2017年12月12日火曜日

12/9(土)「ファシリテーターのあり方に宗教はどう影響しているか?」(感想・その2)

昨日は、週末にあったワークショップについて、流れと備忘録のようなものを書いた。
https://ryogo1977.blogspot.jp/2017/12/171209.html

 昨日の投稿は、参加者もあることだし、有料の会の内容について、どう書いたものかとか、そうでなくてもいろいろと焦点を当てたいことがあって、メモ程度の書き連ねになってしまっていた。

 さらに一日経って、また当日起こったことが少しずつ消化できたり、まとまりになってきた印象もあるので、忘れないうちに続編も書いておこう。

■参加者について
 講師・運営・参加者、その場にいた人は合計で13名。
 それぞれ、ファシリテーションやそれに類する経験があったり、信仰の有無、また仏教、キリスト教、山伏修行など、それなりの多様性がもたらされる場だった。
(「それなり」というのは国籍とか、イスラム教徒の方とか、寄り幅広い多様性があってもよかったなぁという声があったことによります)

 仏教では、キリスト教では、山伏ではとか、キリスト教のなかでも○○は、仏教なかでも浄土真宗はとか、なかなか触れることのない知識の提示や、刺激の中からそれぞれのスタンスや共通点が出されていたのは、宗教間対話としての内容もあったように思う。
 それぞれ、社会に対して活動するフィールドを持っているからこその場、であったのだろうなぁ。

■場のしつらえ、場のありかたについて
 会の中で、川中さんのお話に「ファシリテーター(ファシリテーション)」のあり方に、 表層的から深層というような三角形のようなイメージで
     △ 
  「テクニック」
   「スキル」
 「プラン・仕掛け・準備」
「ファシリテーターのあり方、根底」

というようなあり方ではないか、という提示があった。
プラン・仕掛けという意味では、 会場を提供したということで、ありがたいことに主催者お二人の当日の準備や打ち合わせからご一緒させていただいて、その一端を見せていただいたような思いもする。
 例えば、受付の設置場所、お菓子・湯茶の置き方、参加者の座るシチュエーションや、全体のバランスをみた道具・備品の選択、「場」をどうコーディネートして行くのかといことの配慮から、すでにその日の場の作り方は関わっている。その様子を見ることで、準備の段階から参加者に対する「投げ掛け」がはじまっていたなぁと思う。

 また、今回のテーマが、ファシリテーションの仕方ではなく、「ファシリテーターのあり方」を問うものであるということの意味もこの構造を通して理解できるように思われる。その人の一番深層にある根底的な部分(場合によっては信仰・宗教)が、実際にそれよりも表層にある場の作り方、人との関わり方、スキル・テクニック全体にわたって、にじみ出ていくものなのだろう。そういう意味では、自身の奥底に根ざしているものを見直すこと、あるいは、自身の奥底で何を求めているのかを選択した「ふるまい」から考え直していく作業もまた必要なのではないかと思う。
 
■ファシリテーションについて
 体系的にファシリテーションを学んだことのない者、でも「場」を作ることを志している者として、プロのファシリテーター二人の振る舞いを身近に見れるいい機会だった。
その意味では、場に投げ掛けられたものを考えるのと同じくらい、主催者のファシリテーション、ファシリテーターとしての振るまいを観察するような思いで過ごしてもいた。
 印象的だったのは、マーキーさんがこちらの期待通りに「しなかった」こと。
 場をどう動かすのだろう、なにを投げ掛けてくれるのだろう、と期待して視線を送っていた。でもその期待は、多くの場合、空振りに終わっていて肩すかしをくらった。むしろ、視線が合ったときには、こちらの「期待」を見とおされていて、「そちらがどうぞ」といわれているような。
 (カウンセリングや傾聴の場面でもしばしばあるような)沈黙や、重たい空気もじっと待つ胆力を見せつけられるような感覚。あるいは、これが「場」や参加者に対する信頼ということなのだろうかと考えるような時間でもあった。

 全体を通して、ああいう空気の中で、参加された人たちと一日の場をすごしたといこうことは、学びと気づきの多い時間だったということは間違いない。

 あー、おもしろかった。

2017年12月11日月曜日

12/9(土)「ファシリテーターのあり方に宗教はどう影響しているか?」 

2017年12月9日(土)、標題のイベントが西正寺を会場に実施されました。
http://active-citizen.jp/facil171209/

 青木 将幸(マーキー)さん(青木将幸ファシリテーター事務所代表)と、川中 大輔(シチズンシップ共育企画代表)さんの共同企画。この企画のお話をいただいたときから、開催を楽しみにしていました。

開催時間は、10:00から17:30という長丁場。
講師・参加者含めて全員で13名で、一日を過ごした。

10:00参加者集合。
このテーマに引かれてくるだけあって、それぞれがファシリテーターとしての活動や信仰を持っている方、宗教に関心のある方など、多様。
明確な信仰をもっている、というひとと、そうでなない、むしろ信仰を持っていないという人も交わる。またお寺が会場にも関わらず、クリスチャンが何名もいらっしゃったことも大変興味深い。


(会場入り口の様子)

10:00開催
 趣旨説明、諸連絡があって、まずは自己紹介から。
 時間はたっぷりあるからと、せかされることなく、それぞれ活動や関心を話される。
 


 その後、一つめのセッション(といっていいのかどうか)
 マーキーさんから、11才の娘さんが「おとうさん、宗教ってなに?」という問いがでたら、どう答えますか?という問いかけに対して、それぞれの回答を出し、語り合う。





さまざまな答えがでて、それらがいずれも的を得てうなずかされる。
「宗教」と「信仰・信心」のことばもつニュアンスや受け止めの違い。
また同じ「宗教」ということばであっても、それぞれがもつ印象・受け止めの違い等もあらわになって興味深かった。










お昼休憩1時間。
お昼ご飯は、持参した人、食べに出る人とそれぞれ別れる。
上坂部で40年はしている喫茶店「真利亜(マリア)」を紹介すると、
クリスチャンの方がたくさんいらっしゃる場で、笑いが起こる。
(お店に聞くと、お母さんがクリスチャンだったことと、近くのクリーニング屋さんだったかの名前が気に入って、ということがあったらしい)

午後最初のセッションは、
マーキーさんによる、山伏修行に関する体験から。
マーキーさんが持ってきた「ホラ貝」をみんなで回し吹く。フルートを経験していた参加者の方が、うまい。やはり、コツがあるらしい。

(写真・まるちゃん撮影)




山伏修行では、何をいわれても質問禁止。「うけたもう」と引き受けて、反論してはいけないらしい。すべてを受け容れていくという。

参加者からは、キリスト教の礼拝の形式、
ファシリテーターのあり方など話が展開する。
頼れる・頼られるファシリテーターではなく、つたなさや、足りない部分があっても、いやだからこそ、「安心」を周りに伝えられるということもあるのではないかという問いかけから展開した話が興味深かった。

キリスト教では「ときあかし」。われわれ浄土真宗では「おとりつぎ」。
説教をどう呼んでいるのか、というのもおもしろい。
共通点や、根っこにある考え方で通じるものを感じる。

休憩

午後二つめのセッションは、浄土真宗の礼拝(体験)から。
本堂に移動して、十二礼のお勤めと、すこし話題提供を中平から。
その後また、会場を座敷に移して、話し合い。
マーキーさんから、「一つお説教をして下さい」という、
芸人さんに「なにかおもしろいことしてよ」的なフリから、一つだけお話をご紹介。

その後、ファシリテーターと宗教者のあり方についてについても話が展開。
プロのファシリテーターを準備するかどうかは、
自分たちでもできる仏事に、僧侶を呼ぶかどうか、というスタイルに通じるものがあるようなハナシに。

その後、3人グループを作って、対話の時間。
それぞれのグループで話し合った後、
また輪になってふり返り。

片付けして、終了。有志で、懇親会に。
会場は、上坂部の「ふる里」。これだけ食べて、この値段!? 美味しかったとみなさん喜んでいただける。また、懇親会での話しも、ワークショップのエクストラタイムのような時間で、とても楽しく刺激があった。



2017年11月28日火曜日

京大の看板

http://digital.asahi.com/articles/ASKCP62RPKCPPLZB012.html?rm=1041

京都大学の百万遍にある看板が、
景観を損するとして、景観条例を根拠に撤去をもとめられているという記事。

一方でネットでは、
この立て看板のある風景こそが、京都大学の景観であるというコメント、
あるいは、この立て看板が、歴史的な景観であるという考えから、
京都市の対応、立て看板の撤去に批判的な考えが示されている。

文化とはなにか、
文化的な景観とはなにか、

考える材料として、頭においておきたい事例。


2017年10月24日火曜日

(参加)公開シンポジウム「仏教とキリスト教の対話──共通善を求めて」

10/23(月)16:40~18:40 同志社大学の公開シンポジウムを聴講しました。
http://ryoshin.doshisha.ac.jp/jp/activity/20171023/

公開シンポジウム「仏教とキリスト教の対話──共通善を求めて」
日時: 2017年10月23日(月)16:40 - 18:40
場所:同志社大学 今出川キャンパス 同志社礼拝堂
講師 大谷光真(浄土真宗本願寺派・前門主)
コメンテーター 小原克博(同志社大学 神学部 教授、良心学研究センター長)

浄土真宗本願寺派の前門さまの講演を、同志社大学の礼拝堂(教会)で拝聴するという貴重な機会。また、来月開催のシンポジウムにご登壇いただく先生もご所属の研究センターということもあり、「コレハ行カネバ」と、拝聴に伺った次第。

 同志社大学設立以来、浄土真宗のご門主・前門さまが同志社大学の礼拝堂でお話になるというのは初めてのことで、ご挨拶にたたれた先生も「歴史的なこと」とおっしゃっていたのが印象的。

