2014年4月14日月曜日

「いっしょに頭をあらいましょ」

「いっしょに、あたまを あらいましょ」
「いっしょに からだを あらおうよ」


お風呂で、頭を洗うとき、体を洗うとき、
あらってもらうよりも、
自分の体は自分で洗い、お父さんはお父さんで洗って、
「一緒に、それぞれのからだを洗おう」という提案をしてくるようになった。

これと似たパターンは、
「いっしょに 本を よみましょ」 というもの。

自分は絵本を、お父さんは自分の本を読んで下さい、
「本を読む」という行為を、(それぞれがするということを)一緒にしたいらしい。


ただ、頭とからだを洗う仕上げは、親がやる。
また、靴を履くのと、ご飯を食べるのは、
まだ「履かせてよ」「ご飯食べさせて」と、おっしゃるのですが。


むすめのことば6

2014年4月8日火曜日

思い出を積み上げる

今回の西正寺寄席の場にいながら、ふと感じたこと。

「思い出を積み上げていく場所としてのお寺」であってもいいのではないかということ。


今回出演して下さった、桂三象師匠が、「三象踊り」なる、
他では見られない、そして、一度見たら決して忘れることができないであろう
爆笑芸を披露して下さった。

その大爆笑の中で、ふっと感じた。
ただ、ただ楽しく笑って過ごしたというだけの事かも知れないけれど、
少なくとも何人かにとっては、一つの思い出になってくれるのではないかということ。

今回の寄席は、来場してくださった人たちの中で、
一つの思い出になっていくんではないだろうか。

西正寺寄席に協力して下さっている(一緒にやってくださっているというべきか)
露の団姫さんは、今月出産予定で、出産間近でありながら、
「産休前最後の高座」ということで、出演して下さっていた。
それも、大変すごいことで、すごい場に立ち会ったように思う。

滅多に見れない爆笑芸をみたこと、
出産直前で高座に上がる落語家さんとその芸を見たこと、
ただ、ただ楽しい落語をお寺でみたということ、
横にいる誰かと、その場で出会いがあったということ、

この寄席の場では、想定していたこと以上がたくさん起きた。
目に見えること、目に見えないこともたくさんあるだろう。

今回の寄席は、心に残ることや、印象深いことがたくさんあったように思う。
こうやって、「思い出を積み上げられる「場」としてお寺がある」ということも、
お寺がここに建っている意味なのかも知れない。


同じ日の朝に「はなまつり」の行事をしたけれど、
それも参加した子どもたちやお母さんたちには、お寺という場所で経験した一つの思い出として残ってくれることもあるだろう。
今回の寄席も、ふとしたときに思い出したり、語りになったりする思い出になってくれるんではないだろうか。
「あの場所で・・・」という、語りの舞台になること。
そういう、思い出をこの場所「お寺」で積み上げていくような営みを続けることが、
お寺の存在を意味づけていくように思った。

そんなこんなで、こういう営みを続けていく、というのは
おそらく正しいのか、間違いなのかは、いうことはできないけれど、
無意味ではなかったなと、
自分のなかで、一つの気づきがあった一日でもありました。


流れの中で一日が過ぎる。

4月5日土曜日
西正寺のはなまつりと、西正寺寄席を開催しました。
はなまつりには、30人弱、西正寺寄席には約80人の人が来て下さいました。


会場の設営やら、片付けやら、
その他なんやかんやで、することはいっぱいあって、
朝起きてから、打ち上げをして家に帰るまで、

だ~~~~っと、

前日までに考えたことや、それを訂正したり、
準備不足だったことが露呈したりもあったりしますが、
とにかく一気に過ぎていく感じ。

でも充実してるのです。

毎日だったら、しんどいけど、こういう駆け抜ける感じの一日が
キライではないと思った、週末でした。

「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...