2004年11月29日月曜日

片付け

昨日、午後からずっと部屋の片付けをしてました。

実は、僕の部屋は家のつくりがいい加減なためかなりの傾きがあるのです。



ビー玉を床に置くと、ころころと転がり加速していく…。



もう唖然としてしまいます。



そんなわけで、あんまり部屋を重たくしないようにというお達しが出ていたのですが、最近の本の増加量からして、そろそろ限界ではなかろうかと。

で、となりの部屋が空いていたので、そこの本棚を移動して、常時使う本以外は収めてしまおうという計画。

片付け始めると、アルバムが出てきたり…なつかしのものが出てきたり。



ふと気が付くと手が止まっていることもしばしばでしたが、

6時間かけて、部屋づくりをしました。



しかし終わらず。

つづきは、また来週…

2004年11月27日土曜日

忙しくもある一日。

久々の更新。

とりあえず、今日のわたくし。



午前中、お参り。

午後から、近くのお寺さんの報恩講に出勤

そのあと、三時から合気道の稽古

さらにそれから、母の里の高槻のお寺の報恩講に出勤。



いまさっき、帰り着きました。

2004年11月15日月曜日

僧侶として・・・

とあるおうち。

お勤め(お経)が終わったあと、そこのおばあさんがふと、先年亡くなられたご主人の写真を眺めてこうつぶやかれました。



「こんなふうになるなんて、思ってもみんかったけどなぁ・・・」





「亡くなって、お父さんに頼りきっとったんやなぁって・・・」

とてもさびしそうに、遠くを見られているような目で、そんな風にもおっしゃいました・・・



それからいろいろとお話しました。



おじいちゃんのあまりにも人の良いこと。

だまされていろんなものを買ってよろこんでたこと。

血圧が高いからと、おばあちゃんのために薬を買ってきてくれたこと。

おばあちゃんのとおい田舎のこと。

「遠い尼崎に来たけど、よかったんかもねぇ・・・」

と言われたことも印象的でした。



 どうしてほしいとも、何とかして欲しいとも思われてないのかも知れません。

 でも、ぽつぽつと話される言葉の中にさみしさがありました。

 

「人生ってはやいなぁ」



というような言葉もいわれました。



なんとかしてあげたいと思うけれども、なにもできません。

ただ、横にいて話を一緒にさせてもらうことしかできないのだと思いました。



無力だなぁ・・・。と思いながらも帰途につくのでした。



��仏さんの話をしたら、帰りがけに「ちょっと元気になりましたわ。」と、御礼を言われたことがとてもうれしかった。)





おばあさんがぽつぽつと話す姿が、印象的で、胸に残る一コマでした



///////////////////////////////////////////////////////////////////////





私たちお坊さんは、苦しみを、悲しみをなんとかしたいと思うのですが

また、して欲しいと思われたとしても

傷を癒す特別な力を持ってはいないのです。

能力はないのです。

それは、とても歯がゆいです。悲しいです。



ただね、仏法(仏さんの教え)ならば、その悲しみに答えを示してくれるのです。

阿弥陀さんはお答えをお持ちなのです。



どうかお聴聞してください。

どうか仏法に耳を傾けてください。



「なんでわたしだけ・・・?」

という悲しみに出会われているかも知れません。

「どうして自分だけ、・・・」

と苦しんでおられるかも知れません。



仏さんの教えに生きるというのは、常にその苦しみ悲しみと向き合って生きるということなのです。

仏法の中には、2500年以上その苦しみと向き合いつつ、人生の答えを探し続けられた方の生き方がぎっしり詰まっています。



ぼくができるのは、仏さんとみなさんを仲人することくらいです。

あまり良い仲人ともいえませんが。

2004年11月13日土曜日

報恩講

西正寺報恩講が、明日、明後日とつとまります。

お暇な方、興味のおありの方、ぜひぜひご参詣くださいませ。



西正寺 報恩講法要



��1月14日 14時より 

��1月15日 14時より



ご講師は両日とも、本願寺派布教使 安方哲爾師



アクセス等ご不明でしたら、メールなどで。

2004年11月12日金曜日

石田衣良『池袋ウエストゲート・パーク』

石田衣良『池袋ウエストゲート・パーク』



ちょっと前に、石田衣良の『娼年』という作品を読んだ。

その後で、彼が「池袋ウエストゲートパーク」の作者だと知った。

��一部では「IWGP」と略されているらしい。どっかのプロレス団体のベルトみたいだ。それを見たときちょっと笑ってしまった。)



 『娼年』読んで、石田作品に興味を覚えた。



 解説や評論では石田作品は絶賛されている。読むとその評価されている点は分かるけれども、何かしらもの足りなさも一方では感じるのが、僕の正直な感想。



 東京の「夜」の部分が彼の作品には非常にうまく描かれている。

 文体も、教科書通りではなくて、切れ味が良く、読んでいて刺激的。



  

 一単語の名詞で文章を終える部分があって、その表現がすごく印象深い。こんな書き方があったのか?という、カルチャーショック。

 主に電車の中で読んでいたが、一度読み出すと、その世界に入り込んでしまって、あっという間に時間が過ぎて、キリのいいところまで読み切らずにはいられなくなる。電車を降りて、駅のホームや改札で立ち止まって、読み続けもしたから、かなり面白かったのは間違いない。



 じゃあ、物足りないのは何なのか?

それは斎藤孝のいう「精神の緊張が要求される読書」にはなっていないという点だろうか?

