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8月20日(日) プールとスイカと流しそうめん

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 8月20日(日)の記録 お寺のそうじ  朝7:00~ 「おてらのそうじ」 参加者4名。おつとめをしたあと、本堂の縁や、台風で折れたイチョウの枝葉の片づけをしてもらう。終了後、朝ごはん。 この日のお参り   9:00~ おまいりに。台風で延期になったお盆のお参り、月参り、1周忌のご法事。  12:00過ぎ、お寺にもどると、すでに「お寺でのんびり過ごす日」の用意が進んでいた。 お寺でのんびり過ごす日(背景と準備)  先月、小・中学校の同級生 Mくんが家族4人で参加してくれたとき、帰りがけに奥さんが「竹で流しそうめんをずっとしたかった」ということを言われていて、やれるんじゃないかなぁというその場にいたKさん夫婦と準備をしてみることになったというのが背景。  先月から、流しそうめんとプールを置いて半日過ごしてみるという、ざっくりとした計画をもっていたところ、次の週には、別のKさんが連れてきてくれてお寺でお話していたYさんが、「流しそうめんの竹を貸してくれるところを知っている」と当たってくださることに。前日・当日の運搬も全面的にYさんが担当してくださって、本当にたすかった。  プールについては、同級生のM君が、お兄さんご家族から大き目のやつを借りてくれたものがあった。  流しそうめんするのに、氷でひやさないといけないなぁということになったところ、前日に近所にできたcadode cafeのもえさんが、こころよくお店の製氷機の氷を提供してくださることになって、十分な量を調達することができた。  準備の段階ですでに西正寺に蓄えられたソーシャルキャピタル、人的関係の豊かさが、こういう一日になっていったんじゃないかと感じるような出来事でもあった。 ※ ただ、流しそうめんとプールが出るというのは、当日まで、情報公開はしていませんでした。  お寺でのんびり過ごす日 当日   12:00~16:00ごろまで開催。(実際は、遊び疲れた人が大半で、16:00前には、片付け始めていた)  12:00頃から人があつまり、プールで水遊び。12:30頃から流しそうめんを流し始める。大人も子どもも、みなさんたのしそう。  参加してくださった方を思い返してみると、中心的になってくださった3家族(うち含む)のほか、その兄弟、友人、同僚家族で、大人18、子ども12の30人。  表の看板をみて、通りがか...

おてらおやつ劇場のチャリティー Tシャツ

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浄土宗の劇団ひとり 山添真寛さんがなさっている おてらおやつ劇場。 このたび、JAMMINのチャリティ―コラボイベント( https://jammin.co.jp/2020/04/15/this-week-design-ooc-theater/ )で、Tシャツとトートバッグを販売されているので、一口購入させてもらったのが、昨日届きました。  おてらおやつ劇場  https://otera-oyatsu.club/theater/  自粛生活が続きますが、できることをひとつずつ。  

仏教教団の過疎対策の会

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昨日は、「過疎問題連絡懇談会」という名称の、 つまりは、仏教教団が宗派の枠を超えて、過疎どうするかということについての取り組みを共有する会に参加させていただいていました。 NHK 京都 NEWS WEB 過疎地域への僧侶派遣 課題協議 (2020年2月10日) https://www3.nhk.or.jp/lnews/kyoto/20200210/2010005708.html?fbclid=IwAR3i8SBOr_MNq25dZckZvpM_cgn_GJU9NMrNmiVelf2tYu3RjX7YbnnyHHc 各仏教教団が宗派の枠を超えて、「過疎」という人口変動、社会変動にどうすべきかを試行錯誤しています。 (僕自身知らなかったのですが) 各教団でも、過疎地域で活動する「支援員」制度を導入されていて、現場の支援員さんのリアルな現況を、直接聞かせてもらえることができました。  地域をどうするか、住民の「主体性」や、「支援」とはなにかといったことが問いとしてあったように思います。  印象的だったことは、「支援しにいく」あるいは「支援員」という名乗りではいるとかえって「支援しづらさがある」ということの話。  各宗派の職員として、あるいは現場の僧侶の方として活動されている方たちとお話できたこともよかったです。  会のメインは、新潟の「中越防災安全機構」の稲垣文彦先生の講演だったのですが、これが、災害復興から(ほぼ絶望的と思われていた)限界集落が、地域住民の「やはりこの集落を残したい」という主体性が立ち上がるまでと、その声が起こった後実際に「維持」されたというエピソードなど、とても興味深いお話でした。

