親鸞聖人は、承安3年(1173年)5月21日(旧暦 4月1日)に誕生されたとされ、浄土真宗本願寺派では、5月21日を親鸞聖人降誕会としてお祝いの行事を開催しています。
西正寺では、今年は5月20日に、門信徒のみなさんとお経と法話を中心としたお祝いの法要をお勤めしました。
勤行は正信念仏偈、御法話は、京都市から大塚茜先生にお越しいただき「苦しみが和らぐとき」というお題でお話をいただきました。
大塚先生が取り組まれている東日本大震災の被災地(被災者)支援の取り組みから、被災された人の悲歎、苦しみの現場、そして支援している支援者側が抱える苦しみやつらさをご紹介いただきながらのお話を頂きました。
印象的であったのは、現実的な状況が変わることよりも、家族や、周りの人がその人の抱えている思い、あるいは人知れずがんばっていることを、受け止め、受けいれ、理解することで、苦しみが和らぎ、心が救われ、行動や関係が変わっていくことがある、ということをご紹介いただいたことでした。
親鸞聖人の生涯を大学等で講義するのですが、親鸞聖人という方も決して「思い通り」の人生を歩んだ方ではないのだなぁと思っていて、そのような側面を紹介しています。
9歳から20年間修行に明け暮れた日々は、達成されて悟りにいたったのではなく、むしろ逆に、挫折の経験として比叡山を下りることになります。この人こそと慕った師匠の法然上人とは、国からの弾圧によって還俗・流罪されることによって別離を余儀なくされます。42歳から関東で伝えた教えをつたえたけれども、誤った理解や風説によって混乱が生じ、更に門弟を混乱させる結果を招いた息子・善鸞さんとは晩年に親子の縁を切るというできごともあります。
90歳という長寿を得たということはうらやましく思われることかもしれませんが、平穏や、幸せということがらはあまり語られない、波瀾万丈な生涯ということのほうがふさわしい人かも知れません。
そういう意味では、親鸞聖人は人生を念仏によって、仏教によって「思い通りに」「平穏に」生きたのではなく、むしろ、思い通りに生きられない、苦しみや悲歎の多い人生を、つねにざわつく心を抱えた自分自身のあり方を引き受けながら、念仏とともに生きたかたといえるのではないかと思っています。
思い通りにではなく、思い通りにならない人生をどのように生きるのか。
仏教のテーマは、幸せに生きる方法ではなく、苦しみを抱えざるをえない人生をどのように引き受けるのか、そんなところにあるように思っています。
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