2018年3月31日土曜日

助手を退職しました。

2018年3月31日付けをもって、龍谷大学文学部(大学院実践真宗学研究科)を退職しました。実習助手として3年間の任期でした。

 しかしながら、まだ退職したという実感があまりありません。
 あるいは、4月からも非常勤で講義を担当して、週2日ほど京都に通うこともそうさせているのかもしれません。
 
 終わってみれば、あっという間の3年だったように感じています。
 目の前の仕事をあたふたとしながら取り組んでいる内に、3年が終わってしまったようにも思います。しかし、一部分ではありますが、大学という組織の内部や、取り組まれている仕事について、触れることができたことは大きな経験でもありました。

 また、経験豊富な先生方からは、折りに触れ、いろいろなご教示をいただくことができました。多くが一回り以上も年が離れた院生さんたちからは、若い意欲的なエネルギーと荒削りな議論に触れる中で、たくさんの刺激をもらいました。また、院生の中には、僕よりも多くの人生経験を経て入ってこられた方もいらっしゃり、その姿や言葉の端々から学ばせていただくことも多くありました。



 昨日30日は、最後の出勤日でした。
 午前10時から、辞令交付式に臨み、学長から解任の辞令をいただきました。
 その後、茶話会で退職される教職員の方、役職の先生方とご一緒させていただき、お花を頂きました。
 退職にあたって、教職員の会で、大学院生の修了式で、そして今日と3回も花束をいただいてしまいました。大変丁寧に送って頂いて、ありがたい思いです。


いくつかの所用を済ませて、大宮キャンパスに戻り、おせわになった部署・教務課にご挨拶と、研究室の後片付けをしました。
 最後の方まで、あれこれと業務があったこともあり、結局、最終日まで引っ越し作業をすることになりました。最後は、机の上の紙類の仕分けもままならないまま、とりあえず箱詰めして持って帰ってしまえ!という、乱雑なことに。

 一番最後に、使っていたデスクトップPCから、必要なデータを保存用のハードディスクに移した後、一切のデータを削除しました。
 机の上からも、PCからも(今後新任の先生には新しいPCが配給されますが)自分の3年間の澱を取り除きました。

 最後に、私物がなくなったデスクを少し見て、最後の荷物と共に合研をでました。
 「何かを失った」という感覚はありませんでした。抱えた荷物と共に、次に進む。あるいは、本来のフィールドに帰る、という感覚もあったのかもしれません。
 
「新しいステップ」という感覚でもありません。「いままでの延長のような気持ち」と言った方がしっくりするように思います。
 
 ともあれ、一つの区切りの日でした。
 
 
 
 
 



2018年3月28日水曜日

カリー寺出店 @あままままるしぇvol.4 

3月25日(日)、あままままるしぇvol.4に「カリー寺」が出店しました。
https://www.facebook.com/events/1984986525077758/

2016年から夏のイベントとして西正寺で開催されているカリー寺。
スタッフとして関わってくれている方が、年末の交流会で料理を振る舞ってくれたことから縁がつながって、カリー寺として、初めてイベント出店することになりました。

 ここにいたるまでに、先月には楽しい試食会をしたり・・・
https://ryogo1977.blogspot.jp/2018/02/210.html
 幾度かの打ち合わせをへて、この日を迎えました。

あままままるしぇ 朝の全体写真

カリー寺の出店ブース

 カリー寺住職の僕は、設営の準備に関わった後、本業の法事などで不在になりましたが、中心になってくださったみなさんがいたので、しっかりと運営をしてくれていました。(そもそも住職はあんまりなんにもしていない)

 途中、例の「ご飯切れ」の自体もあって、お待たせした方、諦めてしまわれた方もいらっしゃったようで、申し訳ないことでしたが、最終的に、143皿を販売できたようです。
(大体ご飯・1/2合が一人前くらいという目処も確認できました)
 売り上げは、かかった経費等を差し引いて、社会事業や地域の活動への募金等に回させて頂く予定です。

 撤収・片付けを終えた後は、ちょっと疲れを感じて、気がついたら眠ってしまって一日が終わっていました。しかし、交流やつながりも増えた、楽しい一日でした。

 お寺から一歩踏み出たカリー寺。
 やって欲しい、とやってみたいという思いが「カリー寺」という名前と枠組みで展開していったというのは、とてもうれしい展開でした。カリー寺の歴史の一つとして、とても意味ある一日だったなぁと思います。









以下は、備忘録も含めて私の一日の記録です。

カリー寺出店。

6:00起床。昨日にSSさんが仕掛けてくれていた炊飯器の炊飯ボタンを押す。
備品を車に積み込む。
7:00 SSさん合流。 2度目の炊飯。
7:45 積み荷完了。4升のご飯とSさんと会場の開明中公園へ。
8:05 会場到着。すでに到着のMさん、SAさんと合流。
   会場設営。記念写真。
9:50 お寺のお参りのため、会場をあとにする。