【梵音具】出雲市 妙壽寺さま(浄土真宗本願寺派) (2)喚鐘

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 出雲市平田妙寿寺様 喚鐘 (2018年9月23日見学)  享保二十年 冶工三条釜座 和田信濃掾 妙寿寺さまで現役の喚鐘。  法要のたびに、撞かれて行事の開始を参詣のみなさんにお知らせをされている。  その歴史をものがたるように、撞座の蓮実はすりへって、つるつるとなり、銅の色が光り輝いているようだ。  池の間3区と4区に文字があり、  3区には施主と年記がある。     三条釜座和田信濃 作。 3区(陰刻)  雲州楯縫郡平田村妙壽寺            住物       (施主名)       惟時 享保二十年乙卯正月 4区(陰刻)  冶工三条釜座       和田信濃掾  

「お寺のために使われる」(カリー寺 オープニングトークから)

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 もう一月以上たってしまったカリー寺。  カリー寺では、本堂でトークやパフォーマンスをプログラムしているのだが、オープニングトークとして、企画・主催の二人でカリー寺について話しをした。  カリー寺が始まった経緯や、地域やお寺に対する思いや考え、あるいはお寺と地域の関係、お寺の可能性について話が及んだ。  そのなか、「お寺の使い方」や「お寺のもつ可能性」について話題にあがったときに、ふっと自分の意見を以下のように述べていた。漠然と考えていたことを、かなり明確にできたような思いがしているので、あらためて記しておきたいと思う。  (そのとき発した言葉とは、異なっていると思うが、内容はおおむね以下のようなことを述べたつもりである) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  しばしば、次のようにいわれる。  「お寺の使い方」、「お寺はもっと社会に役立つことができるはずである」「お寺の使い方の可能性はもっとあるはずである」と。たしかに、お寺がもつ社会的責任や、社会的な役割、社会的な意味を考えたときに、寺院はもっといろいろな可能性があり、もっといろいろな使われ方、開かれ方があってよいはずである。  しかし、一方で「お寺を使う」という言葉の中に含まれてしまいがちなニュアンスの中にあるものに、なにか注意すべきものがあるように思うのである。違和感を覚えるのである。(もちろん、その言葉自体がすべて否定されるべきとはおもってはいない。)  もうすこし踏み込んで言えば、(僧侶を含めた、誰か個人の思いや願いを叶えるために)「お寺を使う」ということであれば、(あるいは、そのような意味が含まれていることに)違和感を感じるのである。     お寺はどのように維持され、ここにあるのだろうか。そう考えたときに、お寺を支えてきてくださった檀家さんの思い、あるいはこれまでお寺を支えてきたであろう人たちの思いがあって今のお寺があるのではないだろうか。お寺は、ある面で「お寺のために」という思いで、人が関わり、人が力を合わせて維持され、運営されてきたという一面もあるのではなかろうか。「お寺を使う」のではなく、お寺を支えるために「自分たちの力を使う」人たちの力や思いによって支えられてきたという見方がたちあがってくるようにおもう。  現に、今のお寺も、お寺の行事に...

カリー寺 2018年 (開催御礼)

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2018年7月29日、西正寺で第3回目のカリー寺を開催しました。 当日は、異例の進路を辿った台風12号の影響が心配され、朝まで開催可否の判断ができなける状況の中でした。おかげさまで夜半に台風は過ぎ去り、朝には晴れ間がのぞく天候となり、予定通りの時刻に開催することができました。  当日は、約600名の方にお越しいただきました。  カレーは盛況で、14時頃には完売しました。売り切れで食べていただけなかった方には、もうしわけありません。また、行き届かないところもあったかとおもいます。しかし、みなさんのご配慮や助け合いをいただき、大きな事故などなく無事に楽しい一日をすごさせていただけました。ありがとうございました。  例年に引き続き、境内ではカレーを楽しみながら、本堂でのトーク、パフォーマンスで異文化・文化に触れる機会を持ちました。また、今年は、第二会場を設けたことに加えて、地域の商店・施設との協働してイベントを実施しました。カリー寺をきっかけに、地域に足を運んで、魅力に触れていただけるきっかけになったのではないかとも思います。    今年のカリー寺は、これまで2回の開催を踏まえて、いくつか大きな展開がありました。 1)地域への展開。  ・地域のお店、施設とのコラボイベントの展開  ・第2会場の設置。  ・地域へののぼりの設置 2)カリー寺の企画、準備態勢  ・ボランティアの募集と、4月から打ち合わせを数回行い、スタッフ独自の企画や、準備を例年以上に行いました。 3)全国各地への展開  ・カリー寺のネットワークと、各地の寺院による「カリー寺」の開催。  カリー寺は特別な雰囲気を西正寺にもたらしてくれます。  さまざまな人の手を借りイベントが成り立つことはもちろん、門をくぐってくださった方同士が不思議な連帯感や、思いやりをもってイベントに関わって下さっている感じがします。  カリー寺は、「友だちの家のカレーパーティに来たような雰囲気で楽しんでください。」と言っています。  友人の家のパーティなので、参加者も純粋な「お客さん」ではなく、一緒にその場を作る役割を担う一人としての関わりがそこにあるように思います。  スタッフは開催までの準備をし、さまざまな責任を負ってそこにいますが、同時に一参加者として、楽しむこと、楽しみを見い...

