水曜日は合気道の日。
昨日は、稽古後、堀井師範が七段に昇格されたので、そのお祝いの会があった。
七段ということ自体そもそもすごいことだけれど、それに加えて合気道に生きていくのだという志を持った方が、一つ段を昇るということは、生き方そのものに関わる大きな出来事なんではなかろうかと勝手に想像している。
本人はさほど仰々しくおっしゃらないので。
自分も初段になって、ときどき師範の技を受けさせてもらうことがあるけれど、正対したとき、なみなみならぬプレッシャーが身にのしかかってくるのを感じる。
体の姿勢、足の位置、よけるときの裁き方、一つとして間違えられないという想いと、なんとなくではなく、自分の能力の100%に近い動きをしなければならない状況だということを、いやおうなく感じさせられる。
何分かの時間そんな状況で稽古をしたあと、師範の技の受けから開放されて、他の人と組んで稽古を続けると、その師範と稽古した余韻が残っていて、自然と高いパフォーマンスが発揮され、「自分はうまくなっている!」と思うことが多い。
師範と稽古をした何分かの時間の濃密さが、その余韻を持ってしばらくあとの稽古も支配しているように思えるのだ。そしてその余韻をなるだけ消さないように、長持ちさせるような気持ちで稽古を続けると、確実に「うまくなれる」という実感がある。
その時間の濃密さは、能力を引き出される時間と言い換えてもいいかもしれない。
合気道に関わらず、人の能力を引き出す人というのは、一緒にいる時間が非常に「濃密」に感じられることが人生の経験上わかってくるようになった。
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今日読み終えた本
坂出祥伸『中国古典を読むはじめの一歩』
反切や、版本、避諱改字などのなかなか扱われない情報について、中国古典の初心者向けに解説された入門書。
著者曰く「本書があつかっているような事項は、せいぜい必要に応じて教えられるか、さもなければまったく教えられることがないと言ってよい」とのこと。けれども、こういうことのほうが実は、研究するものの素養として実は必須だったりすると最近痛感している。こういうことを知らないと、知らないだけでその能力がすでに見極められていたりするものだ。
2009年1月22日木曜日
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