2020年9月15日火曜日

オンライン講義 「ふたりの僧侶と読み解く「正信偈」 ~やさしく学ぶ浄土真宗~」

表題の講義を10月からオンラインで担当することになりました。

 https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1214087.html

 講義の詳細は上のリンクをご覧ください。


 NHK文化センターさんから、オンライン講義の企画を相談され、親しくしている赤井先生を巻き込んで、講師2人で「正信偈」の講座を担当するという形で実施させてもらうことになりました。

 先日、9月11日に、10月からの本番にさきがけて、単発のプレ講義を実施しました。

 オンラインならではというか、東京や九州といった全国各地から10数名の受講があり、ほとんどが面識のない初めての方でした。物理的な距離を超えてかかわれるオンラインならではの長所を感じました。

 講師2人で実施したのは、リアルな講義でも、一人が一方的に話す形式よりも、対話やフィードバックを織り込みながら話をしていた方が、聞く人の聞きやすさや理解しやすさがあること、また内容も深めていきやすいのではないか?と思ったからでした。
 実際にやってみると、2人でやり取りしながら進める面白さや、深まりが感じられて、この形式に可能性を感じました。

 それぞれが話す分量のバランスや、いくつかの改善点もありますが、新しいチャレンジでもあり、大変楽しい時間でした。


 10月からは、本格的な連続講義となります。

 講師2人も、当日までに打合せを重ねて準備をしていきます。

 ・浄土真宗の教えの基本的なことを知りたい。
 ・「正信偈」に書かれていることは?
 ・親鸞聖人が好きだ
 ・なんとなく勉強してみたい

 興味をもっていただけたら幸いです。(有償なのが恐縮でもありますが)


2020年7月10日金曜日

普通を語ろう ver.7.01

2020年7月1日(水)。
きわめて普通の会社員まるちゃんと、きわめて普通の住職の中平がいいだしっぺになって開催している「普通を語ろう」7回目を開催しました。

当初6月29日に予定していたのが、都合が生じて日程変更となり、
ver.7.00が更新されたので、ver.7.01としたら、「日付」ともリンクするいい感じになることも普通にあることでした。

オンラインミーティングのツール「zoomミーティング」を利用して開催しました。
主催2名を含めて、参加者は合計6名。
6人で、あれこれ「普通」について語りました。



(画像は、いつののように、まるちゃんが書いてくれた素敵なファシグラです)

●運営のこと
 ばたばたとする中で前日を迎えて、「あ、どうするか考えなきゃ」と想い、「どんな話にしようかな? テーマは立てようかな」ととおもったものの、すぐにそれにブレーキをかける。「普通を語ろう」は、それぞれがもちよった普通の化学反応がおもしろい時間。「こちらで計画・プログラム」することで、「みなさんが話したい/聞きたい」ことではなくて、こちらが進めたい方向に進んでしまうことを避けたいなとおもった。
 粗々のタイムスケジュールを作ってはみたものの、出たところで、考えていけたらというスタイル。
 実際に、本番が来た時に、「どうやったらうまく回るか?(うまく進めたい)」という欲求は、いかんともしがたく、まんべんなく全員が満足してもらえたかどうかは、心もとないいけれども、それでもじっくりと、頭を使って、濃厚な「普通」を考える時間を持たせてもらうことができた。

●話し合った普通のこと
 でた話をいくつか思い出している。

 ・休業明けで会社ではたらいていると急速に「以前の普通」に戻っていくが、そこに対する「違和感」や「抵抗」があるということ。

 ・普通や多数派から距離を感じていたが、「コロナ」でみんな「普通」の外側に行かないといけない状態になった。なかなか自覚しえない、できない「普通」や「常識」が相対化できた、みんなが自分に近い感覚をもってくれたのではないか?


 そのほか、普通の寄付の額とか、「コロナ」前後で変わろうとしている「普通」とそれにどう処していくか、そこで巻きおこっている「不安」とか「焦り」とか、気づきのようなものを交換したり、共有したりするような時間だった。

 今回は、前回に続いてオンラインで開催したけれど、次回からは、また「普通」にあつまってみんなで話せるような場になればいいな。

 ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。



43歳になります(Birthday Donationのお願い)

7月11日は私の誕生日でした(そういえば…と、思い出さないと忘れる)。
43歳になります。

お誕生日のプレゼントとして欲しいものというのも特に思いつかず、
特別にこれが食べたい!という欲求もなく、
おかげさまで、そこそこ満足しながら日常を過ごしています。


ただ、40を過ぎた僧侶として、これからお坊さんはどうあるのかな?とか、
お坊さんは社会の中でどうあるべきなのか?ということを考えるなかで、
寄付にまつわる「お金集め」ということを改めて考える時間が長くなっています。

「お布施(寄付)」で暮らしを支えさせていただいていて、またお寺も「お布施(寄付)」で運営させていただいています。そんな中で、お坊さんが行ってきた「勧進」等の「ファンドレイザー」的な役割の意味とかありかたということを改めて考えています。
 



先日には、尼崎市杭瀬中市場火災における復興/復旧の募金をお願いし、大変たくさんのご協力をいただきました。
 〈先般の募金のお願いについてはこちら↓〉

 それから間もないタイミングではありますが、先日募金をお渡しした時感じたことは、まだまだ、復興には時間も、労力も、お金も必要ということ。そして、杭瀬ACをはじめ、明るく地域のことを常に考えて、あたたかいつながりを作ってくださっているみなさんのために、もっと応援をさせてもらいたい、ということでした。

 〈杭瀬中市場の火事についての報道〉
・サンテレビ 

・神戸新聞

〈杭瀬チャンネル youtube〉※こちらはぜひ見てほしいです。


 折しも、同時期に起こった豪雨災害で、日本各地に甚大な被害が出ています。そちらへの救援や支援で奔走されている方、募金などを考えられている方もたくさんいらっしゃるだろうと思います。それらと比べればたしかに、小さな、一つの地域の市場の火事かもしれません。しかし、それでも容易には受け入れがたい被害と、悲嘆・感情の動きがありました。応援や支援が必要とされています。
 
 私自身が日ごろからお世話になり、楽しませていただいている地域の市場でもあり、今回ちょっとでも応援する力をいただけたら本当にうれしいです。


(厚かましいですが)例えば、誕生日プレゼント替わりに、
 ・ジュースおごりますよ。 → 100~200円
 ・喫茶店でコーヒーどうですか? → 300~400円
 ・お昼ご飯ご馳走しますよ → 500~1000円
 ・飲み会おごるよ → 2000~3000円
 ・ちょっといいプレゼントを…????円
 ・誕生日なんかどうでもいいから、杭瀬の市場を応援するぞ!……


みたいな感じで、1円~でも、お願いにお応えいただけると、本当にありがたいです。
(paypay,amazonは、手数料もかかりません。)


 または、今回は見送っても、もう少ししたら、杭瀬アクションクラブを中心とした、クラウドファンディングや直接の振込口座の案内も始まるようなので、「それが始まったらするよー!」と、気持ちを蓄えておいていただく、ということでも大変うれしいです。

間接的な応援として、

 ・Twitterの投稿のリツイート

 ・Facebookの投稿のシェア

 こちらをリツイート、シェアして応援いただけると、その合計分を上乗せして募金に入れます!




【期間】(終了しました。ご協力ありがとうございました。)
2020年7月10日から7月12日まで

 託していただいた応援は、
 取りまとめて、お声(コメント)と一緒に杭瀬のみなさんにお届けします。

(1)PayPayでご協力いただく場合
 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 ※上のリンクのpaypay で送金ができます
  paypayのアプリをインストールしているスマホでリンクをクリックしてください。
  下のQRコードからも送金していただけます。
 ・お名前(必須)と(あれば、メッセージ)を、記入してお送りいただけたらありがたいです。

(2)アマゾンギフト券でお送りいただく場合
 (同額のお金を募金に回します)
 送り先: n.ryogo(a)gmail.com
  (a)を@に変換して、お送りください。
 Amazonギフト券の送り方:


(3)その他 振込等
  n.ryogo(a)gmail.com にお問合せください。
   (a)を@に変換して、お送りください。


 他にも、
 amaサラダさんのサイトからでも、杭瀬中市場の支援・募金を受け付けられています。
 

 とても楽しくあたたかい、杭瀬の市場の復旧・復興に応援よろしくおねがいします。
 また、お近くにお越しの際は、ぜひ一緒に遊びに行きましょう。
 リクエストいただけたら、よろこんでご案内します! 

【いただいたお祝い・応援のご報告】現在の総額:48045円

 応援、ありがとうございます。
 お預かりした分は、しっかりと杭瀬のみなさんにお届けします。
 間違いなく、偽りなくお届けするために、イニシャルとお預かりしたご協力のお金(金額)を表示させていただいています。ご理解くださいませ。匿名をご指示いただいた方には、より匿名性を高めます

・M.Sさん ありがとうございます。 1,977円
 「お誕生日おめでとうございます!(若い人の方がたくさんもらえるシステム。K渓さんの方がたくさんもらえました)。また飲みましょう(炭酸水を)」


・Tさん  ありがとうございます。 2000円
「おめでとう(祝)ささやかですが、どうぞ。paypayのこの機能初めて知りました!」


・M.Tさん ありがとうございます。 4423円
「Mです。H君が頑張っている杭瀬の商店街は、一度しか行ったことがないですがいい雰囲気だったとはっきり覚えています。少額ですが、杭瀬の皆様にお届けください。_(._.)_

・K.Kさん ありがとうございます。 1000円
お誕生日おめでとうございます!K.Kです。杭瀬のみなさまに届きますように。今度こそ之身にいきましょ。

・T.Hさん ありがとうございます。 1000円
Kさんの投稿から知りました。私は42歳でして、近しい年齢でがんばられている方がいらっしゃることうれしいです。T.H

・A.Tさん ありがとうございます。 500円
Aです。お誕生日おめでとうございます!