 シンポジウムのなかで、江戸時代の仏教者による「廃耶論」(キリスト教批判)や、新島襄の同志社設立に対する仏教界の猛反発など、仏教・キリスト教の対立(というよりも仏教側、体制側からの抑圧というべきか)の歴史について触れられていた。それを聞くと、過去の時代においては想像すらできなかった状況(浄土真宗の門主という立場ある僧侶が、同志社の教会の真ん中で講演をするという状況)が、目の前にあることをあらためて考え、感じさせられるものがある。

 テーマは「共通善」ということだったが、宗教間対話のような、異なる文化、価値、信仰を有した人といかに対話を成立させ、共通の「善」や「価値」を構築するかということが問われていたとでもいえるだろうか。あるいは、そもそも「対話」を成立させ、交流をする、ということ自体が、一種のこの時代の「善」とか「共通認識」の方向性ともいえるかも知れない等とも思う。

 これはコメンテーターであった小原先生の発言のなかにあったものだが、「時代に生きるものとしての共通善を探す」のだとおっしゃりつつも、一方で「国民道徳」的なものに対して批判的なまなざしを持たなければならないという指摘もあった。
 とするならば、共通善を探すとしつつも、宗教的な役割、価値は、それら世間的な規範を模索する一方で、それらからまた一定の距離を取りつつ、批判や疑問を呈するような関係性であることが求められるということだろうか。

 あと「善」ということについてしばしば考えることだが、仏教の場合(今日のレジュメにも記載されていたが)積極的になにか善行を語る場合もあれば、「十善」のように、悪ではないこと、悪をなさないことを「善」とする場合もある。(ちなみに、仏教の十善とは、「不殺生」「不偸盗」「不邪淫」「不妄語」「不綺語」「不両舌」「不悪口」「不貪欲」「不瞋恚」「不邪見」)
 つまり、積極的にある種の「善」を語るのではなく、悪の否定という「これをしない」というように否定的な形でかたる(あるいは、そうとしか語りえない)ということに、一つの示唆があるのではないかと考えたりしている。 

 すこし、飛躍するのだが、今日、人間の行う「善」や「正義」の限界、あるいはそれらが持つ弊害や暴力性、あるいは「規範」というものがもつ抑圧性や、暴力性を鑑みるとき、正しさとはむしろ、それを握りしめるのではなく、そこに対して、疑問や相対化のまなざしをつねに投げ掛けるものこそ「正義」とか「善」の行為なのではないかと思われるのだがどうだろうか。

 その疑問や相対化のまなざしをもつことを善と呼ぶことを許されるのであれば、またそれは、先に提示されていた「国民道徳」への無批判な追従に対するブレーキにもなり得るし、対話や自己内省を促す「宗教的なはたらきがそこにある」ということもまた考えられるようにも思うのだが、どうだろうか。


以下情報転載。
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公開シンポジウム「仏教とキリスト教の対話──共通善を求めて」
日時: 2017年10月23日(月)16:40 - 18:40
場所:同志社大学 今出川キャンパス 同志社礼拝堂
講師 大谷光真(浄土真宗本願寺派・前門主)
コメンテーター 小原克博(同志社大学 神学部 教授、良心学研究センター長)
趣旨
仏教をはじめとする日本宗教とキリスト教がしばしば対立的な関係にあった戦前と比べれば、今日、宗教間の相互理解や対話が進んだだけでなく、それが積極的に求められる時代となりました。現代社会が抱える多様な問題の解決のために、異なる宗教伝統から知恵を出し合い、協力することの意義を、このシンポジウムでは模索します。そのために、様々な宗教間対話を経験してこられた大谷光真氏を講師として招き、仏教とキリスト教の対話がもたらす地平を、来場者と共に展望したいと思います。

※入場無料、事前申し込み不要

良心学研究センターは、現代世界における「良心」を考察し、その応用可能性・実践可能性を探求することを通じて、学際的な研究領域として「良心学」を構築し、さらにその成果を国内外に発信し、新たな学術コミュニティを形成することを目的としています。

2017年10月22日日曜日

10/21(土)オトナテラコヤ100回目@西正寺

 10月21日、西正寺で、「オトナテラコヤ vol. 100 あそびを通じて日常を拡張する〜あそびとまなびの関係性〜」が開催された。
 主に阪急塚口駅前のさんさんタウン3番館6階のamareで開催されている街の学びのイベント。僕も4回ほど仏教をテーマに出講したり、以前も1度西正寺での開催を引き受けたりしたことがある。

 今回は、100回記念ということで、スピーカーも豪華に4名。
 ・上芝 英司(うえしば えいじ)さん/PEACOCK64代表。
 ・梅山 晃佑(うめやま こうすけ)さん/2畳大学学長
 ・笹尾 和宏(ささお かずひろ)さん/「水辺のまち再生プロジェクト」参加。
 ・高津 祐次(たかつ ゆうじ)さん/今井町じゃず実行委員会プロデューサー他
コーディネーターは、藤本 遼(ふじもと りょう)さん/尼崎ENGAWA化計画/場を編む人

 


 それぞれの活動を7分ほどで紹介してもらったあと、クロストーク。
 テーマは「あそび」と「まなび」。
 それぞれの活動は面白く、刺激的なものばかり。きっと参加者のみなさんもたくさんの刺激をもらったのではないかと思う。
 
 それぞれが、楽しく、遊ぶ、ということをしながら、まちや学びの捉え直しをされているように思った。

 ・名づけ、あるいは仕掛けによって「場所」や「もの」の見方を変える。
  →面白くする、価値の再解釈をする、魅力的にする。
 ・関わり方、仕掛けによって、「見捨てられていたもの」「無価値と思われていたもの」に価値や、遊び方を発生させる。
 ・人との関わり方、まちとの関わりによって、人を巻き込み、なにかを仕掛けていく。
  「こと」を起こしていく。
 ・ただ「やりたいこと」を、純粋にたのしんで遊んでいく。
 ・与えられた枠組みや「遊び方」ではなく、自分が自分で楽しいものを見いだし、作り、「あそぶ」ことを大事にする。

 といったところか。

 個人的な思いだが「遊び」とは、その行為自体が「目的」、「楽しみ」となるようなものだと考えている。 なにかのために「遊ぶ」というのは、すでに遊びではなく、「作業」や「仕事」になってしまっている。何かのためにするのではなく、それをすること自体が楽しくあるものだと思っている。

 今回、スピーカーでこられた人たちは、既存のあり方や枠組みをいったん解体して、て、見方を変えたり、価値を与え直すような活動をされているわけだけれど、それは、それぞれ自身のなかにある価値とか、生き方と深くコミットしたところから湧き出ている面白さだったのではないかなぁとふり返っている。



 今回、お寺には50名ほどの出演者・参加者が来て下さった。


 たくさんのゲスト・参加者と知り合いになれた。また、初めてお寺にきました、お寺が近くなりました、という声も直接いただけたことも、うれしかった。。


 会が終わった後、掃除機をかけて、イスをならべなおした。
 賑やかな後、また本堂が「礼拝」の場になる。これを一晩寝かせて、また明日にいつも通りの本堂になっている。そういうあり方を保つのも、僧侶としての仕事だなぁとも思う夜だった。



2017年10月16日月曜日

New踊り念仏探究会(参加振り返り)

昨日・10/15(日)の午後は、「New踊り念仏探究会」(https://www.facebook.com/events/1951988201682493/)なるイベントに参加してきた。

 午前中はお寺の法務、その後すこし書き物をした後、新今宮の上記の探究会の会場に移動し、参加した。
 参加の動機は、

・主催者の秋田さんが知り合いであり、ご所属の応典院で展開されている諸行事が大変興味深いことをされており、またお会いしたいという思いがあったこと。
・「踊り念仏」という念仏と、念仏信仰、浄土信仰の身体性ここにあり、というようなアクティビティに関心がむくむくと湧いたこと。
・スケジュール的に参加可能だったこと。

といったところだろうか。

 15:00に数分遅刻して、会場のカフェ EARTHに到着。
 ちょうど自己紹介を回しているところから参加。
 参加者は7名ほどか。遅れて2名ほどいらっしゃり最終的には9名。

 メンバ-、浄土宗僧侶、浄土真宗僧侶、時宗僧侶が1名ずつ、他さまざまなモチベーションで参加されてていたが、こういう会に参加しようというだけあり、それぞれ個性的なモチベーションをお持ちのようだった。

 自己紹介の後は、
 ・浄土宗の念仏(5分程)
 ・浄土真宗の念仏について(私から)
 ・時宗の念仏について
 とそれぞれの念仏について、実践、説明があったあと、

 ・主催者の一人、ダンサーのsさんから、体と声を使ったワーク。
 (個人的には、「ホ」と声をだすワークの同調性がとても印象的だった 備忘)
 ・再び、「浄土宗の念仏」(5分)
 ・その後また、Sさんにバトンがわたり、「自由な場所、自由な態勢、とにかく自由に念仏をしてみる」

 ・終了:感想・ふり返り

 というプログラムだった。

 個人的な感想としては、とても刺激的な「実験室」という印象だった。
 身体的なワークをすることで、「念仏を称える」という行為と、身体的な準備との関わり、感覚的なものへの影響を明らかに感じることができた。
 単純にいうと、身体的な準備をして、声を意識して称えることで、「気持ちよく」感じ、念仏に対して集中しているというか、溶け込んでいくような感覚をハッキリと感じることができた。(これはある意味当たり前のことかもしれないが)
 
 参加したモチベーションとも関わるが、浄土真宗の念仏は、特に行的な面やその身体性をあまり(というかほとんど)語ることがない。そのため、敢えて求められることが少ない「念仏と身体性」を感じる場に身を投じてみたわけだが、そちらの方面から念仏を考えるキッカケをもらえたように思えた。

