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9月5日(月)NPO法人ReBitの中島さんが来訪

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 9月5日月曜日。晴れ。  午前中はお参り。月参りの他、お別れのおつとめ。  先日電話をいただいて、初めてお参りするおうち。 亡くなられたあと、検査でコロナ陽性が判明したため、ご葬儀ができずにいて、本日おつとめさせていただくことになった。  ご自宅で、お骨が安置された祭壇を前に、ご葬儀に近い形でおつとめさせていただいた。  おつとめのあと、白骨の御文章を拝読し、すこし御法話。その後、おうちの方とお話をする。コロナで本来すべきはずとおもっていたご葬儀ができなかったことの思いや、こうやって改めておつとめできたことの安心感、それから故人に対する思いやみとりのことなどをお伺いする。    いろいろなお気持ちをうかがえたこと。ご葬儀に大きな意味を見出してくださったおかげで、ご家族にも納得いただける、いい形のおつとめをご一緒にさせていただけたのではないかと思えるような時間だった。 ◎中島さんの来訪  午後、面会の約束をしていた NPO法人ReBit( https://rebitlgbt.org/ )の中島潤さんが西正寺に来訪。      以前より、親しくさせていただいている尼崎出身で、東京のH大学で教員をされているI.Nさんの紹介で、関西出張に来られるタイミングでお目にかかることに。  ReBitさんの活動は、以前からお耳にしていたし、教材も買わせて頂いたりしたこともあった。改めて今回最近の活動や課題についてお話や、いろいろな雑談をさせていただいた。  西正寺でしばらくお話した後、市内某所へご案内する。  ReBitさんでは、現在無料でオンラインの「LGBTQ+キャリア相談」を一対一で受けられる機会を設定されているという。  詳細は以下のサイトで。  https://rebitlgbt.org/news/8392  お話をさせていただいていると、感じることはビジネスやサービスとして、こういうコンテンツを出しているというよりも、相談や支援の活動中で感じたスキマやこぼれ落ちてしまっている人はいないかと、目配りしたさきに、あるいは相談を受け付ける中で聞こえた声に丁寧に向き合っていく中で、必要なこと、不足していることを手当てしていくうえで、広がってきている活動のように思われた。    お土産にいただいたものが、このSHIBUYAクッキー。  包装の裏に書いてあるのだが、用いられ...

190618ー20 第2期 思春期・若者支援コーディネーター養成研修会

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先に書いた、住職補任式ならびに住職補任研修(2019年6月20日、21日)に先んじて、18日~20日間では、おなじく本山本願寺で開催されていた、「第2期 思春期・若者支援コーディネーター養成研修会」に参加していました。   http://www.hongwanji.or.jp/project/recruit/r002529.html  こちら、今年の1月に開催されていた前期に引き続く、後期のスケジュールの3日間。  スケジュールは添付の通り。  本願寺派の僧侶だけではなく、他派からの参加もあった。伝統仏教教団が公式にはなかなか扱うことのない、「性」(セクシュアリティや性行動、性行為)や「依存症」をはじめとした社会の「実態」に視点を向けさせてくれる、重みのあるプログラムだったと感じています。  一方で、レクチャーで与えられた知識を盲目的に追従するのではなく、ちゃんと自分で、自分自身の前にいる人、目の前にある課題に向き合うことも同時に求められるようにも思いました。   とても簡単に手を伸ばすことのできない問題、可視化されづらい生きづらさが社会のなかにはまだまだあることを改めて感じずにはいられない、前期後期の課題でした。  僕個人としては、産婦人科の先生が語られた妊娠・中絶についてまったく無知だったこと―11週を境にその前後で対応がまったく異なるものになってしまうという制度の実情―に、そんなこと現実があったのかという驚きとおののきがあったことが印象的でした。  動こう、動きたいと思っている寺院関係者、そしてすでにいろいろな活動や現場にいる人もたくさんいて、そういう人たちと少なからずつながりをもてたことも大変有意義だったとおもいます。  

190428 東京レインボープライド2019(1日目)

