松本創『軌道― 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』。
この本を手にした理由は二つ。一つは、人のつながり。この本の主役・浅野弥三一氏が、尼崎のまちづくり関係の事務所の創設者であり、かつその事務所と今現在、地域の関わりで大変親しくしていただいていること。かつ、その事務所の社長でもある若狭氏から紹介、おすすめをいただいたということ。
そして、もう一つはこの本自体のテーマ。尼崎のJR福知山線脱線事故を扱っているといこと。脱線事故については、昨年にそれをテーマに「テラハ。」を実施して以来、頭の中にありつづけている。地域に住む者として、また地域の寺院の僧侶として、どのように向き合い、関わっていくのかということが、一つの課題・テーマとなっている。
本書は、浅野弥三一氏という一人の人物を通して、事故とその後のJR西日本との対峙・対話の経緯を主として綴られている。合わせて、JR西日本の関係者のインタビューから事故とその後の対応についてせまるものだ。350ページを超える分量があるが、飽きや苦労を覚えずに、一気に2日で読み切ることができた。それは、単に読みやすいということだけではなく、本書の登場人物と文章の持つ熱量、本書にこめられている「願い」のようなものが、そうさせてくれたのではないかとも思う。
まず、感じずにいられなかったことは、事故のもたらした影響の大きさ、「負傷者」「遺族」の抱えた傷や、人生にもたらしたものの大きさ。その不条理。地域に住む者として、その立場から言葉を紡ぐ場をもちたいと「テラハ。」で企画した。しかし、地域に住む者と事故によって大きく人生を変えられた方たちとはその影響が比べものにならない。異なりすぎているとあらためて感じざるをえない。果たして、われわれが、事故について考え、言葉を発することなど、許されるのだろうか、果たして「地域に住む者」として、あの場を開き、語ったことは軽々なことではなかったのだろうかと思いを巡らさざるを得なかった。
本書は、事故後、遺族である浅野氏が4・25ネットワークの活動を通じて、JR西日本に対して、事故の本当の原因究明や、今後の対策、組織の変革をもとめつづけて、それを方向付けた経緯が軸になっている。浅野氏のことばでいえば、「事故を社会化する」闘いの内実がドキュメントされたもの。
本書を読んだ中で、事故後の浅野氏の姿勢、実際の交渉とJRを動かしていった経緯で印象的だったことは、
■人と人との対話が、組織を変えていくということ。
■人と人との向き合いが、すべての原点であるということ。
だれと話すのか、どのように向き合うか。
■加害者と被害者の対立、立場の違いは生じるが、それを「闘争」にするのではなく、「対話」を求めつづめ、同じテーブルで一つの方針を見いだす姿勢。
このようなことが際立っていたように思われた。
大きな組織に、(悪い意味で)官僚的に、官僚的なロジックをもって対応されているなかで、(めげそうな中にもなお)折れることなく、時には怒りに震えながら、対話の糸口を探し続け、対話の回路を開き続けていたこと。
話ができる人間、人の心に目を向け、人と人とが話す、ということができる人を探し出し、そこから着実に対話や、交渉の回路を構築していったこと。
被害者―加害者の相容れない立場にあるもの同士が、それぞれの立場で壁を作って話すのではなく、同じテーブルに着くこと、それを実現させたこと。おそらく、これは、ご自身が「被害者」の一人(それも深刻なケースの)であったからこそ、なしえたことなのかもしれない。
「なにを話すか」ではなく、それを「誰が話しているのか」という当事者性。そのひとでなければ、語れないこと、その人でなければ変えられないこと、生きている中で抱えて生きた重みが説得力を持つ、ということがあるのだということを、ここ最近考えている。
背負った者があるからこそ、関われる場がある。変えられるものがある。語れる言葉がある。のだろう。
内容に比して、自分の言葉が軽いように思う。
感心のあるかたは、是非一読を。
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