 また、「自由に念仏する」という定型からあえて外される、という体験も大変面白かった。多くの場合、念仏は「念仏すべき時」(例えば、読経・儀礼の場面)に念仏するということが当たり前のようになされるが、そういうお約束を解体して、いわば「正解のない場」に放り込まれること、しかも「当たり前のことはやめてね」という場に置かれることの戸惑いの中で念仏する、という経験は、自分のなかにいったいなにがあるのか、というのをある意味真摯に見つめるような時間でもあった。

 ちょうど、先日読み始めていたルポの文章にも通じるようなところを感じた。
 震災の現場で、なにもない、津波でさらわれ、数多くの遺体に直面して、「祈り」「儀礼」を行った宗教者についての言及だ。

(石井光太『祈りの現場―悲劇と向き合う宗教者との対話』6~8頁抄出、サンガ刊、2015年。)

 宗教者たちの姿は覚悟をもって現場に立っているように見えたが、心の底では不安と葛藤に揺れ動いていたのだ。
 ただ冷静に考えてみれば、それが一般的な宗教者の偽らざる心情なのかもしれない。
 誤解を承知で言えば、普段斎場で行われる葬儀で手を合わせているときは、祈りの持つ意味や力について考える必要はそこまでない。葬儀社が準備したプログラムにそってお経を読み、あるいは讃美歌をうたえば、良くも悪くも済んでしまう。
 しかし、町が大津波に襲われて目の前で人が流されるのをなす術もなく傍観せざるを得なくなったり、・・・(中略)僧侶や神父としての無力感に打ちひしがれずにはいられない。(中略)悲しみの現場にある宗教者の多くは、多かれ少なかれ一度自らの信仰心を疑うのが常だ。そして、神仏のあり方や祈りの意味を考え直し、信仰を一からつくり上げなければならなくなる。
 なぜか。
 それは宗教者が一人ひとりの気持ちに応じた祈りをしなければならなくなるからだ。その人だけ悲しみ、その人だけの懊悩、その人だけの絶望。それにすべてちがった形で応えていかなければならないのである。つまり、決まりきった形を捨て、その人にとっての祈りをつくり出すことが求められるのだ。(中略)
 だが、悲しみの現場にあって、宗教者は苦しみながら悩みながら一つひとつの異なった祈りをつくっていくものなのである。


 信仰を疑う、あるいは信仰を一から作り上げるというところにもしかすると違和感を感じるかも知れない。(私自身もこの表現を素直には受け入れられないでいる)しかし、正解がない場に放り出され、自身の行為の不確かさを感じつつも、それでも一歩を踏み出さなければいけない場におかれる。その歩み、踏み出す勇気が、「作られた儀礼」「形ばかりの儀礼」を越えていくものであろうという趣旨には共感している。
 
 もちろん、震災や、被災地などの深刻さは、ワークでは比べられようもない。
 しかし、言いたいことは、決められた形に安住するのではなく、「正解のない場」に自身の身を置いてみて、なにをしても「安定しない」、不安定な中で何かをせざるを得ないという経験は、自身が当たり前にしていたことへの問い返しを必然ともたらすような思いがした。

 もちろん、今回の「実験室」でだされたものが正解にはなり得ないと思う。
 ただ、さまざまな気づきや、問いをもたらすものであったということを感じつつ、
また、3時間強の時間がとても早くすぎていったことは、とても楽しかったことを示してくれているように思う。


自動代替テキストはありません。


 

銭湯の女将さんの矜恃か性(さが)か。

昨日も書いたおふろバーのことで、もう一つ。
 ・おふろバー vol.07 https://www.facebook.com/events/131123897514836/
 ・昨日の記事 http://ryogo1977.blogspot.jp/2017/10/1013vol07.html

 実は、昨日書き忘れて、書いた後に、あ、これもあったと思い出したこと。

 蓬莱湯銭湯の女将さん、稲さんはとても個性的な方ですが、銭湯の女将としてハラの据わった方でもあると思っています。その稲さんの先日の蓬莱湯でのふるまいです。
 お客さんがくると、まず「お風呂入(はい)り」、「まず、お風呂入る?」、「まあ、お風呂はいっていき」と、受付を済ませると、入浴を勧めるのです。 常連のお客さんにも、おふろバーの参加者にも。
 どのタイミングでも、まず「入浴」を勧めていました。イベント開始直前や、すこし遅れて入ってきた人にも勧めていました。ですから、イベント開始の号令が、なかなか発せられません。開始時間に、お風呂に入っていってしまった方もいました(笑)。
 イベント進行の藤本氏が、全員そろってイベント開始の時機を見きわめがたくて、苦笑いする一コマも。

 イベント参加者全員そろってその場にいて、ということでは、なかなかそれをまとまらせない稲さんの行動でしたが、これはこれでとても興味深く思っている自分もいました。 
 稲さんに、こう言わせるものは、なんだろうかと。

答えは稲さんの中にあるので、聞いてみたいと思うのですが、僕が興味深く思うのは、その稲さんの「ふるまい」のなかに、自身のお風呂に対する自信・誇り(プライド)、とか、入浴するということに対する意味や確信のようなものを感じました。(勝手に感じました)あるいは、カリー寺のなかで語られていたような、まずは「お風呂に入ることで、肩書きを下ろす」「リラックスする」ということから、始まるものがあるというような思いもあるのかなと思ったりしました。

 お風呂に入ってもらうことの「誇り」「意味」「責任」(うまくいいあらわせているような気もしませんが)そんなものが、「まずはお風呂に」という入浴の勧めに、あるのではないか(御本人はどうおもわれているのかわかりませんが)なんか、そのようなものの表出をそこに見たような思いがしていました。

 お坊さんに引き寄せることは、また恐縮ですが、お寺をあずかる僧侶は、なによりも本堂のご本尊にお参りしてもらうことを喜びます。それが、お賽銭泥棒だったとしてもそのひとが「お参りに来た」といわれたら「ようお参りです」と挨拶したという話も聞いたことがあります。
 
 幼いころ、祖父のお寺にいったときには、親戚に挨拶するよりも、まず本堂のご本尊にお参りしてこい、「まずお参りしなさい」と言われて育ちました。「まず○○する」 なによりも優先するものがある、というのは、そこに何が一番大切かという思いが表出しているように思うのです。

 稲さんの女将の矜恃か、あるいは性(さが)か。稲さん自身にはまた聞いてみたいとおもうのですが、「まずお風呂入り」の常套句に、ちょっと思いをもったイベントでもありました。




 

2017年10月15日日曜日

10/13(金) おふろバーvol.07

画像に含まれている可能性があるもの:2人、座ってる(複数の人)、テーブル、室内おふろバーvol.04(6/30開催)から、ホスト役として関わらせていただいているおふろバ-。
 7回目。(https://www.facebook.com/events/131123897514836/)僕としては、4回目のおふろバー。 コンセプトは、リンク先を参照していただくとおり、お風呂屋さん・銭湯でのんびりと過ごすというものです。
 これまでは、「お坊さん」としての立場でその場にいるという求めに応じて、衣姿でその場にすわっていました。しかし、お坊さんがいると、どうも「仕掛け」としてそこにいるような印象があり、「ゆるゆる」とちょっとちがうような感じと、なにか語ること・振る舞うことが期待されるようなところもあって、今回は作務衣程度で、ゆったりとそこにいよう、なにもしないでおこう、という形で関わりました。
 
 参加者もすこし落ち着いて、12名程度。
 そういうこともあってか、喧噪もなく、一人の語りをみんなが共有して聞く、という時間も自然に発生していたように思います。

 今回とくに面白かったのは、池田市の銭湯経営者が、会場の蓬莱湯の視察も兼ねて参加して下さっていて、その語りのなかから、自然と銭湯経営者二人(蓬莱湯の稲さんとその方)の、トークタイムになったということ。
 その銭湯が一番盛り上がった日、銭湯経営のアレコレもおもしろかったのですが、
銭湯経営者お二人のこだわりの共通点が、「日々の掃除」にあったということ。
 
 この掃除についての語りが、僕の琴線にふれました。
 
 目立つところではなく、日々の当たり前の営みをちゃんと積み重ねていくこと。
 僧侶も、一番の仕事は、本堂のご本尊にお仕えすること、仏さまのお給仕をすること、という方がいます。そういう僧侶の勤めにもなにか通じるような思いがしました。

 銭湯のこだわり、哲学、根っこで一番大切にしているものは、「掃除」。
 以前のブログにもかきましたが、稲さんが語る「銭湯」の中には、とても宗教的なこと、人生哲学的なものがふんだんに折り込まれています。(これです http://ryogo1977.blogspot.jp/2017/08/1707092.html

 宗教者がかたらなくても、なんとなく、とても大切なものへの接点が自然と発生したように感じたおふろバーでした。





すこし遅めの誕生日プレゼント

私の誕生日は、7月です。
月に1度出講しているカルチャーセンターの講座の受講生のMさん、7月から
先生の誕生日プレゼントに仏像を贈ろうと思って彫っている、とおっしゃって下さっていたのですが、昨日、写真の像をくださりました。
Mさん、3年ほど前から、仏像彫刻の講座で仏師の先生について勉強されています。その成果は、講座のあとの御茶会でいつもみせてくださっていました。
モデルは、講義でも時々触れる「五劫思惟」の弥陀像です。
講義で触れて心にのこってくださっていたのと、なんとなく中平に似ていると、ありがたいこともおっしゃってくださって・・・。笑
講義では、Mさんはじめ、受講生の方に教えられ、育ててもらっているような思いでいますが、こういう交流もさせていただき、本当にうれしいことです。
Mさん曰く、
たくさんの人に見てもらい、触ってもらいたいということで、
これはご紹介させていただかねばと。