・S.Yさん ありがとうございます。6000円
お誕生日、おめでとうございます。

・U.Dさん ありがとうございます。 711円
中平さん、お誕生日おめでとうございます!(中略)少額ですが寄付させていただきます。

・I.Nさん ありがとうございます。3000円
中平さん、ハッピーバースデー! よい一日を。I.N
 
・I.Mさん ありがとうございます。3000円
お誕生日おめでとうございます。商店街の早い復興をお祈りします。

・O.Aさん ありがとうございます。5000円
バースデードネーション送ります。(中略)お身体気をつけて、また一緒に飲める日まで生き延びましょう!おめでとうございます。

・お名前不詳さん…45 ありがとうございます。 5000円
お誕生日おめでとう。

・O.Nさん ありがとうございます。 2000円 
 お誕生日おめでとうございます。一杯、奢ります!!
 素晴らしい1年になりますように。O.N

・A.Mさん ありがとうございます。1000円
 お誕生日おめでとうございます。素晴らしい企画にほんの気持ちだけ載せておきました。
どうぞよろしくお願いいたします。私も近いうちに杭瀬にお買い物に行くつもりです。いつも有難うございます。

・K.Kさん ありがとうございます。2000円
 
・K.Kさん ありがとうございます。700円
 おまけです。

・K.Yさん ありがとうございます。 3000円
お誕生日おめでとうございます🎂 気持ちだけですが。よい一年になりますように

・F.Rさん ありがとうございます。2000円
お誕生日おめでとうございます。バースデードネーションというアイディア、とても素敵です。

・N.Jさん ありがとうございます。711円
 はじめまして、Iさんを通じて、時々お話しを伺っております。お誕生日、おめでとうございます!いつか、お会いして、お話しできることを楽しみにしております。 皆さまが望んでいる「市場」の風景が、1日も早く戻ってくることをお念じ申し上げます。

・D.Yさん ありがとうございます。1000円
 ランチでお祝いした気分で
 お誕生日おめでとうございます。またお会いできるのを楽しみにしています。D.Yでした。

・N.Mさん ありがとうございます。 2000円
 お誕生日おめでとうございます!! 微力ではありますが、、思いが届きますように。

・リツイート、シェア分 
 リツイート19件、シェア4件 合計23件
 23円追加

その他
・Fさん ありがとうございます。 
 お誕生日おめでとうございます。FBの内容を読ませていただきました。paypayもamazonも持っていませんので、クラウドファンディング立ち上がり後、そちらにドネーションしたく考えています。
 (→ 杭瀬の応援にお気持ちを向けてくださること、本当にありがたいです。ありがとうございます)









 

2020年7月9日木曜日

お誕生日のお願いの予告

【予告です】
◆バースデードネーションをお願いしたいのです。
◆杭瀬なのです。
◆まるかぶりするネタが連日 投稿される見込みです。

 昨日までの杭瀬中市場の火災復興の募金、ご協力くださったみなさん、本当にありがとうございました

 ふと気が付いたら、私、明後日(7月11日)が誕生日だったのです。43歳になります。なので、続けてのお願いになるのですが、バースデードネーションのお願いをしたいと思っています。

 
 「お坊さんとしてできることってなんだろう?」と考えているなかで、お寺の運営・維持だけではなく、地域や福祉や、災害の支援とかの募金集めの延長で、もっと寄付集めやファンドレイザー的な活動もありえるのではないか?ということも考えていました。(※ 下記にちょっと書きました。)

 杭瀬の募金集めのときから、ツイッターのアカウントにも「勧進する僧」という肩書も追加してみたりしました。

 普通に考えたら、募金のお願いばかりするというのも、自分でもおかしいかもしれない、という問いももちながら(もちろん自分でも募金に入れていますが)それでも「寄付を集めるのに頭を下げつづけるお坊さん」(勧進する・ファンドレイズする)という僧侶のあり方、その可能性の模索をやってみたいという思いがあります。

 というわけで、誕生日の前後にまた、杭瀬中市場の火災からの復興・復旧を応援する募金を呼びかけたいと思っています。

 ところが、朝、ぼんやりとそんなことをおもいながら、「7/11がお誕生日なのですが、バースデードネーションとかいいはじめてまた、杭瀬の募金募ったらおかしいかな?(勧進する僧のひとりごと)」とつぶやいたら、若くて人気のお坊さんが、
「今日(7月9日)が誕生日なので、まるぱくりして、バースデードネーションやりますー」(意訳)と、かわいく言われてしまったので、尼崎では、連日お坊さんがバースデードネーションで、
「杭瀬・杭瀬」いいまくる数日になりそうです。

 関係各位には、ちょっとアレにおもわれかもしれませんが自分自身がどこまでできるのか、なにができるのかと手探りのなかでさせていただいております。恐れ入りますが、なにとぞご理解くださいという、言い訳と予告の投稿でした。

(※)あれこれ考えてみていること

・お坊さんは「お布施」という寄付でお寺を維持し、生活を支えさせていただいている。

・過去には、寺社や公共財(橋・道路等)の建設・修復のために「勧進」(寄付集め)をしたりしていたという歴史がある。

・カリー寺基金等でも、寄付に関する問いや、「ファンドレイズ」について考える機会があった。

 ということなどがありまして、一連の動きのなかで、「お坊さんがお金を集める」ということ、寄付を募るということ、を考えています。

 私(中平了悟) は、明日のお昼から、12日中までお誕生日の寄付をお願いしようと思っています。

いいかな?

追伸
 Twitter(https://twitter.com/n_ryogo)もあれこれいうてます。拡散力向上週間でもありまして、こちらは、勝手にどんどんフォローとかしてもらえるとうれしいです。(どうでもいいこともたくさんつぶやいていますし、友人とのじゃれあいもあります)

2020年7月4日土曜日

【終了】 杭瀬中市場火災・復旧/復興支援 勧進(募金) (7月4日~7月8日(水)17:00まで)

ご報告 7月8日に17時までに、総額 153,202円 の募金を お送りいただきました。ありがとうございます。

(※追記:追加のご支援(10000円)をいただいて、
 最終的に、163,202円 を 7月8日(水)に行われた杭瀬アクションクラブの会合においてお渡しいたしました)

【要旨】
2020年7月3日夜、尼崎市にある杭瀬中市場で火災がありました。

 差し出がましいかもしれませんが、個人として、杭瀬市場の復興を応援するために「勧進」(募金の呼びかけ)をしております。7月8日(水)17:00(※)まで呼びかけをさせていただいて、集まった全額を杭瀬アクションクラブ(杭瀬AC)を通じて、杭瀬中市場の復興に寄付・ご協力します。
(※)7月8日夕刻に、杭瀬ACの会合に参加するため、この期限を設定しています。

火災からの経緯~杭瀬チャンネル(youtube)
 ◆杭瀬チャンネル 火事からの経過と杭瀬からのお知らせ

(杭瀬チャンネル 石原さんの報告 7月4日朝)

(杭瀬チャンネル 石原さんの報告 7月4日夕刻)

(杭瀬チャンネル 石原さん/オンライン公民館 チャリティランナー 7月5日)

(杭瀬チャンネル 石原さん/3日目の様子とクラウドファンディング予告)



【方法】7月8日17時をもって
  受付を終了しました。ありがとうございます。
 以下のいずれかの方法でお願いします。難しい場合は、「その他」に記載のメールでお問合せをお願いします。

◎ paypay

◎ アマゾンギフト券で送る。(同額のお金を募金に回します)
◎その他 n.ryogo(a)gmail.com にお問合せください。
  ※ メールアドレスの(a)を@に変えてお送りください。


【シェア・リツイートで応援】
 7月7日午前9時までに、以下の投稿をリツイート・シェアいただいた数に応じて募金を上乗せするという試みもしています。少しでも知っていただき、関心をもっていただけたらと思っております。こちらへもご協力いただけましたら幸いです。
 




【経緯】
 私(中平)も、これまでに杭瀬を盛り上げる活動をされている杭瀬アクションクラブの会合参加させていただき、杭瀬の商店街・市場のみなさまとご縁をいただいていました。また、その活動のなかから大変親しくしている友人が杭瀬の市場の中に、コミュニティースペースを作ったり、飲食店を出店したりしたこともあり、月に数回足を運び、その雰囲気を楽しませていただいていました。地域の仲間と共に、集まり、語らうことのできる「市場」があるということが大変誇らしく、うれしい思いで足を運んでいました。

 子どものころは、こういう「市場」は市内のあちこちにありましたが、いまはほとんどのこっていません。この杭瀬の市場も、多くがシャッターがしまっていて、お店が減っているという課題がありました。しかし、ここ1~2年に、コミュニティスペースやおしゃれな台湾料理のお店、一風変わった飲食店等がオープンし、新しい街の魅力的な場所になりつつありました。
 そういった新しい盛り上がりを見せていた中で、今回の火災がありました。大きな影響がり、復旧・復興には大きな時間と労力がかかると思われます。またにぎやかな杭瀬の市場が立ち上がるように、何とか応援したいと思い、今回の呼びかけをさせていただくことにしました。


【報告】合計金額 153,202
 (一部いただいたコメント、メッセージも併せて紹介させていただいています)
・7月4日合計:5221円
  西正寺の婦人会(清光会)にて募金箱への協力呼びかけ 5,221円
 
・7月5日(日)合計:56908円
・K.Yさん paypay 5000円
「人生ってままならないですね。それでも生き抜かなきゃと思う今日この頃です。少しですがお役に立てば幸いです。」
・M.Sさん paypay 2000円
・S.Yさん amazon 10000円
・M.Cさん paypay  3000円
「わずかですが。一日でも早く、元気な街に戻ることを念じています。」
・匿名Eさん paypay 5000円
・O.Aさん amazon 1000円
「少しでもお力になれれば幸いです。よろしくお願いします。」
・Sさん 募金持ち込み 2408円
・W.Hさん paypay 3000円
・T.Sさん paypay 2000円
「少しの金額ですが、杭瀬支援に役立てばと思います。」
・O.Mさん paypay 2000円
「一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。」
・O.Tさん paypay 500円
・F.Jさん  Paypay 1000円
「がんばりましょう!」
・T.Rさん amazon 5000円
「少額ですが、少しでも地域の方の支えになれば嬉しいです。」
・K.Kさん 振り込み 15000円

・7月6日(月)合計:34500円
・S.Yさん Paypay 1000円
「ご無沙汰しています。杭瀬火事、お見舞い申し上げます。」
・O.Nさん Paypay 5000円
「早く復興できますように」
・M.Hさん paypay  5000円
・お名前不詳 080…66さん paypay 1000円
・K.Hさん Amazon 1000円
・A.Mさん paypay 1500円
「わずかですが、よろしくおねがいいたします。」
・N.Hさん Paypay 3000円
・O.Rさん 振込 1000円
・N.Yさん paypay 1000円
「僅少ですが、お見舞い申し上げます。」
・B.Kさん paypay 1000円
「杭瀬の復興にお役立ていただけると幸いです」
・K.Kさん paypay 5000円
・I.Hさん Amazon 3000円
「杭瀬市場の復興に役立てばと、少ないですがAmazonギフト券をお送りします。尼崎でも少なくなった市場がまた、賑わいを取り戻せるように願っています。市場にも行って、買い物もしたいと思います。」
・I.Yさん paypay 3000円
「尼崎ENGAWA化計画で活動しているときに尼崎は本当にお世話になりました。少額ですが応援の気持ちを込めて送らせて頂きます。少しでも早い復興を願っています!」
・K.Wさん Amazon 3000円
「ささやかですが、杭瀬の復興にお使いいただきたくAmazonギフト券をお送りします。」
 
