2019年11月4日月曜日

恩師の若き日

 学会の発表があり、そのために「真宗学の研究史」を遡っていると、恩師・岡亮二先生について触れられている文章があった。コーヒーを飲みながら、熱く議論された先生方。

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 私が助手時代の思い出は多いが、いまは同じ研究室に籍をおく、浅野、岡、浅井三氏との出会いの思い出を記しておこう。昭和三十三年の秋のころ、真宗学研究室は親鸞聖人の七百回遠忌法要を記念して、『親鸞聖人用語索引』の作成を計画した。(中略)また、私の助手時代に副手を勤めてもらった人々の思い出の中に、当時まだ大学院生であった岡亮二氏の若き姿がある。新刊の図書の購入や研究室書庫の調査整理など、ずいぶんとお世話になったものである。しかしながら、私はまた岡氏らにきわめてしばしばコーヒーを強要された。七条大宮の喫茶店の片隅のボックスにたむろして、真宗学にかかわるさまざまな問題を、時をたつのも忘れて熱っぽく議論したことである。それは今でも懐かしく昨日のことのようによみがえってくる。そしてまた浅井成海氏との邂逅もこの助手時代のことであったろうか。

(信楽峻麿「『索引』編纂のスタート」昭和48年真宗学別冊附録『真宗学会の歩み』より)



ふっと、当時の様子が偲ばれた。
かくありたしとおもえども、年を重ねるごとに遠くなるような師の背中を感じる。

この今日のような天気の中、コーヒーを飲んでおられたのだろうか。


2019年10月11日金曜日

10月12日はすの会 中止のお知らせ

10月12日はすの会 中止のお知らせ

明日10月12日(土)は、西正寺にて、はすの会の開催を予定しておりましたが、台風接近が予想されております。つきましては、安全のため、明日の開催は中止とさせていただくことといたしました。
なにとぞご理解よろしくお願いいたします。また来月、11月23日に開催が予定されております。来月以降もまたどうぞよろしくおねがいいたします。


大変大きな、「猛烈な勢いの台風」が接近しております。どうぞ、お気をつけてお過ごしくださいませ。

2019年10月5日土曜日

191005_西正寺からのお知らせ10月号

※今回の記事は、西正寺のブログでも、ほぼ同文を掲載しております。
 http://saishoji.net/archives/153

10月になり、涼しい日が続いていましたが今日(10月5日)はまたすこし暑さが戻ってきたような日になりました。
おかげさまで、9月の永代経法要も無事にお勤めさせていただくことできました。門信徒のみなさま、参詣くださったみなさま、ご協力くださったみなさま、ありがとうございました。
さて、住職にならせて頂いてから、毎月西正寺で開催される行事予定をまとめて印刷しておくばりしていました。
日々の雑務に紛れて、「定期的に」ということが難しいのですが、なんとか月に1度は作成しています。
少しずつ、挨拶やご報告も重ねていきますと、今月は遂に誌面が足りなくなり、2頁構成となりました。
このまま少しずつ誌面も充実していって、よりよいメディアにできたらという思いもめばえてきました。
せっかくですので、こちらをまたみなさんで見ていただいて、西正寺の行事や、取り組みにも関心を向けていただけましたら幸いです。
PDFデータのリンク https://drive.google.com/file/d/1YZVxlDGJz5ts_umtWpqstp2PFlWdgei1/view?usp=sharing

2019年9月5日木曜日

190903_普通を語ろう(仮)V(ファイブ)「普通の葬式を語ろう」



 2019年9月3日(火)
 19:00~21:00まで、西正寺にて「普通を語ろう」(https://www.facebook.com/events/1781128472032720/)の5回目を開催しました。
今回は、テーマが「普通の葬式」。

 今回のテーマは、いいだしっぺの一人まるちゃんが、幡野広志(はたのひろし)さんという方のネットでの投稿に刺激をうけたということに始まります。
(詳細はイベントページの文章をごらんください)
https://www.facebook.com/events/1781128472032720/

今回の参加者は10名、いいだしっぺ2名の合計12名で、あれこれ語らう時間をもちました。
 
 特定の宗教のお葬式を専門にされる仕事をしている方、身近な方のお葬式を経験したことや、いままさにおとむらいのまっただなかにいるという方、仕事等で関係することがらでもやもやをかかえていることが参加のきっかけになったという方など、さまざまな背景をもってあつまってくださっていました。

 今回は全体として、一貫したテーマである「普通」よりも「葬式」にウェイトが置かれつつ展開していったなぁという印象でした。ただ、テーマがテーマだけに、個人的な思いや経験もぐっとのせられた話がたくさんあったとも感じました。「いいにくかったこと」「ほかではなかなかいえなかったこと」がこの場で語ることができたという声もありました。十分なことができたといえず、反省もありますが、そういう声をいただけたことはよかったとおもえることの一つでした。
 
 それぞれの信仰や立場がちがうこと、またもっている情報がそれぞれだったので、「葬儀」の形や、大事にしているものがいろいろとあって、参加者それぞれが新しい知識に触れたり、新しい視点から物事を考えたりすることのできた時間でもあったのではないかなぁと思いました。

 印象的だったことは、人間以外の生物について、さらにはもの・ことにたいする弔い・儀式に想像がおよんだこと。これは「儀式をすること」の意味やメッセージを深く考えていく手がかりになりそうな気がした。

 一方で、今回は「葬式」という形や、意味に話題と関心がむかっていった印象がありましたが、切り口としては「(生者と)死者との関係」とか「死ということの意味」「死後の観念(浄土・天国・地獄…)」等といったテーマもあったのではないかと思いました。それらについてはあまり語られることはありませんでした。もちろん、時間などの制約があることなので、全てを網羅できるものではない。しかし、取り上げられなかったテーマや切り口はまだまだあるのではないかと思いました。

 5回目の普通を語ろうだったわけですが、やはり「みんなで語らう」という形は、参加者の思いや関心がその場を形づくるものであるというを改めて感じる時間でもありました。「客観的な知識」ではなく、それぞれの背負っている背景や主体的な関心、感情が乗せられた言葉が質感をともなって伝わり、場の面白さを形成していく、そんなことをあらためて感じました。

 ともかく、ご参加いただいたみなさんのおかげで、今回もいい時間をすごさせていただきました。ありがとうございました!!
 


【ご報告】
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 今回の「普通を語ろう」の参加費と懇親会の剰余金(合計で5833円となりました)については、先般の佐賀県を中心とした豪雨災害の支援に寄付をさせていただきました。

(ご協力先)
http://blog.canpan.info/iihoe/archive/414

支援の窓口としては、
佐賀災害基金 も立ちあげられています。
https://saga-mirai.jp/donations/%e4%bd%90%e8%b3%80%e7%81%bd%e5%ae%b3%e5%9f%ba%e9%87%91/?fbclid=IwAR0FMMSuTElSa5gIFpXwoo_UAgkltIdgh19C7pUjIqv_vA1p0Rqs2aJBETg
このたびはありがとうございました。

2019年8月10日土曜日

190810_おてらのそうじ(8)

本日8月10日。
「おてらのそうじ」8回目を開催しました-。

7:00集合、重誓偈をおつとめして、
体操、自己紹介、掃除、朝食 9:00頃散会
となりました。

本日の参加者は6名。内2名は、初めての参加。
三田や甲子園からわざわざ駆けつけて下さった方もいらっしゃいました。なんとありがたいことでしょうか。

カリー寺で使わせていただいた本堂の外陣と縁側を丁寧に掃除していただきました。ありがとうございます!!

