2017年10月22日日曜日

10/21(土)オトナテラコヤ100回目@西正寺

 10月21日、西正寺で、「オトナテラコヤ vol. 100 あそびを通じて日常を拡張する〜あそびとまなびの関係性〜」が開催された。
 主に阪急塚口駅前のさんさんタウン3番館6階のamareで開催されている街の学びのイベント。僕も4回ほど仏教をテーマに出講したり、以前も1度西正寺での開催を引き受けたりしたことがある。

 今回は、100回記念ということで、スピーカーも豪華に4名。
 ・上芝 英司(うえしば えいじ)さん/PEACOCK64代表。
 ・梅山 晃佑(うめやま こうすけ)さん/2畳大学学長
 ・笹尾 和宏(ささお かずひろ)さん/「水辺のまち再生プロジェクト」参加。
 ・高津 祐次(たかつ ゆうじ)さん/今井町じゃず実行委員会プロデューサー他
コーディネーターは、藤本 遼(ふじもと りょう)さん/尼崎ENGAWA化計画/場を編む人

 


 それぞれの活動を7分ほどで紹介してもらったあと、クロストーク。
 テーマは「あそび」と「まなび」。
 それぞれの活動は面白く、刺激的なものばかり。きっと参加者のみなさんもたくさんの刺激をもらったのではないかと思う。
 
 それぞれが、楽しく、遊ぶ、ということをしながら、まちや学びの捉え直しをされているように思った。

 ・名づけ、あるいは仕掛けによって「場所」や「もの」の見方を変える。
  →面白くする、価値の再解釈をする、魅力的にする。
 ・関わり方、仕掛けによって、「見捨てられていたもの」「無価値と思われていたもの」に価値や、遊び方を発生させる。
 ・人との関わり方、まちとの関わりによって、人を巻き込み、なにかを仕掛けていく。
  「こと」を起こしていく。
 ・ただ「やりたいこと」を、純粋にたのしんで遊んでいく。
 ・与えられた枠組みや「遊び方」ではなく、自分が自分で楽しいものを見いだし、作り、「あそぶ」ことを大事にする。

 といったところか。

 個人的な思いだが「遊び」とは、その行為自体が「目的」、「楽しみ」となるようなものだと考えている。 なにかのために「遊ぶ」というのは、すでに遊びではなく、「作業」や「仕事」になってしまっている。何かのためにするのではなく、それをすること自体が楽しくあるものだと思っている。

 今回、スピーカーでこられた人たちは、既存のあり方や枠組みをいったん解体して、て、見方を変えたり、価値を与え直すような活動をされているわけだけれど、それは、それぞれ自身のなかにある価値とか、生き方と深くコミットしたところから湧き出ている面白さだったのではないかなぁとふり返っている。



 今回、お寺には50名ほどの出演者・参加者が来て下さった。


 たくさんのゲスト・参加者と知り合いになれた。また、初めてお寺にきました、お寺が近くなりました、という声も直接いただけたことも、うれしかった。。


 会が終わった後、掃除機をかけて、イスをならべなおした。
 賑やかな後、また本堂が「礼拝」の場になる。これを一晩寝かせて、また明日にいつも通りの本堂になっている。そういうあり方を保つのも、僧侶としての仕事だなぁとも思う夜だった。



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