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合気道七段

 水曜日は合気道の日。  昨日は、稽古後、 堀井師範 が七段に昇格されたので、そのお祝いの会があった。  七段ということ自体そもそもすごいことだけれど、それに加えて合気道に生きていくのだという志を持った方が、一つ段を昇るということは、生き方そのものに関わる大きな出来事なんではなかろうかと勝手に想像している。  本人はさほど仰々しくおっしゃらないので。  自分も初段になって、ときどき師範の技を受けさせてもらうことがあるけれど、正対したとき、なみなみならぬプレッシャーが身にのしかかってくるのを感じる。  体の姿勢、足の位置、よけるときの裁き方、一つとして間違えられないという想いと、なんとなくではなく、自分の能力の100%に近い動きをしなければならない状況だということを、いやおうなく感じさせられる。  何分かの時間そんな状況で稽古をしたあと、師範の技の受けから開放されて、他の人と組んで稽古を続けると、その師範と稽古した余韻が残っていて、自然と高いパフォーマンスが発揮され、「自分はうまくなっている!」と思うことが多い。  師範と稽古をした何分かの時間の濃密さが、その余韻を持ってしばらくあとの稽古も支配しているように思えるのだ。そしてその余韻をなるだけ消さないように、長持ちさせるような気持ちで稽古を続けると、確実に「うまくなれる」という実感がある。  その時間の濃密さは、能力を引き出される時間と言い換えてもいいかもしれない。    合気道に関わらず、人の能力を引き出す人というのは、一緒にいる時間が非常に「濃密」に感じられることが人生の経験上わかってくるようになった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今日読み終えた本 坂出祥伸『中国古典を読むはじめの一歩』 反切や、版本、避諱改字などのなかなか扱われない情報について、中国古典の初心者向けに解説された入門書。  著者曰く「本書があつかっているような事項は、せいぜい必要に応じて教えられるか、さもなければまったく教えられることがないと言ってよい」とのこと。けれども、こういうことのほうが実は、研究するものの素養として実は必須だったりすると最近痛感している。こういうことを知らないと、知らないだけでその能力がすでに見極められていたりするものだ。

一級の審査

 4月4日。合気道の昇級審査。  論文の締め切りやら、課題の提出やら、なにより研究所の業務の関係で、ばたばたし続けていて、ろくに周りを見渡す余裕もないまま3月がすぎ、4月になってしまった感。  それでも、審査の日はやってくる。  とりあえず、無事に合格したようで、晴れて1級になれそうです。黒帯まであとひとつ。  武道をして段を取るという自分をイメージしたことがなかったので、不思議な感じ。なにせ、小学校のときにやっていたスイミングも、習字も中途半端なところで挫折したから段なんて、雲の上にあるもんだとばかり・・・。不思議だ。  精神状態  審査のときは、どうもいつもの稽古と精神状態がちがうようだ。  審査前の稽古は、技術的に「うまくなる」ためのものというよりも、精神的に「高めていく」「はりつめていく」ことになる。  自分より下のクラスの人と組んだとしても、相手の方に降りてあわせていくのではなく、気持ちを切らないようにしている自分に気がついた。  これは、自分ひとりでは、なかなか作れない集中力だと思う。  試験や、試合といったカベが、精神的な高みを経験させてくれるのだろう。  

宝塚すみれクラブ 合同稽古

半年に一度の宝塚すみれクラブ(http://www.geocities.jp/aikido_sumire)との合同稽古。 これで5~6回目くらいの参加になる。 初めの頃は指示された技をするだけで精一杯だったけれど、だんだんにクラブによる違いというのに気がつくようになってくる。 四方投げの入り方ひとつとっても、ちがう。 ちがうものにであうことで、はじめて自分のありようも見えてくる。 他者に出会うことで、自己について自覚的になれるのだ。