次回は、9月21日。お彼岸のど真ん中でおそうじをする予定です。
ひきつづきどうぞよろしくおねがいしますねー!



2019年8月7日水曜日

190728_カリー寺開催しました

2019年7月28日(日)

おかげさまで、今年もカリー寺を無事に開催させていただきました。


参加者として来場して下さったみなさん、
コラボ企画でご一緒してくださったみなさん、
チラシをおかせてくださったり等広報でご協力くださったみなさん、
前日・当日と手伝って下さったボランティアのみなさん、
カレー出店者、出演者、第二会場の出店者、出演者のみなさん、
さまざまにご協力くださった御門徒や地域のみなさん、
そして、ここ1年近くの間、定期的にミーティングや準備を続けて一緒に当日を迎えて下さったカリー寺メンバーのみなさん
おかげさまで、一緒に楽しい一日が過ごせました。
本当にありがとうございました。


今年は、4年目・4回目の開催。
 今回は、昨年のカリー寺が修了した後、11月から月に一回定期的なミーティングにくわえて、それぞれの企画やチームで、打ち合わせや準備を重ねて準備をするという態勢になりました。関わりを持つメンバーも、関わる度合いもこれまでより、かなり広く、深くなりました。

 企画も増えました。これまでの、西正寺を境内を会場として、駐車場のカレーブース、本堂のパフォーマンス・ワークショップに加えて、 今年は西正寺近くのスペースTUNUGUBAを第二会場として、複数のワークショップ、トーク、出店がひろがりました。
 また、近隣の施設・お店がコラボ企画を展開し、それらを巡るスタンプラリーも行われました。
 リユース食器を使って、ゴミの削減にも挑戦しました。
 ステッカーやトートバッグというグッズも作って、販売しました。

 当日にいたるまでも、いろいろな取り組みや交流がありました。
 たとえば、
 カリー家と名づけられた、カレーパーティとか
 https://note.mu/currytemple_ama/n/ne400c3edf0fd


 カリー寺メンバーによる、門徒さんへのインタビューとか
 https://note.mu/currytemple_ama/n/n346abf268933


 もちろんいくつかの課題が見つかったり、解決するべき問題もでてきたりしましたが、これまでにできなかったことが、関わって下さったみなさんのつながりと力によって、積み上がっていった成果の1日だったように思います。

 あっという間に1日が過ぎました。無事に終わって、ホッとしています。


 あ、そうそう、カリー寺当日には間に合いませんでしたが、「カリー寺」でレトルトカレーを作る企画が進んでいて、まもなく完成します。これを用いた取り組みやチャレンジを進めていきたいとも思っています!!


(カリー寺当日の写真たち)
https://photos.app.goo.gl/MtJH9wEWAkPLJZjv8
















2019年7月2日火曜日

190618ー20 第2期 思春期・若者支援コーディネーター養成研修会

先に書いた、住職補任式ならびに住職補任研修(2019年6月20日、21日)に先んじて、18日~20日間では、おなじく本山本願寺で開催されていた、「第2期 思春期・若者支援コーディネーター養成研修会」に参加していました。
 http://www.hongwanji.or.jp/project/recruit/r002529.html

 こちら、今年の1月に開催されていた前期に引き続く、後期のスケジュールの3日間。
 スケジュールは添付の通り。
 本願寺派の僧侶だけではなく、他派からの参加もあった。伝統仏教教団が公式にはなかなか扱うことのない、「性」(セクシュアリティや性行動、性行為)や「依存症」をはじめとした社会の「実態」に視点を向けさせてくれる、重みのあるプログラムだったと感じています。

 一方で、レクチャーで与えられた知識を盲目的に追従するのではなく、ちゃんと自分で、自分自身の前にいる人、目の前にある課題に向き合うことも同時に求められるようにも思いました。
 
とても簡単に手を伸ばすことのできない問題、可視化されづらい生きづらさが社会のなかにはまだまだあることを改めて感じずにはいられない、前期後期の課題でした。
 僕個人としては、産婦人科の先生が語られた妊娠・中絶についてまったく無知だったこと―11週を境にその前後で対応がまったく異なるものになってしまうという制度の実情―に、そんなこと現実があったのかという驚きとおののきがあったことが印象的でした。

 動こう、動きたいと思っている寺院関係者、そしてすでにいろいろな活動や現場にいる人もたくさんいて、そういう人たちと少なからずつながりをもてたことも大変有意義だったとおもいます。

 

2019年6月30日日曜日

190620ー21 住職補任式 受式(住職になりました)

2019年6月20日午後~21日。
浄土真宗本願寺派本山 本願寺にて、住職補任研修への参加、ならびに住職補任式を受式してきました。

 住職補任研修および、住職補任式は、本願寺派の住職を拝命する際に受ける式で、門徒の代表者一名(門徒総代さん)と共に参加してまいりました。

 先日登記上の住職の変更も終えましたので、法律の届け的にも、本願寺の届け的にも、西正寺の住職ということになりました。

 少しずつ、少しずつになりますが、西正寺がよりよきお寺になるように、仏法・お念仏が薫る場所として、たくさんの人に大切にしていただける場所となるように努めて参りたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
(写真は、
上のものは、授式後に本願寺の御影堂前で門徒総代さんと一緒に記念撮影したものです。下のものは、補任式でいただいた辞令です。宗派へ届け出た日付で登録されるので、上記のような日付になっています)

2019年6月16日日曜日

190616_『地域寺院』に西正寺をとりあげていただきました

大正大学地域構想研究所・BSR推進センター(https://chikouken.jp/project/bsr/)が刊行されている『地域寺院』37号に、西正寺について取材いただいた記事が掲載されました。

 3月31日に開催した大江戸ブギウギの前日・当日に取材頂き、インタビューでお話ししたこと等を記事にしていただいています。お寺がいろいろな人とつながり、関係性をひろげていく状況をとても丁寧に文章にしていただけたように思います。 担当くださったHさん、ありがとうございました。

この『地域寺院』は、地域で活動を展開している寺院、僧侶の特集記事や、寺院活動に関するコラムなどを編集して毎月刊行されている冊子です。大学の刊行物という性格上、販売ではなく会員に頒布するという形をとられています。ただ、年5000円で、毎月この情報が得られるというならば、関心のある人にはかなりお得な印象のする刊行物ではないかと思います。

 詳細は、以下のリンクに。https://chikouken.jp/project/bsr/

 



