2010年12月26日日曜日

(活動紹介)年越しいのちの村

告知

自殺で親を亡くした子のサポートをしている団体Live on(リヴオン)」(代表尾角光美=同志社大4年)が12月31日から翌1月1日にかけて「年越しいのちの村」を実施します。

詳細は、以下のページに告知されています。


http://inotinomura.blogspot.com/

2010年12月23日木曜日

西武庫公園廃止

知人のバーのマスターからメールが送られてきました。
なんと、「西武庫公園」(交通公園)が廃止される動きがあるようです。

◆兵庫県のページ
http://web.pref.hyogo.jp/pa06/pa06_000000094.html
西武庫公園廃止が言及されているPDF
http://web.pref.hyogo.jp/contents/000168617.pdf


とても悲しい話。 なんとかなるなら、何とかして欲しいと思います。
とりあえず、メールを投書しようと思います。

西武庫公園は、尼崎の中では有名な公園の一つ。
春には桜がきれいで、大勢の人が桜の下で花見を楽しんできました。
僕も、小学校の遠足で行って、一日楽しく遊んだ思い出があります。
なんとか残して欲しいです。




以下に、見つけた関連する記事を挙げておきます。

西武庫公園廃止・反対に関する記載(見つけたもの)

◇尼崎民主商工会

◇市議会議員 まさき一子(共産党)
◇町の噂DB

◇兵庫県立西武庫公園の利用活性に有効なシナリオ分析 (PDFデータ)
http://www.nat-museum.sanda.hyogo.jp/research_collections/theme/pdf/03/sector09.pdf#search='西武庫公園'





以下 メールを転載
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「尼崎西武庫(交通)公園廃止」
知り合いからこんなメールがきました。



尼崎市の西武庫公園が廃止される方向だそうです
市が管理を受託すれば存続するのですが、それについてのパブリックコメント(メール)を24日まで受付しています。存続を切に願うので、これを読んだ皆さんに、嘆願メールの送信をして頂き、一通でも増やしていただきたいのです。
ご存知の方も多いと存じますが、通称「交通公園」が無くなる危機でございます!
是非ともお一人でも多くの方のお声(メール)が届けばと切に願うばかりです。


何卒ご協力をお願い致します。m(_ _)m

○西武庫公園廃止嘆願提出先
〒650-8567 兵庫県企画県民部企画財政局新行政課改革推進係
電話:078-362-3045  Fax:078-362-9478
アドレス:lkichou_shingyousei@pref.hyogo.lg.jp


----
どのような文面のメールを送ったらいいかわからないので提出
先に電話で聞いたので記しておきます
----
必須
『西武庫公園廃止嘆願提出致します』の文言がなければなりません
任意では氏名・住所・電話番号を記してください
やはり氏名などが入ってる方が良いそうです

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

2010年12月21日火曜日

アーユスの活動

昨日、夕方から、アーユスという団体の会合に行ってきました。

アーユス関西:http://www.jikeiji.com/ayus/kansai.htm

アーユス本部:http://www.ayus.org/

NPOなどのボランティアや、メディアで活動されているお坊さんが集まっておられました。
他の場所で知り合いになった方も多く参加されていて、なかなか楽しい会でした。

協力できることがあったら、なにかしたいと思うような会でした。

2010年12月19日日曜日

自分とはなにか

鷲田清一先生は、ある本の中で、次のようにいわれていた。

「アイデンティティといえば生涯を貫く一本の糸のように変わらないものと考えられることが多いが、わたしは逆で、「じぶんはだれか?」と問うときには、じぶんがこれまで出会い、それを機にじぶんが打ち砕かれてきたその不連続の出来事、そして自分を打ち砕いた相手の名を列挙することのほうがはるかに実情に近いとおもっている。「まなび」は他者をとおして起こるものであり、あのときはわからなかったが今だったらわかるというふうに、長い時間のなかでじっくり醸成されてゆくものなのだからだ。」
(『おせっかい教育論』)

自分とは何か。
その問いに答えるには、「自分はこういう人間だ」と、確固たる不変の自分を見つけることのように思いがちだ。けれど、鷲田先生のこの言葉を借りれば、どれだけ自分を打ち砕いた出来事を経験したか、どれだけ自分を打ち砕いてくれる人と出会えたかということになるのだろうか。
育てられ、影響を与えられ、いまの自分があるとするならば、「わたしはどうであったか」というよりも、「だれがわたしをこのようにしてくれたのか」を語る事の方が、実情に近いし、生きている実態に近いのではないか。
(※ただし、「アイツのせいで」という、恨みの感情でないことが条件になるだろう)

どれだけの人に出会えたか。
どれだけ自分を変えてくれた人と出会えたか。

その数だけ、大人になってきた、
人として育てられてきたということじゃないかな?

もちろん、偉大な一人の人に出遇って大きく変えられる。
それだけで十分なのかも知れないが。




2010年12月18日土曜日

モバイルからも閲覧できるように・・・ならない?

このブログ(Googleのブロガー)は、携帯などのモバイルでは、閲覧できない仕様でしたが、
このたび、モバイルで表示できるといわれたので、設定をいじったのですが。。。


http://ryogo1977.blogspot.com/?m=1


あれ? Iモードではうまく見れない?
何ででしょうか?

2010年12月14日火曜日

12/13頭のなかみ

12月。師走。スケジュールが立て込んでいて、年末までダッシュの様相。
臨時の出講やら、月例の出講やら。
準備もままならず、アセアセと作業。

あぁ、会議の準備もしなければ。
あぁ、年賀状もかかなきゃ。
あぁ、年末年始のお寺の行事の告知もしなくちゃ。

 年末年始は、以下のようなお勤めをします。

 ・12月31日(金) 除夜会 23:45~
 ・1月1日(土) 修正会 7:00~
 ・1月5日(水) 初法座 10:30~
  ※ 初法座では、3が日にお供えしていたおモチのお下がりをお配りする予定です。 
 ・1月15日(土) 有志勉強会報恩講 13:30~

 場所:いずれも西正寺本堂。


来年の手帳にスケジュールを写さなきゃ。
ほったらかしていた、お金の振り込みもあった・・・。

目の前のことを片付けるだけで一日を終えていく日々。
長期的な視野に立った仕事もしないといけないなぁ。。。。


2010年12月11日土曜日

お祝いをば

午後から大学院時代の後輩の結婚のお祝い(二次会)に出席。
ひさしぶりに会う人たちも多く、楽しい会。

今日はおめでとうございました。

2010年12月10日金曜日

石井光太『感染宣告 エイズなんだから、抱かれたい』

石井光太『感染宣告――エイズなんだから、抱かれたい』

エイズ問題に関する国内ルポ。
先週の土曜日、同窓会で梅田に出たとき、何気なく入った紀伊國屋書店。
書棚にあって、気になったので、ぱらぱらとめくった本。
「家には積み上がった読んでいない本がたくさんあるので本は買うまい」と思っていたにもかかわらず、衝撃的な内容に驚いて、買ってしまった。

冒頭、著者が訪れるのは、「HVI感染者の同性愛者が集う乱交パーティ」が行われているマンション。そこで、HIV感染者に、体験などのインタビューをするのである。
想像もできない、関わることなさそうな単語の連なり。
その響きは異世界につながるようにもにも感じられるが、そこにいる住民は、意外なことに普通に人生を歩もうとしている一人の人間たちだった。

2008年11月から2010年9月にかけて日本人HIV感染者や家族100名以上に取材し話を聞き、まとめられたもの。おそらくその中から何人か体験がルポとして紹介されているのだろう。
どれも、「一人の人生」という意味で重い。

自分でも愚かなことをしたという後悔を抱える感染もあれば、なんの落ち度もない純粋に愛する人との結婚生活を送ろうとしていただけの悲劇的な感染もある。
いずれも、感染によって、悲嘆・苦しみがおこされている。
一つの病気によって、人とのつながりが変えられ、人生が変えられ、そしてその人自身が大きく変えられてしまっている。


著者の言葉を引いておきたい。

 これから先、私が描こうとしているのは、人間がHIVに感染することで、どのように人生を揺さぶられたかということについてである。エイズ・ウイルスによって人生を変えられた人たちの物語だ。
 本書に登場するHIV感染者のなかには、あまりに特異だと思えるほどの経験をしている者もまじっている。だが、それもまた、一つの現実であることには違いない。
 この本によって、HIVとは何かということより、HIVという小さなウイルスが、どのように人を変えてしまうことがあるのかということを知っていただきたい。


追記:
筆者の名前は、、貧困に関する本は、先日読んだ湯浅誠『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』 (岩波新書)でも紹介されていたので、気になっていた。


2010年12月3日金曜日

師走入り

こんばんわ。
気がつけばもう師走。年末の足音も近づいてきました。
今年一年、なにができたのかと考えると情けない気持ちにもなりますが、
とりあえずは、無事に過ごしてこられました。

昨日の「別離の悲しみを考える会」は、おかげさまでいろいろな方、たくさんの方に来ていただき、
盛会のうちに終えることができました。
みなさんには、ご協力いただきありがとうございました。


最近、研究所業務も関連して「カルト対策」の本を読みました。
また、ブックオフのチケットがあったのでそれをつかって買った、湯浅誠『反貧困』は今読んでいる本です。

いまんところ、そんな本を読んでいます。






2010年11月29日月曜日

12月の予定

机上のカレンダーをめくり、12月の予定を書き込んでみた。
人と会う予定が来月は結構多い。

詰め込みすぎかな?と思わないでもないけれど
いろいろな可能性が開けそうな人と会う予定が多いので、楽しみでもある。

改めて人と顔を合わせることの意味を感じる。

2010年11月24日水曜日

ご案内:「第六回別離の悲しみを考える会」

私が、お世話になっている「教学伝道研究センター」で、以下のような会を開催します。
葬儀問題に関心のある方、グリーフケアに関心のある方には是非ともお越しいただきたいです。


どうぞよろしくお願いします。




以下、転載用として回ってきた案内。
各方面へご案内いただければありがたいです。
◆◆━◆◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
お葬式は必要か?
僧侶・市民がともに葬儀の<現在>と<未来>を語る
講演会のお知らせ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◆━◆◆

近年、葬儀をめぐっては、さまざまな視点から活発な議論が
行われています。
このたび、教学伝道研究センターでは、グリーフサポートと
エンバーミング普及の第一人者であり、『お父さん「葬式は
いらない」って言わないで』の著者でもある橋爪謙一郎氏を
迎え、葬儀の意義についてあらためて考える講演会を開催い
たします。

「葬儀こそが大切な人を亡くした死別体験者が立ち直るため
のスタートライン」と語る橋爪氏。講演後は、自死遺族であ
る野村清治氏(リメンバー名古屋自死遺族の会代表幹事)、
当センター研究員との鼎談を通して、市民・僧侶・葬儀関係
者という三者の視点から、葬儀の<現在>と<未来>について縦
横無尽に語っていただきます。

●名称 第6回別離の悲しみを考える会
「グリーフサポートとしての葬儀式」
講師:橋爪(はしづめ) 謙一郎(けんいちろう) 氏
(株式会社ジーエスアイ代表取締役)

●日時 2010(平成22)年12月1日(水)
14:00~16:00(入場無料・申込不要)

