2004年10月30日土曜日

キュウサイコウ

『世界不思議発見』で九サイ溝が取り上げられてた。



前から知ってましたけれど、行ってみたい!!!!!





黄龍も。

2004年10月29日金曜日

『人体常在菌のはなし』

青木皐『人体常在菌のはなし』



面白い本でした。人間の体の中にも外にも、天文学的な数の菌が常に存在しています。

その菌との付き合い方によって健康や美容を考えようというテーマ。



今日、無菌や抗菌グッズが健康によいと盲目的に販売されて利用されているが、筆者・青木氏にいわせれば、それは有害な菌と共に、有益な菌をもいじめている「菌虐待」に他ならないということらしい。



うんちのありかたや、お肌や胃腸の健康に至るまで「菌」という観点から解説されている。



 正直、ここ数日から自分の身体に対する感覚が変ったように感じます。

「菌」を意識するようになりました。



2004年10月24日日曜日

夫婦喧嘩

昨日の結婚式のこと。



新郎さんのことばに





「お父さんとお母さんがしていた『夫婦ゲンカしたときは、先に“なんまんだぶ”と言われたほうの負け』というルールに僕も挑戦してみようと思います。」





というのがあった。



なんまんだぶ



みなさんはどのようにおもわれるでしょうか?



わたしはじ~んときました。

2004年10月23日土曜日

おめでとうさん

ff629c39.jpg大学時代からの友人の結婚式で日帰りで山口に行って来ました。

懐かしい顔ぶれにもあえて、たいそう楽しかったのですが、



幸せな二人にあてられて、(いい意味で)胸焼け気味になって帰ってきました。



おめでとう

2004年10月20日水曜日

台風接近中

P1000016.jpg台風が近づいております

こんな天気なのに合気道の稽古はあるらしい!



「やります」というメーリングリストが流されてきた。

まぁ、よろこんでいっちゃうんだけど。



今回は携帯から更新してみました。



こないだ修理された本堂のしとみ戸が活躍中の写真です。

庫裏二階のわたくしの部屋から撮りました

2004年10月19日火曜日

長風呂

ここ数日のブームが、ちょっと長めに湯船につかること。



ゆっくりとお風呂に入ると、気分がとてもリラックスします。

そして、とてもよい睡眠がとれたと、翌朝起きたときの気持ちがよいのです。



しかし、問題はなかなかゆったりとした気分になるまで、湯船につかれないこと。

体を湯に沈めるには、かなりの精神力を要します。



そこで、今日思いついたアイデアは・・・

 湯船に『讃仏偈』(お経・「光顔巍巍・・・」)をとなえること。

かな~りゆっくりととなえると、終わるころにはかなり体もあったまっておりました。





お経などで声を出すことに気を向けると、かなり精神集中ができるということを最近、発見しました。



 称名が「助念仏」だといわれていることも、なんとなく体感的にわかったような気もします。(恐れ多いか?)



 念仏が易行ということも、もしかしたら、こういうことも含まれてるのかもと思ったり。

 あるいは、「念仏の効能」といってもいいのかも。



 声を出して、その声に気持ちを集中させるのです。

英語

今日は、午前中は自由な時間でした。



ホームページの更新をして(といってリンクの追加ぐらいですが)

もらったいくつかのメールに返信を書いて・・・



今回追加したリンクの内、バルデス君という人がいます。

合気道でいっしょで、初めて会話をした人が彼で、それ以来一番話をするのがバルデスだったのですが、7月の末にアメリカに帰ってしまいました。



彼にメールを書いていました。



「あれ?完了形の否定ってどうするんだっけ?」

とか

「questionのスペルはこうだっけ?」

とか

はては

「enjoy」の進行形に不安を覚えて辞書を引く始末。



ほんまやばいっす。





英語って使わないとどんどんと衰えていくものだっていうのが、実感を持って理解できました。

とはいえ、使用するにもちょっとの勇気というか、精神力が必要なんですけどね。





『英和辞典』と『和英辞典』を傍らに、一時間以上かかって メールが書き終わりました。





ハッ!!!



 もう貴重な半日のおやすみが終わってしまった!!!! 