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 4月28日。スケジュールの都合がついたので、東京レインボープライドに参加した   お参りを終えて、当日の午後に翌日の予定と、イベントの予定を確認して、えいっと決めて東京に身一つで向かったような参加の仕方。それも楽しい。  会場に向かう道中から、すれ違う人たち――おそらく会場から駅に向かう個人、カップル、家族、グループ それぞれが多様なあり方を象徴しているように感じられて、「多様なあり方」を象徴するかのようなイベントにいま向かっているのだということを感じた。  会場に入ったのはすでに夕刻(17時過ぎ)だったが、ちょうどパレードが会場に帰ってくる時間でもあって、とても賑わっていた(しかし、知人に聞いたところでは、ピークの状態ではもっとすごかったらしい)  誰もがしる大企業が大がかりなブースや仕掛けをだしていたり、ライブ・パフォーマンスがステージと大画面で映し出されていたりで、フェスの雰囲気でとても楽しい。  会場がひろく、全体の配置やどこになにがわからずうろうろとしてしまう。電話で連絡をとってなんとか龍大のブースに到着。そこから、知人何人かと顔をあわせることもでき、知人を紹介してもらったり、あいさつを重ねたりしながら、その場の雰囲気を楽しむ。    ちょっと会場を歩くだけでも、いろいろな人がいる。いろどりや、装い、あるいは生き方がさまざまであることを、ただ歩きすれ違うだけで感じる。  もしかすると、人によっては、受けいれがたいとおもうことがらや、ありかたもあるかもしれない。しかし、それらが「机上」や「空想」ではなく、いま目の前に一人の人のあり方として現前にある。だれかに受けいれてもらう、もらわないという問題ではなく、「あり方」としてすでにある、いるということが、現に示されているようにも思われた。  人と顔を合わせ、あいさつを重ねることも楽しい。  その場にいる多くのひとが、久しぶりに会うひととあいさつをし、言葉を交わしているようでもあった。全国に散らばる知人と顔を合わせる場であったり、再会を果たし、再会する約束を重ねる場となっている。人と会い、人とつながる場としても大いに機能しているような思いがした。  まだ、言語化できるまでに至っていないこともあるけれど、あの場に身を置いてみることで感じられることが少なから...

18/10/06 レインボーフェスタに立ち寄る

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 2018年10月6日(土) 午前中のお参りを終えた後、午後の予定を確認していると、ちょうどレインボーフェスタ当日であったことを知る。 レインボーフェスタ( http://www.rainbowfesta.org/ )とは、「性の多様性を訴えるイベント」あるいは「セクシュアル・マイノリティの存在や権利を訴えるイベント」ともいえるでしょうか。 毎年この時期に開催されるのですが、ほとんど出講や、他の行事、お寺のお仕事と重なっていて、参加できずにいたのだが、今年はなんとかはせ参じる事ができた。 会場に到着すると、さっそく目にはいったのが、龍谷大学のブース。 龍大では、今年は、レインボーフェスタにブース出店して、 学内のアンケートの結果や、作成した冊子の紹介等を行っていました。 中心になっていたのは、宗教部のA課長と、にじりゅうの学生さんたち。 となりのブースには、大阪大学さんがブースをだしていて、 久しぶりにH先生にお目にかかってご挨拶ができる。 会場内をうろうろとしていると、何人かの友人・知人と顔を合わせ挨拶をする。 意外と知人と出くわすことが多い。 帰りがけに R大学のM先生が学生さんたちと一緒にいらっしゃるところに出くわし、ご挨拶すると、 思っても見ないほど光栄なご紹介をいただけた。「M先生とR大の学生さんの活動やとりくみをエンパワーしている」云々という。本人にその自覚はないが、結果としてそのようなことになっていたとするのならば、とてもうれしい。  初めてレインボーフェスタに参加したわけだけれど、実際に足を運んで気がつくこと、感じることはやはりあるものだった。  一つは、「フェス」が、当事者や、テーマに関心のある人に足を運ばせ、コミュニティやネットワークを作る大きな力となっていること。実際に、これまでの緩やかなつながりが、再会や紹介を通じてまたひとつ強められたような気がした。  もう一つは、イベント一般がもつテーマ。  今回参加して、フェス全体がある種の「内輪感」というものに、まとわれているようにも感じられた。ある意味イベントの性質上、それは当然のことかもしれない。「去年もいましたよね?」「今年は・・・」という会話をよく耳にしたが、それはそれだけ継続的に関わり、その中で関係...