●場所 西本願寺 聞法会館3階 研修室①
京都市下京区堀川花屋町上ル  Tel 075-342-1122
http://monbou.jp/

●主催 浄土真宗本願寺派教学伝道研究センター
http://crs.hongwanji.or.jp/kyogaku/

2010年11月18日木曜日

今日から報恩講

今日(18日)、明日(19日)と、西正寺の報恩講法要です。
報恩講は、宗祖・親鸞聖人をお偲びして、その教えに遇う、浄土真宗で一番大事にされている法要です。

お付き合いのある近所のお寺さん方も、出勤してくださり賑やかに勤まります。
ぜひぜひお参りください。

17日は一日その準備をしていました。
ホットカーペットの上で居眠ってしまって、もうこんな時間。
早く寝なければ・・・。

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2010年11月14日日曜日

いとこの結婚式

昨日は、神戸で従妹の結婚式。

親族が久しぶりに集まり、晴れの門出、賑やかな一日。

式はホテルのチャペル。
賛美歌は何とか口ずさむにしても、
「アーメン」というには、なんだか抵抗があってしづらかった。苦笑


新郎氏は初めてあったけれど、親族共々とてもいい人そうで、よかったよかった。

2010年11月13日土曜日

旧友と

ここ数日懐かしい人たちと連絡を取っています。
12月の始めに、再会の会を開催することになりそう。

11月の末にも、高校時代の友達と久しぶりに会う約束が。

そういう約束が勢いづいてきたのも、ここ最近はいろんな人と会うことが多くて、
それが結構、精神的にイイ影響を与えてくれているように思えるから。

最近特に、人と会うと元気が出るなぁと思います。
いろんな人にあって、いろんな話をして、結構そういうことがやる気の元なのかも知れない。

ここ数年忘れかけてた感覚が戻ってきたような感じ。

2010年11月12日金曜日

順調に推移

あっというまに一週間、というのはいつものこと。
今週はやや充実気味に推移している。

いろいろな人と会い、いろいろな話を聞くことができた。
新奇性に富む刺激があると、生活が楽しくなる。
異性に限らず、「出遇い」というのは、人を生き生きとさせるものだなぁということを感じた。

今日は、担当している仕事で、研究会を一つ開催。
講師は、大学院時代の恩師でもあり、なつかしさやらいろんなことを感じながら受講。

今週は週末にも、ちょっと楽しみなイベントがある。
それを楽しみに、あしたもできるだけの仕事を片付けましょう。

シンプルにしました。

やはり見にくい体裁であったので、ぐっとシンプルに戻して、
右側のガジェットとか、ツールの並びも変えてみました。
いかがでしょうか?

2010年11月6日土曜日

ビルマの写真展

明日から、本願寺の聞法会館のロビーで、以下の写真展が開催されます。
今日は、午後からすこし開始の準備などを手伝いました。

皆様、お近くにお立ち寄りの際は、ぜひぜひ起こしください。
また、ご縁のかたがおられましたら、是非ご案内いただければと思います。


【転送・転載歓迎】
◆◆━◆◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
仏教国ビルマ
アウンサンスーチーと彼女を支えた家族の写真展

2010年11月6日(土)~11月14日(日)
西本願寺・聞法会館
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◆━◆◆

浄土真宗本願寺派教学伝道研究所では、今年度より世界に拡がっ
ている仏教から何が学べるか、仏教という宗教がそれぞれの国、
地域でどの様な役割を果たしているかを知ることによって、日本
の仏教、ひいては浄土真宗のあり方を自省し、念仏者の今後を考
える企画を進めています。

この度、ノーベル平和賞受賞者であるビルマのアウンサンスーチ
ー氏の写真展を後援することになりました。約30点写真は、アウ
ンサンスーチー氏が青春期を過ごしたイギリスでの様子から、ノー
ベル平和賞受賞前後の家族を中心とした写真で構成されています。
また、仏教国ビルマの日常を長年撮り続けてきた宇田有三氏の写
真も併せて展示いたします。信仰に生きる人々の暮らしや、風景
を通して仏教国ビルマを知り、同じアジアの仏教徒が抱える問題
について考える機会としていただきたいと思います。

●名称 仏教国ビルマ
アウンサンスーチーと彼女を支えた家族の写真展
●日時 2010(平成22)年11月6日(土)~11月14日(日)
9:00~20:00 (最終日は17時まで)
●場所 西本願寺 聞法会館1階 ロビー
京都市下京区堀川花屋町上ル  Tel 075-342-1122
http://monbou.jp/
●主催 ビルマ応援の会
http://www.biruma-oen.net/
●後援 浄土真宗本願寺派教学伝道研究センター
http://crs.hongwanji.or.jp/kyogaku/

以 上


   

ビルマ(ミャンマー)、アウンサンスーチーに関する基礎情報ページのリンクをご案内いたします。

ビルマ情報ネットワーク↓
http://www.burmainfo.org/article/article.php?mode=0&articleid=436

2010年11月5日金曜日

岩崎夏海『甲子園だけが高校野球ではない』

岩崎夏海『甲子園だけが高校野球ではない』


いま話題の『もしドラ』(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら)の作者が書いていたので、手に取ってみたところ、ちょっとおもしろそうなので衝動買い。


あまり何も考えずに読んだんだけれど、「気を抜くとちょっと泣きそうになってしまった本」というのが、正直な感想。
内容は、高校野球に関わるいろんなエピソードが、21コの物語として綴られている。
選手、マネージャ、恋人、兄弟。高校野球をモチーフに、「心揺さぶられる」ようなエピソードが並んでいる。読んでいると、いろんな気づきがあって、純粋な気持ちにはなる。

各エピソードの終わりには、一頁のコメントがつけられているけれど、それがよかったり、悪かったり。読んだ感想と全く反対のコメントがあったり、自分の思想的に大事にしている感覚と反対の方にリードされるようなコメントがあってゲンナリしたり。これについては、単純に、物語だけを読ませてくれた方がよかったかなぁ・・・。
話自体は、「高校野球担当の記者や編集者が、これまで取材してきた中で美味しい(面白い)エピソードを見つけたものの、誌面に載せるには今一つ体裁が悪いために、涙を飲んで店員(記者や編集者)たちのあいだだけでまかなわれ(語り継がれ)てきた」、「まかない飯」といわれる。これが、本当に実話かどうかは抜きにしても、「いい話」ではあるなぁと思い、読んで浮かんだ感想は大事にしておきたいと思う。







2010年11月4日木曜日

「性犯罪被害」の実際

昨日の朝のスーパーモーニング。
小林美佳さんという方の活動を紹介。

苦しみを抱えて生きていくのはつらいこと。
自らも苦しみを抱えているのに、同じ苦しみを抱えている人のことを思い、される活動は尊い。

あってはならないことだけれど、
現実として、その苦しみを抱えている人たちがいる。
とりあえず、リンクを張ることで、その活動を讃え、心ばかりの応援。


◇みかつき
http://www.apple-eye.com/micatsuki/index.html


◇大藪順子
http://nobukoonline.com/jp/stand/index.html


◇性暴力をなくそうネットワーク
http://www.nakusou.net/

2010年10月31日日曜日

インターネット・ミュージアム

internet museum
http://www.museum.or.jp/

博物館・美術館などで開催されている展示・イベントを検索できる。
調べてみると、こんな便利なサイトがありました。
これで、ちょくちょくチェックしておけば、終わってから「そんな魅力的な展示があったとは!」なんて
後悔も減少?


http://www.museum.or.jp/

2010年10月30日土曜日

悪くないけど謝ってみる

お参り途中のできごと

ゆっくりと自転車をこいでいて、車の通らない、住宅街の十字路にさしかかった時。
曲がり角を、急スピードで、年配のおじさんが乗った自転車が飛び出してきた。
お互いに急ブレーキをかけて、何とかぶつからずに済む。

こっちはのんびりこいでいるのだから、見通しの悪い交差点を、スピードを出して
飛び出してきたおじさんが悪いのだ。(たぶん客観的にも)
でも、謝らない。お互い数秒の沈黙。

謝ったら負けとか言われるんだろうなぁとか思いつつも、
あえてカドを立てずにやっておこうという自分のチョイス。

「すいません」と軽く手を挙げて声を掛ける。
すると、「こっちこそすんません」とおじさんが言う。

それでその場はカドの無くなった空気が流れて、
お互い別々の方向へと自転車をこぎ出していった。

たぶん、「なにしてんねん」とか「あぶないやろ」とか、
相手を責めたら、とげとげしい空気になって、そのあとしばらく
気分悪く過ごしたことになったんだろうなぁ・・・。


とりあえず、折れて丸くいくなら、ちょっと我慢と勇気がいるけれど、
それでいいんじゃないかな。

アメリカでは「謝ったら裁判の時に負けるから謝ってはいけない」とかいわれるそうだけれど、
日本には、お互いにスイマセンというだけで、丸く収まって気分も悪くならないという場面も
まだ残っているんではないかなと思う。

2010年10月26日火曜日

『日経PC21』 12月号

興味深い記事

●「位牌を映す「デジタル仏壇」上位版は独居老人対策も万全」
記事によれば、デジタルフォトフレームを「デジタル仏壇」として、販売している会社があるという。
長野県松本のデザイン計画という会社らしい。11月に発売予定で、当初300台、年間5000台をの販売を見込んでいるとか。気になる価格は、135,000円から180,000円だそうだ。
記事本文には、「お寺や、葬儀社、仏壇・仏具店の反応は、「デジタル化もここまで来たか」と驚きと同時に好意的に受け止められており、ブームに火がつく兆しはある」って…本当か!?

個人的には、なんだかなぁという感じ。どうなんだろう?
儀礼(とそれに関わる「仏壇」・「位牌」なんか)と「デジタル」ってのは、いまいち相性がよくないように思うんだけど…。
ちなみにググってみた結果、ヒットしたか関連サイトは、以下のようなものが・・・

http://www.digital-butsudan.jp/

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100729_digital_butsudan/


●エクセル関数で「VLOOKUP」を使おうというもの
同じ内容を紹介する記事が別コーナーで二つかぶっているんじゃないか?
でもまあ、知らない機能で、使ってみたいと思える興味深いものだったので、OK。
理解と習得には、実際にやってみながら、もうちょっとかかりそう・・・。

●パソコンの高速化。
よくあるテーマだけれど、興味深かったのは、立ち上げ時に常駐ソフトの起動のタイミングを変えるというもの。 フリーソフトを使った技術。

睡眠確保

ここ二日、12時には寝るようにしていると、体調が結構よい。
やはり、睡眠時間が大切なのか。

頭の中もすっきり整理できているような・・・。

一日の仕事量は限られているので、できない分はあきらめて翌日にまわすべし。
というのを心がけるべきか。


『日経PC21』12月号を読む。
愛機「レッツノート」もそろそろ限界が近づいている。
HDDの交換なんかにも挑戦してみるかと思案中。

とりあえずは、起動時の設定をいじってみることに。

2010年10月25日月曜日

調査10/10/25

今日は、滋賀県彦根へ梵音具(おもに釣り鐘)調査。
午前・午後一件ずつ。計二件のお寺へ。

一件目は、彦根の城下町にある浄土真宗の大きなお寺。
山門でもある鐘楼門が特徴的。
釣り鐘一口を見せていただく。

二件目は、有名な某怪談話とゆかりのある真言宗寺院。
釣り鐘一口、鰐口を四口見せていただく。
めずらしく「大正時代」の年記があるものがあった。


調査中、例の「ひこにゃんグッズ」を多く並べているお土産物屋さんに入る。
ところが、「ひこにゃん」ではなく、「ひこねのよいにゃんこ」グッズだそうだ。
同じ作者が作ったものでありながら、版権の都合などで、「ひこにゃん」ではなく、
「ひこねのよいにゃんこ」だそうだ。

コメントは控えたいが、いろいろと大変そう。

ヤフーのコメント欄には、こんな質問も
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1024436885