東京ぐるっと

割といいペースで更新していたのに、5月中旬で止まってしまった。 あれこれとしている内に、ルーティンから外れてしまった。 なんとかまた、定期的に更新していきたい。 昨夜(6/10)から東京にいた。 主目的は、今日(6/11)開催される、NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワークの総会に参加すること。それにあわせて、連絡をとって、お会いしたいところ、それから朝にふっと思いついたところを訪問させていただいた。 ■訪問その1 駒込の勝林寺さま 午前中にお伺いしたのが、 臨済宗の勝林寺さま( https://www.mannen-syourinji.com/ ) 豊島区・駒込の地域の活動や、グリーフケアの活動大変活発に、積極的にされているとうかがっていた。東京と尼崎、地域は離れているけれど、ふとしたことで、ご縁ができて、一度お伺いしたいとおもっていたところ、今回は念願かなって、訪問させていただくことができた。 お互いのお寺の活動等、いろいろと楽しくお話しさせていただく時間だった。 また、ホームページを見ていただけたら伝わるかとおもうけれど、大変素敵なお寺で、本堂・建物のあちこちも拝見させていただき、いろいろと勉強になった。 なにより、大変あたたかいお持てなしをいただきました。 ありがとうございました。 ■訪問その2 両国喫茶ランドリー 勝林寺さまをあとにして、たちよったのが、喫茶ランドリー。 先日、友人に勧められて読んだ『マイパブリックとグランドレベル』の著者 田中元子さんが、運営されているという カフェ×コインランドリー のお店。  コインランドリーという、家では洗えないようなものが洗える洗濯機、  あるいはミシンや、アイロンという、最近の個人が必ずしも常備していないものを共有して使う場、そしてそこから始まるコミュニケーションや交流もデザインされている。実際にその場にいって、その空気にふれることで気づくこと、感じることというのはあるものだ。 ■訪問その3 目的地:アーユス総会 長専院    最後に訪れたのが、清澄白河からほど近い、長専院というお寺。  ここで、関わっているアーユス仏教国際協力ネットワークという団体の総会に参加。   いろいろあって、力不足・分不相応ながら、今回の総会で理事というお役をい...

「広場」という概念はおもしろいー広場ニスト・山下裕子さんのお話 あまがさき縁側会議

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2018年5月13日(日)夜19時から、 西正寺を会場に、「あまがさき縁側会議〜広場ニスト山下裕子さんに聞く 安心して居られる広場のつくり方と、まちを好きになれる広場のつかい方〜」というイベントが開かれた。( https://www.facebook.com/events/1730692190308015/ ) 尼崎ENGAWA化計画の藤本氏が主催の行事で、カレー付きで2000円という参加費。 (カレーを作られたのは、カリー寺スタッフでもあるSさん)20名近くの人が参加した。 19:30から、トークの予定だったが、カレーを食べているときに、山下さん、藤本さんから相談があって、オープニングでお経をお勤めすることに。 参加者みなさんの承諾を得て、「十二礼」のお勤めをみなさんとする。 お勤めを終えると、心が整って一つになったような印象。 だれかが、「(イベントが)終わった感じがしますね」という声があったのも印象的だった。 そこから、山下さんのお話。 山下さんは、富山グランドプラザという「広場」の運営をされて成果をだされ、 今は青森県八戸の「広場」の構築をお仕事にされている。 「広場」とは、「公園」(都市公園法)でも、「道路」(道路交通法)でもない、公共空間だという。富山では、その「広場」という空間を「条例」によって運営するという試みが行われているのだそうだ。そういう意味では、既存の法律の制限を受けない空間をあえて「広場」として設定するあたらしいチャレンジだと理解できた。  その「広場」として立ちあげられた富山グランドプラザは、なにもない平日の朝から人がいる。 イベントもない、店も開いていないけれども人がいる広場。 お金がなくても、用事がなくても行ける場所としての広場。  そうなるまでの、そこを面白くし、まちに賑わいをもたらす場としてさまざまな工夫がされている。 ・毎日模様替えをしてしつらえを変えつづけている。 ・人工芝でさえ、毎日置き方を変えている。 ・禁止事項の張り紙をなくすなど、自由な雰囲気をつくっている。 しかし、広場にくる人に直接的な働きかけや声かけはほとんどしないらしい。 しつらえや仕掛けを通して、「場」をつくることに徹しているような印象を受けた。 模様替えをして、それによって人がどんな反応をするか...