2019年6月14日金曜日

190613_コミュニティナースから展開する可能性を考える その3

https://www.facebook.com/events/2298200847088138/

コミュニティナースから展開する可能性を考える その3
2019年6月13日(木)19:00~21:00に、上記の会が開催されました。
主催は、地域の保健師でもあるTさんを中心にしたメンバ-。
参加者は主催を含めて17名 その内1/3ほどの方が看護師さん、保健師さん、医療関係や、その近接の分野を目指されている方でした。

Tさんが進行役となり、会が進められました。
自己紹介をしたあと、用意していた動画を鑑賞し、
3グループほどに別れて、コミュニティナースの活動について感じていること、考えていること、そして展開していく可能性を話し合いました。

話し合う中で、それぞれが感じている課題や、展開していきたいと思っていた活動を共有していくような時間になっていたように思います。


これで、講演会も含めると、コミュニティナース関連のイベントとして4回、西正寺で開催されたことになります。お寺を場として、「コミュニティナース」の活動やそれに関心をもつ方達のつながりを醸成し、新しい展開が拡がっていけばいいなぁと思っています。


2019年6月12日水曜日

190611_講義とお祝いの会

2019年6月11日のこと。講義とお祝いの会。

午前 龍大で教理史特殊講義。中国浄土教の始祖といわれる廬山の慧遠について。
午後 相愛大で講義。結集を中心に、経典の成立と仏教教団の分裂(根本分裂~始末分裂)。
夜 京都で学生時代からお世話になっているN先生の博士号取得のお祝いの会。懐かしい顔ぶれ、先輩・同輩・後輩とも再会。


2019年6月11日火曜日

190610_(イベント)お寺の研究をして、まちの見え方が変わったハナシ。ー卒業研究発表会&感謝の会ー

 お寺の研究をして、まちの見え方が変わったハナシ。ー卒業研究発表会&感謝の会ー
https://www.facebook.com/events/2070849413215770/

 2019年6月10日(月)。夜19:00~21:00のスケジュールで上記の会が開催されました。

大阪大学で建築関係の研究をする大学院生Iさん。彼女は昨年西正寺を研究対象とした卒業論文を執筆・提出されました(2019年3月卒)。タイトルにもあるように、西正寺から尼崎地域への関わりが深くなり、彼女の研究方法や関心にも少なからず影響があったとのことです。現在は大学院生として研究を進めていますが、卒論の報告と御礼の会をしたいと、西正寺でこの会を企画してくれました。

 参加者は20数名。半数ほどが初めて西正寺を訪れたという方たちでした。
 前半は、Iさんの卒論発表と、僕とのクロストーク。
 休憩をはさんで後半は、参加者のみなさんがテーマに沿った話しあいのワークという構成でした。
 
 現在の西正寺の状況、とくに人の関わりについて「檀家コミュニティ」と「参加型コミュニティ」という二つのグループからその地域分布、つながりの拡大を詳細に分析してくれた研究報告でした。
 すでに別に発表されたサマリーを拝見していました。そちらを拝見しても、今回直接聞いても、詳細で緻密な分析をしていただけたなぁという印象を持ちました。お寺についてのレポートや評価を目にすることもありますが、正直にいうとあまりピントこないというか、なにか「ズレ」や違和感みたいなものを感じることが多くあります。しかし、このIさんの分析については、なんども足を運び、聞き取り。インタビューを繰り返してくれたおかげか、あまりそういったズレや違和感を感じることはありませんでした。むしろ、外部から観察され、物語られるコミュニティのあり方や、人の関係性の広がりを「見える化」されたような感覚で、ふむふむと聞き入っていました。
 
 クロストークでは、「ひらかれたお寺」と評していただくことの増えてきた西正寺がどのような経緯を経てこのようになったのか、また今後どのようなあり方を目指していくのかを問い尋ねてもらいました。
 西正寺が多くの人に来ていただく転機になった年は2016年。「テラからはじまるこれからのハナシ。」と「カリー寺」という二つのイベントがはじまったことによります。しかし、これが突然におこったのではなく、それ以前に、小さくてもあれこれと試行錯誤や取り組みを行っていたことと無関係ではないと思っています。またそれらも、先々代の住職、先代の住職である、祖父・父の代から積み上げられてきた歴史と無関係ではないとおもっています。そのあたりのことについても、昨夜はお話をすることができました。

 今後についても、「お寺」がお寺らしくなること、「お寺だから」ということでなっとくされるようなお寺が「あたりまえの存在」になるひとが、たくさん増えていけばいいなと考えているとお話ししました。ちょっとズラしたような回答を多くしてしまったかもしれませんが、聞いていただいてるみなさんに何かの問いや、お寺との接点を感じていただく時間になれば、幸いだとおもっています。

 今回のイベントには、初めて西正寺におこしになる「ご住職」が何人かいらっしゃったのも特徴的でした。おそらく、卒業論文といえどもアカデミックな文脈でお寺が語られるというところに関心をもっていただけたのではないかなぁと思っています。
 お寺での実践・活動については、「宗教者」「宗教施設」に関する研究や、身近な研究領域での文脈では意識していましたが、建築やまちづくりというフィールドでの研究関心が向けられたということも、新しい展開ではありました。

 自分自身も、新しい視点からの観察やフィードバックをいただけたという、刺激的な一日になりました。




2019年5月28日火曜日

190522_駅前で甘茶をふるまい

2019年5月22日(水)
 日中、大阪の某所での研修。 夕刻帰宅後、いそいで準備をして向かったのが、阪神尼崎駅前の「セントラルパーク」こと中央公園。
 どうも、たまたま、複数の人たちが、その公園でベンチを出して憩いをしていたり、お菓子や、銭湯のグッズがふるまわれていたり、ツボ膏をはる看護師さんとか、皿回しのようなことを一緒にしませんかと呼びかける人がいたりしていたようです。
 僕は、たまたま、駅前で甘茶の振る舞いをすることにしていました。

 

〈準備したもの〉
 ・お湯 8リットルほど(沸かしてポットでもっていきました)
 ・甘茶(ティーパック)たくさん
 ・ほうじ茶(裏メニュー)少々
 ・急須 2つ
 ・紙コップ(たくさん)
 ・タオル
 ・キッチンペーパー
 ・ウエットティッシュ
 ・テーブルクロス
 ・感想記入用の付箋
 ・バインダー
 ・マジック(プロッキー)
 ・看板用の用紙立て
 ・ゴミ袋
 ・箱(紙コップ入れ)
 ・クーラーボックス(ポットなどの備品入れ)
 ・キッチンワゴン(以前の職場のデスク横に本を置いていたもの)
 ・エプロン
(書き出してみると、結構たくさん用意するものがあったことに驚いています。笑)


 19:30頃、阪神尼崎駅前セントラルパークに到着。
 公園では、いろんな人たちが、いろいろな遊びや楽しみの時間を過ごしていました。(左の写真は、なんかお皿をまわして楽しんでいた人たち)
 エプロンを身につけ、ワゴンにクロスを引きました。ポットで甘茶を淹れて、飲み始めました。(ワゴンやクーラボックスを引いていつでも移動できるようにしています。むしろ、移動の途中であるといえるかもしれません。)