権利が絡むとややこしい。

2010年10月24日日曜日

『日経ビジネス・アソシエ』11/2,11/16合併号

「スティーブ・ジョブズ(AppleのCEO)についての記事

●「日本人がジョブズになれない最大の理由は、衝突や失敗を恐れるあまり、予定調和的、責任回避的な発言が多すぎるからだ

●「日本人が言い訳や責任回避のために使う典型的な表現が「We should(わたしたちはすべき)」。使命感あふれるように聞こえるが、ここでのWeは社会や顧客ではなく、会社や所属組織など内向きに使われがち。「ジョブズ流を目指すなら、「すべき」ではなく「I want(私はこうしたい)」と言うことが第一歩」

人前でおはなし。

ブログの更新もいつも通り・・・滞る。

今週は、金曜日にNHKのカルチャーセンターの教室に出講。
今日日曜日は、「中央仏教学院」の京都の集いに出講。

いずれも、「あれでよかったのかどうか?」の思案を繰り返すのです。
むしろ、話せば話すほど、後悔と慚愧がわき起こる。

話しすぎたのではないかという基本的な事柄から、
いったい何を伝えるべきであったのかという本質的な問題まで。
考えても、考えても答えは出せず、
その場その場で、最善と思われる一手を打つのみ。
いや、最善手と確信が持てればいいのだけれど、最善かどうかの決めても見いだせず、あがいているような感じ。


ところで、最近のMYトピックは、内田樹センセイが提言されるような教育論について。
学びとはなにか、いま子供や若者が、学ばなかったり、働かなかったりしているのはどういうわけか。
「なぜ勉強しないといけないのか?」「なぜ働かなければならないのか?」
そんな問いを臆面もなく提示できる感覚は、どのような思想(あえていう)に、裏打ちされているのか。
(内田先生は、「消費者」の論理、「買い手」の論理というようなことをおっしゃる)
一連の提言と、結論は、仏教、浄土真宗を学ぶ上で非常に示唆深いだけではなく、
「他力」や「信」を考える場合にも、一定の示唆を与えてくれるものののように思っている。
金曜・日曜の講義に際して、ちょっと蛇足的になってしまっていたけれども、ご紹介していました。

2010年10月14日木曜日

鷲田清一・内田樹・釈徹宗・平松邦夫『おせっかい教育論』

鷲田清一・内田樹・釈徹宗・平松邦夫『おせっかい教育論』

うちの奥さんが「本屋で見たよ」と話をしていた数日後、本屋で見かけて、ついつい買ってしまった本。
第一印象は、やっぱり「すごい(魅力的な)メンバーだなぁ」と。

むずかしくないし、いろいろと考えさせられるので、だれにでも、オススメできる一冊。

そういえば、先日も相愛大学で「人文学の挑戦」という魅力的なシンポジウムがあった。
事前申し込みが必要で、600人定員で3倍ほどの申し込みがあったとかで、まぁ結局いけなかった訳ですが、内田先生・釈先生あたりが繰り広げる主張が、それだけの人に魅力的に受け止められているって事なんでしょうねぇ。
実際、ここに買っている人がいるし…。

内容はといえば、
大阪に立ち上がった「ナカノシマ大学」のキック・オフセミナーという名のシンポジウムと、
後日行われた第二弾の座談会が中心。そして、それを挟む形で、四氏が文章を執筆しているというもの。

市民・地域が学びの場を設けることの意味から始まり、学ぶとなにか、「教育」とはなにか、幅広いテーマで、あれこれ話されている内容。

変に絶対的(だと思うような)な尺度を持ったり、あるいは人との関わりを人為的にコントロールしていくことこそが、教育の場面においては問題ではないかとも考えさせられる。
そういえば、「変わったやつだなぁ」といわれることが、結構うれしくて、自分もそれでいいとおもっていたのに、いつからかまじめな、安定的な人間になることを志向しているなぁとも自分を省みる。

座談会の最後、内田先生の言葉
「人間がどうやったらその生きる知恵と力を高めてゆくのか、という方法についてははっきりしたマニュアルや、ガイドラインがあるわけじゃない。ひとりひとりの経験値と直感に頼るしかない。だからこうやっておじさんたちが集まって、ああでもないこうでもないとがやがややって、さっぱり結論がでませんでした、というのがわりと健全なんじゃないかと思いますけどね。」




hard work or over work

仕事が滞留する。
消化しきれないTODOリスト。とりあえず、すぐできるものは、とっとと処理。
いったん、すべきことをすべてをクリアにしたいと思うけれど、なかなか終わらないのはなぜかしらん。

依頼を受けた講義も、いくつかあるけれど思うように準備ができず、
準備ができないと言うことは、手持ちの材料でを再調理するのみにとどまると言うことで。

人に話すことをモチベーションに、新しい知見をどんどんと自分のなかに放り込んでみたいと思うけれど
思うようにいかず。

あっという間に、一日の終わりを迎えるここ最近。
いかんなぁ。

2010年9月29日水曜日

有川浩『阪急電車』

有川浩『阪急電車』(幻冬舎文庫)

関西人としてはノスタルジーやら、郷土愛やらがくすぐられる。
なんと言ってもモチーフが秀逸!「阪急電車」

重要な動脈でもなく、西宮北口から宝塚まで、ほんの15分で終点につくローカル線が舞台。
各駅の描写や特徴、ロケーションも見事に反映されていて、
読んだだけで、乗りたくなる一作。

実際に、休日・日曜日に読んで乗りたくなった僕は、その日のうちに「宝塚線」に乗りに行きました。

乗って思ったこと。
本来どこかへ行くための「手段」であるはずの電車移動が、「目的」化され、それのみが「楽しみ」であることは、なかなか得がたいことなのではないかということ。
そう、ただただ楽しかった。

宝塚線はなかなか乗ることがないのだけれど、本を片手に、
「うん!確かにそうなっている。」という事ばかり。

作品の中で唯一下車して、駅前の風景が描かれる「小林駅」で下車。
小説の描写と一々一致していることだけで、感動。
改札に、ちゃんと「ツバメの巣」が3つ、本当にあったのを見たときには、ちょっと感激。

家を出てから帰るまで、ほんの一時間半で物語の舞台巡りをしてきました。

ちなみに、作品それ自体もとてもおもしろい内容。
翌日読んだ、うちの奥さんからは、この本に出てくる「女子たち、君のタイプやろ」とのお言葉。
結構、図星でした。


いやぁ、おもしろい一作でした。


インプット

8月、9月はいろいろと立て込んでいてほとんど本を読めずに過ごした。
ようやく落ち着いて、過ごせているのかな?

京都への往復やちょっと入った喫茶店で本を読む時間が確保できるようになった。
(今までは、仕事の他にも合気道の記念誌の編集とかで時間がとられていたのが大きかった。
でも、あの仕事のおかげでいろいろと新しい技術が身についたから、まあヨシ!)

特にこの週末からは、何冊か本を読めた。

・綿矢りさ『勝手にふるえてろ』
・有川浩『阪急電車』
・金文京『漢文と東アジア』
・水木しげる『悪魔くん(全)』(ちくま文庫)
・水木しげる『悪魔くん千年王国(全)』(ちくま文庫)
・内田樹『下流志向』

こうなると問題は、インプットで満足して、入れた情報の整理とか、
アウトプットがめんどくさくなってしまうこと。

でもそれをしないと、情報の整理も、記憶の定着もいまいち。
やんなきゃいけないんだけど、面倒くさいんだよなぁ・・・。


2010年9月3日金曜日

マイケル・サンデル『これから「正義」の話をしよう』

マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』

いま話題のベストセラー。今日も研究所で、ふとしたことから話題に上がった。
本書のテーマは、正義に関する、アプローチに関する論点を整理した上での議論ということになるだろう。

価値あるものの分配にアプローチする三つの観点があるという。つまり「幸福」「自由」「美徳」。
そして、「われわれの議論のいくつかには、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の涵養といったことが何を意味するのかという見解の相違が現れ」、「また別の議論には、これらの理念同士が衝突する場合に、どうすべきかについての意見の対立が含まれている。」
そして、「この本では、正義に関するこれら三つのアプローチの強みと弱身を探っていく。」というのだ。



われわれが「正しいこと」をするとき、それは何を基準として、何に基づいているのか、その根底を問い直すような作業をさせてくれる本。

五人を助けるために、一人を殺すのは是か非か。
貧困者を助けるために、富裕者に高率の課税をすることは是か非か。
隠れている友人を助けるために、嘘を言うべきか否か。

「どうすべきか」ではなく、その一々の選択が、どのような価値観に基づいているのか
そしてそれをつきつめたときにどのような矛盾にぶつかるのか。
複雑な倫理思想、政治思想が基づく根底を、問いの中で明示してくれるような良書。

読んでいるときに、ふと、中学時代の先生が道徳の時間に、僕らに与えてくれた問いを思い出した。


自分の子どもが難病で苦しんでいる。
その薬は1000万円するが、自分の手元にはどうやっても500万円しかない。
その薬は、薬屋さんにあるが、500万円ではどうしてもゆずってくれない。
自分の子どもは早く薬を与えなければ死んでしまう。

そのような状況で、自分ならどうする?

中学生はどうしても正解は何か?と聞きたくなってしまうが、先生は正解はない。と
何度も強調していたように思う。
問われているのは、正解ではなく、答えのない選択をしなければならないときに、何を大切にするかということだろう。
悪を犯さざるを得ない場面、後悔を背負わざるを得ない場面というのが人生の中ではやってくる。
どう動いても苦しまざるを得ない選択というのがあるんだろう。
そんなとき、決断すべき基準は何か?

そんなことが問われていたように思う。
ふと、この本を読んで、その先生の投げかけを思い出した。






ぬぬぬぬぬ。

今日は、午前研究所勤務のあと、午後からNHKのカルチャーセンター出講。
いつも第四金曜日のところ、今回は大阪の教室が月末に引っ越しをするため、イレギュラーな講義日程。
先週8月の講座をしたのに、次の週にもう9月の講座。
なんかへんな感じだ。

準備もままならず、ちょっと反省の多い講座に。
また残念なことに、予定やらお体やらもろもろのご事情で、
3名の方が今月で最後と挨拶に来られる。
まことに残念。

10月からは少し人数も減りそう。
一番怖いのは、規定の人数に達しなくなって、
親方NHKから、講座終了~!なんていわれること。維持できるのかな~とひやひや。
前の豊島先生から受け継いだ講座だけに、つぶしてしまうわけにはいかない。

いい講義をするには、構成や言葉を選ぶのに、十分に時間をかけないといけない。
でも、かけてもいい講義ができるとも限らない。
そもそも、なにがいい講義なのか。
自分がいい講義と思っていても、受講者さんたちがいまいちと思うこともあるだろうし、
逆もまたしかり。
やっていくなかで、探っていくしかなく・・・。

でも、ふと思い返すと、一年目は「受け継いだ感」を抱えつつしていたのが、
ちょっとずつ、自分の色が出せているように思える。
まだまだ、変化はします。
講義の中で、「なにがイイ講義なのか」探していくしかないので・・・。
試行錯誤で、悩んだり、へこんだりしながらやっています。

でも、先生がブレてはいけません。

2010年8月28日土曜日

魂はどっからくるのか・・・

今日のお参り。
 とあるおうちで。
 
 Aさん:マンガみたいなこと聞いていいですか?魂ってどこからくるんですか?

お盆とかそんな行事に触れて、そんなことを思われたらしい。

そもそも浄土真宗で(本来的に仏教でもだとおもうけれど)「魂」なんてことは言わない。
浄土真宗では、魂を言わない。
でも、私たちが命を終えたあと、阿弥陀如来のはたらきによって、浄土に生まれることができるのだということは語ることができる。

亡くなっていく命を生きていて、浄土とどのように関わっていくのか。
大切な人とも、限りある命を生きている以上、わかれていかなくてはいけない。
自分は今、その死とどのように向き合っているのか。
さきに生きてくださった人の命とどのように向き合っているのか。

今日は、そんなこと話をしたり、聞いたりできた。

Aさん曰く
 学校でも教えてくれないじゃないですか。でも、どうなっているのかなって思って。

そう。学校では、生きていく手段や方法を教えてくれるかもしれないが、死にゆく命を抱えて生きているということは、まず教えてくれない。(教えてくれる学校もあるかもしれないが、たぶんそれは特別なことじゃないかな?)