これから、京都に向かいます。



2004年10月17日日曜日

まつり

P1000001.jpg



昨日・今日と、近くの神社の、つまりは、村のお祭りでした。



はっぴを着たちっちゃい子たちが、走り回っていて見ているほうも楽しかった。



散髪屋の帰り、よくはなす男の子集団が、あつまっていたので、一枚



パチリ。

まだ、携帯の使い方がよくわかんないので、あんまりきれいに取れませんでした。 泣



携帯

携帯電話の機種変更をしました。



実は数日前、階段から落ちそうになって、体のバランスをとる代わりに

携帯を思いっきり階段一階分投げ捨ててしまいました。



「こわれたぁぁぁぁ!」



と思いましたが、そのときは大丈夫でした。



でも数日後、画面がだんだんとおかしくなってきて、



「これはまずい!」



と。

で、本格的に壊れる前に機種変更をというわけです。



で、FOMAにしちゃいました。

カメラ付き携帯です。

これで、ここの更新もたやすく画像をアップできるかもしれまへん。



2004年10月15日金曜日

おっしょさん

和歌山に行きました。



自宅療養中の先生に会いにいったのです。



お元気でした。

楽しくしゃべって帰ってきました。



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で、和歌山行く道中に読んでいた本ですが

「一即一切 一切即一」ということに触れられていました。

『華厳経』という経典の思想なのですが



 「個の中に全が、全の中に個が、互いに相即し合い、融通し合って」いる



ことだそうです。難しいですな。



でも・・・



ふと思うんですね。それが、「一即一切 一切即一」という思想ではないのかもしれないけれど、連想して思ったこと。





 例えば24色の色鉛筆があって、きれいに箱に入っている。

 24色そろってないと、「24色入り」の色鉛筆にならないわけです。



 その中の1本を仮に自分だとして、24本入りの色鉛筆全体はこの世界全体とする。

 普通考えたならば、自分は24分の1でしかない。



 けれど、一方で、自分一本かけたら「24本入りの色鉛筆」という世界は成り立たない。 



 たった1本だけれども、世界全体の根っこをある意味支えているということもいえる。

 また、逆には、24本全体が1本の存在を根元から支えているという場面もある。





 自分がいなくなったとしても、世界が何も変わらないということはありえない。

 また、自分のありようは世界から支えられてもいる。



そんな考え方もあるように思うのですが。

 

 どう思われるでしょうか?

 

マギー

テレビでひさしぶりに、マギー司郎を見た。



マギー司郎とマギー審司しかいないのかと思ったら、実は一門だったんですね。



びっくりしました



こうなると、この系図の頂点に君臨している、マギー信沢なる人物がいかなる芸の持ち主であったのかということも、



気になる・・・





ところで、連想したことといえば、



「・・・最も最も最もマギィーーーー!!!」



という、名ゼリフ。



誰かやってるんだろうなとは思っていましたが、

やはりありました。

「…最も最も最も最もマギィーーーーーーーーー」



いまさらながらですが

焼酎に弱いのかもしれません。



焼酎飲んだときは、次の日ちょっとしんどかったり、

やりすぎたなぁとか、しゃべりすぎたなぁと思うことが

たびたび。



昨日も・・・

vitamin

ここ数日、実はあるビタミン剤を一錠ばかりのんで、生活してます。



さらに、昨日あたりから、某社のブルーベリーのタブレットを一錠飲んでます。





おかげさんで目がよく見えるような。

それ以上に、行動も元気なような。



気のせいでしょうか。

薬に頼るのも考え物なので、

ビタミン剤のほうは控えようとは思っていますが・・・。



2004年10月14日木曜日

未熟なくせに!!!!!!

ちょっとづつ、「勉強とはこういうものだったのか!!」ということがわかりだした気がする。



えてして、のちになって、



「あの時はまだ未熟だった!!」



なんて思うのが常なのでしょうが、



すくなくとも今は、

一歩上るたびに見えてくる景色の違いにいちいち喜んでる。

そんな感じです。

2004年10月13日水曜日

絶品カレー

とある居酒屋。



今日はよく登場しますが、髪を切ってもらってる美容院で紹介してもらったお店がありました。

過去に一度、友人とともに行ったのですが、実は(居酒屋のくせに!)カレーが自慢らしく、



「今度カレー食べにおいで!!」



といわれていたことを、ふと思い出し、今日帰りにふと立ち寄ってみました。



案の定、マスターにはなんとくなくしか憶えてもらえてなかったけれど、入るなり



「カレー食べに来たんですけど~」



といきなり注文。(居酒屋なのに!)

��しかも大盛りで注文)



なんでも自慢のカレーは、裏メニューらしく、知る人ぞ知るとのこと。





で、お味はどうだったかというと・・・



めっちゃ、おいしかったです!!!!

それはもう、歴代3本の指に入るくらい!!



