援物資や水や電気が止められて基本的な生活が危機的な状況に陥っていることに加え、病院は最低限の治療行為すらできなくなる瀬戸際に立たされています。このような状況下でもっとも多くの犠牲や困難に直面するのは、女性や子ども、高齢者や障がい者です。ガザの被害状況は日々悪化の一途を辿っており、現地から日本のNGOに寄せられる声や動画は、壊滅的に破壊された町並みの映像と共に、まるで「最後のメッセージ」かのようなものが多く、言葉を失います。また非人道的な状況は、ガザ地区のみならずヨルダン川西岸地区でも起きています。この間のユダヤ人入植者による暴力やイスラエル軍による攻撃はこれまで以上に激しくなり、犠牲者も多数でています。 今回の武力衝突が起きた背景は、パレスチナ人が置かれてきた状況やこれまでの経緯を踏まえなければ理解できないでしょう。パレスチナ人が難民になってから75年もの年月が過ぎていますが、この間、パレスチナ人が置かれた状況は悪化し続けてきました。ガザ地区、西岸地区ともにイスラエルによって56年間も占領下におかれています。ガザ地区にいたっては17年間にもわたり封鎖されているために、人々は地区外へ自由に移動することすらできずにいました。このような非人道的な状況が放置されてきたことについて、日本や欧米諸国などを含む国際社会には大きな責任があり、私たちはこれらの現実を忘れてはなりません。 だからこそわたしたちは、常に脆弱な立場におかれているパレスチナ人の側に立つことを心に、まずは停戦への働きかけをするとともに、人々が生きるための支援活動に協力していきます。



大学の講義でATTF2をやったよという件(その3) ATTFで遊んだ意味とは

大学の講義でATTF2をやったよという件(その3) ATTFで遊んだ意味とは

 大学の講義でATTF2をやったよという件(その2)
 ATTFとはなにか、どう遊ぶか からの続き

https://ryogo1977.blogspot.com/2023/11/attf2attf.html

・ゲームを終えて


 ATTFのおわりに、

・ベストおせっかいニスト(一番たくさんおせっかいをした人)の表彰
 → といっても、紹介と拍手

・ベストおせっかい(各グループの一番傑作のおせっかい) の決定と共有

 をして、今回の感想を話し合った。

・学生さんの感想

 講義おわりに、学生さんに書いてもらった感想を一部抜粋すると、以下の様なものがあった。


・国語の教職をとっているため、授業でぜひ取り入れたいと考えた。また尼崎だけではなく、さまざまな県や市のもの(カード)を作ればいいのにと感じた。 

・話したことのない人と同じ班だったが、盛り上がって楽しかった。またゲームであったが、悩みの内容は自分の町にも共通しているところがあるのだろうなと思った。/ 母親が民生委員をしていて、独居老人を気にかけているから、身近に感じた。 

・今回のゲームもとてもおもしろかったです。手札が少ないから珍回答がでたり、パワープレイだったりして、見ていて楽しいです。タイ人のお母さんが学級新聞を読めないという課題が現実にもあるんだろうなと思ったら、心がくるしくなりました。こんな課題を解決するようなサポートがあるのかなど、調べてみるのもよいなと思いました。 

・高齢化の問題、若者の地方離れなど、尼崎以外の地域が抱えている問題を再確認しました。 

・高齢者の扱いがなまなましく表れていると思いました。 

・カードの手札の中だけで解決しないといけないところ、現実社会でも当てはまると感じました。お金があれば解決できるだろうが、創意工夫してなんとか解決に向かうところが問題解決のキモだと感じました。 

・ゲームめっちゃたのしかったです!発想力と想像力が豊か似なるなーと思いました。/新鮮で楽しかったです。またやりたいと思いました。 

・グループでやったことのないようなゲームで他の知ったです。現実的に考える人もいれば、大喜利する人もいて、多種多様な人がいて、新鮮だった。


 ・最後に、ATTFで遊んで得られるものとは?

 講義でATTFをして、学生さんたちに投げかけるようなことは、次のようなことだ。

 (1)課題はどこにあるのだろうか?

 「聞いてカード」で、まちのひとの声に触れてもらった。何気ない会話の中で触れることもあるかもしれない内容だったりする。あるいは、何気なく、普通に見えるように暮らしていて、裏側にそんな悩みや、言えなさを抱えているかもしれないという想像力を持つことで、見えなかったものが見え、気づけるようになるのではないだろうか。

 (2)どうやって解決するか?

 ATTFの面白さは、新しい何かをお金や労力をかけて作るのではなく、すでにある、「ありもの」で解決することにもあるのだろうと思っている。 当たり前にあるもの、あるいは目の前にあるものを、別の角度や切り口で光を当ててみたり、従来とは違う場所に置いたり、異なる役割を与えてみたり、あるいは、単純に誰か特定の人に声をかけて、お願いをするだけで、物事が解決に向かうことがあるのではないか。 「創造」ではなく「編集」という手法で解決することを考えるチャンネルが切り開かれるように思う。

 それは、ほかならぬ自分の置き場所、用い方を見直すことにもなるだろうし、この講義に当てはめてみれば、「仏教」「お寺」「僧侶」が、社会にどう切り結ぶか、どのように立ち振る舞うかという見直し(編集しなおし)を行うことで、開かれてくる可能性も見いだされるように思うのである。(これが、この講義で行う意味だと自分的には納得している)

 (3)課題か、お宝か?

 ATTFをやってみると、思い当たるのだが、実はおたからカードと、リソースカードで内容が重なるものがある。たとえば、空き家は、おたからカード(地域資源)でもあり、「空き家問題」という課題でもある。あるいは、高齢者(独居や、健康問題等9や、町内会長(引き受けてがいない)も、課題を抱えているが、場合によっては(そして実際に)お宝カードでもあるように地域のリソースにもなりうる。

 ゲームなので、これは「おたからカード」(リソース)、これは「聞いてカード」(課題)と、明確に区分されるが、現実社会はそうではない。 課題に見えていたものが、置き場所を変えれば、役割を変えれば、リソースにもなりうるということでもある。

 たんに切り口、見方を変えるといえば、簡単なようだけれども、それが達成されるだけで、かなりいろいろな可能性が広がってくることでもあるように思うのだ。


 とまあ、このようにまとめて、講義は終わったわけであるけれど、社会とつながりを考えるうえで、楽しく遊べて深く考えられるATTFは本当にすごいなぁと、活用するたびに思うわけである。

(一応おわり)


大学の講義でATTF2をやったよという件(その2) ATTFとはなにか、どう遊ぶか

大学の講義でATTF2をやったよという件(その2) ATTFとはなにか、どう遊ぶか


・ATTFとはなにか

 ということで、今日の講義では、ATTF2(Amagasaki Toi The Future2)というカードゲームをプレイしてもらうことにした。

 ATTFとはなにか。 下の画像のようなカードを用いたカードゲームで、尼崎市が市制100周年を記念して、2016年に制作したものである。(尼崎市による紹介は以下のリンクに)

・尼崎市市役所「カードゲーム「アマガサキトゥザフューチャー2」」

・(尼崎市)AMANISM 「ATTF2」

行政が、市民と一緒に作成したカードゲームである。私も作成段階でお声がけいただいて市民の一人として作成にかかわった。過去に行われたバージョンアップの際や、現在も行われている小中学校での授業での活用にも、お声がけいただいて関わっていて、思い入れもあるカードゲームだ。





 ・ATTFの遊び方

 尼崎市が以下の動画で紹介してくれている。
 5分とちょっと長めなので、お時間があればご覧ください。

 「聞いてカード」と、「おたからカード」の2種類のカードがあり、プレイヤーは、この聞いてカードのお悩みを、尼崎市の「おたから」つまりは、まちのリソースを組み合わせながら、解決する方法を考え、編み出すというゲームである。



・学生さんにプレイしてもらう

ということで、この日の講義は、ATTF2をプレイしてもらうこと。
遊んでもらうなかで、「まちの声(=社会課題や、現実生活での悩みや、グチ)」に触れ、また、「町のリソース(=地域資源とか、人、施設、あるいはなにげなく見過ごしがちなもの)」をとらえる視座を獲得してもらおう、考えてもらおうというわけである。

 流れとしては、以下の様な感じ。
 
 ・講義の振り返り、イントロ
 ・ATTFの簡単な紹介
 ・グループ分け (5~6人で1組)
   → この日は、16人出席していたので、 5・5・6の3グループ
 ・グループで、自己紹介してしゃべった後、
   1)カードの検分 : どんなカードがあるのか、ながめてもらう
   2)カード配布、親決め、ルール説明
 ・実際に遊んでみる

 という感じで進む。
 
 始まると、徐々にもりあがり、あとは放っておいても、楽しく遊んでもらえたようだ。
 もちろん、いつもこんな風にうまくいくわけではない。
 過去には、盛り上げようという雰囲気があまりなく、「こなす」だけで淡々と進むグループ(こうなると面白くない)とか、おもしろいアイデアのつくりかたがわからず沈黙が多くなってしまうケース とかもあったこともある。そういう意味では、前向きに、楽しもうという姿勢がないと、もりさがってしまうこともあるわけで、盛り上がりは、一重に受講してくれている学生さんたちの、前向きな姿勢のおかげである。 


 30分ほど、体験してもらったあとは、振り返りの時間である。
 (その3へつづく)

 その3へ 
講義の振り返りと、学生さんの感想、ATTFで遊んだ意味は?)