2017年8月10日木曜日

170709カリー寺(2)トーク「ここがすごいよ 尼の銭湯」

12:45 ここがすごいよ 尼の銭湯


カリー寺、本堂でのプログラム12:45からは、尼崎市道意町にある「蓬莱湯」の稲里美さんにお越しいただき、尼崎の銭湯について語って頂きました。聞き手は、カリー寺住職の私。
 

 尼崎は、全国でも有数の銭湯密集地域でした。最盛期(昭和40年代)には、市内で162もの銭湯がありましたが、現在では37軒にまで減少しているということです。
 しかしそれでも、まだ全国的にみて銭湯が多い地域ではあります。

 ではなぜ、こんなにも尼崎に銭湯はたくさんあるんでしょうか。稲さんは、そもそもの文化や、高度経済成長期の住環境などが理由としてあったのではないかといいます。
 いまでは逆に、その住環境の変化(内風呂の増加等)が、銭湯利用の減少につながり、銭湯の経営が難しくなり、減少の一途を辿ってしまっている現実もあるといいます。

 トークでは、そのような苦境の中でも、特徴ある稲さんオススメ銭湯や、尼崎の銭湯のグループとしての取り組みについてもお話を伺いました。




 ・まだ、薪で火を焚いてお湯を沸かしているという90年の歴史を持つ銭湯
 (薪で焚いたお湯、ガスで焚いたお湯、ボイラーで焚いたお湯には違いがあるそうです。すごい!)、

 ・脱衣所、浴場はもちろんバックヤードからボイラー室まで清掃・整理整頓が行き渡り、サービスも完璧というお風呂屋さんからも尊敬を集める(稲さん曰く)「銭湯 of 銭湯」。

 ・源泉掛け流しで、「入門者向け」というとても気軽に入りやすい銭湯

 などなど、オススメの数店舗を教えていただきました。



 ・また、尼崎の銭湯15軒あつまって取り組んでいる「尼崎温泉郷」ではスタンプラリーやおもしろい取り組みも幾つかされているそうです。みなさんもぜひ、一度見ていただけたらと思います。
 (http://ama1010.jp/


 稲さんとのトークで、興味深かったのは、「宗教的なことがら」との関わりについての言及があったことでした。
 銭湯とはなにかという話の中で、稲さんから、銭湯と仏教との関わりに言及されました。東大寺での施浴(奈良時代には光明皇后が、平安時代には重源が困窮した人や病人のために、浴室を開放して、入浴を施したそうです)に触れられ、お風呂にはいるということは清潔さを保つともに、それが一種の宗教的な救いにも通じるのではないかという言葉がありました。それで思い出したのが、東日本大震災の折、震災直後の比較的早い段階から、「千人風呂」という大きなお風呂を設置して入浴してもらうというプロジェクトです。「お風呂を設ける」ということが災害現場における支援になったという話でした。日常、何気なく使っているお風呂ですが、それが宗教的な「救済」、現実的な救いとと接点があるという指摘は大変示唆に富んでいると思いました。宗教的な救済が、あらためてそれが日常から離れたところにあるものではないことを「お風呂」という視点から指摘されたような思いでした。

 ※1000人風呂については、以下のようなページもありました。
 ・http://1000furo.com/about.html
 ・https://www.facebook.com/pg/1000furo/about/


 また、もう一つ稲さんとの話のなかで出てきたのが、「社会的な肩書きを下ろせる場所」ということ。
 とても社会的な立場のある方たちの会合で銭湯がつかわれたことがあったそうです。(社長さんとか、組織のトップにいるような人たち)
 最初は、その社会的な肩書きを背負ったような振る舞いで、稲さんいわく「えらそう」にされていたそうなのですが、お風呂に入って、上がってきた後はとてもリラックスして、打ち解けた雰囲気でコミュニケーションが起こっていたというのです。まさに、服を脱いで「裸の付き合い」をした後は、肩書きも下ろして、「立場と立場」ではなく、「人と人」の交流がごくごく自然と起こっていたということでした。 
 社会的な立場、権威から外れて一人の人と人として、フラットに向き合わせる機能があるとすれば、それもまた宗教的なものが果たしてきた役割と通じるものが、お風呂にはあるように思われ、興味深く思いました。

 


 ともかく、お風呂って、銭湯ってという話を展開するはずが、思いも掛けず、仏教・宗教との接点も感じるようなトークタイムとなりました。
 とても刺激で、考えさせてもらえた時間でした。


2017年8月9日水曜日

170709カリー寺(1)オープンから「開催報告法要」・「主催者トーク」

・オープニング
 始まるまでの準備がかなり、ばたばたとしていた。しかし、それでも開催時間はやってくる。
11:00カリー寺 オープン。
 10:30ごろからちらほらと人が集まり始めていて、11:00少し前には、20人くらい、11:00には、30人くらいのひとがあつまった。
 しばらくすると、会場のテントに設けたイス・テーブルの席はほぼ埋まる。

12:00 開催報告法要

昨年オープニングセレモニーとしておこなったものだが、それが混乱の一因にもなったので、 今回は、セレモニーは開催後1時間たって、すこし落ち着いたところからはじめた。それが奏功したのだろう、とても落ち着いた感じで、会場にも混乱は生じなかった。


 勤行は、「三奉請」「表白」「重誓偈」。
 「重誓偈」は、参加者のみなさんと一緒におつとめした。
 読んでくださる方に本をくばるというと、結構積極的に手を挙げて参加して下さる人がいた。
 

 特徴的なのは、しつらえ、お供え。
 本尊前の外陣に、お供えの段を設置して、そこにお仏飯を真ん中にして、この日出店されたカレー屋さんのカレー8品をお供えする。




 お仏飯と一緒にカレーがお供えされるなんて、日本では「カリー寺」くらいのものだろう。(さすがに、お内陣には入れるのは控えているが)香辛料、さらには肉・魚も入っているカレーを仏前に供えるなんて、という人もいるかも知れない。しかし、私はこのしつらえが好きだ。



 その日のイベントで供されるもの、みんなが一緒に口にするものを「仏前」にお供えして、その上で頂くというのは、「食べる」という行為を宗教儀礼が下支えしているように思う。「ただ食べる」、「食らう」というのとは違う意味を、わかりやすく賦与してくれ、また場の共通理解として視覚化されているように感じるからである。



 報告法要のあとに話したのは、つぎのようなことである。

 ・カリー寺に来場して下さってありがとうございます。

 ・こうやってカレーをお供えして、その上でイベントをしている。

 ・お寺でしている、法要をしているという意味を感じる。

 ・みなさんが一緒に食べるお供えは、ただ「食らう」もの「栄養を補給するもの」ではなく、「仏さまからのいただきもの」「お供えのおさがり」を一緒に食べている。「お寺につどった」「同じものを食べた」縁をまた感じていただけたらと思う。

 ・今年のカリー寺は、「友だちの家のカレーパーティに行くような感じで」という雰囲気であればと思っている。その場にいるひとは「友人の友人」で、何らかのつながりがある人、その場に一緒にいることで、コミュニケーションが生まれ、あたらしいつながりとなっていく場であればいいなぁという思いから。そして、参加者は、ただの「サービスの受け手」ではなく、一緒にパーティを作っていく人、場をになう人であって欲しい。「友人の家」に遊びに行くのだから。

 ・スタッフも一生懸命がんばるが、ただのサービスの受け手でなく、一緒に楽しい場所を、心地良い場所を、楽しい一日を作っていきたい。
 
 実際、会場ではその思いが具体的な形になった出来事がいくつもおこっていたようで、あとになってうれしく聞いた。

 法要から、参加者のみなさんが積極的に「参加」してくださっていたのがうれしかった。


 12:15頃から カリー寺主催者のクロストーク
 カリー寺住職・中平了悟と、カリー寺修行僧(発案者)・藤本遼。
 カリー寺が開催された経緯、趣旨、めざしているものなどについて、主催者二人が話をした。

2017年8月8日火曜日

スタバのアンケート付きレシート

待ち合わせの時間にコーヒー(正確にはラテ)飲みながら
作業しようかと、梅田のスタバに入ったところ、

アンケート付きのレシートに当たりました。










アンケートに答えて番号を手に入れると

「トールサイズのドリンクがなんでも無料・トッピングもし放題チケット」

として使えるというものだそうです。










店員さんいわく「滅多に出ないんですけど」と。
割合を聞くと、「300人に1人くらい?」とのこと。
初めての経験。初めて知りました。

ググってところ、
いくつか記事がありました。

【スターバックス】何でも1杯無料「当たりレシート」の全て。
https://matome.naver.jp/odai/2133386255732706201

当たりレシート(ドリンク1杯無料)
https://xn--idk0bn6gt664c.com/sutaba/4620/


2017年8月7日月曜日

2017年8月_これからに予定しているイベント

8月の関わっているイベント(尼崎・一般オープン参加なもの)

 8/5~8/6 尼崎「みんなのサマーセミナー」 @尼崎市立双星高等学校
 (https://www.facebook.com/amasemi/

 8/11(金)「おふろバー」@尼崎市道意町 蓬莱湯さん
 (https://www.facebook.com/events/246427792528901/
 8/19(土)~20(日)「わんぱく テラキャン」、「わんぱくえんにち」
  (https://www.facebook.com/events/169180846960541/

 8/26(土)第12回西正寺寄席
 (https://www.facebook.com/events/323541201427557/
  
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◆ 「おふろバー」について

「みんなのサマーセミナー」(https://www.facebook.com/amasemi/)も無事に終わりました。
 ほっとしたいところですが、今週末には「おふろバー」なるイベントを予定しています。 尼崎の南の方、道意町の蓬莱湯さんを貸し切って、飲食・入浴・おしゃべりするイベントです。
 前回から、「お坊さん」として場に参加しています。
 前回、お坊さんの話が聞けるかとおもってきた、という声がありましたので、今回はすこしお話しする時間をいただくことにしました。5分程度です。 宗教ってなにか、宗教になにを期待しているんだろうかということちょっとふり返るような、投げかけをしたいとおもいます。
 でも、場が「ゆる~く」なので、ゆるーくおしゃべりができたら、それでもいいと思います。