・7月7日(火)合計:20583円
・RT/シェア募金  178円
・T.Kさん paypay 5000円
・Rさん  paypay 2000円
・M.Sさん paypay 3000円
「八百屋の伊東さん 豆腐屋さんなど知り合いです。前職で杭瀬商店街の旅行を担当してました。復興を切に願います。」
・Jさん paypay 1000円
「早期の復興を祈っています。」
・Nさん paypay 1405円 
・K.Tさん PayPay 1000円
「気持ちだけですが送ります」
・M.Kさん PayPay 1000円
「寄付します」
・N.Sさん Amazon 1000円
「少しですが、杭瀬の皆さまにお届けください。少しでも心がやすらぐ時間を持っていただけますように。」
・I.Kさん PayPay 2000円
「杭瀬中市場のことを聞いてすごくショックを受けております。少額ですがどうぞよろしくお願いいたします。」
・Hさん PayPay 3000円
「商店街は街の命とも言えるものです。些少ですがお送りさせてください。再興を心から応援しております。」

・7月8日(水)最終日 
 合計:36000円

・M.Kさん PayPay 3000円
・N.Kさん PayPay 3000円
 「WさんのFacebookで知りました。些少ですが、協力させてください。」
・Y.Mさん Amazon 10000円
・I.Tさん Amazon 10000円
 「被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧・復興をお祈りいたします。」
・N.R 10000円
 



 
   

(火災直後の市場様子)

2020年6月23日火曜日

『仏説無量寿経』(11)五劫思惟「時間とともにある想い」

6月12日の夕刻のお勤めです。



6月から『無量寿経』を繰り読みをし、そのあと解説とお話をさせていただいています。

今回が11回目です。

これまでのものは、youtubeにありますので、クリックしてご覧ください。





2020年6月11日木曜日

youtube でお勤めと法話を配信していることについての雑感

【「伝道」とか「法話」とかということについて考えている】
(お坊さんとか仏教関係者向け。 一般的な内容投稿ではありません)

 先日来、夕刻の勤行にあわせて解説と短いお話をしてyoutubeにアップしています。(シェア先にある、勤行のyoutube動画です)少しまじめな話をしますと、「法話」とか「伝道」とはなんだろうということを考えさせられながら、動画をアップしています。
 こちらのチャンネルです


◆ こうやって「経典」を読誦して、それについて言葉を発していくこと(解説・法話すること)が、なかなかないような、心地よさや安定した感覚の中でさせていただけているのです。
 このように思うのは、どちらかというと、自分は「トラディショナルなことを大事にしたい」という価値観をもっている(と自分が思っている)、そういうこともあるのかもしれません。また、文献を読む、研究するということが、これまでの自分のキャリアの中核な部分を占めていた、ということもあるかもしれません。

 そもそも、仏教はこうですよ、と「自分の言葉」のみで語るのは、自分で語っていながら、「仏教を仏教として正しく言葉にできているのだろうか」と自問することがあります。

 浄土真宗の御法話の定型には、「御讃題」として、経典、宗祖の書物から、そのお言葉を(読んで)頂くということがあります。それが、真宗のお説教では、非常に大事なことであると思っています。その意味で、「真宗のお説教」は、もともとが「自分の言葉」ではなく、「お聖教の言葉を語る」ものであるという形が重視されています。

 しかしながら、実際にそれがどれほど意識されているだろうか?と考えると、やはり「形式的」であるケースがないともいえません。(形式が守られているということにも意味があると考えながら書いています)また「お聖教(経典・祖典)」に触れずにされる「法話」もあります。(私もそういう形でお話をすることがあります。決してその形式を否定するものではありません。)

 一方で、勤行として、「ともに読誦するもの」であると(一定の方に)意識されているこの形式は、実感として、「御讃題」よりも、経典の言葉に触れながら、それを今聞いている(話している)という意識を持たせてもらえているように感じています。

 それが安心感なのかもしれません。

 

◆ またすこし違う角度から考えを向けてみると、以下の様なことも思いました。

 「語り手が語りたいことを語らせてもらえる形式の法話」も実際には多くあります。しかし、それは同時に、そこには教えを語りながら、どこか「自分の考えが仏典という名のもとに語っているにすぎないのではないか?」とか、単に「共感されること」だけを求めているのではないか?という疑念が残る場合があります。

 仏教はどのようなものか、それが仏教であるのかということは、(過去に「仏教だとなのりながら、仏教でなかったもの」が実際にあったように、また現在進行形で今もあることが示すように)、語り手が検証可能な形で示す、ということも必要なことであるように思うのです。

 それは、聞き手(語り手以外の人)が検証するためのものということももちろんありますが、いま感じていることは、語り手としての足場の、立脚点として、経典をもとに、言葉にさせてもらえる、という安心感のようなものでもあるように感じています。

 

 もしかすると、この箇所のポイントは私はこう読んで、このようにおもったのだけれど、みなさんはどう思いますか?という違う味わい・調理方法をお尋ねしているような形で差し出せているという感覚なのかもしれません。

 (あくまでも個人の主観です 笑)

※「考えさせられながら」というのは、もともとそういうことを考えていたわけではなく、こういう動画を作っていく中で、こういう形式で鼻意ているなかで、ふっと考えるようになってきたということを意図しています。

チャンネルはこちら


追記

言葉を補足しておくと、

「安心感」というのは、「法話だけする」ということにくらべて、こうやって勤行にあわせて法話をするということに由来するものなのかもしれません。

そういう意味では、人によっては、「法話だけ聞きたい」と思われる人もいるかもしれませんが、この動画においては、実は勤行があるということに、配信主の私はとってもとても大きな意味を見ているという表明といったほうがいいかもしれません。

さらにいうと、浄土真宗のお寺で行われている法座・法要は、かならず勤行が行われて法話がなされるのですが、これが「法話」だけだと、その意味や味わいが、かなり変わってしまう、あるいはかなり減ってしまうのではないかと思っているクチです。

2020年5月12日火曜日

2020年5月12日 八時だヨ!神さま仏さま ゲスト小野木康雄さん

こんばんわ。今日夕刻は、八時だヨ!神さま仏さまの収録でした。

youtube のリンクはこちら
https://youtu.be/rDNAaBX46QY


ゲストは、以前から交流を持たせていただいている、文化時報社の小野木康雄社長です。

宗教系新聞とは?

宗教者を鞭打つ新聞紙面とは?

お聞きいただけたらうれしいです。





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出演:宮司・江田政亮(貴布禰神社)、牧師・福島旭(関西学院中学部宗教主事)、僧侶・中平了悟(西正寺)

ゲスト:小野木康雄さん(文化時報社社長兼主筆)

技術協力:寺子屋・練心庵さん



番組をご視聴くださる方々、リアクションしてくださる方々、拡散してくださる方々、ありがとうございます。

おかげさまで、Facebookのリーチ数やYouTubeのチャンネル数も増えております。

YouTubeにチャンネル登録をしていただくと、いち早く動画アップのお知らせがいくようですので、ぜひ、ご登録ください。

さて、通算第415回の内容ですが、

大阪・枚方出身、関西学院大学卒業後、産経新聞社に入社、労働問題や宗教の取材に取り組んでこられ、昨年12月に文化時報社の社長に就任された小野木さんとのお話です。



相変わらずZOOMは手探りです。

電波状況が悪かったり、生活音が入ることもありますが、あたたかくお見守りください。

2020年5月11日月曜日

#検察庁法改正案に抗議します について思うこと

昨日から #検察庁法改正案に抗議します が話題になっています。

『毎日新聞』(2020年5月10日)「どこまで国民をばかにする」検察官定年延長法案に抗議ツイート250万超
https://mainichi.jp/articles/20200510/k00/00m/040/067000c
私もやりました。まずは、ツイッターで。
(Facebookでは、おそらくこの投稿のシェアに、ハッシュタグがつきます)

今のところ、基本的には、このムーブメントに賛成しています。
でも、もう少し冷静に、話し合ったり言葉にする必要もあるのではないかなと思います。そこで、自分の思いを整理する意味も含めて文字にしてみることにしました。

 当初は、「検事総長人事への反対」という意図とそのアクションという思いもありました。しかし、昨夜からのネットから得られる情報とディスカッションをみていると、よくよく考えると、それは(人事に対する)「直接的に反対、抑止が行える行動」ではなく、「間接的な抑止と反対の行動」であったのだなと認識が改まりました

比較的冷静に情報・分析が記述されていると思ったブログのリンクを貼っておきます。

https://note.com/tonfi/n/n95a2265c6273
(政治や法律・このあたりは素人なので、なにか読み違えや、問題があれば教えてください)

 ポイントは、
 3に挙げられている「誤解」をしていないか、ということだと思います。
以下 さきに挙げたブログの文章を引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

①黒川氏定年延長がこの法律で決まる →  決まりません。
②黒川氏を検事総長にするための法改正である → 誤りです。
③政権への捜査を免れるための人事介入である → 誤り、というか邪推の域を出ません。
④三権分立が脅かされている →
 誤解されがちですが、検察庁は行政府に属するものであり、検察権は行政権の一つです。したがって、検察権と内閣の関係を、三権分立という観点から見る場合、その何が脅かされているのかを正確に理解しなければ、ミスリーディングになってしまいます。
⑤内閣が検察官人事に介入するための措置である 
 → これは正確には「介入と思われるようなこともできなくはない」が正しいでしょう。

⑥この法案を止めれば安心である
 → しかし、そうではありません。この法案に限らず、立法府が成立させた法律を行政府がどのように運用するのかは、国民の不断の意見表明と監視という努力によって最適化されていきます。

 より抜粋・要約して引用。
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 誤解していなかったのか?というと、誤解していたところがありました。 
 少なくとも、正しく理解できていたわけではありませんでした。(今もそうかもしれません)

 しかし、ハッシュタグをつけて投稿したことを振り返ると、やはり今でも、同様に #検察庁法改正案に抗議します というアクションをする、と思ったということです。


 いまハッシュタグをつけて、#検察庁法改正案に抗議します という表明をするのはなぜですか?、冒頭に書いたように、「今のところ、基本的には、このムーブメントに賛成しています」というのはなぜですか? と問われたならば、以下のように言葉にできるかなとおもっています。

1) 国民一般の声が可視化されて、大きな力になる実感があるということ。(効果的なところ)
2) 一連の検察人事に対する違和感と、内閣の対応に対する不信感への表明として。(内閣と検察の関係に対する不信)
3) 法案に対しては、このタイミング、ここまでの文脈でこの法律を出すのはおかしいのではないかと思っているということ。(タイミングと文脈の問題)

