投稿

ラベル(レビュー)が付いた投稿を表示しています

『月をさすゆび』

『月をさすゆび』  一時期話題になっていたので、気になっていたのですが、ふっと読み始め、さらには人に紹介しようと古本で購入してしまいました。  https://amzn.to/44xBsUi このタイトルは、仏教では有名な例え「指月のたとえ」(月を指すを指を見ていては、月を目にすることはできない。仏教のさとりも、さとりを示す「ことば」に拘泥するのではなくその言葉がさす「さとり」を見なければならないというもの)からつけられています。  「関東仏教学院」という架空だが、関係者にはどこかわかる 仏教の専門学校が舞台のものがたり。「浄土真宗」の僧侶になるべく、勉強をしている4人の若者がメインに描かれています。  実際に「あるある」とうなづけることがおおい浄土真宗の僧侶を目指す若者のお話なのです。築地本願寺は出てきます。通う学校のモデルは、「東京仏教学院」であるこということは、すぐにわかります。  物語りの終盤には、得度習礼(出家するための10日間の合宿研修)の場面では、もうあの「西山別院だ!」と関係者ならばすぐにわかるほどの写実的な表現になっています。  一部「ああ、ちょっとちがうんだけれどな」というところもありますが(例えば、法話の内容や、法話で拍手が起こるなど)、それを差し引いても 僧侶の学習についてリアルなマンガで表されたレアな作品ではないかと思います。  近いうちに、「さんとしょ」( http://saishoji.net/archives/1132 )の西正寺の棚に並べに行きたいと思っています。

映画「リンダリンダリンダ」2019ー05

塚口サンサン劇場。 高校の文化祭の3日間。 初日にバンドのギタリストが怪我をして、演奏をどうするかというガールズバンド。 いろんな経緯から、韓国人留学生のソンちゃんをボーカルに迎えてブルーハーツのコピーを披露することに。文化祭の準備や、ブースや模擬店の当番等と平行しながら、ライブまでの3日間のストーリー。 恋愛や友情、学校の人間関係など「青春物」の要素もありながら、埋め込まれていた「異文化交流」というテーマが印象的だった。 ボーカルに入るソンちゃんが、当初文化祭で行おうとしていたのは、教師と一緒に韓国文化を紹介する「文化交流展」を実施するような教室。 ハングル文字や食文化などを紹介するポスターを掲示して用意をしているものの、彼女にはあまりいきいきとしたものを感じない。先生の「楽しまなきゃね」という言葉が、「楽しくない」ことの裏返しのように響く。 その準備の途中に、ふとしたことからバンドのボーカルになることに。 しかし、カラオケボックスで一生懸命に日本語の歌を覚え、 バンドメンバーとの夜を徹するような練習。 文化交流展の教室で居眠りする彼女は、 その教室での展示より、ずっと深い交流とつながりをその数日の間につくっているようだった。 文化や民族の境界を超える交流。ともに一つのことをなそうとする時間。 ただ単に「教室」で「文字」や「絵」で知ることでなしえないもの。彼女たちのたった3日間のしかし、必死にそれに懸けたバンド活動が象徴してくれるものがあったように感じた。

