2020年1月13日月曜日

200111_大学生と仏教について学ぶイベントの打合せ

1月10日(土)。
昨年から開催している「よいかなよいかな」の3回目に向けての打合せ。
学生さんが卒論の提出だったため、近くなってから相談しましょうね、ということでこの日でした。

 結果からいいますと、次回の「よいかなよいかな」は1月23日(木)の19:00から予定していますので、どうぞよろしくおねがいいたします。

よいかなよいかな(3回目)フェイスブックイベントページ
https://www.facebook.com/events/2562339763880487/


どうして「愛」になったかというと、
 1回目、2回目と「仏」「経」と、ベーシックな形でやってきたので、すこしフランクに参加者のみなさんと語り合えるテーマがいいですよね、という思いがしてきたこと。
 現代的な悩みや感情と、仏教との接点やギャップみたいなことも考えてみたいね、といことで「愛」になりました。

 当日はどうなるかまだわかりません。仏教が「愛」ということについて、決してポジティブなものとしてとらえているわけではないこともお話できたらな、とおもっています。


 うちあわせにあたって、いいだしっぺでもある大学生のうつみさんに、ブレスト的に「質問・問い」を考えてきてもらいました。その問いに対して、瞬発力だけで、即興的にインスピレーションでレスポンスしてみたものがありまして、それをおまけに下につけてみます。

 よく仏教では、「これっていいんですか?」とか、「これはどう考えるんですか?」という問いが向けられるのですが、そういうものに対してほとんどの場合、白黒はっきりとした答え方ができるわけではありません。むしろ、本来的な形はこうだけれども、現実は・・・というように、もともとの形や、教義から変質したり、逸脱したりしている現実という状況もままあるわけです。

 それを、どう受け止めるのか。むしろ、白黒はっきりしない、「齟齬」や「矛盾」との向き合いのなかに仏教の本質もあるようにおもわれるのですが、どうでしょうか。
  

◎生活シリーズ
‐寝坊することは怠けていると考えられがちですが、仏教ではどう考えるのですか
 ・戒律の生活はきっちりと決まっています。
  午前中に起きて、托鉢にいって、午前中に食事をすまさないといけません。
  午後からの食事は、戒律違反。
  午前中にたべないと、その日はなにもたべられません。
  寝坊したら托鉢にいけないので、ごはんがたべられなくなるのかもしれません。

  でも現代のお坊さんは、寝坊もするし、午後にごはんも食べます。
  この打合せの当日も、うっかり一つやらかして、朝のそうじに遅れました。
  なまけ心もめちゃくちゃあります。

 

‐遅刻することは良くないというのが一般常識ですが、仏教ではどう考えるのですか
  遅刻はいけませんね。約束をやぶるということになるので、「不妄語戒」(うそをついてはいけない)に違反するかも。
  でも、上述のように、今日寝坊して、遅刻しました。



‐勉強しないといけないのにスマホ触ってまうことに罪悪感を結構感じるのですが、怠けて
いる人間に対して仏教は手を差し伸べてくれますか
 「なまけてはいけない」、というかもしれません。
  怠惰はいけないと、しばしば経典などに出ます。「精進」(がんばる・努力する)というのが修行であり、徳の一つになっています。でも、私自身がかなりスマホをいじってしまうので、スマホ依存ではないかと思っています。

-学力あまりないのですが大丈夫ですか
 学力がない人には、それに応じた教えをおしゃかさまは説いてくれます。
 


◎恋愛シリーズ
‐彼氏できないことを結構悲しいな~って思うことあるのですが、仏教ではどう考えるのですか?
 恋愛すら、煩悩として控えるべきというのだから、そもそも「恋愛するな」っていうのかもしれません。 
 でも、お坊さんも恋愛も結婚もしています。


‐結婚は絶対ですか?
 本来的には、出家(お坊さん、尼さん)は「結婚」してはいけない存在。
 でも、いまの日本のお坊さんは、結婚しています。むしろ、家族・親戚、あるいは檀家さんなど親しい人からの、結婚しないのか? っていうプレッシャーにさらされる人もめずらしくありません。(つまり、環境や、社会の方が本人の意思に関わらず「結婚」についての期待が高かったりするケースもままあるわけです)


‐男女の友情について、仏教はどう考えるのですか。あり?なし?
 出家の生活は、男女の生活の場所を分けて、極力接点をもたないようにされています。心が乱れるから。そういう意味では、「男女の友情はむずかしい」というスタンスかもしれません。(どうでしょうか?)
 でもお坊さんには、異性の友人もいます。。。


‐タレントの加藤紗里さんが「結婚したけどお金つかわせたら経営傾いたから3か月で離婚した~。金のない男はいらない」といっていて軽く炎上しましたが、仏教ではお金と愛?どっちを取りますか?
 お金も愛も煩悩。
 でも、お金にも愛にも執着しちゃっています。

‐不倫が発覚した芸能人がしばしば炎上しますが、仏教では不倫についてはどう考えますか
 不倫は、「不邪淫戒」に抵触するので、アウトです。
 不倫は、しません。たぶんしないとおもう、しないんじゃないかな。
 (さだまさしの関白宣言を参照してください)


‐好きとはなんですか
 執着・とらわれ。


◎性格の話
‐ひねくれてる人間について仏教はどう考えますか
(純粋な人間に対して裏がありそう~って思ってしまう)
 なにが「ひねくれている」ということなのだろうか?うむむ。


‐夢とかあんまり持ってないのですが大丈夫ですか
 大丈夫。(根拠ないけど)

‐仏教では人に親切にすることをどう考えますか?(偽善という人もいるので)
 親切はいいこと。「布施」(ほどこし、あたえる)ことは修行・徳の一つ。
 でも、「本当の親切ってなんだろう?」 本当に相手のためにするってなんだろうっていうことの答えは簡単ではないのかもしれませんね?
 思った通りに人を助けていく、思った通りの結果を得ていくということはとてもむずかしいことのように思います。



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