なんとなく、あっさりと読めてしまって、面白くて集中できたけど、その反面物足りなさものこるのです。



 ちなみに、すごく満足できた作品は、ぱっと思いつくもので

 遠藤周作『海と毒薬』

 芥川龍之介『或る日の大石内蔵助』

などなど。

『入門・論文の書き方』鷲田小彌太

『入門・論文の書き方』鷲田小彌太



 大学生協で、ふと目に付いたので買った。

 著者も本書の中で提案しているように「よみやすい文章」で書かれており、購入した日(11/11)に一気に読み終えてしまった。

自分が漠然と持っていた論文についての考え方が、言語化して示された感覚が残った。よい意味で。



 著者は「書く」ということが、一昔前は一部の知識階級だけに許されたものであったのに対して、現在では「万人が書く時代」がやってきたという。



 本という形態を取らなくとも、多くの人がホームページやブログで自分のこと、自分の知識を文章にして、多くの人に披瀝している。

 多くの人に自分の書く文章を、公開できる場所、公開する機会が多く与えられている。

 書くのが面倒であったり、難しいのであったりするのではない。

 むしろ今では逆に多くの人が「書きたい」のだ。

 書くと言うことは、精神衛生上非常によいことだとおもう。



 「書きたい!」

 あるいは

「書いてみようかな?」



この欲求に素直になってみるのもよいのでは?

2004年11月8日月曜日

中尊寺展

テレビで紹介されていました!

佐川美術館で中尊寺展やってるそうで。



これは行かなくちゃ!!



今月28日まで。

��自分メモ)

『ブッダを語る』

前田専学『ブッダを語る』 NHKライブラリー



正直、私には持っている知識として重なる部分が多くて、新しい発見は少なかった。

でも、いちいち典拠が挙げられ、また幅広い視野から、ブッダ像やインド思想の背景が述べられているから、決して悪い本と言えない。むしろ、好書。



思い出深いエピソードがある。



著者の前田先生というのは、先代の日本印度学仏教学会の理事長で、元東大教授。

2002年の夏に、大谷大学の集中講義を持たれていたので、一週間、講義を受けに通った。

専門ではなかった上に、こんな先生から教えていただけることはめったにないと、一週間は自分なりにかなりがんばって勉強した。



で、テキストになっていた本、『インド思想史』、も一生懸命読みました。



で、どうしてもわからない言葉にぶつかったんです。

「再生族」

という言葉でした。

当たり前のように使われてて、その言葉の意味も解説されてないので、「なんだろう?」と



次の日の講義の合間に、前田先生に質問したんです。

そしたら、

「ああ」

「再生族ってのはね…、で、再生族っていうんです。で、こんな格好して旅に出てね。…身分としては…でね。……」



すごかったです。

結局再生族ってのは、インドのある階級以上の人は、老年期になると家督を息子なりに譲って、遊行の旅に出るんだそうです。それは、新たな人生という意味で「再生」。

で、再生族だそうです。



すごいなぁト思ったのは、その知識。

こっちは一言きいただけなのに、意味だけではなく、その文化、風習や格好、などなどなどなど。

軽い小石を投げただけなのに、どか~んと岩が投げ返されてきたような衝撃。



そして、その内容もめちゃくちゃすごい。&深い。

なのに、平然と当たり前のように話すんです。



ああ、こんな人の近くで毎日勉強していたら、すごい刺激だなと。

どんだけやっても、軽く跳ね返されそうな壁でした。



プロの学者ってオーラに包まれた夏でした。



あんな風になりたいと思った方の一人です。



あの夏から、ちょっと自分の勉強の仕方も変化があったんだと思います。





一年に数度、学会の懇親会でお顔を見かけることがあるので、挨拶に行くと。



「ああ、君、おぼえとるよ。 あの時はたのしかった」



いつも笑顔で応えてくださいます。

2004年11月5日金曜日

今日の夕食

大学近くの麒麟亭です。



おろしポンカツ(今日のスペシャル)七百円 いただきました。



個人的にお世話になっております。



恩師の行きつけだったのが、いつのまにやら僕もひとりで食べに行かせてもらうように・・・。



「京都だ!」

と奮発して、湯豆腐やら祇園やらに繰り出すつもりがないのであれば、

普通にお勧め。



定食ならば、リーズナブル。

本棚

P1000065.jpg僕の部屋の本棚その1

2004年11月2日火曜日

祝NBA

祝! 田臥勇太選手 日本人初NBA選手決定!



いやいや、すごいです。めでたいです。

昔、彼が高校生のときに全日本に選ばれて、アメリカのどっかの地方の大学選抜とした試合を京都府立体育館まで見に行きました。

その時も、高校生ながら日本代表に見劣りなくプレーしていて、すごいなあとおもったのですが、まさか、NBA選手にまでなってしまうとは・・・。

もっと、追っかけてサインとかもらっておけばよかった・・・(とはあんまり後悔していませんが)



今は、ガード三番手くらいの評価だそうですが、もっとがんばって、どっかのチームのエースガードくらいになって欲しいもんです。





さて、そんなこんなですが、今日ブログの主旨は



謝罪と訂正!



なんです。



実は、先日とある飲み会で、田臥の話題になったときに、



「田臥は小学校時代、C.バークレーと、進研ゼミのCMで一緒に出てたんですよ!」



と、「知ったか」していたのですが、

今日、このサイト☆を見ると、どうやら、



バークレーではなく、ユーイングであったようで・・・



当時、あんまり興味のなかったNBAの黒人選手、有名人といえば「ブタキムチ!」の

バークレーだったから、間違えてしまったのか・・・



今となれば、原因は不明ですが、

とにかく、思い切り、全力でウソ情報を自慢してしまったと。



とにかく、お詫びして、訂正して、お詫びします。





2004年11月1日月曜日

「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...