 おふろバー
 2017年8月11日(金) 19:00から、
 蓬莱湯さんです!
 (https://www.facebook.com/events/246427792528901/

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 ◆「わんぱく テラキャン」「わんぱくえんにち」について

【子どもさんがお寺でキャンプ・縁日 やります】
 8/19(土)・20(日)と、小中学生のお子さんがお寺でお泊まりするイベントをします。「きらめきわくわくチャレンジひろば」さん(https://www.facebook.com/kiramekihiroba/)と共催の形で、宿泊行事と、その中での「えんにち」イベントを開催することになりました。
 キャンプは、スタッフと子どもだけで、お寺に一泊します。
 1日目の13:00~15:00に、子どもたちが、お客さんにも、お店屋さんにもなる縁日イベントが開催されます。(大人が店員さんのお店も出店されます)
 こちらは、宿泊されない、一般の方、子どもさんにも来場・参加いただけるイベントですので、ふらっといってみようかな、という形でもお越しいただけたらと思います。

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 ◆ 第12回西正寺寄席 について

年2回恒例で開催させていただいている西正寺寄席。今回は12回目の開催になりました。
日程は、2017年8月26日土曜日の14:30から。
「ハメモノ・part2」をテーマに開催します。
 この「ハメモノ」というテーマ、実は第2回西正寺寄席で実施して、好評をいただきました。「ハメモノ」とは、落語の最中の太鼓や三味線、笛などのお囃子・音楽のことです。上方落語の大きな特徴とされます。
 第2回西正寺寄席の時には、特別に普段は見れない演奏されている様子を、表に出てきて実演してくださったり、はたまた有名落語家さんの登場お囃子等も披露してくださったり、とっても楽しい会になりました。
 今回もいつも同様とても楽しい会になると期待しています。みなさん、8/26の西正寺寄席、どうぞよろしくおねがいします。



2017年8月6日日曜日

サマセミの授業を通して 念珠と手を合わせること


 今日のサマセミでは、「うでわ念珠を作ろう」という授業をさせていただきました。ゴムヒモでプラスチックの玉を通して、ブレスレットのような「念珠」(数珠)を作る授業をしました。赤ちゃん~小学校の子どもさん、そして大人の人も、20名ほどの人が参加して下さいました。
 
 授業の中では(去年もそうだったのですが)「うでわ念珠」を作るだけで精一杯でした。受講してくださった方たちとも約束したので、こちらですこしお話を補足したいと思います。(大人向けの内容になりましたが)

 「お念珠」ってなんですか?といわれたら、それは「手を合わせるための道具(仏具)」です、ということに尽きるのではないかと思います。

 世間では、念珠(数珠)の石に、幸せや願いが叶うことを喧伝したり、特別な力があるということを宣伝されているのを見ます。しかし、そういうセールスは、お商売的な印象があって、まっとうな僧侶がそういうことをハナシの中心にすることはむしろ少ないのではないかと思います。(少なくとも、私は一度もそんな話はしたこともありませんし、否定的に考えています)

 人生は「幸せ」ばかりではなく、さまざまなことが起こります。仏教は、つらいこと、受け入れがたいことが起こりうる人生ですよ、ということを説きます。
 つらい、受け入れがたい中では、人を恨んだり、否定的な思いをもつこともあるのではないかと思います。そうそう「手を合わせること」など、できない、したくない思いを抱えることもあるかもしれません。

 ただ単に両方の手の平・「掌」を合わせること。それは、とても簡単なことのようで、とても難しいことでもあるのではないかと思います。行為としては簡単かもしれませんが、「手を合わせる」心をもつこと、それを忘れないことはとても難しいことのように思います。

 家族や身近な人に対して、憎まれ口を叩いたり、
 人の親切がついつい「余計なこと」「お節介なこと」と思ってしまうこともある自分(私自身)だからこそ、それは「むずかしいことだなぁ」と感じています。

 そんな中で、「手を合わせる道具(仏具)」である「念珠」は、「私が手を合わせるときに使うもの」であると同時に、「手を合わせない私に、手を合わさせるもの」でもあります。
 「念珠があるから手を合わせる」ということもありえるのだと思います。

 「手を合わせる心を忘れないで下さいね」「大事にしたいですね」ということなのですが、今日みなさんと一緒に作った念珠を身につけて下さったり、あるいはふとしたときに目にして、「手を合わせるキッカケ(縁)」になったとしたならば、それはとてもうれしいことだなぁと思います。

2017年6月27日火曜日

 6/30開催予定のお風呂バー

今週金曜日(6/30)に、尼崎市にある銭湯「蓬莱湯」さんで、「おふろバー」というイベントに呼ばれました。僧侶としてその場にいる、ということでなにがおこるのか、もはや実験だろうと思っています。
 とりあえず、参加者のみなさんには、「最近、怒ったこと」をお話ししてもらって、「怒り」をテーマにみなさんとお話できたらなぁと思っています。
 (ところでその1)
 尼崎は、全国でも有数の「銭湯密集地域」であったということ、ご存知でしょうか? 最盛期には、市内に160以上の銭湯があったそうです。ところが今その数は激減して、30数件に減っているということ。
 そういえば、子供のころ、徒歩圏内には、銭湯が3軒はありましたが、そのすべてが閉店してしまっています。。。
 
 それでも、まだ銭湯がかなり多い地域であることは間違いないそうで・・・。そんな地域の「文化」を守ることの一助になればなぁともおもっています。
 (ところでその2)
 そんなこんなで、用意をしていると、NHK神戸放送局さんが取材にきてくれることになったという話。
 7/18の夕刻に、神戸放送局の範囲限定ですが、放送される予定です。
 そこまで、しっかりとしたもの考えていないのに、これでいいのかなぁとも思いますが、まあなんとかなるのではないかと軽く考えています。
 主役はきっと、銭湯、お風呂です。

2017年6月21日水曜日

本願寺派関係学校 某・研修会

【セクシュアリティ、LGBTに関する研修、講演ありました】
先週6/15~17の2泊3日、浄土真宗本願寺派関係学校の研修会がありました。 こちらは、全国の浄土真宗本願寺派の関係学校(私立の小学校、中学校、高校、大学)の教員が対象で、年に一回人権関係のことがらをテーマに研修合宿をするというものです。
 今年度のテーマがLGBTに関するものということで、事務局からの依頼をうけて、全体のプログラムと講師選定・依頼に関わるコーディネートをさせていただき、会にオブザーバーとして参加しました。
3日間のプログラムは、
 ・セクシュアリティ、LGBTについての概論
 ・カミングアウト、アウティング、クローゼットについて
 ・学校現場の当事者教員、当事者生徒の思い
 ・トランスジェンダー(FtM当事者)と保護者の声
 ・同性愛カップル当事者の思い
 ・MtF当事者の経験と、性別変更について
等々 たくさんの当事者の声を直接聞いていただく場となりました。 話の中で感動した様子を示して下さる先生、終わった後もゲスト講師に質問を重ねる先生、食事や移動の間にも、テーマに関する話や、意見交換は絶えず、とてもいい意味で刺激を受け続けて頂いたような3日間となっていたように思います。
 各学校に持ち帰って具体的に取り組みを進めていくという思いと声もたくさん頂きました。
 思えば、数年前は、セクシュアリティやLGBTに関することを話題にしていたら「話題を変えようか」と、話を避けられるようなことがあったり、あるいは職場でも「取り組みましょう」と提言していても、人材や予算といったリソースの問題から、組織・チームとしての取り組みは叶わず、個人での対応となったことがありました。そういったことを思い返すと、歴史ある全国組織のあつまりで、3日間にわたって取り上げられるテーマになったこと、堂々と話を見聞きし、語り合える場がおこったことに、そして、そこにこういう形で関わることができたことに、個人としては、とても感慨深い思いで立ち会っていました。
 いろいろと慌ただしい中の準備で、事務局のみなさんには急なお願いにも対応いただいていたこと本当に感謝です。
 個人としても改めていい経験ができた3日間でした。これからまた新しい動きが始まる契機に立ち会ったような思いです。

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【結局、人と人、なのだなぁ】
 先に投稿した研修会のコーディネートをした時の話。
 プログラム設計をして、事務局や会議に説明するときには、「ゲイ当事者の声」とか、「トランスジェンダーの経験を聞くのだ」とか、その属性でそれぞれの経験を聞かせてもらうんですよ~と説明していました。
 ところが、実際に話・講演を聞いている時には、「ゲイ」とか「トランスジェンダー」といった一般名詞ではなくって、「○○さん」といった講師の固有名詞の方が明らかに自分の中では大きくなっていたことが印象的でした。
 もちろん、自分にとっては、講演以前からの知人・友人であったということも無関係ではないのかも知れません。でも、結局人と向き合うとか、「人権課題」とかって言われていることって、そうなのかもしれないなぁという気づきでもありました。
 つまり、その人が抱える属性や、所属というところに課題があるのかもしれません、それ独特の悩みや苦しみももちろんあるのかもしれません。でも、それを抱えているのは、目の前にいる、具体的な名前と顔のある人ー「○○○○さん」というありかたで、一般名詞としての「ゲイ」とか「トランスジェンダー」ではないのだろう、ということ。
 実際に、「ゲイだから○○」とか「トランスだから○○」という十把一絡げな対応ではなくって、「○○さんはどうしたいの?」とか「○○さんはどうおもうの?」という、その目の前の人や、実際にそこにいる人・人たちの声を拾うことでしか、具体的な問題はよりよい解決の方法がないように、問題となるのは、属性ではなく、それぞれの個別的なあり方、個人的な思いなんだろうと思うのです。
 これは、セクシュアリティ、セクシュアルマイノリティの問題だけではなく、他の多くの問題、僕たちが抱える地域課題や社会課題、個人的なトラブルなんかにも当てはめて理解することができるだろうと思います。
 もちろん、全体的な(属性を意識した)対応、対策が必要なのは当然なのですが、最終的には、「あなたはどうしたい?」「○○さんはどうしたい?」という、目の前の人の思いや考えを聞いて、やりとりするところに向かわないといけないよね、ということに改めて強く思う気づきがたくさんありました。


