2011年2月22日火曜日

無駄について

昨日、職場の朝礼でお話ししたことについて

「森毅」もりつよし=「もりたけし」さんだと思っていた。もりつよしさん。読み間違っていました。ごめんなさい。 京都大学の数学の先生だったかた。去年お亡くなりに。

日曜日、NHKでやっていた「あの人にあいたい」という番組で、森毅さんのことを取り上げていた。

興味深いことばがたくさん。

若者に対して、「間違えることをいやがり、すぐに正解を求めすぎること」とか、
「無駄なことをいやがる。失敗を避ける」ことが多い。

「無駄なこと」「間違えること」の大切さを語っておられて、とても興味深かった。

失敗を恐れず、無駄なことができるから、新しいものがうまれてくる。
無駄なことが人生にゆとりを生むのだとか。

電車の中で、窓の外に広がる田園の緑を見ながら、そのことばを思い出した。


2011年2月12日土曜日

熊本での婚礼

元芸能人のお坊さんの結婚式。

ご招待いただいて、熊本へ。
伊丹から飛行機で一時間。意外と早くつける距離。
早く着きすぎて、期待していたほど本が読めない。


久しぶりにお会いする先輩方や友人がたくさんおられて、会場に入る前から楽しい雰囲気。

今は会場に行く前の待機時間。集合時間は14:30。
ホテルのロビーに会ったパソコンをお借りして、カチャカチャ。

福岡伸一『できそこないの男たち』

福岡伸一『できそこないの男たち』 (光文社新書)

以前買っていて、積ん読だった本。
作者はお気に入りの福岡先生。

テーマは「男」について。
「精子」「染色体」「遺伝子」何が男を男として誕生させるのか。
男は、生殖においてどのような役割を担わされているのか。
そんなことがテーマの一冊。
これまでの福岡先生の著書と同じように、研究史を追いかけるような形で話が展開していく。


相変わらず文章が美しい。理系なのに、なんでこんなにいい文章が書けるんだろうと思う。
文才がうらやましい。




◇気になった文章

「教科書はなぜつまらないのか。それは事後的に知識や知見を整理し、そこに定義や意味を付与しているからである。…中略…教科書はなぜつまらないのか。それは、なぜ、そのとき、そのような知識が求められたのかという切実さが記述されていないからである。そして、誰がどのようにしてその発見に達したのかという物語がすっかり漂白されてしまっているからでもある。」(p. 37)

「見える、とは一体どのようなことを指すのだろうか。百聞は一見にしうかず? 否、私たちは、一見しただけではほとんど何も見ることはできない。あるいは、私たちは、一見しただけでそこに、ホムンクルスを作り出すことができる。」(p. 53)
「私は忘れていたことを自戒の意味をもって思い出す。私が膵臓の細胞を見ることができるのは、それがどのように見えるかをすでに知っているからなのだ。…中略…かつて私もまた、初めて顕微鏡を覗いたときは、美しい光景ではあるものの、そこに広がっている何ものかを、形として見ることも、名づけることもできなかった。私は、途切れ途切れの弱い線をしか描くことができなかったはずなのだ。つまり、私たちは知っているものしか見ることができない。」(p. 55)

「もちろん誰の目にもそれが見えたのではなく、ネッティー・マリア・スティーブンズの目だけがそれを見たのだ。ところが全く不思議なことに、ネッティーがそう言明して以来、彼女だけに見えていたものは、誰の目にも見えるようになったのである。」(p. 79)





2011年2月4日金曜日

東京大学教養学部歴史学部会編『史料学入門』

東京大学教養学部歴史学部会編『史料学入門』 (岩波テキストブックス)


先日立ち寄ったとある大学の購買部で偶然見つけた本。
ほとんど知らないことをテーマにされているけれど、コンセプトが「歴史学の何たるか、また歴史研究の醍醐味を伝える。」ということと、新婚旅行でいった場所でもあるアンデス史のことも取り上げられていたことが、買った理由だろうか。

読んでみると、面白い。
ひとつひとつのテーマは、まったく未知のことがらばっかりだったけれど、
根底に共通しているのは、史料の扱い方とか、情報をどのように引き出してくるかというようなことなので、自分の関心ともリンクして面白かった。


興味深かったことば
「過去は、今を生きる我々が探しに出かけない限り、姿を現すことはない。過去は、いま目の前に、様々に積み重なった痕跡を遺している。その目の前の痕跡の中から、我々が感心に応じて、特定のものを抜き出すとき、それが史料となる。」(p.2)

また解釈の政治性についても…
「我々が眼にする史料は、大なり小なり読み手の行動を左右しようとする政治性を帯びている。書いた本人が自分に都合の良い表現をしがちなだけでなく、間に立って伝える人々も様々の思惑から文面に介入するので、解読者はそれが置かれた政治の磁場を慎重に見極めなければならない。」(p.7)

そこそこな分量があるので、読み終えたあとは、
「勉強したなぁ」と、自己満足にひたりました。





「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...