 ピッコロシアター開館40周年記念 ピッコロ劇団61回公演「布団と達磨」

イメージ
先日、「8時ダヨ!神さま仏さま」に出演させていただいたときに、ゲストでお越しいただいた、岩松了さんが代表のピッコロ劇団。  そのピッコロ劇団の公演を観劇してきました。  ピッコロシアター開館40周年記念、ピッコロ劇団61回公演は、岩松了さん作・演出の「布団と達磨」。  いや、おもしろかったです。  まわりにいた年配の方が、幕が閉まったとたん、「え?終わり? むずかしいわぁ」という声もありましたが、ある意味、確かに理解するには大変むずかしい劇だったのかも知れません。  しかし、繰り広げられているのは、あくまでも日常。  ある家の、ある一日の、夫婦の寝室で、起こった出来事。  そして、間違いなく、面白い話だったのです。  しかし、その面白さを「なぜ僕が面白いと思っているのか」ということについては、今ひとつ説明ができません。 その意味で、難しいといえば、そうだったのです。自分がなにをうけとめていたのか、まだ消化できない、むずかしさであり、面白さなのです。  見ている途中から、もう一回見ないといけないのではないかというような思いがしていました。  一番の衝撃は、何気ない布団にあんなものが仕掛けられていたとは! ということでした。(笑)  朝から動き回って、少し体をつかっていたのですが、退屈することも、飽きることもなく、あっというまに2時間過ぎていたように思います。 いや、見て良かったです。  終演後、ご配慮いただいて、おなじタイミングで来ていたマサミさんと、楽屋にお招き頂きました。岩松さんに御礼をお伝えできたのと、噂で聞いていた方々ともご挨拶する機会があり、大変ありがたいひとときでした。

「広場」という概念はおもしろいー広場ニスト・山下裕子さんのお話 あまがさき縁側会議

イメージ
2018年5月13日(日)夜19時から、 西正寺を会場に、「あまがさき縁側会議〜広場ニスト山下裕子さんに聞く 安心して居られる広場のつくり方と、まちを好きになれる広場のつかい方〜」というイベントが開かれた。( https://www.facebook.com/events/1730692190308015/ ) 尼崎ENGAWA化計画の藤本氏が主催の行事で、カレー付きで2000円という参加費。 (カレーを作られたのは、カリー寺スタッフでもあるSさん)20名近くの人が参加した。 19:30から、トークの予定だったが、カレーを食べているときに、山下さん、藤本さんから相談があって、オープニングでお経をお勤めすることに。 参加者みなさんの承諾を得て、「十二礼」のお勤めをみなさんとする。 お勤めを終えると、心が整って一つになったような印象。 だれかが、「(イベントが)終わった感じがしますね」という声があったのも印象的だった。 そこから、山下さんのお話。 山下さんは、富山グランドプラザという「広場」の運営をされて成果をだされ、 今は青森県八戸の「広場」の構築をお仕事にされている。 「広場」とは、「公園」(都市公園法)でも、「道路」(道路交通法)でもない、公共空間だという。富山では、その「広場」という空間を「条例」によって運営するという試みが行われているのだそうだ。そういう意味では、既存の法律の制限を受けない空間をあえて「広場」として設定するあたらしいチャレンジだと理解できた。  その「広場」として立ちあげられた富山グランドプラザは、なにもない平日の朝から人がいる。 イベントもない、店も開いていないけれども人がいる広場。 お金がなくても、用事がなくても行ける場所としての広場。  そうなるまでの、そこを面白くし、まちに賑わいをもたらす場としてさまざまな工夫がされている。 ・毎日模様替えをしてしつらえを変えつづけている。 ・人工芝でさえ、毎日置き方を変えている。 ・禁止事項の張り紙をなくすなど、自由な雰囲気をつくっている。 しかし、広場にくる人に直接的な働きかけや声かけはほとんどしないらしい。 しつらえや仕掛けを通して、「場」をつくることに徹しているような印象を受けた。 模様替えをして、それによって人がどんな反応をするか...