追記

これまで、中央仏教学院研究科講義「社会伝道論」、浄土真宗本願寺派伝道院「法座をひらこう」、園田学園女子大学(学部共通「つながりプロジェクト」といったところで、講義・講座としてATTFを活用したことがあったけれど、龍谷大学の真宗学で扱ったのは初めてのことだった。



大学の講義でATTF2をやったよという件(その1) 伝道学特殊講義と今期のこれまで

・講義の概要について

今日(すでに昨日、10/31(火))は担当している講義への出講。2つあって、そのうちの一つは、
龍谷大学文学部真宗学科の「伝道学特殊講義」。
真宗学における「伝道学」といえば、多くのアプローチは「宗教者による伝道はいかにあるべきか」というような、伝道の主体の思想や、実践を問題とするものが大半であっただろうと理解している。

この講義では、視点を変えて、伝道の客体・対象である「社会」に目を向けて、社会の中での宗教の位置づけや、相互的な関係、あるいは社会課題そのものをテーマとして扱うことを主軸にしている。その中で、そのような社会の中に生きる主体として、自ずから何か立ち上がってくるものがあるのだろうと考えている。

 付言しておくと、主に中央仏教学院で担当していた「社会伝道論」(現代社会における社会課題・問題を扱うという講義)での経験を踏まえて行っているものでもある。

 中央仏教学院でも、この講義でも、テキストとして大谷栄一 川又俊則 猪瀬優理編『基礎ゼミ 宗教学』(世界思想社、2017年)を使用している。


『基礎ゼミ 宗教学』 https://amzn.to/49i24vi

(テキストにしている『基礎ゼミ宗教学』)
とはいえ、がっつり準拠しているわけではなく、
対象の学科の特性に応じてアレンジして講義を行っている。

2023年度のシラバスである。


 

・これまでやってきたこと

 今日(10月31日)は、8回目。ちょうど折り返しくらいに差し掛かった。
 これまで、宗教、宗教施設等についての基礎知識や、現代社会と宗教の関係として、「世俗主義/世俗化」などを講義した。それに続いて、ここ2回はちょっと工夫して、お芝居のワークショップを行った。

 儀礼について、近しい関係で考え方が違うというシチュエーションを演じてもらったり、宗教ツーリズム的な視点から、経済や地域社会と宗教施設の関係等について、多様な主体(僧侶、地域住民、お店屋さん、旅人)が、それぞれの本音を持ちつつ、お寺の在り方に語るなどというものだ。




 これも、中央仏教学院の講義で、僧侶である学生さんたちに行ってもらっていたものを移植したものだ。あちらは、中学・高校のような固定のクラスという関係性で行っているもので、大学のこの講義のみの関係性で顔を合わせる学生さんたちではどうなることかと心配していたが、やってみると、意外と面白がってくれて、いい雰囲気だったので、これはATTFもしておかなければというのが今回の背景。
 
 (その2へ続く)



2023年10月31日火曜日

割と困る質問:「永代供養ってしてもらえますか?」(その2)

 割と困る質問:「永代供養ってしてもらえますか?」(その1)からの続きです

「永代供養ってしてもらえますか?」という質問の悩ましさは、上に書いたその意味が多義的ということのほかにも、悩ましさがある。

◎ 「永代供養したから、お経をあげる」というわけではない。

 永代供養したから、その方のご供養はお引き受けしましたよ、というように請け合えるかというとそうではないのだ。「永代供養しても、してもらえないのか?」というと、むしろ逆で、「永代供養されても、しなくても、お勤めはする」のである。

 あくまでも、私の場合、今の西正寺の場合は、という前提がつくものではあるが、以下のような考えをしている。

 西正寺の合同墓に納骨された方で、(仮にこの言葉を使うが)「永代供養」を依頼され、懇志を収められた方だけお勤めし、そうではない方はしない、みたいなことができるかというと、そのような器用なことはできないわけである。

 あるいは、永代供養の懇志・お布施の額に見合ったことをそれぞれするかというと、またその金額に応じてどうこうということもできない。

 要は、合同墓に納骨されると、永代供養したからどうこうということはなく、皆同じようにお参りされ、お勤めさせていただくことになるのだろうということである。

 なので、特別に「永代供養」どうこうといわれると違和感が生じるというのは、永代供養したから、しなかったからというところに、なにか変な差があるようなニュアンスが生まれてしまうのではないかというところにもある。

 ◎「永代」(永遠)を保証するのもむずかしいよね、ということもある。

 「それをいっちゃあおしまいよ」といわれるかもしれないが、正直「永代」「永遠」のお勤めを請け負い難いということもある。いつかはおわりがくるし、諸行無常の理(ことわり)を説き続けてきた仏教が、「永代」ってそんなに簡単に保証できるの?というような思いも正直している。

 wikiペディア「永代供養」の項目は割と親切な記述だったりしていると思う。(「…言葉どおりの「永代」ではない。また、霊園の倒産、寺院の廃寺などにより墓が消滅に追い込まれることもあり、この「永代」も保証されるわけではない。」というあたり

 もちろん、現行、西正寺では年忌を区切るということをしていないので、お寺が続く限りお勤めはされるし、お参りされる環境は維持されるように努めなければならないと考えている。(その点は安心されたい)

 ◎ 結局、どういうことかというと

 「永代供養をしたい」といわれる方に対しては、特にその「懇志」「お布施」については、上記の事を踏まえて、いまのところ次のような説明に落ち着くことが多い。

 ・永代供養のお金を収めていただいたからと言って、特別にその方だけにお参りをするような器用なことはできない。納めていただいても、納めていただかなくても、西正寺の合同墓に納骨いただいたら同じように、お参りをさせてもらっている。

 ・じゃあ、なんのためにお金をお納めいただいているかというと、「お寺の護持・維持(ひいてはお墓の維持)」のために充てさせていただいている。 お寺を維持することによって、お墓とお参りを維持することができる。それは、だれか特定の故人のためではなく、納めていただいたみなさんのためになるともいえる。

 ・なので、「だれそれのために特別にお経をあげてください」という依頼にこたえることはできないが、「お寺を護持」していければ、ご縁の故人、ひいてはお墓に収められたほかの皆さんのご縁のお勤めを維持していくことができる。そういう意味でも、「お寺の護持のためのご懇志」ということで、ご理解いただき、納めていただければ、ありがたい。

 というような説明をしている。

 正直どこまで、わかっていただけているのかというと、100%じゃなかろうという感覚もあるが、それでも、うわすべりする「永代供養」という用語だけで事が進んで行くことよりは、このような「説明がさせてもらえる」というだけでも、なにかちがうことがあるんじゃないかと思っている。

 まあ、結局できるかぎり「永代供養」という言葉には、のっかりたくはないのだが、それを説明すると、このような長々としたブログを書いても、まだ説明しきれないというもどかしさや、すっきりしなささが残るということだけは、共感いただけたらうれしいなぁ と思う次第。





割と困る質問:「永代供養ってしてもらえますか?」(その1)

◎墓じまいの流れ

 お寺に合同墓を建ててから数年。
 今年に入って、急激に増えている問い合わせが、「墓じまい」に関することがらである。
 うちくらいのお寺でも、境内墓地で数基がなくなり、市内・市街でも数件、いわゆる「墓じまい」のお勤めを行った。

 今日もお寺にいると、午後から立て続けに2件の来寺・ご相談があった。
 もうそれだけ、お墓が維持されなくなっているということなのだろう。
 そして、その流れの加速度合いはかなり急激にやってきているような感覚を持っている。

(西正寺の合同墓)

 →西正寺ホームページ 合同墓の説明

◎割と困る質問が「永代供養ってしてもらえますか?」。

 それに関連して、よく聞かれるのが、「永代供養ってしてもらえますか?」というものだ。しかし、この問い、いつも「なんて答えたらいいんだろう?」って悩ましかったりするのだ。

 なので、「はい!永代供養しますよ!」なんて、ハッキリ答えたことは、1度もない。(できない) 聞かれるたびに、「うーん、えーっと・・・」と、ごもごもし始めてしまう。

 理由はシンプルで、「永代供養してもらえますか?」という質問が、何を意味しているのかが、明確ではないからである。あるいは、その言葉を使われるたびに、先方が意図されていること、あるいはこちらが意図していることが、すれちがっていってしまいそうな気がしている。