 お寺のお坊さんが語るべきことは、やっぱり、お坊さんにしか聞けない話であるべきなんだろう。

2010年8月20日金曜日

後ろ姿で

昨日の研究所の朝礼。
先輩が当番。お盆参りでこんなことがあったとお話しされた。

とあるおうちで、(お経の)お勤めが終わった後、御門徒さんがこんな話をされたとか。

御門徒:「若院さん、(地元に)帰ってこられたら、土日に法座をしないと行けませんよ」
先輩:「やはり、お休みの日でないとお参り来られないですよね」

御門徒:「それもあるけれど、平日に法座をしたら、家にだれもいないでしょ。家にいないと、その家の人が、おじいさんおばあさんがお参りに行っていても、そのことを知らないかもしれない。日曜日なら、家族の人が家にいて、その人がお参りに行って,帰ってくる姿を見ている。平日だと、せっかくお参りされていても、家の人が「その人がお参りをしている」ということさえ、知らないかもしれない。」
大切にお参りされていても、その大切にしていると言うことが伝わらないかもしれない。
あるいは、直接お参りに来られなかったとしても、家の人がお参りに足繁く通われている姿を見て、後のものがその姿から学ぶ者があるということを教えられた気持ちになる。

御門徒:「お葬式の時に、父・母が亡くなったらみんな涙を流している。大切な人が大切にしていたことであれば、後の者も大切にするはず。」

先輩は、家に帰って、父のご住職とこの話をして、日曜の法座について話をしたそうです。

お参りに来る人だけではなく、お参りに来ていない人さえも、視野に入れた尊い示唆に満ちた話だと思った。

2010年8月16日月曜日

お盆参りをしていたお盆休みが終わる

16日土曜日。
今日からまた京都へ出勤。
お盆の間は基本、お盆休み。

毎年この時期には、
車に乗せてもらってお盆参りについて行った小さいときのことを思い出す。

一年に一度、この時期にしか会わない人もいて、なんとなく一年を振り返る一つの節目。
一年に一度のお参りだった人が、悲しみの中にあって月に一度ペースで会うご縁になった方もいる。
そこにお参りに行っていると、
一回一回のお勤めをとても意味あるものとして感じられている方がいて、
僕の方がお参りをする意味というのを教えられている。

「お坊さんがお参りをすること」に意味があるのではなくて、
お参りの縁に遇う媒介として、お坊さんがいるのではないかと最近は思う。
誤解を恐れずに言うと、「お坊さんはすごくない」。
お坊さんが来るから、縁に遇い、勤める「お経」や手を合わせる「仏さま」、
口から出る「念仏」こそ尊いのではないかと。

さぁ、一週間、仕事を片付けねば。

2010年8月9日月曜日

フリスタ


先日、池口龍法さんより、「フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン」をお送りいただきました!ありがとうございます。

メディアでも、頻繁に取り上げられる注目すべき活動。

詳細はこちら。
http://www.freemonk.net/

2010年8月5日木曜日

お盆前

気がつけば、もう8月。
月末から、立て込んだスケジュールだったなぁ。

出講とか、原稿とか。

一段落したので、合気道クラブの10周年記念誌に、ちょっと力を注げるように。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ama-aiki/

気がつけば、もう合気道歴6年半ほど?
結構長くやっているかも・・・。

この9月に、10周年の記念大会があります。
その時に発行する記念誌の編集当番になりました。
原稿もぼちぼちとあつまり、
後は体裁を整える編集作業をする段。

お盆の間に仕上げてしまわないと・・・。

2010年7月19日月曜日

応典院とグリーフのセミナー

昨日7月18日(土)。
午前中、法務。
午後14時から、大阪・応典院で開催された
http://www.outenin.com/modules/contents/index.php?content_id=279


講師は橋爪謙一郎氏。
お葬式などで、遺体に保存処置を施したりするなどの
エンバーミングの第一人者で、グリーフサポートの取り組みをされている。

近著は『お父さん、「葬式はいらない」って言わないで』 (小学館101新書)

橋爪氏の講演・応典院秋田住職の対談との二部構成。

全体として、葬儀をグリーフの観点からどのようにすべきかという内容。
ちょっとした気づきで、悲しみの中にある人たちの支えや、悲嘆を少なくできる実例を教えてもらったように思える。

セミナー後、希望者では橋爪先生を囲んだ座談会形式の勉強会。
葬祭業者さんや、NPO関係者など、いろいろな立場の人が参加。

葬儀業者の方も、グリーフのケア・サポートのため取り組み―DMの送付や、場の設定などをされていて、非常に興味深い話を多く聞くことができた。

ただ、いろいろな話を聞く中で明確になったのは、
自分のスタンス。

僧侶は僧侶であるということ。
仏教者というスタンスの上で、グリーフに取り組むということ。


話のなかで、「グリーフケアのために、規定の概念、宗教の教義をも捨てるべき」というスタンスがあることを提示されていたけれど、
宗教者が、自らのアイデンティティである「宗教」を捨てては、本末転倒であるように思う。

グリーフケアのために捨てるべきではく、
仮に「教義」や「仏教者」の立場を捨てることがあったとしても、それは「グリーフ」のためではなく、
そうすることが仏教であるからだろうと思う。


グリーフケアのために、仏教者の立場を捨てるならば、それは「グリーフケア」の専門家。
仏教者は、仏教者の立場を捨てるとしても、その「捨てる」という行為が、仏教にもとづくものであり、より仏教者であるというあり方の上ですべきじゃないか。

矛盾を抱えた内容だけど、そうなんじゃないか。






ずっと家にて

今日は家にて過ごす。
法務もなく、ちょっとした掃除とお買い物。
送りそびれていたメールやらツイートを送信。


合気道の記念誌の編集すこし。
なかなか、規定の分量に収まらない。
どうしよう・・・。

朝食;ごはん、なめたけ、ちりめんじゃこ
昼食:野菜がたっぷりのうどん
夕食:ナスなどが入ったカレー

三食昼寝付き。
ひさしぶりにのんびりと過ごす。

2010年7月14日水曜日

たらたらたらたら

仕事はたまる一方。
アイデアが必要だったり
時間が必要だったり
他の人の原稿の提出を待っていたり、
予定を合わせて集まらないといけなかったり、

すべきことのリストからいっこうに消えない仕事が増えていく・・・。

すらすらとアイデアが出ればいいのに。

今日は、ちょっと遅めの出勤。

した仕事リスト(未完含む)。
・文書作成
・ミーティング
・企画書作成
・文案検討
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・合気道の10周年記念誌の編集作業少々。

2010年7月11日日曜日

留守番日曜日

住職と坊守(つまり両親)は、高槻の親類のうちへ、所要で出かける。

午前は法務。
月参りと法事と、お墓の建碑式。

雨に降られながらのお参りも、終わり
昼下がりは家のなかでのんびり雑務を片付ける。

週末の夜中に書き込みをする

平日は京都で仕事。土日は法務。
月日はどんどんと経っていく。

思うように仕事は進まないけれども、ちょっとづつでも進めなきゃ。
そんで、勉強もしなきゃと。

今日は、午前の法務後、とあるシンポジウムへ。
漢字文献情報処理研究会主催「電子出版の動向と諸問題」

非会員なので、500円支払って参加。
四〇名ほど収容の比較的小規模な教室で開催。
・週刊ダイアモンドの編集に関わっていた方
・人文系のソフトウェア開発者(研究者)の方、
・プラットフォーム、判例について詳しい研究者の方が報告。

興味深い話も結構聞けた。
半日使ったけれど、有意義でした。

おもしろかったハナシの一部。

・既存の紙媒体での出版と電子出版のかかるコストの比較。
いろいろな経費を鑑みて、実際の販売価格は、そんなに変わらないという実情。
その人の予想は、電子化というのはそんなに急激に進まないのではないか?という予想。
→ でも、僕自身はどうだろうか?と思ったりも。

・メディアリテラシーの問題。
電子化が進んだとして、紙媒体の出版、メディアの経営が成り立たなくなった場合、
あるいは一般者が購読しなくなった場合、企業など資金力のあるスポンサーがつく可能性がある。
そもそも、「客観的な報道」などありえないが、今後よりいっそう、読むものが記事や論調の背景にあるものまで十分に知り、考えながらものを読む必要があるだろう。

・電子化とクラウドの問題
ツイッターにも描いたけれど、日本郵政の顧客データなどが入っているデータベースなどはクラウド化されていて、しかもそれが「セールスフォース」というアメリカの会社らしい。
データが広く分布されているといえども、重要な金融情報(それも国民の大部分が関与しているであろう情報)が、アメリカ本土のサーバーに保存されているってことは、アメリカさんの気分次第、状況次第で、こっちがエライことになるってことでしょう。それに、「愛国法」とかなんとかいう法律で、あちらさんがその気になれば、検閲も没収も自由という状況。
そんな大事なデータを、そんなリスクのある場所に預けていいのですか?って話。

・アマゾンで裁断機とスキャンスナップがとても売れている。
いわゆる「自炊」のため。

などなど。

2010年7月8日木曜日

言葉一つ

先日、いい世界の見方をしているなぁと思う人と会った。

写真を撮って、キャプションをつけている作品を見せてもらった。

なんていうか、同じものを見ながら、ほのぼのとした角度から、
ほのぼのとした表現で世界が現れているのかなぁと思う。


日常の何気ない場面をどの角度から切り取ってみるか。
あたりまえの風景に、どんなことばでキャプションをつけるか。
それだけのことで、ぜんぜん違う世界の見え方が立ち上がってくるんだろう。

いい人や世界との関わり方をされているなぁと思った。


自分にはないものだったので。
自戒も込めて。

2010年7月2日金曜日

西正寺HPの書き込み

滞っている西正寺のブログをひさしぶりに更新しました。

本願寺で取り組んでいる自死の問題を紹介しました。
7月12日(月)には、「別離の悲しみを考える会」という集いが開催されます。

詳細はこちらで
http://seikouzan.blogspot.com/2010/07/12.html

龍谷教学会議

6月29日、30日は、龍谷教学会議の学会大会。
今年度は山口県で開催。
幹事をさせてもらっている関係で、前日の28日から3日間山口にて働く。

とはいっても、ほとんど地元の方がしてくださって、こっちは見ることが中心。

29日は研究発表と、記念講演、懇親会。
30日は研修旅行で、山口のお寺を巡拝。
夜の新幹線で帰宅。

2010年6月18日金曜日

みんなの法話10/06/20

本願寺新報 6月20号「みんなの法話」より


  • 「怒る」と「叱る」は違うのです。「怒る」は子どもの身になれずに、自分の都合ばかりを押しつけている態度です。「叱る」とは、まず自分の都合を離れて、子どもの身になって、言い諭す態度です。 / その時の私はまさに「怒る」でした。「こんなに苦労しているのに」と、自分の都合で怒りの弓を引き、その矢を長男に向けていたのです

  • 苦労をすれば苦労をにぎる / 我慢をすれば我慢がたまる / 我が励めば、励むが残る / 積んだそれらが他人を泣かす / 放す力が南無阿弥陀仏

教えと機根と

歩きながら、法座や講義で話すことを考える。


弥陀の救いとか、浄土の教えとか
それが、自分にどう関わっているかということがよく疑問とされる。

阿弥陀仏は、どんな人でも、どんなに悪い人でも、救ってくれるといって、それが自分にどんな意味があるのか?
浄土は、死んだ後に生まれるすばらしいさとりの世界だとして、それが今の自分にどう関わるのか。