インドカレーではなくて、いわゆる日本的なカレーですが、

聞くところによると、たまねぎをはじめ、野菜がかなりしみこんでるとのこと。



このお店のこと、思い出してよかった~。^^



やみつきになりそうです。





気になる人のために、この店がどこかというと、

��マスターに宣伝しといてといわれたので)



��R塚口西側の

「菜 sai」

という店です。



ちなみに、くれぐれも「居酒屋」だということを強調しといてと頼まれましたが。



僧侶は僧侶

さて、ところで・・・



 お坊さんというのは確かに、世間の感覚では「レア」な人らしい。

一方で、日本で「お寺」の数というのは、「コンビニ」の倍近くあるという話もある。そう考えると、コンビニの店長の倍近い数、お寺の住職さんというのはいるはずだ。

 そう考えると、単に数からして珍しい職業というわけではない。



 なにがめずらしいか。

「出世間」という言葉もあるけれど、やっぱり「俗」とは違う人にいるという感覚がお坊さんをお坊さんたらしめているんだろう。

 そう考えると、僧侶はやっぱり「僧侶なんだ」という矜持をたもたないといけない。プライドといえばヘンだけど、そういうもんがいるんじゃないか。

 



日本には、僧侶を僧侶たらしめる「戒律」は特にないというのも、やはり変な話だ。

「非僧非俗」という言葉があるといわれるかもしれないが、

「僧」でないが、「俗」でもないのだ。



う~ん。アタマイタイ

「社長」に遭遇

今日のお参り終了!



最後のお宅から家への帰り道。



いつも髪を切ってもらっている美容院の前を通ると、

店の向いにある空き地のコンクリートに腰掛けて、美容院の

「社長」がタバコを吸っているのに遭遇!



「おはようさんで~す」と声をかける。



「おぉぉぉぉぉ~、・・・」「それが衣装か!」と社長。



��…まぁ、こちらでは「衣体」(エタイ)というのですが、「衣装」でもイイデス…)



で、ちょこっと立ち話。

「レアなもんみたと、みんな(お店の人たち)に言うわ~」と。^^



これはこれで、なかなか楽しくて面白いもんがあります。



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で、これは、「若いからだろうな~」と思う。

もちろんいい意味で。



ある種、同じ目線で話ができる。



でも、一方では、お参りに寄せてもらうと、

それはもう非常に、丁寧に丁寧に対応していただいて

恐縮しきりなところもある。



僧侶を「僧侶」として待遇してくださっているのでしょう。



そんだけの意味が僧侶には背負わされていると考えると、

また背筋が伸びる場面ではある。

��もちろん、江戸の寺檀制度の名残という説も知ってる)