 到着当初から、甘茶をたくさんの人に飲んでもらいました。甘茶を飲みながら、いろいろな人と立ち話をしました。 8リットルほどお湯を用意していましたが、21:30すぎまでの2時間強で、7リットルの甘茶がふるまわれました。

 甘茶をのみながら、昔のはなまつりの思い出話、実家近所のお寺の話をして下さったご夫婦。
 なにかわけありの感じがする、市外からきたという男女2人組
 (このお2人は、一旦すこし離れたところに行っていたのに、甘茶を飲み終わって去り際にわざわざ「ありがとうございました」とあいさつにきてくれて、とてもうれしかったです)
 おはぎをくれた方
 いつもセントラルパークにいそうなお酒のにおいを漂わせるおっちゃん。
 自転車にのりながら、般若心経を披露してくれるおっちゃん
 3回もおかわりをしにくるおっちゃん
 
 甘茶をのんで、どうしてこんなに甘いんですか?といってくれる定番のリアクションや、美味しい!とよろこんでくれるのもうれしく楽しかったです。

 そもそもは、4/7に西正寺で実施した「ふるまい市」からのつながりなのですが、(ふるまい市について書いていない!汗) 「ふるまい」という行為について、かなり可能性を感じる経験にもなりました。

 いやー。たのしかった。

 所感としては
 ・「ふるまい」という行為にはかなり可能性がある。
 ・「甘茶」はけっこう喜んで飲んでもらえる。
 ・エプロン、テーブルクロスなどのしつらえは大事。
 ・さらに、視認性がたかまったり、「店感」や「屋台感」を演出することも可能。
 ・スタンディングというのがよいのかもしれない。イスや、ベンチは不要。
  あるとしても、そもそも備え付けのものを使うべきだけれど、そこからすこし距離を取っていた方がいい。
 
 みたいなことを思いました。

 
 

2019年5月23日木曜日

190520_おいしいカレーを作るのだ(試食会編)

カリー寺の企画です。
先週実施したカレーの試作会。
https://ryogo1977.blogspot.com/2019/05/190513.html

今週は、そのカレーをカリー寺メンバーで試食するという日になりました。

19:00~21:00まで、月例のカリー寺ミーティング。
司会初めての「しっしー」さんが、事前の準備も含めて見事な進行。
たくさんある議題を、さくさくっと、しかも具体的に結論の見える形で進めてくれました。(ありがとうございます)

チラシのデザインもできあがりつつあります。今年のカリー寺も、あと2ヶ月近くなり、いよいよ、開催の雰囲気も盛り上がってきました。

21:00 ミーティング終了後。
事前にカレーを作ってくれた「しゃく」さんはじめ、みなさんが準備してカレーの試食会。事前の申し込みを大幅に超える20数名が参加。(みなさん、ちゃんと参加申し込みのリアクションしましょう。笑)

わいのわいのいいながら、カレーを楽しみ、みんなでオリジナルカレーの方向性を確認しました。 最後までのこってアレコレ話していた人は12時過ぎまで。

カリー寺のイベントだけではなく、それぞれが抱えているいろいろな出来事もカレーがいろいろな具を煮込んで味わいを増すように、お寺という場の味わいや、再来月にやってくるカリー寺というイベントの味わいも、深みを増してくれているように思う夜でした。

今年のカリー寺は、2019年7月28日です。おたのしみに。
(フェイスブックのイベントページも開設されています)
https://www.facebook.com/events/2242850922631455/


190520_西正寺 親鸞聖人降誕会法要

2019年5月20日(月) 自坊西正寺で、宗祖・親鸞聖人の降誕会法要をお勤めしました。
親鸞聖人は、承安3年(1173年)5月21日(旧暦 4月1日)に誕生されたとされ、浄土真宗本願寺派では、5月21日を親鸞聖人降誕会としてお祝いの行事を開催しています。
 西正寺では、今年は5月20日に、門信徒のみなさんとお経と法話を中心としたお祝いの法要をお勤めしました。
 
 勤行は正信念仏偈、御法話は、京都市から大塚茜先生にお越しいただき「苦しみが和らぐとき」というお題でお話をいただきました。
 大塚先生が取り組まれている東日本大震災の被災地(被災者)支援の取り組みから、被災された人の悲歎、苦しみの現場、そして支援している支援者側が抱える苦しみやつらさをご紹介いただきながらのお話を頂きました。

 印象的であったのは、現実的な状況が変わることよりも、家族や、周りの人がその人の抱えている思い、あるいは人知れずがんばっていることを、受け止め、受けいれ、理解することで、苦しみが和らぎ、心が救われ、行動や関係が変わっていくことがある、ということをご紹介いただいたことでした。

 親鸞聖人の生涯を大学等で講義するのですが、親鸞聖人という方も決して「思い通り」の人生を歩んだ方ではないのだなぁと思っていて、そのような側面を紹介しています。
 9歳から20年間修行に明け暮れた日々は、達成されて悟りにいたったのではなく、むしろ逆に、挫折の経験として比叡山を下りることになります。この人こそと慕った師匠の法然上人とは、国からの弾圧によって還俗・流罪されることによって別離を余儀なくされます。42歳から関東で伝えた教えをつたえたけれども、誤った理解や風説によって混乱が生じ、更に門弟を混乱させる結果を招いた息子・善鸞さんとは晩年に親子の縁を切るというできごともあります。
 90歳という長寿を得たということはうらやましく思われることかもしれませんが、平穏や、幸せということがらはあまり語られない、波瀾万丈な生涯ということのほうがふさわしい人かも知れません。

 そういう意味では、親鸞聖人は人生を念仏によって、仏教によって「思い通りに」「平穏に」生きたのではなく、むしろ、思い通りに生きられない、苦しみや悲歎の多い人生を、つねにざわつく心を抱えた自分自身のあり方を引き受けながら、念仏とともに生きたかたといえるのではないかと思っています。

 思い通りにではなく、思い通りにならない人生をどのように生きるのか。
 仏教のテーマは、幸せに生きる方法ではなく、苦しみを抱えざるをえない人生をどのように引き受けるのか、そんなところにあるように思っています。

 

 

2019年5月20日月曜日

190518_浄土宗應典院さまの「ともいき堂」竣工記念法要

2019年5月18日土曜。
 午前中のお寺の法務(お参り)を終えてから、大阪・下寺町の浄土宗應典院さまへ。お招きいただいていた「ともいき堂」の竣工記念法要に参加しました。