 「検察官の定年を65歳に引き上げる」ということそれ自体には問題がないのかもしれません。しかし、このタイミング、この文脈で行われると、どうしても

・某検事の定年を閣議決定で延長したこと。
・そのあとの一連の国会審議で見られたような、過去の法令解釈を恣意的に曲解して(あるいは単純に誤って)運用しようとしたのではないか、という疑惑を、事後的につじつま合わせされてしまうような印象を抱かざるをえない。
と思っています。

 で、いまここまで言語化して、あらためて考えたいこと、大事だなとおもうことは、 引用先のブログでは次のように書かれていることではないかと思っています。

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⑥この法案を止めれば安心である
 今回の一件で多くの方が知るに至ったと思いますが、法律はたくさんのことを政省令や内閣府令に委任する形などで、政府に細かな判断基準や要素などの委任を行うことがあります。これは複雑高度化する社会の中で、すべてを立法府に委ねるのではなく、余白を作りながら、現場で最も専門的に事象を扱う行政官に細かなオペレーションのマニュアルを委ねるという思想です。これ自体は非常に合理的です。当然ながら、これらの委任を受けた政省令等が法律を超えることをしてはいけません。
 多くの方のTweetで、この法案を止めれば安心という雰囲気を感じざるを得ませんでした。しかし、そうではありません。この法案に限らず、立法府が成立させた法律を行政府がどのように運用するのかは、国民の不断の意見表明と監視という努力によって最適化されていきます。違法な行為が行われた際に、法の番人である裁判所が判断するというのは事後的な対応にすぎません。より重要なのは、「私たちはあなた達の運用を見ていますよ」というメッセージを発し続けることで、行政府が間違った方向に行かないように予防することです。

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 要は、もっとリテラシーを高めければいけないな、と思っています。
 こういうセンシティブな話かもしれませんが、出ている情報やアクションを丁寧に読み解いたり、オープンに語り合ったりするには、どうしたらいいのかなぁと思っています。

 そういうことをおもって、ひとまず、文字にしてみようとおもいました。

 (再度書きますが 素人ですので、法律やその他のことに 読み違いや誤解があるやもしれません。その場合は、やさしく指摘・教えていただけると大変ありがたく思います)


2020年5月10日日曜日

インターネットラジオ よいかなよいかな はじめてみました。

 インターネットラジオ よいかな よいかな はじめました。

 西正寺で不定期にこれまで3回、オンラインで1回開催したイベント「よいかな よいかな」。そもそもが、大学4年生だった”あーりー”が、仏教を教えてほしいと相談してきてくれたことから始まったイベント「よいかなよいかな」。このコロナウィルスの影響もあって、どうしようか、こうしようかという相談から、ネットラジオへ展開しました。

 とりあえず、やってみようかと収録した第一回がこちら。
 あれこれと企画を考えている中で、ふとしたことで舞い込んだ素敵なエンディングテーマにその気にさせられ、やりはじめてしまいました。

 やってみると、もうちょっと練ったほうがよかったなぁとか、なんでこんな風に言うてしまったんだろうという反省もありつつ、結構面白かったというのが大きかった感じでした。

 次回以降は、お坊さんをはじめとしたゲストをお招きして、いろんな角度から仏教を考えていけたらとおもっています。聞いていただけたらうれしいです。

 どうぞよろしくお願いします。






2020年4月28日火曜日

カリー寺基金でおもったこと(展望は?と聞かれて、考えたこと)

 先日のカリー寺基金のファイナルは、とてもいい時間を過ごさせていただきました。プレゼンしてくださったみなさん、一緒に企画・審査をしてくださったみなさん、クラファン・協賛で応援してくださったみなさん、参加して見守ってくださったみなさん、ありがとうございました。

 ファイナルのあと、ある新聞社さんから、「今後の展開は?」という質問をいただいたのですが、あまり頭がまわっていなくて、ちゃんと答えられませんでした。
 でも、問われてどうなんだろうと考えてみて、今は下に書くように思っています。(朝は比較的頭がはっきりとするので)


「カリー寺基金や、ファイナル(最終プレゼン大会)というイベントをきっかけに、活動や関心がつながり、動いていく縁が展開していってほしい。
カリー寺とそのメンバーと一緒に、今回の一連の動きで関心を持ってくれた人とも一緒に、そして西正寺としても、そういう活動や地域の動きを応援していきたい。」


 そもそも、カリー寺基金は、「応援」のプロジェクトでした。中心はファイナリストや、関わってくださる地域の人たちであると思っています。そういう取り組みです。
 カリー寺や西正寺が地域の中心になるのではなく、中心になる人や企画(ファイナリスト)を可視化して、みんなでそれを盛り上げて(おだてて)動いていく枠組みを増やしていけたらと思います。ですので「カリー寺基金」としてどうするか、というよりも、いかに「応援する側にまわるか」いかに「中心にならずに周辺に位置するか」ということが、「カリー寺基金」という取り組みのテーマであり、位置取り・ポジションなのだろうと思いいたりました。

 ですので、今回のことをキッカケに、「よしやるぞ!」とか、自分もこれしたいなぁーと思ってくれる人が増えてくださっていたなら、とてもうれしいなぁとおもっています。

 そして、大賞の企画も特別賞の企画も、ファイナリストの企画も、それ以外の応募してくださって企画も すてきなチャレンジでしたので、できることは限られていますが、もちろん応援していきたいとおもっています。

2020年4月23日木曜日

おてらおやつ劇場のチャリティー Tシャツ

浄土宗の劇団ひとり 山添真寛さんがなさっている おてらおやつ劇場。
このたび、JAMMINのチャリティ―コラボイベント(https://jammin.co.jp/2020/04/15/this-week-design-ooc-theater/)で、Tシャツとトートバッグを販売されているので、一口購入させてもらったのが、昨日届きました。

 おてらおやつ劇場 https://otera-oyatsu.club/theater/

 自粛生活が続きますが、できることをひとつずつ。


 

2020年4月5日日曜日

200403_普通を語ろう(仮)ver.6.00~ 普通を語ろう・オンライン

2020年4月3日。普通を語ろう(仮)を開催しました。
(Facebookのイベントページです https://www.facebook.com/events/234760171244852/
六回目ですが、昨今のコロナウィルス感染症の流行下ということで、オンライン・zoomを利用して開催しました。

 「普通を語ろう(仮)」は、「普通の住職」わたし(中平)と友人で「普通の会社員」のまるちゃん(丸川さん)の二人がいいだしっぺ(主催)で、いろいろな「普通」について、参加された皆さんと語り合う不定期のイベントです。
 
主に中平が進行を担当させていただき、まるちゃんは、会の内容を素敵なグラフィックを描いてまとめてくれます。
(そのグラフィックは、この投稿の一番下にあります)(まるちゃんありがとう)


(参加してくださった皆さんと会の様子)

 さて、今回の開催ですが、実は前日(昨日)に相談をして、翌日(本日)の開催となりました。 コロナでスケジュールが空いていたからです。そして、早いうちにやりたいなーといっていたら、翌日の開催になりました。

●開催の動機
 今回開催したのは、次のような動機でした。
 オンラインでしたのは、先日 zoomを用いた、オンラインのイベントに参加して、ブレイクアウトルーム等という機能があると知ったこと。いろんなイベントや、チャレンジをする可能性を感じたということがありました。(できるインフラがあると気が付いた)

 もう一つは、ここ1~2か月のコロナウィルスの影響から思うこと、考えたいことが出てきたということです。

 特に3月に入ってから、個人的にもいろいろなスケジュールが白紙になりました。家から出ることもためらわれたり、人と会うこと、学びの場(学校・大学)に行くことさえも、できないこと、いけないことになってきたような思いすらします。
 日常のこと、当たり前のことができなくなって、「普通」や当たり前が揺らいでいるがゆえに、見えてきたものがあるような気がしていました。

 また、できなくなったことで新しい動きがおこってきました。テレワークや在宅勤務、オンラインの会議や、オンラインでの飲み会ということも行われるようになってきました。
 「これは”普通案件だ”」そう思いました。

 また、この1か月報道をみたり、人と話してみるといろいろな気づきもありました。壊滅的な経済的な影響を受けている人がいれば、あまり大きな変化もなく日常を過ごせている人もいました。それぞれの影響や、危機感、見えているもの、感じているものに差があるように思いました。 それぞれの「普通」にギャップがあるように思いました。
 「これも”普通案件”だ」そう思いました。

 そして、いま、予定がほとんど白紙になって、やることがない、やるならいまだ。
 まるかわさんに、相談すると、あっというまに「やりましょう」となりました。

●どんな感じだったか。

ということで、全国各地から、12人のひとびとがあつまりました。
地元尼崎の人、東京の人、東北地方の人、中部地方の人。
オンラインならでは、遠く離れた距離にいる人も同じ時間に顔を合わせて語り合うということができたのが、一つ面白いことでした。

アンケートや自己紹介、それから今回の開催趣旨を主催からお話したあと、
4人ほどのグループのセッション(フレイクアウトルーム/有料アカウントでホストをしたら使えます)の時間をとって話し合いをしまいた。これ、なかなか好評で、やはり大人数より3~5人くらいのほうが、オンラインでも話しやすいようでした。

そのあと、再び全員集合して、それぞれのグループでどんな話が出たかを共有しつつお話を進めていきました。

印象的だったことは、
・コロナウィルスの危機感の地域差のようなもの。
 東京や大阪などの首都圏では、もはや自分が感染していて、「人に感染させないように」という思いで行動を考えるようになっていたのに対して、地方ではまだ数人レベルだからか「自分が感染しているかもしれない」という思いはそれほどでもないのではないかということ。それぞれ東京や大都市圏の人は地方の人の感覚に、また東北地方の人は東京等の大都市圏の感覚に触れて、それぞれのギャップが印象的だったようです。

・それぞれのお仕事での状況
 いろんな立場の人がいて、ホテルなどの宿泊業の方(とても大変)、1年間準備してきた2万人くらいの人が参加予定だったイベントが中止になって…というイベント関連のお仕事の方、それぞれの境遇や状況から見えている風景のお話は、その立場でしか見えない風景や気づきがあって、それに触れられたこともよかったように思いました。

・日常やお仕事のちょっとした変化
 それぞれにいろいろな変化が起こっているようでした。働き方が変わって、その余白で「お花の写真を撮るのが日課になった」とか、「写経をするようになった」という日常の変化についても、見えにくいけれども普通の変化・たゆたいのように思いました。

 

●そして感想とか

 19時から21時まで2時間開催していました。主催であったということもあったのかもしれませんが、本当にあっというまに感じた2時間でした。とても楽しかったです。

 「楽しかった」という言葉は、参加してくださった多くの方からもいただけました。(よかった。うれしい。)
 その他、「こうやってオンラインでも参加者の皆さんと話せたことが”デトックス”になった気がする」という声もありました。(これもうれしい)


