とある方から聞いた話が、ずっと胸に残っている。
その方はかなりのお年のお坊さんなのだけれど、とある旅館に泊まったときのこと。
旅館といってもかなり昔のことで、となり間との隔ては、今みたいに壁ではなくてふすまだったらしい。
で、そのお坊さんが、部屋に入ってくつろいでいると、ふすま越しにとなりの部屋から、おばあさんらしい声で「なまんだぶ。なまんだぶ」とお念仏が聞こえてくる。
その声に誘われて、そのお坊さんもお念仏された。
「なまんだぶ なまんだぶ」
そしたら、となりのへやのお念仏が、はたと止んだ・・・
そして、声がした。
「となりの方・・・」
「失礼ですが、お隣の方。 あなたさまもお念仏たしなまれますか?」
お坊さんは答える
「はい。たしなみまする」
そうすると、
「そちらにうかがっても、よろしゅうございますか?」
といわれ、
「どうぞ」
と、いうと、ふすまが開いて、おばあさんの顔があらわれ、
それから、一晩お念仏のことについて語り合ったとのこと。
「お念仏がご縁のありがたい出来事じゃった」とその方はいわれた。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////
なぜか、この話はなかなかわすれられない。
お念仏を心底よろこんだ二人のかいごうが、カルチャーショックだったと言うこともある。
いま、この話を思い返して、つくづくと感じるのは
「たしなむ」
という言葉だ。
辞書を引くといくつか意味があがっているが、「お酒をたしなむ」のたしなむと
同じくらいの感覚で意味を取るのがもっともしっくりくる。
お念仏にも「味」と「効能」があると、最近思う。
なにか、「道具」のように、あるいは哲学的な意味が分からなければいけないように考えていたけれど、単純に、やってみればわかる「味」と「効能」がある。
心静かに10ぺんでも「なまんだぶ」と称えてみると、
称える前の自分とはやはりちがう。なにかの食べ物を食べたか、薬でも飲んだかのように。
楽しいときには楽しいときの味がある。
苦しいときには苦しいときの味があり、効能がある。
それに味をしめると、これはもうついついとしたくなってしまうもので。
人にお話をさせていただく立場になると、やはりその前に、
自分で「味見」をせねばという気持ちになり、またその味を思い出す。
「たしなむ」
不思議な響きをもつことばだけれど、その話を思い返すたびに、そんな味わい方もあったと感じる。
2004年10月12日火曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
「宗教」・「カルト」を扱う講義をするので
今日の龍谷大学文学部で担当している「伝道学特殊講義」(学部3・4回生対象)は、講義で指定しているテキスト 『基礎ゼミ宗教学(第2版)』 。今回は、第9章の「カルト問題」にどう向き合うか?―カルト、偽装勧誘、マインド・コントロール」を扱う予定。 数年前に大阪大学が、大学としてのカ...
-
非常勤講師としてお世話になっている相愛大学で、以下の講演会があります。 第一回のゲストスピーカーとして、登壇させていただくことになりました。 (添え物なので、ちょろっとです。) ご期待にそえるかどうかわかりませんが、 お寺での活動や、宮崎先生がお話しされたことなどから、対談をさせ...
-
◎ 答えずらい質問 よく聞かれる質問に、「お布施はどれほどしたらいいですか?」と聞かれる。 この質問に具体的にこたえられるお寺・僧侶もいらっしゃる。あるいは、ホームページ等に明示的に書かれていることもある。 しかし、正直言って、なかなか具体的にどれだけしてくださいとは答え...
-
業界に詳しい知人と話していたこと。 テレビCMなどでバンバンと流れている、さるグループ・系列の葬儀会社の実情がとてもひどいという話が流れてくる。 具体的にはかけないが、内容がひどい、高額請求がひどい、うたい文句と実情がかけはなれている・・・など枚挙にいとまがない。 一...
0 件のコメント:
コメントを投稿