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恩師の若き日

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 学会の発表があり、そのために「真宗学の研究史」を遡っていると、恩師・岡亮二先生について触れられている文章があった。コーヒーを飲みながら、熱く議論された先生方。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  私が助手時代の思い出は多いが、いまは同じ研究室に籍をおく、浅野、岡、浅井三氏との出会いの思い出を記しておこう。昭和三十三年の秋のころ、真宗学研究室は親鸞聖人の七百回遠忌法要を記念して、『親鸞聖人用語索引』の作成を計画した。(中略)また、私の助手時代に副手を勤めてもらった人々の思い出の中に、当時まだ大学院生であった岡亮二氏の若き姿がある。新刊の図書の購入や研究室書庫の調査整理など、ずいぶんとお世話になったものである。しかしながら、私はまた岡氏らにきわめてしばしばコーヒーを強要された。七条大宮の喫茶店の片隅のボックスにたむろして、真宗学にかかわるさまざまな問題を、時をたつのも忘れて熱っぽく議論したことである。それは今でも懐かしく昨日のことのようによみがえってくる。そしてまた浅井成海氏との邂逅もこの助手時代のことであったろうか。 (信楽峻麿「『索引』編纂のスタート」昭和48年真宗学別冊附録『真宗学会の歩み』より) ふっと、当時の様子が偲ばれた。 かくありたしとおもえども、年を重ねるごとに遠くなるような師の背中を感じる。 この今日のような天気の中、コーヒーを飲んでおられたのだろうか。

180912 普通を語ろう(仮) 2回目

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  9月4日に開催予定だったこの会。「普通を語ろう」(仮)の2回目ですが、ちょうど台風21号の直撃と重なって、1週間ほど延期し、この日 9月12日の開催となった。  1週間前にリスケジュールとなったにも関わらず、当日は前回を超える14名(主催者2名を含む)の「われこそは普通」という思いや、そうではない思いを抱える参加者があつまった。    年齢や性別、地域、そして信仰もある程度の多様性を含んだメンバーになっていたのが面白かった。  予定していたより多くの人があつまったため、4人組×3グループになって、それぞれで「普通」について思うところを語り合う。  ・時代や文化のコンテクストで揺れ動く「普通」  ・子どもに期待する「普通」  ・過去の「普通」の水準が、今では異なる水準へと変化している例  ・ちょうど先週の台風という災害によって、「普通」にあったものが、「当たり前ではない」という事実に気づかされたこと  ・「普通だよね」という批判、「もっと普通にして」という要求。    今回も様々な角度から、話題が提示され、それぞれの思いや感情が乗せられた経験も含めて語りが出てきているようだった。  グループでの話題をシェアしたあとは、(すこし休憩をはさんだ)全体での話し合いの時間。 今回は、多様な普通が語られ、やや方向性としては散漫な感じがしたものの、掘り下げがあったこととしては、 ・抑圧や、威圧、ある種の暴力性を持った「普通」と、それにどう対峙するか?(あらがうか、自覚的になるか)という問題 ・異なる「普通」(これは価値とか、文化とか、個性とも癒えるかも知れない)の対立や、摩擦が生じる際に、どのように向き合うか、という問題。 (これは、すりあわせや、交流の問題といえるかもしれない)  両者は、ある面では、よく似ているように思う。前者は、この会でもよく取り上げられ問題になる点で、抵抗を感じるが、時としてそれが「文化」や「歴史」によって培われた「マナー」や、「価値観」の伝達の場面でも起こりうるのではないかというような指摘でもあったように思う。  とするならば、「普通」として語られ、提示される価値の中には、「普通のこと」「普通の感覚(常識)」として、伝達され、受け継がれるものもあるのではないか?  しかし、一方でそれ...

「広場」という概念はおもしろいー広場ニスト・山下裕子さんのお話 あまがさき縁側会議

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2018年5月13日(日)夜19時から、 西正寺を会場に、「あまがさき縁側会議〜広場ニスト山下裕子さんに聞く 安心して居られる広場のつくり方と、まちを好きになれる広場のつかい方〜」というイベントが開かれた。( https://www.facebook.com/events/1730692190308015/ ) 尼崎ENGAWA化計画の藤本氏が主催の行事で、カレー付きで2000円という参加費。 (カレーを作られたのは、カリー寺スタッフでもあるSさん)20名近くの人が参加した。 19:30から、トークの予定だったが、カレーを食べているときに、山下さん、藤本さんから相談があって、オープニングでお経をお勤めすることに。 参加者みなさんの承諾を得て、「十二礼」のお勤めをみなさんとする。 お勤めを終えると、心が整って一つになったような印象。 だれかが、「(イベントが)終わった感じがしますね」という声があったのも印象的だった。 そこから、山下さんのお話。 山下さんは、富山グランドプラザという「広場」の運営をされて成果をだされ、 今は青森県八戸の「広場」の構築をお仕事にされている。 「広場」とは、「公園」(都市公園法)でも、「道路」(道路交通法)でもない、公共空間だという。富山では、その「広場」という空間を「条例」によって運営するという試みが行われているのだそうだ。そういう意味では、既存の法律の制限を受けない空間をあえて「広場」として設定するあたらしいチャレンジだと理解できた。  その「広場」として立ちあげられた富山グランドプラザは、なにもない平日の朝から人がいる。 イベントもない、店も開いていないけれども人がいる広場。 お金がなくても、用事がなくても行ける場所としての広場。  そうなるまでの、そこを面白くし、まちに賑わいをもたらす場としてさまざまな工夫がされている。 ・毎日模様替えをしてしつらえを変えつづけている。 ・人工芝でさえ、毎日置き方を変えている。 ・禁止事項の張り紙をなくすなど、自由な雰囲気をつくっている。 しかし、広場にくる人に直接的な働きかけや声かけはほとんどしないらしい。 しつらえや仕掛けを通して、「場」をつくることに徹しているような印象を受けた。 模様替えをして、それによって人がどんな反応をするか...

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