でも、僕には合わないな。



そういう意味で、軽く「社長」のように対応されるのは気が楽。





そんな雰囲気の中で、「仏法」を話したい。



何気ない空気の中で、「生きる仏法」を話し合いたい。

2004年10月12日火曜日

念仏をたしなむ

とある方から聞いた話が、ずっと胸に残っている。



その方はかなりのお年のお坊さんなのだけれど、とある旅館に泊まったときのこと。



旅館といってもかなり昔のことで、となり間との隔ては、今みたいに壁ではなくてふすまだったらしい。

で、そのお坊さんが、部屋に入ってくつろいでいると、ふすま越しにとなりの部屋から、おばあさんらしい声で「なまんだぶ。なまんだぶ」とお念仏が聞こえてくる。



その声に誘われて、そのお坊さんもお念仏された。

「なまんだぶ なまんだぶ」



そしたら、となりのへやのお念仏が、はたと止んだ・・・



そして、声がした。

「となりの方・・・」



「失礼ですが、お隣の方。  あなたさまもお念仏たしなまれますか?」



お坊さんは答える

「はい。たしなみまする」



そうすると、

「そちらにうかがっても、よろしゅうございますか?」

といわれ、

「どうぞ」

と、いうと、ふすまが開いて、おばあさんの顔があらわれ、

それから、一晩お念仏のことについて語り合ったとのこと。

「お念仏がご縁のありがたい出来事じゃった」とその方はいわれた。





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なぜか、この話はなかなかわすれられない。

お念仏を心底よろこんだ二人のかいごうが、カルチャーショックだったと言うこともある。



いま、この話を思い返して、つくづくと感じるのは



「たしなむ」



という言葉だ。



辞書を引くといくつか意味があがっているが、「お酒をたしなむ」のたしなむと

同じくらいの感覚で意味を取るのがもっともしっくりくる。



お念仏にも「味」と「効能」があると、最近思う。

なにか、「道具」のように、あるいは哲学的な意味が分からなければいけないように考えていたけれど、単純に、やってみればわかる「味」と「効能」がある。



心静かに10ぺんでも「なまんだぶ」と称えてみると、

称える前の自分とはやはりちがう。なにかの食べ物を食べたか、薬でも飲んだかのように。



楽しいときには楽しいときの味がある。

苦しいときには苦しいときの味があり、効能がある。



それに味をしめると、これはもうついついとしたくなってしまうもので。



人にお話をさせていただく立場になると、やはりその前に、

自分で「味見」をせねばという気持ちになり、またその味を思い出す。



「たしなむ」

不思議な響きをもつことばだけれど、その話を思い返すたびに、そんな味わい方もあったと感じる。

原稿送信

明日、13日にとある場所で、研究発表があります。

ここひと月そのための準備やらで、たえずそのことが気になってました。

まあ四六時中してたわけではないのですけれど、気になるもので。



で、昨夜それが、とりあえず完了。

一通り原稿を仕上げて、メーリングリストで送信!



ふぅ。



結構ちゃんと勉強すると、やはりたくさん知らなかったことが出てくるもので、一応一本仕上げたけれども、逆にたくさん宿題ができてしまった感が・・・



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今回、やっぱり読まなきゃいけないな~と思ったもの



『大乗起信論』 



そういや、これも読まなきゃと思ったもの



『十地経論』 『十地経論義疏』

2004年10月10日日曜日

物語論

最近、「物語」についてよく考えます。

ものがたりって、なんとなく幼いころに耳にしてたのしかっただけのような気がするけれど、意外と重要な、示唆にとんだものが多くて、知らず知らずの内に「教育」されてたんだなぁ・・・。と。





 今回、ふと思ったのが「雪女」



 親子で雪山で遭難した猟師が、雪女に遭遇。

 お父さんは雪女によって凍死させられるが、息子は「だれにもいってはいけない」と

 雪女に口止めされ、見逃される。

 数年後、息子も結婚し、子どもももうけてしあわせな日々を暮らす。



 ・・・とある夜。



 男は、その妻に、いってはならないことを言ってしまう。



 「・・・・あの夜みたのは、ありゃあ、雪女じゃねえかと・・・」

 

 「あなた・・・ついに言ってしまいましたね・・・」(怖)



 命こそとられなかったが、妻(雪女)は男のもとを去ってしまう・・・





 人間関係というのも、実はこんな雪女の世界で成り立ってるのかもしれないと、ふと考える今日この頃でした。



2004年10月8日金曜日

八木

今日、実は八木の引退試合・・・・のはずでした。



八木の引退試合のチケットが手に入ったと、とある人と一緒に行く約束をしておりましたが・・・見事雨です。

15時、中止と連絡が来ました。



残念!!

シンポジウム

★シンポジウム(symposium)

ギリシャ語のsymposionが語源で"酒宴"の意味です。syn-は「一緒に」posisは「飲む」の意味です。

プラトンの有名な「饗宴」は原題がSymposionです。

まず食事が出ます。これをクッションに横になり手で食べます。(フォークの発明は13世紀です。)

食事がすむとブドウ酒が出て竪琴などが奏でられ、そして高尚な哲学の話題が展開されたようです。

出典(http://melma.com/mag/52/m00011552/a00000146.html)



よく「大学者」といわれる大きな業績を残した先生方も言われることだけれど、

学問のヒントというのは机の前に向かって勉強しているときよりも、

お風呂に入ってリラックスしていたり、宴会の席でだれかから言われた何気ないことばにヒントを得ることのほうが非常に大きい、ということがある。



それは、それまで自分が見ていた方向と違う方向から光が照らされて、思っても見なかった

新しい発見が与えられるという事態が起こるからだろう。



だれかは、「それはそのことを彼が常に考えているからおこりうるのだ」と

、絶えず自分が抱えている問題が頭の片隅にでも常に存在し続けているから起こりうるという。



いずれにせよ、他なるものの刺激が自分を未知な領域につれてっていってくれる大きな鍵であることはまちがいない。



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いまある自分は、すべてだれかからのおかげで、ここに立っている。



2004年10月7日木曜日

シンポジウム報告

一日、教学シンポジウムのお仕事でした。



朝、起きた時、「今日が本番」と考えると、中学時代の文化祭の感じを思い出したような…。

そんな意味では、文化祭気分で働いてきてしまいました。



会場には、普段顔を合わす人たちに混じって、意外な、個人的にご無沙汰だった人たちもこられて、再会がとてもうれしかった。



special thanks

��高校のK月先生と現役高校生のいわば後輩さんたち。

研修で一緒だったI原氏

後輩Tさん。

大学時代になんどかお世話になりましたK証寺さんのご親戚ご一行。



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シンポジウムの内容は、なかなか面白い話をいくつか聞けておもしろかった。