◎大部分が「墓じまい」/「改葬」だったりする。

 正直、多くのケースがいわゆる「墓じまい」、あるいはそもそもお墓をもたないという選択をされて合同墓等に収めたいというご希望だということは承知している。そうわかっているけれども、それをどうも、「永代供養」というようには呼び難いのだ。

 「永代供養」といわれてしまうと、上に意図がすれちがっていってしまいそうだと書いたのは、この語が、はなはだ多義的である、ということが第一の理由でもある。
 例えば、次のようなケースがざっと想定される。

 (1)いわゆる「墓じまい」のケース

 これまで護持されてきたお墓を維持できなくなり、お墓を撤去し、お骨の埋葬場所をあらためたいというケース。その場合に、お骨の引き受け先になってもらえますか?的なニュアンスで「永代供養してもらえますか?」と聞かれることがある。

 これは、「墓じまいするので、(西正寺の場合)合同墓に納骨できますか?」というお問い合わせになる。

 (2)お墓を持たないご家庭の納骨のケース  

 そもそも、お墓を持たない、あるいは諸事情から持てないために、納骨先を探されているというケースもある。こちらも、お骨の引き受け先になってもらえますか?的なニュアンスの「永代供養してもらえますか?」と尋ねられるケースである。

 この場合も、「故人のお骨を(西正寺の場合)合同墓に納骨できますか?」というお問い合わせになる。

 (3)お墓・お骨とは関係なく「お勤めしてほしい」というケース

 上記2者に比べると少数派であるが、お墓やお骨はなく、故人のためにお参り・お勤めをご相談されるというケースもある。

 お骨についての物理的な問題が付随する相談ではなく、お勤めの相談ということになる。

 この場合は、何というべきかは、ケースバイケースであるが、「永代供養してもらえますか?」だとやはり、改めてそのご意図を確認する必要がある。

 ちなみに、西正寺の場合は、「永代経法要」が、春・秋にあり、よく知ってくださっている御門徒であれば、「(故人のために)永代経(あるいは、永代経懇志を)をあげたい」という形でご相談されることが多いケースでもある。

 ちなみに付け加えるならば、このケースの場合、なにか「困りごと」があった場合を想定するならば、他のものも同様であるが、「跡継ぎ」などが不在になり、今後、故人の(あるいは自分自身の)ためのお参りなどはどのようにしたらいいのか?というご相談が付随する場合がある。

 この場合も、こちらがシンプルに「永代供養しますよ」という一言で片づけてはいけないように考えていることも、上記の用語を使うことに躊躇する理由の一つでもある。

まあ、このように「永代供養してもらえますか?」と聞かれても、その裏側にあるニーズというか、お困りごとというか、意図されているものは、いくつか想定されてしまい、また聞いていくと細かな諸事情等もあって、「はい、永代供養しますよ!」とシンプルに答えづらかったりする。

 答えづらい理由はこのほかにもある。(その2へ続く

割と困る質問:「永代供養ってしてもらえますか?」(その2)

2023年10月28日土曜日

「宗教社会学の会」に参加してきた件(2023年10月28日)

本日の午後はこちらに参加してきました。

宗教社会学の会(http://blog.livedoor.jp/socioreligious/archives/52018995.html
初めて参加する会。相愛大学の会でご挨拶させていただいた三木英先生から、フェイスブックの私のある投稿にコメントいただき、やりとりをしたところから、お誘いをいただくことになり、初参加。

今回の発表は以下の方々、以下の内容。

研究報告1 13時~14時45分(質疑応答含む)
加藤希理子(佛教大学非常勤講師)「ナチス政権下における神学者の動向――バルト、ボンヘッファーを中心にーー」

研究報告2 15時~16時45分(質疑応答含む)
峯岸優太(大阪大学大学院)「日本において改宗ムスリムであるということ~外国人ムスリムとの関係性に注目して」


正直、いずれのテーマもほぼほぼ全く触れたことのないものだった。しかし、そうでありながら、とても興味深い発表で、いろいろな気づきや学ばせていただけることがあった。それだけ、しっかりとまとめられたレベルの高い発表を聞かせていただける機会だったように思う。本当に勉強になった。


 1つめの加藤先生の発表は、ナチス政権下における福音主義教会(プロテスタント)の神学者たちがどのような立場をとっていたかという研究発表。
 ナチス下において、ナチスの手先として活動したような「ドイツ的キリスト教者」、そこに理論づけをおこなったような「民族性の神学者」のほか、ゴーガルデン(ナチスに同調、のちに批判)、ブルンナー(ナチスの正当化につながりうる思想的根拠を提供したと批判される)、そして今回のテーマであるカール・バルト、D.ボンヘッファーは、ナチスに対して徹底的に批判し、抵抗を貫いたとされる。

 バルトがナチス政権下でどのような対応をとっていたのか。単に神学的立場・議論だけではなく、当時の社会状況と関わらせて知ることでよりその主張や立場の意味が明確に知られるように思われた。

 キリスト教神学、それもナチス政権下においてどのような思想が展開され、神学的議論が行われていたのかというのは、まったく関心を向けたこともなかったテーマだったので、ついていけるかということ自体から心配だったが、とても興味深い問題をご提示いただいた発表だった。

 

 2つ目の峯岸さんの発表は、日本においてムスリムに改宗した、主に日本人を対象としたもの。日本における現状のイスラム信仰を踏まえつつ、さらに日本人改宗ムスリムの方たちにインタビュー取材を行った具体的な事象に基づいた発表。
 移民宗教としてのイスラム教が日本においてどのような展開を遂げているのかという展望を描こうというものと受け止めた。

 修士論文の中間発表的なものということだったが、非常に濃密な研究と調査を踏まえてもので、非常に濃厚な論文として仕上がるのではないかと思われた。

 

 うまくスケジュール的に都合がついて参加させていただくことができたが、初めて参加した私も温かく迎えてくださるような雰囲気と、発表後に長時間にわたる質疑や意見交換が専門性あふれるものであって、身を置いているだけで、大変勉強させていただいた研究会だった。
 最後になりますが、迎えてくださり、ご教示くださった研究会のみなさまに御礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。


2023年10月27日金曜日

パレスチナ問題に関する情報(個人的メモを含む)

現在、認定NPO法人 アーユス仏教国際協力ネットワーク(https://ngo-ayus.jp)という団体の理事をさせていただいている。 

先日来、毎日のように報道されてもいる パレスチナ・ガザ地区への空爆、戦闘についてもいくつかの情報をいただき、国際協力を行うNGOが連名で出した声明にも、アーユスとして賛同を表明するなどしてきたところである(https://ngo-ayus.jp/column/middle_east/2023/10/20231013)。


しかしながら、明瞭にパレスチナ問題について、人に説明できるまでに私が理解できているかというと、まったくもってそのようなレベルには至っていない。しかしながら、アーユスで声明を出すということで、事務局からの草案を拝見するのに並行してあらためて情報を集めたり、見直したりしている。

今回、そのなかで刺激・参考になったものをいくつかこちらにもまとめて置くことにした。


◎AAR(アメリカ宗教学会)における声明(花園大学 師茂樹先生のブログに掲載)
「和訳:イスラエルとパレスチナの危機に関するアメリカ宗教学会(AAR)の声明」
https://moroshigeki.hateblo.jp/entry/2023/10/25/214753

 ⇒ 言葉遣いや表現から、しっかりと背景を踏まえて、何が問題か、何を批判しているのかということについて、しっかりと焦点化されている印象を受けた声明。
あらためて、この声明から何が問題とされるべきかを考えさせられた。


◎認定NPO法人 パレスチナ子どものキャンペーン
 「パレスチナ問題」 https://ccp-ngo.jp/palestine
 ⇒ とても分かりやすく、テキストベースでパレスチナ問題の経緯・背景について情報がまとまっています。上のAARの声明と合わせて読むことで、理解が進んだという感覚を得ることができた。


◎認定NPO法人 DEAR
 「イスラエル・パレスチナにおける武力行為への声明・寄付・教材情報(随時更新)」
 https://www.dear.or.jp/infomation/12756
 → イスラエル・パレスチナにおける武力行為への各団体の声明や、寄付の呼びかけ等の情報がまとめられています。


怖い話を分析する

 特定の界隈で大きな反響をいただいた、「怖い話」の件。
 https://ryogo1977.blogspot.com/2023/10/blog-post.html

この話の何が怖いのか、何がおかしいのかわからないという声があったので、こちらのフィクションと思しき話のエライ人の何が問題かということについて、私見を述べておきたい。

