2017年8月9日水曜日

170709カリー寺(1)オープンから「開催報告法要」・「主催者トーク」

・オープニング
 始まるまでの準備がかなり、ばたばたとしていた。しかし、それでも開催時間はやってくる。
11:00カリー寺 オープン。
 10:30ごろからちらほらと人が集まり始めていて、11:00少し前には、20人くらい、11:00には、30人くらいのひとがあつまった。
 しばらくすると、会場のテントに設けたイス・テーブルの席はほぼ埋まる。

12:00 開催報告法要

昨年オープニングセレモニーとしておこなったものだが、それが混乱の一因にもなったので、 今回は、セレモニーは開催後1時間たって、すこし落ち着いたところからはじめた。それが奏功したのだろう、とても落ち着いた感じで、会場にも混乱は生じなかった。


 勤行は、「三奉請」「表白」「重誓偈」。
 「重誓偈」は、参加者のみなさんと一緒におつとめした。
 読んでくださる方に本をくばるというと、結構積極的に手を挙げて参加して下さる人がいた。
 

 特徴的なのは、しつらえ、お供え。
 本尊前の外陣に、お供えの段を設置して、そこにお仏飯を真ん中にして、この日出店されたカレー屋さんのカレー8品をお供えする。




 お仏飯と一緒にカレーがお供えされるなんて、日本では「カリー寺」くらいのものだろう。(さすがに、お内陣には入れるのは控えているが)香辛料、さらには肉・魚も入っているカレーを仏前に供えるなんて、という人もいるかも知れない。しかし、私はこのしつらえが好きだ。



 その日のイベントで供されるもの、みんなが一緒に口にするものを「仏前」にお供えして、その上で頂くというのは、「食べる」という行為を宗教儀礼が下支えしているように思う。「ただ食べる」、「食らう」というのとは違う意味を、わかりやすく賦与してくれ、また場の共通理解として視覚化されているように感じるからである。



 報告法要のあとに話したのは、つぎのようなことである。

 ・カリー寺に来場して下さってありがとうございます。

 ・こうやってカレーをお供えして、その上でイベントをしている。

 ・お寺でしている、法要をしているという意味を感じる。

 ・みなさんが一緒に食べるお供えは、ただ「食らう」もの「栄養を補給するもの」ではなく、「仏さまからのいただきもの」「お供えのおさがり」を一緒に食べている。「お寺につどった」「同じものを食べた」縁をまた感じていただけたらと思う。

 ・今年のカリー寺は、「友だちの家のカレーパーティに行くような感じで」という雰囲気であればと思っている。その場にいるひとは「友人の友人」で、何らかのつながりがある人、その場に一緒にいることで、コミュニケーションが生まれ、あたらしいつながりとなっていく場であればいいなぁという思いから。そして、参加者は、ただの「サービスの受け手」ではなく、一緒にパーティを作っていく人、場をになう人であって欲しい。「友人の家」に遊びに行くのだから。

 ・スタッフも一生懸命がんばるが、ただのサービスの受け手でなく、一緒に楽しい場所を、心地良い場所を、楽しい一日を作っていきたい。
 
 実際、会場ではその思いが具体的な形になった出来事がいくつもおこっていたようで、あとになってうれしく聞いた。

 法要から、参加者のみなさんが積極的に「参加」してくださっていたのがうれしかった。


 12:15頃から カリー寺主催者のクロストーク
 カリー寺住職・中平了悟と、カリー寺修行僧(発案者)・藤本遼。
 カリー寺が開催された経緯、趣旨、めざしているものなどについて、主催者二人が話をした。

0 件のコメント:

コメントを投稿

「宗教」・「カルト」を扱う講義をするので

今日の龍谷大学文学部で担当している「伝道学特殊講義」(学部3・4回生対象)は、講義で指定しているテキスト 『基礎ゼミ宗教学(第2版)』 。今回は、第9章の「カルト問題」にどう向き合うか?―カルト、偽装勧誘、マインド・コントロール」を扱う予定。  数年前に大阪大学が、大学としてのカ...