自由技

 合気道の稽古。  稽古後、何人かの人に相手をしてもらって、自由技にチャレンジ。  片手取り自由技。  「自由技」という名前の技があるのではなく、例えば「片手取りの自由技」なら、「片手取りの形から自由な技をかける」という意味で自由技。  ただ、同じ技をするのではなく、つぎつぎに、違う技をしかけていかなければいけない。  一級以上の審査の項目になっている。  しかけたい技を決めて、即座に体で実行しないといけないという点が難しい。  「あの技したいんだけど、あれ?どうやるんだっけ」なんて状態になるのは、身に付いてない証拠。  実際にやってみると、自分の技のレパートリーがどんな程度のもんなのかがわかる。  何度も高いけれど、なかなかいい稽古になった。    一つのことを身につけるということは、自分の体にしみこませていく作業。  自由技の稽古は、その確認作業のような稽古か。   体にしみついていないと、とっさにはできない。  

剣を振る

合気道の稽古。今日は武器の稽古。 木剣を振る。型の稽古。  剣を振ると、いくつかの気付きがある。  まずは、「まっすぐ振る」という単純なことが非常にむずかしいということ。それはまるで心を投影しているかのようだ。  まっすぐ振るべく稽古することは、心を磨く作業のようだ。  あと、「しっかりと振る」こと。これは、剣との一体化がいるような感覚か。  ただ振ると、ついつい剣が移動するだけで、鋭い振りにならない。  しっかりと(自分なりに)鋭い振りをするためには、意識を切っ先に置かないといけない。師範は振るのではなく、ふっと、投げるような感覚でといわれる。  切っ先に意識を置いて、投げるような感覚。  意識して振っていると、剣にも神経をいきわたらせるような感覚になる。  そう剣も手の延長で自分の体のような感覚になり、切っ先に意識が置けると(ヘタなりに)いい振りになる。  自分の枠を拡張させるような。    その感覚が、非常に仏教的な感覚であるという気もするのだ。  自我を皮膚の外にも置くかのようなその感覚が、我のとらわれをはなれていく実感とはこのようなことをいうのかもしれないなどと思うのだ。

合気道 おぼえがき 肩取り・後ろ両手どりなど。

こないだの、特別稽古。 春はわかれの季節といいますが、転勤で、入って頃からいろいろと教えていただいてお世話になった、求道系二段の方が東京に行かれることになり、この日(3日)で最後。  しんどい、しかし充実する稽古をつけてくれる人が一人減ってしまったこともあわせて、さびしい限り。  3日は、15時から、17時まで、みっちり稽古。  肩取りから、一教など取りにいく方法として三種。 →肩をとられている腕で、面を打ちにいき、   (1)通常の一教の要領でそのまま返す。   (2)転換して、受けの肩をつかんでいる手を取る。   (3)転換して、相手の面打ちを受けている手を取る。 後ろ両手取り  後ろ両手取りから、相手の手を取るときには転換する方向は二種ある。  ひとつは後ろに、ひとつは横(90度)に開く。  小手返しは、横に開いて上から相手の手を上からつかんで、転換、小手返し。

合気道おぼえがき その2

水曜日の稽古 勘違いしていたことは、体の「転換」の仕方。 バスケットのピボットのように回るのかと思っていたけれど、実は、 入り身>転身>足を引く というような体の使い方だった。 転身のときの頭の動きは、コンパスの中心ではなく、円錐を描くような感じでということも教えてもらった。 おぼえがき おぼえがき。

個人的なおぼえがきー合気道

��日午後から、合気道の稽古。 「初心者向け」の内容とは言いながら、基礎を重視した充実した稽古。 とりあえず、覚え書きしとこう。 ・入り足は、転換のときは、相手の「前足」、入り身のときは相手の「後足」が目標。 ・「入り身投げ」の受けは、「1・2・3」歩で立ち上がるような感じ。 ・「入り身投げ」取りのときは、相手の頭をしっかりとひきつける。 ・「横面打ち」の取りは、相手と同じような動きをする感じで、受け流す。  おまけとしては、顔に当身にいくような感じで。 自分用として。

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