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友人と旧交を温める

 大学時代の友人2人と同窓会の夜。いつもは、もう一人いて、大学のときに同じ学部で仲良く付き合い続けている気の置けない友人4人で同窓会をしているのだけれど、その一人は、ドイツに留学中なので、今回は3人で。  一人は長野県からきてくれるN氏、もう一人は山口県から来てくれるM氏。    昔のことや、現在の家族や仕事のことなど、裏表なく、気兼ねなく話し、夜遅くまで時間を過ごした。楽しかったし、一晩明けて思い出して楽しんでいる。  論語に曰く、「有朋自遠方来、不亦楽乎」 朋の遠方より来たる有り、また楽しからずや。 大学時代にしたことは、30年近くたっても、ずっと「あの人はあのようなことをしてたね」という語りが残っていて、若いからの過ちも失敗も、自分自身にあったけれど、それなりに実直には生きてこれたなともふりかえっている。 (こんなことをいうていて、おまえあんなことやってたじゃないか、こんなことやってたじゃないかというのは、どうぞお控えくださいw)  

古いPCの壊れた液晶を交換をした

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ここ数年、壊れた液晶のレッツノート(先代PC SX1)をそのままにしていた。 子どもが「おしごとするわ」と、遊びに使うので、「まあこわれたままでもいいか」と、 液晶もれが若干あるPCで遊ばせていた。 けれども、最近、4才児らしく、機械の分解や修理に関心があるようなので、 よっしゃ、いっちょ直すか、とお参りが終わった午後に、液晶の交換をすることに。 振り返ると、昔も一度やっていた。 https://ryogo1977.blogspot.com/2007/05/blog-post_25.html 修理前のディスプレイの状況。 息子にパソコン修理する?と聞くと、「やるー!」とやる気満々。 youtubeの指南にしたがって、ケースを外す。   無事に液晶の取り外しができました。 新しい液晶を接続して、電源を入れてみると、うまくつきました。 うまく立ち上がったので、 子ども用のアカウントを作っておきました。 なんやかんやしてたら、ちょうど1時間くらいだった。 換装作業は、30分くらいでした。

経済的合理性の説得力にもっとあらがう何かがないといけないのではないか。

ここ数か月くらい、つとにおもうことは、 自分の行動や意思決定に「経済的合理性」というものが、いやというほどにしみこんでいるということ。 そしてそれは社会の中にも。 それがあることが悪いことである、とまではいわないが、 本来それを適用するべきではないところ、 ひいては、行動や意思決定のすべてが、その経済的合理性に毒されてしまっているという部分があるのではないかと思わされることがしばしばある。 さらに、それは個人のレベルだけではなく、集団の意思決定もそうで、その説得力の強力さ、抵抗のしがたさは個人のそれの比ではないものになってしまう。 このようなことをより強く考えたのは、春先に聞いた、ある神父さまの講演で、「精霊の声をきく」「精霊が教会になにをいっているのかもっと聞きたい」という言葉にふれたことが契機になっているとおもう。 それは、裏返しに私たち(私)が、耳を傾けようとしているものが、いかに「お金の話」でしかないかと反省させるものだった。 この行為にどれだけのリターンがあるか。 どれだけの経済的合理性(コスパ)があるか。 そんなことばかりで、日常を過ごしていないだろうか。 むしろ、お金をかけてまでするべきこと。 経済的合理性に反する「損」をしてまで、したいことはなにか、するべきことはなにか。そういうものにもっと目を向けること、そういうものをもっと手に入れることが生きる意味や、生きる上での豊かさを手にするということではないかと考えている。

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