5月21日は、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人のお誕生日。降誕会。
今年はそれ以上に、金環日食が話題。
家人は、かなり前から日食の観測用のグラスを準備し、非常に楽しみにしていた模様。前の月食も、見上げては、「すごい、すごい」とのたまわっていたので、どうやら意外と天体ショー的なものは、お好みのご様子。といいつつ、僕もグラスを拝借して観測。とりあえず、これで、一通り「日食は見た」といえる。
午前中は、平常の法務(月参り)をして、
午後からは自坊にて、降誕会法要。
降誕会に際して、親鸞聖人について少し。
最近、親鸞聖人のことについて話すときに、「親鸞聖人は成功者ではなかった」といえるのではないかということを考える。
29才の時には、20年間の重ねてきた修行に挫折し山を下りる。この人は!と思えた法然上人のもとでの勉強は、弾圧による流罪という思っても見ない形で幕を閉じ、師匠との別れが訪れる。晩年は穏やかかというと、そうではなく、自分の息子の背信によって泣く泣く親子の縁を切らねばらならないという経験もする。
親鸞聖人の人生を語っていくとき、それは「苦難を経験し、苦悩のなかで生き続けた人生」といえるんじゃなかろうか。そして、それは「浄土真宗」という仏教を考えるときに、非常に示唆深い投げかけをしてくれるのではなかろうか。
仏教を聞いていくということは「成功する」ということではないということ。浄土真宗がもっとも手本にすべき仏教者である、宗祖の親鸞聖人は「成功」していなかったのだから。 人生において、「成功」をもとめるならば、違う方法を探し、違う教えを聞かないといけない。
しかし、僕たちの人生は、ほとんどの場合「成功」ではなくて、「苦難」だ。求めるものは手に入らないし、自分の体でさえも思い通りにならない。愛する人との別れを経験し、苦しい憎しみを捨てることのできないことだってある。
だからこそ、親鸞聖人の人生は、僕らの問いをたずねるにふさわしいのではなかろうか。
いかに成功するのか?ではなく、いかにこの苦しみを抱えて、生きていくことができるのか。われわれと同じように「苦難」を抱えて生きられた親鸞聖人だからこそ、問えるものがそこにはあるのではないかと思う。
今日(もう昨日)は降誕会。親鸞聖人という、一人の仏教者の誕生日(とされる日)だった。
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柿の木
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