 要は以下の2点の問題があると思っている。


(1)質問されたことがわかっていない。

 そもそも、問いに対して適切に応答することができていない。もしかすると、何が問われているのかも理解できていなかったのかもしれない。これは、公式な場における答弁能力がないことを意味している。二度にわたって、聞かれたことに対してまっとうに応答できないというのは、相当なものである。
 あるいは、この対応が「敢えて」のものという可能性も考えてみたが、それでも、はぐらかしや、ズラしを意図したものと受け取っても、それが成功しているとは言えない。あまりにも拙すぎる。ということで、そもそもやり取りがヤバイのである。


 (2)危機管理能力の欠如が露呈している。

 もし問題があった場合、何かあった場合を想定しておくことはもちろん、そうなったときに適切な対応がとれるかということは、危機管理・リスクマネジメントとして絶対的に必要なことと理解している。(基礎以前の問題だと思っている)

 ところが、この応答ではそれがまったくなされていない。
 「問題があることはありえない」ということは、危機管理やリスクの想定が全く行われていないことを意味している。
 また、それが起こった場合も「それが起きてから考える」というは、もはや常識が欠如しているといわれても仕方がない。

 こういう人がエライ立場にたって、運営や経営にあたるという状況は、すでにその時点で、平時においてさえ災害レベルの被害をもたらすことが目に見えている。そういう意味で、とても怖い話だと思う。

 要は資質の欠如である。


2023年10月25日水曜日

今日あった怖い話。

(以下のお話は、多分フィクションです。フィクションじゃないかな。フィクションだと思う…)


 ある会に出席して、質問をしました。

・私みたいな人
「この施策が、規則に従って決定されたという説明はわかりました。しかし、もし、手続き上、規則に反するような瑕疵があった場合は、どのようにすべきと考えますか?」

・エライ人
「手続きに問題はありません。」

・私みたいな人
「(えっ?)いや、あるかないかを聞いているのではなく、もしあったら、どうされますか?と聞いています」

・エライ人
「手続きに問題がないので大丈夫です」

・私みたいな人
「(ええっー!)いや、あるかないかではなくて、あったらどうするか聞いています。教えてください」

・エライ人
「問題があったら、それから考えます」

・私みたいな人
「(・・・・・・)いや、それはいかんでしょ。手続きに問題があっても、それを無視して続けるかもしれないってことですか? 手続き上問題があることを、私たちはしないといけないのですか?」

・エライ人
「(沈黙)」 

(マイクが実務者にわたる)

・実務的な人
「手続き上問題があれば、認証から見直さないといけないということになります」

・私みたいな人
「(一応のホッ…)」


こんなことがあったら、怖いなあと思いながら、
本当にあったら、腹立つだろうなぁと振り返りながら、立腹しています。


2023年8月31日木曜日

8月31日(木) 奈良で展示を見てきた件。

8月31日(木)。日中、奈良に行ってきた。

JRで奈良に移動し、車中は読書とPCの作業がはかどる。
自分の中でランキング1位のお蕎麦屋さんのそばを数年ぶり(10年ぶりくらい?)に食べ、もう満足。

奈良博に移動して、目的の「聖地 南山城展」へ。




南山城という地域、話には聞いていたが改めて魅力的な歴史、寺院、そして思想が含まれていると感じた。

浄土思想について、1章立てられて展示がされていたが、中心にあったのは、九体阿弥陀仏像。これは現地に見に行きたいと思った。

改めて、南都や南山城でこれだけの浄土思想に関する美術が製作され、思想がはぐくまれていたことをもうちょっと考えてみないといけないと思った。
法然教団へ批判を寄せた、貞慶(興福寺相状)等も、浄土教への批判というだけではなく、彼らが前提としていた、あるいはその周辺にあった浄土思想も踏まえないと適切に評価できないものだろう。あらためて、展示をみながら往時の状況、そこにあった浄土思想ってどんなものだったのだろうかと知りたい思いがふつふつとこみあげてきた、というのが今回の感想。

とはいえ、今は書くことはおろか、本を読むのもなかなかままならずに過ごしている。書かなければいけないというお題は与えられているので、時間を捻出しなければいけないなぁ。



2023年8月30日水曜日

【イベント広報】「碑文谷 創さんのお話を聞く葬送次世代の会in関西~次世代に心ある弔いを繋げるためには?~」

このたび、実行委員に加えていただき、大阪の浄土宗大蓮寺さまで、以下の会を開催させていただくことになりました。


2023/10/20開催
「碑文谷 創さんのお話を聞く葬送次世代の会in関西~次世代に心ある弔いを繋げるためには?~」

https://www.outenin.com/article/article-17938/?fbclid=IwAR0K1eL-EWASQBlyKNI_LkjoJAj2Xm7jkHmAhhopRNDWnrNb03t3LKF2i9Q




 碑文谷創さんは、著書『葬儀概論』の刊行、そして、葬儀専門誌『SOGI』の発行をされる等、現代の葬儀に関しては、スペシャリストかつレジェンド的な存在でいらっしゃいます。
 
 大蓮寺・應典院の秋田光彦住職、せいざん株式会社の池邊文香さんらが、碑文谷さんの知見・言葉をしっかりと後につなげるために、志のある僧侶、葬儀関係者(業者さん含む)で濃密にお話を聞く機会、ともに考える機会を設けようと設定してくださいました。(お声がけいただき、実行委員として加わっていますが、名ばかりのようなものです)

 そのようなことで、広く一般に向けた会ではなく、葬送に携わる関係者対象ということになりますが、対象の方々に知っていただくことはもちろん、一般の方にもこのような取り組みがあることをご存知いただくことは、有意義なことでもあろうと思います。

 まだもう少し参加者を募っている段階ですので、詳細をご覧いただき、ご参加いただければ嬉しく思います。



2023年8月21日月曜日

8月20日(日) プールとスイカと流しそうめん

 8月20日(日)の記録

お寺のそうじ

 朝7:00~ 「おてらのそうじ」 参加者4名。おつとめをしたあと、本堂の縁や、台風で折れたイチョウの枝葉の片づけをしてもらう。終了後、朝ごはん。


この日のお参り 

 9:00~ おまいりに。台風で延期になったお盆のお参り、月参り、1周忌のご法事。
 12:00過ぎ、お寺にもどると、すでに「お寺でのんびり過ごす日」の用意が進んでいた。


お寺でのんびり過ごす日(背景と準備)

 先月、小・中学校の同級生 Mくんが家族4人で参加してくれたとき、帰りがけに奥さんが「竹で流しそうめんをずっとしたかった」ということを言われていて、やれるんじゃないかなぁというその場にいたKさん夫婦と準備をしてみることになったというのが背景。

 先月から、流しそうめんとプールを置いて半日過ごしてみるという、ざっくりとした計画をもっていたところ、次の週には、別のKさんが連れてきてくれてお寺でお話していたYさんが、「流しそうめんの竹を貸してくれるところを知っている」と当たってくださることに。前日・当日の運搬も全面的にYさんが担当してくださって、本当にたすかった。

 プールについては、同級生のM君が、お兄さんご家族から大き目のやつを借りてくれたものがあった。

 流しそうめんするのに、氷でひやさないといけないなぁということになったところ、前日に近所にできたcadode cafeのもえさんが、こころよくお店の製氷機の氷を提供してくださることになって、十分な量を調達することができた。

 準備の段階ですでに西正寺に蓄えられたソーシャルキャピタル、人的関係の豊かさが、こういう一日になっていったんじゃないかと感じるような出来事でもあった。

※ ただ、流しそうめんとプールが出るというのは、当日まで、情報公開はしていませんでした。

 お寺でのんびり過ごす日 当日 

 12:00~16:00ごろまで開催。(実際は、遊び疲れた人が大半で、16:00前には、片付け始めていた)
 12:00頃から人があつまり、プールで水遊び。12:30頃から流しそうめんを流し始める。大人も子どもも、みなさんたのしそう。

 参加してくださった方を思い返してみると、中心的になってくださった3家族(うち含む)のほか、その兄弟、友人、同僚家族で、大人18、子ども12の30人。
 表の看板をみて、通りがかりで参加してくださったのが、3家族プラスアルファで、10数人いたので、なかなかの規模。
 
 とおりかがりに、足を踏み入れてみたというはじめましての関係ができたこともまたうれしい。
 
 ちなみにうちのお子さま(1歳10か月)は、よほどたのしかったのか、昼寝もせずに遊びまわり、おねえちゃんたちにもかわいがってもらって一緒に遊び、ふらふらになりながら夕ご飯を食べて、結局途中で力尽きて眠ってしまうというような状況でした。

 いい一日でした。(なかなか体力もつかいましたが)