(掲載)浄土宗総合研究所編『それぞれのかがやき:LGBTを知る―極楽の蓮と六色の虹』(総研叢書第10集)

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 先日刊行された、浄土宗総合研究所編『それぞれのかがやき:LGBTを知る―極楽の蓮と六色の虹』(総研叢書第10集)に、大正大学の林田康順先生、浄土宗総合研究所の工藤量導先生と、私・中平が対談させていただいた「仏教・浄土教とLGBT」が掲載されています。  この企画は、浄土宗総合研究所さまが、隔年で刊行されている『総研叢書』の企画として、LGBTをテーマにし、仏教徒としての(あるいは僧侶・仏教徒にも当事者がいるはずとの立場にたって)のLGBTの向き合いやアプローチ、仏教、寺院が抱えている課題に取り組まれたものです。企画段階でお声を書けていただき、2016年6月に開催した「テラからはじまるこれからのハナシ。」の取り組み、それから龍谷大学行われている大学としての取り組み、LGBTに関連する諸課題について、至らないながらもお話をさせていただきました。  テラハ。に参加くださった方の中から、妹尾陽さん、虹色ダイバーシティの橋本竜二さんにもコラムを寄稿いただきました。改めて、テラハでの出来事を思い出すようなこともでありました。ありがとうございました。  折しも、国会議員による「LGBTには生産性がない」「支援が過剰」云々という発言があり、LGBTに限らず、人の価値や、存在の意味自体に向けられた問いが喚起されているような状況でもあります。ちょうどそのような時期の刊行になったこと、仏教者からのしかも、伝統教団の公式な機関からの発信・メッセージとして大変意味深いものだと感じています。    本誌の中では、LGBTの当事者や抱えている困難、それを踏まえて、葬送・仏事の場面、寺院でどのような対応がなされるべきか、LGBT当事者の僧侶がどのようにすればその修行生活をおくることができるのか、それらについて現実的な課題や、可能性を模索されています。率直にいえば、現実的には「これから対応すべき形、できる形」を模索されているのであって、「すでにこう対応されている」という事象は多くはないように感じています。しかし、それでも僧侶が経験した当事者との邂逅や、課題の共有から、今後あるべき姿を模索しようとする姿勢や、(伝統という看板で変革が容易でない態勢や価値観を)変革を求めようとする姿勢、気概は感じていただけるのではないかと思います。  ぜひ、関心のある方(特に僧侶の...

本願寺派関係学校 某・研修会

【セクシュアリティ、LGBTに関する研修、講演ありました】 先週6/15~17の2泊3日、浄土真宗本願寺派関係学校の研修会がありました。 こちらは、全国の浄土真宗本願寺派の関係学校(私立の小学校、中学校、高校、大学)の教員が対象で、年に一回人権関係のことがらをテーマに研修合宿をするというものです。  今年度のテーマがLGBTに関するものということで、事務局からの依頼をうけて、全体のプログラムと講師選定・依頼に関わるコーディネートをさせていただき、会にオブザーバーとして参加しました。 3日間のプログラムは、  ・セクシュアリティ、LGBTについての概論  ・カミングアウト、アウティング、クローゼットについて  ・学校現場の当事者教員、当事者生徒の思い  ・トランスジェンダー(FtM当事者)と保護者の声  ・同性愛カップル当事者の思い  ・MtF当事者の経験と、性別変更について 等々 たくさんの当事者の声を直接聞いていただく場となりました。 話の中で感動した様子を示して下さる先生、終わった後もゲスト講師に質問を重ねる先生、食事や移動の間にも、テーマに関する話や、意見交換は絶えず、とてもいい意味で刺激を受け続けて頂いたような3日間となっていたように思います。  各学校に持ち帰って具体的に取り組みを進めていくという思いと声もたくさん頂きました。  思えば、数年前は、セクシュアリティやLGBTに関することを話題にしていたら「話題を変えようか」と、話を避けられるようなことがあったり、あるいは職場でも「取り組みましょう」と提言していても、人材や予算といったリソースの問題から、組織・チームとしての取り組みは叶わず、個人での対応となったことがありました。そういったことを思い返すと、歴史ある全国組織のあつまりで、3日間にわたって取り上げられるテーマになったこと、堂々と話を見聞きし、語り合える場がおこったことに、そして、そこにこういう形で関わることができたことに、個人としては、とても感慨深い思いで立ち会っていました。  いろいろと慌ただしい中の準備で、事務局のみなさんには急なお願いにも対応いただいていたこと本当に感謝です。  個人としても改めていい経験ができた3日間でした。これからまた新しい動きが始まる契機に立ち会ったような思いです。 ・・・・・・・・・・...

