2011年12月19日月曜日

仏教についての雑想(その1) ※続くかどうかはわかりませんが

仏教について、ふと、なんとなく思ったこと。

仏教は、「ハッピー」になることを追求したり、「楽に楽しくいきよう」という思想ではないと思うのです。
むしろ、人生には「避けがたい苦しみ」があることを正面から受け止めることを要求していると思うのです。

だからといって、すべての苦しみを甘受しようというのでもなく、すべての楽しみを放棄せよというのでもないとは思います。しかし、「苦しみ」を消し去ってしまうのではなく、苦がありながらその苦しみを超えていこうという思想なわけで、だとすると、その態度というのは、
「まわりを自分の都合に合わせて改変していこう」という態度より
「まわりの状況を受け入れていこう」(まわりの状況を受け入れられるように自己を変えていこう)という傾向があるのではないかな、などと思いました。

こういう態度は、むしろ「革新」よりも「保守」的な傾向を有するのではないかと思ったり。
右とか左とかいわなくても、とりあえず、変化を好まず、現状で満足して受け入れいていく態度っていうことができるのではないかと思うのです。

しかし、一方で単に現状を甘受するだけではなく、斬新さや、革新的なものが仏教をベースにうまれてきたりもします。これは上に言ったこととは正反対で、「まわりの状況を変えていくエネルギー」のようなものも仏教のなかにはあるということではないかとも思います。
なにがそうさせるのかな、と考えたときに「執着」を否定するということから、「現状にとらわれない」→「斬新な新しい発想」を生み出すという連想をしましたが、さて、どうでしょうか。

ともかく、現状を変えず受け入れていく素地も、逆に変革し、新しいものも生み出していく素地も仏教の中にはあるのではないかな?と思って、それはどこからくるのかなぁと考えたりしたわけです。

だらだら書きました。ごめんなさい。



2011年12月11日日曜日

丸刈りとあかちゃん

だいぶん髪の毛が伸びたので、散髪をしました。
数ヶ月ぶりに、丸刈りにしました。
丸刈りにもどりました。

髪を切り終えて、娘の顔をみると、
「誰?」って顔をしました。

髪を切りすぎたせいで、「お父さん」を認識できなくなってしまったようで・・・。
なんだか寂しい気持ちになりました。

しばらくすると、元に戻ったようにも思いますが、
改めて考えてみると、「お父さん」とそもそも認識していたのかどうか・・・。
「知っている人」か「知らない人」くらいの認識だったのかも知れないと思ったり、思わなかったり・・・。

2011年12月4日日曜日

最近の日曜日

日曜日は、当然ですが月曜日の前日。
今年度は、月曜日にふたコマ講義にでているので、準備をせねばならないのですが・・・

午前中、お寺の仕事としてのお参りをすると、
午後はついつい、うちのお嬢さまとのんびりとした時間を過ごしてしまい・・・。

深夜から早朝になんとかレジュメを作ったりして取り繕うという、この数週間・・・。
今年度の講義もあと5回程度。
もう終盤です。
ちゃんとやらねばなりません。

2011年12月1日木曜日

滋賀でリフレ


昨日、一昨日と連日、滋賀県の文化財調査で奥琵琶湖、長浜市の旧西浅井町エリアへ。
同じ琵琶湖でも、大津のあたりとまったく雰囲気が違う。
「のどかな」という形容詞がふさわしい、湖畔の地域に行った。

二日間、そんなところでの仕事にいかせてもらったせいか、ちょっとメンタル的にフレッシュな感じで仕事に向かえた今日の一日。
とはいっても、脳天気にオールオッケーではなかったけれども。


滋賀での調査の合間、琵琶湖の波打ち際で、波音を聞き、水のうちよせる様子を、
ほんのわずかな時間だけれどながめる。

調査先の寺院で向かえてくださった、檀家総代、役員の方が、本堂の縁側でお茶をごちそうしてくださった。そのときに、縁側に腰掛けて、山の紅葉や、のどかな田園風景をながめる。

こんなところで過ごす「日常の一日」に、ふとあこがれた瞬間。

あまり、都会都会したところにいると、生きてること自体、なにか不自然になってしまっているんではなかろうか、なんてことさえ、頭によぎった。

ふっと、いろんなものから「離れる」ことも、大事だなと。




「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...