2017年5月19日金曜日

5/17 meets the 福祉 ワークショップ

実行委員のメンバーとして関与している「meets the 福祉」。
5月17日の夜に、第1回目の公開ワークショップが実施されました。

さまざまな障がいを抱えていらっしゃる方、それから手話などのサポート、支援の方たちと一緒に、どう11月の「福祉まつり」を迎えるか、ワークショップをおこなった。

いろいろなアイデアや視点がでてくる。
日頃なんとなく過ごしていては、考えもつかなかった視点が、
ハンディや不便さの点から提示されて、ハッとする。

おなじグループにいらっしゃった方。
行事・イベントで不便に感じたことはなにか?
ということを提示し合う中で、
障がいのために「そもそも参加しないから、不便に感じることもない」
「参加しても一人になることがおおく、コミュニケーションができないから、いかない、いっても帰ることが多い」という方がいらっしゃった。

しかし、この日の「meets the福祉」のワークショップには、

ウェルカム感がある。
みなさんが、ちゃんとコミュケーションをとろうとしくてれるから
「きてよかった」といってくださった。
その言葉を聞いたときには、ふるえるような思いがした。
自分たちがその方から認めてもらえたような思いがした。

いろんな方がいらっしゃることを想定しながら、準備をしている。
もしかすると、漏れているかもしれない「だれか」がいるかもしれない。
「だれか」にとっては、居心地のわるい場所になってしまっているのかもしれない。
だとするならば、それは僕たちが「みんな」というその「みんな」の中その「だれか」を含み切れていなかったということかもしれない。

もちろん、すべての人をふくみこめる「みんな」というのは、到達し得ない「理想」・「理念」なのかもしれない。
でも、来てくれる人が楽しくいられるように、きてよかったといられるように、「みんな」をできるだけ広げられるようにしながら、11月を迎えようとしているこの行事は、自分にとっての「みんな」に対する想像力を大きく広げてくれてもいるように思う。

https://www.facebook.com/meetsthefukushi/

2017年4月5日水曜日

西正寺 第14回はなまつり

 2017年4月2日(日)  自坊・西正寺で「はなまつり」の行事をしました。
 始めたのは14年前、昨年は参加申し込みが少なくて中止になったので、 2年ぶりの開催でした。 

9:30~12:00まで、今年は16名ほどのお子さん(2才~小学校6年生)と、2人の赤ちゃん、それから数名の保護者の方の参加がありました。
  おおよその流れは、
   ○受付
   ○開会の挨拶と、注意事項
   ○オープニングのレクレーション
   ◎腕輪念珠づくり
   ◎スペシャルゲスト、チャーハンさん、タクトさん、ガチさんのパフォーマンス
   ◎はなまつりの礼拝
   (さんだんのうた、ねんぶつ)濯仏の礼拝
   ◎おはなし
     ◎レクレーション 
     みんなで境内に絵を描こう!
   ○閉会 と、
こんな感じで行いました。

参加して下さったみなさんもとっても楽しんでいただけたようで、
わざわざ御礼の電話や、メールを下さって、
「帰ってきてから、お釈迦様の誕生日なんやねで~」とか、いろんな会話もあったようです。
うれしい、うれしい。


最初は、タクトさんが、
みんなが知ってる「あの曲」に乗せて、楽しいパフォーマンスを見せてくれました。

すごい!まわってる!
チャーハンさんのパフォーマンス。うほっ。


シンプルだけれど、楽しい地面へのお絵かき。

20分くらいで、あっというまに素晴らしいアートに。
「花祭り楽しい」という言葉もあちこちに。うれしいですね~。
最後は、みんなで記念撮影。








※パフォーマンスを披露して下さった チャーハンさんのプロフィールはこちら

チャーハン。
フットバッグフリースタイラー。
世界唯一のオリジナルスタイルで、空間をアートにクリエイトする。
自身がリーダーを務めるプロフェッショナルなエンターテイメント集団[LifeUnder(eN)]ライフ・アンダー・エンのチームプロデュースも行う。
2013年2014年と2年連続で
神戸のダンスコンテストにて審査員特別賞を受賞。
JJS(ジャグリングジャムセッション)という1on1のオールジャンルのフリースタイルボールバトルで、全国4位に。
その他、様々なコンテストで入賞。
エナジードリンクSHARKとオフィシャルサプライヤー契約。
年間300を越えるパフォーマンス。
そのテイストは一期一会の即興スタイル。

フットバッグチャーハンドットコム
http://lifeunderen.web.fc2.com/
フットバッグチャーハンドットコム
Footbag
lifeunderen.web.fc2.com

2017年3月5日日曜日

テラハとその後、自分にとってのあの場所との「これから」

【テラハとその後。事故と事故現場との向き合い】  昨日、テラからはじまるこれからのハナシ。の4回目を開催しました。  テーマはすでに紹介していたように、JR福知山線の脱線事故。詳細はまたお話ししたいと思いますが、この企画によって、自分自身が地域にあるあの事故の現場とちゃんと向き合う気持ちをもてたように思います。  私は、事故現場にある追悼の場所・献花場に足を運ぶことはできていませんでした。軽々に足を踏み入れては行けない場所であるような思いと、はたして自分はそこにいくことができるような資格があるのかという思い、どれもそうであるようで、どれもぴったり完全に一致するのではないような、なんともいえないような思いをもっていました。ただ、はっきりといえるのは、結果として足を運ぶことができなかったということ。  ただ、このテラハを企画したことで、事故について触れ、語るには、この企画を言い出した責任の一つとして、あの場に立たねばならない、あそこに行かないといけない、そんな思いがおこっていました。そのようなこともあり、(のびのびになっていたのですが)開催当日(3/4土)、献花場に手を合わせる時間を持ちました。持つことができました。  そこに足を運んでいくときも、緊張感か、なんともいえない思いを感じていました。それは、その場所の空気だったように思います。そこだけ、地域の日常から切り離されたような空気感がありました。  24時間警備員の人がいて、JRの職員さんもいて、おそらく遺族の方にもそうされているのであろう、深々としたお辞儀をされました。  なんともいえない思いをもって、献花台の前に立ち、手を合わせました。  たくさんのお花、そして立てられたお線香と、炭の入った香炉。ずっとお線香は絶やされることなく焚かれ、またお焼香の炭は常に火を保っていたのだろうと容易に想像ができました。  あれから12年近く。この追悼の場所ができてから、ずっとこのお線香と炭火は絶やされずに燃え続けていたのだろうか、とその時間の長さに思いが向きました。  その場にいたJRの職員さんにすこしお尋ねをしました。  追悼の場のお花やお線香について。おそらく遺族の方であろう可能性を思われていたのであろう、丁寧な態度で言葉を選ばれるようにお話くださいました。  そして、その後、再度手を合わせて、その場を去りました。  そのとき、私は日常の洋服姿でした。いかにも、という僧衣をつけてその場所に入ることは、なにか一種のいやらしさを自分のなかに見いだしそうな思いがあったからです。  しかし、手を合わせてその場を去るとき、今度は僧侶の姿をして来ようと思っていました。うまく言葉にはできませんが、今の自分にはそれをすることが、一つの務めのはたしかたであるような思いがしました。    そして、今日の午後また、あそこに行き、手を合わせてきました。布袍・輪袈裟という僧侶の姿で行きました。昨日とはすこし、見え方が変わりました。また、警備員さんやJRの職員さんもすこし雰囲気が違うように思われました。  ただ、手を合わせるだけですが、また足を向けようと思っています。 自分の主催する企画ではあったのですが、僕にとっての「これから」が「テラハ」によって起こった感覚があります。

2017年2月10日金曜日

シンポジウム『儀礼空間の必要性とはたらき』

一日の仕事を終えて、これを聞きに大阪・本町の北御堂に行きました。

北御堂 公開シンポジウム 「儀礼空間の必要性とはたらき」


プログラムは、
・内田樹先生「武道の道場空間とその指南力」
・中沢新一先生「葬送儀礼の黄金比率」
・釈徹宗先生「儀礼にゆさぶられる」
の講演があったあと、
寺本知正先生の進行で、パネルディスカッション。

18:00~21:00の3時間という長丁場だったけれど、とても興味深いお話がたくさんありよかった。

全体を通して感じたことは、
その「場」や「人」に蓄積されたものをいかに感じ、うけとめていくかということか。
思念・願い・死者を感じたり、それに向き合っていく能力についての示唆。

それは、「場」によって養われると共に、我々自身もいかにそのような
「清らか」で「意志」とか「思念」とか「願い」とか「敬意」が蓄積された場を編んでいくか、築いていくかということにかかっているのだろう。

それは内面的なものでもあるだろうし、
あるいは「儀礼」や「行為」はたまた、生存や生活に関わる「営み」が真摯に積み重ねられた場でも養われる可能性があるように感じた。

他人(他者ではなく)によって、「無機質に造られた場」には立ちあらわれえない、
人が時間を掛けて、「思い」とか「営み」を積み重ねた場所の意味。
そしてそのような場所を感じる能力(それは、今日的には喪失させられてきているという危機感も)をいかに養っていくかがテーマだったか。


