「広場」という概念はおもしろいー広場ニスト・山下裕子さんのお話 あまがさき縁側会議
2018年5月13日(日)夜19時から、
西正寺を会場に、「あまがさき縁側会議〜広場ニスト山下裕子さんに聞く 安心して居られる広場のつくり方と、まちを好きになれる広場のつかい方〜」というイベントが開かれた。(https://www.facebook.com/events/1730692190308015/)
尼崎ENGAWA化計画の藤本氏が主催の行事で、カレー付きで2000円という参加費。
(カレーを作られたのは、カリー寺スタッフでもあるSさん)20名近くの人が参加した。
19:30から、トークの予定だったが、カレーを食べているときに、山下さん、藤本さんから相談があって、オープニングでお経をお勤めすることに。
参加者みなさんの承諾を得て、「十二礼」のお勤めをみなさんとする。
お勤めを終えると、心が整って一つになったような印象。
だれかが、「(イベントが)終わった感じがしますね」という声があったのも印象的だった。
そこから、山下さんのお話。
山下さんは、富山グランドプラザという「広場」の運営をされて成果をだされ、
今は青森県八戸の「広場」の構築をお仕事にされている。
「広場」とは、「公園」(都市公園法)でも、「道路」(道路交通法)でもない、公共空間だという。富山では、その「広場」という空間を「条例」によって運営するという試みが行われているのだそうだ。そういう意味では、既存の法律の制限を受けない空間をあえて「広場」として設定するあたらしいチャレンジだと理解できた。
その「広場」として立ちあげられた富山グランドプラザは、なにもない平日の朝から人がいる。
イベントもない、店も開いていないけれども人がいる広場。
お金がなくても、用事がなくても行ける場所としての広場。
そうなるまでの、そこを面白くし、まちに賑わいをもたらす場としてさまざまな工夫がされている。
・毎日模様替えをしてしつらえを変えつづけている。
・人工芝でさえ、毎日置き方を変えている。
・禁止事項の張り紙をなくすなど、自由な雰囲気をつくっている。
しかし、広場にくる人に直接的な働きかけや声かけはほとんどしないらしい。
しつらえや仕掛けを通して、「場」をつくることに徹しているような印象を受けた。
模様替えをして、それによって人がどんな反応をするか。
どこにどんな人がすわって、どんな行動をしているか。
どうすれば、人と人の関わりが生じるか。すべて仕掛けとその反応で、極めて自然にそれら生じる場をつくってこられたのだろう。
山下さんが「広場」として語られ、運営してこられたそれは、僕にとっては容易に「お寺」に翻訳しても通じることが多い概念だったのが印象的だった。とくに「居る」と表現されることのなかに、いろいろな意味を感じることができた。
ただ居るということであっても、居ることの難しさ、人に居てもらうことの難しさ。
あるいは、何かで(共通項で)括ろうとしたり、共通の目的や方向性を持たせようとすると、「一緒にいられないもの」たちを、ただいるだけでいい場であること、あるいはいなくてもいい場であることによって、「一緒にいることができる」ようにする。そして、それによって、交流や、会話、あるいは、そこにいたらなくても「ただいると認識し合う」だけのような接点が生じるということの意味。
「居る」ということだけで生じることをいろいろと言語化してもらったような感覚でもあった。
翌日、イベントのあと、山下さんの言葉を反芻していた。「毎日模様替えする」。
先日かったベンチを(ほとんどすわる人はいないけれど)門の近く、いつもと違うところに配置してみた。実践的を伴うひとの言葉は、実践的であって、具体的な実践に影響を及ぼすものなのだろうか。
場を預かるものにとっては、「聞いた」でおわらない、含蓄のある時間をもらったように反芻している。
【追記】
質問など会場のやりとりをするなかで、僕はあまり質問が思いつかなかったのだけれど、話が、「広場が賑わい、街に影響を及ぼし、経済的な効果ももたらしている」ということに及んだときに、不意に「それは文化ではないのかな」「文化を生み出しているといえるのではないかな」というような思いが立ちあがってきた。(そしてその点について尋ねてみた)
経済的なインパクトというのは、その活動をするにあたって説得力や、目に見える評価になる。しかし、そこが「理由」や原点だと結局「儲かるから」というお金が活動の理由や根っことしてかたられてしまうということにもなってしまわないだろうか。
広場の活動は、そのような経済的なものを目指して行われていたものではなく、人のつながりや、居場所として、またなにかが起こるかもしれないという期待や、可能性がその魅力で、根っこにあるように語られていたように聞いていた。
実際に山下さんのお返事には、自身の希望や思いではなく、その地域にある文化や人の気質や、特徴がその広場で顕在化するような働きかけをしているようなお返事だったように思う。そして、それが「広場」があることによって、より見える化されたりする。あるいは他の土地にはないような「広場がある」ということ自体が、実は「広場文化」みたいなものを根づかされているような、そんな活動として理解することができるんじゃないかなぁと、思ったことを思い出したので、追記しておく。