 遅参したため法要自体には間に合いませんでしたが、法要後のご挨拶と記念撮影には立ち会うことができました。

その後、行事は会場を大蓮寺客殿に移して、大蓮寺/應典院・秋田光彦ご住職と、桃山学院大学の白波瀬達也先生の対談がありました。

 秋田住職の「ともいき堂」や一連の葬送/終活関連の取り組みや思いについては、何度か拝聴する機会をいただいていましたが、そのたびに刺激をいただくお話です。葬送をしっかりと、福祉・コミュニティ・社会保障・宗教の枠内で捉えて、デザイン/仕組みもふくめて行う。今回の講演が実施されたようにそれらをきちんとアカデミックな文脈に載せて理論的にも語ることばをしっかりと持ちながら実施されていく。それを含めた、應典院流というか、秋田光彦住職一流のスタンスがしっかりと根っこにあってのプロジェクトなのだということをひしひしと感じました。語られる言葉にも、何度聞いてもブレがなく、信念に裏付けられた力強さがあります。

 秋田住職と白波瀬先生のクロストークでは、近年の寺院・僧侶における社会活動について語られました。社会やコミュニティの変化、寺と檀家の関係性や意識の変化による、寺・僧侶の危機感、あるいは世代による感覚や危機感に基づくもの、またインターネット、SNSの活用によっておこされるブレイクスルー的なあり方といった説明は、非常に明解で示唆に富むものでした。

 会の終盤、秋田住職からご指名いただき、コメントする機会をいただきましたが、とっさのことでもあったので、果たして場に対してどれだけ適切だったのかは心許なくおもいます。ただ、そのなかで言及した「お寺を使う/お寺に使われる」ということについて、白波瀬先生からは、「お寺を気軽に使うことが、お寺との関わりの糸口、接点としては重要である」というフィードバックをいただきました。
 お寺に対して「気軽に使える・日常的に関われる」ということが、お寺との接点や、関係性の入口になることは、実はとても自分自身が意識していることでもあります。それが無条件ではなく、なにがその先にあるのかといったときに「お寺を使う」私が、「お寺によって動かされる」私になっていく(お寺や、自分自身の課題に「使われる」私になっていく)という、ある種の主客の転倒が起こっていくような瞬間があり、そこにある種の宗教性もあるのではないかと思ってます。それが、すっと受け止められていく言葉として語るために、表現や説明の仕方を考える必要があるのかもしれないと思いました。

 散会後は、その場に居合わせた参加者のみなさん同士の名刺交換やあいさつの場になり、何人かの初めてお目にかかる方とご挨拶をさせていただきました。 




2019年5月14日火曜日

190513_おいしいカレーをつくるのだ


 5月13日。夜の19時をまわった時間から、お寺にカリー寺の一部メンバーが集まり始めました。 この日行われていたのは、「カレーの開発」。
 今年の企画の一つとして、お店屋さんのカレーだけではなく、カリー寺メンバーでもカレー作ってみようということになり、オリジナルな美味しい、独特のスパイシーカレーの開発を始めていました。

 ということで、わいわい、いいながら、カレーの製作。
 カリー寺住職は、会場を開いて、必要な食器や、あれこれをあわあわとみなさんに持ってくるというのが大きなお仕事でした。(笑)

 どうもみなさんの中では、夜の19時からあつまって、ちゃんと仕上がるのか?という疑問もあったようですが、チームワークとかメンバーのセンスとかで、「これいいやん!」というカレーがちゃんと仕上がりました!!!(すごい)

 で、またわいのわいのいいながら、カレーを試食したり、お酒(ビール)を飲んだりしながら、アイデアの膨らましや、たんなる雑談を展開。
 最後のメンバーは、12時を過ぎて帰って行きました。

 市外から来たメンバー、あるいは今週すでに2~3回顔を合わしているメンバーがいたり…。
お寺に頻繁に足を運んでくれる人が増えたこと。
夜中の12時をすぎてお寺でたのしんで過ごしてくれる人がいること。
企画やアイデアがどんどんと膨らむ場所になっていること。

メンバーが足を運んでくれるたびに、
お寺に滞在してくれるたびに、
お寺の可能性がどんどんとひろがっているように思える時間でもありました。


今年のカリー寺は、7月28日の日曜日!。
企画も準備もどんどんとすすんでいます。 どうぞおたのしみに!


190512_おてらのそうじ(5)


昨年12月から月一ペースで開催している「おてらのそうじ」。
小学校の時に同級生のお寺の娘さんとお寺の掃除をしたという思い出をもっている、よしおかさんが、近所に引っ越してきて「お寺掃除したいんですけど」との打診があったことからはじまったこのイベント。順調に5回目。

今回は8名で、伸び始めたお寺の駐車場の草引きをしました。

次第は次のとおり。
7:00集合
 寝坊して慌てて準備。ばたばたとお米を研いだり、お参りの準備をしたり。
 7:00からお勤めをするも、起き抜けであんまりちゃんと声が出なかったという反省。

7:10 体操と自己紹介。
 今回は、初めての参加者が4名。

8:00まで 掃除 駐車場の草抜き。

その後、準備をして、みなさんと朝食。
天気もよく、先月に続いて本堂の縁に机を出していただきました。
以前のイベントで頂いた高知の美味しいお米「天空の郷」とお味噌汁(インスタント)。
それからそれぞれがもちよってくださったご飯のお供といっしょに。

9時すぎに、順次解散。
気持ちの良いスタートの休日になりました。

来月は、6/23(日)7:00から開催の予定です。





2019年5月7日火曜日

190506_休日の行き先に「お寺」が選択肢となること



GW連休最後の祝日。
お寺に一組の家族が、遊びに来てくれました。
(石畳に落書きしに笑)
なんのイベントもない、ただの祝日の行き先に、地域のお寺が(自然と)選択肢になる。個人的には、これは結構すごいことだと思ってます。
本来のお寺の姿は、もしかしたらこういうものだったのかもしれません。こういうありかたを望んでいたのかもしれません。
本来的なあり方がもどってきた。たとえるなら、庄下川に、魚が戻ってきた!というような感動。(尼崎の川です)

2019年5月4日土曜日

190503_タイのおぼうさまと看取りについてのお話

2019年5月3日(金)
13:00~16:00
「逝き方から生き方を創るwithおぼうさん」(https://peatix.com/event/655938/view)というイベントが西正寺で開催されました。


こちらは、タイで活動をされている古山裕基さん、浦崎雅代さんのお二人が企画・持ち込みをくださった企画です。普段お住まいのタイから3名の僧侶と2名のメーチーさん、それから数名の同行の方とお越しになり、お話をくださいました。

第一部は古山さんからご自身のお母様の看取りの経験とタイでの散骨のについて
第二部はゲストのお二人のタイのおぼうさまからお話。
 それぞれ、ご自身のおばあさまの看取り、それからお二人共通の師匠の看取りの様子についてお話いただきました。
休憩をはさんで第三部。
そこでは、私が聞き手になって、お二人のお坊さまに質問をしました。
・日本の僧侶についてどのように思いますか?
・「死」、「死苦」をどのように超えていくのか。
・病院や、その他の場所で「死の恐怖」や「死苦」を抱えている人にどのように接するのか、関わるのか、をお尋ねしました。
 会場からの質問をいただいたなかには、ご自身の看取りの経験と後悔にどのようにむきあえばいいか?というものなどがありました。
そののち、参加者同士のみなさんで、小グループになって20分ほど話しあい、
最後に共有と、登壇者から一言ずつをいただき、散会となりました。