ふりかえってみて

 なんかいい感じの1日だったので、なにがよかったのか、すこし振り返ってみておく。

誰かの「やってみたいこと」(今回はMさんの流しそうめん)をかなえることができた。
 →それも、その場にいた人たちがちょっとずつ力を合わせて、お寺という場で。

・集客的なイベントの集まり方ではなくて、輪の中にいた人たちが、口コミのような感じで、輪を広げていくような広がり方ができていた。
 →

・通りがかりの人、近所の人も足を踏み入れて、一緒に遊べて、楽しんでもらえていた。
 → これは地域のお寺としてうれしい広がり。





2023年8月16日水曜日

8月16日(水)台風で折れかかったイチョウの枝を払う

 8月16日(水)。台風一過。快晴。
 午前中は月参り、お盆のお勤めのお参り。
 昨日の台風は、いくつかの被害をもたらしていた。近所ではガレージの屋根が吹き飛ばされ、壊されていた。
 お寺の境内でも、お墓にあるイチョウの古木の大きな枝が折れて、下にあった枝にのかかっている状態になっていた。不意に落ちてしまったら、下にいる人がケガをしてしまうような状況。

 


 植木屋さんにお願いをしようかという話にもなったけれど、脚立に登れば、簡単に手が届きそうなところでもあるので、自前ですることに。

 境内地の保全、環境整備も住職の仕事である。

 植木屋さんにお願いする料金のかわりに、ホームセンターで工具を買った。
 


 お寺にもどって早速に作業。

 脚立の上で、枝を少しずつ払っていく。
 大きなものになるとかなりの重量になるので、細かく何度も枝(というには、太い枝)を切り進んで行く。

 

 小一時間のほどの作業で、ナントカ 






上が、一応本日の作業終了のもの。
枝の根本、幹につながる部分は、裂けているけれども、しばらくは持ちそうということと、秋に植木屋さんに入ってもらって、取り除くなりをお願いしようと思う。

ちょっと大掛かりな作業だったけれども、あたらしい作業と工具の使い方という経験値を獲得した。


2023年8月15日火曜日

お盆でも教育委員会の会議が行われて、さらに台風で教育委員会事務局はあわただしかったという報告

8月15日(火)。
台風が直撃するコースで迫っている朝。


(画像の出典:気象庁ホームページ https://www.jma.go.jp/jma/ より)

暴風警報も発令されて、朝から外に出られなくはないけれども、慎重な行動が必要な朝。
1日の予定、お参りはキャンセルして、自宅待機。

さて、気が付けば、8月も中旬。振り返ってみると、「みんなのサマーセミナー」(私は実行委員)や、地域の盆踊り等、いろいろな行事があったけれど、気が付けば8月の中旬。上旬は、溶けてなくなったのかというくらいの時間の感覚で、時のたつ速さにおののくお盆。

世間の多くのお寺ほどお盆に忙しいお寺ではないんですといっているけれども、やはり普段よりはあわただしいのがお盆。
月参り、お盆のお参り、初盆や法事の法要をお勤めしてまわるスケジュールのやりくりや、立ち回りに気を使いながら、なんとか1日1日をすごしてまわったという感覚。

昨日8月14日(月)は、そんなあわただしいお盆の中だけれども、教育委員会の会議が設定されていて、「臨時会」が開催された。すこしその活動の報告をしておきたい。

会議・打ち合わせは、15:30から18:30頃まで。議案が2件、その他報告や、協議が数件。

会議の運営いつも中心でされる企画管理課の方が、この日はあまり顔を出されていなかったが、聞くと台風対応で大変あわただしくされているということだった。

小学校に避難したいという要望があると、学校への連絡・事務局職員の派遣や調整、その他もろもろの市内での対応など、非常に多くの対応に手を割かれていた。

尼崎市HP「自主避難を希望される方へ」
https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/kurashi/bosai_syobo/hinan/1032109.html

普段は何しているの?と思われることが多いだろうと思われる教育委員会事務局という組織ですが、こういう台風が接近しているとき、災害の恐れがあるときの防災対応等にもたくさんの汗をかいていただいている、ということをすこし共有しておきたく思った次第。

尼崎の内水のハザードマップも公開されています。




参照:気象庁のホームページ掲載情報に関する著作権について

2023年7月19日水曜日

7月19日(水)午前は伝道院での講義、夕刻からは「まわしよみ新聞」

 本日の記録。

朝起きて、自動車にて移動。9:15から伝道院の講義。

七祖教義の4回目。道綽禅師の思想がテーマ。前回積み残していた曇鸞大師(『往生論註』)の往生行の問題を扱うと、2時間が経過。(当然か)
残り1時間で、「道綽禅師」が終わるわけもなく、大部分がまた次回に持ち越しとなった。

当初計画通りには進まないが、受講されてる研修生に質問をしたり、やりとりをしたりしているのでこちらとしては楽しく進められている。このシリーズの次回は、休みを経て中期に入ってからの予定。


夕刻は、自坊・西正寺にて、陸奥賢さんをお招きして「まわしよみ新聞」を作るイベントを開催。
裏側を暴露すると、陸奥さんにも、9月に伝道院のほうへ出講いただく予定をしている。その打ち合わせをしようということになり、せっかくなので、と打ち合わせついでにといっては失礼だが、まわしよみ新聞のワークショップを開催することになった次第。

参加者は3名、講師、運営側も3名、合計6名と小規模の会ながら濃密で楽しい、「まわしよみ新聞」の編集となった。




 できあがった新聞は上のとおり。
 作る過程はとても楽しい。普段自分が触れている情報、新聞・業界紙、当たり前のように目を通していたものが、他人の目には異質なもの、興味深いもの、面白いものとして受け取られている。またその人を通してその情報が語られだすと「知っていたはずのもの/情報」がまた新しい光や角度を持って迫ってきたりする。
 逆に、自分が普段触れない媒体や、その書きぶりがひどく新鮮に感じることもあるし、人に紹介するのだと思ってことこまやかに目を通すと、普段ならスルーしていた記事にも、また違った角度やおもしろい点はないかと、精読しにかかってしまうようなことも起こりうる。

 ともかくもまあ、楽しい時間であったわけです。




2023年7月18日火曜日

『月をさすゆび』

『月をさすゆび』

 一時期話題になっていたので、気になっていたのですが、ふっと読み始め、さらには人に紹介しようと古本で購入してしまいました。

 https://amzn.to/44xBsUi

このタイトルは、仏教では有名な例え「指月のたとえ」(月を指すを指を見ていては、月を目にすることはできない。仏教のさとりも、さとりを示す「ことば」に拘泥するのではなくその言葉がさす「さとり」を見なければならないというもの)からつけられています。

 「関東仏教学院」という架空だが、関係者にはどこかわかる 仏教の専門学校が舞台のものがたり。「浄土真宗」の僧侶になるべく、勉強をしている4人の若者がメインに描かれています。

 実際に「あるある」とうなづけることがおおい浄土真宗の僧侶を目指す若者のお話なのです。築地本願寺は出てきます。通う学校のモデルは、「東京仏教学院」であるこということは、すぐにわかります。

 物語りの終盤には、得度習礼(出家するための10日間の合宿研修)の場面では、もうあの「西山別院だ!」と関係者ならばすぐにわかるほどの写実的な表現になっています。

 一部「ああ、ちょっとちがうんだけれどな」というところもありますが(例えば、法話の内容や、法話で拍手が起こるなど)、それを差し引いても 僧侶の学習についてリアルなマンガで表されたレアな作品ではないかと思います。


 近いうちに、「さんとしょ」(http://saishoji.net/archives/1132)の西正寺の棚に並べに行きたいと思っています。


2023年7月11日火曜日

7月11日 誕生日とバースデー・ドネーション

 7月11日。46歳になりました。お祝い・お祝いのお言葉をくださったみなさまありがとうございます。

さて、ここ数年この誕生日に際して、バースディドネーションを呼びかけさせていただいていました。

 昨年の投稿。https://ryogo1977.blogspot.com/2022/07/45.html

 過去の取り組みをまとめると、以下の通りです。

 ・2020年、尼崎市杭瀬中市場の火災復興支援
 ・2021年、「子どものみらい尼崎」さんの「生理の貧困プロジェクト」
       (学校現場に、生理用品を届けるとりくみ)
 ・2022年、10代のための相談窓口 一般社団法人enGrab さん
       (https://engrab.org/
       子どもの社会的居場所事業ぐれいぷハウス さん
       (http://hitofusa.com/?page_id=83


 今年も…と思ってはいたのですが、私自身ほとんど余力なくバタバタと過ごすうちに当日を迎えてしまいました。また、大雨で直近の災害が起こっていることについても、気になり「何をすべきか」ということも決められずにここまで来てしまいました。

 今年は、中平が寄付を集めて集約して、ということはできなかったのですが、もしよかったら、私が関わったり、応援したりしている以下の団体に、ご寄付とか応援とか関心をもっていただくことを、誕生日プレゼント替わりのドネーションとしてご協力いただけたら嬉しいです。(いずれも個人的に継続的な寄付や活動を一緒にしたりしている団体です)

 以下、ご紹介します。


【西正寺】 ◎ 西正寺への寄付 https://congrant.com/project/saishoji/6778
  → 中平のいるお寺です。手前味噌で恐縮ですが、こちらに託していただいたご寄付は、西正寺の護持のほか、「社会活動費」として、寄付や地域活動の応援に充てさせていただいています。

【女性】 ◎ 子どもの未来尼崎 http://r.goope.jp/amakmirai/free/donate
  → 一昨年応援した「生理の貧困プロジェクト」は、継続して取り組まれています。予算的に厳しい中、継続するという意志を示されていて応援したいと思っています。
私個人も応援します!