でも、そういう教えでなければ救われないという自分と出遇うところに、
その救いや浄土に照らされて自分の姿を知らされるということに、
一つの意味があるのじゃないか。

ちょっと進むと仕事はおもしろい。

研究所の仕事。
一人・二人でしていたら全然進まなかった仕事が、メンバーが増えて、会議を重ねていくことで
どんどんと形になっていく。
おもしろい企画に形づくられていく。

いまさらながらに、ちょっとずつ仕事を積み重ねていくということの意味が、
いままでと違う形でわかってきたような感覚。

2010年6月11日金曜日

レッツノートのタブレット

最近の愛読雑誌『週刊アスキー』
アキバ系の情報も多いけど、なんとなく読み流すために、ついつい買ってしまう。

今週の記事で気になったのは、
レッツノートでタブレットPCが発売されたという広告。

http://club.panasonic.jp/mall/mylets/open/c/


ずっと目をつけていたのは、Sシリーズ
http://club.panasonic.jp/mall/mylets/open/s/

もちろん、予算上の問題をクリアせずして手出しするわけにもいかず。
予算上の問題は、いっこうにクリアされる気配も見せず。

しばらくは様子見。

2010年5月29日土曜日

たまの休日

めずらしく、一日お休み。

まる一日休日で、別段しなければならない予定がないなど、いつ以来だろうか。

積極的に「しなければいけないことをしない」ことに取り組んで、のんびりと過ごす。
朝、最近ずっと刈りたいと思っていた頭の手入れをする。
久しぶりに6ミリでカット。 うん。いい感じだ。

午前中は、回覧板を回して、立ち話をして、PCを触っていると終わってしまった。
のんびり過ごしている。

午後は、昼ご飯に、奥さんの作った焼きうどんを食べて、合気道の稽古へ。

昨日、立ち寄ったソフマップで中古のカメラレンズを買ったので、うれしがって、カメラを稽古に持って行くも、写真を撮るチャンスもなく、そのまま持って帰ってきてしまう。

今日も残すところあとすこし。のんびりやります。

前田耕作『玄奘三蔵、シルクロードを行く』 (岩波新書)

前田耕作『玄奘三蔵、シルクロードを行く』 (岩波新書)


『大唐西域記』巻1~巻2を対象として、玄奘三蔵の足跡をたどったもの。
ふらっと立ち寄った本屋で見かけて、買っていたもの。

ちょうど、勤めている研究所でシルクロードをテーマにしたセミナーが開催されていたことも、タイムリー。
土地の風土や、玄奘の記述から見えるその観察眼、洞察力についても言及。




2010年5月28日金曜日

ふりすた

月一度のNHK文化センター出講の日。
午前中は神戸。午後は大阪。
現在大阪の講師控え室で待機中。

いろいろと考えながら講義をしているけれど、考えすぎてよくないのか。
なかなかなかなか、楽しくはできない。

仏教をわかりやすくというのは、やっぱりむずかしいなぁ。。。


神戸の受講生の方が一人、こんなフリーマガジンがあると持ってきてくれた。

「フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン」
http://www.freemonk.net/

中心になっているのは、近所の浄土宗のお寺の方。
近くの尼崎で、こんなムーブメントの核があると、うれしい気分。

2010年5月25日火曜日

出講の波

今月・先月といろんなご縁で、いろんなところに出講させてもらうこと多々。
こんなにいろんなところへ集中的に出かけることはまずない。

14日(金):寝屋川へ法要出講
15日(土):自坊法座
16日(日):自坊・組内門徒推進員総会出講
22日(土):京都・某組総代会出講
25日(火):名古屋へ出講
28日(金):NHK文化センター出講

来月
3日(木):京都・出講
6日(日):伊丹・某寺追悼法要出講


いろんな場所でお話をさせてもらうと、いままでなんの疑問も持っていなかった自分の話の内容にも、「あれ?」と疑問を見いだしたり、自分の考えの内容を思いの外深めることができたり・・・

ともかく勉強になります。
関係のみなさまにはね
いろいろ、いろいろ、よろしくお願いします。

2010年5月15日土曜日

論文やつれ・・・てはいませんが。

先週末から、論文の仕上げ作業。
10日が締め切りだったのが間に合わず、編集の方に「もうちょっとまってください!」とお願い。
今週末には出します・・・といいながら、すでに今週末。
一応、終わりが見えました。
校正のたびに、構成が変わっていくという大掛かりな手直し。
それでも、まあ、矛盾を少なくして、なんとか読めるようにはなったかなと。

論文を書くたびに思うことは「拙いなぁ・・・」と。
自分の力のなさにがっくり。
そしてその力のなさを世間様に公表するような論文が刊行されることに、がっくり。

先週末から、仕事終わりに、11時ごろまで粘って、いろいろと作業。
集中力は常に切れながら、だらだらと作業。
普段からもっと勉強しとかなきゃいかんなぁ・・・。

反省多々。

2010年5月6日木曜日

連休明け

連休が明けて、再び平日。
朝から出勤。
心なしか、街中にも連休前までのけだるい疲労感がなく、リフレッシュしたような空気。
なんとなく、同じような町並みでも、そこに行きかう人の「空気」が感じられる時がある。
今日もその日。

研究所で、会議。
午後は、仕事と、文献研究の講義を聴講。

夕刻は予定していた勉強会が中止になり、少し早めに帰宅。


抱えている課題は、
・10日締め切りの論文。
・担当している企画の案を練ること。
・講録の漢文の読みをチェックすること。

・出席した結婚式で撮影した写真データのCDを作り、現像すること。
などなど。

とりあえず、論文をば・・・。

2010年5月3日月曜日

5・3集会

GWは、しなければならないことがあんまり片付かないままに過ぎていく。
お参り中心。
法事が連日。さらにお通夜、お葬式が何件か重なって、住職のスケジュールはえらいことに。
僕のスケジュールが被った影響は、その四分の一くらいか。
ともかく、世間は連休というものの、あんまりその恩恵は被ることなく過ぎていく数日。


今日の予定。
午前:法務
午後:朝日新聞労組主催の「5・3集会」

23年前、朝日新聞阪神支局が赤報隊と名乗る者に襲撃を受けて、
小尻記者が殺害された。その事件を受けて、朝日新聞の労組が主催している、シンポジウム。

テーマは政権交代。
扱うテーマがむずかしかったのか、幅広かったのか。
感想としては、去年の佐藤優を招いて開いた会のほうが充実していたような・・・。

佐野真一氏の話から語られた、沖縄(普天間問題についての)情報などは、まったく知らなかったので、興味深かったけれど・・・。

2010年4月30日金曜日

GW

一日の仕事を終えて帰宅中。@電車の中。
あっという間に四月も終わり、明日から連休。
連休は自坊で、お参り。法事がけっこうあるらしい。

なんだかんだ忙しく、思うようにしなければならない仕事もすすまないのに、
時間だけが経っていく。

本も思うように読めていません・・・。

2010年4月24日土曜日

鷲田清一『悲鳴をあげる身体』

鷲田清一『悲鳴をあげる身体』 (PHP新書)

講演を聞いて以来、ファンになって、本を何冊か読んでいる。
「生きている」ってことを深く掘り下げて考えておられるなぁと思う。
日常の些細な振る舞いの意味とか、失われている日常の大事なものを語り、
また現代の病理の深層についても、考察されている人。(と思っている)


読後感は、ちょっとむずかしかったなぁと、いうのが正直な感想。
文章がすらすらと頭に入ってくるというよりも、じっくりと考えて、かみ締めて読まないといけないような感じ。でも、だからこそ、もうちょっと読み返さないといけないのかとも思う。

以下、示唆的だった文章。


「ほんとうに重要なのは、ルールそのものではなく、むしろルールがなりたつための前提がなんであるかを理解させることであろう。社会において規則がなりたつのは、相手も同じ規則に従うだろうという相互の期待や信頼がなりたっているときだけである。」(70頁)



「宗教と科学との相違をあえて言うとするならば、宗教はどこまでも感覚の技術として開発されるということが一つある。第二に宗教は、さきほどは超自然的という言い方をしたが、じぶんを超えたなにものかへの回路を開く技術としてあったと考えられる。このことをある宗教学の研究者はこう規定している。つまり、修行や舞踊というのは、「じぶんを超えたものへの回路を開く」いとなみでもあって、そういう感覚訓練の視点からするならば、解脱とは、自己を自己自身からできるだけ遠ざける技術であり、救済とは逆に、自己とは異なるものを呼び込む技術だというのである。」(142頁)


「笛を人に合わすか、人が笛に合わすか、ここにフルートと竹笛の違いがある」(144頁)


「「道草」は目的地に着くことが惜しいくらいにそれじたいがきらきら輝くものだった」(162頁)

「私たちの子供の頃は途中で友だちを誘ひさんざんに道草を食って学校へいった。学校へついても授業の始まるまでに三十分も一時間もあるといふ具合であった。学校までの道草、ふざけたり、けんかをしたり、空想を語らい合ったり、かけたり、ころんだりした道草、この一見無駄な途中によって、ほのぼのとしたものではあるが、さまざまな人生経験がつまれていったやうに思う。(中略)教室では学びえないものを、おのづからにして学びとる場所でもあったわけである。」(163頁、唐木順三『現代史への試み』からの引用から)



2010年4月23日金曜日

NHK出講4/23

毎月第四金曜日は、NHKでの講座を担当中。
今回は13回目。
ちょうど去年に、受け持ち始めたのだ。

前任の先生から引き継いだので、その先生のカラーなども考えたりして、いろいろと試行錯誤しながら来たようにも思う。
この一年にやめられた方がおられたり、新しく来てくださった方がおられたり。

今日は、神戸のほうで、すでにこのブログを見てくださっている人がいて、ちょっとびっくり。


ついつい、「仏教的な常識」を話そうとしてしまって、世間一般の感覚と隔絶してしまって、いかんなぁと思うことしばしば。
こっちが知っておいて欲しいと思うことと、聞いている人が知りたいと思っていることが隔絶していて、いかんなぁと思うこともしばしば。

仏教を知りたいという人が来てくれているのに、こっちが準備しているのは、予想外の体系をもっているものっていうのが、いけないのかもしれない。

「仏教とは何ぞや」てのが、世間一般で問われていないという状況も問題。
世間と隔絶した形で仏教を語ってしまいがちになる我々の感覚も問題。

問題は山積。

2010年4月12日月曜日

羽生善治『決断力』

羽生善治『決断力』 (角川oneテーマ21)

 幼い頃教えてもらって以来、将棋は好きだ。将棋の強い人はすごいと思う。
 最近は、相手がいないので、将棋ができないことが残念だ。

 昨日読んだのが、棋界で偉業を達成した羽生善治名人の本。
 ちょうどボクの高校・大学時代一躍羽生ブームを巻き起こし、
 それ以来常に、何がしかのタイトルを維持し続け、いまもトップ棋士の座にあり続けているような
不世出の棋士といってもいいんだろう。

 その頭はどうなっているのか。 どんな心の持ち主であるのか。
 その一端でも知ってみたいと思わされる人の一人。

 そんなわけで、昨日帰りの新幹線で、と思って買って読んだ本。
 ところが、読み始めてみると、多分過去に読んだことがある、ということに気がつく。
 実家の本棚に並んでいるのではないだろうか。
 
 とはいえ、買ってしまったということは、身についていなかったということなので、また最後まで
読む。

 読んだ感想としては、
 なにか新しいものを得るというより、今自分がしている作業を見直すきっかけになった印象。
 「勝負に勝つ」ことを目指す、将棋の世界でもPCの出現によって、情報化や、知識戦へとトレンドが変わっているというのは、おもしろい。