12:20 お寺でお参りを終える。「ご飯がなくなりました」という連絡。
    至急連絡を取り、追加の炊飯。 2升×2回の炊飯を追加。

14:30 最後に炊いた2升を抱えて会場復帰。
    お店や会場をうろうろ。
16:00過ぎ 閉店。撤収。
17:00 西正寺帰着。片付け。解散。
気がつくと疲れて寝ていた。



2018年3月15日木曜日

論文「「浄土真宗の実践」―その射程とそれを立ちあがらせるものについて―」

【『真宗学』刊行、論文載ってます】

 大学のメールボックスに、龍谷大学真宗学会発行の『真宗学』の最新号が届いていました。

 今号は、龍谷大学の川添泰信先生の退職記念特別号です。拙稿「「浄土真宗の実践」―その射程とそれを立ちあがらせるものについて―」も掲載されました。
 
 宗教者の実践、社会貢献が取り上げられる昨今、浄土真宗の教義と実践の関連性について、扱いました。思想研究をしていた者として、また「実践真宗学」に携わったものとして、数年来の愚考をまとめてみたものです。

 ご教授、ご叱正をいただけたら大変ありがたく思います。
 (※あくまでも、浄土真宗の教義を学んだ立場から、「浄土真宗」の実践について書きました。他宗・他派にもしかしたら架橋するかも知れませんが、その点についての保証や自信はありませんので、あしからずご了承くださいませ)

2018年3月4日日曜日

「應典院ポスト20年プラン」の発表を聞いて

先に記事を上げた應典院の20周年シンポジウム。(https://ryogo1977.blogspot.jp/2018/03/20.html
その最後に、秋田住職から「應典院ポスト20年プラン」の発表があった。
「葬式をしないお寺應典院が葬式をしたらどうなるのか」、「葬送に取り組みたい」ということだった。

 秋田住職の言葉によれば、
 ・親寺の大蓮寺でのご葬儀などから貧困のご家庭と向き合われた経験があったということ。
 ・應典院で開催された、葬送をテーマにしたシンポジウム(https://www.facebook.com/events/136846966934224/)で、100名を超える参加者があったという、一般社会からの「強い関心」を感じられたこと。
 ・また、そのシンポジウムでは、近代の「助葬システム」が、福祉的な役割を果たしていたという指摘があったこと。
 ・「多死」、「貧困」、「孤立」の社会の中で、葬送は「福祉」の文脈で捉え直すことができるのではないか。

 等が語られていた。「應典院が葬送に取り組んだら、こうなる」ということを考えたい。という強い言葉もあった。

 20年、設立からのコピーに「葬式をしない寺 應典院」と示し、そのタイトルで本まで出していた應典院が、20年の節目を経て、「葬送」に取り組むという宣言。非常に重たい、ズシンとくるものがあった。自分の内面でなにかがふるえているような感覚があった。

 伝統仏教教団、あるいは研究機関でもずっと「葬儀」をテーマに掲げた取り組みはあった。食傷気味になるくらい、「葬儀」というのは扱われてきたテーマだ。しかし、應典院として葬儀に取り組む(考える)という宣言は、これまでの伝統教団のそれとはまったく異質の感覚をもって聞こえてきてしまった。

 個人的感覚だが、これまでの伝統仏教教団の葬儀は、寺院経営等の経済的な面、宗教儀礼や仏教的価値観の維持、布教伝道といった、仏教教団、あるいは寺院側のモチベーションとどうしても切り離すことができないでいた。それらが透けてみえていたことが、一般社会との乖離を生じさせたり、その主張に説得力を持たせ切れていなかったように思われる。

 しかし、(それがテーマや題材として扱われるイベント・研修が行われることがあっても)あえて再建以来20年間「葬儀」という営みを行ってこなかった應典院が、寺院経営・維持、布教伝道等との文脈からまったく独立して、その色を排除して、葬儀を行うというのは、これまでの仏教側からの発信とは、まったく異質の取り組みとして受け止められるだろう。

 おそらく、秋田住職の言葉にあった、「助葬」システムのようなコミュニティによる相互扶助、あるいは「貧困」「多死」「孤立」といった社会課題への応答として、「社会システム」とか装置としての葬儀のあり方を、純粋に突き詰めた答えが提示されるのではないだろうか。

 また、それは應典院が積み重ねた20年の時間と営みが、仏教が抱えていたテーマに新たな地平を切り開くような思いがした。それは、これまでの20年の蓄積をもって、初めてなしえることが目の前に示されたような、それの重みと、それによってもたらされるものへ期待かもしれない。

