2017年1月3日火曜日

映画『この世界の片隅に』

映画『この世界の片隅に』(http://konosekai.jp/

Yahoo!のレビュー
http://movies.yahoo.co.jp/movie/348641/story/


・口コミで、「いい!」という評判があまりにも高いこと、
・なぜか職場(研究室)に、「のん」さんの直筆サインのチラシがあること、
・公開前に、知り合いの方からも強く進められていたこと

 など、「見るべき」条件が整いすぎていて、「見ないといけない」気持ちもあって、鑑賞してきました。


 見る前の正直な気持ちは、「悲しすぎたらいやだなぁ」というもの。
 『蛍の墓』のように悲しすぎるものがたりは、悪くはないのだけれど、感情を持って行かれてしまうことに対しては敬遠したいという気持ちがあった。感情を振られすぎることに、自分自身苦手意識があるのかもしれない。(ちょっとした自分に対する気づき)


 しかし、実際は、むしろ安心しながら、適度に感情を動かされつつ、見ることができた。
 見終わった後、はむしろ、こういった戦時中を語る映画が提示する視点はとても大事なものがあるのではないか、と考えられる映画だった。

 それは、どこまでも市井に暮らすの一人の女性が体験した戦争を描くという視点。

 偉人的な活躍をしたわけでもない。(ごく小さなコミュニティであっても、モチベータにもリーダシップを発揮するような人物でもない、どこまでも主婦)
 特定のイデオロギーをもっているわけではない。(あの当時としてはおそらく、多くがそうであったように、親が決めた相手といわれるがまま結婚し、いわれるがまま家事を行い・・・)
 戦闘の最前線や、悲劇的な地域に居住しているわけではない。(呉という街もある種特別な街であることに間違いはないが、街から少し離れた山手に居住していて、ローカルな雰囲気漂う)
 
 それら、いわゆる戦争映画によくあるシチュエーションや、人物の登場はほとんどなく、登場人物が「歴史」を動かしたりすることもなく、おかれた状況でどこまでもつつましやかに、日常としての「戦時を暮らす姿」が描かれた映画といえようか。

 
 個人的には、「戦争」を描くには、あまりにも穏やかすぎたという気持ちがしないではない。
 しかし、じゃあ、どう描けばいいのか?。そういうことを考えてみると、「穏当な戦争の描き方」とか、「万人が納得するような戦時の状況描写」なんていう物自体が、むしろ幻想ではないかと思われてくる。

 人によっては、「主義主張のない戦争映画」に逆に批判的な目を向ける人もいるだろう。ネットのレビューをみれば、「国内的な描写のみで、国外で行った日本の非人道的な事柄について言及がない」ということについて批判的な意見さえあった。

 僕の「穏やかすぎる」という印象とは、逆に「これ以上は悲劇的すぎる」とか、「もっとイデオロギッシュであるべきだ」という感覚の持ち主もいるかもしれない。

 
 むしろ、こういう場合の最近の僕の立場としては、
 「もっとも相応しい解を探すよりも、それぞれの立場が相対化されるような刺激をもたらすものの方がのぞましい」と考えたりしている。 

 そういう意味では、この映画は、ともすれば陥りやすい、「戦争に対する賛美」(無意識、無教養なものや、あるいはイデオロギー的なものも含む)や、その逆に悲劇的などこまでも反戦イデオロギーに包まれるような描写に偏るものでもない、あるいはイデオロギッシュに右と左が対立的に問われるような投げかけが含まれるものでもない。むしろ、そういったものと距離をとることで、相対化していくような問いかけが秘められているような、穏やかな(ヒーロー的な要素のまったくない、いわれるがまま日常を暮らしていた)若い一人の女性の視点からの戦争映画だったのではないかと思われた。つまり、いわゆる戦争映画のあり方を、市井に落として、あらためて問いかける(賛美を含めて)相対化するような視点がふくまれている、という意味においても、意味ある映画の一つなのではないか。
 そのような意味においても、冒頭に書いたように、「こういった戦時中を語る映画が提示する視点はとても大事なものがあるのではないか」と思いながら、帰りの自転車をこぐ昼過ぎだった。(朝から上映にのこのこと出かけていたので)
 

追記:
・子どもと見る場合。
 僕の後ろには、小学校の子どもさんをつれた家族連れがいて、子どもと見るには、これくらいが安心なのかもしれない。しかし、ところどころで、「●●ってなに?」とお母さんに尋ねたりしているところがあって、小学生にとっては難しいことばもあったようだ。でも、そういう言葉に「触れる」ということでは、いい学びなのかもしれない。


追記その2:
 劇中に、お坊さんがお経を上げたり、お葬式をするシーンがありましたが、いずれも「浄土真宗」でした。 「如是焔明 無与等者」という「讃仏偈」と、『御文章』が読まれる場面がありました。さすが安芸門徒の広島と思いました。

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