2018年9月14日金曜日

180912 普通を語ろう(仮) 2回目


 
9月4日に開催予定だったこの会。「普通を語ろう」(仮)の2回目ですが、ちょうど台風21号の直撃と重なって、1週間ほど延期し、この日 9月12日の開催となった。

 1週間前にリスケジュールとなったにも関わらず、当日は前回を超える14名(主催者2名を含む)の「われこそは普通」という思いや、そうではない思いを抱える参加者があつまった。
 
 年齢や性別、地域、そして信仰もある程度の多様性を含んだメンバーになっていたのが面白かった。
 予定していたより多くの人があつまったため、4人組×3グループになって、それぞれで「普通」について思うところを語り合う。

 ・時代や文化のコンテクストで揺れ動く「普通」
 ・子どもに期待する「普通」
 ・過去の「普通」の水準が、今では異なる水準へと変化している例
 ・ちょうど先週の台風という災害によって、「普通」にあったものが、「当たり前ではない」という事実に気づかされたこと
 ・「普通だよね」という批判、「もっと普通にして」という要求。
 
 今回も様々な角度から、話題が提示され、それぞれの思いや感情が乗せられた経験も含めて語りが出てきているようだった。

 グループでの話題をシェアしたあとは、(すこし休憩をはさんだ)全体での話し合いの時間。

今回は、多様な普通が語られ、やや方向性としては散漫な感じがしたものの、掘り下げがあったこととしては、

・抑圧や、威圧、ある種の暴力性を持った「普通」と、それにどう対峙するか?(あらがうか、自覚的になるか)という問題

・異なる「普通」(これは価値とか、文化とか、個性とも癒えるかも知れない)の対立や、摩擦が生じる際に、どのように向き合うか、という問題。
(これは、すりあわせや、交流の問題といえるかもしれない)

 両者は、ある面では、よく似ているように思う。前者は、この会でもよく取り上げられ問題になる点で、抵抗を感じるが、時としてそれが「文化」や「歴史」によって培われた「マナー」や、「価値観」の伝達の場面でも起こりうるのではないかというような指摘でもあったように思う。
 とするならば、「普通」として語られ、提示される価値の中には、「普通のこと」「普通の感覚(常識)」として、伝達され、受け継がれるものもあるのではないか?
 しかし、一方でそれとて絶対的なことではなく、歴史的に変化したり、時代が変わる中で通用しなくなり、捨てられるべきこと(維持できなくなること)もありえるかもしれない。
 なにが抵抗すべき事で、なにが受け継がれるべき事なのだろう。
 そのなかで、今回の話し合いでは、「時間をかけたコミュニケーション」に、解決や方法を求める案が一定程度支持を得ていたように思う。
 異なる価値(普通)は、一方から、抑圧的に押しつけられるものではなく、時間をかけた、丁寧なコミュニケーションによって「納得」や、「理解」をともなって、標準化されていくものではないか。「他者の普通」は断絶の向こうにあり、否応なくやってくるものではなく、異なる普通のすりあわせという事態も生じるのではないか?
 そんな「コミュニケーション」の可能性に、今回の話は、希望を見いだしていたように思えた。

 そんな風に勝手に、それっぽいまとめと、個人的な納得に到達することができたけれど、実際の会は、さまざまに語り合って、時間が来たので、感想を述べ合って終わり、というありがちな「普通」の結び方であったこともちゃんと記しておこうと思う。


 さて、最後に、主催の一人としての所感だけれど、今回は、会の終わりには、心の中に「反省」と「戸惑い」があった。

 反省は、話題の方向性や共通の関心がなかなか見出せず、議論を「方向付け」できずに、ただただ眺めてしまっていたということ。「前回(1回目)」の経験があるため、同じように「普通」の用例分析をして、明確化をめざしても、それがパターン化してしまうなぁと、実は思っていたりもした。

(以下が戸惑いでもあるのだが)
 ただ、一方でそれがある面では、場に出た関心を「切り捨てる」ということは少なく、「普通」の多様性が立ちあがってきていたようにも思う。参加者の反応は、悪くなかったというところもまた、僕としては戸惑いを感じてもいる。
 なにが正解なのか、なにがゴールなのか、見いださないままただただ、普通について語ったというのはなかなか得がたい時間ではあったと思うが、同時に「再現」も「評価」 も困難といったものであることが、感じられもした会だった。

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