2011年12月19日月曜日

仏教についての雑想(その1) ※続くかどうかはわかりませんが

仏教について、ふと、なんとなく思ったこと。

仏教は、「ハッピー」になることを追求したり、「楽に楽しくいきよう」という思想ではないと思うのです。
むしろ、人生には「避けがたい苦しみ」があることを正面から受け止めることを要求していると思うのです。

だからといって、すべての苦しみを甘受しようというのでもなく、すべての楽しみを放棄せよというのでもないとは思います。しかし、「苦しみ」を消し去ってしまうのではなく、苦がありながらその苦しみを超えていこうという思想なわけで、だとすると、その態度というのは、
「まわりを自分の都合に合わせて改変していこう」という態度より
「まわりの状況を受け入れていこう」(まわりの状況を受け入れられるように自己を変えていこう)という傾向があるのではないかな、などと思いました。

こういう態度は、むしろ「革新」よりも「保守」的な傾向を有するのではないかと思ったり。
右とか左とかいわなくても、とりあえず、変化を好まず、現状で満足して受け入れいていく態度っていうことができるのではないかと思うのです。

しかし、一方で単に現状を甘受するだけではなく、斬新さや、革新的なものが仏教をベースにうまれてきたりもします。これは上に言ったこととは正反対で、「まわりの状況を変えていくエネルギー」のようなものも仏教のなかにはあるということではないかとも思います。
なにがそうさせるのかな、と考えたときに「執着」を否定するということから、「現状にとらわれない」→「斬新な新しい発想」を生み出すという連想をしましたが、さて、どうでしょうか。

ともかく、現状を変えず受け入れていく素地も、逆に変革し、新しいものも生み出していく素地も仏教の中にはあるのではないかな?と思って、それはどこからくるのかなぁと考えたりしたわけです。

だらだら書きました。ごめんなさい。



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