RYOJI+砂川秀樹 編『カミングアウト・レターズ -子供と親、生徒と教師の往復書簡』

http://amzn.to/2gD8w92 RYOJI+砂川秀樹 編『カミングアウト・レターズ -子供と親、生徒と教師の往復書簡』  LGBT関連。特に、ゲイ・レズビアンの同性愛の当事者が身近な親・教師にカミングアウトして、その時のことを振り返る往復書簡で編集されている。また、後半には同性愛の当事者の子どもを持つ親(家族)による「座談会」の記録も。    当事者だけでなく、カミングアウトされた「身近な人」の思いに触れることのできる一冊。  カミングアウトする当事者も、された相手も、一様ではなく、また対応に答えがあるわけではない。  すっとうけとめられた人もいれば、長い年月が経っても受け入れられず、葛藤を抱える母親もいる。  本を読むうちに「葛藤」という言葉が、澱のように、すっと胸の中に沈殿していく感覚があった。  しばらく、このことばと向き合う必要があるのではないか、という感覚。 【葛藤について】  葛藤など、ないほうが楽だろう。   でも、現実にはさまざまな葛藤がある。  人と人の間に生じる「葛藤」。親子関係、友人関係、恋人関係、師弟関係。  受け入れがたいことや、納得できないことを抱えつつ、人と向き合うことが、少なからずあるだろう。思い通りではない、目の前の人。「あなた」。   「あるはずではない(あるべきではない)、消すべき葛藤」というよりも、  「葛藤が生じても、向きあわなければならない相手との関係」っていう見方もできるのではないか、  人と人との間に生じる「葛藤」ともう少し真摯に向き合わないといけないのではないか。  うまく言葉にできないけれど、「葛藤」ともう少しお付き合いしなければいけないような気付きがあった。  思えば、自分の人間関係にもさまざまな葛藤がある。  家族関係にも、友人関係にも、職場にも、それぞれ大小はあるけれど、葛藤があって、その中で身じろぎしながら、自分は生きているのだなぁと。 【一部抜粋】 ・「たいていカミングアウトは、そんな社会のあり方や、かってに自分のことを異性愛者と見る人に対して抗議をするといった気持ちでおこなわれるわけではない(もちろん、そのような意味を持っておこなわれることもなくはない)。むしろ、誰かにカミングアウトするときに...

毎日新聞「境界を生きる」取材班『境界を生きる 性と生のはざまで』

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とある依頼で、LGBT関連の資料と情報をまとめる機会をもらった。 そんなわけで、あらためてこの問題について関する本を一冊。 というか、そういう状況で手にとってしまって、また感情がゆさぶられたので。 ・毎日新聞「境界を生きる」取材班『境界を生きる 性と生のはざまで』  LGBTのことに関心を向けた数年前にまとめて買った本の中の一冊。すこし読んだだけで、切なさと、それぞれの決断で感情が大きく揺さぶられる。    人間には、一定の割合で「男性」と「女性」のいずれでもないか、あるいはいずれの特徴ももって生まれてくるということが起こりうる。性分化疾患(DSD)や、インターセックス等とも名称される。その当事者と家族をはじめとする周りの人たちの姿をとりあげたルポ。    生まれてきた子どもの性別を決める、という覚悟と決断を迫られる親、明確な性別のアイデンティティをもつことが許されず、つねに「居場所」がないという苦しさを抱えて生きて行かざるを得ないい当事者。  恥ずかしながら、「性別」は誰もが当然のように自覚でき、公表しうると思っていたが、現実には、非常にあいまいな状況におかれ、公表することもできず、ひとりで息を潜めて生きて行かざるを得ない状況があること、また、重すぎる覚悟と決断を無理矢理に背負わされていた人がいたということに対して、想像が及んでいなかったことをまざまざと知らされた一冊。  しかし、その苦しみに責任を負うべき悪い人がいるのか、というとだれのせいでもない。誰のせいでもない苦しみを共有したり、公言したりできない社会の方が、変わっていかなければいけないのではないかという思いを強くした一冊でもある。  僕が、LGBTのイシューについて、発言したり、関与したりすることにいぶかしがっている人もいる人もいるかもしれないけれど、一人の社会人としても、そしてなにより「宗教者」としても、この苦しみは知った以上に無視できないという思いがつよくなったからです。  なにもできなくても、そういう人がいる、ということを知るだけでも、その人が抱えている苦しみに変化をあたえることができる、ただ知ること、それが大きな意味を持つことだと思っています。 そんなわけで、ずっと頭の中にあった想い、 LGBTについて活動されている当事者の方に来ていただいて、 学び、語り...

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