映画 『ベストセラー 編集者パーキンスに捧ぐ』
(2017年 4本目 1/9鑑賞)
公式サイト
http://best-seller.jp/
ヤフー映画
http://movies.yahoo.co.jp/movie/357156/
舞台は1929年からのニューヨーク。
敏腕編集者マックス・パーキンスと作家トマス・ウルフが、2つのベストセラー作品を発刊する前後の二人の仕事と交流が中心に描かれている。
あらすじ、評論については、リンク参照。。
個人的には、いくつかの考えたいこと、余韻がのこる映画だった。
◆タイトルについて
この映画の邦題は、標題の通りであるが、現タイトルは「Genius」。つまり「天才」と付けられている。
むしろ原題の方が、個人的にはしっくりくるのではないかと思った。
天才作家「トマス・ウルフ」が、いかに世間に知られるようになったのか。編集者パーキンスが見出し、彼がその才能にかけて、さまざまなものを犠牲にして寄り添う中で、「ベストセラー」が生まれていく。
「天才」は、一人では世に出ることは決してなかったであろうし、「天才」たりえることもなく、埋もれていったことだろう。つまり、才能は、実体的・不変的に「ある」ものではなく、見いだされ、磨かれることによって「天才」たりえるのではないだろうか。 見いだされ、関わられてこそ「天才」たりえるのではないか。
一人では、「天才」たりえない。天才とは、常に誰かが誰かに関わる中で、そこに立ち現れてくるものではないか。
そう考えると、このウルフとパーキンスの関係が、ほかの「天才」のありかたと重なってくるように思われた。
先日見た映画「聖の青春」(その他原作、マンガなど関連作品を読んだがそれらも含めて)のモデル、天才「村山聖」棋士には、師匠森信雄六段とのかかわりを抜きに語ることができないように。
「天才」・「才能」とは、一人の人の枠に収めきれるものなのであろうか。
世に知られるということ、才能が認められるということ、そこには、「一人」の人間ではなく、つねに「だれかとだれか」(あるいはそれ以上の人)が関わる中で立ち上がってくるものなのではないか。
ふと、そんな考えが、頭によぎる映画の、鑑賞後の印象だった。
◆編集の作業
膨大な原稿を前に、ざくざくと朱を入れ、文章を削る描写。
刊行物の編集に関わった記憶がありありと思い返される。
書かれたものに向き合って黙々と、朱を入れる作業。
あーでもない、こーでもないといいながら、その文章がよりよく伝わるように費やされる時間。
(このブログは、推敲もなく書いているわけですが)
そうやって、一文を書くために、膨大な語句を削る作業。 あるいは、一文の背景にある、推敲されたよく似た、でもそれではない文章の数々。
その削られ、掘り出され、整えられていく文章が、才能が目に見える彫刻となって掘り出されてくるような、そんなイメージもあった。
(つれづれ)
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