 今回お話のなかで、紹介したエピソードの一つが以下のニュースでした。
「ロシアの名門劇場、観客1人で公演開始へ 集会禁止受け」
 https://www.afpbb.com/articles/-/3274624?fbclid=IwAR07qYJDQJIwSx2f6moSSTN7mZVPY4idcdFEttIHfRU_cdb4gZIeJYEojXY

 ロシアのオペラ劇団が、「ちゃんとした公演は、観客の関与なしでは成立しない」、「同劇場はたとえ相手が一人であっても、観客に向けて上演し続けることの重要性を感じたと説明」というように、演劇の質、劇団をまもるために、採算をとることではなく、公演を続けるという選択をしたということだそうです。これは、何を守り、何を続けるのかという選択を彼らがしているのか、ということを切実に訴えてきていることのようにおもいました。

 私たちもそうだと思います。こういう状況で、いろいろなものが中止になり、損失やダメージをうけ、できないことが増えてくる。そのなかで何をどのように守るのか。損得を超えたまもるべきものとか、ことが見えてくる、そのために動く、考えるという状況が生まれてきているのではないだろうかと思っていました。

 守るため、続けるために捨てざるをえないこと、変わっていかざるをえないこともあるでしょう。(いろいろなコミュニケーションや手段がオンラインに移行していくということ、そのための技術や変化が進んでいくということもその一つだと思いました)
 
 外出の自粛のなかで、それぞれひとりひとりが考えていたこと、感じていたことを話し合えたこと、聞きあえた時間がもててよかったと思いました。


 21時の終了後、22:30頃までは、「オンライン(zoom)飲み会」に移行し、それぞれがこの機会に、いろいろなzoomの機能を実験したりして過ごしました。

 ご参加くださったみなさん、ありがとうございましたー!


















追記:オンラインお布施(paypay)で、トータル3000円のご寄付をいただきました。
こちらは、今回の開催経費や、丸川さんが「普通を語ろう」等 でグラフィックを描く時のために模造紙を購入する費用(2巻発注しました)に充てさせていただきました。 ありがとうございました!

2020年3月18日水曜日

クラウドファンディングをして考えていたこと

 カリー寺基金というクラウドファンディングにチャレンジをしています。
https://camp-fire.jp/projects/view/211382

 カリー寺基金を企画した理由について、その一つは、以前、活動報告でも書かせていただいたことがあります。なぜ地域に助成するという企画を立てたのかということについて、その意味について書きました。
https://camp-fire.jp/projects/211382/activities/115644#main

 このカリー寺基金には、もう一つの側面があります。それはファンドレイジング―協賛の募集および、クラウドファンディングによる資金集めをしているということです。前者は、お金を地域に「渡す」というチャレンジ。後者は、地域や多くの人からお金を「渡される」「預かる」「寄付される」というチャレンジです。今回は、この後者の点について、少し言葉を重ねてみたいと思います。


●僧侶は「ファンドレイザー」でもあった。

このクラウドファンディングは、私(住職)にとっては、ある意味で「僧侶としてお金集めをする意味を問う」というチャレンジでもありました。古来より、日本では僧侶が寄進を集めてまわる「勧進」などが知られています。勧進については、このキャンプファイヤーのページでも紹介されていました。


  •  “ちなみに、「クラウドファンディング」という言葉自体は比較的新しいものですが、不特定多数の人から資金を募り何かを実現させるという手法自体は古くから存在していました。海外では美術品などのアート分野で寄付を募る取り組みや、日本では寺院や仏像などを造営・修復するために個人から寄付を求める「勧進(かんじん)」などがその例です。”

https://camp-fire.jp/crowdfunding より)
 
 古代・中世には寺院や仏像の建立・再建の他、道路や橋等の公共事業なども「勧進」によって行われることがありました。弁慶の勧進帳等の逸話等でも知られています。
そういった意味では、そもそもの僧侶の活動とこのクラウドファンディングということは、一定の親和性があるものという言い方もできるのかもしれません。現在でも、お寺の運営・維持も多くのケースが「お布施」(寄付)によって成り立っています。また大きな工事や、事業になるとそのたびにお寺は「寄進」を募ったりします。
 つまり、僧侶の仕事とは、ある面で「ファンドレイザー」という一面をもってみることもできるのではないかと思っています。

●寄付のわからなさ ― 幼いころから触れていた「お寺へのお布施」についての問い

上述のように僧侶は古来よりいただいたお布施によって生活をさせていただくとともに、お寺の運営や維持のための寄付を募り、預かるという、いまでいう「ファンドレイザー」の役割を担っていました。
 しかし、お寺に寄せられる「布施」や「寄付」について、私自身は以前から抱えている疑問がありました。お寺に生まれ育って、子供のころから、法要や日常においてお寺に寄せられるお布施や、ご寄付の様子を見ながら、受け取り手側(お寺側の人間)である私にとっては、「どうして檀家さんはお布施をされるのだろうか?」「なぜこの寄付をしてもらえるのだろうか?」という疑問が頭のどこかにありました。
 いま、あえてその疑問や感覚を言葉にすると、次のような言い方もできるかもしれません。

 対価や金額設定がないにもかかわらずなぜお布施・寄付がなされるのだろうか。そこに納得や意味が見出されていればよいが、時にお寺に寄せられる「お布施」は、すべてではないにしても、「問い」や「納得」を経て行われたものではなく、むしろそういった「問い」や「納得」が放棄された慣習的な行為であるかもしれないという可能性があるのでないかという疑問を感じており、それへの違和感を持っていたのかもしれない。

もちろん、布施や寄付ということ自体を否定しようというものではありません。それぞれの信仰や価値観に基づいた寄付、納得や意味をもった寄付であれば、もちろんそれはすばらしいことだと思います。しかし、一方で場合によっては、「そういうものだから」とか、「ずっとやってきたことだから」と、問いや納得もなく、あるいは説明されることすらもなく、形式的のみに「布施」「寄付」という行動が採用されているのだとしたら、それは(ひどい言い方をすると)構造的搾取とも言いえてしまうような集金行為である可能性がある。その可能性がないとはいえない。そんな怖さをそこに感じていたのかも知れません。

もっとシンプルにいってしまうと、わが身に引き寄せて考えたときに、「自分ならばそのお布施(寄付)をするだろうか?」とか、「自分がそのお布施(寄付)を受ける意味・理由をちゃんと見いだせているのか?」と考えるときに、幼かった自分にとって(小学生・中学生のころですが)ちゃんとYESといえるだけのものを持ち合わせていなかった、そういう言い方もできるかもしれません。

 誤解のないように言っておくと、いま自分のお寺では、お寺と支えてくださる門徒さん信徒さん(いわゆる檀家さん)たちとの関係は良好だと感じています。お寺に好意的に関わってくださる方、積極的に協力や支援をしてくださる方がたくさんいます。「搾取」しているわけではないと思っていますし、納得や説明をして、向けてくださったご期待に添えるようにありたいと思っています。しかし、やはりどこか歴史的な文脈や慣習の上に成り立って、いまのお寺が存続しているという現実はあることは否めません。だからこそ、それに胡坐をかき続けるのではなく、問い直しや、説明をしていく責任があるのだ、という思いもまた抱えています。(それが現在において十分に果たせているかというと、そうではなく、まだまだ見直し、考えるべきことがあるとも思っています。)
「お布施」(寄付)をお預かりする側として、お寺・僧侶として、どういう心持ちで、それらと向き合うべきなのか、そういう問いや言葉を自分のなかで繰り返し、醸成し続けることが意味あることなのではないかと思っています。

●「布施」・「寄付」の意味や納得を考え直す機会として


 今回のカリー寺基金のクラウドファンディングは、上に書いた二つの面から、僧侶としての自分自身の「寄付集め」ということについての問い直しという意味を持つチャレンジでもありました。

(1) 古来、あったはずである僧侶の「ファンドレイザー」としての一面(言うなれば、地域の「寄付集め係」の在り方)を、現代的に問い直してみること。

(2) お寺へ寄付するという行為、お寺としての寄付の呼びかけを、「問い」や「意味」が問われる文脈に置きなおして行うことで、見えてくるものを考えたいということ。

(1)については、今回のクラウドファンディングは、「基金の構築」という、いわば「ファンドレイズのための、ファンドレイズ」「助成のためのファンドレイズ」であり、よりその問いを顕在化させるように思っています。 
また、先にも述べたような「歴史的」「文化的」に寄付される存在であった、「お寺」(を名乗る「カリー寺」)や僧侶(住職)へのファンドレイズは、そういった歴史的・文化的蓄積の肯定的(ポジティブ)な活用たりえるのか、という問いでもあるように思っています。
(2)については、クラウドファンディングを行うという行為自体がその問い直しの作業でもあると思っています。そういう意味では、成功できるならば、もちろんうれしいことですが、仮にそうでなかったとしても、そこから読み取るべき、考えるべき意味は、十分にあるように思っていました。

 そういった意味で、(当然のことといわれるかもしれませんが)今回のクラウドファンディングは、単に金額を積み上げるだけの時間ではありませんでした。どういう関係性をカリー寺の他、西正寺で行ってきた活動のなかで紡いでいたのか、自分や自分たちの思いやビジョンはちゃんと伝える作業をして、共感・共有は行われていたのだろうか、そういった足元をいちいち見つめなおす機会でもありました。暫定的な「答え」として見えてきたものも、いくつかありました。
 おかげさまで、現在今回のチャレンジは、3月17日の23時現在で、95%を超えるところまで到達することができました。みなさんのご協力あってのことですが、金額のみならず、カリー寺住職の内面的な問い、チャレンジとしても大変得るものが多い期間を過ごさせていただいているという思いが強くあります。(ありがとうございます)

またやると思います。

クラウドファンディングや、あるいは違った形かもしれませんが、「寄付のお願い」とう行為はまた行うだろうとおもいます。そもそも「お寺」「僧侶」の在り方が「お布施」「寄付」と不可分には成り立ちません。だとするならば、それに慣習的に依存するのではなく、社会の中で「寄付」「贈与」ということについて、問いかけやそのより良い形を問うてみるということがテーマとして立ち上がっているように思われるからでもあります。
 
 そのようなわけで、お布施や寄付について思うところの一端をこの機会に言葉にさせてもらうことにしました。また、いろいろなご意見や感想があれば、いただければありがたいです。
 また、寄付やクラファンのお願いをさせていただきましたら、また温かく見守っていただけたら幸いです。
 
追伸:
今回は書けませんでしたが、その「寄付」はもちろんもらう側としての視点のみではなく、これまでに私自身が行ってきた「寄付する側」になって見えてくるものもたくさんありました。(NPOやいくつかの団体に最近では寄付や継続的な関係を作るような活動をしています。そのあたりは、また別の機会があれば。)
 寄付・お布施に支えられながら動いている身としては、寄付は受け取りつつまた、様々なところにお返しもしていけたらと思っています。
 

https://camp-fire.jp/projects/view/211382



2020年3月13日金曜日

おてらびらき(6)やりました

 午後からのんびりとお寺のお座敷をひらいておりました。
 てらびらき(https://www.facebook.com/events/192693955497352/

 12時30分から座敷のお掃除、片づけ、手を付けたいと思っていた作業をいくつかしました。一人だとできないことが、だれかいらっしゃるかも、という可能性が絶妙な緊張感をもたらして整理や掃除をはかどらせてくれました。



 だれもいらっしゃらない可能性も十分考えていたのですが、

 ・企画の相談行っていいですか?というアポ
 ・お寺にいるなら、「………いいですか?」というご相談。

がありました。
ということで、ある程度「予定や時間があいてますよ」という宣言的なものも意味があるなぁという手ごたえもありました。その他、15時過ぎに、フェイスブック見てきましたとお越しくださる京都からお越しの方も。

 ちょうどその京都の方がこられてほどなく「企画の相談」が始まったのですが、ここでかなり驚きの展開がありました。
 相談された企画の中で、「田んぼでラグビーをやってみたい」という話も出たのですが、そのたまたま来られていた京都の方が、「田んぼでラグビーやっているのに関わっています」と!!!!