以下メモ
(ざっと個人的な要約なので、シンポジウムでの言葉と異なるところがあります)
・「場」(道場)に対する感覚と、場(道場)によって養われる感覚。
 →その場が蓄積してきた空気や、その場に関わってきた人の想いの蓄積が「場」の空気や、価値をつくる。
 →その場に対する敬意や、「清らかさ(清めようという意志)」が場を造る。
 →穢れ(汚れ)た場は、自己を守ろうとしてしまう。体を硬くし、小さくする。

・「空間とやりとりする能力」を養成するには、実際に「そういう場」に触れないといけない。

・儀礼とは「繰り返し」の行為。 同じ動作を繰り返し行うことが、儀礼の本質的なことがらの一つ。
・人は、「他者の不在」を、なんらかの象徴を用い、それを記号にすることによって、「儀礼」行為を行っている。
・死者儀礼は、「旧石器~縄文時代」「弥生時代~」「都心の時代」という、3つの基層からなり、縄文時代は死者とともにあったものが、弥生時代からは、死者が集落の外側に配置され「距離」が生じるように。

・「儀礼」が持つ言葉を見直す。
・ロゴス(教義)によって、パトス・エトスを切り捨ててきてしまったのではないかという反省。
・どのような宗教者の力も、その言葉の力も、蓄積されてきた「儀礼(勤行)がもつ力」にはおよばないのではないかという事例。

2017年2月7日火曜日

テラからはじまるこれからのハナシ。 4回目に、脱線事故現場について考えるということについて、

テラハのイベントページはこちらです。
https://www.facebook.com/events/151892765303253/

次回のテラハについて、すこしお話をしたいと思います。
テラハでは、「JRの脱線事故」という出来事そのものよりも、
「あの現場という場所」そして、そこに関わる私たち自身の心や、「尼崎」という街について、考えたいと思っています。
それは、すこし、複雑な話かもしれません。

 それは、主催者の私自身の思いを語るとすこしご理解いただけるかも知れません。
 私自身は、あの事故で被害を受けた知人がいるわけではありません。あの現場に、足繁く追悼に足を運んでいるわけでもありません。

 しかし、平日の通勤や、檀家さんのおうちへのお参りの際など、日常的にあの踏切をとおり、あのマンション(だった場所)の前を通過しています。そのたびに、あの事故のことを思い出し、あそこへ足を運ばれている方、人生が変わった方がいたことを思わずにはいられません。24時間、絶え間なく交代して警備を続けている人の姿にも、考えさせられるものがあります。
 4月25日には、尼崎駅で、たくさんの黒い服を着た方、花を持たれた方と出会います。あるいは、その頃には、一列になってその事故の現場へ足を運ばれる方たちを見かけることがあります。
 
 「あの事故の関係者ですか?」と問われれば、私は「いえ、そうではありません」と答えます。ただ、「近所に住んでいる者」に過ぎません。
 しかし、近所に住んでいるという点において、事故の現場、人が追悼に訪れる場所と共に暮らしているという点において、さまざまな思いをかかえて生活し、あの場所を目にしてきました。その意味で、「当事者ではないけれども、影響を受けているという意味においては、当事者ならざるをえない」という曖昧な立場にあるのではないかと思います。

 すこし、話が変わりますが、22年前の「阪神淡路大震災」における、私の立場にもかさなる点があります。
 京都や、神戸からすこし離れた地に行き、「尼崎出身です」というと、「地震大丈夫だった?」と聞かれますが、「たいしたことありませんよ」と答えていました。
 長田をはじめとした神戸、あるいは尼崎でも武庫川にちかい西側に比べて、比較的被害は軽いものでした。しかしそれでも、家はかなり傷み、本堂はすこし傾き、鐘楼と敷地の壁は倒壊して、結構な被害がありました。しかし、「地震でかなり大きな被害があった」ということは、なにか心にひっかかるものがあって「神戸ほどではないんです」等といっていたように思います。
 「阪神大震災」というと、神戸の街のイメージがどうしてもあり、私の住む地域は、震災被害の「周辺」に位置していたといえるのかもしれません。それ故に、典型的な「震災」という言葉でくくってしまうことについての違和感、あるいは、より甚大な被害のある方に対する「申し訳なさ」みたいなものがあったのかもしれません。
 
 つまりJRの脱線事故にしても、阪神大震災にしても、テレビや、メディアで提示されるような、その中心にいるような「当事者性」(あるいはそのイメージ)と隔たりがあるがゆえに、かえってそのものとの距離を私たちは正しく捉えていなかったのではないか、「わたしたちなりの関わり」ということについて、言葉をもたずにここまで来てしまったのではないか、という思いがしてならないのです。

 その意味で、地域にあるあの事故現場は、わたしたちにとっては、いったいなんで、どのような関わり方ができるのだろうか。(あるいは震災を初めとして「当事者」として関わることをすこしさけていたような、曖昧な関わりをしてきた事柄もふくめて)、そのような曖昧な関わりについて目を向けてみたいと思うのです。
 「尼崎」という街が抱える「悲しみ」の場所を通じて、私たちなりの関わりのあり方を、私たち自身の言葉で語り、考える、そんな時間が持てたらとおもっています。

2017年1月23日月曜日

大崎善生『聖の青春』


大崎善生『聖の青春』(角川文庫)




映画『聖の青春』を元旦に見て以来、一連の本を読んでいた。


・山本おさむ マンガ・『聖(さとし) 天才・羽生が恐れた男』

・大崎善生『角川つばさ文庫版 聖の青春 病気と戦いながら将棋日本一をめざした少年』


ただ映画も含めやはり、一連の本の原点・原作がこの大崎善生『聖の青春』。

映画や漫画ではカットされていたエピソードも含まれていて、それがまた村山棋士の実像と、生きる姿を思わせられる。

3才で腎ネフローゼを発症し、死を意識しながら、「将棋を指す」という人生を生きた棋士・村山聖の生涯。
映画では、7段昇格からが物語りの中心だったが、本書では、3才のネフローゼ発症から、将棋との出あい、奨励会入会も含め、その人生通して描かれている。







2017年1月11日水曜日

「手に入らない中で生きる」スキル


この「山中伸弥教授と羽生善治棋士との対談」を読んでふとおもったこと。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50589

AIや、IPS細胞。
第一人者でさえ驚くほどのスピードで、技術が進んでいる。
不可能がどんどん可能になる。治らなかった病気が治るようになる。

万能に近づき、望ものがどんどんと人間の手の中に入ってくるようになるのだろう。
人類がそっちへむかって、どんどんとスピードをあげて進んでいるように錯覚さえ覚える。

しかしその分、不可能なことの、叶えられないことの、そしてそちら側にいることの苦悩が大きくなるのではないか。

「いかにそれを手に入れるのか」、「いかにそれを達成するのか」というスキルに関心がないわけではない。
しかし、それと同等以上に、
「いかに”手に入らないものがある”という中で生きていくか」、「いかに”受け入れがたい状態である”中で生きていくか」というスキルアップも必要ではないかと思う。

そして、それは、他者から押し付けられるものではなく、自己自身が問い、作業するなかでしかえられないのかもしれない。それが「行」としての営みなのかもしれない。


2017年1月10日火曜日

今年の目標(数字)


今年の目標設定 ・本は100冊読んで、 (昨年は30数冊) ・映画は50本見て、 (昨年は2本くらい) ・論文は200本読んで、 (昨年は…)  ・論文は2本書こうか (昨年は、0) と考えている。 …かなり大きく出ている。目標は大きく。

映画『ベストセラー 編集者パーキンスに捧ぐ』

映画 『ベストセラー 編集者パーキンスに捧ぐ』
(2017年 4本目 1/9鑑賞)

公式サイト
 http://best-seller.jp/

ヤフー映画 
http://movies.yahoo.co.jp/movie/357156/


舞台は1929年からのニューヨーク。
敏腕編集者マックス・パーキンスと作家トマス・ウルフが、2つのベストセラー作品を発刊する前後の二人の仕事と交流が中心に描かれている。

あらすじ、評論については、リンク参照。。


個人的には、いくつかの考えたいこと、余韻がのこる映画だった。

◆タイトルについて
 この映画の邦題は、標題の通りであるが、現タイトルは「Genius」。つまり「天才」と付けられている。
むしろ原題の方が、個人的にはしっくりくるのではないかと思った。

 天才作家「トマス・ウルフ」が、いかに世間に知られるようになったのか。編集者パーキンスが見出し、彼がその才能にかけて、さまざまなものを犠牲にして寄り添う中で、「ベストセラー」が生まれていく。
 「天才」は、一人では世に出ることは決してなかったであろうし、「天才」たりえることもなく、埋もれていったことだろう。つまり、才能は、実体的・不変的に「ある」ものではなく、見いだされ、磨かれることによって「天才」たりえるのではないだろうか。 見いだされ、関わられてこそ「天才」たりえるのではないか。
 
 一人では、「天才」たりえない。天才とは、常に誰かが誰かに関わる中で、そこに立ち現れてくるものではないか。

 そう考えると、このウルフとパーキンスの関係が、ほかの「天才」のありかたと重なってくるように思われた。

 先日見た映画「聖の青春」(その他原作、マンガなど関連作品を読んだがそれらも含めて)のモデル、天才「村山聖」棋士には、師匠森信雄六段とのかかわりを抜きに語ることができないように。
 
 
 「天才」・「才能」とは、一人の人の枠に収めきれるものなのであろうか。
 世に知られるということ、才能が認められるということ、そこには、「一人」の人間ではなく、つねに「だれかとだれか」(あるいはそれ以上の人)が関わる中で立ち上がってくるものなのではないか。

 ふと、そんな考えが、頭によぎる映画の、鑑賞後の印象だった。


◆編集の作業
 膨大な原稿を前に、ざくざくと朱を入れ、文章を削る描写。
 刊行物の編集に関わった記憶がありありと思い返される。
 
 書かれたものに向き合って黙々と、朱を入れる作業。
 あーでもない、こーでもないといいながら、その文章がよりよく伝わるように費やされる時間。
 (このブログは、推敲もなく書いているわけですが)
 そうやって、一文を書くために、膨大な語句を削る作業。 あるいは、一文の背景にある、推敲されたよく似た、でもそれではない文章の数々。
 
