フリスタ リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 8月 09, 2010 先日、池口龍法さんより、「フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン」をお送りいただきました!ありがとうございます。 メディアでも、頻繁に取り上げられる注目すべき活動。 詳細はこちら。 http://www.freemonk.net/ リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
GASAKI BASE が往生(閉店)するのでお葬式をしたというハナシ。 - 4月 23, 2025 記載が前後するが、これもとどめておきたいと思う出来事。 尼崎は戸ノ内にあったガサキベースが往生(閉店)した。 番頭(店主)の足立さんから、半年以上前だったと思うが、「4月に閉店するから葬式をしてほしい」という話をもらっていた。ほかならぬ足立さんの頼み。この数年間、足立さんからは、たくさんの刺激・インスパイアをもらった。 またそれ以上に大きく、かつ多くの足立さんの手にかかるものが尼崎の地には、生み出され、作り出されて、影響が与えられてきたように思う。地域に多数の足跡・傷あとを刻み込んだ足立さんの節目に立ち会えるというのは、光栄なこと。 ※ 足立さんのインタビューや ガサキベースが紹介されているサイト AMANISMより OC vol.05 まちとつながるDIY 尼崎傾奇者集落とGASAKI BASE https://amanism.jp/ucma/report/entry-169.html まちなかの「村」から発信する「ほんとうのDIY」 https://amanism.jp/people/entry-90.html ごちゃごちゃ、いうてしまったけれど、きっとみんなここが大好きなんだろうなと思う。そんな場の節目は、請われなくても身を置いておきたいと思うもの。 実際、往生(閉店)のこの日までにもたくさんの人が、ガサキベースを訪れ、別れを惜しみ、足立さんたちと言葉を交わしていたようだ。この日も、たくさんの人が、最後の日に立ち会うべく足を運んでいた。 「葬儀」と「往生」の話で、もらった時間は 30分。オーダーは、ガサキベースの葬式をし、「往生」についての話をしてほしいということ。ばたばたとする中で、準備に十分に時間をさけたとは言い難いが、それなりにイメージをふくらませ、表白(読み上げ文)もしたためた。 葬儀の雰囲気を保ちつつ、お店のアナーキーというか、「集落感」というか、ガサキベースらしさを損なわず…ということはなかなか苦慮する部分ではあったけれども、また「往生」や「死」「別れ」ということを、立ちあってくださった人たちとある種共有することはできていたように思う。 写真は当日のようす。 ※photo by 城周作 氏 ※photo by 城周作 氏 「葬式」の中で読み上げた「表白」 ●足立さんが、ガサキベースの閉店を「往生」と名付けた 足立さんから、閉店を往生... Read more »
大学に就職して1か月 - 5月 01, 2025 5月1日。 大学に就任して1月が経ちました。 ちょうど本日、大学の教員紹介サイトに私の情報が掲載されました。 【龍谷大学 教員紹介 中平了悟】 https://www.let.ryukoku.ac.jp/teacher/nakahira.html 研究業績や経歴はリサーチマップにまとめられておりますので、こちらをご覧ください。 【リサーチマップ 中平了悟】 https://researchmap.jp/nakahiraryogo リサーチマップは、もともとは、非常勤でテニュアでもなければ多少ふざけてもよいかなとフェイスブックのアイコンにもつかっているイラストを顔写真として表示していましたが、さすがに現状それではまずかろうと、3月ころから顔写真に変更しました。(笑) Read more »
(1月7日)お寺の子どもだけれども、初もうでに連れていかれてるという話 - 1月 08, 2026 今週からまた始まった保育園への登園。7日の保育園は、「みんなで初詣に行きます」とご案内がありました。帰ってきた、こどもは、「初詣いってきたよ。◎◎神社に歩いて行った」とご機嫌に報告してくれました。 お察しかもしれませんが、私はなんかモヤモヤとしています。 僕自身を振り返ると、公立の1年制の幼稚園にいっていたせいか、神社への「初詣」なるものは、幼少のころに(そして、思い返してもいままで)経験した記憶がありません。 神社に「お参り」にいったのは、小学校のミニバスで全国大会に行ったときに、スケジュールに「明治神宮への参拝」(多分、勝利祈願)があって、「今、神社におまいりしてるわ」と、なんか思っていた記憶があるくらいです。 まあ、お寺の子どもとして、育った僕は、当たり前のように初詣でや、参拝とは無縁の育ちをしてきまして、今もそれとは異なる信仰文化を選択的に生活しているわけであります。 自分がなににもやもやしているのか、というと、厳密には、子どもが「初詣」に行った(連れていかれた)ことそれ自体より、「神社に初詣に行かない(積極的にいかないという選択をする)という信仰や文化がある」ということに対する配慮というか、私たちような人がいるということについては、たぶん想像されていないんだろうなぁということなのです。 誤解のないように、言っておきますと「自分たちがこうだから、初詣をいかないようにしてください」と、保育園の行事や予定の変更をお願いするようなことまでは求めたいとは思っていなくて、むしろ、そういう文化に触れる機会があってもいいだろうなぁくらいは思っているのです。 なににもやもやしているかというと、繰り返しになりますが、「初詣」を明確に、信仰のともなう宗教的行為と認識して、積極的に「行かない」という選択をしている私たちのような人たちの存在は、おそらく想像の外側にあるのだろう、という現状にもやもやとしているのです。 別に怒ったり、疑義を呈したり、なにか現状変更をもとめたりしているわけではなく、ただ、モヤモヤとしている部分があるというだけです。 子どもが楽しそうに、「初詣いってきたよ」という報告はうれしくききましたし、その子どもが参拝した神社の宮司さんともめんしきがあり、とてもよい方であると存知上げていますということも付言しておきます。 Read more »
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