熊野本宮大社→白浜ぐるっと

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4月23日(月)いろいろとたてこんでいるにも関わらず、一日休みをもらいまして、車でぐるっと観光をしてきました。 吉野から奈良の奥地に入っていき、 弁天宗さんの廟所を見学した後、 「じゃばらサイダー」なる変わったサイダーを見つけて飲み、 十津川村の「谷瀬の吊り橋」( http://totsukawa.info/joho/kanko/ )を渡り、 途中とても壮観な瀧を眺めた後、   熊野本宮大社(目的地)を見学、参拝。 (写真はのちほど) 近くの川湯温泉で、本当に川原に湧いている温泉があることを見聞して、 紀伊山地を抜けて、白浜温泉につかって、 帰宅しました。 移動距離は350㎞から400㎞くらい。 一日でまわれるものなのだなぁという感慨と、 あれこれ一気に行きすぎて、翌日にはずっと前の出来事だったような感覚にも・・・。

「應典院ポスト20年プラン」の発表を聞いて

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先に記事を上げた應典院の20周年シンポジウム。( https://ryogo1977.blogspot.jp/2018/03/20.html ) その最後に、秋田住職から「應典院ポスト20年プラン」の発表があった。 「葬式をしないお寺應典院が葬式をしたらどうなるのか」、「葬送に取り組みたい」ということだった。  秋田住職の言葉によれば、  ・親寺の大蓮寺でのご葬儀などから貧困のご家庭と向き合われた経験があったということ。  ・應典院で開催された、葬送をテーマにしたシンポジウム(https://www.facebook.com/events/136846966934224/)で、100名を超える参加者があったという、一般社会からの「強い関心」を感じられたこと。  ・また、そのシンポジウムでは、近代の「助葬システム」が、福祉的な役割を果たしていたという指摘があったこと。  ・「多死」、「貧困」、「孤立」の社会の中で、葬送は「福祉」の文脈で捉え直すことができるのではないか。  等が語られていた。「應典院が葬送に取り組んだら、こうなる」ということを考えたい。という強い言葉もあった。  20年、設立からのコピーに「葬式をしない寺 應典院」と示し、そのタイトルで本まで出していた應典院が、20年の節目を経て、「葬送」に取り組むという宣言。非常に重たい、ズシンとくるものがあった。自分の内面でなにかがふるえているような感覚があった。  伝統仏教教団、あるいは研究機関でもずっと「葬儀」をテーマに掲げた取り組みはあった。食傷気味になるくらい、「葬儀」というのは扱われてきたテーマだ。しかし、應典院として葬儀に取り組む(考える)という宣言は、これまでの伝統教団のそれとはまったく異質の感覚をもって聞こえてきてしまった。  個人的感覚だが、これまでの伝統仏教教団の葬儀は、寺院経営等の経済的な面、宗教儀礼や仏教的価値観の維持、布教伝道といった、仏教教団、あるいは寺院側のモチベーションとどうしても切り離すことができないでいた。それらが透けてみえていたことが、一般社会との乖離を生じさせたり、その主張に説得力を持たせ切れていなかったように思われる。  しかし、(それがテーマや題材として扱われるイベント・研修が行われることがあっても)あえて再建以来20年間「葬儀」という...