【障害】 ◎ 月と風と https://tsukitokazeto.com/donation/
  → 尼崎の地域で、しょうがいのある人と一緒に生きる・暮らす関係性をつくってくれています。西正寺でも「書道の会」等、しょうがいのある方と一緒にできる取り組みをしてくださっています。「ふくる」の取り組みは必見です。

【ジェンダー】 ◎虹色ダイバーシティ https://nijiirodiversity.jp/support/
  → 西正寺の「テラハ」にも登壇いただきました。ジェンダーにかかわる取り組みや情報などを提供されています。

【貧困】 ◎お寺おやつクラブ https://otera-oyatsu.club/donate/
 
 → お寺のお供えものを、主に経済的に厳しい母子家庭に届ける活動をされています。全国の1800を超えるお寺が参加して活動されています。

     ◎Homedoor  https://www.homedoor.org/donate/
  → 大阪で貧困支援の活動をされています。ハブチャリというシェアサイクルの事業を就労支援・自立支援のような形で取り組まれているのがすごいです。(ボキャブラリーが…汗)

【貧困/フードロス】 

     ◎フードバンク関西 https://foodbankkansai.org/support/
  → いわずとしれたフードバンク。尼崎地域の子ども食堂への食材の提供をはじめさまざまなところで活動に触れさせていただいています。理事の松尾さんが、カリー寺や西正寺の取り組みにも関わってくださっていました。

【国際】 ◎アーユス https://ngo-ayus.jp/project/fund_raising/
 → 中平が理事として関わっている団体です。国際協力を行なったり、関心を持ったりする仏教者が多く参加しています。関わりの中で、国際的な活動をするNPO/NGOとつながりを持ち、そのなかでまた関心が広がってきました。今話題の「難民」についても数年前に合宿テーマとして扱い、難民支援を行うNGOとも多くつながっています。

     ◎アクセス https://access-jp.org/support/donation
 → 西正寺で毎年「書き損じはがき」を寄付しています。フィリピンの小学生が学校に通う学費にしていただいています。理事長の野田さんは龍大のOGでもあり、各方面で活躍されています。


このほかにも、応援するべきところ、書き加えるところもあるのですが、ご寄付先の一つに、あるいは「初めての寄付」に、誕生日プレゼント替わりにご協力いただけたら大変うれしいです。


 

 


2023年6月23日金曜日

6月20日(火) お寺の総代会を開催しました

6月20日午後、お寺に門徒総代3名にお集まりいただいて、「西正寺総代会」を開催しました。主に、2022年度の決算報告。それに加えて、懸案の進捗状況や、課題についても総代方と相談をしました。こちらからの報告について、大きな問題も無く、異論もなく、無事に承認いただきました。

問題・課題がある部分も、隠すことなく、話題に上げて相談できる関係性があるということが、お寺にとって大変ありがたいことだとつくづく感じる総代会でした。

 会議をしながら、ふと頭に浮かんでいたこと。”決算報告だから仕方がないのかもしれないけれども、考え方や方向性が「お金」を中心にして話をしてしまっていたことについて、「本当にこれでいいのだろうか?」と思っていました。

 年間いくらくらいの予算で動けるから、これにこれだけかけましょうとか、ここはもうちょっと減らしましょうとか、利息がどうこうだからとか、そういう「金額」ばかりを話題にしてしまっていたけれど、本当によかったのだろうか?。予算・決算の話だからこれは仕方がないのだろうか?

 「教え」や人とのかかわりについても、もうちょっとこういう場でも考えや方向性の上で何か出しながら話せたのではないか?そんな振り返りも、一人しながらの会議後でした。


2023年6月21日水曜日

総合教育会議(令和5年4月27日)の議事録と備忘 インクルーシブ教育について発言したこと

  4月に開催され、出席した総合教育会議の議事録が公開されています。
 総合教育会議とは、法律で規定され、首長と教育長、教育委員が構成員の会議で、原則公開で行われています。

総合教育会議の公開(尼崎市)
https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/shisei/si_kangae/education/1007975.html


総合教育会議議事録(PDF)
https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/007/975/sogokyoikukaigi.pdf

 

 この時の会議は、主に体罰やいじめに関するアンケート調査や、「子どものための権利擁護委員会」の取り組み、そして市立高校で起こった体罰事案を契機に取り組まれてきたプランの状況報告と検討、というのが主たるものでした。

 予定された議案が報告されたあと、追加で「インクルーシブ教育」に関する報告と意見交換もあり、一部そちらでコメントしたことが議事録に乗っているので、補足・紹介しておきたいと思った次第。


 発言の内容は上のURLの議事録(PDF)からも参照いただけるが、下に転載もしておく。

 実はこの発言はあらかじめ、ペーパーを用意して臨んでいたのだが、時間が限られていた中にすこしながく発言してしまったこともあって、大きく割愛されている。(他の出席者の発言も、議事録掲載のために、要約されています)

 

 発言したことのポイントは3点である。

 

 1)「支援」のみでは、インクルーシブは達成できないということ

 いうまでもなく、「合理的配慮」や支援が必要な児童・生徒、あるいはあらゆる人にそれを行うことは必要なことだと考えている。しかし、議事録の発言にも引用したように、「社会的包摂」(ソーシャルインクルージョン)とは、社会的弱者に変化を求めるものではなく、弱者をそのような状況に追いやっている「構造的課題」に目を向け、社会の側が「ともに生きていけるように」「包摂的なありかた」に変化していくことが求められるものと理解している。

 つまり、社会ーマジョリティ側にも変容が求められるのであるから、インクルーシブを推進する施策を評価する際には、「マジョリティ側」(より多くの生徒、教職員、保護者、さらには市民一般)への働きかけ・アプローチも可視化し、評価していく必要があるのではないだろうか。

 現状の報告では、いわゆる「支援」つまり、ハンディキャップを抱え、支援が必要な児童生徒へのアプローチや、そのための環境整備という面しか見られていないように見え、果たしてそれでいいのか?という問いかけをさせていただいたつもりである。

 2)インクルーシブ教育システムは、本当にインクルーシブな在り方なのか?ということ

 すこし混乱が生じるが、文科省や教育行政では「インクルーシブ教育システム」という名称で、施策が推進されている。しかし、その実態は、従来の特別支援教育の延長にある施策とも評価され、本当に「インクルーシブなのか?」という疑問が呈されている。

 議会や市民レベルでも混乱が見られ、本当に進めるべき政策を具体的に議論していく上では、ちゃんと整理し、広く理解されなければいけないと考えている。

 議事録に見られるように、本市の「インクルーシブ教育はどこをめざすべきか?」という投げかけにとどめているが、本意は「インクルーシブとはなにか?」ということを行政レベルで本質に迫る議論をしてほしいと願っている。

 3)政策になったということは、その時点で後手かもしれないという懸念

 議事録で、「制度というのは、先に困難や問題があって、後からできるものだ。基礎自治体や学校現場には、どうしてもその制度に収まらない課題や困難を抱えている人たちがたくさんいる。それも含めてこの場では取り組んでいきたい。」と記録されている部分。

 「行政課題」として、議論の俎上に上がってきたり、予算が付いたり、政策的な課題として設定されることは大変重要なことであると認識している。ただ、そのうえで、感覚として「行政課題」になるまでの時間や、議論を考えると、時間的にそれはすでに「一般的に認知されるまでに至った課題」であるケースが圧倒的に多い。実際はまだ、人知れず困難や問題を抱えていて、手つかずになっていること、あるいは草の根レベルでなんとか取り組まれているようなことが非常に多くあるのだろうと感じている。

 だとするならば、「制度的にこのように設計されている」ということを根拠に課題に取り組むのは、その時点で「後手」である可能性が高いのではないかと感じている。

 教育委員という行政機関の中で、行政職員のみなさんの実情に接して感じていることは、みなさん、精いっぱい職務に対して、まさに「精励されている」ということ、まじめに取り組んでくださっているということに尽きる。その点は非常に敬意を表し、感謝の念を抱いている。 その一方で、私の立場でもあり、「市民の目線」からすると、制度や行政の論理に陥って、市民感覚からずれてしまっていることも、無くは無いように思っている。(結構あるように思う)そういう点については、市民の目線に、本当の意味で近づいてもらえるようになってほしいということも一方で思っている。 
 そのズレが、上のようなギャップが生じているということについて、自覚的になってもらえるかどうかということにもあるような気がしている。