松本創『軌道― 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』

イメージ
  松本創『軌道― 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』。  この本を手にした理由は二つ。一つは、人のつながり。この本の主役・浅野弥三一氏が、尼崎のまちづくり関係の事務所の創設者であり、かつその事務所と今現在、地域の関わりで大変親しくしていただいていること。かつ、その事務所の社長でもある若狭氏から紹介、おすすめをいただいたということ。  そして、もう一つはこの本自体のテーマ。尼崎のJR福知山線脱線事故を扱っているといこと。脱線事故については、昨年にそれをテーマに「テラハ。」を実施して以来、頭の中にありつづけている。地域に住む者として、また地域の寺院の僧侶として、どのように向き合い、関わっていくのかということが、一つの課題・テーマとなっている。    本書は、浅野弥三一氏という一人の人物を通して、事故とその後のJR西日本との対峙・対話の経緯を主として綴られている。合わせて、JR西日本の関係者のインタビューから事故とその後の対応についてせまるものだ。350ページを超える分量があるが、飽きや苦労を覚えずに、一気に2日で読み切ることができた。それは、単に読みやすいということだけではなく、本書の登場人物と文章の持つ熱量、本書にこめられている「願い」のようなものが、そうさせてくれたのではないかとも思う。  まず、感じずにいられなかったことは、事故のもたらした影響の大きさ、「負傷者」「遺族」の抱えた傷や、人生にもたらしたものの大きさ。その不条理。地域に住む者として、その立場から言葉を紡ぐ場をもちたいと 「テラハ。」 で企画した。しかし、地域に住む者と事故によって大きく人生を変えられた方たちとはその影響が比べものにならない。異なりすぎているとあらためて感じざるをえない。果たして、われわれが、事故について考え、言葉を発することなど、許されるのだろうか、果たして「地域に住む者」として、あの場を開き、語ったことは軽々なことではなかったのだろうかと思いを巡らさざるを得なかった。  本書は、事故後、遺族である浅野氏が4・25ネットワークの活動を通じて、JR西日本に対して、事故の本当の原因究明や、今後の対策、組織の変革をもとめつづけて、それを方向付けた経緯が軸になっている。浅野氏のことばでいえば、「事故を社会化する」闘いの内実がドキュメントされたもの。 ...

浄土宗應典院20周年記念シンポジウムに参加して

イメージ
2018年3月2日(金)  應典院の20周年記念シンポジウムに参加した。  (フェイスブックページ: https://www.facebook.com/events/223059001600334/ ) 登壇者は、 ・島薗進先生(上智大学グリーフケア研究所所長・東京大学名誉教授) ・大河内大博先生(願生寺住職・臨床仏教研究所特任研究員) ・大谷栄一先生(佛教大学教授兼コーディネーター) ・秋田光彦住職(浄土宗大蓮寺・應典院住職) 休憩を一回はさみながらも18:00~20:30までの2時間半。 進行大谷先生の巧みさと登壇者の刺激的な提言の連続で、長さや疲労を感じることはなかった。  それぞれの提言は、應典院との関わり、應典院の変遷、社会と宗教と関わりの変遷を軸に、この20年間をふり返り今後の展望を開いていくものだった。  登壇者の大河内さんは「秋田住職に見いだされた」といい、また登壇者の島薗先生については秋田住職がその著述を應典院設立に際して「びりびりに破れる程に読んだ」と御礼を述べられていた。ふりかえってみると、お二人に象徴されるような、應典院と秋田住職に光を当てられたり、育てられたりした人、あるいは應典院を作り、場に過変わり続けてきた人が、一堂に会しているような、まさに「20年の縮図」がそこに展開しているような場であったように今ふり返っている。  登壇者の提言に耳を傾け、社会のうつろいを思い返すとき、自分自身の20年も同時にふり返り、関わり影響を受けてきたものがらの数々についても、思い返すような時間だった。  2時間30分にはとても多くの刺激や気づきがあり、いちいちにあげていくことはできない。自分の中で印象的だったことばをいくつかあげると、  ・秋田住職の、お寺にかかわる「フロー」と「ストック」という言葉。  ・また、「無意識の古層を掘り起こす」という言葉。  ・それから、島薗先生の提言のなかで示唆されていた、近年の、宗教研究と宗教者による実践の接近という状況。  寺院のありかたについて、「都市型」と「村落型」に分けて考えることはままあるが、秋田住職は、その特徴を「フロー」と「ストック」として見る視点を提示された。そして、應典院の取り組みは、ただ「フロー」でおわるのではなく、そのフローの連続・継続性の...