10/21(土)オトナテラコヤ100回目@西正寺

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 10月21日、西正寺で、「オトナテラコヤ vol. 100 あそびを通じて日常を拡張する〜あそびとまなびの関係性〜」が開催された。  主に阪急塚口駅前のさんさんタウン3番館6階のamareで開催されている街の学びのイベント。僕も4回ほど仏教をテーマに出講したり、以前も1度西正寺での開催を引き受けたりしたことがある。  今回は、100回記念ということで、スピーカーも豪華に4名。  ・上芝 英司(うえしば えいじ)さん/PEACOCK64代表。  ・梅山 晃佑(うめやま こうすけ)さん/2畳大学学長  ・笹尾 和宏(ささお かずひろ)さん/「水辺のまち再生プロジェクト」参加。  ・高津 祐次(たかつ ゆうじ)さん/今井町じゃず実行委員会プロデューサー他 コーディネーターは、藤本 遼(ふじもと りょう)さん/尼崎ENGAWA化計画/場を編む人    それぞれの活動を7分ほどで紹介してもらったあと、クロストーク。  テーマは「あそび」と「まなび」。  それぞれの活動は面白く、刺激的なものばかり。きっと参加者のみなさんもたくさんの刺激をもらったのではないかと思う。    それぞれが、楽しく、遊ぶ、ということをしながら、まちや学びの捉え直しをされているように思った。  ・名づけ、あるいは仕掛けによって「場所」や「もの」の見方を変える。   →面白くする、価値の再解釈をする、魅力的にする。  ・関わり方、仕掛けによって、「見捨てられていたもの」「無価値と思われていたもの」に価値や、遊び方を発生させる。  ・人との関わり方、まちとの関わりによって、人を巻き込み、なにかを仕掛けていく。   「こと」を起こしていく。  ・ただ「やりたいこと」を、純粋にたのしんで遊んでいく。  ・与えられた枠組みや「遊び方」ではなく、自分が自分で楽しいものを見いだし、作り、「あそぶ」ことを大事にする。  といったところか。  個人的な思いだが「遊び」とは、その行為自体が「目的」、「楽しみ」となるようなものだと考えている。 なにかのために「遊ぶ」というのは、すでに遊びではなく、「作業」や「仕事」になってしまっている。何かのためにするのではなく、それをすること自体が楽しくあるものだと思っている。  今回、スピーカーでこられた人たちは、既存のあり...

170709カリー寺(2)トーク「ここがすごいよ 尼の銭湯」

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12:45 ここがすごいよ 尼の銭湯 カリー寺、本堂でのプログラム12:45からは、尼崎市道意町にある「蓬莱湯」の稲里美さんにお越しいただき、尼崎の銭湯について語って頂きました。聞き手は、カリー寺住職の私。    尼崎は、全国でも有数の銭湯密集地域でした。最盛期(昭和40年代)には、市内で162もの銭湯がありましたが、現在では37軒にまで減少しているということです。  しかしそれでも、まだ全国的にみて銭湯が多い地域ではあります。  ではなぜ、こんなにも尼崎に銭湯はたくさんあるんでしょうか。稲さんは、そもそもの文化や、高度経済成長期の住環境などが理由としてあったのではないかといいます。  いまでは逆に、その住環境の変化(内風呂の増加等)が、銭湯利用の減少につながり、銭湯の経営が難しくなり、減少の一途を辿ってしまっている現実もあるといいます。  トークでは、そのような苦境の中でも、特徴ある稲さんオススメ銭湯や、尼崎の銭湯のグループとしての取り組みについてもお話を伺いました。  ・まだ、薪で火を焚いてお湯を沸かしているという90年の歴史を持つ銭湯  (薪で焚いたお湯、ガスで焚いたお湯、ボイラーで焚いたお湯には違いがあるそうです。すごい!)、  ・脱衣所、浴場はもちろんバックヤードからボイラー室まで清掃・整理整頓が行き渡り、サービスも完璧というお風呂屋さんからも尊敬を集める(稲さん曰く)「銭湯 of 銭湯」。  ・源泉掛け流しで、「入門者向け」というとても気軽に入りやすい銭湯  などなど、オススメの数店舗を教えていただきました。  ・また、尼崎の銭湯15軒あつまって取り組んでいる「尼崎温泉郷」ではスタンプラリーやおもしろい取り組みも幾つかされているそうです。みなさんもぜひ、一度見ていただけたらと思います。  ( http://ama1010.jp/ )  稲さんとのトークで、興味深かったのは、「宗教的なことがら」との関わりについての言及があったことでした。  銭湯とはなにかという話の中で、稲さんから、銭湯と仏教との関わりに言及されました。東大寺での施浴(奈良時代には光明皇后が、平安時代には重源が困窮した人や病人のために、浴室を開放して、入浴を施したそうです)に触れられ、お風呂にはいるということは清潔...

