おてらおやつ劇場のチャリティー Tシャツ リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 4月 23, 2020 浄土宗の劇団ひとり 山添真寛さんがなさっている おてらおやつ劇場。 このたび、JAMMINのチャリティ―コラボイベント(https://jammin.co.jp/2020/04/15/this-week-design-ooc-theater/)で、Tシャツとトートバッグを販売されているので、一口購入させてもらったのが、昨日届きました。 おてらおやつ劇場 https://otera-oyatsu.club/theater/ 自粛生活が続きますが、できることをひとつずつ。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
【告知】 伝道院で報恩講が行われます - 10月 03, 2024 専任講師として関わらせていただいています 浄土真宗本願寺派 布教使課程 。 いわゆる「伝道院」で、本願寺派布教使を養成する課程です。 この伝道院で(おそらく初めて)の試みとして 伝道院報恩講が開催されます。 重要文化財で普段は非公開の建物、そして浄土真宗布教使を輩出しつづけてきた歴史と重みのある建物で、特別なご法要をお勤めさせていただくことになりました。 企画・運営、そしてお勤めと御法話も、いま伝道院で研修中の布教使を志す若手僧侶が勤めます。 伝道院として、布教使課程として一つのチャレンジでもあります。 あたたかく見守りいただくような、あるいはご一緒にこの法要を作っていただけるようなお気持ちで、お参りいただけたら大変ありがたいです。 中平は、午後から参拝予定です。よろしくおねがいします。 伝道院報恩講 日程 2024年10月6日 日曜日 10:30~16:00 おつとめ 法要は 午前の部 11:00~12:30 午後の部 15:00~16:30 会場 浄土真宗本願寺派 伝道院 Read more »
教育委員会(臨時会)に出席 人権や教育について考える機会 - 2月 09, 2025 ※途中まで書いていたのですが、書ききれずに止まっていたものを書き改めてアップします。 先週の月曜日、2月3日は、午後から教育委員会の会議(臨時会)に出席しました。 会議をしたよ、ということ 教育委員会の会議自体は公開で行われるが、非公開の議案も多くその場合は、傍聴者に退出していただいて会議を行います。(そもそも傍聴者がいないことも多く、今回もその例。複数人いるということも珍しいケースでもあるが) 会議は長時間に及ぶことも多く、今回も15:30開始、非公開と平場の協議も含めてすべての日程を終えて会議室を出たのは20:00頃。 会議の内容は ・市議会に出す補正予算関連の議案 ・人事異動に関する定数の変更に関する議案 ・国の人事院勧告にあわせて給与制度の見直しをする議案 等でした。 議案は非公開のものもあるので、具体には触れませんが、委員からは種々の方面から質問し、答弁をもらいました。私個人は4年目(一期目)なので知らないことも多く、いただいた答弁の1つ1つが勉強になりました。(ほかにどこで使えるのかわかりませんが) 今回は、国の年度内予算の補正(市に対する補助が発生するタイミング)と、市の翌年度予算のタイミング(ちょうどこの時期)の兼ね合いから、今年度予算で組んでいたものが前年度の予算で計上されているという二重計上(ある意味でテクニカルといえる予算の処置と思いました)という複雑なスキームがあることが理解できました。 ※ 本当にどこでこの理解が使えるのかを考えると…ですが。笑 会議の中、委員や事務局のみなさんと話す中で起こった、「人権」に関するディスカッションが個人的には大切なことではないかと思っているので備忘のためも含めて、こちらに書き出そうと思います。(ディスカッションといいながら、書き記すのは自論になりました) 「人権」(差別)の問題はどこからおこるのか 会議の中で「人権」について関わる話題がありました。 具体に立ち入ることは、非公開の審議に関わる差しさわりがあろうかと思われますので、問題と思ったことに焦点を当てて紹介したいと思います。 しばしば、人権にまつわる取り組みが、「心」の問題だけに焦点を当てて語られてしまことがあります。たとえば「思いやり」とか「やさしさ」とか。 しかし、人権はそういったあいまいな「やさしさ」とか「おもいやり」などで守ることがで... Read more »
講義でもらったツボる感想 - 10月 17, 2024 9月中頃から大学の後期の講義が始まり、お彼岸や法要もあり、種々の予定もあり、あっという間に時間が流れていっている感覚で、日々過ごしています。 一息ついている間に、「もう1週間たっていた」みたいな。 今日は、相愛大学で仏教の講義でした。 仏教の「縁起」について、幾つかの角度から講義・お話をした。 ここでは詳細にいえないけれど、 基本的には、仏教は、「物事には、因(原因)・縁(種々の条件)がある」とすること。あらゆる事象に因・縁を認めるということは、「絶対的な始まり」みたいなものはないということになるし、仏教は世界の”絶対的な始まり”や世界の創造みたいなことはいわないということになる。例えば、ビッグバンから世界がはじまったというのならば、さらに「ビッグバンはなぜおこったのか(ビッグバンという事象(結果)には、因・縁があるはず…」というような、どこまでも遡及しつづけるような視点を提示している。 また、原因と結果というつながりのほかにも、関係性や条件によって種々に見方を変えていくということもある。「私」はひとりではなにものにもなりえず、子どもの前に立つことで「親」となったり、親の前に立つことで「子」になったり、妻の前で「夫」となり、生徒の前では「センセイ」となるが、師の前では「弟子」となるような…。 まあ、そんな、ややこしいことをあれこれとやって、学生さんからリアクションペーパ(感想)を書いて提出してもらったものを、眺めているとみなさんいろいろと考えてくれていたのだろう様子をうかがうことができたのだが、特に今日は個人的にツボる感想があった。 それは、こんな感想。 (前略)前回、仏教(釈迦)の考えはポジティブで良いなとおもったけれど、今回の授業を受けて物事には因と縁があるよね、とか生と死の考え方とか、 めんどくさい人に詰められている感覚になった …(以下略) 仏教は、「Aだ」とか、「Bだ」とかハッキリとこれというものを示すよりも、むしろ「非A、非B」みたいに、「Aでもなく、Bでもない」とか、「 仮に ◎◎と名付けるような」はっきりしない、宙ぶらりんに置かれるような立場を示すんですよねーみたいな話をしていたので、「ややこしいことをいいますけど」みたいなことを何回か口にしていたような気がしている。 そのなかで、上のような感想は、むしろ「しっかりと聞いてくれていた」ということでも... Read more »
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