小児科医の先生が話してくれたこと。



動物園で育ったサルは、赤ちゃんができても育てられないらしい。

それは、野生のサルが、集団の中で他のメスに赤ちゃんができたときにする

擬似母親体験とでもいうようなことをしてきていないから、どうやってそだてたらいいのか、抱けばいいのかさえわからないという。

そして、それが今人間の社会でも起きている。

あかちゃんをラグビーボールのように抱えてきたり、

どうやって泣きやませばいいのかわからない母親がいるそうだ。



やはり、いま僕たちはかなり、いびつな構造の中で生きている。

2004年10月6日水曜日

2004年10月5日火曜日

ドナドナ再び

ドナドナド~ナ~ド~ナ~♪



リブレットです。

前回と同じ症状が出てしまいました。

だましだまし使っていましたが、やっぱり我慢ならず、今日、またソフマップに修理に出しました。



「今回は再修理だから至急修理するように書いときましたから!」



と係りのお兄さんにいわれたけれど、望み薄。



はやく、ちゃんと直して帰ってきてね~

2004年10月4日月曜日

大法輪10月号

今日は特にないので、こんなことをば、転写

大法輪10月号の一ベージより。

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仏教は、どこまでも人にやさしい教えです。

人間ばかりでなく、

生きとし生けるもの一切にやさしいのが仏教です。

そのやさしさを少しでもわかりはじめると、

これはもう楽しくておもしろくてしかたありません。

仏教は難解な言葉が多くてとっつきにくい、

という声をよく聞きますが、

それは仏教をいっぺんに

早く知りたいと思うからでしょう。

たった一編の仏教童話、たった一句の禅語、

それだけでいいのです。

そこから入っていけば、

つぎからつぎへと求めずにはいられなくなります。



ー酒井大岳『あったかい仏教ー道元禅師の修証義にきく』より

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2004年10月3日日曜日

法話

突然ですが、あさって5日火曜日、宝塚のお寺でお説教に行くことが決まりました。



おととしから、毎年2~3回常例法座でお話させてもらってるところです。



まぁ、いろいろありますが、いいご縁を頂戴しております。





ただ、非常にご立派な御坊で、こんなワカゾーが、お話させていただいていいものかと、いつも恐縮仕切りです。



もう6回ほど寄せていただいていていますが、お聴聞に来られるお同行がいつも多くて、熱心で、あったかくて、なごやかで、とってもいい雰囲気です。



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ネットで調べてみましたが、歴史と重要性からお城扱いです。>小浜城



毫摂寺さま

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毫摂寺様 常例布教 10月5日 14時より @毫摂寺様にて

2004年10月2日土曜日

イチロー

イチローの新記録達成をテレビで見た。



テレビをつけたら、ちょうどイチローの第二打席。

一打席目でもうヒットを打っていて、歴代一位タイ記録。



スタジアム全体の異様な雰囲気はすごく伝わってきた。



ピッチャーが2ストライクからボール連発して3ボール。

期待通りのブーイング。

敵も味方もなく、イチローの記録に期待してる。

ボールを置きにいった(スタジアム全体の期待を背負った)かわいそうなピッチャー。

ショートの右を抜いて、案の定センター前にヒット!!!!!!!!!!



試合が中断されて、花火があがり

チーム全体の祝福。 シスラーファミリーとの握手。

こんなに祝福の時間があるなんて思わなかった。



それだけ、すごい記録ではありますが、祝福されることによってまた、いっそう価値が大きくなったような気がする。



みんながみんな幸せそう。





いい意味でウルウルしちまいました。

いいもんみたなぁ。

2004年10月1日金曜日

ひさびさに

今、夜9:30。



研究室に一人。



物音もしません。



さびしめです。



ひさびさに、こんな時間までみっちりとお勉強しました。

ちょっと追い込まれぎみです。

ランナーズハイみたいな状況になってて、結構疲れは自覚してるのに走り続けられているような。。。



追い込まれると、ちゃんと本腰すえてするようになるんですけど、とこれが続けばいいんですけどねぇ。。。





ついつい、生来の怠け癖が顔を出して。



明日も予定入れちゃったし。





来週中に発表するレジュメを仕上げんとならんのです。

「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://...