 ※(追伸)つい先日、親しくしている行政職員の方とお話していた時に、まったく同様の指摘を、その方が発言されていたので、行政職員のみなさんにも、その課題感というのはおそらく共有されていることも多くあるのだろうということも補足させていただきたい。


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【議事録より、中平の発言箇所】

インクルーシブ教育について、疑問に思っていることを言いたい。

インクルーシブのあり方とは、その構造自体の変革である。つまり、構成員のここにインクルーシブな場ができているという理解抜きには成り立たない。

東京都立大学の阿部彩先生によると「社会的包摂政策は、社会の何がその人を貧困や孤立に追い込んだのかを考え、その仕組みを変えていこうとするものである。社会的排除政策は変わることを貧困者に求め、社会的包摂政策は社会が変わることを目指している。」

従来型の自己責任論ではなく、子どもの貧困の問題などのように構造的な問題として捉えて、社会の側が変わっていくというアプローチだ。

つまり、インクルーシブ教育とは、当事者の支援だけでなく、通常級の子ども、教員、保護者、地域の人といったマジョリティー側の理解の変革も必要である。そうしないと支援されている「特別な人」という枠は超えていけない。

次に、政策的な話だが、日本の教育行政は「インクルーシブ教育システム」という名のもとに行われているが、これがいわゆる「インクルーシブ教育」と差があり、議会や市民との間ですれ違いが起こっているのではないか。本市としての「インクルーシブ教育」はどういうものか、議論して明確にしていく必要がある。

最後に、会議前の議論で、教育委員会事務局では制度の中で苦労していただいていると伺った。しかし、制度というのは、先に困難や問題があって、後からできるものだ。基礎自治体や学校現場には、どうしてもその制度に収まらない課題や困難を抱えている人たちがたくさんいる。それも含めてこの場では取り組んでいきたい。

2023年6月13日火曜日

毎日文化センター公開講座 「親鸞聖人の教えを読み解く ~他力本願・往生浄土・悪人正機」(3回限定)

毎日文化センターさんにて、以下のような公開講座を企画いただきました。

「親鸞聖人の教えを読み解く ~他力本願・往生浄土・悪人正機」http://www.maibun.co.jp/wp/archives/course/43969

 R大学のO先生がご推薦くださって今回のお話になりました。
3回限定です。ご期待にどこまでお応えできるかというところはありますが、一般の方向けに、興味を持っていただけるように努めたいと思っています。

 新聞紙面か、広告も出ているようで、お寺の御門徒さんからも、「毎日さんで…」というお声がけもいただいてしまいました。

 すでに反響/申し込みをいただいているようで、高い期待に大変恐縮しています。
 がんばって準備します。ハイ。




(案内文を転載します)・・・・・・・・・・・・・

2023年は浄土真宗の宗祖親鸞聖人が生まれて850年の節目の年にあたります。その宗祖親鸞聖人の教えはどのようなものだったのでしょうか。親鸞聖人の教え、思想を「他力本願」「往生浄土」「悪人正機」などをキーワードに読み解いていきます。


7/10(月) 他力本願

親鸞聖人の教えの中核にあるといえる「他力」の思想。それは、「他人任せ」とはまったく違う、画期的な念仏の教え、仏の救いを言い表した言葉でありました。


8/7(月) 往生浄土

 人は死んだらおわり? 死んだ後の世界はあるの? そんな問いも改めて考えさせられる「往生浄土」の教えを考えます。


9/11(月) 悪人正機

私たちのいう「善悪」とはなにか? 「悪人こそ救いの目あてである」という仏の救いと向き合うことは、私たちが当たり前のように言う「善/悪」について深く考えるきっかけともなります。

 


■中平了悟 プロフィール

・龍谷大学/相愛大学/園田学園女子大学 非常勤講師
・浄土真宗本願寺派布教使課程専任講師
・浄土真宗本願寺派西正寺住職
( 専門は真宗学/中国浄土教思想 )

6月13日(火)おまいりや、見積もりや

 6月13日(火)

 午前中はお参り。平常の月参りでご門徒のおうちをお参りさせていただく。

 午後、お願いしていた業者さんが工事の見積もりに来寺。
 数年前の地震で痛んで、そのままになってしまっていた本堂の壁の修復や、そのほかについて相談。

 話していると、直すべきところがたくさんあって、きりがないが、一つずつ、一つずつ、丁寧に修理を積み重ねていくのが大事なのだろう。

 一気にはできないので、毎年毎年、予算の中から、丁寧にこういう保守の仕事をしていくことも、寺を預かる住職の大切な仕事。


写真:こんなところを直していこうと思っています。
   写真は、いずれも、西正寺の本堂内部です。





14:50追記
そういうわけで、過日公開したネットで呼びかけたご寄付のお願いは、このような修理にも使わせていただいたりします。

https://congrant.com/project/saishoji/6778


6月12日(月)伝道院での講義、先生との夕食

思い立ったようにまたブログ(記録を書く)

6月12日(月)
朝から伝道院で布教使課程の講義のため、京都へ。
「往生浄土」という、浄土真宗の教義の柱ともいうべきテーマを扱わせてもらう。

用語の確認や、仏教(宗派)における「経典」の位置づけ、等も受講生のみなさんになげかけながらお話していると、時間はあっという間に過ぎる。

最後は、時間が足りずに駆け足で、じっくり話してみたかったテーマは紹介のみで終わってしまうという、ある種予想された結果。(去年もこんなだったように記憶している)

午後からは、主任の先生が担当される講義を控室で聞かせていただきつつ、諸作業。

夕刻、声明をご教授いただいているO先生と夕食。
先生のお寺の本堂で、ご本尊にお参りさせていただいたときに、特有のピンとしたとでもいうような、その空間の空気に身を置くことで感じたものは大切にしたいと思った。

お店に移動し、あれこれお話していると、開店から閉店まで4時間くらいがたっていた。あっという間。

今日思ったこと。 

 ・もっとちゃんと勉強をしよう。

 ・本堂、お内陣という”儀礼の空間”を大切にお預かりしよう。

 



2023年4月23日日曜日

4月23日(日)第22回西正寺寄席を開催しました。

 4月23日日曜日、第二十二回西正寺寄席を開催しました。 
 今回の出演者(演目)は次の通りでした。

 ・笑福亭呂翔(子ほめ)

 ・笑福亭由瓶(試し酒)

 ・中入り(休憩)

 ・トークコーナー

 ・露の団姫(寿限無‐尼崎市長選挙バージョン)

50名を超える参加者。お子さんも2名参加してくださいました。

 フレッシュな子ほめ。由瓶さんの試し酒、一升盃を飲み干すところでは、あまりの見事さに会場から拍手が起こるほど。 団姫さんの寿限無は、昨年の尼崎市長選挙に寄せての特別バージョンでした。

 次回は8月に予定しています。


(挨拶する住職・私)

笑福亭呂翔さん 昨日が誕生日。25歳。「子ほめ」


 笑福亭由瓶さん。5月21日生まれで、なんと親鸞聖人と同じ誕生日。

 露の団姫さん。誕生にかけて「寿限無」を。



 西正寺のホームページにも、開催報告を掲載しております。

 露の団姫さんのブログにも、西正寺寄席について書いてくださいました。


2023年3月31日金曜日

四月から新しい講座の企画がはじまります(NHK文化センター梅田教室)

親鸞聖人生誕850年/浄土真宗立教開宗800年記念企画 

 「親鸞聖人と本願寺~その歴史と思想」

  ↑ なんという豪華のところにおいていただいたのだろうという驚きのポジションをもらったチラシ。


 2009年の4月から、NHK文化センターで講座を担当させていただいています。
 前任の豊島学由先生から引き継がせていただいて、歎異抄を中心に、浄土真宗の講座を続けてきました。ちょうどこの3月で『歎異抄』の講読が最後まで進みまして、一区切りになりました。

 今年は、親鸞聖人ご誕生850年、浄土真宗の立教開宗800年の法要が勤める記念の年でもあります。ということで、記念の企画として、1年間の予定で親鸞聖人の生涯と思想、主に本願寺の歴史と思想史のようなところをお話していけたらと計画しました。

有料の講座で恐縮ですが、こちらで少々宣伝しておきます。

 お申込み、詳細はこちら

NHK文化センター梅田教室
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_435881.html


2023年3月14日火曜日

3月13日(月)教育委員会臨時会について(報告)

 3月13日月曜日の午後は、教育委員会の臨時会でした。

 3月は、人事異動や案件が立て込んでいて、ほぼ毎週のように教育委員会の会議の予定が入っています。
 今回は、規則の変更と人事の案件がありました。定年退職の年齢引き上げと「定年前再任用短時間勤務」という制度が始まることにより、教職員の給与等の待遇に関する制度を変更する必要があり、その議案の審議、その他人事に関する議案の審議(非公開)でした。