西正寺を会場に、「あまがさき縁側会議〜広場ニスト山下裕子さんに聞く 安心して居られる広場のつくり方と、まちを好きになれる広場のつかい方〜」というイベントが開かれた。(https://www.facebook.com/events/1730692190308015/)
尼崎ENGAWA化計画の藤本氏が主催の行事で、カレー付きで2000円という参加費。
(カレーを作られたのは、カリー寺スタッフでもあるSさん)20名近くの人が参加した。
19:30から、トークの予定だったが、カレーを食べているときに、山下さん、藤本さんから相談があって、オープニングでお経をお勤めすることに。
参加者みなさんの承諾を得て、「十二礼」のお勤めをみなさんとする。
お勤めを終えると、心が整って一つになったような印象。
だれかが、「(イベントが)終わった感じがしますね」という声があったのも印象的だった。
そこから、山下さんのお話。
山下さんは、富山グランドプラザという「広場」の運営をされて成果をだされ、
今は青森県八戸の「広場」の構築をお仕事にされている。
「広場」とは、「公園」(都市公園法)でも、「道路」(道路交通法)でもない、公共空間だという。富山では、その「広場」という空間を「条例」によって運営するという試みが行われているのだそうだ。そういう意味では、既存の法律の制限を受けない空間をあえて「広場」として設定するあたらしいチャレンジだと理解できた。
その「広場」として立ちあげられた富山グランドプラザは、なにもない平日の朝から人がいる。
イベントもない、店も開いていないけれども人がいる広場。
お金がなくても、用事がなくても行ける場所としての広場。
そうなるまでの、そこを面白くし、まちに賑わいをもたらす場としてさまざまな工夫がされている。
・毎日模様替えをしてしつらえを変えつづけている。
・人工芝でさえ、毎日置き方を変えている。
・禁止事項の張り紙をなくすなど、自由な雰囲気をつくっている。
しかし、広場にくる人に直接的な働きかけや声かけはほとんどしないらしい。
しつらえや仕掛けを通して、「場」をつくることに徹しているような印象を受けた。
模様替えをして、それによって人がどんな反応をするか。
どこにどんな人がすわって、どんな行動をしているか。
どうすれば、人と人の関わりが生じるか。すべて仕掛けとその反応で、極めて自然にそれら生じる場をつくってこられたのだろう。
山下さんが「広場」として語られ、運営してこられたそれは、僕にとっては容易に「お寺」に翻訳しても通じることが多い概念だったのが印象的だった。とくに「居る」と表現されることのなかに、いろいろな意味を感じることができた。
ただ居るということであっても、居ることの難しさ、人に居てもらうことの難しさ。
あるいは、何かで(共通項で)括ろうとしたり、共通の目的や方向性を持たせようとすると、「一緒にいられないもの」たちを、ただいるだけでいい場であること、あるいはいなくてもいい場であることによって、「一緒にいることができる」ようにする。そして、それによって、交流や、会話、あるいは、そこにいたらなくても「ただいると認識し合う」だけのような接点が生じるということの意味。
「居る」ということだけで生じることをいろいろと言語化してもらったような感覚でもあった。
翌日、イベントのあと、山下さんの言葉を反芻していた。「毎日模様替えする」。
先日かったベンチを(ほとんどすわる人はいないけれど)門の近く、いつもと違うところに配置してみた。実践的を伴うひとの言葉は、実践的であって、具体的な実践に影響を及ぼすものなのだろうか。
場を預かるものにとっては、「聞いた」でおわらない、含蓄のある時間をもらったように反芻している。
【追記】
質問など会場のやりとりをするなかで、僕はあまり質問が思いつかなかったのだけれど、話が、「広場が賑わい、街に影響を及ぼし、経済的な効果ももたらしている」ということに及んだときに、不意に「それは文化ではないのかな」「文化を生み出しているといえるのではないかな」というような思いが立ちあがってきた。(そしてその点について尋ねてみた)
経済的なインパクトというのは、その活動をするにあたって説得力や、目に見える評価になる。しかし、そこが「理由」や原点だと結局「儲かるから」というお金が活動の理由や根っことしてかたられてしまうということにもなってしまわないだろうか。
広場の活動は、そのような経済的なものを目指して行われていたものではなく、人のつながりや、居場所として、またなにかが起こるかもしれないという期待や、可能性がその魅力で、根っこにあるように語られていたように聞いていた。
実際に山下さんのお返事には、自身の希望や思いではなく、その地域にある文化や人の気質や、特徴がその広場で顕在化するような働きかけをしているようなお返事だったように思う。そして、それが「広場」があることによって、より見える化されたりする。あるいは他の土地にはないような「広場がある」ということ自体が、実は「広場文化」みたいなものを根づかされているような、そんな活動として理解することができるんじゃないかなぁと、思ったことを思い出したので、追記しておく。
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