170709カリー寺(1)オープンから「開催報告法要」・「主催者トーク」

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・オープニング  始まるまでの準備がかなり、ばたばたとしていた。しかし、それでも開催時間はやってくる。 11:00カリー寺 オープン。  10:30ごろからちらほらと人が集まり始めていて、11:00少し前には、20人くらい、11:00には、30人くらいのひとがあつまった。  しばらくすると、会場のテントに設けたイス・テーブルの席はほぼ埋まる。 12:00 開催報告法要 昨年オープニングセレモニーとしておこなったものだが、それが混乱の一因にもなったので、 今回は、セレモニーは開催後1時間たって、すこし落ち着いたところからはじめた。それが奏功したのだろう、とても落ち着いた感じで、会場にも混乱は生じなかった。  勤行は、「三奉請」「表白」「重誓偈」。  「重誓偈」は、参加者のみなさんと一緒におつとめした。  読んでくださる方に本をくばるというと、結構積極的に手を挙げて参加して下さる人がいた。    特徴的なのは、しつらえ、お供え。  本尊前の外陣に、お供えの段を設置して、そこにお仏飯を真ん中にして、この日出店されたカレー屋さんのカレー8品をお供えする。  お仏飯と一緒にカレーがお供えされるなんて、日本では「カリー寺」くらいのものだろう。(さすがに、お内陣には入れるのは控えているが)香辛料、さらには肉・魚も入っているカレーを仏前に供えるなんて、という人もいるかも知れない。しかし、私はこのしつらえが好きだ。  その日のイベントで供されるもの、みんなが一緒に口にするものを「仏前」にお供えして、その上で頂くというのは、「食べる」という行為を宗教儀礼が下支えしているように思う。「ただ食べる」、「食らう」というのとは違う意味を、わかりやすく賦与してくれ、また場の共通理解として視覚化されているように感じるからである。  報告法要のあとに話したのは、つぎのようなことである。  ・カリー寺に来場して下さってありがとうございます。  ・こうやってカレーをお供えして、その上でイベントをしている。  ・お寺でしている、法要をしているという意味を感じる。  ・みなさんが一緒に食べるお供えは、ただ「食らう」もの「栄養を補給するもの」ではなく、「仏さまからのいただきもの」「お供えのおさがり」を一...

西正寺 第14回はなまつり

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 2017年4月2日(日)  自坊・西正寺で「はなまつり」の行事をしました。  始めたのは14年前、昨年は参加申し込みが少なくて中止になったので、 2年ぶりの開催でした。  9:30~12:00まで、今年は16名ほどのお子さん(2才~小学校6年生)と、2人の赤ちゃん、それから数名の保護者の方の参加がありました。   おおよその流れは、    ○受付    ○開会の挨拶と、注意事項    ○オープニングのレクレーション    ◎腕輪念珠づくり    ◎スペシャルゲスト、チャーハンさん、タクトさん、ガチさんのパフォーマンス    ◎はなまつりの礼拝    (さんだんのうた、ねんぶつ)濯仏の礼拝    ◎おはなし      ◎レクレーション       みんなで境内に絵を描こう!    ○閉会 と、 こんな感じで行いました。 参加して下さったみなさんもとっても楽しんでいただけたようで、 わざわざ御礼の電話や、メールを下さって、 「帰ってきてから、お釈迦様の誕生日なんやねで~」とか、いろんな会話もあったようです。 うれしい、うれしい。 最初は、タクトさんが、 みんなが知ってる「あの曲」に乗せて、楽しいパフォーマンスを見せてくれました。 すごい!まわってる! チャーハンさんのパフォーマンス。うほっ。 シンプルだけれど、楽しい地面へのお絵かき。 20分くらいで、あっというまに素晴らしいアートに。 「花祭り楽しい」という言葉もあちこちに。うれしいですね~。 最後は、みんなで記念撮影。 ※パフォーマンスを披露して下さった チャーハンさんのプロフィールはこちら チャーハン。 フットバッグフリースタイラー。 世界唯一のオリジナルスタイルで、空間をアートにクリエイトする。 自身がリーダーを務めるプロフェッショナルなエンターテイメント集団[LifeUnder(eN)]ライフ・アンダー・エンのチームプロデュースも行う。 2013年2014年と2年連続で 神戸のダンスコンテストにて審査員特別賞を受賞。 JJS(ジャグリングジャムセッション)という1on1のオールジャンルのフリースタイルボール...

