2017年10月16日月曜日

銭湯の女将さんの矜恃か性(さが)か。

昨日も書いたおふろバーのことで、もう一つ。
 ・おふろバー vol.07 https://www.facebook.com/events/131123897514836/
 ・昨日の記事 http://ryogo1977.blogspot.jp/2017/10/1013vol07.html

 実は、昨日書き忘れて、書いた後に、あ、これもあったと思い出したこと。

 蓬莱湯銭湯の女将さん、稲さんはとても個性的な方ですが、銭湯の女将としてハラの据わった方でもあると思っています。その稲さんの先日の蓬莱湯でのふるまいです。
 お客さんがくると、まず「お風呂入(はい)り」、「まず、お風呂入る?」、「まあ、お風呂はいっていき」と、受付を済ませると、入浴を勧めるのです。 常連のお客さんにも、おふろバーの参加者にも。
 どのタイミングでも、まず「入浴」を勧めていました。イベント開始直前や、すこし遅れて入ってきた人にも勧めていました。ですから、イベント開始の号令が、なかなか発せられません。開始時間に、お風呂に入っていってしまった方もいました(笑)。
 イベント進行の藤本氏が、全員そろってイベント開始の時機を見きわめがたくて、苦笑いする一コマも。

 イベント参加者全員そろってその場にいて、ということでは、なかなかそれをまとまらせない稲さんの行動でしたが、これはこれでとても興味深く思っている自分もいました。 
 稲さんに、こう言わせるものは、なんだろうかと。

答えは稲さんの中にあるので、聞いてみたいと思うのですが、僕が興味深く思うのは、その稲さんの「ふるまい」のなかに、自身のお風呂に対する自信・誇り(プライド)、とか、入浴するということに対する意味や確信のようなものを感じました。(勝手に感じました)あるいは、カリー寺のなかで語られていたような、まずは「お風呂に入ることで、肩書きを下ろす」「リラックスする」ということから、始まるものがあるというような思いもあるのかなと思ったりしました。

 お風呂に入ってもらうことの「誇り」「意味」「責任」(うまくいいあらわせているような気もしませんが)そんなものが、「まずはお風呂に」という入浴の勧めに、あるのではないか(御本人はどうおもわれているのかわかりませんが)なんか、そのようなものの表出をそこに見たような思いがしていました。

 お坊さんに引き寄せることは、また恐縮ですが、お寺をあずかる僧侶は、なによりも本堂のご本尊にお参りしてもらうことを喜びます。それが、お賽銭泥棒だったとしてもそのひとが「お参りに来た」といわれたら「ようお参りです」と挨拶したという話も聞いたことがあります。
 
 幼いころ、祖父のお寺にいったときには、親戚に挨拶するよりも、まず本堂のご本尊にお参りしてこい、「まずお参りしなさい」と言われて育ちました。「まず○○する」 なによりも優先するものがある、というのは、そこに何が一番大切かという思いが表出しているように思うのです。

 稲さんの女将の矜恃か、あるいは性(さが)か。稲さん自身にはまた聞いてみたいとおもうのですが、「まずお風呂入り」の常套句に、ちょっと思いをもったイベントでもありました。




 

0 件のコメント:

コメントを投稿

「宗教」・「カルト」を扱う講義をするので

今日の龍谷大学文学部で担当している「伝道学特殊講義」(学部3・4回生対象)は、講義で指定しているテキスト 『基礎ゼミ宗教学(第2版)』 。今回は、第9章の「カルト問題」にどう向き合うか?―カルト、偽装勧誘、マインド・コントロール」を扱う予定。  数年前に大阪大学が、大学としてのカ...