夜19時から西正寺を会場に失敗百物語・第五夜というイベントが開催された。
「失敗百物語 第五夜」
https://www.facebook.com/events/906875656160348/
(図:会場で丸川氏が作成したファシグラ)
こちらは、友人の藤本氏、丸川氏が主催して開催している100人の失敗を聞くことを目指すイベントでこれまで4回開催されてきたもの。今回、西正寺を場として開催された。これまでの気づきで、「失敗を語ることが、ケアや癒しにつながる」という気づきがあったそうで、その関連から、お寺での開催を依頼された。これはうれしいことだ。
今回は二人の女性の「失敗」にまつわる話が提供された。
そのお一人、演劇をされている女性の言葉のなかに、失敗を消化していく言葉に「これも芸の肥やしになる」と思って、悲しくはなかった。
というものがあった。
「芸の肥やし」という一言。
とても力強い言葉に聞こえた。人生のあらゆることがらが、「芸の肥やし」になりえる。どのような失敗も、躓きも、あるいは喜怒哀楽の感情とそれに関わる出来事のすべても、「芸のこやし」たりえる。言い換えると、自身の人生におこるすべてのできごとが「芸」によって、意味を与えられるのではないだろうか。
会の後、彼女と話をする中で、「演劇がなくなると生きていけない」と思っているという言葉もあった。演劇に支えられ、演じるということが、もしかすると、彼女の人生を根っこから支えて意味づけているものなのかもしれない。
自分にとって、念仏や仏教もそういう面がある。
大きな悲しみや、苦しみも、自分にとっては、「これも仏教の味わい」、「これも仏教を理解する糧になるはず」、「これも念仏の道」と、仏教にことよせることで、意味づけようとし、立っていられるようなことがあった。
自身の歩むべき「道」、つきつめたいと思う「道」を持つということは、もしかするとそういうことなのかもしれないと思った。人生のできごと、身に起こる感情の全てが、その道のを歩むための糧となり、実をつける肥やしとして、意味づけられ、消化されていく。
これも「芸の肥やし」になる。いい言葉だ。
失敗や悲歎をささえ、消化させるといった、その言葉はぐっと突き刺さるような、自分への問いかけの言葉のような余韻を残していた。
もぐもぐたいむ
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