シンポジウム『儀礼空間の必要性とはたらき』

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一日の仕事を終えて、これを聞きに大阪・本町の北御堂に行きました。 北御堂 公開シンポジウム 「儀礼空間の必要性とはたらき」 プログラムは、 ・内田樹先生「武道の道場空間とその指南力」 ・中沢新一先生「葬送儀礼の黄金比率」 ・釈徹宗先生「儀礼にゆさぶられる」 の講演があったあと、 寺本知正先生の進行で、パネルディスカッション。 18:00~21:00の3時間という長丁場だったけれど、とても興味深いお話がたくさんありよかった。 全体を通して感じたことは、 その「場」や「人」に蓄積されたものをいかに感じ、うけとめていくかということか。 思念・願い・死者を感じたり、それに向き合っていく能力についての示唆。 それは、「場」によって養われると共に、我々自身もいかにそのような 「清らか」で「意志」とか「思念」とか「願い」とか「敬意」が蓄積された場を編んでいくか、築いていくかということにかかっているのだろう。 それは内面的なものでもあるだろうし、 あるいは「儀礼」や「行為」はたまた、生存や生活に関わる「営み」が真摯に積み重ねられた場でも養われる可能性があるように感じた。 他人(他者ではなく)によって、「無機質に造られた場」には立ちあらわれえない、 人が時間を掛けて、「思い」とか「営み」を積み重ねた場所の意味。 そしてそのような場所を感じる能力(それは、今日的には喪失させられてきているという危機感も)をいかに養っていくかがテーマだったか。 以下メモ (ざっと個人的な要約なので、シンポジウムでの言葉と異なるところがあります) ・「場」(道場)に対する感覚と、場(道場)によって養われる感覚。  →その場が蓄積してきた空気や、その場に関わってきた人の想いの蓄積が「場」の空気や、価値をつくる。  →その場に対する敬意や、「清らかさ(清めようという意志)」が場を造る。  →穢れ(汚れ)た場は、自己を守ろうとしてしまう。体を硬くし、小さくする。 ・「空間とやりとりする能力」を養成するには、実際に「そういう場」に触れないといけない。 ・儀礼とは「繰り返し」の行為。 同じ動作を繰り返し行うことが、儀礼の本質的なことがらの一つ。 ・人は、「他者の不在」を、なんらかの象徴を用い、それを記号にすることによって、「儀礼」行為を行っ...

ハワイ研修_本願寺ヒロ別院

【ハワイ開教・ヒロ別院】  ハワイに行くというと、いいなぁとうらやましがられた、というのと同じくらいあったことが、 なぜ行くのかと言うと、「ハワイにお寺があるの!」 と驚かれるというあるある。  ハワイにも浄土真宗関係のお寺があります。  主に、日系人の方たちが中心になってお寺を建立したり、お坊さんの派遣を依頼したりというのがその由来になります。現状では主に日系人のコミュニティのある場所に、多く浄土真宗寺院もまたあるということになります。  今日では、地元の日系人以外の方にも、ご縁やつながりができて、あたらしいメンバーになるかたもいらっしゃるそうです。  いろいろと課題などもありますが、それは別の機会に。  28日に到着し、昨日29日から実質的な研修がスタートしました。  29日は終日、ハワイ島の本願寺ヒロ別院( http://www.hilobetsuin.org/ )で、ハワイでの浄土真宗の開教や、寺院、開教使(僧侶)の活動についてのレクチャーを受けたり、見学をしたり、(交流のバーベキューもしたり)というスケジュールでありました。    

毎日新聞「境界を生きる」取材班『境界を生きる 性と生のはざまで』

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とある依頼で、LGBT関連の資料と情報をまとめる機会をもらった。 そんなわけで、あらためてこの問題について関する本を一冊。 というか、そういう状況で手にとってしまって、また感情がゆさぶられたので。 ・毎日新聞「境界を生きる」取材班『境界を生きる 性と生のはざまで』  LGBTのことに関心を向けた数年前にまとめて買った本の中の一冊。すこし読んだだけで、切なさと、それぞれの決断で感情が大きく揺さぶられる。    人間には、一定の割合で「男性」と「女性」のいずれでもないか、あるいはいずれの特徴ももって生まれてくるということが起こりうる。性分化疾患(DSD)や、インターセックス等とも名称される。その当事者と家族をはじめとする周りの人たちの姿をとりあげたルポ。    生まれてきた子どもの性別を決める、という覚悟と決断を迫られる親、明確な性別のアイデンティティをもつことが許されず、つねに「居場所」がないという苦しさを抱えて生きて行かざるを得ないい当事者。  恥ずかしながら、「性別」は誰もが当然のように自覚でき、公表しうると思っていたが、現実には、非常にあいまいな状況におかれ、公表することもできず、ひとりで息を潜めて生きて行かざるを得ない状況があること、また、重すぎる覚悟と決断を無理矢理に背負わされていた人がいたということに対して、想像が及んでいなかったことをまざまざと知らされた一冊。  しかし、その苦しみに責任を負うべき悪い人がいるのか、というとだれのせいでもない。誰のせいでもない苦しみを共有したり、公言したりできない社会の方が、変わっていかなければいけないのではないかという思いを強くした一冊でもある。  僕が、LGBTのイシューについて、発言したり、関与したりすることにいぶかしがっている人もいる人もいるかもしれないけれど、一人の社会人としても、そしてなにより「宗教者」としても、この苦しみは知った以上に無視できないという思いがつよくなったからです。  なにもできなくても、そういう人がいる、ということを知るだけでも、その人が抱えている苦しみに変化をあたえることができる、ただ知ること、それが大きな意味を持つことだと思っています。 そんなわけで、ずっと頭の中にあった想い、 LGBTについて活動されている当事者の方に来ていただいて、 学び、語り...

