GASAKI BASE が往生(閉店)するのでお葬式をしたというハナシ。
記載が前後するが、これもとどめておきたいと思う出来事。
尼崎は戸ノ内にあったガサキベースが往生(閉店)した。
番頭(店主)の足立さんから、半年以上前だったと思うが、「4月に閉店するから葬式をしてほしい」という話をもらっていた。ほかならぬ足立さんの頼み。この数年間、足立さんからは、たくさんの刺激・インスパイアをもらった。
またそれ以上に大きく、かつ多くの足立さんの手にかかるものが尼崎の地には、生み出され、作り出されて、影響が与えられてきたように思う。地域に多数の足跡・傷あとを刻み込んだ足立さんの節目に立ち会えるというのは、光栄なこと。
※ 足立さんのインタビューや ガサキベースが紹介されているサイト
AMANISMよりOC vol.05 まちとつながるDIY 尼崎傾奇者集落とGASAKI BASEまちなかの「村」から発信する「ほんとうのDIY」
ごちゃごちゃ、いうてしまったけれど、きっとみんなここが大好きなんだろうなと思う。そんな場の節目は、請われなくても身を置いておきたいと思うもの。
実際、往生(閉店)のこの日までにもたくさんの人が、ガサキベースを訪れ、別れを惜しみ、足立さんたちと言葉を交わしていたようだ。この日も、たくさんの人が、最後の日に立ち会うべく足を運んでいた。
「葬儀」と「往生」の話で、もらった時間は 30分。オーダーは、ガサキベースの葬式をし、「往生」についての話をしてほしいということ。ばたばたとする中で、準備に十分に時間をさけたとは言い難いが、それなりにイメージをふくらませ、表白(読み上げ文)もしたためた。
葬儀の雰囲気を保ちつつ、お店のアナーキーというか、「集落感」というか、ガサキベースらしさを損なわず…ということはなかなか苦慮する部分ではあったけれども、また「往生」や「死」「別れ」ということを、立ちあってくださった人たちとある種共有することはできていたように思う。
写真は当日のようす。
※photo by 城周作 氏
※photo by 城周作 氏
「葬式」の中で読み上げた「表白」
●足立さんが、ガサキベースの閉店を「往生」と名付けた
足立さんから、閉店を往生と呼ぶこと。経済的ではない理由でこの店を「往生」させることの想いを書いた文章をもらっていた。 非常に哲学的なもの。
死に、亡くなるのではなく、閉じるけれども形を変えて別の形で「ある」ということ。「無くす」ことによって、より際立つ形で「あり続ける」ということがつづられていたように受け取った。
これは、僕が寺の住職としてお勤めする葬儀で時々、言葉にしてお伝えしようとしていることとも、ある部分で通底していることがあるように感じた。
そういう意味では、非常に無理なく、儀式を勤め、「往生」について語ることができた印象。
みなさん、大変興味深くもってくれながら、ガサキベースの葬儀に立ち会い、「焼香」をし、お話に耳を傾けながら、この場が閉じること(往生すること)と、決してそれが「無くなってしまう」のではないこと、「無意味になっていく」のではないということを感じてもらえたのではないかと思えた。
photo by umi_hayato
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● 「表白」が好評だった
お勤めの時間は、15分だが、そのなかで「表白」(ひょう びゃく)を読んだ。
その儀式の想いや意義を言葉として、仏さまに申し上げる、というようなものである。
その儀式の想いや意義を言葉として、仏さまに申し上げる、というようなものである。
僕自身が、
常にさまざまな人々、集い、刺激・新奇の機運に満ち、新たなチャレンジ、珍奇なる企画を生み出し続けり。地域・社会に、人の心に、刺激と好奇の風を起こし続けり。
というあたりは、自分自身がガサキベースに足を運ぶ中でたくさんの刺激をもらい、インスパイアされたこと、集う人たちが楽しそうに、でも珍妙な世の中にないものを生み出し、あるいはスキマに落ち込んでしまっているもの拾い上げ「変わったこと」をたくさんしていたことを思い出していると自ずとこんな言葉になった。
事後的に伺った話だと、残った人たちの間では「珍奇なる企画を生み出し続けり」という一文が話題になっていたとか。(笑 よかった)
● DYIショップの葬式をする住職
自分自身は、「普通の住職」なのに、尼崎のまちにいるおかげで、地域のおかげで、他にはない寺のあり方や、住職としてのふるまいができることがあるように思う。「珍奇なる企画」にかかわることができている。この日も「DIYショップの葬儀を行う住職」になれた。
儀式の意味の一つは、私たちのさまざまな節目をご本尊の仏さまに「奉告」(ほうこく)、つまりは報告し、お礼を申し上げるというものだ。 だから、(意外に思われるかもしれないが)誕生や成長に際して、あるいは学校の卒・入学、なにかに合格したり、達成したりした時、あるいは建物を建てたり、購入したり、そして、このように閉じたりするときに、仏式の行事を行うことは何らおかしなことではない、
つまりは、どんな行事や節目でも 仏教徒は仏式で行うのだ。しかし、実際に行事の依頼が来ることはまれである(悲)。
ところが今回、店主自身が、お店の閉店を大変深い思索の末に「往生」と名付け葬儀をしてほしいと声をかけてくれた。こんな貴重な機会があるだろうか(いやない)。
自分自身、やっておきながら「こんなことできるんだ」という新しい発見もたくさんあったし、とらわれている「観念」(固定観念)もまだまだあったなぁと思うところもあった。
葬儀につづいて、ミュージシャンの方(ギターの男性と西洋のこぎりの女性)がライブ演奏するというプログラムだったが、その方が「住職と対バン」(事後のSNS談)とおっしゃってくださったのも初めての経験だった。
あれは対バンだったのか。自分にはこれも縁のない世界だとおもっていたのですが、対バン相手になるということができた1日でもあった。
photo by umi_hayato
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