 いらっしゃるのはその2人で、たまたま居合わせたところでこんなマッチングが!って笑ってしまうような遭遇でした。

 そういう結びつきや出あいが自然に起こる場になったというのが、なかなか面白くうれしいことでした。

 そういうわけで、明日もコロナで予定があいていますので、午後はのんびりとオープンしております。

 3月14日もてらひらき(明日は、6.2)
 https://www.facebook.com/events/563107851217449/
 


 

2020年3月10日火曜日

「よいかなよいかな」をオンライン(zoom)で行いました。

 3月9日(月)。19:00から、仏教を学ぶイベント「よいかなよいかな」を予定していましたが、コロナウィルスの影響を鑑みて中止しました。その代替として、オンラインzoomを利用した仏教談義というか、談話会を呼びかけたところ、主催者含めて5名で開催しました。いずれも継続的に「よいかなよいかな」に参加してくださっていた人たちです。。

 まずは、自己紹介と最近のトピックをチェックインとして、一言ずつ話してまわりました。
 
 次に、今回の趣旨をアナウンスして、参加者それぞれがこれまでの「よいかなよいかな」での感想や、印象的だったこと、期待ややってみたいことなどがあれば、話してもらい、その出してもらった意見や思いを掘り下げていったり、広げていくような形で進めていきました。

 ・「仏さま」の説明とても印象に残って、日常生活にも影響がある。
 ・エピソード(たとえ話)がおもしろい。
 ・参加者の考えや、感想・反応が興味深い。
 
 等、それぞれの視点があるなぁと感じました。

 そこから展開していった話題は、大きく二つあったようにおもいます。
 一つは、「宗派」の違いについてのもの。
 浄土真宗だけではなく、他の宗派ではどうなのか? 他の宗派のお寺やお坊さんとの接点でこんなことがあったけど?というような話が共有され、このよいかなよいかなの参加者のみなさんの「宗派のちがいって?」というような関心に触れるころができました。

 もう一つは、「ご朱印」とか「占い」といった世間的に流行しているものや期待にどうしてお寺や浄土真宗は乗っかっていかないのか、距離があるのかという問い。
 実際に、僕自身も、先日東京に行った際に、新宿の街を歩いたとき、かなりの「占い」のお店があり、またどこも盛況だったことを目にしたこと。あるいは身近な人が占いに対して関心を寄せていること、心理的なハードルがあまり感じられないことを、どのように考えたらいいのかというような疑問をもっていたこともありました。

 あれこれ聞いた後、すこし私の立場から「占い」に対してどうして距離をとっているのか、という話をしたのですが、こういった話題をあつかってみるのも面白いなぁと思いました。
(抽象的なレビューですみません)

 意見交換できたことで、「よいかなよいかな」の展開もいろいろと見えてきたものがあります。また次回以降の開催をどうぞお楽しみにしてください。


2020年3月6日金曜日

西正寺の永代経法要を中止しないのは(規模縮小でやります)

 コロナウィルスで大変な状況ですが、自坊西正寺の永代経法要(3月25日・26日)は、コロナウィルス対応・対策を取りつつ、規模を縮小しながらお勤めさせていただく予定です。
 法要の案内・詳細については、以下のリンクの記事に投稿しておりますので、ご覧ください。
  http://saishoji.net/archives/317

 この投稿では、なぜ現在において(中止ではなく)上記の対応に至ったのかという思いをすこし書きたいと思いました。

【とるべき対応の候補と選択について】

実際に2月末からの急展開で状況が追い付かなかったところが多々あります。全国の小中学校の休校や、諸行事の自粛の様子が報道を通してうかがわれ、どのように対応すべきか正直迷いが生じていました。また、全国のお寺にとっては、3月にはお彼岸を迎える時期ですが、お彼岸の法要や、永代経といった法要の動向も「中止する」という判断をされたことを多数うかがっていました。この判断は、苦渋の決断・断腸の思いであろうとお察ししますし、感染対策として最善の判断をされたということだと思います。

 自坊の状況を考えたとき、お寺にお参りに来られる方は、いわゆる高齢者が大変多くいらっしゃいます。今回の新型コロナウィルス、肺炎の高リスク層です。この状況でなんらかの対応をとらないという選択はまずありえませんでした。
 では、どうするか。可能性として考えられる候補をリストアップすると、以下の案があると考えました。(選択しないものも含めてリストアップしています)

1、平常通りに実施する。
2、感染対策(消毒・マスク等)を行いつつ実施する。
3、規模を縮小し、感染対策を行いつつて実施する。
4、参拝者なしで、お勤めのみを実施する。
5、中止する。一切何もしない。

もしかすると、この他にもあるかもしれませんが、
素人判断で、思いついたのはこのレベルでした。

上記のように、現状において1はもう無理だと思われました。学校や3月中の行事が自粛・中止をしているなかで、なにも対応を取らずに実施するというのはあり得ません。2の対応をとったとしても、本堂という空間に数十人の人がいるのは、感染対策として今回の場合は十分な対応ではないと思われました。また「都合をつけてご参拝ください」と呼びかけられるレベルでもありません。そうすると3以下になります。

 3月の下旬には状況がもしかしたら少し改善している可能性があります。感染が減ることはありませんが、平常の活動に戻ろうという機運がでてくる時期かもしれません。とするならば、現状では、3の判断が可能だろうと判断したわけです。数十人規模ですので、今後の変更・案内も不可能なレベルではありません。そういった規模感もこの選択の背景にはあります。
 もちろん状況次第で、4(無参拝者)に進む可能性は念頭にあります。その場合は、再度ご案内をして回ることが必要だと思っています。
 一方で、私(住職)がコロナウィルスに感染したという状況にもならない限りは、今回の場合5(中止)という選択肢は取らなくてもよいだろうという思いもしています。それは、最小規模が寺族のみという、生活以上にリスクが上がる状況ではないということもあります。

【どうして中止しないのか】

 どうして、高リスク層の高齢者の行事にも関わらず「中止」と判断しないのか。もちろん、実際に法要の中止を判断されたお寺がたくさんあることを伺っています。しかし、西正寺は、お招きした御講師に今回は見合わせいただくこと、参拝者はそれぞれの判断(お参りしないということも含めて)をしていただくという形でご案内をしました。

 その判断の根底には、これまで継続して行われてきた法要を(形を変えても可能な限り)継続してお勤めし続けることに意味があると考えているということがあります。
 
 春(3月)・秋(9月)の永代経、そして11月の報恩講は、西正寺でもっとも大切にお勤めしている法要です。御門徒のみなさんと一緒に法要をお勤めしてきました。 
 浄土真宗の法要の柱は、「勤行(儀礼)」と「法話(お聴聞)」です。参拝のみなさんと一緒にお勤めをしてこそ法要である、という考えももちろんあるとおもいます。参拝のみなさんに御法話を聞いていただく(お聴聞していただく)ことこそがもっとも大切だという考えもあるとおもいます。だからこそ、普段の法要においては、参拝のご案内・呼びかけをし、できるだけたくさんの方にお参りいただくように努めるということをしています。

 一方で、次のようにも思います。「無参拝者で法要を実施したら、無意味なことだろうか?」と。それに対する答えは「否」でした。参拝者がいなかったとしても、お寺で法要が行われている、継続されたということは、(今回のケースでも)人それぞれにいろいろな意味をもって受け取られるだろう(これまでにも、受け取ってくださっている人がいただろう)と思っています。
  
 実際に、普段の永代経でも、「参拝できないのですが」と懇志を持ってきてくださる方がいらっしゃいます。お参りできなくても、「お寺でお参りされている」ということに、感謝のお言葉をいただくこともあります。お参りがなくても、「法要がお寺で行われている」ということ、そしてそれが、ずっと絶やさずに継続されている法要である、という意味は自分の中で決して小さくありませんでした。私自身がそれを感じているからこそ、このような判断になったのかもしれません。(もしかしたら、やむを得ず中止の決断をするケースもあるかもしれませんが、それが今回ではなかったという話です)

 もちろん、浄土真宗の法要の一番のかなめは、仏縁に遇うこと、お聴聞の場としてあることです。実際にお参りをいただいて、仏前に座っていただく、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えていただく、浄土真宗の教えを直接に聞いていただくこと、それがもっとも大事なことで、法要をする最大の意味だとおもいます。
 しかし、そこに至るまでに、あるいは、その座っている瞬間においても、おそらくそれの場が、その法要が絶えず継続されることに努力がはらわれてきたという時間的なつながりをもっているということ、それを感じ、実際に実践されつづけているということに触れること。決してその意味は小さくないと思っています。
 
今回については、自身の身を守ること、感染を拡大しないということを最優先に行動いただけたらと思います。
 永代経法要は、(少なくとも今回は)中止することなく、西正寺として責任をもって実施したいと思っています。


 
 

2020年3月3日火曜日

中島岳志『親鸞と日本主義』新潮選書、2017年。


中島岳志『親鸞と日本主義』。

2017年に刊行されて、話題となった書物。もともとは季刊『考える人』で連載されていたものに加筆・修正と書きおろしを加えて刊行されたもの。

連載の段階から、戦前・戦中の国家主義(超国家主義)と親鸞思想との接続・関係を論じるものとして大変注目させていただいていた。
 三井甲之、蓑田胸喜、倉田百三、教戒師と転向した共産主義者たち、亀井勝一郎、吉川英治、暁烏敏等といった国家主義思想を唱えた人物・グループがいかに親鸞思想をベースに自説を唱えていたのかを明らかにした書物。