 「情報化社会」というのは、知識を持たざるものは、勝負のスタートラインにたった時点で既に負けることが決まっている。
 しかし、ただ知識を持っているだけでは、結局「勝つ」ことはできず、その知識を「知恵」へと昇華していくことまで求められている。

 なにもせずに本番に臨むことは、すでにこの社会では、「負け」であり「無意味」な時間をすごすことになる。ということが暗示されていて、興味深い。

 でも、そのような社会は、正直「負担」を要請するもので、「しんどい」社会でもある。
 そんな中で生きていかなければならないことの意味をまた考えないといけないようにも思う。

 





2010年4月8日木曜日

デザイン変更

新年度なので、ブログのデザインも更新してみました。

新年度

新年度になって一週間。
気分も一新されて、すこしあたらしい気持ちで、いろいろな仕事にとりかかれます。

最初にスタートダッシュをかけておくと、後がラクと思いつつも
最初から飛ばすと後がしんどいという懸念もあって、結局、ぼちぼちと進めています。

論文原稿の締め切りも近づいてきて、自分の時間の確保も繋念材料。


お寺としては、花祭りを終えまして、
ブログにもUP。

そういえば、今日は4月8日、花まつり当日。
お釈迦様の誕生日でした。


2010年4月1日木曜日

福岡伸一『もう牛を食べても安心か』





『生物と非生物の間』を読んで以来、福岡先生のファンになる。
内容がおもしろいだけではなく、文章がきれい。
 なにより、その提示される「生命観」は、科学的でありながら非常に文学的でさえあるように思えること。そして、その文学的にも見える生命観は、仏教の思想にもリンクするようなところが多分にある。
 その生命観は、ルドルフ・シェーンハイマーによって見出された「動的平衡」の生命観をベースにされている。その「動的平衡」をもって、現代的な諸問題にアプローチしている。
 
 本書『もう牛を食べても安心か』は、例の狂牛病の問題を扱った一冊。
 アメリカ産牛肉の輸入再開、全頭検査の緩和には反対を表明されている。

 なんとなく目に付くタイトルだけれども、本書を読んでみるとタイトルがなぜ、「もう牛を食べても安心か」となっているのかを知ることができる。
 逆に言えば、「食べられるか」、でも「安全か」でも、著者のいわんとするところとずれが生じるということ。牛肉問題ではなく、食の安全、安心とはなにか?を考える際には読まないといけない一冊。

 生物に対する人為的な操作には、批判的なまなざしを持つ先生。
 臓器移植の問題についても、「動的平衡」の生命観から、反対の立場。


肩痛、通勤

肩こり。
朝、バンテリンを塗ってみる。

肩にかけるカバンは荷物のバランスがわるい。
やはりリュックか。
しかし、スーツにリュックは、家人の評判がすこぶる悪く、禁令がでておる。
研究所のF丸先生と話していると、
「リュックを背負っても、ニューヨークスタイルでいいんじゃないか?」とのお言葉。

しかし、けっこういいビジネスバッグを買ってしまって、こちらも使い慣れてきたところ。
物の配置も落ち着いているし。
しばらくは、変化ナシの見込み。

2010年3月28日日曜日

大阪歴史博物館 「聖地チベット ―ポタラ宮と天空の至宝―」


午前中は法務。
帰宅後、ネットで博物館の情報を閲覧しているとおもしろそうな展観があるじゃないですか。

特別展「聖地チベット ―ポタラ宮と天空の至宝―」 

http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2009/tibet.html


開催期日は、なんと31日までじゃないか・・・。
いそがしさにかまけて情報収集を怠っていて、こんなおもしろそうなことを見落としていた・・・。

というわけで、奥さんを連れて、急遽展観を見学に。


チベット仏教を取り上げた展観なんて珍しいのではないかと思う。
珍しい神格の像、仏像などがあり、興味深い。



タンカという図像など、チベット独特の美術品も。

なかなか見れないものを見ることができて、堪能。



「大遣唐使展」

奈良博のホームページをみると、告知が出ていた。
これは行かねばならない!!

平城遷都1300年記念 大遣唐使展 平成22年4月3日(土)~6月20日(日)

東野治之 『鑑真』




 東野先生の本は、二冊ほど読んだ。
 日中の仏教をはじめとする交渉に興味をもって、遣唐使関係の本を何冊か読んだ中にあった。

 今回、唐招提寺の改修などもあって、何かと話題の唐招提寺・鑑真。
 鑑真来日とその仏教的な意味について、順を追って描写されていて、とても読みやすい一冊。

 『天平の甍』の内容についてもときどき触れているが、こうゆう歴史を勉強したりして触れるたびに、シルクロードや仏教の史実を参照しつつ、あれほどの文学作品を仕上げた井上靖の仕事の偉大さを思わずにはいられない。


2010年3月26日金曜日

防火管理者

一昨日、無事に講習を終了し、「防火管理講習」の修了証をもらいました。
途中から楽しくなって、いろいろと勉強できました。

一夜明けて昨日。
何気なく部屋を出ると、いままであまり気に留めていなかった「消火器」の存在が
あ、ここにもある!と、気がつくようになっていました。

確実に、自分の中で「消防」に関する関心が高まっている・・・。
講習を受けたりすることの意味って、こんなところにあるんだと実感。

ちなみに消火器は、歩行距離20mで到達できるところに一つは置いておかなくてはいけないそうです。

2010年3月23日火曜日

防火管理講習。

甲種防火管理者になるべく、尼崎市防災センターで、今日と明日、甲種防火管理講習を受講。
両日とも、9:30~16:55。

西正寺の防火管理者になるために受講。
今までは、うちの祖母が、防火管理者として登録されていたが、消防署からダメだしがあり、
誰か行かねばということで、僕が行くことに。

御門徒の消防関係の人なんかに話を聞いてみると、防火訓練に「水消火器」なんかを貸してくれるそうで、ちゃんとやれば、けっこう楽しめそうなのに、なんでやらないかな?と、今までのうちの体制にも疑問。

ともあれ、講習を受講。
まるまる一日講習を受けるなって、久しぶり。
それも、コマの間隔の休憩時間は、昼休み以外は、5分から15分程度のタイトなスケジュール。
知らない話ばかりで、ついていくのにも一生懸命。でも、知らない知識を得られることはなかなかおもしろい。

ちょっとしんどかったけれど、防火意識は確かに上昇。

青木新門『納棺夫日記 増補改訂版』





青木新門『納棺夫日記』 (文春文庫)
ずっと以前から興味を持っていたけれど、なかなか手に取れなかった本。
読みたいなぁと思っていて、のびのびになっていたところ、「おくりびと」が大ヒット。
それとともに、タネ本だったこの本が、注目を浴びてしまった。「ブームにのって買うのもなぁ」と延期。

それが、ふとしたことから、ネットでブックオフを見ていた所、割と安値で発見。
それならばと購入。

読んでみた感想。

もちろん、印象深い感銘ぶかいエピソードもあるが、全体を通して、物語としては、なにかまとまっていない印象を受ける。
まとまっていないというか、完結していないという印象といったほうがいいかもしれない。

しかし、読んでみて思ったことは、この本が読まれ、評価されたのは、「ストーリー」ではなくて、
著者が真摯にこの「死」に関わる納棺夫という仕事と向き合い、
人の死に、あるいはその「死」に伴う別れを経験する人生に、向き合って見出されたものがここに示されているからだろうと思う。

前のこのブログの抜書きにも書いたように、「葬送」に関わる仕事をしている者―僧侶、葬儀関係の業者―には、
身につまされる指摘もある。
「葬儀」に関わるものにとっては、やはり必読の書といってよい本だろうと思う。
そして、「死」に関わる人たち―それはすなわちすべての人―に読まれてよい本だと思う。




お彼岸の中日。

21日・午後からは、東淀川の正覚寺様の彼岸会法要に出講。

14:00からと、19:00からの二座。
昼・夜とお勤めになる。

ご長男には、4人のお子さんがおられて、10人家族で生活されているというにぎやかなお寺。
小さなお子さんたちも、衣をつけて、ご住職、若院がたと一緒に出勤されているすがたもほほえましかったです。

なにより寺族の方と、ご門徒のみなさまが丁寧に、丁寧に法要を勤められているのがとてもつたわってくるいいお寺でした。

法事にアイドル。

3月21日(日)お彼岸まっただなか。
仏事づけの一日。まず午前。

午前法務。
すぐ近所の御門徒宅での法事。
親戚ばかりがあつまっているのに、時間ちかくになって、ある一家族がくると、
「アイがきた!なんで?」と急ににぎやかに大さわぎ。

家出して行方不明の人でもあらわれたのかしらん、と不思議に思っていると、、、
「院主さん、この子芸能人やってますねん」、
と、壁にかかったポスターを指差される。

ポスターは水着の女の子。
「これ、この子ですねん」
と。

アイドリングというグループの20号だそうで。
ブログもあった)

こんな身近なところから、芸能人が輩出されているとは、意外に近すぎてびっくり。
すごくいい子そうなので、これは、応援せねばと思いつつ帰宅。

また、東京にもどるそうで、がんばってください。

2010年3月19日金曜日

ブラウザもgoogle

下のクラウド関係の本を読んでいたら、IEよりも、グーグルのブラウザが、クラウド環境に適応するように作られており、早くて快適とのこと。
ためしにダウンロードして使ってみると、ビックリ!!

いままでのがなんだったんだ?ってくらい、快適ではないか。
もうIEは使えませんなぁ・・・。

ファイヤーフォックスも、IEに比べて軽いと聞いていたけど、googleと比べてどっちが早いのかなぁ。
そのうち、試してみたいと思います。

2010年3月16日火曜日

抜書き 青木新門『納棺夫日記』

青木新門『納棺夫日記』
 死を忌むべき悪としてとらえ、生に絶対の価値を置く今日の不幸は、誰もが必ず死ぬという事実の前で、絶望的な矛盾に直面することである。
 親戚や知人といった身近な他者の死に出会っても、一時的に愛惜の念が起きるだけで、日頃自らの死を認知していないため、他者の死は他者の死であって、他人の死は仏教でいう機縁とはなりえなくなっている。
 例えば、「……朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり……」と蓮如の「白骨の章」を読み上げても、ほとんどの人は驚かなくなってしまっている。
 既存の宗教は、時代の変化についていけないようである。人生の四苦である生・老・病・死を解決することが本来の目的であったはずの仏教が、死後の葬式や法要にスタンスを移し、目的を見失ったまま教条的な説教を繰り返しているという有様である。
 しかし、そんな僧侶たちとは無関係に、みぞれの中で大根を洗うこの地方の老婆は、梢に残った木の葉が一枚落ちる度に、「なんまんだぶつ」と口ずさんでいる。

(39-40頁)

城田真琴『クラウドの衝撃』



クラウド2冊目。
ハードウェアのコスト低下、ネットワークの充実とコストの低下によって、ITリソースを社内で準備するよりも、アウトソーシングするほうが、低コストでかつ低負担になる以上、「クラウド企業」の活躍の場が増える。個人においても、企業においても、クラウドに依存する率は、増大していき、その結果、今後の世界のIT環境はクラウド中心の構成へと変革されていくだろうことが予想される。

現にいつのまにやら、クラウド技術は「当たり前」のものとなって、僕たちのまわりにすでに配置されている。gmailをはじめとするwebメール、ブラウザで起動し、利用できるソフトウェア、あるいはオンラインディスクなどによるデータの保存。
デメリット、ついて回る不安ももちろんある。
データが外部にあるため「セキュリティ」についての責任が自分でもてないということ。あるいは突如起こりうるサービスの打ち切り。カントリーリスクや、その他諸々の不安要素。

クラウド企業のコストは「電気代」が大きなウェイトを占めていて、電力が安く、寒冷な地域が思考されていること。データセンターの規模や、志向性、あるいは分類なども明確に書かれている。
企業側の考えや状況も書かれていて興味深かった。


HaaS、PaaS、SaaSといった用語もわかりやすく解説されている。

2010年3月15日月曜日

おぼえがき 青木新門『納棺夫日記』

 青木新門『納棺夫日記』

仕事柄、火葬場の人や葬儀屋や僧侶たちと会っているうちに、彼らに致命的な問題があることに気づいた。
死というものに常に向かい合っていながら、死から目をそらして仕事をしているのである。
自分の職業を卑下し、携わっているそのことに劣等感を抱きながら、金だけにこだわる姿勢からは、職業の社会的な地位など望むべきもない。それでいて、社会から白い目で見られることを社会の所為にし、社会を恨んだりしている。
己の携わっている仕事の本質から目をそらして、その仕事が成ったり、人から信頼される職業となるはずがない。
嫌な仕事だが金になるから、という発想が原点であるかぎり、どのような仕事であれ世間から軽蔑され続けるであろう。
(p. 32)

2010年3月14日日曜日

ポンシリーズ

ほぼ一日お寺でお仕事。
午前中は、お参り。午後からは、4月の花まつりの準備。
いやぁ、いろいろとやることはありますねぇ。

今日は、丸刈りになるまで、髪を切ってもらっていた美容室「ピエロ」に、張り紙をお願いしてきました。 すっかりごぶさたしたいたのに、快く張り紙を引き受けてくださって、ありがとうございます。
また、髪をのばすことになったら、おせわになります。


夜、ちょっくらおでかけ。
こないだテレビで紹介されていたスーパーマルナカに行ってみると、こんなものが!