十字架のある教室(8/8-8/9 みんなのサマーセミナー)

みんなのサマーセミナーの会場は、 尼崎市が誇るカトリックの女子校・百合学院( http://yuri-gakuin.ac.jp/ ) サマーセミナーのウリの一つは、「女子校に入れること」。 スタッフさんたちの「女子校には入れますよ!」推しと、そこにかなりの熱があったことも感じました。笑 会場の様子は、サマーセミナーのフェイスブックでも確認できるのですが、そこでふと目についたのが、教室や至る所に「十字架」(十)があること! 講座のなかには、  神社の宮司さんや、お寺の住職がする講義もあるのですが、その人たちも十字架の下で、その教えについて語るという、レアな姿が!  ・十字架の下で仏教を語る僧侶!   https://www.facebook.com/amasemi/photos/pcb.747817985340839/747817778674193/?type=1&theater  とか ・十字架の下で神道を語る宮司! https://www.facebook.com/amasemi/photos/pcb.747382335384404/747382282051076/?type=1&theater とか。 教室だけでなく、体育館にも! https://www.facebook.com/amasemi/photos/a.668641296591842.1073741830.658223770966928/747287885393849/?type=1&theater この十字架があることについて、人それぞれ意見は違うだろうけれど、 個人的には「いいなぁ」と思ってしまったわけです。  宗教的なシンボリックなものを前にして、学校生活を送る。  他の学校と変わらない授業をしていても、その象徴するものがあるだけで、それらの営みを全部宗教的な情操が包んでいる空間が出来ているように思えるのです。    もちろん、僕の母校である平安高校や、龍谷大学、あるいはその他の仏教系の大学にも礼拝施設があって、宗教的な空間が設置されてはいるのだけれど、これほどまでに至る所に、宗教的な象徴が配置されているところがどれだけあるだろうか。  この全体的にどこにいっても「十字架がある」という、宗教的象徴が満...

【博物館】 愛荘町立歴史文化博物館

愛荘町立歴史博物館( http://www.town.aisho.shiga.jp/rekibun/ )にて、 「真宗の美」なる特別展が開催されているとのこと。  開館時間は10:00~17:00  休館日は、月・火   入館料金 300円 中学生以下150円  これは、以前、滋賀県の梵音具調査で、一度うかがったところ。  いい梵鐘があったなぁ・・・。 http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20130725/CK2013072502000009.html 【以下 引用・抜粋】  浄土真宗系寺院の宝物を展示した「真宗の美-愛荘町の信仰の文化-」(中日新聞社後援)が、愛荘町松尾寺の町立歴史文化博物館で開かれている。九月一日まで。  町内に五十八ある真宗寺院のうち十二寺院が協力するほか、一部は町外の寺院や博物館からの出展を含め、掛け軸や立像など計三十一点を展示した。親鸞聖人の一生を描いた四枚一組の掛け軸「親鸞聖人絵伝」や、通常は本尊として寺院に安置されている高さ五十センチほどの木造阿弥陀(あみだ)如来立像などが並ぶ。

大遠忌法要、参拝

一昨日の土曜日。お参りの件数が少なかったこともあり、法務は父にお願いして、 妻子を連れて、ご本山の大遠忌法要に参拝。 車で行きましたが、駐車場はとある場所に、後輩のコネを利用するなど、 数件、友人方のお力をお借りしました。 「みなさま、ありがとうございます」な、参拝道中でした。 □法要について  日頃は、勤務のこともあって、一部だけは法要に立ち会わせてもらっていたけれど、 参拝者という立場で、始終法要に座らせていただいていると、いろいろなことを感じました。  第一に、最初から最後まで、法要にお参りさせていただいていると、断片的に関わっているより、ずっとありがたく感じました。やはり、「全体」で一つになっているものを、部分部分で見てしまうと、まったぐ違うものに見えてしまうのかな。  また、普段は「働いている側」にいるだけに、いろいろなところでの気遣いや、働いている人のお姿が参拝者側から見えたのも、ありがたかったです。  たくさんの方の尽力で、成り立っているのだなぁと。  ともかくも、「50年に一度のご勝縁」、妻子とともに、参拝できたことは、よかった。 □周辺散策について  法要参拝に併せて、いくつかの場所を巡りました。  ・学生時代から、ちょくちょくお食事をいただいている「麒麟亭」( http://www.kirin-tei.com/ )で昼食。  ・日頃から、お世話になっている先生にも、娘と会っていただけたし。  半日、京都を満喫した、土曜日でした。

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