「思い出を積み上げていく場所としてのお寺」であってもいいのではないかということ。
今回出演して下さった、桂三象師匠が、「三象踊り」なる、
他では見られない、そして、一度見たら決して忘れることができないであろう
爆笑芸を披露して下さった。
その大爆笑の中で、ふっと感じた。
ただ、ただ楽しく笑って過ごしたというだけの事かも知れないけれど、
少なくとも何人かにとっては、一つの思い出になってくれるのではないかということ。
今回の寄席は、来場してくださった人たちの中で、
一つの思い出になっていくんではないだろうか。
西正寺寄席に協力して下さっている(一緒にやってくださっているというべきか)
露の団姫さんは、今月出産予定で、出産間近でありながら、
「産休前最後の高座」ということで、出演して下さっていた。
それも、大変すごいことで、すごい場に立ち会ったように思う。
滅多に見れない爆笑芸をみたこと、
出産直前で高座に上がる落語家さんとその芸を見たこと、
ただ、ただ楽しい落語をお寺でみたということ、
横にいる誰かと、その場で出会いがあったということ、
この寄席の場では、想定していたこと以上がたくさん起きた。
目に見えること、目に見えないこともたくさんあるだろう。
今回の寄席は、心に残ることや、印象深いことがたくさんあったように思う。
こうやって、「思い出を積み上げられる「場」としてお寺がある」ということも、
お寺がここに建っている意味なのかも知れない。
同じ日の朝に「はなまつり」の行事をしたけれど、
それも参加した子どもたちやお母さんたちには、お寺という場所で経験した一つの思い出として残ってくれることもあるだろう。
今回の寄席も、ふとしたときに思い出したり、語りになったりする思い出になってくれるんではないだろうか。
「あの場所で・・・」という、語りの舞台になること。
そういう、思い出をこの場所「お寺」で積み上げていくような営みを続けることが、
お寺の存在を意味づけていくように思った。
そんなこんなで、こういう営みを続けていく、というのは
おそらく正しいのか、間違いなのかは、いうことはできないけれど、
無意味ではなかったなと、
自分のなかで、一つの気づきがあった一日でもありました。
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