 会場には、40名を超える参加者があり、主催者とタイからのメンバーを含めると、60名近くの人たちと時間をすごしました。
 
 印象的だったことは、やはり僧院で修行されているお坊さまが持つ雰囲気と、言葉の力。はずかしながら、同じ僧侶とは思えないような、雰囲気と言葉の力がありました。

 イベント時、それからその前後でお話のなかで、タイのお坊さまたちと「人に接すること」「人の苦しみに接すること」についてお話をする時間がありました。そこでは日本では、「ケア」や「傾聴」といわれるような姿勢と共通するものが多くあったことも印象的でした。
 僧院で説き、修行を重ねていく上で語られるような「死を恐れてはいけない、恐くないよ」とか、「とらわれを手放しなさい」ということは決して言ってはいけない。そうではなく、その人の気持ちや、感情をありのままを聞くのだ。その人そのままを受容していくような態度をもって接するべきだと語られていたことがとても印象的でした。

 より深く聞いてみると、そういった「傾聴」のようなアプローチについては、僧侶のなかでも、そのような研修やトレーニングを受ける機会があるとのことでした。ただ、適性のある方や、そういった研修を受ける機会のない僧侶もいるそうで、必ずしも全ての僧侶が、そのようにケアや傾聴、苦悩や悲歎の向き合いができるわけではないというのも、共通するようなものを感じました。

 実は開催前は、日本の仏教のお坊さんは・・・と堕落のようなところで叱られるのではないかという心配もどこかで感じていたのですが、そういった比べたり、批判したりということをされる態度はまったくなく、日本のお寺に大変敬意をはらってくださり、また大変やさしい語り口で、みなさんにいろいろとかたられていたことも印象的でした。

おかげでたいへん良い一日でした。
ありがとうございました。




 
 

2019年5月1日水曜日

190429_東京二日目、池袋にて

宿を池袋に取った。
いつも豊島区に泊まるということ、そして宿代が安かったのももちろんある。
しかしネットで探しているときに、今回は池袋にしようと思った。

朝、目がさめて身支度をととのえる。チェックアウトし、その理由の場所に向かった。
先日、東池袋であった事故の現場だ。
献花台が設置されて、多くの人が花を手向けているというニュース、
あの事故に多くの人が心を揺さぶられ、具体的な行動を促されているという話に接したことを思い出し、このタイミングで東京にいるならばと、足を運ぶことにした。

移動の途中、東池袋近くのイオン系のコンビニの店先に、お供え用の華が販売されていたのでそれを購入した。もしお花屋さんでもあれば、買おうとおもっていたところだったので、これ幸いという形だった。事故があったから販売されているのか、いつも置かれているものなのかは、わからない。

地下鉄の東池袋近くでの工事現場の人に、場所を聞き、事故現場・献花台に到着。
手にしていた花を供えた。
すでに、多くの花、そしてペットボトルのお茶やジュースが大量に供えられていた。
お菓子やパン、かわいいぬいぐるみも供えられている。
その場所、そして事故に対するたくさんの思いが見える形でその場にあった。

その場に行き、花を手向け、手を合わせたが、それでは何かが足りない気がした。
そのまま、そこを立ち去るには何かが足りない気がして、そこをもうすこし見届けようと思った。ここで起こることを目にしておきたいような思いがした。

そこで、献花台近くの花壇のへりに腰掛けて、そこの献花台とその周りの様子を観察することにした。30分はそこにいようとおもった。

まもなく、出勤途中の男性がやってきて、ペットボトルを供えて立ち去った。
さらに自転車に乗って信号を渡って来たおかあさんと幼児が、自転車を降りて、献花台にしゃがみ込んで合掌していった。様子からすると、お友だちなのかも知れない、という想像すらさせる。
とおりすがりに、献花台に目線をおくる人は多い。車の中でも、信号まちの途中でこの場所のことが話題にあがってるような感じの様子が何台もあった。

1分と開くことなく、その場所を訪れ、なにかを行っていく人がいる。
その場所に気持ちを向けたり、その場所にこころを動かされる人が常にあらわれ続ける、そんな場所だったことを強く感じる時間でもあった。

じっと一つの場所をみること、
そこで起こることに目を向け、心を凝らすこと。
普段、慌ただしく動き続けるなかで、大事なことを見おとしたり、わすれたりしているのかもしれないとも思うような時間でもあった。


2019年4月29日月曜日

190428 東京レインボープライド2019(1日目)

 4月28日。スケジュールの都合がついたので、東京レインボープライドに参加した 
 お参りを終えて、当日の午後に翌日の予定と、イベントの予定を確認して、えいっと決めて東京に身一つで向かったような参加の仕方。それも楽しい。

 会場に向かう道中から、すれ違う人たち――おそらく会場から駅に向かう個人、カップル、家族、グループ それぞれが多様なあり方を象徴しているように感じられて、「多様なあり方」を象徴するかのようなイベントにいま向かっているのだということを感じた。


 会場に入ったのはすでに夕刻(17時過ぎ)だったが、ちょうどパレードが会場に帰ってくる時間でもあって、とても賑わっていた(しかし、知人に聞いたところでは、ピークの状態ではもっとすごかったらしい)

 誰もがしる大企業が大がかりなブースや仕掛けをだしていたり、ライブ・パフォーマンスがステージと大画面で映し出されていたりで、フェスの雰囲気でとても楽しい。

 会場がひろく、全体の配置やどこになにがわからずうろうろとしてしまう。電話で連絡をとってなんとか龍大のブースに到着。そこから、知人何人かと顔をあわせることもでき、知人を紹介してもらったり、あいさつを重ねたりしながら、その場の雰囲気を楽しむ。
 
 ちょっと会場を歩くだけでも、いろいろな人がいる。いろどりや、装い、あるいは生き方がさまざまであることを、ただ歩きすれ違うだけで感じる。

 もしかすると、人によっては、受けいれがたいとおもうことがらや、ありかたもあるかもしれない。しかし、それらが「机上」や「空想」ではなく、いま目の前に一人の人のあり方として現前にある。だれかに受けいれてもらう、もらわないという問題ではなく、「あり方」としてすでにある、いるということが、現に示されているようにも思われた。


 人と顔を合わせ、あいさつを重ねることも楽しい。
 その場にいる多くのひとが、久しぶりに会うひととあいさつをし、言葉を交わしているようでもあった。全国に散らばる知人と顔を合わせる場であったり、再会を果たし、再会する約束を重ねる場となっている。人と会い、人とつながる場としても大いに機能しているような思いがした。

 まだ、言語化できるまでに至っていないこともあるけれど、あの場に身を置いてみることで感じられることが少なからずあった。
 


 

2019年4月15日月曜日

あれこれありました

ここ2~3週間、いろいろと西正寺での行事、他所で自分自身が主催する行事がたくさんあった。

3/30(土) テラハ
3/31(日) 大江戸ブギウギ
4/3(水)
  コミュニティナースから展開する可能性を考える その1
   ~コミュニティナース矢田明子さん講演会プレ・イベント
4/6(土) はなまつり
4/7(日) ふるまい市場
4/12(金)普通を語ろう@蓬莱湯
4/14(日)第十五回西正寺寄席