さすが、四国資本。
オレンジ以外を見たのは初めてで、衝動買いしました。
アップルと、グレープってどんな味なんだろう・・・。

2010年3月13日土曜日

最近のマイブーム「クライド」。
わからないながらにも、ちょっと勉強してみようと思って、ネットでわりと評判がいいのかなと思った「クラウド」関係の本を二冊ほど購入。

一冊読み終える。



城田真琴『今さら聞けないクラウドの常識・非常識』

クラウドとはなにか、ちょっとわかったような気がする。
気がするだけで、説明などできないけれど、わかったような気になっている。

・自分でも無意識のうちにコンピュータの大きな企画変化の波の中にあったということを、ちょっと自覚。
・いままで、「なんとなく」やっていたことが、「あぁ、そういうことだったのか」という、自分なりの納得。
・グーグルやアマゾンのクラウドの違いはどういうことかということと、それらがどんなことに気を配りつつ、どのような理屈で動いているのかというなんとなくの納得。

もうちょっと勉強する必要があります。
でも、なるほどということの多い本。

そして、自分が利用するリソースが、どのような位置づけにあるものかということが、いままでよりも少し納得できました。

自分なりのなっとくだけで、ごめんなさい。

2010年3月10日水曜日

お知らせ

今年の西正寺のはなまつりの案内(WEB版)を作りました!

いつもは、チラシのみでしたが、初めての試みです。

ご覧いただければありがたいです。
ご参加いただければなおありがたいです。

今年もたくさんのご参加お待ちしています。

http://seikouzan.blogspot.com/2010/03/2010.html

今日のこと

今日は自坊にておまいりと、はなまつりの準備など。
WEBや案内の手直しなどやりだすとあっという間に時間が経過。
準備にはとても時間がかかります。

2010年3月9日火曜日

知的生産の技術研究会編 『知の現場』




知的生産の技術研究会『知の現場』
 今週二冊目。 梅棹貞夫『知的生産の技術』から始まった、「知的生産の技術研究会」。この会を知ったのも本書からだが、すでに創立40年という歴史に驚き。
 参加者・講師の名前も、早々たる顔ぶれ。21人のトップランナー方の、仕事の仕方、情報処理の仕方、インプット・アウトプットの作業を取材・紹介されている本。

 直接的な技術やノウハウが手に入れられるというより、読むことによって、自分の考え方や手法が相対化されるという意味で、刺激があった。
 情報との接し方をとっても、情報を精密に厳選して選び取る手法を取る人、情報を取捨選択せずただひたすら接する手法を取る人、あるいはまったく逆になるべく情報に接しないように心がけ自分の頭で考えることを重視する人。
 いずれも一理ありつつ、その人が出す成果も人並みならぬほどの質と量。

 この研究会のセミナーにも参加してみようと思う。

2010年3月8日月曜日

寺島実郎『世界を知る力』



寺島実郎『世界を知る力』 (PHP新書)

 昨日、東京からの帰りの新幹線で読もうと、東京の本屋で購入。
 ちょっと前に読み始めていた『知の現場』に寺島実郎氏が取り上げられていたのに刺激を受けて購入。
 なんとなく読み始めてみたののの、内容のおもしろさに、3時間の新幹線移動の間読みつづけられ、お陰で退屈することなく、充実した新幹線タイムを過ごす。

 読むだけで、世界のありかたがこれまでの見方と違って見えてくる。
 歴史の裏に隠されていた、知らない事実がたくさん紹介されている。

 興味深かったのは、ペリーの来航より150年も前から、ロシアが日本を意識し、日本語学校を設立していたこと。そして、日本もロシアの日本への関心を十分に警戒して、「北海道開拓」に乗り出していたとのこと。
 日本は江戸時代、鎖国して閉じていたのではなく、むしろ十分に国際社会の中で自らの位置や大陸からのまなざしを理解したうえで、政策等のふるまいをおこなっていたことになる。

 
 また、僕らが世界中のことを「知っている」つもりでいるが、その情報源であるメディアの情報収集能力が日本は他国に比べて、1桁どころか2桁以上の差をもっていること、真に「情報」を得るということの意味も考え直させられた。
 ボクにとっては、文句なく「読んでよかった本」リスト行きの一冊。

2010年3月6日土曜日

みやこ。

東京にいます。ホテルの部屋でLANケーブルを接続してネット中。

午前中法務をして、午後から東京にやってまいりました。
明日、築地別院である、講演を聞くというのがメインの目的。
今日はホテルにチェックインしたあと、月島にもんじゃ焼きを食べに行きました。

花粉症で目がしぱしぱします。

東京ブックマークを利用してやってきました。
ちょっとびっくりするくらい休めの値段でやってこれました。
宿泊がついて、普通に新幹線で往復するよりかなりお安い値段。
J-WESTカードのエクスプレス予約の割引よりもお安いお値段。
ビバ・東京ブックマーク。

2010年3月4日木曜日

二月は逃げて、三月は去っていく。

つれづれなるままに、書き連ね。

時間はあっというまに過ぎていく。
読みたい本もどんどんと積みあがっていくけど、消化できていない。
そもそも、どっちにむかって何を成し遂げたいのか、それさえも明確になってない。
目の前にあることを、こなしていることで精一杯。
これじゃいかん。

 でも、いまの状況、やりたい勉強(というか知識のインプット)だけやるってのも違うと思うんだなぁ。
 たしかに、知らないこと見えていないことがたくさんありすぎるので、本を読んだり、考えたりして身につけなければならないことがたくさんある。
 一方で、今もっている手持ちのモノを整理できてもいないので、本当に必要なものと、そうでないものを峻別することも必要なんだろうなぁ。本当は必要ないものも、インプットしているんだろうけれど、それも無駄とも言い切れない気もするし。

 そうそう、学生のころは、何をすべきか決まっていて、それ以外のことは捨象してよかったけれど、いま置かれている状況は、そんな一本の道が準備されているわけではなく、いろんなことをいろんな角度から眺められるように、それこそいろんなことを知ることが求められているように思う。
 

 まだ、なにものにも、なっていない。
 一生懸命、目の前にあることをやっていくしかないんだろうけれど・・・。
 わけのわからん、展望の見えない自分の頭の中。
 そのまま出てきました。

2010年3月3日水曜日

クラウドについて気になる記事とか。

 クラウドの技術がどんどんとすすんでいる。
最近のお気に入りは、エバーノート。
 
 ※エバーノートの日本語版が公開されたという記事。
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100303-00000547-san-soci


 ※エバーノート活用のために、日本語版についてのブログ
 http://blog.evernote.com/jp/

 ※エバーノート日本語版についてのツイート。
http://twitter.com/evernoteJP


 ※マイクロソフトが、クラウドについての取り組みを発表
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/infotech/360656/


ちょっと気になったコメント。
 ※ホリエモンのクラウドについてのブログコメント
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10369169565.html


こんな便利な商品も紹介されている。
クラウド活用の一例。
 ※ EYE fi
http://www.eyefi.co.jp/support/faq/direct_upload_to_computer/

2010年3月2日火曜日

ブログもやりますよ

ツイッターばっかりやってないで、ブログも更新しなさいという声が聞こえたきた今日このごろ。
ツイッターばかりでなく、ブログにも書きます。

今日は、宗学院の卒業式。
一年前は自分の卒業式。今年は一年後輩のお二人の卒業式。
式後、謝恩会、夕刻二次会と、大幅にここ最近の平均的な摂取量をオーバー。
明日はまた増量しているはず・・・ 恐々。
飲食をして、いろんな話をして、ご機嫌で帰宅。

仕事の話。研究の話。
もっとできることがあるはずと、ジレンマの中で試行錯誤。
チャレンジ精神を忘れてはいけない。
若い気持ち。学ぶ気持ちを忘れてはいけないと自戒。

2010年2月21日日曜日

ツイート継続中。

ツイッター継続中。
こっちのブログの更新がおろそかになりがち←ツイッターを始める前からそうか・・・。

ツイッターと一緒にエバーノートを利用して、情報の集約・整理を試み中。
いろいろとおもしろいこともできそうで、試行錯誤の段階。

南港やらをフラフラ。
井上雄彦の展観がサントリーミュージアムでやっている。
当日チケットが売り切れで、入館できず。

2010年2月14日日曜日

フォローされています

ツイッターで二人ほど、よく知っている人を発見!!
あんまり更新されていないみたいですが、「フォローする」をクリックさせてもらいました。

お心当たりの方はご確認をお願いします。

ツイッター

いろいろと実験中。

◆ツイッターに加入。
 昨日アカウントを取得。
 右の如くにブログに表示できるようになった。

◆エバーノート
 佐々木正悟氏の本に紹介されていたので導入。
 ツイッターとリンクして使用することができる。
 現在試行錯誤中。
 ツイッターからも、メールからも書き込みが蓄積できるのがgood

◆google buzz
 グーグルバズを試してみたのがそもそもの始まり。
 でも、始まったばかりのためか、他のものとのリンクがうまくできない。
 今後改善されるか?

