大学での今年度最後の講義。
3年間講義を持たせてもらって、これで一区切り。
もしかしたら、また声がかかるかもしれないけれども、もしかしたら、もう声がかからないかもしれない。
とりあえず、自分の中では、退職の最終講義。
自分の頭の中で描いた絵と、実際の講義の中身とはギャップがあって十分に伝えるべきことを伝えられたかは心もとないけれども、提出してもらった感想では、学生さんたちには、ちゃんとした「顔のある一人の講師」として認められていたようでよかった。
問題は、来年からこの「講義の為の時間」が一週間のルーティンから消えてしまうわけで。
その濃厚な刺激も、得られることがなくなってしまうわけで。
この抜けた穴をどう埋めようか・・・。
講義の最後に言ったこと。
講義のなかで、たまに文献の内容を茶化して、おもしろく伝えようとしてきたわけだけれど、頭のどこかには、それが大事な何かを台無しにしているのではないかという可能性も思っていました。
文献に書いてあること、お聖教に書いてあることは、読み込んでいくと面白い。ハチャメチャなことや理不尽なこともあるし、わけがわからないこともある。
でも、面白いだけで終わるものではないのです。僕が最初に教わったことは、このいま手の中にあるお聖教は、開く前に頭の前に押し頂いて開くものだということ。床などの直に足の踏み場となるようなところにはおいてはいけないものだということ。
それだけ大事にされているもの、大事にされるべきものなんだということなんです。
先人たちが、苦しいときに、生きていくうえで、ここに書かれていることをよりどころとして生きた重みがある。自分の生き方をたずねていったという重みがある。この一字一句の読みかたに命を懸けて、牢屋に入っても、火の中に入っても守ろうとした重みがある。
そうやって伝えられてきた重みのあるものなんだということ。
すぐにはわからないかもしれないし、ピンと来ないかもしれない。
でも、生きていって経験をつめば、あとになってわかるかもしれない。
若い講師が、アツさに任せて何か言っていると思ってもらってもいい。
でも、頭のどこかに、いま目の前にあるものはそういうものなんだということを、置いておきながら、勉強を続けていってもらえれば、と思います。
2009年1月9日金曜日
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