 もともと、戦前・戦中の国家主義と仏教との関係でいえば、日蓮主義との関係がよくしられていた。石原莞爾、田中智学、北一輝等の日蓮主義者と国家主義・国体思想との関わりがよく知られていた。一方で、親鸞思想はいずれかというと、今日の状況から「リベラル」的なものとして理解されることが多かったのではないだろうか。

 しかし、現実には、戦前・戦中には浄土真宗本願寺派でも「真俗二諦」という戦時教学を構築し、積極的に戦争協力・国家主義体制に荷担をしたという事実がある。

 本書では、次のような指摘がなされている。

 幕末に拡大した国体論は、国学を土台として確立された。そのため、国体論は国学を通じて法然・親鸞の浄土教の思想構造を継承していると言える。「自力」を捨て、「他力」にすがるという基本姿勢は、「漢意」を捨て、神の意志に随順する精神として受け継がれている。
 ここに親鸞思想が国体論へと接続しやすい構造が浮上する。浄土教が国体論に影響をうけているのではない。国体論が浄土教の影響をうけているのである。法然・親鸞の思想が国体論の思想構造を規定しているのである。
 そのため親鸞の思想を探求し、その思想構造を身につけた人間は、国体論へと接続することが容易になる。多くの親鸞主義者たちが、阿弥陀如来の「他力」を天皇の「大御心」に読み替えることで国体論を受容して行った背景には、浄土教の構造が国学を介して国体論へと継承されたという思想構造の問題があった。浄土真宗の信仰については、この危うい構造に対して繊細な注意を払わねばならない。(本書・終章282ページ)

 国学(本居宣長)と浄土教思想との接点があるという思想史的な視点と、実際の国家主義者たちの主張・思想をひもときながら、上記のように指摘されたことは傾聴に値する。親鸞思想の特に阿弥陀如来の「他力」に関わる思想が、天皇の「大御心」と同一視され、国家主義と接続していったというのである。
 
 一方で、より一般化すると思想一般がもつ危険性があるということにも個人的には注意と関心をむけておきたいと思う。安全な思想などあるのかという問いに対しては、「否」と答えるべきではないかと思っている。

 経典や教義をいかに解釈するか、いかに現実的な実践やあり方に落とし込んでいくか。そこには社会的・歴史的にさまざまな制限や条件が存在する。絶対的な「正解」などだしようもなく、いずれもその時代時代の正義や価値観を離れて語りえない。
 
 だとすると、特定の思想的語りが、危険思想と結びついたという問題に十分注意をはらいながらも、思想一般がもつ危険性があるということにも十分注意がひつようなのではないだろうか。自身の思想・信仰をわれわれは何と結びつけ、何に投影しているのか、自身の語りや思想を相対化し、確認をするという作業が重要なことなのではないだろうかと思うのである。


コロナ騒動の中で。

 先月以来のコロナウィルス感染対策。いたるところでのイベントの中止・延期。ご多分にもれず、3月のほとんどの行事や出講がキャンセルになった。
 仕事がなくなってしまうと、逆になにをしていいのかわからなくなる。するべきことはたくさんあるはずなのだが。

 午前中はデスクワーク、昼下がりから市内某所へお届け物とチラシの配布に。
 3月末~4月の行事として

 ・永代経法要(3・25水~26木)
 ・大江戸ブギウギ(3・29日)
 ・第17回はなまつり(4・4土)
 ・第17回西正寺寄席(4・18土)

が予定されている。どれも、実施できるかどうか、実施した場合は、コロナウィルス感染予防対策をどのようにしようか戸惑いつつ準備をしている。

 できることを一つずつしていくしかない。
 リスクは極力減らすように。「後悔」が起こらないように。
 丁寧に丁寧に。


2020年2月24日月曜日

チラシ作り―西正寺寄席・はなまつり

 おはようございます。
 昨日は午後からチラシのデザインデータ作成をしていました。
とはいえ、まったく新しいデザインをつくったわけではなく、これまでの前例を踏襲しながら、情報やデータを整えるというくらいの作業なのでした。それでもとても時間がかかって、ほぼ半日かかりました。

 えいっと動くまで時間が、遅くなってしまって、どうしてもっと初動がはやくできないのだろうかというのは、個人的な課題です。

 できたデータが以下のものです。

 4月は4日(土)にはなまつり、
 18日(土)に西正寺寄席を予定しています。

 そのほか、近いところで、4月5日(日)には「ふるまい市」も企画されていますし、3月の25日・26日には、永代経法要もあります。(それも案内つくらなきゃ!)。

 また、もちこまれている企画としては、3月29日(日)には大江戸ブギウギというイベントも予定されています。

 いずれのどうぞよろしくおねがいします。

★カリー寺基金という企画で、クラウドファンディングにも挑戦しています。
こちらももしよかったら、覗いてみてやってください。

https://camp-fire.jp/projects/view/211382





2020年2月11日火曜日

仏教教団の過疎対策の会

昨日は、「過疎問題連絡懇談会」という名称の、
つまりは、仏教教団が宗派の枠を超えて、過疎どうするかということについての取り組みを共有する会に参加させていただいていました。



NHK 京都 NEWS WEB 過疎地域への僧侶派遣 課題協議
(2020年2月10日)
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kyoto/20200210/2010005708.html?fbclid=IwAR3i8SBOr_MNq25dZckZvpM_cgn_GJU9NMrNmiVelf2tYu3RjX7YbnnyHHc

各仏教教団が宗派の枠を超えて、「過疎」という人口変動、社会変動にどうすべきかを試行錯誤しています。

(僕自身知らなかったのですが)
各教団でも、過疎地域で活動する「支援員」制度を導入されていて、現場の支援員さんのリアルな現況を、直接聞かせてもらえることができました。

 地域をどうするか、住民の「主体性」や、「支援」とはなにかといったことが問いとしてあったように思います。

 印象的だったことは、「支援しにいく」あるいは「支援員」という名乗りではいるとかえって「支援しづらさがある」ということの話。

 各宗派の職員として、あるいは現場の僧侶の方として活動されている方たちとお話できたこともよかったです。

 会のメインは、新潟の「中越防災安全機構」の稲垣文彦先生の講演だったのですが、これが、災害復興から(ほぼ絶望的と思われていた)限界集落が、地域住民の「やはりこの集落を残したい」という主体性が立ち上がるまでと、その声が起こった後実際に「維持」されたというエピソードなど、とても興味深いお話でした。




2020年1月24日金曜日

2020年1月23日 よいかなよいかな(3)

2020年1月23日 よいかなよいかなの3回目。











大学生がいいだしっぺで、みんなで仏教を学ぶイベント、「よいかなよいかな」の3回目が開催されました。

■進行について

タイムスケジュールは、以下の通り。

19:00 スタート、勤行「十二礼」

19:10 イントロダクション、自己紹介

19:30 テーマの「愛」についてみんなで考える
     ・各自でふせんに イメージ、疑問、好きなものを書き出す
     ・紹介しながら、模造紙に張り付ける。
      → 「愛」についての イメージや、語感、意味等が幅広く出ました。
      → 40代男性が2名が「愛は勝つ」「勝つ」と書いたので世代を感じました。

19:50 住職が「仏教」の「愛」について 紹介。

20:20頃から、ふたたび参加者みんなでなんやかんやと話し合いました。






 




■内容、語りあいについて

前2回が教科書的に、固い感じでアプローチをしてしまったところの反省もあり、身近に考えたり、語ったりできればということ、友人が「仏教は失恋に効くのか?」というテーマを設けて考えていた会があったこと、それから大学生が「恋人必要・不必要?問題」が関心にあったようなので、それらを総合して、今回のテーマになったように思います。

結果として、仏教の「愛」についてのとらえ方について触れてもらったものの、「哲学カフェ」的な語りあいの雰囲気もあったのではないかと思いました。
もうすこし、そっちの方で、みなさんのアレコレ考えていること、漠然としていることを言語化していくような時間があってもよかったのかな?と終わった後に思いました。それでも、試行錯誤しながら、今回一つの形を試しながら、みなさんと話せたように思いました。


■仏教の「愛」について
 仏教の愛については、大まかに以下の様に紹介しました。

 ・四苦八苦の一つに、「愛別離苦」などが挙げられているように、愛するものとの別離、愛着のあるものから発生する「苦」や「悲しさ」は仏教のテーマ、解決すべきことがらのひとつだったとおもわれる。

 ・しかし、「愛」は多くの場合、肯定的にとらえらてはいない。「煩悩」「とらわれ」「執着」として、苦を発生させる原因として語られる場合が多い。古い経典には、「愛するものをもつな」「愛するものからはなれよ」「愛するな」などと言われたりします。

 ・一方で、肯定的に「愛」という語が語られるケースもあります。
 「仏」や「菩薩」が、人間(衆生)に接するすがたは、「和顔愛語」「愛敬」として、やさしさや、思いやり、慈悲の姿が「愛」ということに含まれ、肯定的に語られています。

 ・苦しみの原因の「愛」と、仏・菩薩の「愛」とはどうちがうのか?
 「愛」のような語句を仏教でどのように語るのかということから少し考えてみました。
 一つは「慈悲」。仏・菩薩が実践する慈悲は、平等・差別がないということが根底にあります。それを人間の愛とくらべてみるとき、人間の愛は、「偏り」があったり、「特定の者に対して向けられる」という傾向があるのではないかと思われました。
 仏・菩薩は、平等にすべての対象を「一人子のように」慈悲の心をむけられているといわれます。 そういう意味では、「限定的」「偏り」があるもの(人間)と、「平等」「無差別」という心のありかたが、見えてきました。
 和顔愛語や、愛敬も、特定の・限定的なものではなく、すべての人に、いついかなるときも、そのようにという心が根底にありそうです。

 もう一つは「縁」という言葉を紹介しました。
 人と人の結びつきを「愛」で語るとき、それは人間の個人的な感情、思いから生じるようなイメージを有します。一方で、われわれは、人間の関係性、結びつきを「縁」という言葉でも語ってきました。例えば、「ご縁」、「縁談」や「良縁」、「縁結び」という言葉もあります。「縁」ということばは、個人的な感情・思いから発生するものとはすこし違うニュアンスがあります。 自分以外の他者とのかかわり、あるいは想像を超えるさまざまな積み重ねや関係性の結果として、だれかとの関係性がここに成立しているような。
 そういう意味で、人間の関係性や、人とのつながりを、より広い意味で見て行く視点が「縁」ということばには含まれているように思います。

 もちろん、いずれかが正しく、いずれがまちがっているというものではなく、言葉が含んでいるものがらや、感覚を見つめてみると、そのような違いや、受け止めの可能性が、一つのありかたとしてみていくことができるのではないか、というようなことでした。


 仏教の「愛」についての話のあとも、みなさんからそれぞれの感想やことばがつきず、21:00、クロージングの時間を迎えました。

 参加していただいたみなさん、ありがとうございました。


■ 参加された方からいただいた感想を。

今日はありがとうございました。愛について語ったことがなかったので、いろんな意見が聞けて新鮮でしたし、すごく充実した時間を過ごせました!