 国の法律や制度の変更で、それに関連する市内の制度や規則も見直し変更していくという細やかな対応が行われています。
 正直、難解なことも多く、一回の説明でできる限り理解しようと努めてはいますが、多くの部分を専門の事務局職員の皆さんに教えてもらい、質問に答えていただきながら、理解できるようになっていける案件ばかりといってもよいようなことばかりです。(今回もそうでした)

 はっきりと時間を記憶していないのですが、公式の会議(臨時会)は、15:30から1時間ほど。その後引き続いて、非公式の平場協議、説明や打ち合わせが19:00過ぎまでありました。
 尼崎市の教育委員会は、会議が早めに終わっても、その後の協議や打ち合わせを議論が尽きるまで行っており、2時間程度でおわることはあまりありません。他市の教育委員の方に聞いてみても、それだけ充実した、ディスカッションや意見交換に時間をかけていることは少なく、驚かれることが多くあります。これは尼崎の教育委員会の特徴の一つなのだろうと思っています。(公開の会議、議事録には残らない部分なので、なかなか可視化されない部分でもあります)

 会議後の平場では、
・今月下旬に予定されている「総合教育会議」(市長と教育長・教育委員が同席する公開の会議)についての相談などを行いました。

 https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/shisei/si_kangae/education/index.html

 こちらには、まだ公開されていないようですが、3月下旬の開催で調整されています。
 (公式に公開されていないので、私からの公開は控えております)


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※ 定年前再任用短時間勤務(人事院のホームぺージより)
 (2) 定年前再任用短時間勤務制(新制度)

定年前再任用短時間勤務制は、令和5年4月1日以降に、60歳に達した日(60歳の誕生日の前日)以後、定年前に退職した者を、短時間勤務の官職に採用することができる制度です。実際に短時間勤務職員として採用されるか否かは、採用時期も含め任命権者の裁量となります。

定年前再任用短時間勤務職員の任期は、定年前再任用の日から定年退職日相当日(常勤職員の定年退職日)までとなり、定年が65歳に引き上がるまでの間は、任期満了後は暫定再任用としての採用の対象となります。

給与や勤務条件については、現行の短時間勤務の再任用制度と同様です。

2023年3月9日木曜日

お寺の会計、お坊さんの収入/お坊さんは税金を払わなくてもいいのか?

  総代会のこと(「3月8日(水)総代会をしました。」)をブログに書きましたので、その関連で。

 お寺の会計と僧侶の収入等について、あまり一般にはその実情が知られていない(というか、むしろ誤解の方が多い)ので、その一端を知っていただけたらと思います。


 ◎お寺は、予算・決算を報告して運営しています。

 お寺は宗教法人の運営であり、宗教法人の運営は、予算に基づいて行われています。
 年度終わりには決算をまとめ、予算も決算も西正寺の場合は、総代会に報告し、承認を得ています。

 なににどれだけお金をつかうか、将来の修復や建て替えのためにどのようにお金を積み立てていくかを考えて予算を組んでいます。しいて言えば、行政や、NPO法人の運営にも似ていると思います。(この辺りはあまり詳しくありませんが、企業の経営もそうなのかもしれません)

 今のところは、総代さんに提示して、承認・報告をいただいていますが本来は、もっと多くの方に公開していく必要があるように感じています。これも一つの課題であると感じていますし、近い将来には、西正寺の会計は、可能な限り(とはいえ、フルオープンには高いハードルがあるのですが)公開できる範囲を広げていきたいと思っています。

◎お坊さんの給与はどうなっているのか?

 お坊さんの収入はどうなっているのか?というのは、あまりその実情が知られていないところのように思います。 西正寺の場合は、「給与」です。毎月決まった額を月給として、お寺から銀行口座に振り込んで頂いています。

 固定なので、お参りがたくさんあったとか、お葬式があったとかで、金額は変わりません。(つまり、どれだけお参りやお仕事をしても、給与は一定の額をいただいています)

 賞与/ボーナスといった類のものも(それだけ複雑なことをする余力がないということもありますが)ありませんので、毎月毎月、一定の額の給与がお寺からいただいているという形です。(その額も、上に書いた「予算」で織り込まれていますので、総代さんたちは、私の月給もご存じなのです)。

 ということで、私の収入の柱は「サラリー/月給」ということです。


◎ お坊さんは税金を払っていないというのは本当なのか?

 さて、巷ではしばしば「お坊さんは税金を払わなくてもいい」と言われているようです。
 お参り先でも、「確定申告」の話をしたりすると、「え?お坊さんも税金払ってるんですか?」とか、「なんで税金払うんですか?」みたいなリアクションもあるので、毎回誤解を解くために、「払っている」という説明をしています。

 (確定申告は、先日無事に終わりました)

 ということで、結論を言うと、「お坊さん(私も)税金を払っていますよ!」ということです。これは、声を大にして言うておきたいと思います。

 さらにいうておくと、私の所得税等には、別段の優遇もなく、お坊さん以外の皆さんと同じように、税率がかかって、所得税、市県民税のほか、自動車税も、ガソリン税も、もろもろの税金がかけられています。基本的に「お坊さんだから払わなくていい税金」というのは、存在しません。


◎ 「お寺」(宗教法人)と「お坊さん/僧侶」(個人)は違うもの。

 この「お坊さんは、税金を払っていない」という誤った情報は、おそらく、「宗教法人」としてのお寺と、宗教者とはいえ「一個人/一市民」が、混同していることによるのだろうと思います。 

 ・宗教法人である「お寺」(※)

 ・個人、一市民、一国民である「僧侶」

は、しばしば混同されることがありますが、両者は別物です。

 ですので、「お坊さんは税金を払っていないからずるい」というのは、そもそも事実ではありません。事実の誤認であるので、これについて議論する余地はない(必要ない)と言うことになります。
 一方、「お寺」(宗教法人)は非課税ですので、これについてはいろいろな議論があるというのも事実です。

 ※宗教法人には、認可必要であり、お寺や神社、教会の中には宗教法人格をもっていないものもあります。それらの活動については、「宗教法人ではない」ため非課税の優遇措置はなく、一般企業や団体と同様に「事業税」やもろもろの税金が課税されます。


◎宗教法人は、完全に非課税かというと、そうでもないという件。

 宗教法人は、本来の業務(宗教活動等)とそこにかかわる財産は非課税で、税金がかかりません。具体的な例を挙げると、

 ・お布施による収入(お寺に入るもの)に対する税金
 ・宗教施設の敷地、建物の不動産等に対する税金(「固定資産税」)

ただし、宗教法人であっても、本来の業務に該当しない、営利的な経済活動と認められるものについては、課税対象で税金がかかります。これも具体的な例をあげると

 ・駐車場や不動産経営による収益(課税)
 ・本来的な活動と関係のないイベントや物品の販売による収益(課税)

 あるいは、宗教活動とは認められない、本堂や施設の貸会場的なものも、場合によっては収益事業と認められれば、課税対象になります。

 具体的なケースは、本文末尾に添付した資料「文化庁 令和5年度版宗教法人の税務(PDF)」をご覧ください。


◎宗教法人の非課税は、特別待遇なのか?

 「お坊さんは税金払っていない」(特別待遇されていてずるい)と認識は、そもそも事実ではないと述べました。 おそらくそれは「宗教法人であるお寺の収入等は非課税である」(※ただし、営利事業は課税対象、また宗教法人格をもたないお寺/教会は課税対象)と混同されたものではないかと思われます。

 では、「宗教法人(お寺)が非課税で、ずるい」といわれたりしますが、これも必ずしも「宗教法人(お寺)」のみに限った話ではなく、公益法人、社会福祉法人、学校法人等もほぼ同様の扱いがされています。

 例えば、以下の様な資料にまとめられているのを見ることができます。

 ・財務省「公益法人などに対する課税に関する資料」
   https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/corporation/c05.htm

 ・鈴鹿市「法人の種類と課税の取扱い」(PDF)   
   https://www.city.suzuka.lg.jp/kouhou/life/benri/pdf/tax_05.pdf

 要は事実として、「宗教法人だけ非課税でずるい」という批判や問題意識は当たらないと考えています。というのは、宗教法人に限らず、公益法人、学校法人、社会福祉法人など、営利を目的としない活動をする法人、公益性のある法人等は、税制上の配慮が行われています。

 なぜ、非課税なのかということについては、

 ・その法人の活動に公益性があると認められるから。

  という考え方と、

 ・そもそも法人税には「個人の所得税の前取り」という性格があり、
  (収益の分配を行わない)非営利活動には、その必要が当てはまらないから

 という考え方があるようです。この辺りはもう少し勉強してみたいと思うところです。
 ひとまず、私の知るところまで。


【資料等の紹介】

 ・文化庁 令和5年度版 宗教法人の税務―源泉所得税・法人税・地方法人税・消費税・印紙税―(PDF)


 

 


  

「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...