本当は、それぞれにレビューを書きたいところだけれど、とりいそぎ、一言メモを残しておきたい。



2019年4月1日月曜日

190331_大江戸ブギウギが実施されました。

2019年3月31日(日)
大江戸ブギウギという行事が西正寺で開催されました。

半年ほど前から、尼崎市内の着物の染色の職人である「くろゆか」さんと、そのおばあさまがされている着物の着付け教室「まるひめ着物学院」が中心になって企画・準備をされてきたイベントです。
とある経緯から相談をもちかけられ、西正寺を会場としてお引き受けすると共に、実行委員にも入りながら関わってきたイベントです。

個人的には、規模や大きさと、自分主催ではないということの兼ね合いに少し難しさを感じていた行事でもありました。終わってみると、そういった部分に個人的な課題や反省を多々感じるところがありましたが、実行委員のみなさんの表情や様子や言葉、出演・出店してくださったみなさん、参加したみなさんの様子を見ていて、いい一日だなぁと感じながら過ごした時間でもありました。

詳細に一々のべることはできませんが、以下に概要と思いを残しておきたいとおもいます。※当日のコンテンツについては、この投稿の末尾に列挙しておきます。
参加者としては、約250名ほどの来場がありました。出店者、スタッフを含めると、当日は300名以上の人と西正寺で過ごすことができたということになります。

本堂で行われた出演者のみなさんの演目のすばらしさはもちろんのことながら、それぞれが、お寺の本堂であるということの意味をとても大事にしてくださり、お寺であること、仏さまの前であることに、とても配慮し、敬意をはらってくださっていたことが感じられました。そのことは、お寺の者(僧侶)として大変うれしいことでしたし、そのことがまたパフォーマンスをふくめたその場の時間をとても豊かにしてくれているように感じられるものでした。

境内では、伝統や地域に関わるいろいろな出店がありました。
武庫川で取れた魚をつかった「フィッシュアンドチップス」や、尼崎の歴史にまつわるお菓子、その場でつくってくれる「飴細工」、銭湯にまつわるグッズ販売。金継ぎ、染色、和風なデザインに関するワークショップ等等。

主催のくろゆかさんと、まるひめ着物学院(http://www.maruhime-kimono.com/index.html)さんが中心となって展開された「ファッションショー」は午前・午後と2回にわたって行われました。それぞれ着物にまつわる思いや、それぞれの物語りが紹介されながら、ランウェイに見立てた本堂に敷かれた赤い毛氈の上を、多くの人に見守られながられていました。
みなさんそれぞれが、思い思いの希望に沿った着物をきて、うれしそうに、楽しそうに歩き、披露されているのが印象的でした。
また、それを見ている皆さんの表情や様子を含めて、とてもすばらしい時間であったように思いました。

最後には、ファッションショーに出演された方、関わった方の記念撮影がありましたが、その様子を端で見ながら、ぐっとくるものがありました。
「とても素敵な着物をきて、ファッションショーという舞台に上がったこと、おそらくいい思い出として、ここにいるみなさんの思い出になって残ってくれるのではないだろうか。見守った側の人たちにも、とても印象的な一日になったのではないだろうか」そんなことが頭のなかによぎっていました。お寺がそこにいたみなさんにとって素敵な時間を過ごす場であったこと、将来この日が思い出話としておそらく語られるであろうことを想像すると、グッとくるものがあったのです。

着物、伝統芸能、職人の技、お寺や僧侶というだけではつながれない多様な人たちがお寺につどい、参加してくださったみなさんと、他では経験しがたいよろこびと楽しみが起こったこの時間が紡がれたこと。僕には絶対できないことが、自分があずかっているお寺でおこっている、ということで経験できたような感慨でした。

企画を持ち込み、一身に背負ってこれを実現してくださったくろゆかさんと、それに関わり、主催者とイベントを支えてくださった実行委員、当日メンバーのみなさんの関わりに、そして参加して下さったみなさん、理解、協力をいただいた御門徒・地域のみなさんに感謝しています。

おかげさまで、いい1日でした!











イベント終了後、打ち上げ前の記念撮影!


◆【当日のコンテンツ一覧】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当日の内容
本堂でのコンテンツは、以下のようなものでした。
10:30 【津軽三味線バンド】 ture-zure 生演奏コンサート
11:15 【書家】後藤浩戸 書道パフォーマンス
12:00   【和服】まるひめ着物学院 着物ファッションショー (前半)
12:45 【落語】関西学院大学 寄席
13:30 【花人】武田優恵 生け花パフォーマンス
14:15   【伊勢型紙職人】木村淳史 トークショー
15:00 【和服】まるひめ着物学院 着物ファッションショー(後半)

また境内では、飲食・物販・ワークショップの出店がありました。
【飲食】フィッシュアンドチップス(未来工房)/和菓子屋(育成調理師専門学校)/
飴細工(辰友堂)/大江戸団子〜ひとときの休息〜(尼崎ENGAWA化計画インターン)
/飲みもの

【物販】漆モノ販売(漆モノNUKU)/新しい和デザインもの販売(デザインオフィスWA-plus)/てぬぐい・銭湯グッズ物販(尼崎温泉郷)

【ワークショップ】金継ぎでつくるアクセサリー体験(漆モノNUKU)/ロウケツ染め体験(染色工房クロマル)
【パフォーマンス】南京玉すだれ






2019年3月7日木曜日

190307_恩師法事十三回忌に思い出すあれこれ

2019年3月7日
今日は、大学・大学院と指導いただいた恩師O先生の、十三回忌の法事に出席するために、和歌山にきました。


 朝起きてから、移動の節々で、学生・大学院生時代を思い出したり、先生の思い出を振り返ったりしながらの移動になりました。
 先生の御自坊には、時間通りにみなさんあつまっていらっしゃいました。今回お参りされた方達は30数名ほど。先生のゼミの門下生と、先生が地元和歌山で開催されていた勉強会のメンバーの方たちでした。

  本堂で『阿弥陀経』をお勤めし、先生の門下生の先輩で、先生の著述編集のお手伝いもされた山口のI先生の御法話。その後、会場を移してお斎をいただき、それぞれに思い出話やスピーチなど。食事を終えたあと、近しい先輩数名と和歌山駅前で、「もう一軒」と飲食をして、帰途につきました。


思えば、僕はまじめに一生懸命勉強したり、先生に付き従うというタイプの学生ではありませんでした。思い出話でときどきお話しするのですが、学部3回生の時に、ゼミコンで、O先生にお酒をついで頂きながら、いただいた最初の言葉は、「君、よう寝てるなぁ」でした。(ごめんなさい)。
 とても、小さくなって、その言葉を承ったのを覚えています。笑