2020年1月13日月曜日

200111_大学生と仏教について学ぶイベントの打合せ

1月10日(土)。
昨年から開催している「よいかなよいかな」の3回目に向けての打合せ。
学生さんが卒論の提出だったため、近くなってから相談しましょうね、ということでこの日でした。

 結果からいいますと、次回の「よいかなよいかな」は1月23日(木)の19:00から予定していますので、どうぞよろしくおねがいいたします。

よいかなよいかな(3回目)フェイスブックイベントページ
https://www.facebook.com/events/2562339763880487/


どうして「愛」になったかというと、
 1回目、2回目と「仏」「経」と、ベーシックな形でやってきたので、すこしフランクに参加者のみなさんと語り合えるテーマがいいですよね、という思いがしてきたこと。
 現代的な悩みや感情と、仏教との接点やギャップみたいなことも考えてみたいね、といことで「愛」になりました。

 当日はどうなるかまだわかりません。仏教が「愛」ということについて、決してポジティブなものとしてとらえているわけではないこともお話できたらな、とおもっています。


 うちあわせにあたって、いいだしっぺでもある大学生のうつみさんに、ブレスト的に「質問・問い」を考えてきてもらいました。その問いに対して、瞬発力だけで、即興的にインスピレーションでレスポンスしてみたものがありまして、それをおまけに下につけてみます。

 よく仏教では、「これっていいんですか?」とか、「これはどう考えるんですか?」という問いが向けられるのですが、そういうものに対してほとんどの場合、白黒はっきりとした答え方ができるわけではありません。むしろ、本来的な形はこうだけれども、現実は・・・というように、もともとの形や、教義から変質したり、逸脱したりしている現実という状況もままあるわけです。

 それを、どう受け止めるのか。むしろ、白黒はっきりしない、「齟齬」や「矛盾」との向き合いのなかに仏教の本質もあるようにおもわれるのですが、どうでしょうか。
  

◎生活シリーズ
‐寝坊することは怠けていると考えられがちですが、仏教ではどう考えるのですか
 ・戒律の生活はきっちりと決まっています。
  午前中に起きて、托鉢にいって、午前中に食事をすまさないといけません。
  午後からの食事は、戒律違反。
  午前中にたべないと、その日はなにもたべられません。
  寝坊したら托鉢にいけないので、ごはんがたべられなくなるのかもしれません。

  でも現代のお坊さんは、寝坊もするし、午後にごはんも食べます。
  この打合せの当日も、うっかり一つやらかして、朝のそうじに遅れました。
  なまけ心もめちゃくちゃあります。

 

‐遅刻することは良くないというのが一般常識ですが、仏教ではどう考えるのですか
  遅刻はいけませんね。約束をやぶるということになるので、「不妄語戒」(うそをついてはいけない)に違反するかも。
  でも、上述のように、今日寝坊して、遅刻しました。



‐勉強しないといけないのにスマホ触ってまうことに罪悪感を結構感じるのですが、怠けて
いる人間に対して仏教は手を差し伸べてくれますか
 「なまけてはいけない」、というかもしれません。
  怠惰はいけないと、しばしば経典などに出ます。「精進」(がんばる・努力する)というのが修行であり、徳の一つになっています。でも、私自身がかなりスマホをいじってしまうので、スマホ依存ではないかと思っています。

-学力あまりないのですが大丈夫ですか
 学力がない人には、それに応じた教えをおしゃかさまは説いてくれます。
 


◎恋愛シリーズ
‐彼氏できないことを結構悲しいな~って思うことあるのですが、仏教ではどう考えるのですか?
 恋愛すら、煩悩として控えるべきというのだから、そもそも「恋愛するな」っていうのかもしれません。 
 でも、お坊さんも恋愛も結婚もしています。


‐結婚は絶対ですか?
 本来的には、出家(お坊さん、尼さん)は「結婚」してはいけない存在。
 でも、いまの日本のお坊さんは、結婚しています。むしろ、家族・親戚、あるいは檀家さんなど親しい人からの、結婚しないのか? っていうプレッシャーにさらされる人もめずらしくありません。(つまり、環境や、社会の方が本人の意思に関わらず「結婚」についての期待が高かったりするケースもままあるわけです)


‐男女の友情について、仏教はどう考えるのですか。あり?なし?
 出家の生活は、男女の生活の場所を分けて、極力接点をもたないようにされています。心が乱れるから。そういう意味では、「男女の友情はむずかしい」というスタンスかもしれません。(どうでしょうか?)
 でもお坊さんには、異性の友人もいます。。。


‐タレントの加藤紗里さんが「結婚したけどお金つかわせたら経営傾いたから3か月で離婚した~。金のない男はいらない」といっていて軽く炎上しましたが、仏教ではお金と愛?どっちを取りますか?
 お金も愛も煩悩。
 でも、お金にも愛にも執着しちゃっています。

‐不倫が発覚した芸能人がしばしば炎上しますが、仏教では不倫についてはどう考えますか
 不倫は、「不邪淫戒」に抵触するので、アウトです。
 不倫は、しません。たぶんしないとおもう、しないんじゃないかな。
 (さだまさしの関白宣言を参照してください)


‐好きとはなんですか
 執着・とらわれ。


◎性格の話
‐ひねくれてる人間について仏教はどう考えますか
(純粋な人間に対して裏がありそう~って思ってしまう)
 なにが「ひねくれている」ということなのだろうか?うむむ。


‐夢とかあんまり持ってないのですが大丈夫ですか
 大丈夫。(根拠ないけど)

‐仏教では人に親切にすることをどう考えますか?(偽善という人もいるので)
 親切はいいこと。「布施」(ほどこし、あたえる)ことは修行・徳の一つ。
 でも、「本当の親切ってなんだろう?」 本当に相手のためにするってなんだろうっていうことの答えは簡単ではないのかもしれませんね?
 思った通りに人を助けていく、思った通りの結果を得ていくということはとてもむずかしいことのように思います。



2020年1月10日金曜日

うちあわせの日々

ここ数日、打合せが立て込んでいる。

火曜日は、午前・午後と龍谷大学で講義をして帰ってきてから、ふるまい市の打合せ(ミーティング)。

水曜は、午後から2/14に引き受けた研修の件で、本山・本願寺で打合せ。
その打合せのあと、お電話をいただいた別の部署へいくと、またそのまま打合せ。
3/14には福井に行くことになった。

翌・木曜は、4月から始まる連続講座の打合せで加古川へ。
帰ってきてからはお寺で、来週引き受けた場所貸しのイベントに関する打合せ。

今日は、お昼から尼崎市の取り組みに関する打合せ。
夕刻からは、カリー寺基金の打合せ。夜は、31日にお寺で引き受けたイベントに関する打合せ。

明日は、午後からお寺で主催するイベントの打合せが入っている。

2020年1月8日水曜日

200107‗ふるまい市のミーティングをした

2020年、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

新年の行事をすごしつつ、徐々に日常へともどってきました。
昨日 1月7日の夕刻は、「ふるまい市」について、ゆるゆるとミーティングをしました。

1月7日なので、あつまってくれたみなさんに七草粥をふるまって、おかゆをたべながらゆるゆるとした、しかし楽しいミーティングができました。

つくったおかゆの写真。
なかなかおいしくできました。

 

結論からいうと、今年の4月5日にまた、「ふるまい市」をします。
「ふるまい市ってなに?」っていう方は、以下のリンクのフェイスブックページをご覧ください。
https://www.facebook.com/events/1623506174419484/

昨年、無料でふるまいたいモノとかコトをあつめて西正寺でふるまい市をしました。
不思議なイベントで、
プレッシャーとかストレスとかがまったくなくて、
ただただ楽しんだ、遊んだ、という感想だけが残るイベントなのです。

失敗するかも、という心配もありませんでした。
なぜなら、無料で、採算を考える必要もないから。
いっしょにやってくれるメンバーもいたので、だれもこなかったら、そのメンバーだけでも十分楽しめるという思いもあったので。

どうも、いっしょにやってくださっていたみんなもそんな風に思っていてくれたようで、またやりましょうということになりました。

課題は「やらなきゃ」のような義務感からいかに解き放たれるか。
「ふるまい」のモチベーションを楽しみながらどう保っていくかという感じでしょうか。


ちなみに、このイベントは、
田中元子さんの『マイパブリックとグランドレベル』からインスパイアされました。

(画像をクリックするとアマゾンに行きます)
この本を読むと、ふるまいたい!という思いがわいたり、ふるまいの質が変化します。 もし、この本を読んで、ふるまいたい!という思いが湧いた方がいらっしゃったら、ぜひぜひご連絡ください。

2020年1月3日金曜日

【新年にPCをカスタムしたという件】SSD換装とOSのクリーンインストール

【新年にPCをカスタムしたという件】

 最終的には、HDDをSSDに換装して、Windows10 をクリーンインストールするということになりました。
 
 結果、非常にサクサクと動いてこれまでのストレスがなんだったんだろうか?というほど快適になっています。(今現在まで)


(経緯)
 もう何か月も前になりますが、HDDをSSDに換装するぞーと試みたのですが、データをコピーするところで躓いて、置き去りになっていました。
 フリーのソフトで、ほぼ1日かけてエラーが発生しているとか、有料ソフトを使ってもやはりエラーが発生して、先に進めずにいました。

 そんな中、2020年の1月にWindows7がサポート終了になるという話。
 まだまだ現役のPCがいる状況でなぜ?という思いを抱えつつも、ここでなんとか対応せねばと。

 そういうわけで、年末に再チャレンジ。 
 有料ソフトでクローンを作成してみたものの、やはりエラーがすこし発生たけれど、無視して、換装してみました。結果、起動するものの、ドライバらしきものが見つからない、関数にエラーがあるとか、起動直後に数十ものエラーメッセージがでてどうにもなりませんでした。
 そのような状況に立ち至り、換装→OSのアップグレードという計画を断念。
 新年に、計画を 「換装」→「クリーンインストール」に変更しました。
 この場合、いままで入れていたソフトを入れなおしたり、データをいちいち移植したりする必要があるので、ちょっと面倒だなーと思っていたのですが、新しいPCを買うより断然にコストは安い(1/10以下)で、当座をしのげるだろうと思います。

 結果、期待以上に、サクサク動いています。
 これでこのPCも、購入したままの状態から、

 メモリが4倍(4GB→12GB)
 ※4GBオンボードで、カタログスペックではMAX8GBのところ、2年ほど前に8GBに載せ替えた。
 
 HDDをSSDに換装して、容量も2倍以上(450GB→1TB)になりました。

 

 







「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...