映画『被ばく牛と生きる』

イメージ
(映画2018年2本目) 2018年1月2日   十三・第七芸術劇場で鑑賞。  新年二つめの映画。  「被ばく牛と生きる」。  福島県で、放射能に被爆した牛を飼い続ける酪農家・畜産家の人たちのドキュメント映画。    福島第一原発の事故の後、5月には放射能に被爆した半径20キロメートル圏内にいる「家畜」の処分を通達した。 一方で「ペット」については、20キロ圏内から避難させて飼育してもよいという判断になったという。  もちろん、農家に対する国からの「保障」はあるが、それを拒んで、原発から20キロ圏内の牧場で牛を飼い続ける農家達がいた。ある人は、何時間も掛けて週に何日も通って世話を続け、ある人は、線量のたかい非難指定地域の中で敢えて牛と暮らす生活をしている。  原発事故がもたらした一つの側面として、「酪農家」に対する被害があること、その実情を知る上では、大変重要な指摘をしている作品だと感じた。    もはや経済価値のない、販売も繁殖さえも認められない牛を、「殺す」ことができずに世話をし、飼育し続ける農家の姿から、「いのち」のこと、そして生業をもって「生きる」こととはなにかを考えさせられる。  作品に込められたメッセージについては、以下を参照してもらえればと思う。  http://www.power-i.ne.jp/hibakuushi/statement/ ともかく、考えさせられることの多い映画だった。 ・畜産家さんたちの姿、生き方。 ・原発事故とその後の福島、畜産家に対する政府の対応。 ・「牛を殺す」ことの意味  → 食肉の安全を守るために「処分する」というのは、(ある意味)体よく聞こえる一方で、「原発事故」の実情を「牛」を使って検証する、ということについての可能性を閉ざしているという指摘が映画でなされているように思われた。

映画「映画音楽の世界」

イメージ
今年のお正月3が日は、昨年に引き続き映画館で映画を見た。 昨年たくさん見ようと目標を立てたにもかかわらず、数ヶ月で断念して、結局10本に満たずに終わってしまったので、今年こそはと再チャレンジしてみようと思う。 今年も元旦は、 塚口さんさん劇場 。 見た映画は、「 すばらしき映画音楽たち 」。 以下、思うままに書きますので、ネタバレも含むかも知れません。 あまり映画をみたことのない僕でも知っている有名な映画とその音楽もたくさん出ている。「映画音楽史」の概説を聞いているようで、おもしろかった。 無声映画から、映画音楽にオーケストラを使用したこと、ロックや歌謡曲の登場、 なんとも思っていなかったことについて、いろいろな画期が映画音楽にあったことを「学んだ」ような内容だった。 無声映画の時から、映画と音楽は結びついていたのだそうだ。 フィルムのまわる音を消すため、また音響のために、初期の映画館には必ず専属で「ピアニスト」、「オルガン奏者」がいて、ライブで演奏をしていたらしい。 決められたシーンに与えられた楽譜をそのとおりに演奏することもあれば、 アレンジ・アドリブで演奏が行われることがあったらしい。同じ映画でも、演奏者がちがえばまったく異なる印象で見ることになったのだろう。 音楽による影響の解説も大変興味深かった。 場合によっては、「シーンを見ている」のではなく、「音楽で印象づけられ、音楽によってリアルに、あるいは感情的に”見せられている”のではないか」とさえるような実例の紹介と解説だった。 音楽の影響を知ると同時に、人間の知覚、認識の不確かさ、いい加減さも知らされたような思いだった。 一番感情が動いて、ふと涙がでたのはETの場面。 幼い頃に両親に連れられて見に行ったような記憶がある。 そのあと、TVでも何度か見てストーリーも覚えているけれど、じわっと涙がでたのは意外だった。 自分が年を取ったのということもあるかもしれない。 それにしても、音楽が記憶(ストーリー)の記憶を呼び起こし、また感情を揺さぶるもの、深い印象づけをするもの、というのは、実感とともにわかったような思いもした。

12/9(土)「ファシリテーターのあり方に宗教はどう影響しているか?」(感想・その2)