2010年2月12日金曜日

google バズ

gmailにログインしてみると、googleバズなる新しいコンテンツにお誘いを受けた。
今流行のツイッターとどうように、googleでもつぶやこうというもの。
とりあえず、何件かつぶやく。

問題は、アカウントとニックネームが、gmailと完全に連動していて、本名が示されてしまうということ。
なんとかならないかなぁ。
検索してみると、やはり問題点として取り上げられている。
googleさんが問題としてとりあげて、早々に対応策がとられるだろうと期待。


今日は滋賀県に梵音具調査。
けっこう早く終わり、次なる予定まで少々空き時間。
次は19:40から、中国語。

2010年2月3日水曜日

どたばた。

2週間ぶりくらいの更新。

 いろいろな準備や作業が立て込むと、まずブログの更新が犠牲になる。
 手帳を見返すと、この2週間は、けっこう立て込んだスケジュールだった。
 
 研究所の常勤メンバーは、もっとハードなスケジュールで動いているので、
これくらいでしんどいというのはおこがましい。





五木寛之『歎異抄の謎』 (祥伝社新書 188)
 本屋で見つけて、『歎異抄』の講座を持たしてもらっているのだからと・・・と買った本。
本の大半は、歎異抄の五木訳と原文。それをはさんで、五木氏の概説と、川村湊という人との対談が置かれている。
 目次は
 ・謎にみちた歎異抄
 ・私訳 歎異抄
 ・歎異抄 原文
 ・親鸞の声を聴く 対談 川村湊×五木寛之
 ・『歎異抄』関連書一覧

 既成の理解に縛られず、自由に読まれているなという印象。
 さすがと思わされる「本質」をずばりと突いたような一言も、しばしば見受けられる。

「しかし、私自身も最近、しばしば『歎異抄』のページを繰るようになりました。何十年も前から暗記するほど再読した本です。それにもかかわらず、これまでとまったくちがった光景が行間から起ちあがってくるのです。」(38頁)

「『歎異抄』は、繰り返して読めば読むほどわからなくなる、謎にみちた不思議な本です。/どうか自分でその迷路に迷いこんでみてください。そうすれば、そこに闇を照らす光を必ず見いだすことになるはずです。」(31頁)

 しばしば、教義を学んでいると「こう読まなければならない」、「こう読むのが正しいのだ」と教えたくなる。しかし、それは「知る」に止まり、求道や問いに本当に答えられているかというと疑問。
 本当に「求める」人は、教えられることを求めているのではなく、問いたずねることのできる人やモノを求めているのではないか。
 求めているに歎異抄を手にとってみようと思わせる、その魅力を伝えてくれる本じゃないかと思った。

2010年1月23日土曜日

内田樹『日本辺境論』

内田樹『日本辺境論』 (新潮新書)

 先日、ブックファーストで買った一冊。
 学術論文というより、知的エッセイというような印象の文章。
 
 過去に読んだことのあるような「教育論」「学び」についても書かれていて、思い出さされておもしろかった。
 とりあえず読んだということで。メモ書き。
 

2010年1月18日月曜日

平林都『平林都の接遇道』

今日(18日)は一日銀行や、諸々の手続き、コンタクトレンズの購入など、雑事を片付ける。
今読んでいる本を読み終えてからと思っていたのに、梅田の本屋でついつい3冊、買ってしまった。
そして、待ち時間や合間の時間で一冊読み終える。

平林都『平林都の接遇道』

テレビ番組に紹介されているのをときどき見て、
感銘を受けることも多かったので、ついつい手に取った一冊。




自分の思いや感情をどのように表に出すか。
目の前の人にどのように接し、うまくやっていくか。
その課題の多くは訓練によって解決できるのではないかと思う。
この年になって、「人に接する訓練」がいかに大切なものかとしみじみ感じる。
ホテルとか、レストランとか訓練された感じのいい対応を受けると
その対応に呼び起こされる気持ちよさとともに、自分の至らなさを思う。


自分が十分にそのようなトレーニングを積んでいるかというと、非常の心もとない。
せめて頭からでもと手に取った次第。


人をもてなすということはむずかしい。
どんな仕事をしていても、人と接することがあるはずだけれど、
どのように人に接するべきか、もてなし、尊敬を表すべきかというのはとてもむずかしい。

相手にいやな思いをさせないこと。
尊敬を表現すること。
それでいて、自分の価値もしっかりと高められること。
本当の意味で「いい人」になることはむずかしい。

今年のご正忌

1月16日。親鸞聖人のご命日。
自坊でも、有志でしている勉強会の報恩講をお勤めした。
毎月の会は僕が講師訳を勤めさせていただいているが、報恩講はせっかくなので、外からご講師をご招待してということになり、3年目。
今年は、大学院の後輩のA井師にご講師を依頼した。

笑顔と落ち着いた口調でのお取次ぎ。
やはり、所作や話し方は人柄がにじみ出ます。
ありがとうございました。

2010年1月14日木曜日

ひとつづつ片付けよう

 仕事と目標を一つづつクリアしていくことを積み重ねていこう。
 
 本を二冊読了。

・斉藤孝『斉藤孝のアイデア革命~アイデア連発の人はここが違う!』
 五年前に出版された本なので、時代的な差異を感じる部分もある。もともとは、『週間ダイアモンド』の連載だったらしい。
 正直な感想は、眼を見張るほどの目新しい「アイデア」やハックが紹介されているわけではない。
 仕事をする上で、アイデアやフレームワークの手法をまとめ、紹介したものならばアソシエやハックシリーズのほうが、画期的なものが紹介されているのではないかと思わないでもない。

 ブレストやアイデア生産のツールやスキルをある程度知っているようになったからそう思うのだろうか。
 とはいえ、自分の仕事に、これらのアイデアやブレストの手法を十分に取り入れることはできていない。
 理解してもらえる人や、協力者が少ないということもあるかもしれない。
 
 方法論や目的のための最善の手段を選ぶ。
 そのための試行錯誤。
 

 こういうアイデア本や、ハックの紹介などいわゆる「HOW TO本」は以前は読むことに抵抗があった。
 いつごろから、けっこう積極的に手に取るようになっている。
 読むことに抵抗のは、「そうしなければならない」的に押し付けられたり、自分のしていることに迷いが生じるのではないかという怖さがあったからかもしれない。
 けれども、読んでみると、むしろ自分の今の作業の仕方、ものの考え方をフィードバックして改善策を思いついたり、紹介されていることを鵜呑みにするのではなく「応用しよう」と考えていることの方が多いことに気がついた。
 枠が狭まるのではなく、選択肢の幅が広がり、「応用力」のトレーニングをしているような感覚。
 そういう意味で、HOW TO本を読むことは、最近では「やり方を学ぶ」ためというよりも、自分の仕事をフィードバックする意味合いの方が強い。

 そして、ほとんどの場合、こういった類の本を読むことは、大きな労力を要しない。
 なんとなく目を通し、読み流すだけで十分理解できるようになることも大きい。


 ・小川環樹『老子』
 博物館の道教の展示に言った際に買った本。
 積ん読状態ったのを手にとって読み通す。
 研究・関心から一度は見ておきたいと思ったもの。
 想像していたほど、とっぴなことが書いてるわけではないというのが感想。
 むしろ「とらわれないこと」「誇らないこと」「柔軟であること」など、
人生訓・処世訓としても受け止めることができそうな内容が多い。

 自然であれということ。道と徳を重視せよということ。



 


2010年1月13日水曜日

いろいろといそがしいよね・・・

 いろいろと業務やなにやらで忙しいことがあって、気がつけば自分の研鑽のための時間が、以前と比べて圧倒的に少なくなっている。
 本を読む時間も減ったし、なにかに集中して取り組む時間を確保することも難しくなった。
 何年か前のブログを読み返してみると、一生懸命にやってるつもりだったけれど、やっぱり「モラトリアル」な時間を過ごしていたんだなぁと思える。

 なにかものごとを「楽しく」捕らえるゆとりのようなものが、以前と比べて、減ってきたのかなぁ・・・。

 しなければいけない仕事や、
 解決しなければいけない課題を抱えつづけているような。

 日々のルーティンをこなしていくことで、技術・経験を蓄積して自分を磨いていく仕事って尊いなぁと思いつつ、それと隔絶したことをしている。
 自分が磨けているのだろうか。時間を浪費していないだろうか。
 

 先日お話した門徒のおじさんは、言われていた。
 
“ずっとイヤだと思いながら商売をしていた。
  何か自分が作ったものを、自分が生きた証しを残したいと思っていた”

 それで、彫刻や陶芸をするようになったという。いまでは、立派な作品もいくつか製作された。
  
 真剣に生きておられる。

 自分は自分の人生を考えているのか?
 いまこの時間は「生きている」のか?

やっぱりときどき更新

あれ?前のブログの更新からもう5日も経っている・・・。
日にちが過ぎるのが早いなぁ・・・。


先日買った『日経アソシエ』に今年の目標を立てるという記事があった。
それにあやかって、やってみたいこと、やろうと思っていることを、思いつくまま列挙してみた。

だれそれの作品、著作集を読み通すとか、
歌舞伎を鑑賞するとか
落語を聞きに行くとか

ある資格を取るとか、
〇〇ができるようになるとか

他愛のないことから
ちょっとスケールの大きなことまで

なんとなく生活していたらそのまま先延ばしにしてしまいそうなことだけど
実際に書いてみると、よし今年中にするぞ、・・・そのためには、という気持ちになる。
多分実際にできないこともあるだろうけれど、やろうと思っていることが「見える」形になることは、
実現に向けて大きな力になる。

さて、今日も一日大切に過ごそう。

2010年1月8日金曜日

山田詠美の作品

 去年の10月に山田詠美の『ぼくは勉強ができない』を読んで、おもしろかったことから、
 山田詠美の作品をぼちぼちと読んでいる。
 今日、初期の作品という『ベッドタイムアイズ・指の戯れ・ジェシーの背中』を読み終える。

 いままに読んだもの
・『ぼくは勉強ができない』
・『放課後の音符』
・『ご新規熱血ポンちゃん』
・『PAY DAY!!!』
・『ベッドタイムアイズ・指の戯れ・ジェシーの背中』

まとめ読みをしていくと、その作家のことがなんとなくわかっていくような気持ちになる。
今回は、第一印象からすると、読めば読むほど、現れてくる面が意外なものだったという印象。
いい意味でも、悪い意味でもなく、単純に意外な面というか、当初の予想を覆されるような。

でも、描かれている人間関係の機微や、価値観なんかは読むものをして考えさせるものがあるように思う。
もうちょっと、読み込んでみたい。

物欲・貪欲

 年賀状や、あけおめメールの何通かに「ブログ見てます」という文字とともに「あんまり更新されないね」
と。
 催促ありがとうございます。

 ブログ更新のモチベーションは見てくださる方がいることに尽きます。
 そんなわけで、ブログの更新@大阪駅のデリカフェ

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 年末に通勤用にと、コートを購入。
 ふだんがあまりにもみすぼらしいので、ひとつくらいはパリっとしたものをと
妻の勧めもあり、僕としては奮発して購入。

 新年になってから、バーゲンセールに出かけがちだったこともあり、
年末にお金を使った勢いが残っていたこともあり、わりと頻繁にお買い上げ状態。
 勢いがついてしまっていて、ちょっと浪費気味。
 来月のクレジットカードの支払いはエライことになってそうだ。
 もうブレーキをかけないと。

 でも、新しいものを買うと気分も新鮮になる。
 年が改まったせいもあるかもしれないが、わりとハリのある日常を過ごしている。
 モノにひきづられる人間の性か。
 われながら単純か。

2010年1月6日水曜日

正月明け

 昨日の初法座も無事にお勤めさせていただきました。
 20名弱のお参りをいただきました。ありがとうございました。

 午後からは、舞子のアウトレットモールに買い物に出かける。普段の格好がみすぼらしいので、奥さんに見立ててもらって、服などを購入。
 
 
 西正寺は今日から月参り開始。明日からは、本山の業務も始まる。

2010年1月4日月曜日

西正寺・初法座

 お正月の3が日も終わり。
 本堂にお供えしてあった鏡餅を下げ、切り分ける。全部で10組の鏡餅。
 1時間半ほどかかって全部切り終える。
 毎年のことですが、けっこうな労働です。

 明日・1月5日(火)午前10:30より、「西正寺初法座」をお勤めします。
 切り分けたお餅をお下がりとしてお配りします。

2010年1月3日日曜日

あけましておめでとうございます。

遅ればせながら・・・あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

年末年始にもいろいろなことが起こり、どうなることやらと思ったこともありましたが、
そんなことも乗り越えて、無事に新年のスタートを切ることができました。
気がつけば、もう3日目・・・。
ぼけっとしていたら、今年もあっという間に過ぎ去ってしまいそうです。

「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...