2019年5月4日土曜日

190503_タイのおぼうさまと看取りについてのお話

2019年5月3日(金)
13:00~16:00
「逝き方から生き方を創るwithおぼうさん」(https://peatix.com/event/655938/view)というイベントが西正寺で開催されました。


こちらは、タイで活動をされている古山裕基さん、浦崎雅代さんのお二人が企画・持ち込みをくださった企画です。普段お住まいのタイから3名の僧侶と2名のメーチーさん、それから数名の同行の方とお越しになり、お話をくださいました。

第一部は古山さんからご自身のお母様の看取りの経験とタイでの散骨のについて
第二部はゲストのお二人のタイのおぼうさまからお話。
 それぞれ、ご自身のおばあさまの看取り、それからお二人共通の師匠の看取りの様子についてお話いただきました。
休憩をはさんで第三部。
そこでは、私が聞き手になって、お二人のお坊さまに質問をしました。
・日本の僧侶についてどのように思いますか?
・「死」、「死苦」をどのように超えていくのか。
・病院や、その他の場所で「死の恐怖」や「死苦」を抱えている人にどのように接するのか、関わるのか、をお尋ねしました。
 会場からの質問をいただいたなかには、ご自身の看取りの経験と後悔にどのようにむきあえばいいか?というものなどがありました。
そののち、参加者同士のみなさんで、小グループになって20分ほど話しあい、
最後に共有と、登壇者から一言ずつをいただき、散会となりました。

 会場には、40名を超える参加者があり、主催者とタイからのメンバーを含めると、60名近くの人たちと時間をすごしました。
 
 印象的だったことは、やはり僧院で修行されているお坊さまが持つ雰囲気と、言葉の力。はずかしながら、同じ僧侶とは思えないような、雰囲気と言葉の力がありました。

 イベント時、それからその前後でお話のなかで、タイのお坊さまたちと「人に接すること」「人の苦しみに接すること」についてお話をする時間がありました。そこでは日本では、「ケア」や「傾聴」といわれるような姿勢と共通するものが多くあったことも印象的でした。
 僧院で説き、修行を重ねていく上で語られるような「死を恐れてはいけない、恐くないよ」とか、「とらわれを手放しなさい」ということは決して言ってはいけない。そうではなく、その人の気持ちや、感情をありのままを聞くのだ。その人そのままを受容していくような態度をもって接するべきだと語られていたことがとても印象的でした。

 より深く聞いてみると、そういった「傾聴」のようなアプローチについては、僧侶のなかでも、そのような研修やトレーニングを受ける機会があるとのことでした。ただ、適性のある方や、そういった研修を受ける機会のない僧侶もいるそうで、必ずしも全ての僧侶が、そのようにケアや傾聴、苦悩や悲歎の向き合いができるわけではないというのも、共通するようなものを感じました。

 実は開催前は、日本の仏教のお坊さんは・・・と堕落のようなところで叱られるのではないかという心配もどこかで感じていたのですが、そういった比べたり、批判したりということをされる態度はまったくなく、日本のお寺に大変敬意をはらってくださり、また大変やさしい語り口で、みなさんにいろいろとかたられていたことも印象的でした。

おかげでたいへん良い一日でした。
ありがとうございました。




 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿

「宗教」・「カルト」を扱う講義をするので

今日の龍谷大学文学部で担当している「伝道学特殊講義」(学部3・4回生対象)は、講義で指定しているテキスト 『基礎ゼミ宗教学(第2版)』 。今回は、第9章の「カルト問題」にどう向き合うか?―カルト、偽装勧誘、マインド・コントロール」を扱う予定。  数年前に大阪大学が、大学としてのカ...