昨日は、週末にあったワークショップについて、流れと備忘録のようなものを書いた。 https://ryogo1977.blogspot.jp/2017/12/171209.html  昨日の投稿は、参加者もあることだし、有料の会の内容について、どう書いたものかとか、そうでなくてもいろいろと焦点を当てたいことがあって、メモ程度の書き連ねになってしまっていた。  さらに一日経って、また当日起こったことが少しずつ消化できたり、まとまりになってきた印象もあるので、忘れないうちに続編も書いておこう。 ■参加者について  講師・運営・参加者、その場にいた人は合計で13名。  それぞれ、ファシリテーションやそれに類する経験があったり、信仰の有無、また仏教、キリスト教、山伏修行など、それなりの多様性がもたらされる場だった。 (「それなり」というのは国籍とか、イスラム教徒の方とか、寄り幅広い多様性があってもよかったなぁという声があったことによります)  仏教では、キリスト教では、山伏ではとか、キリスト教のなかでも○○は、仏教なかでも浄土真宗はとか、なかなか触れることのない知識の提示や、刺激の中からそれぞれのスタンスや共通点が出されていたのは、宗教間対話としての内容もあったように思う。  それぞれ、社会に対して活動するフィールドを持っているからこその場、であったのだろうなぁ。 ■場のしつらえ、場のありかたについて  会の中で、川中さんのお話に「ファシリテーター(ファシリテーション)」のあり方に、 表層的から深層というような三角形のようなイメージで      △    「テクニック」    「スキル」  「プラン・仕掛け・準備」 「ファシリテーターのあり方、根底」 というようなあり方ではないか、という提示があった。 プラン・仕掛けという意味では、 会場を提供したということで、ありがたいことに主催者お二人の当日の準備や打ち合わせからご一緒させていただいて、その一端を見せていただいたような思いもする。  例えば、受付の設置場所、お菓子・湯茶の置き方、参加者の座るシチュエーションや、全体のバランスをみた道具・備品の選択、「場」をどうコーディネートして行くのかといことの配慮から、すでにその日の場の作り方は関わっている。その様子を見ることで、準備の段...

12/9(土)「ファシリテーターのあり方に宗教はどう影響しているか?」 

イメージ
2017年12月9日(土)、標題のイベントが西正寺を会場に実施されました。 http://active-citizen.jp/facil171209/  青木 将幸(マーキー)さん(青木将幸ファシリテーター事務所代表)と、川中 大輔(シチズンシップ共育企画代表)さんの共同企画。この企画のお話をいただいたときから、開催を楽しみにしていました。 開催時間は、10:00から17:30という長丁場。 講師・参加者含めて全員で13名で、一日を過ごした。 10:00参加者集合。 このテーマに引かれてくるだけあって、それぞれがファシリテーターとしての活動や信仰を持っている方、宗教に関心のある方など、多様。 明確な信仰をもっている、というひとと、そうでなない、むしろ信仰を持っていないという人も交わる。またお寺が会場にも関わらず、クリスチャンが何名もいらっしゃったことも大変興味深い。 (会場入り口の様子) 10:00開催  趣旨説明、諸連絡があって、まずは自己紹介から。  時間はたっぷりあるからと、せかされることなく、それぞれ活動や関心を話される。    その後、一つめのセッション(といっていいのかどうか)  マーキーさんから、11才の娘さんが「おとうさん、宗教ってなに?」という問いがでたら、どう答えますか?という問いかけに対して、それぞれの回答を出し、語り合う。 さまざまな答えがでて、それらがいずれも的を得てうなずかされる。 「宗教」と「信仰・信心」のことばもつニュアンスや受け止めの違い。 また同じ「宗教」ということばであっても、それぞれがもつ印象・受け止めの違い等もあらわになって興味深かった。 お昼休憩1時間。 お昼ご飯は、持参した人、食べに出る人とそれぞれ別れる。 上坂部で40年はしている喫茶店「真利亜(マリア)」を紹介すると、 クリスチャンの方がたくさんいらっしゃる場で、笑いが起こる。 (お店に聞くと、お母さんがクリスチャンだったことと、近くのクリーニング屋さんだったかの名前が気に入って、ということがあったらしい) 午後最初のセッションは、 マーキーさんによる、山伏修行に関する体験から。 マーキーさんが持ってきた「ホラ貝」をみんなで回し吹く。フルート...