 大学院に入ってからは、先生の独特な自説を果たしてどのように受け止めたものかと、あえて逆の主張や、それ以外の学説を提示した資料を集めて、先生に質問やディスカッションを求めるような感じでゼミに臨んでいたように思います。
  しかし、先生は笑いながらも、ある意味真っ正面から受け止めて、ボールを、あるいは僕自身を投げ返すようなやりとりを続けてくださっていたように思います。今思うと、「教わる」というより、先生とやりとりをする中で、育てていただいていたような学生生活だったのかも知れません。
 
 先生とお話ししたことや、教えとして頂いた言葉は、今日の法事やお斎の席、あるいは和歌山の街並み(最期のゼミ合宿が和歌山でありました)をみながら、あれこれと尽きることなく思い出されてきました。

 今日の法事のお斎の席でも、スピーチの時間をいただいたときに紹介したエピソードがあります。博士課程に進学して1年目。韓国であった印度学仏教学会に発表を申し込み、その発表に関する指導を先生にいただいた時のことです。
 発表内容を見て先生がくださった言葉が、「友だちを作ってこい」というものでした。発表がどうだとか、成果がどうだというのではなく、「友だちをつくってきたらいいねん」とおっしゃいました。当時の僕は、なにをおっしゃっているのか、よくわからずに、「は、はい」というような返事をしたように思います。

 その当時は、どういうことかわからなかったその言葉は、ある時から、少しずつその意味が分かるような気がするものになっていきました。
 
 実際にその学会で発表することによって知り合った研究者の方たち、あるいはその後の学会で知り合った方たちとの交流は、自分の研究のあり方や視点のあり方に大きな刺激や影響を与え続けてくれる方たちになっていました。
 つい先日も、宗派を超えてさせていただいた仕事も、学会での研究発表を通じて知り合い、交流をしていたつながりから展開したものでした。

 仏教研究をすること、学び、仕事をすることにおいて、もしかすると先生から頂いた言葉は、最も本質的で、核心的なものであったのではないかとさえ思えています。自分自身が研鑽し、蓄積を重ねることはもちろん大事なことだと思います。しかし、思い返すと、それ自体のモチベーションとなるもの、あるいは積み上げたものを見返し、その意味を問い直す視点は、自分と異なる誰かを想定することによって、新たな意味や視点を見出すきっかけになるように思います。それは具体的に出会った研究者仲間であり、友人たちであるように。

 最近は、すこし研究というフィールドから遠ざかってしまったように思いますが、それでもなお、恩師O先生から頂いた言葉は、思い返すことに新鮮な響きと、味わいがひろがるような感覚で、自分の中にあるように思います。

あらためて、今日という日に恩師を思い出す機会をいただけたことに、つれづれと思うがままに。

 







 

2019年2月27日水曜日

僧侶でしかないので


おそらくネットでしか、僕のことを知らないであろう人に、
なにをめざしているのか、どうなりたいのか、わかんないよって言われたんですが、僕もわかりません。笑(おそらくニュアンスは批判的なそれだったと思うのですが)

僕は、尼崎にいる一人の「お坊さん」であり、仏教研究をしてきた人間である、という思いはあります。その名と名乗りに見あうように近づきたいという思いはありますが、それ以外のなにかになろうとか、名のりを得ようという思いはないのだなあと思います。(その問いをもらって明確に言語化できたように思います)

セクシュアリティの多様性にも関心を向けています。地域の福祉や、身心の「しょうがい」や、国際的な課題にも関心をもち、関わることが増えてきました。ただ、それは友人が取り組んでいるテーマであったり、課題であったりすることのお手伝いや、なにか助けができればという思いであって、僕自身はその専門家や活動家ではないし、なりたいとおもっているわけではありません。


学校の先生が、「障がい」や「福祉」について語ってもその専門家ではなく「学校の先生」であるように、
企業で「人権」や「憲法」についての研修会や行事を開催してもその専門家や活動家といわれることがなく、「会社員」や、その職の「職員」であるように。
お寺でいろいろなことをしている(と言われる)けれども、
これは、僕は地域の僧侶として、あるいは仏教研究に関わっているものとして、宗教者の実践に関心を向けてそのあり方を模索している者として、「できること」「やりたいこと」をやっているにすぎないと思っています。

 むしろある意味で、僕は(もちろん自分の行為や発言・活動に対しての責任を引き受けながら)ある種の素人や門外漢としてそこにかかわることの意味もあるだろうとも思ってはいます。もし僕のしていることや関心をむけていることが、「専門家」や「活動家」だけの領域にとどまるのならば、その思いや理念、問題意識は、限定的に共有されるものにしかならないだろうから。

 (心ある)専門家や専門の活動家の邪魔をしない範囲で、素人でお手伝いできること、あるいは自分の立場でできることを見つけながら関与していくこと、専門家でもないにも関わらず「お寺」だから、「僧侶」だからできることが少なからずあるのではないかという思いはもっています。

 だから僕はいまのところは「西正寺の僧侶」という名乗りをするし、専門的に研究したことは「中国の浄土教思想」という分野であると思っているし、知りたい学びたいとおもって関心を向けているのは(狭い意味では)「宗教者の社会における実践・活動のありかた」であって、それ以外のことではないと思っています。その枠が拡がっていくさきに、さまざまなことがつながっていっているのだろうとおもっています。

2019年2月25日月曜日

190224_ひとまちてらこやvol.03 尼崎城盛り上げ隊(あまが咲さん)とインバウンドのおもてなしについて考えよう~ムスリマのリカさん篇


2月24日日曜日の19時から「ひとまちてらこやvol.03 尼崎城盛り上げ隊(あまが咲さん)とインバウンドのおもてなしについて考えよう~ムスリマのリカさん篇」を開催しました。

昨年あたりから、尼崎地域で活動をされている「尼崎城盛り上げ隊」のあまが咲さんと、その友人のイスラム教徒であるガフール・里歌さんがお話にきてくださいました。

当日は、10名の参加者。主催と話し手を加えて13名で場をもちました。
参加者のみなさんの自己紹介と参加動機を聞いていくと、

・「尼崎城盛り上げ隊」やインバウンドに関心がある方、
・主催、講師のつながり、疑問
・尼崎、尼崎城への関心
・あまが咲への関心

等、多様な思いや期待であつまってくださっていました。


最初、尼崎城盛り上げ隊の活動と「あまが咲」さんについて、あまが咲さんから紹介とお話がありました。尼崎城ができるということを聞いて、それおもしろいやんと、盛り上げにできることを考えた結果、「本名」を消し、「尼崎城盛り上げ隊」を結成。それらがすべて、深遠な計画にもとづいたものであるとか、ないとか・・・。

ただ、尼崎城関連の取り組みの中で、外国からの観光客を誘致し、楽しんでもらう際に、大手の業者や、関連団体によって実際に行われた取り組みにさまざまな課題があることを感じたそうです。そこで、今回友人でもあるイスラム教信者のガフール・里歌さんをお連れ下さり、イスラムの信仰、文化、生活についてお話してもらおうと思ったという経緯が紹介されました。






「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...