 そのような時間と営みの重みと、それがもたらすものへの強い期待が、自分のなかで「ズシン」と来て、ふるえるような何かを生じさせたのではないかと思う。



2018年3月3日土曜日

浄土宗應典院20周年記念シンポジウムに参加して

2018年3月2日(金)
 應典院の20周年記念シンポジウムに参加した。
 (フェイスブックページ:https://www.facebook.com/events/223059001600334/


登壇者は、
・島薗進先生(上智大学グリーフケア研究所所長・東京大学名誉教授)
・大河内大博先生(願生寺住職・臨床仏教研究所特任研究員)
・大谷栄一先生(佛教大学教授兼コーディネーター)
・秋田光彦住職(浄土宗大蓮寺・應典院住職)

休憩を一回はさみながらも18:00~20:30までの2時間半。
進行大谷先生の巧みさと登壇者の刺激的な提言の連続で、長さや疲労を感じることはなかった。

 それぞれの提言は、應典院との関わり、應典院の変遷、社会と宗教と関わりの変遷を軸に、この20年間をふり返り今後の展望を開いていくものだった。
 登壇者の大河内さんは「秋田住職に見いだされた」といい、また登壇者の島薗先生については秋田住職がその著述を應典院設立に際して「びりびりに破れる程に読んだ」と御礼を述べられていた。ふりかえってみると、お二人に象徴されるような、應典院と秋田住職に光を当てられたり、育てられたりした人、あるいは應典院を作り、場に過変わり続けてきた人が、一堂に会しているような、まさに「20年の縮図」がそこに展開しているような場であったように今ふり返っている。

 登壇者の提言に耳を傾け、社会のうつろいを思い返すとき、自分自身の20年も同時にふり返り、関わり影響を受けてきたものがらの数々についても、思い返すような時間だった。

 2時間30分にはとても多くの刺激や気づきがあり、いちいちにあげていくことはできない。自分の中で印象的だったことばをいくつかあげると、

 ・秋田住職の、お寺にかかわる「フロー」と「ストック」という言葉。
 ・また、「無意識の古層を掘り起こす」という言葉。
 ・それから、島薗先生の提言のなかで示唆されていた、近年の、宗教研究と宗教者による実践の接近という状況。


 寺院のありかたについて、「都市型」と「村落型」に分けて考えることはままあるが、秋田住職は、その特徴を「フロー」と「ストック」として見る視点を提示された。そして、應典院の取り組みは、ただ「フロー」でおわるのではなく、そのフローの連続・継続性の中に、本物の「ストック」としての物語を蓄積されるのだと。
 
 また「無意識の古層」ということについては、「宗教とはなにか」という文脈で、釈徹宗先生の言葉として紹介されていた。應典院という場での営みは、新しい試みでありながら、潜在的に場や人の心にある「無意識の古層」を引き出し、掘り起こすことがままあるのだ、と語られていた。
 従来の「伝統」という形では、むしろ立ちあがってこなかった、現実に生きている人が無意識に抱えている価値や思い、あるいは潜在的な文化とのコミットメントが、應典院で行われている新しい取り組みのほうがむしろ、引き出し掘り起こしているという指摘には揺さぶられるものがあった。

 島薗先生の宗教研究と宗教者による実践との接近ということについては、僕自身が、宗教者を養成する大学院という環境に籍を置いていることもあって非常に考えていたところでもある。
 「実践真宗学研究科」(龍谷大学)「実践宗教学」(東北大学・上智大学)ができたように、実践的な宗教者の養成(あるいは宗教者による実践を研究テーマ)を看板とした大学・研究機関や組織は近年増えつつある。
 これは、仏教者としての反省であるが、近年のトレンドという枠組みで考えると同時に、「従来」の枠組みが抱えていた反省もふくめて考えないといけないのではないかと思っている。

 特に仏教者を養成する大学での修学体制については、多くが経典や聖教を読み、協議を理解する「文献研究者」「思想(史)研究者」を養成するかのようなカリキュラムが主流としてあったことも見逃してはいけないように思う。もちろん、自分自身への反省も含めてのことだが、仏教思想の理解や、文献を読むことができるようになっても、必須の態度として「それを今の社会にいかに結びつけて考え、行動するか」、そもそも「現代の社会の抱えている課題とは何か」を問うことを求められるような機会は、学修機関においては非常に少なかったのではないかと思う。

 3.11以降の宗教者の活動や、社会的なニーズに応える形で、大学を中心として具体的な宗教者の実践に焦点が当てられるようになってきたが、それは同時に(特に伝統仏教教団における)従来型の宗教者の養成・育成のあり方の反省や、総括も行われながら進められるべきではないかというような思いを(あくまでも個人的な感覚として)もっていることを改めて思った。


「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...