映画『ベストセラー 編集者パーキンスに捧ぐ』

映画 『ベストセラー 編集者パーキンスに捧ぐ』 (2017年 4本目 1/9鑑賞) 公式サイト   http://best-seller.jp/ ヤフー映画  http://movies.yahoo.co.jp/movie/357156/ 舞台は1929年からのニューヨーク。 敏腕編集者マックス・パーキンスと作家トマス・ウルフが、2つのベストセラー作品を発刊する前後の二人の仕事と交流が中心に描かれている。 あらすじ、評論については、リンク参照。。 個人的には、いくつかの考えたいこと、余韻がのこる映画だった。 ◆タイトルについて  この映画の邦題は、標題の通りであるが、現タイトルは「Genius」。つまり「天才」と付けられている。 むしろ原題の方が、個人的にはしっくりくるのではないかと思った。  天才作家「トマス・ウルフ」が、いかに世間に知られるようになったのか。編集者パーキンスが見出し、彼がその才能にかけて、さまざまなものを犠牲にして寄り添う中で、「ベストセラー」が生まれていく。  「天才」は、一人では世に出ることは決してなかったであろうし、「天才」たりえることもなく、埋もれていったことだろう。つまり、才能は、実体的・不変的に「ある」ものではなく、見いだされ、磨かれることによって「天才」たりえるのではないだろうか。 見いだされ、関わられてこそ「天才」たりえるのではないか。    一人では、「天才」たりえない。天才とは、常に誰かが誰かに関わる中で、そこに立ち現れてくるものではないか。  そう考えると、このウルフとパーキンスの関係が、ほかの「天才」のありかたと重なってくるように思われた。  先日見た映画「聖の青春」(その他原作、マンガなど関連作品を読んだがそれらも含めて)のモデル、天才「村山聖」棋士には、師匠森信雄六段とのかかわりを抜きに語ることができないように。      「天才」・「才能」とは、一人の人の枠に収めきれるものなのであろうか。  世に知られるということ、才能が認められるということ、そこには、「一人」の人間ではなく、つねに「だれかとだれか」(あるいはそれ以上の人)が関わる中で立ち上がってくるものなのではないか。  ふと、そんな考えが、頭によぎる映画の、鑑賞後の印象だった。 ◆編集の...

映画『この世界の片隅に』

映画『この世界の片隅に』( http://konosekai.jp/ ) Yahoo!のレビュー http://movies.yahoo.co.jp/movie/348641/story/ ・口コミで、「いい!」という評判があまりにも高いこと、 ・なぜか職場(研究室)に、「のん」さんの直筆サインのチラシがあること、 ・公開前に、知り合いの方からも強く進められていたこと  など、「見るべき」条件が整いすぎていて、「見ないといけない」気持ちもあって、鑑賞してきました。  見る前の正直な気持ちは、「悲しすぎたらいやだなぁ」というもの。  『蛍の墓』のように悲しすぎるものがたりは、悪くはないのだけれど、感情を持って行かれてしまうことに対しては敬遠したいという気持ちがあった。感情を振られすぎることに、自分自身苦手意識があるのかもしれない。(ちょっとした自分に対する気づき)  しかし、実際は、むしろ安心しながら、適度に感情を動かされつつ、見ることができた。  見終わった後、はむしろ、こういった戦時中を語る映画が提示する視点はとても大事なものがあるのではないか、と考えられる映画だった。  それは、どこまでも市井に暮らすの一人の女性が体験した戦争を描くという視点。  偉人的な活躍をしたわけでもない。(ごく小さなコミュニティであっても、モチベータにもリーダシップを発揮するような人物でもない、どこまでも主婦)  特定のイデオロギーをもっているわけではない。(あの当時としてはおそらく、多くがそうであったように、親が決めた相手といわれるがまま結婚し、いわれるがまま家事を行い・・・)  戦闘の最前線や、悲劇的な地域に居住しているわけではない。(呉という街もある種特別な街であることに間違いはないが、街から少し離れた山手に居住していて、ローカルな雰囲気漂う)    それら、いわゆる戦争映画によくあるシチュエーションや、人物の登場はほとんどなく、登場人物が「歴史」を動かしたりすることもなく、おかれた状況でどこまでもつつましやかに、日常としての「戦時を暮らす姿」が描かれた映画といえようか。    個人的には、「戦争」を描くには、あまりにも穏やかすぎたという気持ちがしないではない。  しかし、じゃあ、どう描けばいいのか?。そういうことを考えて...