 その削られ、掘り出され、整えられていく文章が、才能が目に見える彫刻となって掘り出されてくるような、そんなイメージもあった。

(つれづれ)

2017年1月4日水曜日

モチを切る その日それをするということ。

1月4日のルーティンは、お正月三が日にお供えしたモチを切るということ。

なかなかの重労働で、これをするだけで、午前中が終わる。

フェイスブックを見ると、毎年この行事を書いているようだ。

ただ、結構、「この日はコレをする」というものがあるのは、嫌いではない。
自分にとって、1月4日は、モチを切る日と設定されている。

最近は、曜日で動くことが多くなり、
村の祭りや、お寺の行事も、第何土曜日がなに、第何日曜日が何という形になった。

以前は、祭りやお寺の行事もいくつかが、
「何月何日」は、○○××の日、と、
特定の日で、設定されていたものがあった。

特定の日に何かをする、というのは、一年を過ごす上での区切りとしても意味があるのかもしれない、少なくとも、自分にとっては、「今年もこの日が来た」という思いで過ごせる、年間ルーティンの一つになっている。


2017年1月3日火曜日

映画『この世界の片隅に』

映画『この世界の片隅に』(http://konosekai.jp/

Yahoo!のレビュー
http://movies.yahoo.co.jp/movie/348641/story/


・口コミで、「いい!」という評判があまりにも高いこと、
・なぜか職場(研究室)に、「のん」さんの直筆サインのチラシがあること、
・公開前に、知り合いの方からも強く進められていたこと

 など、「見るべき」条件が整いすぎていて、「見ないといけない」気持ちもあって、鑑賞してきました。


 見る前の正直な気持ちは、「悲しすぎたらいやだなぁ」というもの。
 『蛍の墓』のように悲しすぎるものがたりは、悪くはないのだけれど、感情を持って行かれてしまうことに対しては敬遠したいという気持ちがあった。感情を振られすぎることに、自分自身苦手意識があるのかもしれない。(ちょっとした自分に対する気づき)


 しかし、実際は、むしろ安心しながら、適度に感情を動かされつつ、見ることができた。
 見終わった後、はむしろ、こういった戦時中を語る映画が提示する視点はとても大事なものがあるのではないか、と考えられる映画だった。

 それは、どこまでも市井に暮らすの一人の女性が体験した戦争を描くという視点。

 偉人的な活躍をしたわけでもない。(ごく小さなコミュニティであっても、モチベータにもリーダシップを発揮するような人物でもない、どこまでも主婦)
 特定のイデオロギーをもっているわけではない。(あの当時としてはおそらく、多くがそうであったように、親が決めた相手といわれるがまま結婚し、いわれるがまま家事を行い・・・)
 戦闘の最前線や、悲劇的な地域に居住しているわけではない。(呉という街もある種特別な街であることに間違いはないが、街から少し離れた山手に居住していて、ローカルな雰囲気漂う)
 
 それら、いわゆる戦争映画によくあるシチュエーションや、人物の登場はほとんどなく、登場人物が「歴史」を動かしたりすることもなく、おかれた状況でどこまでもつつましやかに、日常としての「戦時を暮らす姿」が描かれた映画といえようか。

 
 個人的には、「戦争」を描くには、あまりにも穏やかすぎたという気持ちがしないではない。
 しかし、じゃあ、どう描けばいいのか?。そういうことを考えてみると、「穏当な戦争の描き方」とか、「万人が納得するような戦時の状況描写」なんていう物自体が、むしろ幻想ではないかと思われてくる。

 人によっては、「主義主張のない戦争映画」に逆に批判的な目を向ける人もいるだろう。ネットのレビューをみれば、「国内的な描写のみで、国外で行った日本の非人道的な事柄について言及がない」ということについて批判的な意見さえあった。

 僕の「穏やかすぎる」という印象とは、逆に「これ以上は悲劇的すぎる」とか、「もっとイデオロギッシュであるべきだ」という感覚の持ち主もいるかもしれない。

 
 むしろ、こういう場合の最近の僕の立場としては、
 「もっとも相応しい解を探すよりも、それぞれの立場が相対化されるような刺激をもたらすものの方がのぞましい」と考えたりしている。 

 そういう意味では、この映画は、ともすれば陥りやすい、「戦争に対する賛美」(無意識、無教養なものや、あるいはイデオロギー的なものも含む)や、その逆に悲劇的などこまでも反戦イデオロギーに包まれるような描写に偏るものでもない、あるいはイデオロギッシュに右と左が対立的に問われるような投げかけが含まれるものでもない。むしろ、そういったものと距離をとることで、相対化していくような問いかけが秘められているような、穏やかな(ヒーロー的な要素のまったくない、いわれるがまま日常を暮らしていた)若い一人の女性の視点からの戦争映画だったのではないかと思われた。つまり、いわゆる戦争映画のあり方を、市井に落として、あらためて問いかける(賛美を含めて)相対化するような視点がふくまれている、という意味においても、意味ある映画の一つなのではないか。
 そのような意味においても、冒頭に書いたように、「こういった戦時中を語る映画が提示する視点はとても大事なものがあるのではないか」と思いながら、帰りの自転車をこぐ昼過ぎだった。(朝から上映にのこのこと出かけていたので)
 

追記:
・子どもと見る場合。
 僕の後ろには、小学校の子どもさんをつれた家族連れがいて、子どもと見るには、これくらいが安心なのかもしれない。しかし、ところどころで、「●●ってなに?」とお母さんに尋ねたりしているところがあって、小学生にとっては難しいことばもあったようだ。でも、そういう言葉に「触れる」ということでは、いい学びなのかもしれない。


追記その2:
 劇中に、お坊さんがお経を上げたり、お葬式をするシーンがありましたが、いずれも「浄土真宗」でした。 「如是焔明 無与等者」という「讃仏偈」と、『御文章』が読まれる場面がありました。さすが安芸門徒の広島と思いました。

2017年1月2日月曜日

映画『ある天文学者の恋文』

『ある天文学者の恋文』

http://gaga.ne.jp/tenmongakusha/


昨日の『聖の青春』に引き続いて、正月は映画をと、続けて映画を見てきました。
塚口サンサン劇場。昨日は、サービスデイで1000円で鑑賞できたからか、映画自体の評価だったのか、席が結構埋まっていたのに比して、今日は、50席弱の座席に、観客は僕を入れて6名。

悠々としたスペースで鑑賞した。
少ない観客でゆったりと見れるのも、ありがたいことだけれど、
営業的には心配にもなる。(サンサン劇場、すごくいいところですよ!)


◆映画の感想(あくまでも個人の感想) 
 ※以下、ネタバレではないけれど、水を差すようなレビューでもあるので、ご注意を。

さて、映画。ホームページの紹介文、

「一人の天文学者が恋人に遺した“謎”をめぐる物語。数十億年前に死してなお、地球に光を届ける星々のように、命尽きても、我々の愛は大切な人たちの行く先を照らし続けることができるのか。そんな壮大でロマンに満ちたテーマを、名匠トルナトーレが描きあげる。」

というのを期待して見にいったわけです。
結局の所、感情が揺さぶられるところは個人的には少なかった。
昨日の『聖の青春』の方が、感情移入しやすかったのは、
和洋の文化の違いもあるのだろうか。

 あるいは、「死者が、死んだ後も手紙を送り続けてくる」という謎と、そこに向き合かっていく、という「理」というか「知的」な謎にモチベートされた行動は、恋人との「死別」「離別」という悲しみ(感情)を少々背景へと追いやってしまっていたのではないかとも思った。
 感情的な描写もあったけれど、それ以上に、送られてくる手紙や、謎への追跡に比重があって、個人的にはもっと感情に振って欲しかったかなと思う。(これは、個人的なニーズなのかも知れない)


 ただ、2時間の間、あまり退屈もせずに、ちゃんと映画に向き合えたと言うことは、駄作ではないのだろうと思う。そもそも、あまり映画を見ない僕が、そこそこ集中して見たというのは、ちゃんと記しておきたい。
 
 エディンバラや、「イタリア湖水地方のサン・ジュリオ島」なんかの街並み、風景はとても美しかった。

 映画を見て過ごす日っていうのも悪くないなぁと思います。

 

Yahoo!のレビュー
http://movies.yahoo.co.jp/movie/357363/



映画『聖の青春』


『聖の青春』

http://satoshi-movie.jp/


2017年元旦、塚口さんさん劇場で、見たかったこの映画を見てきました。
29才、進行性膀胱がんのために夭逝した、村山聖棋士を描いた作品。
映画では、彼が24才で7段に昇段してから、29才で亡くなるまでが描かれている。

5才でネフローゼという難病を発症しつつも、トップ棋士となり、「天才」と評された棋士。
27才で進行性の膀胱がんが見つかるも、棋士として生きったその生涯。

劇中の時間の経過がわかりづらいところもあったが、考えさせられ、感情も揺さぶられる映画だった。


うまい言葉が見つからないが、どうだった?と聞かれたら、こう言いたい。

「生きるということは何か、ということを考えるならば見たい映画の一つと。」
将棋好きなら、なおのこと、おすすめしたい。

死を意識せざるをえず、
人生において、「普通にあるもの」を諦めざるを得ないことから生じる悲歎。
まわりとの乖離、軋轢。

スピリチュアルケア、グリーフケアを考える教材としてもいいのではないかと思う。

DVDが出たら買いたいと思う。






2017年初投稿。

2017年 明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

しばらくフェイスブックばかりでこちらのブログにあまり記事をアップできていませんでした。
今年は、こちらにも記事を書いて行けたらと思います。

「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...