映画『ある天文学者の恋文』

『ある天文学者の恋文』 http://gaga.ne.jp/tenmongakusha/ 昨日の『聖の青春』に引き続いて、正月は映画をと、続けて映画を見てきました。 塚口サンサン劇場。昨日は、サービスデイで1000円で鑑賞できたからか、映画自体の評価だったのか、席が結構埋まっていたのに比して、今日は、50席弱の座席に、観客は僕を入れて6名。 悠々としたスペースで鑑賞した。 少ない観客でゆったりと見れるのも、ありがたいことだけれど、 営業的には心配にもなる。(サンサン劇場、すごくいいところですよ!) ◆映画の感想(あくまでも個人の感想)   ※以下、ネタバレではないけれど、水を差すようなレビューでもあるので、ご注意を。 さて、映画。ホームページの紹介文、 「一人の天文学者が恋人に遺した“謎”をめぐる物語。数十億年前に死してなお、地球に光を届ける星々のように、命尽きても、我々の愛は大切な人たちの行く先を照らし続けることができるのか。そんな壮大でロマンに満ちたテーマを、名匠トルナトーレが描きあげる。」 というのを期待して見にいったわけです。 結局の所、感情が揺さぶられるところは個人的には少なかった。 昨日の『聖の青春』の方が、感情移入しやすかったのは、 和洋の文化の違いもあるのだろうか。  あるいは、「死者が、死んだ後も手紙を送り続けてくる」という謎と、そこに向き合かっていく、という「理」というか「知的」な謎にモチベートされた行動は、恋人との「死別」「離別」という悲しみ(感情)を少々背景へと追いやってしまっていたのではないかとも思った。  感情的な描写もあったけれど、それ以上に、送られてくる手紙や、謎への追跡に比重があって、個人的にはもっと感情に振って欲しかったかなと思う。(これは、個人的なニーズなのかも知れない)  ただ、2時間の間、あまり退屈もせずに、ちゃんと映画に向き合えたと言うことは、駄作ではないのだろうと思う。そもそも、あまり映画を見ない僕が、そこそこ集中して見たというのは、ちゃんと記しておきたい。    エディンバラや、「イタリア湖水地方のサン・ジュリオ島」なんかの街並み、風景はとても美しかった。  映画を見て過ごす日っていうのも悪くないなぁと思います。   Yahoo!のレビュー h...

映画『聖の青春』

『聖の青春』 http://satoshi-movie.jp/ 2017年元旦、塚口さんさん劇場で、見たかったこの映画を見てきました。 29才、進行性膀胱がんのために夭逝した、村山聖棋士を描いた作品。 映画では、彼が24才で7段に昇段してから、29才で亡くなるまでが描かれている。 5才でネフローゼという難病を発症しつつも、トップ棋士となり、「天才」と評された棋士。 27才で進行性の膀胱がんが見つかるも、棋士として生きったその生涯。 劇中の時間の経過がわかりづらいところもあったが、考えさせられ、感情も揺さぶられる映画だった。 うまい言葉が見つからないが、どうだった?と聞かれたら、こう言いたい。 「生きるということは何か、ということを考えるならば見たい映画の一つと。」 将棋好きなら、なおのこと、おすすめしたい。 死を意識せざるをえず、 人生において、「普通にあるもの」を諦めざるを得ないことから生じる悲歎。 まわりとの乖離、軋轢。 スピリチュアルケア、グリーフケアを考える教材としてもいいのではないかと思う。 DVDが出たら買いたいと思う。

広告A